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無知むちうったえる論証ろんしょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

無知むちうったえる論証ろんしょう(むちにうったえるろんしょう、: argumentum ad ignorantiam[1])または無知むちもとづいた論証ろんしょうえい: argument from ignorance)とは、前提ぜんていがこれまでにせ証明しょうめいされていないことを根拠こんきょしんであることを主張しゅちょうする、あるいは前提ぜんていしん証明しょうめいされていないことを根拠こんきょにせであることを主張しゅちょうする誤謬ごびゅうである。ほかにも英語えいごでは、argument by lack of imaginationappeal to ignorancenegative evidence消極しょうきょくてき証拠しょうこ)などともいう。

個人こじんてき懐疑かいぎもとづいた論証ろんしょうargument from personal incredulity)は、ある前提ぜんていを「個人こじんてきに」疑問ぎもんかんじたことを理由りゆうとしてその前提ぜんていにせであると表明ひょうめいすること、あるいはぎゃくにある前提ぜんていこのましいとかんじたことを理由りゆうとしてしんであると表明ひょうめいすることをいう。

いずれの論証ろんしょうつぎのような構造こうぞう共有きょうゆうする。すなわち、ある見方みかた証拠しょうこがないことを理由りゆうとして、べつ見方みかたしんであることの証拠しょうことする。ほん項目こうもく解説かいせつする誤謬ごびゅう背理法はいりほうとはことなることに注意ちゅうい必要ひつようである。背理法はいりほうは、前提ぜんていにせであることを証明しょうめいするために「Aであり、かつAでない」という形式けいしき妥当だとう論理ろんりてき矛盾むじゅんみちびすものである。

概要がいよう

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無知むちもとづいた論証ろんしょう」や「個人こじんてき懐疑かいぎもとづいた論証ろんしょう」では、話者わしゃはある事柄ことがらにせまたはしんじがたい、あるいは「個人こじんてきに」明白めいはくとはえないとかんじ、そのような知識ちしき隙間すきまを「証拠しょうこ」として自身じしん選択せんたくしたべつ見方みかたこのましいとする。このような誤謬ごびゅうれいつぎのようなしの文章ぶんしょうによくられる。すなわち、"It is hard to see how...,"(どのように……となるかを理解りかいするのはむずかしいが、……)、"I cannot understand how...,"(わたしにはどうして……なのかは理解りかいできないが、……)、"it is obvious that..."(……はあきらかである。「あきらか」という言葉ことば前提ぜんていではなく結論けつろんにかかっている場合ばあい)。

無知むちもとづいた論証ろんしょう

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無知むちもとづいた論証ろんしょう典型てんけいてきな2つの形式けいしきはどちらも誤謬ごびゅうであり、つぎの2つに還元かんげんできる。

  • あることいまのところ説明せつめいされていないか、あるいは理解りかい説明せつめい十分じゅうぶんではない。したがって、それはしんではない(にちがいない)。
  • この仮説かせつには証拠しょうこ欠如けつじょしているので、もう一方いっぽう仮説かせつ証明しょうめいされたとなせる。

個人こじんてき懐疑かいぎもとづいた論証ろんしょう

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個人こじんてき懐疑かいぎもとづいた論証ろんしょうにはつぎのような2つの典型てんけいてき形式けいしきがある。

  • 「そんなことが可能かのうとはしんじられない。だからしんではないにちがいない」(この人物じんぶつは、ある命題めいだいしんであると納得なっとくできないから、あるいは自身じしんこのましいとおも観点かんてん支持しじしない証拠しょうこしんじられないから、その命題めいだい間違まちがっていると主張しゅちょうしている)
  • 人々ひとびとはそんなことをっていない。わたしったことに同意どういしているのだ」(この人物じんぶつは、「一般いっぱん大衆たいしゅう」が自身じしんかんがえに同意どういしていて、べつかんがえの根拠こんきょあたえているのではないから、その命題めいだい不正ふせいかくだと主張しゅちょうしている)これは衆人しゅうじんうったえる論証ろんしょうでもある。

個人こじんてき懐疑かいぎもとづいた論証ろんしょう無知むちもとづいた論証ろんしょうおなじとなるのは、あるシナリオが不可能ふかのうだという個人こじんてき信念しんねんだけを証拠しょうことして、べつのシナリオがしんであると主張しゅちょうする場合ばあいである(すなわち、そのべつのシナリオにはとく根拠こんきょはない)。

きわめて一般いっぱんてきに、個人こじんてき懐疑かいぎもとづく論証ろんしょうには、このましい結論けつろんへと意見いけんみちびなんらかの証拠しょうこともなう。この場合ばあいでも、その証拠しょうこ個人こじんてき懐疑かいぎもとづく度合どあいによっては論理ろんりてき誤謬ごびゅうとなる。その場合ばあいこのましい結論けつろんへと誘導ゆうどうするような個人こじんてきバイアスがかかっていることがかんがえられる。

消極しょうきょくてき証拠しょうこ

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関連かんれんする概念がいねんとして消極しょうきょくてき証拠しょうこ (negative evidence) がある。生物せいぶつ言語げんご分類ぶんるいする分岐ぶんきがくではこれが一般いっぱん問題もんだいとなる。ある集団しゅうだんの2つのメンバーが特徴とくちょう共有きょうゆうしていて、もう1つにはその特徴とくちょうがない場合ばあい前者ぜんしゃ2つが下位かい集団しゅうだん形成けいせいし、のこる1つはその集団しゅうだんから除外じょがいされるとする。しかし、前者ぜんしゃ2つの特徴とくちょうあらたに獲得かくとくされたものだという証拠しょうこがなければ、3つめが祖先そせん特徴とくちょううしなったというかんがかた否定ひていできず、特徴とくちょう有無うむだけでそのような分類ぶんるいをすることはできない。2つのかんがかた図示ずしすると以下いかのようになる。

共通きょうつう起源きげん
特徴とくちょう獲得かくとく

A

B

C

共通きょうつう起源きげん

A

B

 特徴とくちょう喪失そうしつ 

C

たとえば、南中なんちゅうこくから東南とうなんアジアに分布ぶんぷするタイ・カダイ語族ごぞく分類ぶんるいでは、Tai、Kra、Kam–Sui、Hlai という4つの明確めいかく分岐ぶんきがある(ここでははなし単純たんじゅんするために意図いとてきに Be をのぞいてある)。従来じゅうらい、Kam-Sui と Tai は語彙ごいおおくが共通きょうつうするということでどう系統けいとう分類ぶんるいされてきた。この語彙ごい語族ごぞくなかでこれらをたん系統けいとうぐんとする派生はせい形質けいしつかどうかは議論ぎろんされてきた。しかし、これは分岐ぶんきにその語彙ごいがないという「消極しょうきょくてき証拠しょうこ」であり、元々もともとはタイ・カダイ語族ごぞく共通きょうつう語彙ごいであって、Kra と Hlai でそれがうしなわれたという可能かのうせいもある。実際じっさい形態けいたいがくてき証拠しょうこからは Tai は Hlai にちかく、Kam-Sui は Kra にちかいことがしめされており、語彙ごい消極しょうきょくてき証拠しょうことはことなっている。

最近さいきんではあまり使つかわれないひょうがた分類ぶんるいがくはこのたねあやまりにおちいりやすい。分岐ぶんきがくとはことなり、特徴とくちょう進化しんかてき歴史れきし評価ひょうかすることで関係かんけい決定けっていし、祖先そせん形質けいしつ子孫しそん形質けいしつ同一どういつあつかわれる。したがって、ひょうがた分類ぶんるいがく仮説かせつ証拠しょうこりょうにのみたよっている。タイ・カダイ語族ごぞく分岐ぶんきがくてき分析ぶんせきでは、(量的りょうてきにはすくない)形態けいたいがくてきつよ証拠しょうこ使つかい、りょう豊富ほうふ語彙ごいてき証拠しょうこ祖先そせん形質けいしつ保持ほじによるものだとあきらかにできる。一方いっぽうひょうがた分類ぶんるいがくてき分析ぶんせきでは、語彙ごいてき証拠しょうこりょう圧倒あっとうされる。

証明しょうめい責任せきにん

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無知むちうったえる論証ろんしょう重要じゅうよう観点かんてんの1つとして、証明しょうめい責任せきにん確立かくりつがある。これについては法律ほうりつふしろんじるが、証明しょうめい責任せきにん確立かくりつ法律ほうりつ以外いがい分野ぶんやでも重要じゅうようである。あらゆる論理ろんり仮定かてい公理こうりてきぶん公理こうり参照さんしょう)にもとづいている。そして仮定かてい証明しょうめい不能ふのうであり、つねしんなされる。

帰納的きのうてき用法ようほう

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帰納きのうてき用法ようほうとは、仮説かせつ原則げんそく科学かがく理論りろん普遍ふへんそくをよりひろ一般いっぱんすべく論証ろんしょう拡張かくちょうすることである。無知むちうったえる論証ろんしょうをそのような帰納きのうてき用法ようほう使つかうことは誤謬ごびゅうなされることがおおい。とく学術がくじゅつ論文ろんぶんではその傾向けいこうつよく、前提ぜんてい経験けいけん主義しゅぎてき基盤きばんには厳密げんみつさが要求ようきゅうされる。

しかし、存在そんざい推測すいそくされる肯定こうていてき証拠しょうこがあり、公平こうへい注意深ちゅういぶか調査ちょうさによってもその証拠しょうこつからない場合ばあい、そのような証拠しょうこ存在そんざいしないと推測すいそくすることが適切てきせつ場合ばあいもある(ただし、これは演繹えんえきてき証明しょうめいではなく、帰納きのうてき示唆しさである)。あるいは、たとえば「そらあおい」というような人々ひとびと合意ごういすると推測すいそくすることが妥当だとう前提ぜんていなら、それをサポートする証拠しょうこ提示ていじする必要ひつようはないと判断はんだんすることもある。ただし、このようなかんがかた認識にんしきろん基礎きそ主義しゅぎともからい、いま議論ぎろんまととなっている。

解説かいせつ

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Irving Copiつぎのようにいている。

無知むちうったえる論証ろんしょうは、前提ぜんていにせ証明しょうめいされていないことだけにもとづいてそれをしん主張しゅちょうする、あるいはしん証明しょうめいされていないことにもとづいてにせ主張しゅちょうするものである」

さらに、つぎのようにくわえている。

「このてん制限せいげんもうけるべきである。状況じょうきょうによっては、ある事象じしょうきたのなら、その証拠しょうこ適当てきとう調査ちょうさしゃ発見はっけんできることは安全あんぜん仮定かていできる。そのような状況じょうきょうでは、調査ちょうさしても事象じしょう発生はっせい証明しょうめいできないなら、それを発生はっせいしなかったことの肯定こうていてき証拠しょうことすることは完全かんぜん正当せいとうである」(Copi 1953)

これにさらだい3の場合ばあい話者わしゃぎゃく場合ばあい想定そうていできないことを理由りゆうとしてそれをしんまたはにせとする論証ろんしょう追加ついかすることができる。このような「想像そうぞうりょく欠如けつじょによる論証ろんしょう」は、「(わたしには想像そうぞうできないので)Yは不合理ふごうりだ。したがって、真実しんじつではないにちがいない」とか、「どうして……となるのかはむずかしい(わたしには想像そうぞうできない)」といった形式けいしき表現ひょうげんされ、しばしば論理ろんりてき妥当だとう論証ろんしょうである背理法はいりほう混同こんどうされる。背理法はいりほうは、「Xから論理ろんりてき証明しょうめい不可能ふかのうな(不合理ふごうりな)結論けつろんみちびかれる。したがってXはにせちがいない」という形式けいしきである。背理法はいりほうではXをれると矛盾むじゅんしょうじることをしめ必要ひつようがある(たとえば、「Xではない」とかべつ命題めいだいYについて「Yであり、かつYでない」など)。無知むちもとづいた論証ろんしょうでは、話者わしゃは「XであればYではない」と主張しゅちょうし、Yがさなだと(証明しょうめいできないが)しんじているのであって、矛盾むじゅん証明しょうめいされているわけではない。

Copi の主張しゅちょうは、この「XであればYではない」の Y の条件じょうけんかんするもので、Yがただしいとする話者わしゃかくりつてき評価ひょうかにはなんらかのおもみがある場合ばあいもあるというものである。たとえば、命題めいだいXは「このおとこった」で、命題めいだいYが「銃弾じゅうだん現場げんば存在そんざいしない」だとすると、Yを主張しゅちょうするひと資格しかく考慮こうりょされてしかるべきである。死体したい調しらべた検死けんしかんにはこのような結論けつろんべる資格しかくがあるとおもわれるが、たんなる証人しょうにんにはおそらく資格しかくはない。

個人こじんてき懐疑かいぎもとづく論証ろんしょうもよくており、「わたしはXをしんじる/理解りかいすることができないので、それはにせちがいない」という形式けいしきである。

英国えいこく国教こっきょうかい主教しゅきょう Hugh Montefiore は著書ちょしょ Probability of Godなかで、ダーウィンの進化しんかろんへのうたがいをつぎのようなぶん表明ひょうめいした。

ホッキョクグマ北極圏ほっきょくけん食物しょくもつ連鎖れんさ頂点ちょうてんにいるなら、カモフラージュのためにしろ毛皮けがわ進化しんかする必要ひつようはないようにおもわれる」

これにたいして、リチャード・ドーキンス著書ちょしょ『ブラインド・ウォッチメイカー-自然しぜん淘汰とうた偶然ぐうぜんか?』のなかで、くろいホッキョクグマが北極圏ほっきょくけんしろ風景ふうけいなかでアザラシにしのよう想像そうぞうしてみれば、なぜしろ毛皮けがわ進化しんかしたかがかるだろうといている。この場合ばあい無知むちは、まもるためのカモフラージュ以外いがい目的もくてきかんがえなかったことである。

法律ほうりつ

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ローマほう起源きげん刑事けいじほう体系たいけいでは無罪むざい推定すいてい原則げんそく概念がいねんがあり[2]告発こくはつしたがわ被告ひこく犯罪はんざいおかしたことを証明しょうめいする責任せきにんっている。論理ろんりにおいては無罪むざい証拠しょうこがないことを有罪ゆうざい証拠しょうこ推定すいていすることは論理ろんりてき誤謬ごびゅうである(未知みち論証ろんしょう)。しかし論理ろんりじょうでは、同様どうよう有罪ゆうざい証拠しょうこがないことをもって無実むじつ証拠しょうことすることもできない(未知みち論証ろんしょう)。刑事けいじ法廷ほうていでは裁判さいばん回避かいひするわけにはいかず、判決はんけつさなければならない。そこで有罪ゆうざい立証りっしょうするための(ないしは無罪むざい立証りっしょうするための)適正てきせい証拠しょうこ必要ひつようとされ、そのさい発生はっせいする当事とうじしゃ一方いっぽう検察けんさつがわ)の不利益ふりえき立証りっしょう責任せきにんである。このさいいずれの立証りっしょうにも信頼しんらいできるてんがない場合ばあい教義きょうぎが「無罪むざい推定すいてい原則げんそく」となる。

法廷ほうていでは無罪むざい判決はんけつされた場合ばあいでも、論理ろんりじょうでは無罪むざいかどうかはあきらかではない。そのため、西洋せいようでは有罪ゆうざいでない場合ばあいに "innocent" とはわず "not guilty" とう。スコットランドでは、陪審ばいしんいん評決ひょうけつで "not proven" とする場合ばあいもある。

たとえば、つぎのような主張しゅちょうかんがえてみよう。

  • わたしには、PさんがYという犯罪はんざいおかさずにXという行為こういおこなった方法ほうほう想像そうぞうできない(scenarioA)。だから、PさんはYという犯罪はんざいおかしているにちがいない(scenarioB)。

たんに A というシナリオが実際じっさいきたと想像そうぞうできないからといって、そのひとかんがえるシナリオ B がただしいとはかぎらない。このれいひとは、たんのシナリオを想像そうぞうすることができないという理由りゆうで、とく証拠しょうこもないのに結論けつろんびついている。

おな論理ろんり民事みんじほうにも適用てきようできるが、証明しょうめい責任せきにんのありかたことなる。

科学かがく

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説明せつめいできない現象げんしょう存在そんざいすることは、科学かがく理論りろんすべてを説明せつめい予測よそくできるようなモデルを提供ていきょうしていないことを意味いみする。たとえば、ひかり波動はどうとらえるとひかりでん効果こうか説明せつめいできないが、じゅうスリット実験じっけん結果けっか説明せつめいできる。ただし、量子力学りょうしりきがく両方りょうほう現象げんしょう説明せつめいすることができる。

ある現象げんしょう現代げんだい科学かがく説明せつめいできないからといって、将来しょうらい説明せつめいできないとはえないし、ましてや科学かがくてき説明せつめいできない現象げんしょうかみによるちょうつね現象げんしょう主張しゅちょうすることは論理ろんりてき間違まちがいである。このような論法ろんぽう隙間すきまかみろんともいう。

ただし、ある理論りろん関連かんれんする現象げんしょうすべ説明せつめいできるからといって、その理論りろんただしいとみなすことも論理ろんりてきには間違まちがいである。つね未知みち反例はんれい存在そんざいする可能かのうせいがあるため、既知きち反例はんれいがないことは理論りろんただしさの証明しょうめいにはならない。たとえば、ビッグバンいまのところすべての現象げんしょう一貫いっかんして説明せつめいしている。しかし、そのことで宇宙うちゅうがビッグバンによってまれたことを完全かんぜん証明しょうめいしているわけではない。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ Argumentum ad Ignorantiam”. Philosophy 103: Introduction to Logic. Lander University (2004ねん). 2009ねん4がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ 古代こだいローマの法廷ほうていルールにおいては、(今日きょう同様どうよう立証りっしょう責任せきにん民事みんじ訴訟そしょうでは原告げんこくに、刑事けいじ訴訟そしょうでは(代理だいり原告げんこくとしての)国家こっかにあったという。つまり、全体ぜんたいにわたって「立証りっしょう責任せきにん」はもうてをするときに積極せっきょくてきほうかれた。「立証りっしょう必要ひつようせい主張しゅちょうをするがわにあるのであって、否定ひていするほうではない」。このだい原則げんそくが、のちのえいべいほうにおける無罪むざい推定すいてい原則げんそく概念がいねんをささえている」(吉永よしながじゅん 1995, p. PDF-P.8)

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Copi, Irving M; Cohen, Carl (1998). Introduction to Logic (10th ed.). Upper Saddle River, NJ: Prentice Hall. ISBN 9780132425872. OCLC 36060013 
  • 吉永よしながじゅんディベートにおける「推定すいてい」の機能きのう(した) : 授業じゅぎょうディベートのあらたな展開てんかいのために」『神戸大学こうべだいがく発達はったつ科学かがく研究けんきゅう紀要きようだい3かんだい1ごう神戸大学こうべだいがく発達はったつ科学かがく、1995ねん、71-86ぺーじdoi:10.24546/81000202hdl:20.500.14094/81000202ISSN 09197419CRID 1390009224926338944 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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