大島おおしま正徳まさのり

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大島おおしま正徳まさのり

大島おおしま 正徳まさのり(おおしま まさのり、きゅう字体じたい大島おおしま 正德まさのり1880ねん11月11にち - 1947ねん4がつ21にち)は、日本にっぽん哲学てつがくしゃ教育きょういく

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

神奈川かながわけん海老名えびな出身しゅっしん実家じっか豪農ごうのうで、父親ちちおや蚕種さんしゅごうのかたわら自由じゆう民権みんけん運動うんどうたずさわり、子供こども教育きょういくにも自由じゆう主義しゅぎつらぬいた[1]こうあまりじゅくまなんだのち、同志社どうししゃ中学校ちゅうがっこう第一高等学校だいちこうとうがっこうて、1904ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文学部ぶんがくぶ哲学てつがくそつ研究生けんきゅうせいを09ねんまでやり、14ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく哲学てつがく講師こうし、16ねん助教授じょきょうじゅ、1924ねん同大どうだいおよいちだか教授きょうじゅつとめる[2][3]

みかどだい退職たいしょくし、1925ねん東京とうきょう学務がくむ局長きょくちょう[4]どう教育きょういく局長きょくちょう東京とうきょうかい議員ぎいん帝国ていこく教育きょういくかい理事りじ[5]などをつとめた。37ねん世界せかい教育きょういく会議かいぎ日本にっぽん事務じむきょく事務じむ総長そうちょう。1942ねんには村田むらたしょうぞう大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんだいじゅうよんぐん(フィリピン占領せんりょうぐん最高さいこう顧問こもん比島ひじま調査ちょうさ委員いいんかい教育きょういくおよ宗教しゅうきょう担当たんとう委員いいんつとめた[6]同年どうねん発足ほっそく青年せいねん南方なんぽう文化ぶんか協会きょうかいにち青年せいねんぶんきょう教会きょうかい後身こうしん会長かいちょうつとめた[7]

戦後せんご公職こうしょく追放ついほう[8]教育きょういく刷新さっしん委員いいんかい委員いいん

家族かぞく[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • しん思想しそう批判ひはん主張しゅちょう青年せいねん教育きょういくかい 1920 
  • 思索しさく人生じんせい青年せいねん教育きょういくかい 1922
  • 経験けいけん哲学てつがく至文しぶんどう 1923 
  • 倫理りんりがく概論がいろん至文しぶんどう 1924 
  • 自治じち公民こうみん根本ねもとよし至文しぶんどう 1927 
  • 近世きんせい英国えいこく哲学てつがく三共さんきょう出版しゅっぱんしゃ 1928 
  • 昭和しょうわ公民こうみん読本とくほん政治せいじ教育きょういく協会きょうかい 1929
  • 現代げんだい哲学てつがく概観がいかん至文しぶんどう 1931
  • 哲学てつがくはなしたからぶんかん 1933 
  • ヒューム人性じんせいろん岩波書店いわなみしょてん 1935 だい思想しそう文庫ぶんこ
  • 立憲りっけんてき忠君ちゅうくん愛国あいこくろん選挙せんきょ粛正しゅくせい同盟どうめいかい 1935
  • ロック岩波書店いわなみしょてん 1938 だい教育きょういく文庫ぶんこ
  • 哲学てつがく概論がいろん至文しぶんどう 1939
  • 『Japan from within = やまとごころ北星ほくせいどう 1940
  • 世界せかいしんかたきた中南米ちゅうなんべいたび雑話ざつわ帝国ていこく教育きょういくかい出版しゅっぱん 1940
  • 知的ちてき生活せいかつ至文しぶんどう 1941
  • 日本にっぽん文化ぶんか国民こくみんせい春秋しゅんじゅうしゃ松柏しょうはくかん 1942
  • 現代げんだい実在じつざいろん研究けんきゅう至文しぶんどう 1943
  • 国民こくみんせい反省はんせいたからぶんかん 1945 
  • 現代げんだいアメリカ哲学てつがくだい日本にっぽん出版しゅっぱん 1946
  • 『デモクラシーの基本きほん概念がいねん至文しぶんどう 1946 
  • 『落想ろくたからぶんかん 1946 
  • 社会しゃかい生活せいかつ基調きちょう日光にっこう書院しょいん 1947 日本にっぽん建設けんせつ新書しんしょ
  • 倫理りんりはなしたからぶんかん 1947
  • しん倫理りんりがく概論がいろん至文しぶんどう 1948
  • 『デモクラシーと国民こくみんせい至文しぶんどう 1948 
  • 海老名えびな郷土きょうど国書刊行会こくしょかんこうかい 1980
  • 世界せかいこころ国家こっかこころ個人こじんしん大空おおぞらしゃ 1996 叢書そうしょ日本人にっぽんじんろん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 菊川きくかわ忠夫ただお大島おおしま正徳まさのり生涯しょうがい思想しそう」(外部がいぶリンク参照さんしょう
  2. ^ 国民こくみん道徳どうとく批判ひはん 大島おおしま正徳まさのり(陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう高等官こうとうかん集会しゅうかいしょ, 1924)
  3. ^ 成婚せいこん精神せいしん作興さっこう東京とうきょう へん (帝都ていと復興ふっこう叢書そうしょ刊行かんこうかい, 1924)
  4. ^ 国文こくぶん新選しんせん教授きょうじゅ参考さんこうしょ. 4(明治めいじ書院しょいん, 1925)
  5. ^ 日本にっぽん幻燈げんとう文化ぶんか協会きょうかい日本にっぽん文化ぶんか団体だんたい年鑑ねんかん. 昭和しょうわ18年版ねんばん』(日本にっぽん文化ぶんか中央ちゅうおう聯盟れんめい, 1943)
  6. ^ 盛田もりた良治よしはる日本にっぽん占領せんりょうフィリピンの現地げんち調査ちょうさ人文じんぶんがくほう = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (1997), 79: 163-188
  7. ^ 青年せいねん南方なんぽう文化ぶんか協会きょうかい日本にっぽん文化ぶんか団体だんたい年鑑ねんかん. 昭和しょうわ18年版ねんばん』(日本にっぽん文化ぶんか中央ちゅうおう聯盟れんめい, 1943)
  8. ^ 公職こうしょく追放ついほう該当がいとう事項じこうは「翼賛よくさん体制たいせい協議きょうぎかい構成こうせいいん」。(総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさ へん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん496ぺーじNDLJP:1276156 
  9. ^ 大島おおしま正義まさよしみ)おおしま まさよしコトバンク

参考さんこう[編集へんしゅう]

  • デジタルばん日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん:[1]
  • 菊川きくかわ忠夫ただお大島おおしま正徳まさのり生涯しょうがい思想しそう神奈川工科大学かながわこうかだいがく研究けんきゅう紀要きよう、1984ねん:[2]