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渡辺わたなべあつし

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渡辺わたなべあつし

(わたなべ おん、1902ねん8がつ26にち - 1930ねん2がつ10日とおか)は、日本にっぽん推理すいり作家さっか幻想げんそう小説しょうせつ本名ほんみょう(ゆたか)[1]

渡辺わたなべ伊太郎いたろう渡辺わたなべツネの三男さんなん推理すいり作家さっか渡辺わたなべ啓助けいすけ実弟じってい北海道ほっかいどう上磯かみいそぐん谷好たにょしむら現在げんざい北斗ほくとまれ。

略歴りゃくれき

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1905ねん2がつ東京とうきょう深川ふかがわ転居てんきょスラムがい社宅しゃたく幼少ようしょうごす。1912ねん8がつ茨城いばらきけん多賀たがぐん高鈴たかすずむら現在げんざい日立ひたち)に転居てんきょ1920ねん旧制きゅうせい水戸みと中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょうし、慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく文科ぶんか入学にゅうがくするが、よく1921ねん4月中退ちゅうたい1922ねん4がつ慶應義塾けいおうぎじゅく高等こうとう入学にゅうがく[1]。このころ、啓助けいすけ福田ふくだこう太郎たろうとともに共同きょうどう生活せいかついとなむ。

1924ねんプラトンしゃ雑誌ざっし女性じょせい』と『苦楽くらく』がおこなった映画えいが原案げんあん懸賞けんしょう公募こうぼに「かげ」を投稿とうこうし、一等いっとう入選にゅうせんたす。このとき選者せんじゃ谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう小山内おさないかおるだった[2][注釈ちゅうしゃく 1]

このころ、築地つきじしょう劇場げきじょう女優じょゆう及川おいかわ道子みちこい、恋愛れんあい関係かんけいおちいるが、及川おいかわ病弱びょうじゃくであったため周囲しゅういから結婚けっこん反対はんたいされ、結婚けっこん断念だんねんしている[4]

1926ねん3月、慶應義塾けいおうぎじゅく高等こうとう卒業そつぎょう1927ねん1がつ、『しん青年せいねんだい2だい編集へんしゅうちょう就任しゅうにんすることになった横溝よこみぞ正史せいし抜擢ばってきされ、編集へんしゅう助手じょしゅとして博文ひろぶみかん入社にゅうしゃ[5][6]モーニングシルクハットこうむって博文ひろぶみかんとおった逸話いつわは、ゆたかモダニズムへの傾倒けいとう端的たんてきしめすものとしてつとられている。

1928ねん7がつ創作そうさく活動かつどう専念せんねんすべく博文ひろぶみかん退社たいしゃ[6]よく1929ねん4がつ啓助けいすけとともに江戸川えどがわ乱歩らんぽだいやくおこなった「ポー、ホフマンしゅう」(改造かいぞうしゃ世界せかい大衆たいしゅう文学ぶんがく全集ぜんしゅう・30かん)が刊行かんこうされる(二人ふたりポー担当たんとう)。また、啓助けいすけ岡田おかだ時彦ときひこ代作だいさくしゃとして探偵たんてい小説しょうせつくことをすすめる。このときかれたのが啓助けいすけ処女しょじょさくにせのマドンナ」(『しん青年せいねん』6がつごう)である。11月、『しん青年せいねん編集へんしゅう復職ふくしょく[6]

1930ねん2がつ9にち神戸こうべ近郊きんこう岡本おかもと現在げんざい神戸こうべ東灘ひがしなだ在住ざいじゅう谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうのもとへ、ならはら茂二しげじ長谷川はせがわ修二しゅうじ)とともに『しん青年せいねん』の原稿げんこう催促さいそくおもむ[注釈ちゅうしゃく 2]。そのばんよく10にち午前ごぜん150ふんごろ)、西宮にしのみや夙川しゅくがわ踏切ふみきりっていたタクシー貨物かもつ列車れっしゃ衝突しょうとつ西宮にしのみや回生かいせい病院びょういんにかつぎこまれるものう挫傷ざしょうのため死去しきょまん27さいぼつ同乗どうじょうしていた楢原ならはら負傷ふしょうしたが一命いちめいりとめている。墓所はかしょ日立ひたちかがみいさおてら

谷崎たにざき追悼ついとうぶん春寒しゅんかん」を『しん青年せいねん』1930ねん4がつごう発表はっぴょうし、よく1931ねんから同誌どうしで『たけしゅうおおやけ秘話ひわ』を連載れんさいした。

主要しゅよう作品さくひん

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  • かげ Ein Märchen (『苦楽くらく』『女性じょせいりょうの1925ねん1がつごう同時どうじ掲載けいさい初出しょしゅつは「渡辺わたなべひろし名義めいぎ) - デビューさく
  • 少女しょうじょ(『三田みた文藝ぶんげいじん』1925ねん7がつごう初出しょしゅつは「渡辺わたなべひろし名義めいぎ、『しん青年せいねん』1929ねん3がつごうさいろく
  • 兵隊へいたい(『探偵たんてい趣味しゅみ』1927ねん1がつごう、『しん青年せいねん』1930ねん4がつごうさいろく[注釈ちゅうしゃく 3]
  • うそ(『しん青年せいねん』1927ねん3がつごう
  • こおりれる花嫁はなよめ(『しん青年せいねん』1927ねん4がつごう
  • ちちうしなはなし(『探偵たんてい趣味しゅみ』1927ねん7がつごう
  • 可哀相かわいそうあね(『しん青年せいねん』1927ねん10がつごう
  • シルクハット(『探偵たんてい趣味しゅみ』1928ねん4がつごう
  • ああ華族かぞくさまだよとわたしうそを吐(つ)くのであった(『講談こうだん雑誌ざっし』1929ねん4がつごう
  • アンドロギュノスの裔(ちすじ)(『しん青年せいねん』1929ねん8がつごう[8]

単行本たんこうぼん

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  • 渡辺わたなべあつし『アンドロギュノスの裔』薔薇ばらじゅうしゃ、1970ねん 
  • 渡辺わたなべあつし渡辺わたなべあつし うそきの彗星すいせい博文ひろぶみかんしんしゃ叢書そうしょしん青年せいねん』〉、1992ねんISBN 4-89177-941-1 
  • 渡辺わたなべあつし『アンドロギュノスの裔 渡辺わたなべあつし全集ぜんしゅう東京とうきょうそうもとしゃつくもと推理すいり文庫ぶんこ〉、2011ねん8がつISBN 978-4-488-40711-7 
  • 渡辺わたなべあつし渡辺わたなべ啓助けいすけとも やくポー傑作けっさくしゅう江戸川えどがわ乱歩らんぽ名義めいぎやく中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公ちゅうこう文庫ぶんこ〉、2019ねん9がつISBN 978-4-12-206784-4 [注釈ちゅうしゃく 4]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 谷崎たにざきによれば、小山内おさないは、「かげ」は内容ないようてき映画えいがむずかしいとして当選とうせんさせることに難色なんしょくしめしていたが、「かげ」を作品さくひんとしてたか評価ひょうかした谷崎たにざきが、強硬きょうこうって一等いっとう入選にゅうせんさせたという[3]
  2. ^ 谷崎たにざきによれば、渡辺わたなべから『しん青年せいねん』のために依頼いらいされていた随筆ずいひつがなかなかけず、2がつ7にちになって「イマヒトツキオマチヲコフ」という電報でんぽうおくったところ、渡辺わたなべ原稿げんこう催促さいそくのため、夙川しゅくがわ下宿げしゅくしていた楢原ならはらとともに、9にちひる谷崎たにざきてい直接ちょくせつおとずれた。谷崎たにざきよく10日とおか夕方ゆうがたまでに原稿げんこういてわたすことを約束やくそくしたため、渡辺わたなべ楢原ならはら下宿げしゅくまることにして、いったんげた[7]
  3. ^ しん青年せいねん』の渡辺わたなべあつし追悼ついとう特集とくしゅう掲載けいさいされたため、遺作いさく誤解ごかいされることがあるが(たとえば江戸川えどがわ乱歩らんぽ探偵たんてい小説しょうせつよんじゅうねん』は「遺作いさく」とする)、実際じっさい初期しょき作品さくひんである。
  4. ^ 1929ねん (昭和しょうわ4ねん) に改造かいぞうしゃから刊行かんこうされた『世界せかい大衆たいしゅう文学ぶんがく全集ぜんしゅう だい30かん ポー、ホフマンしゅう』からポーに関連かんれんする部分ぶぶんして文庫ぶんこしたもので、付録ふろくとして江戸川えどがわ乱歩らんぽの『渡辺わたなべあつし』(江戸川えどがわ乱歩らんぽ探偵たんてい小説しょうせつさんじゅうねん」より抜粋ばっすいしたもの)、谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうの『春寒しゅんかん』、渡辺わたなべひがしの『あつし啓介けいすけからす』(ろし) および浜田はまだ雄介ゆうすけによる解説かいせつけられている。浜田はまだ解説かいせつによると『ポー、ホフマンしゅう』は江戸川えどがわ乱歩らんぽわけとして出版しゅっぱんされたものの、ポーの部分ぶぶん実際じっさい翻訳ほんやく渡辺わたなべ兄弟きょうだいともやくしたものである。また、どう解説かいせつによれば、渡辺わたなべあつし担当たんとうしたのは「黄金虫こがねむし」「モルグがい殺人さつじん」「マリイ・ロオジエ事件じけんなぞ」「びんなか見出みいだされた手記しゅき」「長方形ちょうほうけいはこ」「あか仮面かめん」「物言ものい心臓しんぞう」「ヰリアム・ヰルソン」の8へんであること、のこりの7へん (「窃まれた手紙てがみ」「メヱルストロオム」「はやぎた埋葬まいそう」「陥穽かんせい振子ふりこ」「くろねこたん」「ちんばかえる」「アツシヤアかん崩壊ほうかい」) が啓助けいすけ担当たんとうであったことが、啓助けいすけ直話じきわとしてのこされている。なお、『ポー、ホフマン全集ぜんしゅう』はベストセラーになったものの、のちに全集ぜんしゅうから削除さくじょされている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 渡辺わたなべ 2011, p. 629, 「渡辺わたなべあつし年譜ねんぷ」.
  2. ^ 渡辺わたなべ 2011, pp. 621–622, 浜田はまだ雄介ゆうすけ解説かいせつ」.
  3. ^ 谷崎たにざき 2016, pp. 489–491.
  4. ^ 渡辺わたなべ 2011, p. 624, 浜田はまだ雄介ゆうすけ解説かいせつ」.
  5. ^ 渡辺わたなべ 2011, p. 625, 浜田はまだ雄介ゆうすけ解説かいせつ」.
  6. ^ a b c 渡辺わたなべ 2011, p. 630, 「渡辺わたなべあつし年譜ねんぷ」.
  7. ^ 谷崎たにざき 2016, pp. 483–485.
  8. ^ 以上いじょう渡辺わたなべ 2011, pp. 631–635, 「初出しょしゅつ一覧いちらん」 を参照さんしょう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう春寒しゅんかん探偵たんてい小説しょうせつのこと、渡辺わたなべあつしくんのこと)」『谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう全集ぜんしゅう』 15かん中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2016ねん2がつ10日とおか、480-493ぺーじISBN 978-4-12-403575-9  - 初出しょしゅつしん青年せいねん』1930ねん4がつ増大ぞうだいごう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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