吉田よしだ 兼治けんじ(よしだ かねはる)は、安土あづち桃山ももやま時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょきにかけての貴族きぞく・神道しんとう家か。左衛門さえもん督とく・吉田よしだ兼けん見みの子こ。官位かんいは正せい四よん位い下か・侍従じじゅう、贈おく従したがえ二に位い。吉田よしだ家か10代当主とうしゅ・卜部うらべ氏し26代だい。
永えい禄ろく8年ねん(1565年ねん)、左衛門さえもん督とく・吉田よしだ兼けん見みるの子ことして誕生たんじょう。
慶長けいちょう15年ねん(1610年ねん)、吉田よしだ神道しんとう(吉田よしだ神社じんじゃ)の宗家そうけ相続そうぞく、神祇官じんぎかん領りょう長上ちょうじょうとなる。慶長けいちょう18年ねん(1613年ねん)、後こう陽成ようぜい上皇じょうこうに神道しんとうを講こうずる。
元和がんわ2年ねん(1616年ねん)、卒去そっきょ。