南海なんかい北島きたじま支線しせん

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北島きたじま支線しせん
基本きほん情報じょうほう
現況げんきょう 廃止はいし
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 和歌山わかやまけん和歌山わかやま
起点きてん 北島きたじまえき全線ぜんせん廃止はいし当時とうじ
終点しゅうてん ひがし松江まつええき
えきすう 3えき全線ぜんせん廃止はいし当時とうじ
開業かいぎょう 1912ねん6月16にち
廃止はいし 1966ねん12月1にち
所有しょゆうしゃ 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう
運営うんえいしゃ 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう
使用しよう車両しゃりょう 使用しよう車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせん距離きょり 1.8 km全線ぜんせん廃止はいし当時とうじ
軌間きかん 1,067 mm狭軌きょうき
線路せんろすう 単線たんせん
電化でんか方式ほうしき 直流ちょくりゅう600 V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき[注釈ちゅうしゃく 1]
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南海電気鉄道なんかいでんきてつどう 北島きたじま支線しせん
減速げんそく進行しんこう 和歌山わかやま軌道線きどうせん
クリック⇒[1949ねん]で廃止はいし北島きたじま支線しせん地形ちけい図上ずじょう表示ひょうじ
きゅう加太かだせん紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう河西かさいきょう(2003ねん
停車場ていしゃじょう施設しせつ接続せつぞく路線ろせん

1966ねん11がつ現在げんざい状況じょうきょう

ABZq+l HSTq STR+r
南海本線なんかいほんせん 紀ノ川きのかわえき
LSTR WASSER+l hKRZWae
紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう かわ
LSTR WASSER STR STR+l STRq
国鉄こくてつ紀勢本線きせいほんせん
STR STR uSTR+l
和歌山わかやま軌道線きどうせん (-1971)
exSTR+l
ABZgr uBHF
宇治うじ停留所ていりゅうじょ
0.0 和歌山わかやまえき
exSTR2
STRq
和歌山港わかやまこうせん
LSTR
1914-1955
LSTR WASSERl exhKRZWae
紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう かわ
LSTR exKBHFa exSTR
和歌わか山口やまぐちえき 1912-1914
LSTR exSTR KBHFxa
0.8 北島きたじまえき 1914-
LSTR exSTRl eABZg+r
LSTR BHF
2.3 島橋しまばしえき
STRl STRq ABZg+r
松江まつえせん加太かだせん 1941-
BHF
2.9 ひがし松江まつええき 1930-
STR
太線ふとせん
KHSTe
加太かだえき

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  • ひだり: 和歌わか山口やまぐちえき 1914-1942、和歌山わかやまえき 1942-1955
  • ちゅう2つ: 和歌山わかやまえき
  • みぎ: えき停留所ていりゅうじょ

北島きたじま支線しせん(きたじましせん)は、かつて和歌山わかやまけん和歌山わかやま北島きたじまえきからひがし松江まつええきまでをむすんでいた南海電気鉄道なんかいでんきてつどう鉄道てつどう路線ろせん1966ねん昭和しょうわ41ねん)に廃止はいしされた。

なおとうこうでは、北島きたじま - 東松江ひがしまつえあいだとともに当時とうじ太線ふとせん一部いちぶであった和歌山わかやまえきから北島きたじまえきまでの区間くかんについてもしるす。

概要がいよう[編集へんしゅう]

もともとはこちらが太線ふとせん本線ほんせんで、紀ノ川きのかわえき経由けいゆげん路線ろせん松江まつえせん(まつえせん)という貨物かもつせんとして、重量じゅうりょう貨物かもつ列車れっしゃ運転うんてんのために戦時せんじちゅう開業かいぎょうしたものであった。

しかし1950ねん昭和しょうわ25ねん)には旅客りょかく列車れっしゃ紀ノ川きのかわえき経由けいゆ運転うんてん系統けいとう変更へんこうされた。その直後ちょくご9月3にちジェーン台風たいふう襲来しゅうらい紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう被災ひさいし、電動でんどうかずを4から2らした電車でんしゃ徐行じょこう運転うんてん通過つうかするようになった[1]。さらに1953ねん昭和しょうわ28ねん)7がつ18にち水害すいがい橋脚きょうきゃく傾斜けいしゃして不通ふつうとなり[2]、9月15にち和歌山わかやま - 北島きたじまあいだ休止きゅうし許可きょか[3]1955ねん昭和しょうわ30ねん)には廃止はいしされた。このとき松江まつえせん太線ふとせん編入へんにゅうされた。盲腸もうちょうせんとなったのこ北島きたじま - 東松江ひがしまつえあいだ北島きたじま支線しせん改称かいしょうされ、1966ねん昭和しょうわ41ねん)に廃止はいしされた。

なお、きゅう紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう道路どうろとなり、二輪車にりんしゃ徒歩とほでのみ通行つうこう可能かのう河西かさいきょうとして現存げんそんしているが、老朽ろうきゅうによりはしえが決定けってい工事こうじ2014ねん平成へいせい26ねん)からはじまることとなった[4]

2022ねんれい4ねんちゅうに、一部いちぶ仮設かせつきょうわった。

路線ろせんデータ[編集へんしゅう]

運行うんこう形態けいたい[編集へんしゅう]

北島きたじま支線しせんとして分離ぶんりは、1りょう編成へんせい電車でんしゃ北島きたじま - 東松江ひがしまつえあいだかえ運転うんてんするだけとなり、『交通こうつう公社こうしゃ時刻じこくひょう』にも掲載けいさいされず、存在そんざいがあまりられていない路線ろせんとなっていた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

  • 1912ねん明治めいじ45ねん6月16にち 加太かだ軽便鉄道けいべんてつどう和歌山わかやまこう(のちの北島きたじま) - 中松江なかまつえ - 加太かだあいだ開業かいぎょう和歌わか山口やまぐちえき初代しょだい)・島橋しまばしえき開業かいぎょう[5]
  • 1914ねん大正たいしょう3ねん
    • 9月21にち 和歌わか山口やまぐちえき初代しょだい)を移転いてんして北島きたじまえき改称かいしょう[6]和歌わか山口やまぐちえき初代しょだい)を廃止はいしして、北島きたじまえき新設しんせつしたとの研究けんきゅうもある[7])。
    • 9月23にち 紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう完成かんせいし、和歌山わかやまこう - 北島きたじまあいだ開業かいぎょう南海なんかい和歌山わかやまえき連絡れんらく
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん
    • 12月1にち 和歌山わかやまこう - 加太かだあいだ電化でんか島橋しまばし - 中松江なかまつえあいだひがし松江まつええき開業かいぎょう[5]
    • 12月22にち 加太かだ電気でんき鉄道てつどう社名しゃめい変更へんこう
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん2がつ1にち 南海なんかい鉄道てつどう合併がっぺい加太かだせんとなる。和歌わか山口やまぐちえき和歌山わかやまえき統合とうごう
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん6月1にち 関西かんさい急行きゅうこう鉄道てつどう合併がっぺい近畿日本鉄道きんきにほんてつどうとなる。
  • 1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ1にち きゅう南海なんかい鉄道てつどう路線ろせん南海電気鉄道なんかいでんきてつどう分離ぶんり譲渡じょうと
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん
    • 7がつ25にち 松江まつえせん旅客りょかく営業えいぎょう開始かいし加太かだせん運転うんてん系統けいとう紀ノ川きのかわ経由けいゆ変更へんこう
    • 9月3にち ジェーン台風たいふう紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう破損はそんし、電動でんどうらした電車でんしゃ徐行じょこう運転うんてんするようになる[1]
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん
    • 7がつ18にち 紀ノ川きのかわ橋梁きょうりょう水害すいがい被災ひさい不通ふつうとなる[2]
    • 9月15にち 和歌山わかやま - 北島きたじまあいだ休止きゅうし[3]
  • 1955ねん昭和しょうわ30ねん2がつ15にち 和歌山わかやま - 北島きたじまあいだ廃止はいし紀ノ川きのかわ - 加太かだあいだ加太支線かだしせん1994ねんころから加太かだせん)、北島きたじま - 東松江ひがしまつえあいだ北島きたじま支線しせん変更へんこう
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん12月1にち 北島きたじま支線しせん北島きたじま - 東松江ひがしまつえあいだ廃止はいし

えき一覧いちらん[編集へんしゅう]

和歌山わかやまえき - 北島きたじまえき - 島橋しまばしえき - ひがし松江まつええき

接続せつぞく路線ろせん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅうおよび参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 南海本線なんかいほんせんなどとともに太線ふとせん架線かせん電圧でんあつが1500Vに昇圧しょうあつされたのは、北島きたじま支線しせん廃止はいし1973ねん

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 和田わだ康之やすゆき回想かいそう南海なんかい電車でんしゃ」『鉄道てつどうピクトリアル臨時りんじ増刊ぞうかんごうだい807ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2008ねん8がつ、136 - 141ぺーじ 
  2. ^ a b 武内たけうち雅人まさと河西かさいきょう-その歴史れきし構造こうぞう(1)」『和歌山わかやま地方ちほう研究けんきゅう』、和歌山わかやま地方ちほう研究けんきゅうかい、2018ねん7がつ、56 - 69ぺーじ 
  3. ^ a b 青木あおき栄一えいいち南海電気鉄道なんかいでんきてつどうあゆ戦後せんごへん 路線ろせんもう整備せいび地域ちいき開発かいはつ」『鉄道てつどうピクトリアル臨時りんじ増刊ぞうかんごうだい615ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1995ねん12月、101 - 114ぺーじ 
  4. ^ 『100ねんまえにできた「河西かさいきょうえへ』わかやま新報しんぽう(2013ねん8がつ15にち
  5. ^ a b 宮脇みやわき俊三しゅんぞう編著へんちょ)『鉄道てつどうはいせんあとあるくII』日本交通公社にほんこうつうこうしゃ、1996ねんISBN 4-533-02533-1 
  6. ^ 今尾いまお (2008)
  7. ^ 南海なんかい加太かだせんむかしむかし - (財)ざいだんほうじん和歌山わかやま社会しゃかい経済けいざい研究所けんきゅうじょ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]