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問答もんどうほう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

問答もんどうほう(もんどうほう、まれ: διαλεκτική, dialektike, ディアレクティケー; えい: dialectic)とは、古代こだいギリシア哲学てつがくしゃソクラテスもちいた、対話たいわによって相手あいて矛盾むじゅん無知むち自覚じかくさせつつ、より高次こうじ認識にんしき真理しんりへとみちびいていく手法しゅほうす。

プラトンにおいては、『パイドロスとうで、弁論べんろんじゅつ(べんろんじゅつ、レートリケー)と対比的たいひてきにこれをすので、べんしょうじゅつ(べんしょうじゅつ)という日本語にほんごやくてることもおおい。また、プラトンが『テアイテトス』にて、こうした問答もんどうつうじて相手あいて知見ちけん向上こうじょうさせていく手法しゅほうを、産婆さんばじゅつ(さんばじゅつ、まれ: μαιευτική, maieutikē, マイエウティケー)とも表現ひょうげんしたため、これも問答もんどうほうとほぼ同義どうぎもちいられたりもする[1]

なお、弁証法べんしょうほう(べんしょうほう)という訳語やくごは、もっぱ近代きんだいにおけるヘーゲルマルクス文脈ぶんみゃくにおいて、ドイツDialektikの訳語やくごとしてもちいられる[2]

ソクラテスしき問答もんどうほう

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ソクラテスしき問答もんどうほうえい: Socratic Method、Socratic Debate)は、反対はんたい立場たちばにある個人こじんあいだでの質問しつもん討論とうろん形式けいしきであり、理性りせいてき思考しこう刺激しげきしアイデアをすための質問しつもん回答かいとうもとづく[3]エレンコス (Elenchos) とも。弁証法べんしょうほう一種いっしゅであり、対立たいりつする観点かんてん同士どうしたたかわせる弁論べんろん形式けいしきとなることがおおい。一方いっぽう自説じせつ補強ほきょうするなどして、もう一方いっぽう矛盾むじゅんづかせる(帰謬法きびゅうほう)。

ソクラテスがこのような問答もんどう友人ゆうじんアテネ人達ひとたちおこなうようになったのは、幼馴染おさななじみのカイレポンがデルフォイの神殿しんでんおとずれ、ギリシアうちにソクラテスよりかしこひとがいるかをたずねたのがきっかけだった。ソクラテスはこれを一種いっしゅパラドックスとらえ、この難題なんだいこたえをるために問答もんどうほう使つかうようになった。しかし、ディオゲネス・ラエルティオスプロタゴラスがこの「ソクラテスしき問答もんどうほう発明はつめいしたとし、またクロビュロスがこのディアレクティケーというかたりおよび形式けいしき哲学てつがく導入どうにゅうしたとしている[4][5]

プラトンは『エウテュプロン』や『イオン』といた初期しょき対話たいわへんで、ソクラテスしき問答もんどうほう散文さんぶんあらわ形式けいしき確立かくりつし、一般いっぱんにソクラテスが道徳どうとく認識にんしきろんについて市民しみんとやりとりする様子ようすえがいた。

ソクラテスてき発問はつもん (Socratic Questioning) とは、もと質問しつもんたいして質問しつもんこたえることを意味いみする。これは、会話かいわ進行しんこうわせて、あたらしい質問しつもんさい定式ていしきすることを最初さいしょ質問しつもんしゃいる。

真理しんり探究たんきゅう方法ほうほう

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かれは、体操たいそうじょうへのかえりの青年せいねんたちをつかまえては、対話たいわ(duologue、これから後年こうねん対話たいわてき議論ぎろんなかでダイナミックに思想しそうあゆみが展開てんかいしていく仕方しかた弁証法べんしょうほう、dialecticとぶことになる)による哲学てつがくてき思考しこう教育きょういくおこなった。我々われわれが、ごく自明じめいのものとかんがえている「正義まさよし」「道徳どうとくてきただしさ」などその言葉ことば使用しようさいして、我々われわれ理解りかいしていることの内実ないじつをよくよくいただされてみると、我々われわれ意外いがい生半可なまはんか理解りかいしただけでその言葉ことば使用しようしていることにづかされる、そしてそこから、その言葉ことば本当ほんとうはどんな意味いみ理解りかいされるものなのか、そしてそれが我々われわれ要請ようせいする道徳どうとくてき行為こういとはなにかということにおもいをいたらしめることになる。

エレンコス反駁はんばくのための反対はんたい尋問じんもん)は、ソクラテスしき問答もんどうほう中心ちゅうしんとなる技法ぎほうである。プラトンの初期しょき対話たいわへんでは、エレンコスは、たとえば正義せいぎ美徳びとくといった倫理りんりてき概念がいねん性質せいしつ定義ていぎ調しらべるための、ソクラテスが使つか技法ぎほうである。ある一般いっぱんてき定式ていしき (Vlastos, 1983) によると、つぎのような段階だんかいむ。

  1. ソクラテスの対話たいわしゃがある命題めいだい提示ていじする。たとえば、「勇気ゆうきたましい持続じぞくである」など。それをソクラテスはにせであると仮定かてい反駁はんばくこころみる。
  2. ソクラテスは対話たいわしゃにさらなる前提ぜんていたとえば、「勇気ゆうきはよいものだ」、「無知むち持続じぞくはよくないものだ」)をし、同意どういさせる。
  3. ソクラテスは議論ぎろん展開てんかいし、さらなる前提ぜんてい本来ほんらい命題めいだいとは反対はんたいのこと(このれいでは「勇気ゆうきたましい持続じぞくではない」)を暗示あんじしていることを対話たいわしゃ納得なっとくさせる。
  4. そしてソクラテスは、対話たいわしゃ命題めいだいにせで、その反対はんたいしんであることをしめしたと主張しゅちょうする。

1つの問答もんどうによって、対象たいしょうとする概念がいねんあらたな、より洗練せんれんされた検討けんとうくわえることができる。このれい場合ばあい勇気ゆうきとはたましい賢明けんめい持続じぞくである」という主張しゅちょうみちびかれる。ソクラテスてき問答もんどうおおくは一連いちれん反駁はんばくであり、アポリア議論ぎろんちゅう命題めいだいについてなにえない状態じょうたい)でわることがおおい。

マイケル・フレード(Michael Frede)は、上記じょうきの4番目ばんめのステップは、そこまでのアポリアてき性質せいしつからして無意味むいみであると主張しゅちょうしている[6]。ある主張しゅちょうしんとされるなら、対話たいわがアポリアにおちいるはずがない。

エレンコスの正確せいかく性質せいしつおおくの議論ぎろん対象たいしょうであり、とくにそれが認識にんしきみちびくポジティブな方法ほうほうなのか、それともあいだちがった認識にんしき反駁はんばくするためだけのネガティブな方法ほうほうなのかはおおきな議論ぎろんてきである。

ソクラテスしき問答もんどうほう仮説かせつ排除はいじょする「ネガティブ」な方法ほうほうであり、よりよい仮説かせつ矛盾むじゅんをもたらす部分ぶぶん排除はいじょすることで着実ちゃくじつ識別しきべつすることができる。ソクラテスしき問答もんどうほうはあるひと意見いけん形成けいせいする一般いっぱんてきかつ共通きょうつうてき真理しんり探究たんきゅうであり、その真理しんり精査せいさ対象たいしょうとし、信念しんねんとの一貫いっかんせい判定はんていする。基本きほん形式けいしきは、論理ろんり事実じじつ検証けんしょうすべく形成けいせいされた一連いちれん疑問ぎもんぶんであり、あるにん(たち)がなんらかの主題しゅだいについての自分じぶん(たち)の信念しんねん見出みいだし、定義ていぎロゴス探求たんきゅうし、様々さまざま特定とくてい実体じったい共有きょうゆうされる一般いっぱんてき特徴とくちょうもとめるたすけとなる。この方法ほうほうは、対話たいわしゃ信念しんねん内包ないほうされていた定義ていぎあきらかにしたり、さらなる理解りかいたすけとなることから、産婆さんばじゅつ (method of maieutics) ともばれた。アリストテレスはこの定義ていぎ帰納きのう方法ほうほう発見はっけんしゃをソクラテスだとし、科学かがくてき方法ほうほう基本きほんなした。しかし、奇妙きみょうなことにアリストテレスはこの方法ほうほう倫理りんりがくには不適ふてきであると主張しゅちょうした。

W・K・C・ガスリーの『ギリシアの哲学てつがくしゃたち』によれば[ようページ番号ばんごう]、ソクラテスしき問答もんどうほう問題もんだいこたえや知識ちしきもとめる方法ほうほうではなく、むしろ無知むちしめすことを意図いとしていた。ソクラテスは詭弁きべんとはことなり、可能かのうであるとしんじていたが、まずだいいち無知むちであることを必要ひつようがあるとしんじていた。ガスリーはつぎのようにいている。「(ソクラテスは)自分じぶんなにらないとよくっていた。そして、かれ人々ひとびとよりもかしこいのは自分じぶん無知むち意識いしきしていたからだとした。ソクラテスしき問答もんどうほう本質ほんしつは、対話たいわしゃなにかをっているとおもっていることをじつらないと自覚じかくさせることにある」

産婆さんばじゅつ

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プラトン対話たいわへんテアイテトス』の序盤じょばんでは、ソクラテスが自身じしん問答もんどうほうのことを、有名ゆうめい産婆さんばだった母親ははおやパイナレテー技術ぎじゅつになぞらえるくだりがある[7]。そのため、ソクラテスの「問答もんどうほう」(まれ: διαλεκτική, dialektike, ディアレクティケー)は、「産婆さんばじゅつ」(まれ: μαιευτική, maieutikē, マイエウティケー)ともばれる[8]

応用おうよう

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ソクラテスはかれ検証けんしょう方法ほうほうを、様々さまざま具体ぐたいてき定義ていぎ概念がいねん適用てきようした。たとえば、当時とうじ倫理りんり中心ちゅうしんてき概念がいねんである、「知恵ちえ」、「節制せっせい」、「勇気ゆうき」、「正義まさよし」といったとく検証けんしょうした。そのような検証けんしょう対話たいわしゃ内在ないざいする倫理りんりてき信念しんねんためすことであり、その信念しんねん欠点けってん矛盾むじゅんあきらかにし、一般いっぱんアポリアばれる迷宮めいきゅうおちいった。そのような欠点けってん考慮こうりょして、ソクラテスは自身じしん無知むち公言こうげんしていたが、他者たしゃっていると主張しゅちょうした。ソクラテスは自身じしん無知むちによって他者たしゃよりも賢明けんめいになったとしんじた。一見いっけんするとこの信念しんねんはパラドックスてきだが、他者たしゃ自分じぶんただしいと主張しゅちょうするときにソクラテスが自分じぶん自身じしん間違まちがいを発見はっけんすることを可能かのうにした。この主張しゅちょうはソクラテスがもっとかしこいとしたデルフォイの神託しんたく逸話いつわられていた。

ソクラテスはこの逸話いつわ道徳的どうとくてき説教せっきょう基盤きばんとして活用かつようした。そして、善良ぜんりょうさとは倫理りんりてき真理しんり理解りかいかかわるたましい存在そんざいするとし、「とみ善良ぜんりょうさをもたらさないが、善良ぜんりょうさはとみすべてのほか恩恵おんけい個人こじん国家こっかにもたらす」とし、さらに「(対話たいわによる)検証けんしょうのない生活せいかつ無意味むいみだ」と主張しゅちょうした。ソクラテスしき問答もんどうほうはこのような精神せいしんした使用しようされる。

問答もんどうほう現代げんだいてき利用りよう動機どうきは、ソクラテスの時代じだいおなじとはかぎらない。ソクラテスは問答もんどうほう使つかって一貫いっかんした理論りろん構築こうちくすることはほとんどなく、わりに神話しんわ使つかって説明せつめいした。パルメニデスは、ソクラテスが起源きげんとされる形相ぎょうそう問題もんだいてんをソクラテスしき問答もんどうほう使つかってしめした。こたえに到達とうたつするわりに、問答もんどうほう我々われわれ当然とうぜんなす原理げんり仮説かせつえて理論りろん分類ぶんるいするのに使つかわれた。したがって、プラトンは神話しんわとソクラテスしき問答もんどうほう互換ごかんせい意図いとしていなかった。それらは目的もくてきことなり、しばしば善良ぜんりょうさと叡智えいちへの「左手ひだりて」と「右手みぎて」の経路けいろひょうされる。

サイコセラピー

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ソクラテスしき問答もんどうほうはサイコセラピー、とく古典こてんアドラー心理しんり療法りょうほう認知にんち療法りょうほう採用さいようされている。意味いみ感覚かんかく意識いしき明確めいかくしたり、徐々じょじょ洞察どうさつ表明ひょうめいしたり、代替だいたい行動こうどう探求たんきゅうしたりといったことに使つかわれる。

制約せいやく条件じょうけん理論りろん

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工業こうぎょう生産せいさんプロセスの改善かいぜんでもソクラテスしき問答もんどうほうたがいに矛盾むじゅんする制約せいやく条件じょうけん解決かいけつする手段しゅだんとして使つかっている。エリヤフ・ゴールドラット一連いちれん著書ちょしょ[9][10]では、その活用かつようほう解説かいせつしている。この問答もんどうほう活用かつようかれ制約せいやく条件じょうけん理論りろん重要じゅうよう要素ようそとなっている。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ 問答もんどうほうとは 大辞林だいじりん/大辞泉だいじせん/コトバンク
  2. ^ 弁証法べんしょうほうとは コトバンク
  3. ^ Frameworks Glossary, Nebraska Dept of Education”. 2009ねん5がつ29にち閲覧えつらん
  4. ^ ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学てつがくしゃ列伝れつでん岩波いわなみ文庫ぶんこ。Jarratt, Susan C. Rereading the Sophists: Classical Rhetoric Refigured. Carbondale and Edwardsville: Southern Illinois University Press, 1991., p 83.
  5. ^ Sprague, Rosamond Kent, The Older Sophists, Hackett Publishing Company (ISBN 0-87220-556-8)., p. 5
  6. ^ Frede, Michael (1992) 'Plato's Arguments and the Dialogue Form' in Oxford Studies in Ancient Philosophy, Supplementary Volume, 201-19.
  7. ^ テアイテトス』149A
  8. ^ 産婆さんばじゅつとは 大辞泉だいじせん/コトバンク
  9. ^ The Goal, Eliyahu M. Goldratt, ISBN 0-88427-061-0
  10. ^ It's not Luck, Eliyahu M. Goldratt, ISBN 0-88427-115-3

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Vlastos, Gregory (1983) ‘The Socratic Elenchus’, in Oxford Studies in Ancient Philosophy 1: 27–58.
  • Benson, Hugh (2000) Socratic Wisdom (Oxford: Oxford University Press).
  • Jarratt, Susan C. Rereading the Sophists: Classical Rhetoric Refigured. Carbondale and Edwardsville: Southern Illinois University Press, 1991.
  • Sprague, Rosamond Kent. The Older Sophists, Hackett Publishing Company ISBN 0-87220-556-8

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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