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干渉かんしょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

干渉かんしょう(かかんしょう)は、ある対象たいしょうたいし、必要ひつよう以上いじょう干渉かんしょうすること[1]ほんこうでは保護ほごしゃ保護ほごしゃあいだ」での干渉かんしょうについて記述きじゅつする。

概要がいよう

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干渉かんしょう虐待ぎゃくたい一種いっしゅであり「保護ほごしゃ一人ひとり主体しゅたいてき人間にんげんとしてみとめず、その子供こども意思いし思考しこう自我じが発達はったつ自主じしゅせいなどを否定ひていして、おやのぞ能力のうりょく思考しこう子供こどもそだてること」である。一方いっぽう保護ほごは、「子供こども意思いし尊重そんちょうされすぎ過剰かじょう欲求よっきゅうたそうとしたり、保護ほごしゃ自身じしん責任せきにんのある状況じょうきょう責任せきにん肩代かたがわりしぎてしまうこと」である。よく混同こんどうされるが、双方そうほう一致いっちするのは“教育きょういくじょう問題もんだい”というてんのみで内容ないようまったくの別物べつものである。

干渉かんしょうするおやは、子供こども早期そうき教育きょういくをさせて、子供こども能力のうりょく向上こうじょうのことばかりかんがえてる一方いっぽう自己じこ確立かくりつ将来しょうらい自立じりつのために必須ひっすである自己じこ主張しゅちょう感情かんじょう表現ひょうげん思春期ししゅんきにおける異性いせい恋愛れんあいへの興味きょうみ接触せっしょく社会しゃかい勉強べんきょう保護ほごしゃ世代せだい文化ぶんか娯楽ごらく一方いっぽうてき批判ひはん禁止きんしする。趣味しゅみ興味きょうみ対象たいしょう進学校しんがくこうへの進学しんがく知的ちてき労働ろうどう中心ちゅうしん職業しょくぎょうへの就職しゅうしょく強制きょうせいさせるとう対象たいしょうしゃ思考しこう否定ひてい禁止きんしして、自分じぶん価値かちかん無理むりやりけたり、「しつけ」や「おや監督かんとく責任せきにん」として対象たいしょうしゃ行動こうどうひからせ、対象たいしょうしゃのプライバシーをあばいて叱責しっせきしたり、暴力ぼうりょくるう。

後述こうじゅつするように、思春期ししゅんき反抗はんこうなど自我じが発達はったつする段階だんかいでは、しばしば他者たしゃとく両親りょうしん教師きょうしからの)の干渉かんしょう不快ふかいかんをおぼえる傾向けいこうおおく、保護ほごしゃ自分じぶん子供こどもたいして監督かんとく責任せきにんがあり、保護ほごしゃ行動こうどう社会しゃかいてきにみて不適切ふてきせつ場合ばあいは、これを調しらべて行動こうどうはばこと家庭かてい教育きょういく範疇はんちゅうでは当然とうぜん行為こういであるが、干渉かんしょうという場合ばあいには、社会しゃかい通念つうねんうえ容認ようにんできる範疇はんちゅう逸脱いつだつして、または『監督かんとく責任せきにん』の意味いみあいをちがえて子供こども思考しこう行動こうどう全般ぜんぱんにわたって屈服くっぷくさせようとしトラブルをこしたり、他者たしゃ迷惑めいわくけるひとし本来ほんらいしかるべき場面ばめんでも興味きょうみがなければほとんしからないとあまりにもかたよった傾向けいこうかいされる。

構造こうぞう

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干渉かんしょうするおやたちは「対象たいしょうしゃ心配しんぱいし、しあわせになることをのぞんだ愛情あいじょうからのしつけ」であるとしたがるが、実際じっさいには対象たいしょうしゃひとつの人格じんかくった人間にんげんであることみとめることができず、「対象たいしょうしゃおや所有しょゆうぶつである」といった観点かんてんみずからの価値かちかんこのみ、思考しこう一方いっぽうてきけて支配しはいきたがるおやエゴされており、「能力のうりょくたかそだてて他者たしゃ自慢じまんをしたい」という根本こんぽんほとんどである。

はしてきえば、親子おやこかんがかた相違そういおよ価値かちかんなどにたいする境界きょうかいせんがない。また、常套句じょうとうくとして「ことかないならけ」とおど[ちゅう 1]場合ばあいがある。これは生存せいぞんけん担保たんぽにした強要きょうよう行為こういで、自分じぶんおな対等たいとう人間にんげんであるといった感情かんじょうそのものが欠落けつらくしているどくおや典型てんけいてきれいである。

ひととしての尊厳そんげんはなく"おや判断はんだん絶対ぜったいでありさからうことゆるさない"といった独善どくぜんかつ独裁どくさいてき環境かんきょうなか子供こどもがやりたいことではなく、すくなくとも成人せいじんするまではじゅくならごとエリート教育きょういくひとしおやがさせたいこと有無うむわさず強制きょうせいさせて自分じぶん子供こども高学歴こうがくれきあるいは必要ひつよう以上いじょう優秀ゆうしゅう人間にんげんそだてようとする( 子供こどもそとあそびの機会きかい減少げんしょうによる運動うんどう不足ふそく都会とかい深刻しんこくし、「体育たいいく家庭かてい教師きょうし」をつけるおやも )。 また、おや条件じょうけん(命令めいれい)をたす能力のうりょく意思いし相手あいてになかった場合ばあい、それを容認ようにんすることができず執拗しつよう暴言ぼうげん(恫喝どうかつ)や暴力ぼうりょくいつめ、子供こども萎縮いしゅくさせてしまうことがある。子供こども愛情あいじょうあたえなかったり衣食住いしょくじゅう提供ていきょうしなかったりかさないなどの折檻せっかんを"しつけ"としょうしておのれ勝手かって裁量さいりょうおこない、社会しゃかいそのものをあまている傾向けいこうもある。たいする監督かんとく責任せきにん意味いみちがえ、実際じっさいには監督かんとくではなくかんしていることがついておらず精神せいしんてきんでいく。 出来できのいい兄弟きょうだい友達ともだち恋人こいびとくらべてののしったり、ぎゃく出来できわる兄弟きょうだい友達ともだち恋人こいびとくらべて反面はんめん教師きょうしにして見下みくだすのが常態じょうたいし、さらにはまったかかわっていない他人たにん比較ひかくしようとする。

なん抵抗ていこう出来でき[ちゅう 2]つね我慢がまん余儀よぎなくされる子供こどもはやがていかりやかなしみだけでなくよろこびの感情かんじょうまでころしておや顔色かおいろうかがい”ことくいい”をえんじるようになり、我慢がまん爆発ばくはつするまで(にはすうじゅうねん以上いじょうも)しのび、アダルトチルドレンとなるひと自立じりつ出来でき長期ちょうきてきな「ひきこもり」(精神せいしん疾患しっかん発症はっしょうしている場合ばあいもある)で親子おやこ高齢こうれいすすみ「8050問題もんだい」が社会しゃかい問題もんだいとなっている。

夫婦ふうふ不仲ふなかなどの日々ひび不満ふまんさばぐちとして、対象たいしょうしゃきと幼児ようじ思春期ししゅんき青春せいしゅん時代じだいごし人生じんせい謳歌おうかすることにたいして嫉妬しっといかりをいだき、「対象たいしょうしゃそと世界せかいひと恋愛れんあいとう興味きょうみおや支配しはいからはなれるのをゆるさない」「抑圧よくあつして自分じぶんよりもよわ立場たちば人間にんげん家族かぞくないつくしてきたい」「永遠えいえん支配しはいいて将来しょうらい介護かいご要員よういんとしていえしばけておきたい」といった非常ひじょう屈折くっせつした心理しんり見出みいだされることもある。

干渉かんしょう問題もんだいでは、対象たいしょうしゃおやから条件じょうけんづけ愛情あいじょうしかあたえられず、保護ほごしゃによっては「しつけ一環いっかん」として対象たいしょうしゃ交遊こうゆう関係かんけいにまで強引ごういん介入かいにゅう干渉かんしょう)しようとすることもあるため、対象たいしょうしゃは、おや逐一ちくいち批判ひはん干渉かんしょうわずらわしく、ストレスや罪悪ざいあくかんおぼ過大かだいなエネルギーを消耗しょうもうするため、対人たいじん関係かんけいそのものをおっくうにおもうようにもなる。

また、幼児ようじから勉強べんきょう運動うんどうができる一方いっぽう常識じょうしきつけいておらず、自我じがせるごとに批判ひはん抑圧よくあつされてばかりいるため、自己じこ肯定こうていかんひくくなったり、自発じはつてき行動こうどう恐怖きょうふかんいたり、他者たしゃ対等たいとうせっすること自己じこ主張しゅちょう感情かんじょう表現ひょうげんおそれや罪悪ざいあくかんってつね遠慮えんりょするといった人間にんげん成長せいちょうするので、周囲しゅういから孤立こりつするようになり、それにくわえて学業がくぎょうスポーツにおいても好成績こうせいせきおさめている秀才しゅうさいため他者たしゃから嫉妬しっとをされたり、イジメ対象たいしょうにもされやすくなる。ただし武術ぶじゅつ格闘技かくとうぎとく空手からてボクシングおおい)もならい、精通せいつうしている子供こどもがかなりおおく、イジメが暴力ぼうりょくである場合ばあい他者たしゃかえちにしてしまうこともある。

問題もんだいてん

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対象たいしょうしゃほとんどは偏差へんさたか大学だいがく進学しんがくし、弁護士べんごし検事けんじひとしのような世間せけん羨望せんぼうされる職業しょくぎょうく。ほかにも幼少ようしょうからスポーツをならい、身体しんたいきたえることを強要きょうようさせられていたパターンがおおいのかプロボクサーひとし格闘かくとうとして活躍かつやくしたり、豊富ほうふ知識ちしきかして学者がくしゃ医師いしった職業しょくぎょうものおおい。 反面はんめん保護ほごしゃとの支配しはいてき関係かんけい過度かど長期ちょうきおよび、批判ひはん抑圧よくあつばかりされてきて、知力ちりょく体力たいりょくしかやしなわれていないことから、まず自分じぶん自身じしんによって行動こうどう計画けいかくてられなくなる。自己じこ肯定こうていかんひくいために、自分じぶん人並ひとなみのしあわせや快楽かいらくのぞことにすら罪悪ざいあくかんってしまったり、興味きょうみうしなってしまっていたりし、自身じしん人生じんせい設計せっけいてられなくなり、人生じんせいまらざるをえなくなる。

成長せいちょう過程かていにおいて弱肉強食じゃくにくきょうしょく信条しんじょうし、つね他人たにんになり「失敗しっぱい = はじ」ととらえて自主じしゅてき行動こうどう異常いじょうなほどおそれるようになってしまったり、なにかするにしても完璧かんぺき主義しゅぎになりがちでつね神経しんけいめている状態じょうたいため心身しんしんともに疲労ひろう困憊こんぱい日常にちじょうつづく。やがてしんにはふかやみまれ、将来しょうらいてきには疑惑ぎわくへきなどの強迫きょうはくせい障害しょうがい大人おとなへと成長せいちょうすることもある。

また、自我じが形成けいせいされていく段階だんかいにおいて、どう世代せだい人間にんげんとの交遊こうゆう恋愛れんあいといった経験けいけんからコミュニケーション能力のうりょく社会しゃかいせい対人たいじん関係かんけい構築こうちくじゅつなどをまな機会きかいのないまま大人おとなになってしまったりするため成人せいじんしても社会しゃかい順応じゅんのうすること出来できず、社会しゃかいからのこされやすく、スポーツ業界ぎょうかいにも干渉かんしょうそだったものはかなりおおく、実力じつりょくこそきわめてたかく、個人こじん競技きょうぎとうであればすぐれた成果せいかしやすいが野球やきゅうサッカーバスケひとし集団しゅうだん競技きょうぎではのひととのかかわりも重要じゅうようなのでコミュニケーションがとれずにそれにくわえて複数ふくすうのスポーツをしていた影響えいきょうオールラウンダーではあるがひとつのスポーツにとくしているわけではないので挫折ざせつする選手せんしゅこうたない。

干渉かんしょう行為こうい傍目はためには「自分じぶんではなにめられない秀才しゅうさいと、そんな子供こども見捨みすてずに献身けんしんするおや」という構図こうずうつりがちなため、対象たいしょうしゃ人物じんぶつ評価ひょうかにもいちじるしい悪影響あくえいきょうおよぼし、幼少ようしょうからやしなわれた学力がくりょくきたえられた運動うんどう機能きのう社会しゃかいかすことができなくなる。

保護ほごしゃがわ自分じぶんたちおこなっていること正義せいぎだとしんじてうたがわず、人権じんけん侵害しんがいしていることなど微塵みじんかんじていない場合ばあいがある。 結果けっか堂々どうどう虐待ぎゃくたいをしていることづかず、がわもそれがあたかも"当然とうぜん"であるかのごとく長期ちょうきにわたり洗脳せんのうされるので発見はっけんおくれてづいたときには悪徳あくとく商法しょうほうひとし詐欺さぎおこなって他者たしゃだます、殺人さつじんといった犯罪はんざいめるひとしすで社会しゃかい復帰ふっきには程遠ほどとおくなることがある。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ そのさい児童じどう養護ようご施設しせつ存在そんざい制度せいどおしえることはまずない。法的ほうてきには親権しんけんしゃ養育よういく義務ぎむ放棄ほうきする場合ばあい家庭かてい裁判所さいばんしょ審議しんぎ不可欠ふかけつである。
  2. ^ そもそも「抵抗ていこう」するじゅつおしえられていない。

出典しゅってん

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  1. ^ 干渉かんしょう(カカンショウ)とは”. コトバンクデジタル大辞泉だいじせん. 小学館しょうがくかん (2013ねん6がつ). 2015ねん8がつ9にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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