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詭弁きべん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

詭弁きべん詭辯きべん、きべん、まれ: σοφιστική)とは、おも説得せっとく目的もくてきとして、命題めいだい証明しょうめいさい実際じっさいにはあやまっている論理ろんり展開てんかいもちいられている「推論すいろん」である。あやまっていることをただしいとおもわせるように仕向しむけた議論ぎろん奇弁きべん危弁とも。意図いとてきではない「誤謬ごびゅう」とはことなる概念がいねんである。

意味いみ

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日本語にほんご日常にちじょうてき使つかわれる「詭弁きべん」とは、「故意こいおこなわれる虚偽きょぎ議論ぎろん[1]」、「道理どうりわないことを強引ごういん正当せいとうしようとする弁論べんろん論理ろんりがく外見がいけん形式けいしきをもっともらしくせかけた虚偽きょぎ論法ろんぽう[2]」、「実質じっしつにおいて論理ろんりじょう虚偽きょぎあるいは誤謬ごびゅうでありながら、故意こいあやまりのある論理ろんり展開てんかいもちいて、間違まちがった命題めいだいただしいかのようによそおい、思考しこう混乱こんらん欺瞞ぎまん目的もくてきとしておこなう謬論[3]」、「命題めいだい推理すいりかんする論理ろんりてき操作そうさによってしょうずる、一見いっけんもっともらしい推論すいろん(ないしはその結論けつろん)で、なんらかの誤謬ごびゅうふくむとうたがわれるもの。相手あいてをあざむいたり、こまらせる議論ぎろんなか使つかわれる[4]」をす。発言はつげんしゃの「あざむ意志いし」があってこその「詭弁きべん」であり、かならずしも意図いとてきにではなくみちびかれる誤謬ごびゅうとは区別くべつされる。日本にっぽんでは「詭」が漢字かんじ制限せいげんにより当用漢字とうようかんじ常用漢字じょうようかんじふくまれないため、新聞しんぶんなどでは奇弁きべん論理ろんりがくなどでは危弁かれることもある。

英語えいごでは sophism 「詭弁きべん、こじつけ、詭弁きべんほう[5]詭弁きべん、こじつけ、へ理屈りくつ詭弁きべんほう[6]す。sophistryともう。

解説かいせつ

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詭弁きべんには、論理ろんり展開てんかいあきらかにあやまっている場合ばあいもあれば一見いっけんただしいようにえる場合ばあいもある。そして論理ろんり展開てんかいただしいようにえる場合ばあい論理ろんりてきには違反いはんしており、あやまった結論けつろんでも説得せっとくりょくしてしまう。上記じょうき現象げんしょう不完全ふかんぜん数学すうがくてき帰納きのうほうによる、この記事きじにおいても以降いこう解説かいせつされるはやまった一般いっぱん前後ぜんごそく因果いんが誤謬ごびゅうによってこりやすい。きょうはたらけ関係かんけい社会しゃかいてき合意ごういにおいては、論理ろんりてき推論すいろん整合せいごうせいよりも話者わしゃ対象たいしょうとするききて大衆たいしゅうたいしての言説げんせつじょう説得せっとく説明せつめいりょくヒューリスティクスもちいた限定げんてい合理ごうりせいへの対応たいおう)がしばしば効果こうかてきであり、このため、説得せっとく交渉こうしょうプロパガンダマインドコントロールのテクニックとしてもちいられることがある。

歴史れきし

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詭弁きべん」というかたりは、『史記しき』にることができる。「こごめげん賈生列伝れつでん」で「しつらえ詭辯きべん於懐おう寵姫ちょうきていそで詭弁きべんふところおう寵姫ちょうきていそでしつらえく)」との用例ようれいがある[7]。「むね」で「こう法律ほうりつ詭辯きべん以中じん法律ほうりつこの詭弁きべんもたして、もっひとなかつ)」との用例ようれいがあり[8]、『史記しきさくかくれ』は詭弁きべん語義ごぎについて「詭誑ノべん」(あざむき、たぶらかす言葉ことば)としている。中国ちゅうごく諸子しょしひゃくいえのうち「詭弁きべん」を学問がくもん発展はってんさせたのがめぐみほどこせ公孫こうそんりゅうなどの名家めいかである[9]

古代こだいギリシャの時代じだいにおいても詭弁きべん飛躍ひやくてき発展はってん後世こうせい論理ろんりがく発展はってんへとつながっていった[10]。この時代じだいは、弁舌べんぜつながじた哲学てつがくしゃたちおお輩出はいしゅつし、日本語にほんごで「詭弁きべん」ともしょうされるソフィストんだ。ゼノンやプロタゴラスは紀元前きげんぜん400ねん以前いぜんギリシアアテナイなどで活躍かつやくし、哲学てつがく分類ぶんるいでは名家めいかやソフィストなどをふくめて詭弁きべん学派がくはぶことがある。

ピタゴラスは、4と10という数字すうじ神秘しんぴせいかんじており、弟子でしのひとりに、両手りょうてゆびを、1ほん、2ほん、3ほん、4ほん回数かいすうごとに1ほんずつおおげさせてゆき、最後さいごに4ほんげたところで10ほんすべてのゆびがると「おまえが4だとおもったのはじつは10だった」といたというエピソードがある。これは典型てんけいてき詭弁きべんとされる[11]

ギリシャ、ローマの時代じだいでは、為政者いせいしゃ立候補者りっこうほしゃたか地位ちいにつくために、人心じんしん演説えんぜつをする必要ひつようがあった。そのためには、正当せいとう弁論べんろんじゅつよりも、詭弁きべん強弁きょうべんそうろん有用ゆうようであったため、ソフィストが台頭たいとうすることとなった[12]

古典こてんてき詭弁きべん

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古典こてんてき詭弁きべんれいとして、古代こだい中国ちゅうごく思想家しそうか公孫こうそんりゅうによる「けんしろ異同いどう[3]や「白馬はくばうま」がある。公孫こうそんりゅうの「白馬しろうまうま」の論法ろんぽう以下いかしめす(詳細しょうさい公孫こうそんりゅう参照さんしょう)。これは論点ろんてんのすりえ、連続れんぞくせい虚偽きょぎあやまった二分にぶんほうふくんでいる。

白馬はくば」という概念がいねんは、「しろ」といういろについての概念がいねんと「うま」というかたちについての概念がいねんとがわさったものであるから、もはや純粋じゅんすいかたち概念がいねんである「うま」とはことなる。したがって白馬はくばうまではない。

このたね詭弁きべんたん言説げんせつじょうあそびとしてかるんじられることがあるが、ほう文字もじ)による社会しゃかい規範きはん重視じゅうしする社会しゃかいでは重要じゅうようであり、たとえば「国民こくみん納税のうぜい義務ぎむう」の場合ばあい国民こくみん定義ていぎがあいまいであればほう合意ごういじつ効力こうりょく極端きょくたん阻害そがいされる。公孫こうそんりゅう話題わだいでは、たとえばうま1とうあたりにぜいする場合ばあい白馬はくばうまではないとの論証ろんしょうたいしてうま定義ていぎがあいまいであれば、その論証ろんしょう有効ゆうこうである可能かのうせいがある[ちゅう 1]奴隷どれい小作こさく未成年みせいねん女性じょせいは「人頭じんとう」ではないとすれば人頭じんとうぜいおよ範囲はんい極端きょくたん制限せいげんされるかもしれない。

対偶たいぐう使つか詭弁きべん

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しん命題めいだい対偶たいぐうしんである、という形式けいしき使つか詭弁きべん

  • 犯罪はんざいきれば、警察けいさつ出動しゅつどうする」はしんである。このため、対偶たいぐうの「警察けいさつ出動しゅつどうしなければ、犯罪はんざいきない」はしんである。
  • 他国たこく軍事ぐんじ侵略しんりゃくすれば、自衛隊じえいたい防衛ぼうえいする」はしんである。このため、対偶たいぐうの「自衛隊じえいたい防衛ぼうえいしなければ、他国たこく軍事ぐんじ侵略しんりゃくしない」はしんである。
  • たからくじがたれば、1おくえんもらえる」はしんである。このため、対偶たいぐうの「1おくえんもらえなければ、たからくじはたらない」はしんである。

これらの推論すいろんまさしく、対偶たいぐうまさしくつくられており、論理ろんりてきあやまりはない[13]結論けつろん奇異きいえるが、ただしい。「ぎゃく」や「うら」を使つか幼稚ようち詭弁きべんは、論理ろんりてきあやまりがすぐにつかるのにたいし、「対偶たいぐう」を使つか詭弁きべん論理ろんりてきあやまりがないため、強固きょうこである。

対偶たいぐうつくさいに、日常にちじょう用語ようごとしてのニュアンスがずれることを利用りようしている。「AならばB」がしん場合ばあい日常にちじょう用語ようごではAが「原因げんいん」、Bが「結果けっか」だとおもってしまうが、論理ろんりてきにはそういう関係かんけいにない。対偶たいぐうの「BでないならばAでない」も、「Bでない」が「原因げんいん」、「Aでない」が「結果けっか」とおもってしまうが、論理ろんりてきには「Bでない」ことを根拠こんきょとして「Aでない」ことがえるという意味いみである。

警察けいさつ出動しゅつどうしていないならば、犯罪はんざいきていない」
自衛隊じえいたい防衛ぼうえいしていないならば、他国たこく軍事ぐんじ侵略しんりゃくしていない」
「1おくえんもらえていないならば、たからくじはたっていない」

とすれば、理解りかいしやすい。

前件ぜんけん否定ひてい虚偽きょぎ (denying the antecedent)

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  • A「自分じぶんがされていやなことは、ひとにもするな(黄金おうごんりつ)」
  • B「なら自分じぶんがされていやでなければ、ひとにしてもんだな」

Aの発言はつげんたいするBの返答へんとうは「XならばYである。ゆえにXでなければYでない」という形式けいしき論理ろんりであり、これは論理ろんりがく前件ぜんけん否定ひてい虚偽きょぎばれる。数学すうがくでいうと「自分じぶんがされていやなこと」は「ひとにしてはいけないこと」であるための十分じゅうぶん条件じょうけんである。命題めいだいから論証ろんしょうなく「うら」をみちびき、それをもちいる論証ろんしょう。このタイプの推論すいろんは、XとYが論理ろんりてき同値どうちときのみ成立せいりつするためつね命題めいだいではない。

なおこの虚偽きょぎは、かりげんてき三段論法さんだんろんぽうにおいても適用てきようされる。「もしAがBならば、AはCである。しかしAはBでない。ゆえにAはCでない」は、前件ぜんけん否定ひてい虚偽きょぎとなる。「AがBならば」という仮定かていをX、「AはCである」という結論けつろんをYとけば、「XならYである。Xでない。ゆえにYでもない」となり、前件ぜんけん否定ひてい前提ぜんていとする論理ろんりとなるからである。

後件こうけん肯定こうてい虚偽きょぎ (affirming the consequent)

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  • A「対象たいしょうについて無知むちならばひと恐怖きょうふかんじる。つまり、こわがりなやつ無知むちなんだよ」

Aの発言はつげんは「XならばYである。ゆえにYであればXである」という形式けいしき論理ろんりであり、これは論理ろんりがく後件こうけん肯定こうてい虚偽きょぎばれる。命題めいだいから論証ろんしょうなく「ぎゃく」をみちびき、それをもちいる論証ろんしょう。このタイプの推論すいろんも、前件ぜんけん否定ひてい虚偽きょぎおなじように、XとYが論理ろんりてき同値どうちときにしか成立せいりつしないので、つね命題めいだいではない。Aの発言はつげんは、「シャチは哺乳類ほにゅうるいである。ゆえ哺乳類ほにゅうるいはシャチである」という推論すいろんおな論理ろんり構造こうぞうである。かりに「無知むちだからこわがる」という前提ぜんていしんであったとしても、その前提ぜんていから「こわがりなひと無知むちである」と結論けつろんすることは論理ろんりてきあやまりである。こわがりなひと無知むちであるかもしれないし、無知むちではないかもしれないからである。(ぎゃくかならずしもしんならず

なかだち概念がいねん周延しゅうえん虚偽きょぎ (fallacy of the undistributed middle)

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  • A「あたま人間にんげんみな読書どくしょだ。そしてわたしもまた、よくほんむ。だからわたしあたま

Aの発言はつげんは「XはYである。ZもYである。ゆえにZはXである」という形式けいしき三段論法さんだんろんぽうで、これは論理ろんりがくなかだち概念がいねん周延しゅうえん虚偽きょぎばれる。このタイプの推論すいろんは、Z⊆X⊆Y(⊆:部分ぶぶん集合しゅうごう)でないかぎ成立せいりつしないので、つね命題めいだいではない。Aの発言はつげんは「カラスは生物せいぶつである。スズメバチも生物せいぶつである。ゆえにスズメバチはカラスである(あるいはカラスはスズメバチである)」という発言はつげん論理ろんり構造こうぞうひとしい。また、Aの発言はつげんについて、「あたま人間にんげんみな読書どくしょだ」がしんであったとしても、「読書どくしょあたまがいい」はそれのぎゃくとなるため、かならずしもしんであるとはかぎらない。

なかだち概念がいねん曖昧あいまい虚偽きょぎ (fallacy of the ambiguous middle)

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  • A「しおみずける。あなたかたしおである。ゆえにあなたかたみずける[14][ちゅう 2]
  • B「くるま(自動車じどうしゃ)は運転うんてん免許めんきょ必要ひつようものだ。自転車じてんしゃくるま(車両しゃりょう)である。ゆえに自転車じてんしゃ運転うんてん免許めんきょ必要ひつようもの

Aの発言はつげんは「MはPである。SはMである。ゆえにSはPである」と一見いっけんだいいちかく三段論法さんだんろんぽうえるが、文脈ぶんみゃくによってことなる意味いみ単語たんごなかだち概念がいねん使用しようしており、「大前提だいぜんていM-Pの文脈ぶんみゃくにおけるM」と「小前提しょうぜんていS-Mの文脈ぶんみゃくにおけるM」がことなるため、命題めいだい成立せいりつしない。

論点ろんてん先取せんしゅ (petitio principii)

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  • A「Bさんは勤勉きんべんひとだから仕事しごとなまけるはずがないよ。」

Aの発言はつげんは、前提ぜんていなか結論けつろんみちびこと出来でき情報じょうほうを「あらかじめ」ふくめている。このように、見掛みかじょうは『論理ろんり』のかたちになっているものの実際じっさい同義どうぎ反復はんぷく推論すいろん論点ろんてん先取せんしゅぶ。同義どうぎ反復はんぷく(「XはXである」という演繹えんえき)はつね命題めいだいであるが、なにかを証明しょうめいする内容ないようではない。Aの発言はつげんは、「ルノワール偉大いだい画家がかである。何故なぜなら、素晴すばらしい画家がかだからだ」と論理ろんり構造こうぞうひとしい(このように発言はつげんするだけでは、ルノワールについてなに証明しょうめいしたことにならない)。論点ろんてん回避かいひひとつ。先決せんけつ問題もんだい要求ようきゅう虚偽きょぎ論理ろんり構造こうぞうとしては、「(勤勉きんべんひとはすべて仕事しごとなまけないと仮定かていする。Bさんは勤勉きんべんひとであると仮定かていする。すると)Bさんは勤勉きんべんひとである。ゆえにBさんはなまけない。」「(素晴すばらしい画家がか偉大いだい画家がかであると仮定かていする。ルノワール素晴すばらしい画家がかであると仮定かていする。すると)ルノワール素晴すばらしい画家がかである。ゆえ偉大いだい画家がかである。」仮定かてい部分ぶぶん論点ろんてん先取さきどり(回避かいひ)した論理ろんり構成こうせいとなっている。

  • (1)すべての人間にんげんには寿命じゅみょうがある。(2)Cは人間にんげんだ。(3)よってCには寿命じゅみょうがある

大前提だいぜんてい(1)は、寿命じゅみょうのない人間にんげんれいが、これまでにひとつもられていないことからみちびかれたものであり、寿命じゅみょうのない人間にんげんつかれば(1)は成立せいりつしない。このため、「Cに寿命じゅみょうがない」ならば(1)は成立せいりつせず、(1)が成立せいりつするには「Cに寿命じゅみょうがある」ことが前提ぜんていになり、結局けっきょく「Cに寿命じゅみょうがある」ことを前提ぜんていとして「Cに寿命じゅみょうがある」ことをみちびしている。

循環じゅんかん論証ろんしょう (circular reasoning)

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  • A「Bくんっていること詭弁きべんだ(屁理屈へりくつだ・あしりだ)。だからあいだちがっている。」

論点ろんてん先取せんしゅなかでも、「前提ぜんてい結論けつろん根拠こんきょとなり、結論けつろん前提ぜんてい根拠こんきょとなる」という形式けいしき推論すいろんを、循環じゅんかん論証ろんしょうぶ。Aがこの発言はつげんのちに、どのような理由りゆうから詭弁きべん(または屁理屈へりくつ)とえるのか説明せつめい出来できなければ、Aの発言はつげんは「Bくんっていること詭弁きべんだ。何故なぜなら間違まちがっているからだ。何故なぜ間違まちがっているかというと、詭弁きべんだからだ」とべているだけの内容ないようとなるので、循環じゅんかん論証ろんしょうになる。こういった循環じゅんかん論証ろんしょうを、英語えいごでは"that's a fallacy" fallacyという。論点ろんてん回避かいひひとつ。

あやまった二分にぶんほう (false dilemma)

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  • A「きみぼくことを『きらいではない』とったじゃないか。それなら、ってことだろう」

Aの発言はつげんには、「きみかならぼくことが『き』か『きらい』かのどちらかだ」という大前提だいぜんていかくされている。したがって論理ろんり構造こうぞうとしては「XはかならYかZのいずれかである。しかるに、XはYではない。ゆえにXはZである」という形式けいしき三段論法さんだんろんぽうとなるが、かりに「XはかならずYかZのいずれかである」という前提ぜんていにせであるなら(いいかえると「XがYでもZでもないケースが存在そんざいする場合ばあい」)、このような推論すいろん誤謬ごびゅうとなり、「あやまった二分にぶんほう」とぶ。Aの発言はつげん場合ばあい実際じっさいには「きでもきらいでもない」や「関心かんしん」などの「き」「きらい」以外いがい状況じょうきょうかんがえられるため、この大前提だいぜんていにせである。

  • B「このまま借金取しゃっきんとりになやまされる人生じんせいおくるか、自殺じさつするか、ふたつにひとつだ

Bが借金しゃっきん返済へんさい不可能ふかのう状態じょうたいおちいっていても、自己じこ破産はさん可能かのうである場合ばあい、その選択肢せんたくし除外じょがいしているので、あやまった二分にぶんほうとなる。

なお、「XはYかZのいずれかである。しかるに、XはYではない。ゆえにXはZである」という推論すいろんにおいて、ZがY、ZがYと論理ろんりてき同値どうちである場合ばあい、それは矛盾むじゅん原理げんりおよび排中はいちゅう原理げんりしたがったつね命題めいだいとなる(れい「あらゆる自然しぜんすう素数そすう素数そすうではないかのいずれかである。2は「素数そすうではない」ではない。ゆえに2は素数そすうである」)。「あやまったジレンマ」またはただたんに「二分にぶんほう」ともばれる。英語えいごでは false dilemma のほかに false dichotomy、excluded middle、bifurcation などともう。

経験けいけんそく否定ひてい

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  • ひとみなぬ」とはえない。そう主張しゅちょうするひとは、たんに「過去かこんだひとは、みなんだ」と同義どうぎ反復はんぷくしているだけで、いまきているひとについてなに証明しょうめいしていない。
  • 海水かいすい塩辛しおからい」とはかぎらない。そう主張しゅちょうするひとは、たんに「過去かこ海水かいすいめたとき塩辛しおからかった」とっているだけで、現在げんざいおよび将来しょうらい海水かいすいあじについてなに証明しょうめいしていない。

この詭弁きべんは、論理ろんりてきあやまりをふくまず、ある意味いみただしい」批判ひはんともえる。同様どうよう手法しゅほうで、どのような経験けいけんそく否定ひていすることができる。

これが詭弁きべんとなる理由りゆうは、むしろ経験けいけんそくがわにある。現実げんじつ世界せかい経験けいけんそく物理ぶつりがく化学かがく生物せいぶつがくなどの法則ほうそく)は、完全かんぜん証明しょうめい不可能ふかのうであり、それでもかえしの実験じっけん検証けんしょうと、その有用ゆうようせいにより法則ほうそくとして通用つうようしているものである。完全かんぜん証明しょうめいがないことを理由りゆう経験けいけんそく否定ひていすると、その有用ゆうようせい否定ひていすることになる。

未知みち論証ろんしょう (ad ignorantiam)

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  • A「B地底ちていじんがいないと断言だんげんしている。しかし、そんな証拠しょうこはないので地底ちていじんはいることになる」

Aの発言はつげんは、「XがYでないことだれにも証明しょうめい出来できない。ゆえXはYである」(存在そんざいしない根拠こんきょいということは「それがる」ことの証明しょうめいにはならない)という形式けいしき推論すいろんで、これは未知みち論証ろんしょうという。「結論けつろんできない」という前提ぜんていから「結論けつろん」を推論すいろんしているので、前提ぜんてい結論けつろん矛盾むじゅんする。排中律はいちゅうりつ前提ぜんていとしない論証ろんしょうにおいては、証拠しょうこがないことを根拠こんきょ物事ものごと証明しょうめいすることはできない。このたね論証ろんしょうがもし有効ゆうこうであれば、部屋へやのなかにいるだけで宇宙うちゅうのありとあらゆることが証明しょうめい可能かのうになってしまう(「宇宙うちゅうにはてがあるというが、そんな証拠しょうこはない。よって宇宙うちゅうにはてがい」「引力いんりょく宇宙うちゅうのすべての場所ばしょ機能きのうしているというが、そんな証拠しょうこはない。よって万有引力ばんゆういんりょく法則ほうそく間違まちがっている」等々とうとう)。これは「A地底ちていじんがいると断言だんげんしているようだが、そんな証拠しょうこはない。地底ちていじんはいない」という一見いっけんすると常識じょうしきてき論証ろんしょうについても同様どうようであり、地底ちていじん存在そんざいについてなんらかの論証ろんしょうてき判断はんだんくだそうとする場合ばあいには、「証拠しょうこ有無うむ」にたいして「証拠しょうこがある場合ばあい十分じゅうぶん吟味ぎんみにより結論けつろん推定すいていされ」「証拠しょうこ場合ばあい論証ろんしょうてきにはなにえない」とするのがただしい。科学かがくてき方法ほうほうにおいてしばしば未知みち論証ろんしょう重大じゅうだい誤謬ごびゅう原因げんいんとなる。消極しょうきょくてき事実じじつ証明しょうめいともいう。

  • A「BはCをこの事件じけん犯人はんにんだと推理すいりしているようだが、そんな証拠しょうこはない。Cはきっと犯人はんにんではない

法廷ほうていにおいては、未知みち論証ろんしょう誤謬ごびゅう例外れいがいてき証明しょうめい責任せきにんにより代替だいたいされる。原告げんこく被告ひこくともに十分じゅうぶん立証りっしょう活動かつどうくしても、裁判官さいばんかん争点そうてんになった事実じじつがあるのかないのか確信かくしんできない場合ばあいがあり、科学かがく立場たちばではそれぞれの意見いけん仮説かせつとして両論りょうろん併記へいきすることが可能かのうであっても法廷ほうていでは裁判さいばん拒否きょひすることはできず、結論けつろんさなければならない。そのため真偽しんぎ不明ふめいであるにもかかわらず、争点そうてんとなった事実じじつ有無うむ擬制ぎせいして裁判さいばんをする必要ひつようせいしょうじ、結果けっかしょうじるいちぽう当事とうじしゃ不利益ふりえき証明しょうめい責任せきにんである。法廷ほうていにおいてはB挙証きょしょう責任せきにんがあり、B法廷ほうていたいしC犯人はんにんであると確信かくしんするに証拠しょうこげることができなければ、未知みち論証ろんしょうであるにもかかわらず、Aの主張しゅちょうのようにCは犯人はんにんではないものとしてあつかわれる。ほう格言かくげんではこれを「証明しょうめい主張しゅちょうするものにあり、否定ひていするものになし」という。

はやまった一般いっぱん (hasty generalization)

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  • A「わたしいままでった4にんおとこは、みなわたし暴力ぼうりょくるった。おとこというものは暴力ぼうりょくこのものなのだ

Aの発言はつげんは、すくないれいから普遍ふへんてき結論けつろんみちびこうとしており、はやまった一般いっぱんとなる[ちゅう 3]かりに「おとこというものは暴力ぼうりょくきなのかもしれない 」と断定だんていけていれば、その発言はつげん帰納きのうとなる(帰納きのう演繹えんえきではないので、厳密げんみつには論理ろんりてきただしくない)。Aの発言はつげん反証はんしょうするためには、暴力ぼうりょくきでないおとこ存在そんざい(あるおとこ暴力ぼうりょくてきでない)をしめせばよい。Aの発言はつげんは、「1は60の約数やくすうだ。2も60の約数やくすうだ。3も60の約数やくすうだ。4も60の約数やくすうだ。5も60の約数やくすうだ。6も60の約数やくすうだ。つまり、すべての自然しぜんすうは60の約数やくすうなのだ」と論理ろんり構造こうぞうひとしい。

このたね話法わほうれい容易よういであり「ある貧困ひんこんもの努力どりょくにより成功せいこうした」「ある障害しょうがいもの努力どりょくにより成功せいこうした」などの論調ろんちょうにより統計とうけいてき検証けんしょうたずしてしん命題めいだいとして認証にんしょうされる誤謬ごびゅう原因げんいんとなる可能かのうせいがある。ある貧困ひんこんしゃ障害しょうがいしゃが「努力どりょく」を要因よういんとして成功せいこうしたとしても、それは問題もんだい解決かいけつにとって論証ろんしょうてき有効ゆうこう提示ていじとなりえるかどうかはからない。都合つごう事例じれい事実じじつあるいは要因よういんのみを羅列られつし、都合つごうわる論点ろんてんへの言及げんきゅうけ、あやまった結論けつろん誘導ゆうどうする手法しゅほうは「つまみぐい (チェリー・ピッキング)」とばれる。また、ごくまれれいげ、それをあたかも一般いっぱんてきであるように主張しゅちょうすることもこの一種いっしゅとなる。

合成ごうせい誤謬ごびゅう (fallacy of composition)

[編集へんしゅう]
  • A「Bさんの腕時計うでどけいロレックスで、財布さいふとサングラスはグッチだった。きっとかれはお金持かねもちにちがいない

これは「ある部分ぶぶんがXだから、全体ぜんたいもX」という議論ぎろんで、合成ごうせい誤謬ごびゅうばれる。このれいでは金持かねもちでなくても部分ぶぶん節約せつやくしつつ、いくつかの高級こうきゅうブランドひん購入こうにゅうして着用ちゃくようしている可能かのうせいもあるためかならずしもしんではない。

はやまった一般いっぱんとのちがいは、最初さいしょ着目ちゃくもくするものが「全体ぜんたいたいしての部分ぶぶん」であるというてん。このたね論証ろんしょうかならずしもしんともならないがかならずしもにせともならない。もしこのたね論法ろんぽうがつねに有効ゆうこうであるとすれば、「Bさんはしろワインが大好だいすきだ。ほかにもエビフライ、アロエのヨーグルト、カスタードクリームがきだといた。なら、しろワインとカスタードクリームをぜたアロエのヨーグルトをエビフライにかけたものよろこんでべるにちがいない」といった推論すいろんがつねにただしいことになる[ちゅう 4]

経済けいざいがくでは、ミクロ経済けいざい通用つうようする法則ほうそくマクロ経済けいざいでも通用つうようするとはかぎらない、という論旨ろんし使つかわれる。自然しぜん科学かがく社会しゃかい科学かがくでは、複雑ふくざつけいでは還元かんげん主義しゅぎてき手法しゅほう通用つうようするとはかぎらない、という論旨ろんし使つかわれる。

分割ぶんかつ誤謬ごびゅう (fallacy of division)

[編集へんしゅう]
  • A「○○こくのGDPはたかい。だから○○国民こくみん経済けいざいてきゆたかだ。」

これは「全体ぜんたいがXだから、ある部分ぶぶんもX」という議論ぎろんで、分割ぶんかつ誤謬ごびゅうばれる。合成ごうせい誤謬ごびゅうとはぎゃくのパターンの詭弁きべん。Aの発言はつげんは「Bさんはカレーライスがだい好物こうぶつだ。だからニンジンやジャガイモやべいやカレーをそのままあたえてもよろこんでべるだろう」と論理ろんり構造こうぞうひとしい。

人的じんてき論法ろんぽう

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だれっているかを問題もんだいとするもの。「対人たいじん論証ろんしょう」「連座れんざ誤謬ごびゅう」「状況じょうきょう対人たいじん論証ろんしょう」「権威けんい論証ろんしょう」「多数たすう論証ろんしょう」などをう。

対人たいじん論証ろんしょう (ad hominem abusive)

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  • A「わたし生活せいかつ必需ひつじゅひん消費しょうひぜい廃止はいしするべきだとおもう」
  • B「Aはそんなこと主張しゅちょうしているが、かれ過去かこ傷害しょうがい事件じけんこしている。そんなもの意見いけんれることはできない」

Bの発言はつげんは、Aの主張しゅちょうそのものではなくA自身じしんたいして個人こじん攻撃こうげきすることで反論はんろんしているため、対人たいじん論証ろんしょうとなる。「Aが傷害しょうがい事件じけんこした」ということは、A自身じしん信用しんよう失墜しっついさせる効果こうかはあるが、Aの主張しゅちょう論理ろんりてき正否せいひとは無関係むかんけいであるため、論理ろんりてきにはただしい反論はんろんではない。このように、論敵ろんてきおとしめて信用しんよううしなわせようとする目的もくてきおこなわれるのが対人たいじん論証ろんしょうで、人身じんしん攻撃こうげき一種いっしゅ同時どうじに、相手あいて主張しゅちょう正否せいひから「相手あいて信用しんようできるか」への論点ろんてんのすりえでもある。

連座れんざ誤謬ごびゅう (guilt by association)

[編集へんしゅう]
  • A「科学かがくしゃBの学説がくせつたいし、Cきょう公式こうしき賛同さんどう表明ひょうめいした。しかしCきょう胡乱うろんなペテン集団しゅうだんだ。B学説がくせつもきっと信用しんようにはあたいしない

これも対人たいじん論証ろんしょう一種いっしゅで、「その主張しゅちょう支持しじするものなかにはろくでもない連中れんちゅうがいる。ゆえその主張しゅちょう間違まちがった内容ないようである」というタイプの推論すいろんである。どのような個人こじんまたは集団しゅうだん支持しじされているか、という事柄ことがら数学すうがくてき論理ろんりがくてきただしさとは無関係むかんけいなので、これは演繹えんえきにならない。

状況じょうきょう対人たいじん論証ろんしょう (circumstantial ad hominem)

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  • A「そろそろあたらしいデジタルカメラしいってはなしをCくんとしたら、Dしゃしん製品せいひんすすめられたよ」
  • B「CくんのおとうさんはDしゃつとめているんだから、Cくんがそうこたえるのは当然とうぜんさ。わないほうがいい」

AにたいするBの発言はつげんは、特定とくてい人間にんげんかれている『状況じょうきょう』を論拠ろんきょとしている。「Dしゃつとめる家族かぞくもの」は「Dしゃ都合つごううそべるもの」と論理ろんりてき同値どうちでもなければ包含ほうがん関係かんけいにもないので、「CくんのおとうさんはDしゃつとめている。ゆえDしゃのデジタルカメラはわないほうがいい商品しょうひんである」は演繹えんえきにならない。このように、「そのひとがそんなことうのは、そういう状況じょうきょうかれているからにぎない(ゆえ信用しんようあたいしない)」というタイプの対人たいじん論証ろんしょうして、「状況じょうきょう対人たいじん論証ろんしょう」とぶ。

権威けんい論証ろんしょう (ad verecundiam)

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  • A「人間にんげんはBをうやまうべきだ。哲学てつがくしゃのCもそうっているだろう

Aの発言はつげんは「専門せんもん(または著名ちょめいじん)もわたしどう意見いけんだ。ゆえわたし意見いけんただしい」というタイプの推論すいろん権威けんいうったえる論証ろんしょうとも。『専門せんもん』や『著名ちょめいじん』は『つね真理しんりべるもの』と論理ろんりてき同値どうちでもなければ包含ほうがん関係かんけいにもないので、権威けんいあるもの引用いんよう厳密げんみつ証明しょうめいにならない。反論はんろんとして対立たいりつする権威けんい引用いんようされ、おな権威けんい論証ろんしょう対抗たいこうされることもしばしばである。

多数たすう論証ろんしょう (ad populum)

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  • A「BくんはやくCをうべきだ。もうみなそうしている

Aの発言はつげんは「Xは多数たすうである。多数たすうただしい。ゆえにXはただしい」というタイプの推論すいろん。『多数たすう』は『ただしいがわ』と論理ろんりてき同値どうちではなく包含ほうがん関係かんけいにもないので、この論理ろんり演繹えんえきにならない。むしろこの論理ろんりは、多数たすうぞくしないと不利ふりになるという脅迫きょうはく論証ろんしょう一種いっしゅといえる。また、Aが「多数たすうただしい。ゆえ多数たすうではなければ(少数しょうすうであれば)ただしくない」という意味いみ発言はつげんしているならそれは前件ぜんけん否定ひてい虚偽きょぎでもある。また、Aの多数たすう論証ろんしょうは、規範きはんぶん(そうするべき)の根拠こんきょ記述きじゅつぶん(そうしている)になっているため、自然しぜん主義しゅぎ誤謬ごびゅう前述ぜんじゅつ)にもなっている[ちゅう 5]。 なお、厳密げんみつには「全員ぜんいん」ではないにもかかわらず「みな」「だれも」という言葉ことば使つかわれているような場合ばあい、これを誇張こちょうほう (hyperbole) という。誇張こちょうほう詭弁きべんではなくレトリック無論むろん計数けいすう可能かのうな「みな」「だれも」が肯定こうていしているからといってその命題めいだいただしいかどうかはからない[ちゅう 6]

論争ろんそう手法しゅほうかんするもの

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ストローマン (Straw man)

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  • A 「わたしどもが道路どうろあそぶのは危険きけんだとおもう。」
  • B 「そうはおもわない、どもがそとあそぶのはいことだ。Aどもを一日中いちにちじゅうめておけというが、たしてそれはただしい子育こそだてなのだろうか。」

わら人形にんぎょう、わら人形にんぎょう論法ろんぽう架空かくう論法ろんぽうともいう。Aが主張しゅちょうしていないことを自分じぶん都合つごういように表現ひょうげんしなおし、さも主張しゅちょうしているかのように論破ろんぱすることでAを論破ろんぱしたかのようにせかける。燻製くんせいニシンの虚偽きょぎ (red herring)。論理ろんりせい未熟みじゅくなため相手あいて主張しゅちょう誤解ごかいしている場合ばあい誤謬ごびゅうであるが、意図いとてき歪曲わいきょくしている場合ばあい詭弁きべんとなる。議論ぎろん過熱かねつ論点ろんてんえにくくなるときやすい。社会しゃかい生活せいかつじょうよくられる。

論点ろんてんのすりかえ (Ignoratio elenchi)

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  • A「スピード違反いはん罰金ばっきんはらえというが、世間せけんてみろ。犯罪はんざいであふれかえっている。きみたち警察官けいさつかんわたしのような善良ぜんりょう納税のうぜいしゃなやませるのではなく、犯罪はんざいしゃいかけているべきだろう。」
  • B「トマス・ジェファーソンは、奴隷どれい制度せいど間違まちがいであり廃止はいしすべきだと主張しゅちょうした。しかしジェファーソン自身じしん奴隷どれい所有しょゆうしたことからあきらかなように、奴隷どれいせいそのもの間違まちがいではなかった。」

ろんじている内容ないようとはちがう話題わだい主題しゅだい)を提示ていじすることで論点ろんてんをそらすもの。論理ろんりせい未熟みじゅくなためにおちい場合ばあい誤謬ごびゅうであるが、意識いしきてきにおこなう場合ばあい詭弁きべんとなる。燻製くんせいニシンの虚偽きょぎ (red herring) とも。Bのれいではジェファーソン個人こじん言動げんどう不一致ふいっちをもって「奴隷どれい制度せいどそのもの」を話題わだいにしており「Whataboutism」「まえだって論法ろんぽう」(tu quoque) ないしは人身じんしん攻撃こうげき利用りようした論点ろんてんのすりかえである。 ただし論点ろんてんそのものが複数ふくすう存在そんざいしている場合ばあい論点ろんてんのすりかえはかならずしもりたず、その場合ばあい詭弁きべんとしては合成ごうせい分割ぶんかつ誤謬ごびゅう分類ぶんるいされる。

論点ろんてん回避かいひ (Begging the question)

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  • 喫煙きつえんしゃはいつでも禁煙きんえんできます。かれ必要ひつようなのは禁煙きんえんする能力のうりょくなのです。」

推論すいろん前提ぜんていとなる命題めいだい真偽しんぎわず結論けつろんしんとする。あるいは前提ぜんてい仮定かていいてられた結論けつろんしんとする。うえれいでは「禁煙きんえんする能力のうりょく」についてうことなく「いつでも禁煙きんえんできる(結論けつろん)」を主張しゅちょうしている。倒置とうちほうとなっているが、論理ろんり構造こうぞうは「もし禁煙きんえんする能力のうりょくがあれば、喫煙きつえんしゃはいつでも禁煙きんえんできる」である[ちゅう 7]

ふくみのある言葉ことば (loaded language)

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  • A「わたしたちは、つみなき善良ぜんりょう社会しゃかいてき弱者じゃくしゃにより一層いっそう苦痛くつう不幸ふこういるだけのB知事ちじ冷酷れいこく残酷ざんこく無慈悲むじひ恥知はじしらずな政策せいさくに、知性ちせい良識りょうしきある善人ぜんにんなら当然とうぜんそうするように反対はんたい表明ひょうめいしました。」
  • B「今般こんぱん軍事ぐんじ作戦さくせんにより、くにはかつての海外かいがい領土りょうど回復かいふくした。なんと素晴すばらしいことではないか!
  • C「現状げんじょう国難こくなん打開だかいするには大人おとな成熟せいじゅくした判断はんだん必要ひつようとされる」

これも論点ろんてん先取せんしゅ一種いっしゅで、(ききて)に話題わだい論題ろんだいへの先験的せんけんてき感情かんじょう惹起じゃっきさせようとする文章ぶんしょうう。論理ろんりせいではなく「語調ごちょう」にたよった主張しゅちょうを、loaded language(または emotionally charged words)とぶ。かならずしもれいAのように感情かんじょうてき攻撃こうげきてき侮蔑ぶべつてき形容けいよう装飾そうしょくされた文章ぶんしょうのみをすものではなく、常用じょうようもちいた文章ぶんしょうふくむ。たとえばれいBは「獲得かくとく征服せいふく」ではなく「回復かいふく」という言葉ことば獲得かくとくした領土りょうど本来ほんらい自国じこく帰属きぞくするものだったとおもわせようとしており、れいCでは「大人おとな成熟せいじゅく」という術語じゅつごもちいることで根拠こんきょなく「反対はんたいしゃ子供こどもっぽい意見いけんぬしだ」と先験的せんけんてき価値かち判断はんだん(ラベル・レッテル)をっている。このタイプの詭弁きべんは、情報じょうほう操作そうさプロパガンダ手法しゅほうとして使つかわれる[ちゅう 8]感情かんじょう価値かち判断はんだん暗黙あんもく刺激しげきするkey wordを文中ぶんちゅうにひそませ、ちりばめることで論理ろんりによらずに操作そうさする。論点ろんてん回避かいひひとつ。

多重たじゅう尋問じんもん (complex question)

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  • A「万引まんびきをしたことあきらかではないひとたいし)もう 万引まんびきはやめたの?」

ふくとい虚偽きょぎとも。『実際じっさい万引まんびきをしたことがあるひと』ではないひとにこう質問しつもんすると、多重たじゅう尋問じんもんとなる。「はい」とこたえれば、過去かこ万引まんびきをしたとみとめることになり、「いいえ」とこたえれば、現在げんざい継続けいぞくして万引まんびきをしているとみとめたことになってしまうので、万引まんびきをしたこと一切いっさいひとにとっては、どちらでこたえても不都合ふつごう結果けっかになるおそれがある。これは、この多重たじゅう尋問じんもんこれまでに かれ万引まんびきをしていたこと暗黙あんもく前提ぜんていとしているためである。 質問しつもんしゃ修辞しゅうじてきにこのような質問しつもんおこない、とく返答へんとう期待きたいしていないことがおおい。ふくそう混乱こんらんした尋問じんもんとして因果いんが関係かんけい相関そうかん関係かんけい証明しょうめいがない命題めいだい列記れっきしてそれに質問しつもんをおこなう形式けいしきがある。

  • B「政治せいじわらなければならない。C党首とうしゅぜん権力けんりょく集中しゅうちゅうさせなければならない。このままでいいんですか?」
  • D「さあ、よくこの商品しょうひんてくださいよ。もうだれもあなたがうつくしくなることをとめることは出来できない。だれができるというんですか?」 (buttering-up)

Bはだいいち命題めいだいだい命題めいだい論理ろんりじょう関連かんれんがない場合ばあいだいいち命題めいだいについて「このままではくない」と結論けつろんすることはだい命題めいだいにはなん影響えいきょうはない(だい命題めいだいたいしても同様どうよう)。Dは「(あなたが)この商品しょうひんること(をとめることはだれ出来できない)(だいいち命題めいだい)」と「あなたが(この商品しょうひんで)うつくしくなることをとめることはだれにもできない(だい命題めいだい:おべっか (buttering-up))」が錯綜さくそうした構造こうぞうになっており、これに多重たじゅう尋問じんもんおこなうことでだいいち命題めいだいだい命題めいだいとも否定ひていすることができない構造こうぞうとなっている(商品しょうひん注目ちゅうもくさせる効果こうか)。

脅迫きょうはく論証ろんしょう (ad baculum)

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  • A「だまってわたししたがないなら、ここからけ」(※「裁判所さいばんしょほうだいななじゅういちじょう法廷ほうてい秩序ちつじょ維持いじ)の規定きていしたがい、法廷ほうてい秩序ちつじょみだものは、ここからけ」 )
  • B「国境こっきょうせんはここだと主張しゅちょうしているが、そんなことはゆるさ(れ)ない国境こっきょうせんはあちらだ。」

Aの発言はつげんは、「あなたがXしないなら、わたしはYをする。ゆえあなたはXすべきである」という形式けいしき推論すいろんで、脅迫きょうはく論証ろんしょうという。前件ぜんけんかりげんてき命題めいだい後件こうけん命題めいだいは、論理ろんりてき同値どうちでもなければ包含ほうがん関係かんけいにもないので、この推論すいろん演繹えんえきにならない。Aの脅迫きょうはく論証ろんしょうは「おまえがすべきことだまってわたししたがうか、ここからくかのいずれかである。しかし、おまえだまってわたししたがわない。ゆえにおまえはここからくべきである」という論旨ろんしなので、脅迫きょうはく論証ろんしょうであると同時どうじに「あやまった二分にぶんほう」(前述ぜんじゅつ)にもなっている。

Bは「(なぜなら)○○条約じょうやくによれば〜」などと論証ろんしょうすべきところを脅迫きょうはく威嚇いかく文言もんごんえており有効ゆうこう演繹えんえき推論すいろんとなっていない。「ゆるさない」と自発じはつ助動詞じょどうし挿入そうにゅうすることで、主語しゅご主体しゅたい曖昧あいまいにすることで、あるかどうかからない根拠こんきょ暗示あんじ示唆しさする(未知みち論証ろんしょう)なり、権威けんい論証ろんしょう上述じょうじゅつ)、あるいは多数たすう論証ろんしょう(みながゆるさないといっている)なりに方法ほうほうがある。たとえば「規則きそくですから」という漠然ばくぜんとしたいまわしは、その規則きそく制定せいていした意志いし主体しゅたい曖昧あいまいにするもので、この方法ほうほう一種いっしゅといえる。制定せいていほう議会ぎかいによるものであれ主君しゅくん主権しゅけん)の命令めいれいによるものであれあるしゅ脅迫きょうはく論証ろんしょうをつねにふくんでおり、正当せいとうせい契機けいきほうげん)が重要じゅうようとなる。

連続れんぞくせい虚偽きょぎ (Continuum fallacy)

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  • A「砂山すなやまから砂粒さりゅうひとしても、砂山すなやまのままである。さらにもういちつぶしても砂山すなやまである。したがって砂山すなやまからいくら砂粒さりゅうしても砂山すなやま砂山すなやまである。」
  • B「建築けんちく契約けいやくには高額こうがく追加ついか費用ひよう発生はっせいさいには事前じぜん承認しょうにんもとめよとあるが、10まんえん高額こうがくではない。」

術語じゅつご曖昧あいまいせいからしょうじる砂山すなやまのパラドックス利用りようした弁証法べんしょうほう。ハゲのパラドックス (fallacy of the bald)、あごひげのパラドックス (fallacy of the beard) とも。Aは「砂山すなやま」の定義ていぎが、Bは「高額こうがく」の定義ていぎが、そのりょうかんして曖昧あいまいであるため詭弁きべん成立せいりつする。閑散かんさんとした食堂しょくどうを「繁盛はんじょうてん」と広告こうこくする(何人なんにんきゃくはいっていれば繁盛はんじょうべるのか不明ふめいかく)などこのたね弁論べんろん容易よういであり、社会しゃかい生活せいかつじょうしばしばられる。

隙間すきまかみ (God of the gaps)

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  • A「この現象げんしょう科学かがくでは説明せつめいできない。だからかみ仕業しわざとしかかんがえられない

未知みち論証ろんしょうひとつ。創造そうぞう科学かがくやオカルトてき主張しゅちょうでよくもちいられる論法ろんぽうである。かみ自然しぜん現象げんしょう解明かいめい部分ぶぶん隙間すきま)にんでいて、あらたな事実じじつかされ、解明かいめい部分ぶぶんっていくとかみむところもどんどんせまくなっていくという皮肉ひにくめられた呼称こしょう

ヒュームの法則ほうそく(Hume's law)

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  1. たばこうことは健康けんこうわるい。
  2. したがって、たばこをってはならない[15]

この推論すいろんでは、事実じじつ命題めいだい英語えいごばん(「XはYである」という形式けいしきぶん英語えいごばん)から規範きはん命題めいだい英語えいごばん(「XはYすべきである」という形式けいしきぶん)をみちびいている。この推論すいろんあやまりである。この推論すいろんれると、あらゆる制度せいど改革かいかく許容きょようされなくなり、合理ごうり英語えいごばんであるからである。たとえば、「人類じんるいおおくの戦争せんそう殺戮さつりくかえしてきた。だからこれからもそうするべきである」という推論すいろんれなければならなくなる。

このことをヒュームの法則ほうそく[16]またはIs-Ought問題もんだい英語えいご: is-ought problem[17]ぶ。デイヴィッド・ヒュームは『人間にんげん本性ほんしょうろん』で、倫理りんり関係かんけいのない(non-moral)前提ぜんていから倫理りんりてき結論けつろんみちびくことはできないと主張しゅちょうした[18]

自然しぜん主義しゅぎてき誤謬ごびゅう(naturalistic fallacy)

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  1. ビールをむことはこころよい(pleasant)。
  2. したがって、ビールをむことはい(good)[19]

自然しぜん主義しゅぎてき誤謬ごびゅうは、ある対象たいしょう属性ぞくせい(「自然しぜんである」「こころよい」「かみによってめいじられた」など)から、その対象たいしょうが「い」という評価ひょうか導出どうしゅつする誤謬ごびゅうである[15][19]

ジョージ・エドワード・ムーアは、倫理りんり関係かんけいのない(non-moral)述語じゅつご倫理りんりてき述語じゅつごとくに「い」)を定義ていぎすることはできないと主張しゅちょうした[20]

道徳どうとく主義しゅぎ誤謬ごびゅう(moralistic fallacy)

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  • A「人間にんげんみなまれながらに平等びょうどうであるべきだ。だから能力のうりょく遺伝いでんするという研究けんきゅう結果けっか間違まちがっている。」

規範きはんぶん前提ぜんていから記述きじゅつぶん結論けつろんみちび場合ばあいしょうじる誤謬ごびゅう道徳どうとくりつ定言的ていげんてきいのちほうにより記述きじゅつされるため、そのていげん命題めいだいしん場合ばあいられる結論けつろん倫理りんりてき強制きょうせいりょくをもつ構造こうぞうがある。Aの主張しゅちょうが「遺伝いでんかんする研究けんきゅうおこなべきではない」である場合ばあい、これは倫理りんりじょう課題かだいとして妥当だとう推論すいろんである可能かのうせいがある。しかし「研究けんきゅう結果けっか」そのものを否定ひていしている場合ばあい、その結果けっか事実じじつであったとすれば、規範きはんにより観察かんさつ事実じじつげてしまっている。この主張しゅちょうは「ひところしてはいけない。だから殺人さつじん事件じけんはおこらない(ひところされない)」と論理ろんり構造こうぞうひとしい。倫理りんりてき指針ししん主張しゅちょうすることで「危険きけん知識ちしき」の収集しゅうしゅう規制きせいしようと意図いとする場合ばあいられる。アメリカの微生物びせいぶつがくものバーナード・デイビス自然しぜん主義しゅぎ誤謬ごびゅうをもじり命名めいめいした。ought-is problem。

同情どうじょう論証ろんしょう (ad misericordiam)

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  • A「そんなふうにうもんじゃない。Bくんかわいそうだよ

Aの発言はつげんは、「XをYするのはかわいそう。ゆえXはYすべきではない」という形式けいしき推論すいろんで、これは同情どうじょう論証ろんしょうという。同時どうじに、かわいそうであるか、そうでないかという論点ろんてんへのすりかえでもある。

伝統でんとううったえる論証ろんしょう (Appeal to tradition)

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  • A「ぜいたくはだめだよ。むかしから節約せつやく美徳びとくとされていたからね」

Aの発言はつげんは、「過去かこから使つかわれている意見いけんただしい」という形式けいしき推論すいろん不測ふそく事態じたい発生はっせいふせぐという先例せんれい主義しゅぎというかんがかたもあるが、「過去かこにその意見いけんただしいから採用さいようされたのか」「関係かんけいする状況じょうきょう現在げんざい過去かこわっていないか」のてん立証りっしょうされないと根拠こんきょにはならない。

あたらしさにうったえる論証ろんしょう (Appeal to novelty)

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  • A「そのやりかたもうふるいよ。最新さいしん方法ほうほう使つかうべきだ

伝統でんとううったえる論証ろんしょうとはぎゃくに、過去かこ現在げんざいでは状況じょうきょうわっているとすることを前提ぜんていにした推論すいろん科学かがく発展はってん流行りゅうこう推移すいい社会しゃかい事情じじょう変化へんかなどで説得せっとくりょくたせようとしているが、あたらしいだけでは根拠こんきょにはならない。

詭弁きべんとパラドックス

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詭弁きべんたものにパラドックスがある。パラドックスは詭弁きべんくらべて、より正確せいかく厳密げんみつ推論すいろんすすめることに特徴とくちょうがある。パラドックスのれいとしては、ゼノンのパラドックスのように論理ろんり展開てんかいただしいようにえて結論けつろんあやまっているものや、双子ふたごのパラドックス誕生たんじょうのパラドックスのように結論けつろんあやまっているようにえるがただしいもの、自己じこ言及げんきゅうのパラドックスのように矛盾むじゅん関連かんれんしたものなどがある。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 韓非子かんぴしそともうかせつにこれにもとづく説話せつわがある
  2. ^ しお」は福音ふくいんしょ一節いっせつ
  3. ^ つまり、暴力ぼうりょくきなおとこ存在そんざいする(あるおとこ暴力ぼうりょくてきである)という個別こべつ事実じじつから、暴力ぼうりょくきでないおとこ存在そんざいするはずがない(すべてのおとこ暴力ぼうりょくてきである)というぜんしょう判断はんだん断定だんてい)をしており、あやまりをおかしていることになる。
  4. ^ ぎゃくに「Bさんはエビフライとトンカツとカレーライスが大好だいすきだ。だからエビフライとトンカツをカレーライスにせたものもよろこんでべるにちがいない」といった推論すいろんがつねににせであるとすることもできない。合成ごうせい誤謬ごびゅう典型てんけいてきれいについてはコモンズの悲劇ひげき参照さんしょう
  5. ^ ちなみに、この論証ろんしょうは、「あなたはサムライでありたいならば、あなたもかたなをもつべきだ。なぜならば、すべてのサムライがかたなをもっているからだ」という論法ろんぽう同型どうけいである。かりにこの論法ろんぽうみとめたとしても、これまでのすべてのサムライがかたなをもっていたことが、これからのサムライがかたなをもつべき理由りゆうとはならないため、やはり自然しぜん主義しゅぎ誤謬ごびゅうおかしていることになる。
  6. ^ またレトリックとして場合ばあい、Aの発言はつげんは、「これからみながそうしてほしい」という発言はつげんしゃ願望がんぼう表現ひょうげんしている可能かのうせいもある。
  7. ^ なお、「できる」「能力のうりょく」というかたり自体じたいが、後述こうじゅつされるふくみのある言葉ことば該当がいとうする。(たとえばろう人力じんりきなど)
  8. ^ そのにもたとえば一時いちじてきげられていた課税かぜいりつげることを「減税げんぜい」とぶ、臨時りんじ減税げんぜい措置そち解除かいじょすることを「増税ぞうぜい」とぶような場合ばあい、あるいは販売はんばい予定よてい価格かかくしたがく最初さいしょ提示ていじし「今日きょう特別とくべつ値引ねびきします」などと提案ていあんする場合ばあい、それぞれ「減税げんぜい」「増税ぞうぜい」「値引ねびき」などがloaded languageである。

出典しゅってん

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  1. ^ ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてんしょう項目こうもく事典じてん
  2. ^ 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせん
  3. ^ a b オープンアクセス平凡社へいぼんしゃ へんだい辞典じてんなな平凡社へいぼんしゃだい辞典じてん〉、1936ねん、620ぺーじNDLJP:1873360/316 
  4. ^ 新村しんむらいずる へん広辞苑こうじえん』(だいななはん岩波書店いわなみしょてん 
  5. ^ 研究けんきゅうしゃしん英和えいわちゅう辞典じてん"sophism"
  6. ^ Eゲイト英和えいわ辞典じてん"sophism"
  7. ^ オープンアクセス国民こくみん文庫ぶんこ刊行かんこうかい へんくにやく史記しき列伝れつでん 上巻じょうかん こごめげん賈生列伝れつでんだいじゅうよん」『くにやく漢文かんぶん大成たいせい 経子けいこ だい15かん上巻じょうかん箭内やないわたる訳註やくちゅう(4はん)、国民こくみん文庫ぶんこ刊行かんこうかいくにやく漢文かんぶん大成たいせい〉、1924ねん、373ぺーじNDLJP:926465/191。「【よん○】詭弁きべん詐術さじゅつ。」 
  8. ^ オープンアクセス司馬しばむねだいじゅうきゅう」『史記しき だい3いたり5』 だい12〔3〕、有朋ありともどう漢文かんぶん叢書そうしょ〉、1927ねん、555ぺーじNDLJP:1118527/282 
  9. ^ 野崎のさき昭弘あきひろ 1976, p. 62.
  10. ^ 野崎のさき昭弘あきひろ 1976, p. 58.
  11. ^ 野崎のさき昭弘あきひろ 1976, p. 60.
  12. ^ 野崎のさき昭弘あきひろ 1976, p. 61.
  13. ^ 石谷いしがや しげる『∀と∃にく』現代げんだい数学すうがくしゃISBN 978-4-7687-0365-6 対偶たいぐう漫談まんだん」のしょう参照さんしょう
  14. ^ 野崎のさき詭弁きべんろん理学りがく』(2007ねん[出典しゅってん無効むこう]より引用いんよう
  15. ^ a b Ethics Explainer: Naturalistic Fallacy” (英語えいご). The Ehics Centre (2016ねん3がつ15にち). 2022ねん12月7にち閲覧えつらん
  16. ^ David Hume” (英語えいご). Stanford Encyclopedia of Philosophy. 2022ねん12月7にち閲覧えつらん
  17. ^ あいまつ慎也しんや. “ヒュームの道徳どうとく哲学てつがく規範きはん”. 東京大学とうきょうだいがく. 2022ねん12月7にち閲覧えつらん
  18. ^ Pigden 2018, p. 73.
  19. ^ a b Moral Non-Naturalism”. Stanford Encyclopedia of Philosophy. 2022ねん12月7にち閲覧えつらん
  20. ^ Pigden 2018, p. 74.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 小野田おのだ博一ひろかず正論せいろんなのに説得せっとくりょくのないひと ムチャクチャでも絶対ぜったい議論ぎろんひと-正々堂々せいせいどうどう詭弁きべんじゅつ日本にっぽん実業じつぎょう出版しゅっぱんしゃ、2004ねんISBN 9784534038128 
  • 野崎のさき昭弘あきひろ詭弁きべんろん理学りがく中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉、1976ねんISBN 9784121004482 
  • 三浦みうら俊彦としひこ論理ろんりがくがわかる事典じてん日本にっぽん実業じつぎょう出版しゅっぱんしゃ、2004ねんISBN 9784534037107 
  • Pigden, Charles (2018). “No-Ought-From-Is, the Naturalistic Fallacy, and the Fact/Value Distinction: The History of a Mistake” (英語えいご). The Naturalistic Fallacy (Cambridge University Press): 73-95. doi:10.1017/9781316717578.006. 

文献ぶんけん情報じょうほう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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