及川 道子
おいかわ みちこ | |
---|---|
1933 | |
1911 | |
1938 | |
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ジャンル |
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1924 | |
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『 『 『ハムレット』 『 『 『 |
1920
来歴
[1911
2
1933
エピソード
[雑誌 『新 青年 』の編集 者 で、後 に異色 作家 として知 られるようになる渡辺 温 とは、少女 時代 から交流 があった[7]。1930年 2月 に渡辺 は不慮 の死 を遂 げたが、道子 は後 に自伝 『いばらの道 』(1935年 )の中 で、渡辺 との思 い出 を回想 している。[1]「私 は小学校 の時分 から、ずっと後 に映画 界 に出 るようになる迄 、 よい指導 者 として、またよき愛護 者 として、渡辺 さんに、どれだけ御 恩 を受 けているか知 れません。――冬 の真中 にもなお、外套 をもっていないということで、母 の心 を痛 めさせたわたしが、音楽 学校 への受験 写真 には、立派 な外套 を着 ているのも、その頃 或 る雑誌 が懸賞 でシナリオを募集 した時 、それに応 じて一等 に当選 された渡辺 さんが、懸賞 の一部 で私 に買 って下 さった、思 い出深 い外套 なのです。」また、渡辺 の訃報 を新聞 で知 った時 の印象 は、「道 ちやん、渡辺 さんが.....」「渡辺 さんが、何 うなさったの、お母 さん?」只 ならぬ母 の聲 に驚 いて、思 はず駆 け寄 つた私 が、父 の打 ち慄える手 に広 げられた夕刊 を覗 き込 むと、渡辺 温 惨死 す!いきなり、大 きな活字 が、私 の目 を覆 ふてしまつたのです。私 は、私 の全身 から、さツと血潮 の失 せてゆくやうな、寒 さを感 じながら、また、よろめく足 を踏 み耐 へようとしつつも、なほフラフラと崩 折 れさうになる身体 を支 へて、漸 くの思 ひで自分 の部屋 へ辿 り着 くと、我 れを忘 れたやうに、机 の前 に座 り込 んで、渡辺 温 探偵 小説 全集 を取 つて、その口絵 の写真 を開 きました。見慣 れた黒 の洋服 に、いつもの寂 しそうな顔 をして居 られる渡辺 さん!見詰 めているうちに、其 の寂 しい顔 が、写真 の中 から抜 け出 して、私 の頭 を、胸 を、いつぱいにしてしまつたのです。」[1]及川 は死後 、渡辺 に会 う夢 を見 ており、それについて詳細 に書 いている。「空 は紺碧 に晴 れて、そよ風 にゆらぐ街路 樹 の柳 の若葉 が、涼 しそうな陰影 を鋪道 に投 げていた。初夏 の銀座 通 りである。道子 は母 と弟 の士郎 と三 人 で、買物 への帰 りを新橋 に向 かって歩 いていた。途中 、ある額縁 屋 へ立寄 って、美 しいというよりも神々 しさを思 わせる山 と川 の絵 ──夕陽 が山 の端 の雲間 からパッとさして、静 かな川面 にキラキラと金色 に映 え返 っている──を暫 く眺 めてから、再 び鋪道 に出 て急 ぎ足 に新橋 の方 へ歩 き始 めた。 「アッ!」道子 は思 わず声 を立 てると、その場 に立 ちすくんでしまった。手 にしていた荷物 はバタバタと足許 に転 がり落 ちた。コツ、コツ。向 こうから渡辺 さんが歩 いて来 る!山高 をかぶって、片手 にステッキを握 り、いつものように首 を心 もち左 へかしげたあの渡辺 さんが!今 では、もう此世にいない筈 のあの渡辺 さんが!道子 はあまりのことに立 ちすくんだまゝじっとその姿 に見入 った。が、次 の瞬間 、あの渡辺 さんが生 きていてくれたのだとわかると、道子 は嬉 しくて嬉 しくて思 わず我 を忘 れて、その側 に飛 んで行 き、胸 深 く顔 をうずめて泣 き崩 れてしまった。「もう、どこへも行 かないでね。いえ、行 こうたって離 さないわ。これからは何 でも云 うことを聞 くから、そして誰 よりもあなたを好 きになってあげるから、どうかもうどこへも行 かないでね」まるで子供 が父親 に甘 えるように、道子 はわれながらいじらしい感情 に胸 をふるわせながら訴 えるのだった。それまで、たゞ黙 って道子 の言葉 に耳 を傾 けていた渡辺 さんは、つと優 しく道子 の手 をとると、二人 は何時 のまにか元 来 た道 の方 へ歩 き出 していた。暫 く行 って──何処 をどう通 ったか、またそこがなんという町 かハッキリわからなかったが──間 もなく二人 は、何 だか白 く乾 き切 った広 い広 い大通 りの傍 に建 っている家 に着 いた。 その家 は入口 からいきなり階段 になっていて、二人 はその二 階 へ上 がって行 った。「どこへも行 かないでね、いつまでも道子 の側 にいてね」と繰 り返 し繰 り返 し、たのみつゞけたが、それに対 して渡辺 さんは一言 も云 わずに黙 って道子 の顔 を見守 っているだけだった。どの位 二 人 はそうしていたろうか。暫 くして階下 の入口 の戸 を誰 かトントンと叩 く音 がしたので、道子 は急 いで階段 を下 りて行 って見 ると、そこには不思議 なことに、これも今 はもう亡 くなられた筈 の小山内 先生 がヌーッと立 っていられるではないか──「渡辺 君 、迎 えに来 たよ」先生 はそう云 いながら、丁度 そこへ下 りて来 た渡辺 さんを両手 で抱 きかゝえるようにして出 て行 こうとされた。道子 は急 に堪 え難 い悲 しみに襲 われて、先生 、どうか渡辺 さんを連 れて行 かないで下 さい。お願 いですから、お願 いですから」 と眼 に一 杯 涙 をためながら渡辺 さんにとりすがった。 が、いよいよ先生 に連 れられて戸口 を出 ようとするとき渡辺 さんは追 いすがる道子 の方 を静 かに振 り返 って、その寂 しい青 ざめた口元 に微笑 をうかべながら、始 めて口 を開 いた。 「ねえ、道 ちゃん、恋愛 は一生 の仕事 ではないよ。この人生 にはもっともっとなさなければならない仕事 がある筈 だ。 ──道 ちゃんには芸術 の仕事 が残 されている。今 はそうした愛 とか恋 とかの感情 に心 を奪 われている時 ではなく、お互 いに芸術 の道 に精進 すべき時 だ。 そしていつか僕 等 がなすべき務 めを果 し静 かな安息 の日 が訪 れた時 に、きっと二 人 はまた会 うことがあるだろうからね──」そう云 ったかと思 うと、先生 と渡辺 さんの姿 は、その広 い真白 な、果 てもない一本 の道 を後 をも振 り返 らずに次第 次第 に遠 ざかって行 った。そしてやがて、遙 か地平線 の彼方 から湧 き上 って来 た夕陽 を浴 びて神々 しいばかりに照 り輝 いている金色 の雲 の光 の中 へ二人 の姿 は吸 い込 まれるように見 えなくなってしまった。道子 はそこに立 ちつくしたまゝ、何 かしら澄 み切 った寂 蓼 と感激 とに胸 をしめつけられて「ええ、わかったわ、わかったわ」と何 度 も何 度 もうなずきながら、かすかに遠雷 の音 の響 いて来 る遠 い雲 の峰 をいつまでも眺 め入 っていた。 これは二 三 日 前 の夜 、私 がはっきり見 た夢 でございます。今日 たまたま編集 者 から、故 渡辺 温 さんの思 い出 をもとめられましたので、 ともあれ先 ずこの不思議 な夢 をそのまゝ記 して見 ました。」[1]第 二 回 主演 作 「恋愛 第 一 課 」の撮影 のために東京 の実家 を離 れて地方 で泊 まったときに、家族 を離 れての外泊 に不安 となっていた及川 を、笑 わせようと、岡田 時彦 らは酔 っぱらって、奇矯 ないで立 ちで及川 の部屋 に侵入 し、馬鹿騒 ぎを始 めようとしたが、及川 の厳 しい叱責 にあって、退散 している[1]。このときの情景 は「いばらの道 」に書 かれている。(以下 、「いばらの道 」より)「これまでに私 は、父母 の許 を離 れて旅 へ出 たことなど、数 へるほどより無 かつたので、一 日 家 を空 けても、家庭 のことばかり思 ひ出 されて仕方 が無 かつたのです。(中略 )お夕飯 が済 んだ後 、私 は自分 のお部屋 で、窓辺 に身 を寄 せて(中略 )またしても東京 の家 のことを思 ひ出 して居 ると、不意 に、部屋 の外 の廊下 に騒々 しい物音 が起 つたと思 ふと、いきなり、荒々 しく襖 を開 けて、私 の部屋 の中 へ闖入 して来 た者 があつたのです。 「あらツ!」驚 いて振 り返 つた私 は、思 はず小 さな叫 び声 を漏 らしました。其処には私 たちと一緒 に船原 へ原稿 を書 きに来 て居 られた北村 小松 先生 と、私 と今度 の映画 に主演 して居 られる岡田 時彦 さんの二人 が立 つて居 られたのです。それだけならば、そんなに驚 くこともないのですけれど、冬 の最中 といふのに麦藁 帽子 を冠 り、赤 鬼 にやうに酔 つ佛 つた顔 をして、ビ ール瓶 だの、コップだの、其 の他 、何 か妙 なものを手 に提 げて、奇妙 な身振 りをして居 られたのです。 「いよう、嬢 氏 !」 「愉快 に、此処 で騒 がうぢやないか!」二人 の聲 を聞 くと同時 に、たうとう我慢 の出来 なくなつた私 は、思 はず大 きな聲 で怒鳴 りました。 「いけません!酔 つ佛 つて、無断 でひとの部屋 に入 つて来 るなんて、無作法 なことがありますか。はやく此処 から出 て行 つて下 さい!」北村 先生 と岡田 さんは、余 りに激 しい私 の剣幕 に、半 ば驚 き、半 ば呆 れたといふ風 に、暫 く其 の場 に立 ちつくして居 られたが、間 もなく、すごすごと部屋 から出 て行 かれました。(中略 ) けれども、其 の直 ぐ後 で、その晩 のことが、皆 んな厚意 から生 まれた狂言 だといふことを知 つた時 に、私 は苦笑 しながらも、あんなに怒鳴 つたりしたことが、北村 先生 達 にお気 の毒 に思 はれたり、また何 だか大人気 ないことをしたような気 がして、自分 で自分 が可笑 しくもなりました。北村 先生 と岡田 さんは、私 が家 のことばかり思 ひ出 して沈 み込 んでいるので、ひとつ笑 はして、私 の気分 を引 き立 てようと、あんなおどけた真似 をなさつたといふのです。」初 映画 出演 作 となった「不壊 の白 珠 」が、映画 が作 られる前 に新聞 小説 となっていたのを読 んでおり、主役 のエゴイスティックな女性 玲子 について、「一番 嫌 いなタイプの人間 で、もし現実 に存在 するなら打 ちのめしてやりたいくらいに憎 らしく思 っていた」ために、自分 が玲子 の役 を割 り当 てられていることを知 った時 、非常 にがっかりしたという[1]。自身 の来歴 や役柄 のイメージもあり、主 に知識 階層 から熱烈 な支持 を受 けていた[1]。だが、実生活 では病身 に鞭打 ち、家族 を養 う女性 という一 面 も持 っており、そのためか働 く青年 や少女 のファンも少 なくなかった[3]。本人 も野田 醤油 (現 キッコーマン)の女工 の集 まりなどによく顔 を出 していたという[3]。臨終 の際 、「私 は正 しい人間 の人生 を送 ってきたから…」「私 のためではなく、みんなのために祈 ってください」という言葉 を残 した[3]。読書 家 で、日本 の古典 から哲学 書 まで広 い範囲 の書物 を読 み、また聖書 もよく読 んでいた。讃 美歌 を歌 うこと、ピアノをひくことも趣味 だった[1]
出演
[舞台
[築地 小 劇場
[- 『そら
豆 の煮 えるまで』 :第 18回 公演 、1924年 12月 -少年 - 『
虫 の生活 』 :第 26回 公演 、1925年 -少女 - 『
青 い鳥 』 :第 39回 公演 、1925年 - チルチル - 『リリオム』 : 1925
年 - ルイザ - 『
闇 の力 』 : 1926年 - 『
息子 』 : 1926年 - 『
埋 もれた春 』 : 1927年 - きみ子 - 『ウィリアム・テル』 : 1927
年 - イエンニ - 『
桜 の園 』 : 1927年 - 『
空気 饅頭 』 : 1927年 - 『
国 姓 爺 合戦 』 :第 79回 公演 、1928年 -栴檀 皇女 の女官
その他
[映画
[松竹 蒲田 撮影 所
[- 『
不壊 の白 珠 』 :監督 清水 宏 、サイレント映画 、1929年 10月 17日 公開 -水野 玲子 ※現存 (NFC所蔵 [8]) - 『
恋愛 第 一 課 』 :監督 清水 宏 、サイレント映画 、1929年 12月31日 公開 -道子 - 『
真実 の愛 』 :監督 清水 宏 、サイレント映画 、1930年 4月 18日 公開 - お民 - 『
抱擁 (ラムブラス)』 :監督 清水 宏 、サイレント映画 、1930年 6月 13日 公開 - 『
女 よ!君 の名 を汚 す勿れ』 :監督 五 所 平之 助 、サイレント映画 、1930年 8月 15日 公開 - 『
野 に叫 ぶもの青春 篇 』 :監督 島津 保次郎 、サイレント映画 、1931年 7月 15日 公開 - 『
野 に叫 ぶもの争闘 篇 』 :監督 島津 保次郎 、サイレント映画 、1931年 7月 23日 公開 - 『
生活 線 ABC』 :監督 島津 保次郎 、サイレント映画 、1931年 10月 16日 公開 ※撮影 中 に病気 のために降板 - 『
愛 の防風 林 』 :監督 清水 宏 、サイレント映画 、1932年 8月 5日 公開 -美佐保 - 『
白夜 は明 くる』 :監督 清水 宏 、サイレント映画 、1932年 9月 9日 公開 -寺本 益枝 (芸者 浜 勇 ) - 『
女性 の切札 』 :監督 野村 芳 亭 、サイレント映画 、1932年 11月3日 公開 - 『
眠 れ母 の胸 に』 :監督 清水 宏 、サウンド版 、1933年 1月 20日 公開 -羽山 道子 ※独唱 も担当 - 『
港 の日本 娘 』 :監督 清水 宏 、サイレント映画 、1933年 6月 1日 公開 -黒川 砂子 ※現存 (NFC所蔵 [9]) - 『
頬 を寄 すれば』 :監督 島津 保次郎 、サイレント映画 、1933年 8月 3日 公開 - 『
愛撫 (ラムール)』 :監督 五 所 平之 助 、サイレント映画 、1933年 11月9日 公開 -節子 ※現存 (NFC所蔵 [10]) - 『
東洋 の母 』 :総 監督 監督 清水 宏 、1934年 2月 1日 公開 -娘 - 『
夢 みる頃 』 :監督 野村 浩 将 、1934年 3月 21日 公開 - 『
真白 き富士 の根 』 :監督 佐々木 康 、サウンド版 、1935年 8月 29日 公開 - 『
永久 の愛 前 篇 』 :監督 池田 義信 、サウンド版 、1935年 10月 15日 公開 -本田 よし子 - 『
永久 の愛 後 篇 』 :監督 池田 義信 、サウンド版 、1935年 10月 15日 公開 -本田 よし子 - 『
家族 会議 』 :監督 島津 保次郎 、1936年 4月 3日 公開 -仁礼 泰子 ※現存 (NFC所蔵 [11])
松竹 下加茂 撮影 所
[脚注
[- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 『
日本 映画 人名 事典 ・女優 編 ・上巻 』、304 - 306頁 - ^ 『
荒畑 寒村 著作 集 9寒村 自伝 上 』、157頁 - ^ a b c d e f 『
人物 日本 映画 史 』、380 - 382頁 - ^ シナリオ1983
年 3月 号 76~77頁 - ^ a b 『
女優 一 代 』、110頁 - ^ 『キネマの
美女 -二 十 世紀 ノスタルジア』、138頁 - ^ 『
戦前 戦後 異端 文学 論 』、58頁 - ^
及川 道子 、東京 国立 近代 美術館 フィルムセンター - ^
及川 道子 、東京 国立 近代 美術館 フィルムセンター - ^
及川 道子 、東京 国立 近代 美術館 フィルムセンター - ^
及川 道子 、東京 国立 近代 美術館 フィルムセンター
参考 文献
[- 『
日本 映画 人名 事典 ・女優 編 ・上巻 』、キネマ旬報社 、1995年 8月 岸 松雄 『人物 日本 映画 史 』、ダヴィッド社 、1970年 1月 - 『
荒畑 寒村 著作 集 9寒村 自伝 上 』、平凡社 、1977年 1月 水谷 八重子 『女優 一 代 』、日本 図書 センター、1997年 2月 - 『キネマの
美女 -二 十 世紀 ノスタルジア』、文藝春秋 、1999年 5月 谷口 基 『戦前 戦後 異端 文学 論 :奇想 と反骨 』、新 典 社 、2009年 5月