台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう (たいわんせいめいうんどう)とは、主 おも に台湾 たいわん の泛緑連盟 れんめい の議員 ぎいん やその支持 しじ 者 しゃ 及 およ び在日 ざいにち 台湾 たいわん 人 じん などによって行 おこな われている台湾 たいわん 本土 ほんど 化 か 運動 うんどう の一 ひと つ。台湾 たいわん の公的 こうてき な場 ば で使用 しよう されている「中国 ちゅうごく 、中華 ちゅうか (China)」という呼称 こしょう を「台湾 たいわん (Taiwan)」へ置 お き換 か え、台湾 たいわん の存在 そんざい を「中国 ちゅうごく の一部 いちぶ 」から「中国 ちゅうごく とは別個 べっこ の地 ち 」に代 か えることを目標 もくひょう としている。但 ただ し、ここでの中国 ちゅうごく 、中華 ちゅうか は中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく ではなく1945年 ねん 以降 いこう 台湾 たいわん を実効 じっこう 支配 しはい している中華民国 ちゅうかみんこく (Republic of China)に由来 ゆらい する名称 めいしょう である。特 とく に2002年 ねん 5月11日 にち に実施 じっし された運動 うんどう は、2002年 ねん が運動 うんどう の啓蒙 けいもう 年 ねん であったことから、511台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう と呼 よ ばれている。
正名 まさな 運動 うんどう の原点 げんてん
この運動 うんどう は、日本 にっぽん 政府 せいふ が中華民国 ちゅうかみんこく 旅券 りょけん 所持 しょじ 者 しゃ を中国人 ちゅうごくじん [注釈 ちゅうしゃく 1] として扱 あつか っている現状 げんじょう に不満 ふまん を持 も つ、在日 ざいにち の台湾 たいわん 人 じん (中華民国 ちゅうかみんこく 国民 こくみん )の間 あいだ から生 しょう じた。
中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく は台湾 たいわん に対 たい する領有 りょうゆう 権 けん を主張 しゅちょう しているが、1945年 ねん から今日 きょう に至 いた るまで、台湾 たいわん は中華民国 ちゅうかみんこく の実効 じっこう 統治 とうち 下 か に置 お かれており、かつ中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の支配 しはい 下 か に置 お かれたことが一 いち 度 ど もないため、多 おお くの台湾 たいわん 住民 じゅうみん は自 みずか らを「中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の国民 こくみん とは別個 べっこ の民族 みんぞく ・国民 こくみん である」と認識 にんしき するに至 いた っている(詳細 しょうさい な調査 ちょうさ 結果 けっか は台湾 たいわん 人 じん #近年 きんねん の調査 ちょうさ にみる台湾 たいわん 人 じん の民族 みんぞく 帰属 きぞく 意識 いしき を参照 さんしょう )。一方 いっぽう で台湾 たいわん に実質 じっしつ 移転 いてん した中華民国 ちゅうかみんこく は現在 げんざい に至 いた るまで公式 こうしき には中国 ちゅうごく 大陸 たいりく を領土 りょうど に含 ふく むとしているが民主 みんしゅ 化 か を経 へ た1990年代 ねんだい 以降 いこう は実務 じつむ 的 てき な台湾 たいわん 化 か が進 すす み、中華民国 ちゅうかみんこく の指 さ す範囲 はんい は中華民国 ちゅうかみんこく の実質 じっしつ 的 てき な支配 しはい 地域 ちいき (台湾 たいわん 島 とう 及 およ び澎湖・金 かね 門 もん ・馬 うま 祖 そ )とされることが多 おお い。
日本 にっぽん では、1972年 ねん の日 にち 中 ちゅう 国交 こっこう 正常 せいじょう 化 か にともない中華民国 ちゅうかみんこく と断交 だんこう 、国家 こっか 承認 しょうにん を取 と り消 け すがその後 ご も中華民国 ちゅうかみんこく 人 じん が日本 にっぽん に入国 にゅうこく する際 さい に国籍 こくせき を「中華民国 ちゅうかみんこく 」あるいは「台湾 たいわん 」として申請 しんせい しても、入国 にゅうこく 管理 かんり 局 きょく 官吏 かんり によって「中国 ちゅうごく (台湾 たいわん )」という表記 ひょうき 区分 くぶん で登録 とうろく ・管理 かんり されるようになっていた。台湾 たいわん 独立 どくりつ 運動 うんどう を「中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく からの独立 どくりつ 」と誤解 ごかい する者 もの が少 すく なくないが、本来 ほんらい は台湾 たいわん の中華民国 ちゅうかみんこく から独立 どくりつ 、台湾 たいわん 化 か 、さらには中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく と混同 こんどう されることを避 さ けるための運動 うんどう である。
1912年 ねん に中国 ちゅうごく 大陸 たいりく で誕生 たんじょう した中華民国 ちゅうかみんこく は当初 とうしょ は中国 ちゅうごく の唯一 ゆいいつ の合法 ごうほう 的 てき 政府 せいふ であった。なお当時 とうじ 、台湾 たいわん は日本 にっぽん の植民 しょくみん 地 ち であり中華民国 ちゅうかみんこく 領 りょう ではない。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、ポツダム宣言 せんげん により敗戦 はいせん 国 こく 日本 にっぽん は台湾 たいわん を放棄 ほうき し、台湾 たいわん には中国 ちゅうごく (当時 とうじ は中華民国 ちゅうかみんこく )が進駐 しんちゅう する(台湾 たいわん 地位 ちい 未定 みてい 論 ろん )。その後 ご 中華民国 ちゅうかみんこく は国共 こっきょう 内戦 ないせん に実質 じっしつ 的 てき に敗北 はいぼく 、中国 ちゅうごく 大陸 たいりく には中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく が成立 せいりつ し、1949年 ねん に中華民国 ちゅうかみんこく は陸 りく 部 ぶ の領土 りょうど 奪還 だっかん (大陸 たいりく 反攻 はんこう )を目指 めざ す拠点 きょてん として台北 たいぺい を臨時 りんじ 首都 しゅと として定 さだ める。その後 ご 大陸 たいりく では名実 めいじつ ともに中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく が正統 せいとう 政府 せいふ となるが、自 みずか らが中国 ちゅうごく の正統 せいとう 政府 せいふ を自任 じにん する中華民国 ちゅうかみんこく は台湾 たいわん 地区 ちく に移転 いてん してもなお執拗 しつよう に「中国 ちゅうごく 」、「中華 ちゅうか 」、「China」の名称 めいしょう を台湾 たいわん 内 ない で使用 しよう し続 つづ ける。2000年代 ねんだい に入 はい り中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の経済 けいざい 力 りょく が中華民国 ちゅうかみんこく を上回 うわまわ ると、中華民国 ちゅうかみんこく (中国 ちゅうごく )と名乗 なの る台湾 たいわん が中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく と誤認 ごにん される弊害 へいがい が見 み られるようになった(二 ふた つの中国 ちゅうごく )。
このような日本 にっぽん 政府 せいふ ・社会 しゃかい における台湾 たいわん の扱 あつか いに対 たい し、1990年代 ねんだい になると在日 ざいにち 台湾 たいわん 人 じん の間 あいだ で徐々 じょじょ に疑問 ぎもん や不満 ふまん が生 しょう じるようになった。その背景 はいけい として、1990年代 ねんだい に入 はい って李 り 登輝 とうき 総統 そうとう が政治 せいじ の民主 みんしゅ 化 か を推進 すいしん すると共 とも に、中華民国 ちゅうかみんこく を中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく とは別個 べっこ の国 くに であるという「二 に 国論 こくろん 」を展開 てんかい するようになったことで、台湾 たいわん 人 じん の間 あいだ に台湾 たいわん 人 じん としてのアイデンティティー が徐々 じょじょ に育 はぐく まれていった事 こと が挙 あ げられる。これを受 う けて在日 ざいにち 台湾 たいわん 人 じん の間 あいだ では日本 にっぽん 政府 せいふ の国籍 こくせき の扱 あつか いを「中国人 ちゅうごくじん 」から「台湾 たいわん 人 じん 」へと変更 へんこう させようという主張 しゅちょう が台頭 たいとう するようになり、2001年 ねん からは実際 じっさい に日本 にっぽん 政府 せいふ に対 たい する抗議 こうぎ 運動 うんどう が行 おこ なわれるようになった。これが、現在 げんざい の台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう の原点 げんてん である。
中華民国 ちゅうかみんこく の正統 せいとう 性 せい と日本 にっぽん
台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう は、当初 とうしょ は日本 にっぽん 政府 せいふ が行 おこ なう台湾 たいわん 人 じん の国籍 こくせき 取 と り扱 あつか いにおける不行 ふゆ き届 とど きを修正 しゅうせい する運動 うんどう であった。だが運動 うんどう が進 すす むにつれて、日本 にっぽん 政府 せいふ が行 おこ なう台湾 たいわん 人 じん の国籍 こくせき 取 と り扱 あつか いは、台湾 たいわん の統治 とうち 国家 こっか である中華民国 ちゅうかみんこく の正統 せいとう 性 せい が問 と われる問題 もんだい であることが判明 はんめい した。
元来 がんらい 、中華民国 ちゅうかみんこく は中国 ちゅうごく 大陸 たいりく を統治 とうち する「中国 ちゅうごく (China) の国家 こっか 」として建国 けんこく された国家 こっか であり、1948年 ねん 成立 せいりつ の中華民国 ちゅうかみんこく 政府 せいふ も自国 じこく を「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」として自認 じにん していた。だが、国共 こっきょう 内戦 ないせん によって中国 ちゅうごく 大陸 たいりく に中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく が建国 けんこく され、中華民国 ちゅうかみんこく の統治 とうち 区域 くいき がほぼ台湾 たいわん のみに限定 げんてい されるようになると、国際 こくさい 社会 しゃかい における中華民国 ちゅうかみんこく の「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての正統 せいとう 性 せい は危 あや ういものとなり、1971年 ねん には、国際 こくさい 連合 れんごう によるアルバニア決議 けつぎ で「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての正統 せいとう 性 せい を否定 ひてい された。中華民国 ちゅうかみんこく は大 だい 多数 たすう の国 くに から「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての承認 しょうにん を失 うしな ったが、今日 きょう に至 いた るまで「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての正統 せいとう 性 せい を自認 じにん し続 つづ けている(詳細 しょうさい は中華民国 ちゅうかみんこく の政治 せいじ を参照 さんしょう )。
日本 にっぽん における台湾 たいわん 人 じん の国籍 こくせき 取 と り扱 あつか い問題 もんだい も、その由来 ゆらい は中華民国 ちゅうかみんこく の「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての正統 せいとう 性 せい にある。中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 建国 けんこく 後 ご も、日本 にっぽん は中華民国 ちゅうかみんこく の「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての正統 せいとう 性 せい を承認 しょうにん し続 つづ け、台湾 たいわん 人 じん を含 ふく む中華民国 ちゅうかみんこく 国民 こくみん のことを「中国人 ちゅうごくじん 」として出入国 しゅつにゅうこく 管理 かんり を行 おこな っていた。1972年 ねん の日 にち 中 ちゅう 国交 こっこう 正常 せいじょう 化 か 以降 いこう 、日本 にっぽん は中華民国 ちゅうかみんこく の「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての正統 せいとう 性 せい を承認 しょうにん しなくなり、以後 いご 公式 こうしき には中華民国 ちゅうかみんこく を国家 こっか として扱 あつか わなくなった。これは「日 にち 中 ちゅう 平和 へいわ 友好 ゆうこう 条約 じょうやく 」において、日本 にっぽん 国 こく は中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく を唯一 ゆいいつ の「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」として待遇 たいぐう せねばならない、と取 と り決 き められたためである。
これにより、日本 にっぽん における出入国 しゅつにゅうこく 管理 かんり 上 じょう の「中国人 ちゅうごくじん 」は中華民国 ちゅうかみんこく 国民 こくみん から中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 国民 こくみん へと変更 へんこう されたが、その際 さい に日本 にっぽん 政府 せいふ は「台湾 たいわん は中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の一部 いちぶ 」であると中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく が主張 しゅちょう した事 こと と、中華民国 ちゅうかみんこく が依然 いぜん 「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」としての正統 せいとう 性 せい を自認 じにん し続 つづ けていた事 こと から、中華民国 ちゅうかみんこく 国民 こくみん という「中国人 ちゅうごくじん 」として扱 あつか われていた台湾 たいわん 人 じん はそのまま「中国人 ちゅうごくじん 」の一部 いちぶ として出入国 しゅつにゅうこく 管理 かんり 上 じょう 扱 あつか われることとなった。一方 いっぽう で出入国 しゅつにゅうこく 管理 かんり 上 じょう 、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく と中華民国 ちゅうかみんこく (台湾 たいわん )を区別 くべつ する必要 ひつよう から両 りょう 国民 こくみん は「中国 ちゅうごく 」(中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく )、「中国 ちゅうごく (台湾 たいわん )」(中華民国 ちゅうかみんこく )と区別 くべつ されていた。
台湾 たいわん 人 じん が「中国人 ちゅうごくじん 」として扱 あつか われるようになったのは、台湾 たいわん がカイロ宣言 せんげん に基 もと づき、終戦 しゅうせん 後 ご の中華民国 ちゅうかみんこく による進駐 しんちゅう に伴 ともな い事実 じじつ 上 じょう の「中国 ちゅうごく 領 りょう 」となったため、当時 とうじ 台湾 たいわん にいた日本人 にっぽんじん は日本 にっぽん 本土 ほんど へ帰 かえ ることができたが、台湾 たいわん 住民 じゅうみん (本島 ほんとう 人 じん )は日本 にっぽん 国籍 こくせき を自動的 じどうてき に剥奪 はくだつ され、中華民国 ちゅうかみんこく 籍 せき となったことに始 はじ まる。
正名 まさな 運動 うんどう の進捗 しんちょく と運動 うんどう の内容 ないよう
以上 いじょう のような背景 はいけい が判明 はんめい した為 ため 、日本 にっぽん における台湾 たいわん 人 じん の国籍 こくせき 取 と り扱 あつか いを変更 へんこう させることを目的 もくてき としていた正名 まさな 運動 うんどう は、徐々 じょじょ に「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」という中華民国 ちゅうかみんこく の正統 せいとう 性 せい を問 と う運動 うんどう へと発展 はってん していった。それと共 とも に、正名 まさな 運動 うんどう は李 り 登輝 とうき の政治 せいじ の「台湾 たいわん 本土 ほんど 化 か 」政策 せいさく によって「台湾 たいわん 人 じん 」としてのアイデンティティーが構成 こうせい されつつあった台湾 たいわん にも伝播 でんぱ し、李 り 登輝 とうき の後 のち を継 つ いだ泛緑連盟 れんめい の構成 こうせい 員 いん も運動 うんどう に主動 しゅどう 的 てき な役割 やくわり を果 は たすようになった。このような動 うご きを象徴 しょうちょう したのが2002年 ねん 5月 がつ 11日 にち に台湾 たいわん で実施 じっし された511台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう である。
現在 げんざい 、正名 まさな 運動 うんどう は中華民国 ちゅうかみんこく を「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」から「台湾 たいわん の国家 こっか 」へ再 さい 編成 へんせい することを目指 めざ しており、具体 ぐたい 的 てき にはおよそ以下 いか のような事項 じこう の達成 たっせい を目標 もくひょう としている。
中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく も含 ふく めた世界 せかい 各国 かっこく の政府 せいふ とその国民 こくみん に、台湾 たいわん の住民 じゅうみん を「台湾 たいわん 人 じん 」と呼 よ ばせることで「中国人 ちゅうごくじん 」と区別 くべつ させる。
中華民国 ちゅうかみんこく 教育 きょういく 部 ぶ の(日本 にっぽん の文部 もんぶ 科学 かがく 省 しょう に相当 そうとう )に、台湾 たいわん を主体 しゅたい とする学校 がっこう 教科書 きょうかしょ を改 あらた めて制定 せいてい させ、台湾 たいわん にアイデンティティー を持 も ち、台湾 たいわん 人 じん であることに誇 ほこ りを持 も つような次世代 じせだい 教育 きょういく を行 おこ なわせる。
台湾 たいわん において、企業 きぎょう や団体 だんたい 名 めい などに多 おお く使 つか われている「中華 ちゅうか 」や「中国 ちゅうごく 」 (China) を、可能 かのう な限 かぎ り「台湾 たいわん 」に変更 へんこう する。特 とく に、中華航空 ちゅうかこうくう をはじめとする国営 こくえい ・準 じゅん 公営 こうえい 企業 きぎょう には率先 そっせん して「中華 ちゅうか 」「中国 ちゅうごく 」の冠 かんむり 称 しょう を除去 じょきょ させる。
すでに存在 そんざい している会社 かいしゃ ・団体 だんたい 名 めい の名称 めいしょう から、「中国 ちゅうごく 」「中華 ちゅうか 」 (China) を期限 きげん 内 ない に除去 じょきょ する立法 りっぽう を成立 せいりつ させる。
憲法 けんぽう をはじめとする国家 こっか 体制 たいせい を、中国 ちゅうごく 大陸 たいりく 再 さい 統一 とういつ 重視 じゅうし から、政府 せいふ が実際 じっさい に統治 とうち している台湾 たいわん に根 ね ざした現実 げんじつ 路線 ろせん に変更 へんこう する。
外国 がいこく 駐在 ちゅうざい の台北 たいぺい 経済 けいざい 文化 ぶんか 代表 だいひょう 処 しょ (大使館 たいしかん ・領事館 りょうじかん に相当 そうとう し、国交 こっこう のない国 くに で事実 じじつ 上 じょう 外交 がいこう 使節 しせつ 団 だん の役割 やくわり を担 にな う民間 みんかん 機関 きかん )の名称 めいしょう に「Taiwan」を冠 かん し、同時 どうじ に「Taiwan」の名 な で国際 こくさい 連合 れんごう やその他 た の国際 こくさい 組織 そしき への加入 かにゅう を申請 しんせい することで台湾 たいわん の主権 しゅけん を回復 かいふく する。
国号 こくごう (国名 こくめい )を、現在 げんざい の「中華民国 ちゅうかみんこく (Republic of China) 」から、「台湾 たいわん 共和 きょうわ 国 こく (Republic of Taiwan) 」に変更 へんこう する。
世界 せかい 各国 かっこく において、台湾 たいわん 住民 じゅうみん のパスポートの国籍 こくせき 欄 らん が「台湾 たいわん 」で通用 つうよう するようにする。
正名 まさな 運動 うんどう の現状 げんじょう と問題 もんだい 点 てん
「TAIWAN」の表記 ひょうき が付加 ふか されたパスポート
現状 げんじょう
2007年 ねん 2月 がつ までに、主 おも に以下 いか のような影響 えいきょう を及 およ ぼしている(詳細 しょうさい については中華民国 ちゅうかみんこく を参照 さんしょう )。
問題 もんだい 点 てん
一方 いっぽう で、正名 まさな 運動 うんどう は中華民国 ちゅうかみんこく (台湾 たいわん )の国内外 こくないがい で様々 さまざま な問題 もんだい を生 う み出 だ している。
国外 こくがい では、「台湾 たいわん は中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の一部 いちぶ (一 ひと つの中国 ちゅうごく )」と主張 しゅちょう する中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 政府 せいふ が、台湾 たいわん の正名 まさな 運動 うんどう を「台湾 たいわん 独立 どくりつ を促 うなが す動 うご き」と捉 とら え、警戒 けいかい している。そのため、事 こと ある毎 ごと に台湾 たいわん への武力 ぶりょく 行使 こうし (台湾 たいわん 有事 ゆうじ )をちらつかせながら、陰 かげ に陽 ひ に正名 まさな 運動 うんどう の展開 てんかい を妨害 ぼうがい している(台湾 たいわん 問題 もんだい )。また、台湾 たいわん 関係 かんけい 法 ほう を制定 せいてい しているアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく も、台湾 たいわん 有事 ゆうじ 回避 かいひ のために「一 ひと つの中国 ちゅうごく 」という台湾 たいわん 問題 もんだい の原則 げんそく を支持 しじ しており、中華民国 ちゅうかみんこく 政府 せいふ が正名 まさな 運動 うんどう を展開 てんかい することに難色 なんしょく を示 しめ している[要 よう 出典 しゅってん ] 。一方 いっぽう で中華民国 ちゅうかみんこく にもいまだに大陸 たいりく 反攻 はんこう ・南京 なんきん 奪還 だっかん を主張 しゅちょう する人 ひと がいる[誰 だれ ? ] 。
国内 こくない では、中華民国 ちゅうかみんこく を「中国 ちゅうごく の国家 こっか 」として存続 そんぞく させようとする勢力 せいりょく (泛藍連盟 れんめい )が存在 そんざい しており、正名 まさな 運動 うんどう に対 たい する反対 はんたい 運動 うんどう を行 おこ なっている。また、運動 うんどう を推進 すいしん する泛緑連盟 れんめい も、メンバーの陳 ちん 水 みず 扁 ひらた が総統 そうとう (国家 こっか 元首 げんしゅ )職 しょく に就 つ いてた時 とき も、泛藍連盟 れんめい との激 はげ しい対立 たいりつ やアメリカ との決裂 けつれつ を招 まね くために、総統 そうとう 選挙 せんきょ で公約 こうやく とした「台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう 」の全面 ぜんめん 的 てき な実現 じつげん はできていない。そのため、台湾 たいわん の漫画 まんが 家 か である彭永成 なり (中国語 ちゅうごくご 版 ばん ) は、陳 ちん 水 みず 扁 ひらた らが唱 とな える「正名 まさな 運動 うんどう 」を「阿 おもね Q (阿 おもね Q正伝 せいでん の主人公 しゅじんこう )の精神 せいしん 勝利 しょうり 法 ほう 」に例 たと え、批判 ひはん している[3] 。
離島 りとう である金 きむ 門 もん 県 けん は行政 ぎょうせい 区 く が福建 ふっけん 省 しょう 、地理 ちり 的 てき に台湾 たいわん 本土 ほんど ではなく中国 ちゅうごく 本土 ほんど に属 ぞく する、言語 げんご は台湾 たいわん 語 ご ではなく中国 ちゅうごく 大陸 たいりく に近 ちか い、歴史 れきし 的 てき に一貫 いっかん して中華民国 ちゅうかみんこく の領土 りょうど であり続 つづ けた等 ひとし のことから国名 こくめい を台湾 たいわん にする台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう に対 たい する反発 はんぱつ が強 つよ い[4] 。
また仮 かり に変更 へんこう した場合 ばあい に起 お こる問題 もんだい としてオリンピックのチャイニーズタイペイ の問題 もんだい がある。中華民国 ちゅうかみんこく はオリンピックに出場 しゅつじょう する際 さい チャイニーズタイペイの名称 めいしょう を使 つか う協定 きょうてい を国際 こくさい オリンピック委員 いいん 会 かい と結 むす んでいるため、自分 じぶん 達 たち が勝手 かって に名称 めいしょう を台湾 たいわん に変更 へんこう した場合 ばあい 、オリンピックへの出場 しゅつじょう が認 みと められない[5] 。この件 けん では住民 じゅうみん 投票 とうひょう が行 おこな われ100万 まん 票 ひょう の差 さ をつけてチャイニーズタイペイの使用 しよう が続 つづ くこととなった[6] 。
このような国内外 こくないがい の理由 りゆう から、現在 げんざい の台湾 たいわん では正名 まさな 運動 うんどう に対 たい する世論 せろん の評価 ひょうか がほぼ二分 にぶん されており、正名 まさな 運動 うんどう の展開 てんかい はなかなか進 すす まないでいるのが現状 げんじょう である。
運動 うんどう 推進 すいしん 者 しゃ
台湾 たいわん 正名 しょうな 運動 うんどう は、日本 にっぽん で活動 かつどう する台湾 たいわん 独立 どくりつ 運動 うんどう 家 か の林 はやし 建 たて 良 りょう が発起人 ほっきにん である。なお、現在 げんざい 正名 まさな 運動 うんどう にかかわっている台湾 たいわん の著名 ちょめい 人 じん には、元 もと 中華民国 ちゅうかみんこく 総統 そうとう 府 ふ 国策 こくさく 顧問 こもん の金 きむ 美 よし 齢 よわい 、評論 ひょうろん 家 か の黄 き 文雄 ふみお などがいる。
関連 かんれん 項目 こうもく
脚注 きゃくちゅう
出典 しゅってん
外部 がいぶ リンク