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だい神田かんだ軍治ぐんじ

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だい神田かんだ軍治ぐんじ
おおかんだ ぐんじ
生年月日せいねんがっぴ 1883ねん7がつ30にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 山梨やまなしけん北都留きたつるぐんいわおむら
げん山梨やまなしけん上野原うえのはら
ぼつ年月日ねんがっぴ (1943-01-24) 1943ねん1がつ24にち(59さいぼつ
所属しょぞく政党せいとう 立憲りっけん民政みんせいとう

選挙せんきょ 東京とうきょう1
当選とうせん回数かいすう 2かい
在任ざいにん期間きかん 1932ねん2がつ20日はつか - 1936ねん1がつ21にち
1942ねん4がつ30にち - 1943ねん1がつ24にち

東京とうきょう会議かいぎいん


東京とうきょう会議かいぎいん

しば会議かいぎいん
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だい神田かんだ 軍治ぐんじ(おおかんだ ぐんじ、1883ねん明治めいじ16ねん7がつ30にち[1] - 1943ねん昭和しょうわ18ねん1がつ24にち[2])は、日本にっぽん政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(2)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

山梨やまなしけん北都留きたつるぐんいわおむら[3]上野原うえのはらまち[4]げん上野原うえのはら出身しゅっしん[注釈ちゅうしゃく 1]せき文学ぶんがくしゃ漢学かんがくまなんだ[2][3]

しば会議かいぎいん[2]東京とうきょうかい議員ぎいん[2]どう参事さんじ会員かいいんどう議長ぎちょう[2]東京とうきょう府会ふかい議員ぎいんどう参事さんじ会員かいいん帝都ていと復興ふっこう委員いいんちょうなどを[2]1932ねん昭和しょうわ7ねん)のだい18かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ東京とうきょう1当時とうじ)から立憲りっけん民政みんせいとう公認こうにん立候補りっこうほしてはつ当選とうせん同年どうねん東京とうきょう府会ふかい市部しぶかいせいふく議長ぎちょう選挙せんきょでは、三木みき武吉たけよし推薦すいせんしたものしのけるかたちだい神田かんだ推薦すいせんした立候補者りっこうほしゃ当選とうせんしたため、三木みきとのあいだ激論げきろんひろげた[5]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)、だい2東京とうきょうかい疑獄ぎごく瓦斯がす疑獄ぎごく市会しかい議長ぎちょう選挙せんきょ買収ばいしゅう事件じけん市長しちょう選挙せんきょ買収ばいしゅう事件じけん)により東京とうきょう地方裁判所ちほうさいばんしょ懲役ちょうえき1ねん2ヵ月かげつ追徴金ついちょうきん6500えん判決はんけつ[6]翌年よくねん控訴こうそしん懲役ちょうえき10ヵ月かげつ追徴金ついちょうきん3500えん判決はんけつ[7]1936ねん昭和しょうわ11ねん)の大審院だいしんいん判決はんけつけい確定かくてい[8]。これにより帝都ていと復興ふっこう記念きねんあきら大礼たいれい記念きねんあきら昭和しょうわ褫奪ちだつされた[9]同年どうねんだい19かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ落選らくせんした。1942ねん昭和しょうわ17ねん)のだい21かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは推薦すいせん立候補りっこうほして当選とうせん在職ざいしょくちゅうよく1943ねん昭和しょうわ18ねん)に死去しきょした。

栄典えいてん[編集へんしゅう]

著作ちょさく[編集へんしゅう]

  • 日本にっぽんはどうなる』国策こくさく協会きょうかい、1939ねん
  • 日本にっぽんはどうなる』だい2輯、国策こくさく協会きょうかい、1941ねん
  • 世紀せいき決戦けっせん : 日本にっぽんはどう発展はってんするか』しゃ貿易ぼうえき出版しゅっぱん、1942ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』123ぺーじでは神奈川かながわけん出身しゅっしん

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 衆議院しゅうぎいんだいろくじゅう八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院しゅうぎいん公報こうほう附録ふろく〉、1935ねん、1ぺーじ
  2. ^ a b c d e f 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』123-124ぺーじ
  3. ^ a b 翼賛よくさん議員ぎいんめいかん』82ぺーじ
  4. ^ 甲州こうしゅう古今ここん人物じんぶつ辞書じしょ』79ぺーじ
  5. ^ 三木みき武吉たけよし脱党だっとう東京とうきょう支部しぶない紛争ふんそうで『大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん昭和しょうわ7ねん8がつ3にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい3かん 昭和しょうわ6ねん-昭和しょうわ7ねん本編ほんぺんp720 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  6. ^ 昭和しょうわ10年度ねんどばん 時事じじ年鑑ねんかん時事新報じじしんぽうしゃ、1934ねん、p.403
  7. ^ 昭和しょうわ11年度ねんどばん 時事じじ年鑑ねんかん時事新報じじしんぽうしゃ、1934ねん、p.405
  8. ^ 昭和しょうわ12年度ねんどばん 時事じじ年鑑ねんかん時事新報じじしんぽうしゃ、1936ねん、p.396
  9. ^ 官報かんぽう 1937ねん02がつ03にち ろくきゅうぺーじ
  10. ^ 官報かんぽうだい1499ごう付録ふろく辞令じれい」1931ねん12月28にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 川手かわて秀一ひでかずへん甲州こうしゅう古今ここん人物じんぶつ辞書じしょ山梨やまなし協会きょうかい本部ほんぶ、1938ねん
  • 翼賛よくさん議員ぎいんめいかん議会ぎかい新聞しんぶんしゃ、1943ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 院内いんない会派かいはへん衆議院しゅうぎいん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん