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友利ともり勝良かつよし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 友利ともり 勝良かつよし 
Katsuyoshi TOMORI
友利ともり勝良かつよし
基本きほん情報じょうほう
名前なまえ 友利ともり 勝良かつよし
生年月日せいねんがっぴ (1954-10-25) 1954ねん10月25にち(69さい
身長しんちょう 174 cm (5 ft 9 in)
体重たいじゅう 73 kg (161 lb)
出身しゅっしん 沖縄おきなわけん平良たいら[1]げん宮古島みやこじま
経歴けいれき
成績せいせき
優勝ゆうしょう回数かいすう 日本にっぽんツアー:7かい
日本にっぽんシニアツアー:2かい
賞金しょうきんランク最高さいこう 日本にっぽん男子だんし:5(1995ねん
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友利ともり 勝良かつよし(ともり かつよし、1954ねん10月25にち - )は、沖縄おきなわけん平良たいら[1]げん宮古島みやこじま出身しゅっしんプロゴルファーサニクリーン所属しょぞく

日本人にっぽんじんプロゴルファーとして、はじめてヨーロッパ・ゴルフツアーに4年間ねんかんフル参戦さんせんした選手せんしゅである。

日本にっぽんゴルフツアー通算つうさん7しょう

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

宮古みやこ水産すいさん高校こうこう卒業そつぎょうオイルショックのため[1]就職しゅうしょくすることが出来できないまま、故郷こきょう宮古島みやこじまから本島ほんとうわた[2]親戚しんせき手伝てつだいなどアルバイトでらしていたが、20さいときにゴルフ練習れんしゅうじょうでボールひろいのアルバイトをはじめる[2]

毎日まいにち17から22までで、はじめの3ヶ月かげつ仕事しごとおぼえるのが大変たいへんでアルバイトだけしていたが、れてくると深夜しんやからあさまでんではひるねむり、夕方ゆうがた仕事しごとくようになる[2]。やがて、自分じぶんでもアルバイトの合間あいまにボールをはじめるようになったが、「最初さいしょにティアップしたら、2もティアップすると普通ふつうおもうじゃない?」とわらうほど、ゴルフについてはらなかった[2]すこしずつゴルフにしたしんでいったが、まだゴルフよりみによるのほうがたのしい若者わかものであった[2]

アルバイトをはじめて3~4ねん経過けいかしたある、「社員しゃいんにならないか」と支配人しはいにんからこえかり、友利ともりは「りあえずはたらいてみようか」という気楽きらく気持きもちで、アルバイトさきのゴルフ練習れんしゅうじょう就職しゅうしょく[3]。ゴルファーとしてのスタートはかなりおそく、21さいからゴルフをはじめ、24さいときはじめて自身じしんのクラブをれて練習れんしゅうりょうえる[3]。それまでは練習れんしゅうじょうしクラブでっていたが、自分じぶんのクラブをれたことで、うれしくて仕方しかたなかった友利ともりであったが、社員しゃいんになっても生活せいかつ激変げきへんしたわけではなかった[3]。ボールひろいをして、よるひまになったのを見計みはからってたまったが、利用りようきゃくからクラブのにぎかたおしえてもらっていいだまるようになると、さらに面白おもしろくなり、ショットのミスが修正しゅうせいされ、らばるはばせまくなっていった[3]。さらにたのしくなってまた練習れんしゅうするこう循環じゅんかんで、コースにもるようになるが、友利ともりおしえたがるきゃくおおく、なかにはたのんでもいないのに勝手かっておしえてくれる人物じんぶつもいた[3]。その人物じんぶつ練習れんしゅうるのではなく、友利ともりおしえにていたみたいであったが、『とにかくあたまのこしてて』とアドバイス[3]。その人物じんぶつと、そのアドバイスは、プロになってもあたまのこった[3]。シニアにはくびいたくてできなくなったが、ながあいだあたまのこ練習れんしゅう基本きほんであった[3]

ラウンド経験けいけんは100かいたない友利ともりであったが、九州きゅうしゅうアマ沖縄おきなわ予選よせんで74、75というこうスコアを記録きろく[4]わずか5まいしかない九州きゅうしゅうアマ本戦ほんせんへの切符きっぷ獲得かくとくしたが、「九州きゅうしゅうアマ出場しゅつじょうけん獲得かくとくした友利ともり練習れんしゅうじょう社員しゃいんだからアマチュアじゃない」というクレームがつけられ、出場しゅつじょう断念だんねん[4]競技きょうぎゴルフをつづけるにはプロに転向てんこうするしかなくなってしまったが、本土ほんど復帰ふっき直後ちょくご沖縄おきなわには練習れんしゅうじょう連盟れんめいいため、きゃく紹介しょうかいで、26さい福岡ふくおかけん麻生あそう飯塚いいづかゴルフ倶楽部くらぶはい[4]所属しょぞくプロであった藤井ふじいよししょう弟子でしとなる[5] [6]が、挨拶あいさつくと藤井ふじいに「1ねんでプロになれなければ沖縄おきなわかえれ」といきなりわれ、友利ともりは「はい。かえります」とあっさりこたえた[4]

弟子入でしいはひたすら勉強べんきょうし、練習れんしゅうつづけたが、沖縄おきなわとは文化ぶんかてきことなることもおおかった[4]比較的ひかくてきフランクな沖縄おきなわひとたいし、福岡ふくおかひとたちは堅苦かたくるしくうつり、プロゴルファーをやたらに「先生せんせい」「先生せんせい」とげるのには辟易へきえきとした[4]

おな所属しょぞくプロで藤井ふじい弟子でしであったあき富由とみよし利夫としおふじいけのぼるとのラウンドでうでみが[4]1983ねん12月に29さいでプロテストに合格ごうかく最初さいしょあきのテストは自信満々じしんまんまんのぞんだが、信楽しがらきCC(滋賀しがけん)でまれてはじめて対峙たいじしたベントグリーンまったくタッチがつかめず、カップのまわりをおこなったりたりして4ホールつづけて3パットしてあきらめるなど、36ホールを85、87のだいはたきという散々さんざん結果けっかわった[7]。そのはプロテスト対策たいさくとしてベントよりはやふゆ高麗こうらい丁度ちょうど改造かいぞうちゅうであったコースのベントしば練習れんしゅうした[7]。2度目どめのテストは、それまで東西とうざいかれておこなわれていたものがはじめて一緒いっしょになってのプロテストであったが、ただ一人ひとりのアンダーパーで72ホールをまわり、トップ合格ごうかく[7]。コースにかえって師匠ししょう先輩せんぱい仲間なかまたち合格ごうかく報告ほうこくしたが、ふじだけは『テストにかってもおまえはまだアマチュアだから、きびしくせなならん』とった[7]最初さいしょなにきびしくすればいいのかからなかったが、ふじまわってつとガッツポーズをしたりしていたのがいけなかった[7]

1986ねん水戸みとグリーンオープン[8] [9]でグローイングはつ優勝ゆうしょうたすが、どう大会たいかいグローイングツアーができ、後援こうえん競技きょうぎというカテゴリーが出来できたばかりの最初さいしょ試合しあいであった[7]優勝ゆうしょうした友利ともり半年はんとしあいだにわたってツアーに出場しゅつじょうすることができたが、毎週まいしゅうはつ体験たいけんのことばかりで、つかれているかどうかすらからず、スイングも不安定ふあんていになってシード獲得かくとくにはいたらなかった[7]

1987ねんには埼玉さいたまオープン優勝ゆうしょう[1]したのち九州きゅうしゅうオープンでツアーはつ優勝ゆうしょう[10]たし、同年どうねんには賞金しょうきんランク41はつのシードりをたす[1]

1988ねんだいいち不動産ふどうさんカップ3にちに7連続れんぞくバーディー、1ラウンド12バーディの日本にっぽん記録きろくとハーフ27[10]世界せかいタイ記録たいきろくつくり、九州きゅうしゅうゴルフかいもっと活躍かつやくした選手せんしゅおくられるグリーン・ハットしょう受賞じゅしょう[1]1989ねんにはNST新潟にいがたオープンはつ全国ぜんこく優勝ゆうしょうかざ[1]日本にっぽんプロスポーツ大賞たいしょう新人しんじんしょう受賞じゅしょう1991ねんには胸部きょうぶ椎間板ついかんばんヘルニア公傷こうしょう制度せいど適用てきようだい1ごう認定にんていされるくるしみをあじわった[11]が、1992ねん7がつ復帰ふっき[1]1994ねんからはチタンドライバーを使用しよう[12]三菱みつびしギャラントーナメントでは2にち単独たんどく首位しゅい[13]、4ねんぶりのツアー優勝ゆうしょうかざ[1] [14] [15]

1995ねん中日ちゅうにちクラウンズでは初日しょにち首位しゅいタイでスタートし、あめりしきる悪天候あくてんこうとなった2にち快調かいちょうにスコアをばす[16]初日しょにちの64につづき、6バーディ、1ボギーの65、予選よせんラウンド大会たいかい最少さいしょうスコアの通算つうさん11アンダー(129)をマークして単独たんどく首位しゅい[17]った[16]。3にちはスコアをばせず、首位しゅいに6の3後退こうたいし、そのままわった[16]わたりおうしてスコットランドオープンでは2にち首位しゅいと1の3浮上ふじょう[18]全英ぜんえいオープンセント・アンドルーズ)では初日しょにちは70の18[11]であったが、2にち強風きょうふうなかで68[11]をマークして通算つうさん6アンダーとし、ジョン・デーリーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく)、ブラッド・ファクソン(アメリカ)ととも首位しゅいなら[10]。3にち以降いこう苦戦くせんして24わった[10]が、世界せかいにそのとどろかせる。強風きょうふうけないショットといつも笑顔えがおやさず、礼儀れいぎただしいマナーのさがイギリスのファンのしんらえた[11]ほか、かぜつよ欧州おうしゅうではひく球筋たますじだま話題わだいあつめた[19]

帰国きこく体調たいちょうくずしてトーナメントを欠場けつじょうするなどしていたが、その不安ふあんくなると、6週間しゅうかん日本にっぽんプロマッチプレー選手権せんしゅけんプロミスはいでメジャーはつ優勝ゆうしょうかざ[1] [10]大会たいかいちゅう知人ちじん音楽おんがくプロデューサーヘンリー広瀬ひろせキャディつとめ、夫人ふじん歌手かしゅ高橋たかはし真梨子まりこ応援おうえんていた[10]友利ともり大会たいかいまえ食事しょくじせき広瀬ひろせにキャディーを依頼いらいするさい、「18ホールでわりますから」と口説くどいたが、その言葉ことばはんして広瀬ひろせは115ホールもバッグをかつぐことになった[10]井戸木いどき鴻樹こうきたいした1回戦かいせんは1、2ばんホールを連取れんしゅして主導しゅどうけんにぎり、5-3で圧倒あっとう[10]。2回戦かいせん準々じゅんじゅん決勝けっしょうおこなわれた2にちには中嶋なかじま常幸つねゆき倉本くらもと昌弘まさひろという永久えいきゅうシード選手せんしゅともに2-1で連破れんぱし、中嶋なかじまは「桃色ももいろ吐息といきに“フッ!”とやられちゃった」と高橋たかはしのヒットきょくからめたジョークくちにしてくやしさをかくした[10]準決勝じゅんけっしょうでは鈴木すずきとおる前半ぜんはんだけで7のバーディーをうばって3アップし、後半こうはんだしから3ホール連取れんしゅしてリードをひろげ、6-5で撃破げきは[10]決勝けっしょう加瀬かせ秀樹ひできだい激戦げきせんすえに36ホールとっはなして1アップの丸山まるやま茂樹しげきたったが、友利ともりは1ばんから3連続れんぞくバーディーという強烈きょうれつ先制せんせいパンチをした[10]。4、5ばんでは丸山まるやまかえすが、前半ぜんはんはその両者りょうしゃどうスコアがつづき、友利ともりの1アップでかえした[10]後半こうはん友利ともりが19ホール、22ホールうばって3アップとし、25ホールの7ばんパー4でチップインバーディーをめ、この最大さいだい4アップにまでリードをひろげた[10]。3直前ちょくぜんには広瀬ひろせ高橋たかはし在籍ざいせきしていたペドロ&カプリシャスの『ばんがいのマリーへ』をくちずさみ、その丸山まるやま反撃はんげきで「1」までられるが、35ホールめれば優勝ゆうしょうの1mきょうのパーパットをしずめた[10]

この優勝ゆうしょうにより日本にっぽんゴルフツアー機構きこうの5ねんシードけん獲得かくとくすると、全英ぜんえいオープンで手応てごたえをつかんだこともあり、1996ねんすえヨーロッパ・ゴルフツアーのクオリファイイング・スクール[20]挑戦ちょうせんして突破とっぱ日本人にっぽんじんプロゴルファーとしてはじめてヨーロッパ・ツアーのシードけん獲得かくとくしたが、この当時とうじ友利ともりはすでに42さいむかえていた。1997ねんから2000ねんまでの4年間ねんかんにわたり、ヨーロッパ・ツアーのメンバーとしてプレーする。1997ねんみなみアフリカプロ選手権せんしゅけんで3にちに67をマークして2浮上ふじょう[21]1999ねん10月におこなわれた「サラゼン・ワールド・オープン」(スペインカタルーニャ)でトーマス・ビヨン デンマーク)に2やぶれて優勝ゆうしょうのがしたが、2という成績せいせきのこす。この期間きかんちゅうたたかったメジャー大会たいかいでは、1998ねん全英ぜんえいオープン(ロイヤル・バークデール、パー70)で最終さいしゅうラウンドをタイガー・ウッズ一緒いっしょまわり、その1にちで79(9オーバー)をたたいて42わったことがある。

2001ねん帰国きこく2003ねんJCBクラシック仙台せんだいで8ねんぶりの日本にっぽんツアー優勝ゆうしょう達成たっせい。このとき同郷どうきょうのルーキー宮里みやさと優作ゆうさく優勝ゆうしょうあらそ[11]、2り、通算つうさん20アンダー[11]でツアー7しょうげた[22]

2004ねんからは日本にっぽん欧州おうしゅうのシニアツアーに参戦さんせんし、同年どうねんあきのシニアデビューせんとなった日本にっぽんシニアオープンでは最終さいしゅうげる高橋たかはし勝成かつなり後半こうはんらえ、B・ロングミュア(イギリスの旗 イギリス)と3にんのプレーオフにんだ[22]結局けっきょくプレーオフ2ホール脱落だつらくし、2タイにわった[22]

2005ねんアデランスウェルネスオープンでは長年ながねん使つかっていたピンタイプのパターをちゅうじゃくパターに参戦さんせんし、そのパターがまり2にちトップにつとそのままり、シニアはつ優勝ゆうしょうかざった[23]日本にっぽんシニアでも最終さいしゅう18ばんまでもつれる優勝ゆうしょうあらそいをえんしくも2ねん連続れんぞく2タイにわるが、シニア後援こうえん競技きょうぎのHTBシニアにも優勝ゆうしょうするなど充実じゅうじつしたシーズンをおくった[23]

2006ねんには海外かいがいのシニアツアーにも積極せっきょくてき参戦さんせんし、欧州おうしゅうシニアツアーのスカンジナビアシニアオープンでは海外かいがいはつ優勝ゆうしょう[24]全米ぜんべいプロシニアでも7はい健闘けんとうせた[25]国内こくないのシニアは3試合しあい出場しゅつじょうして優勝ゆうしょうこそかったが、いずれも上位じょうい成績せいせき賞金しょうきんランク8とした[25]。レギュラーにも21試合しあい出場しゅつじょうし、日本にっぽんプロでは最終さいしゅう57からげて近藤こんどう智弘ともひろとのプレーオフにみ、けはしたもののはつ優勝ゆうしょうのかかる近藤こんどうくるしめるなど大会たいかいげた[25]。この2おおきくものをいって賞金しょうきんランクを52としてシードけん獲得かくとく[25]

2007ねんはシニア5試合しあい出場しゅつじょうし、日本にっぽんプロシニアで2タイにはいると、つづPGA Handa Cupフィランスロピーシニアでは、げる渡辺わたなべつかさ最終さいしゅうに66のベストスコアで逆転ぎゃくてんして2ねんぶりの優勝ゆうしょう、2500まんえんのビックマネーを獲得かくとく[26]。レギュラー17試合しあい欧州おうしゅうシニア4試合しあい、チャンピオンズツアー1試合しあい出場しゅつじょうするなど、世界せかいまたにかけてたたかった[26]

2008ねん欧州おうしゅうシニア10試合しあい出場しゅつじょうでカステロン・オープン2、ポーランド・シニア選手権せんしゅけん3、バドラカツPGAシニアオープン3タイと上位じょうい成績せいせきのこし、賞金しょうきんランキングも自身じしん最高さいこうの14はいった[27]国内こくないシニアは5せん日本にっぽんプロシニアからの参戦さんせんで4試合しあい出場しゅつじょうし、日本にっぽんプロシニア4がベストであった[27]

2009ねんはシニアぜん6試合しあい出場しゅつじょうし、富士ふじフイルム選手権せんしゅけん4タイがベストで賞金しょうきんランク18であったが、シニア特別とくべつ協力きょうりょく競技きょうぎのヨネックスシニア沖縄おきなわ玉名たまなカップで優勝ゆうしょうして、シニア通算つうさん5しょうげた[28]

2010ねん日本にっぽん欧州おうしゅうりょうシニアツアーに参戦さんせんし、日本にっぽんでは8試合しあい出場しゅつじょうしてコマツオープン4タイ、日本にっぽんプロシニア・富士ふじフイルム9タイ[24]などで、賞金しょうきんランク20はいった[29]欧州おうしゅうは12試合しあい出場しゅつじょうし、タイシニアマスターズ2がベストで賞金しょうきんランク36という結果けっかであった[29]

2011ねん日本にっぽんプロシニアで最終さいしゅうベストスコアの5アンダー67のこうスコアをマークして2はいり、コマツオープン5タイ、トータルエネルギーPPT6タイなどで、賞金しょうきんランク13であった[30]欧州おうしゅうでは12試合しあい出場しゅつじょうし、ブルネイ・シニアマスターズ5タイがベストの賞金しょうきんランク37という結果けっかであった[30]

2012ねんぜん8試合しあい出場しゅつじょうで、ISPSハンダ秋晴あきば富士ふじフイルムの11最高さいこうであり、賞金しょうきんランク28であった[19]2013ねん地元じもとでの開幕かいまくせんきむしげる沖縄おきなわこそ5タイのこうスタートであったが、そのはスターツシニアの13タイが最高さいこうで、日本にっぽんプロシニアは予選落よせんおちした[31]

2014ねん日本にっぽんプロシニアで予選落よせんおちしてシードけん獲得かくとくのピンチであったが、日本にっぽんシニアオープン11のち富士ふじフイルム4、いわさき白露しらつゆシニア3一気いっき賞金しょうきんランク20までげて、前年ぜんねんとした賞金しょうきんシードを復活ふっかつさせた[32]同年どうねんからは日本にっぽんプログランドにも出場しゅつじょう[32]

2015ねん前半ぜんはんの5試合しあい欠場けつじょうしたこともあって、賞金しょうきんランク58でシードけんのがしたが、2016ねん生涯しょうがい獲得かくとく賞金しょうきんランク20以内いない資格しかく出場しゅつじょうした[33]

2021ねん福岡ふくおかシニアオープン・スーパーシニアのでは12人ふたりしょう人数にんずうでのあらそいをせいし、2022ねん関西かんさいプロゴールドシニアでは首位しゅいと2でスタートして、通算つうさん3アンダーではつ優勝ゆうしょう[34]

おも優勝ゆうしょう

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レギュラー

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  • 1987ねん 九州きゅうしゅうオープン
  • 1988ねん 九州きゅうしゅうオープン
  • 1989ねん NST新潟にいがたオープン
  • 1990ねん 九州きゅうしゅうオープン
  • 1994ねん 三菱みつびしギャラントーナメント
  • 1995ねん 日本にっぽんプロゴルフマッチプレー選手権せんしゅけんプロミスはい
  • 2003ねん JCBクラシック仙台せんだい
  • 2005ねん - アデランスウェルネスオープン、HTBシニアクラシック
  • 2007ねん - フィランスロピーシニア
  • 2009ねん - ヨネックスシニアオープン沖縄おきなわIN宮古みやふるとう玉名たまなカップシニアオープン
  • 2021ねん - 福岡ふくおかシニアオープンスーパーシニア
  • 2022ねん - 関西かんさいプロゴールドシニア

その

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  • 1986ねん - 水戸みとグリーンオープン
  • 1987ねん - 埼玉さいたまオープン
  • 1993ねん - 九州きゅうしゅうオープン

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j 日外にちがいアソシエーツ「スポーツ人名じんめい事典じてん しんていだい3はん」、2002ねん1がつ1にちISBN 4816917012、p436。
  2. ^ a b c d e あのころボクはわかかった 昭和しょうわ履歴りれきしょ vol.28 -友利ともり勝良かつよし-
  3. ^ a b c d e f g h あのころボクはわかかった 昭和しょうわ履歴りれきしょ vol.28 -友利ともり勝良かつよし-
  4. ^ a b c d e f g あのころボクはわかかった 昭和しょうわ履歴りれきしょ vol.28 -友利ともり勝良かつよし-
  5. ^ 麻生あそう飯塚いいづかゴルフ倶楽部くらぶのあゆみ History
  6. ^ ジャンボみのおや、“玄海げんかい荒法師あらほうし藤井ふじいよしすすむ死去しきょ - ゴルフ総合そうごうサイト ALBA Net
  7. ^ a b c d e f g あのころボクはわかかった 昭和しょうわ履歴りれきしょ vol.28 -友利ともり勝良かつよし-
  8. ^ 公式こうしき水戸みとグリーンカントリークラブ
  9. ^ 水戸みとグリーンカントリークラブ 山方やまがたコース |【楽天らくてんGORA】
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n だい21かい日本にっぽんプロゴルフマッチプレー選手権せんしゅけん(1995ねん
  11. ^ a b c d e f 2004ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  12. ^ 1994ねん08がつ30にち 友利ともり勝良かつよし ほれ前田まえだ友利ともり
  13. ^ 1994ねん05がつ28にち 友利ともり単独たんどく首位しゅい 三菱みつびしギャランゴルフだいにち
  14. ^ 1994ねん05がつ29にち 優勝ゆうしょうよろこ友利ともり 三菱みつびしギャランゴルフ最終さいしゅう
  15. ^ 1994ねん05がつ29にち 友利ともり優勝ゆうしょう 三菱みつびしギャランゴルフ最終さいしゅう
  16. ^ a b c 驚異きょうい大会たいかいレコードでジャンボ圧勝あっしょう
  17. ^ 1995ねん04がつ28にち 友利ともり単独たんどくトップ 中日ちゅうにちクラウンズだいにち
  18. ^ 1995ねん07がつ14にち 友利ともりの3浮上ふじょう スコットランド・ゴルフ
  19. ^ a b 2013ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  20. ^ 通称つうしょう Q-School, シードけん獲得かくとくへの出場しゅつじょう資格しかく試験しけんのこと。
  21. ^ 1997ねん02がつ23にち なんア・プロゴルフだいにち 友利ともりが2浮上ふじょう
  22. ^ a b c 2005ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  23. ^ a b 2006ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  24. ^ a b 友利ともり勝良かつよし プロフィール|GDO ゴルフダイジェスト・オンライン
  25. ^ a b c d 2007ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  26. ^ a b 2008ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  27. ^ a b 2009ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  28. ^ 2010ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  29. ^ a b 2011ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  30. ^ a b 2012ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  31. ^ 2014ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  32. ^ a b 2015ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  33. ^ 2016ねんシニア選手せんしゅ紹介しょうかい
  34. ^ 関西かんさいゴールド/FR>友利ともり勝良かつよし逆転ぎゃくてん大会たいかいはつ優勝ゆうしょうげる

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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