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だい進撃しんげき

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だい進撃しんげき(だいしんげき、La Grande Vadrouille)は、1966ねんのフランスのコメディ映画えいがだい世界せかい大戦たいせんしたのフランスが舞台ぶたい監督かんとくジェラール・ウーリー日本にっぽんでは1967ねん公開こうかいテリー=トーマスブールヴィルルイ・ド・フュネス主演しゅえん

1966ねんに1700まんにん以上いじょう観客かんきゃくあつめたこの映画えいがは、1997ねんに『タイタニック』(2075まんにん)にかれるまで、30ねん以上いじょうわたってフランスにおけるすべてのくに映画えいが興行こうぎょう収入しゅうにゅう史上しじょう最高さいこうたもちつづけた。[1]フランス映画えいがでは2008ねんダニー・ムーン監督かんとくの『Bienvenue chez les Ch'tis』(2048まんにん)にかれるまで、42年間ねんかんその最高さいこうたもつづけた。[2]

2015ねん現在げんざいでは上記じょうき2作品さくひんおよび『Intouchables』『白雪姫しらゆきひめ』(2009ねんに1800まんにん達成たっせい)につづき、フランスにおける興行こうぎょう収入しゅうにゅう史上しじょうだい5である。

フランス語ふらんすご原題げんだいのvadrouilleは「ぶらぶらあるき」「散歩さんぽ」あるいは「放浪ほうろう」という意味いみであり、邦題ほうだいの「進撃しんげき」とは意味いみがだいぶことなる。

あらすじ

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1942ねん、ナチス占領せんりょう時代じだいのパリ。イギリス空軍くうぐん戦闘せんとうがパリ上空じょうくう撃墜げきついされ、乗組のりくみいんたちは脱出だっしゅつまえパリのモスク集合しゅうごうするとめたうえで、パラシュートで脱出だっしゅつした。隊長たいちょうのサー・レジナルド・ブルークはヴァンセンヌのもり動物どうぶつえん着陸ちゃくりくした。2人ふたりのピーター・カニングハムは、ペンキ職人しょくにんのオーギュスタン・ブーヴェのかごうえっかかり、かれ手引てびきでかくれることとなった。3にんのアラン・マッキントッシュはオペラ・ガルニエ屋根やね着陸ちゃくりくし、オーケストラの指揮しきしゃスタニスラス・ルフォールの楽屋がくやんだ。

二人ふたりのフランスじんは、嫌々いやいやながらも、イギリスへいたちをかばいながら自由じゆう地域ちいき経由けいゆでイギリスへ脱出だっしゅつさせるための手引てびきをすることになり、ナチ将校しょうこうアシュバッハののがれながらブルゴーニュ方面ほうめんへとかった。ムルソーのホテルの女将おかみジェルメーヌをはじめとするレジスタンスたちのりながら、かれらはグライダーで境界きょうかいせん突破とっぱする。

スタッフ

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キャスト

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役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご 役柄やくがら
オーギュスタン・ブーヴェ ブールヴィル 藤村ふじむら有弘ありひろ 気弱きよわなペンキ職人しょくにん
スタニスラス・ルフォール ルイ・ド・フュネス 早野はやの寿郎としお オーケストラの指揮しきしゃ
サー・レジナルド・ブルーク テリー=トーマス英語えいごばん 藤本ふじもとゆずる くちひげのイギリス空軍くうぐん隊長たいちょう
ピーター・カニングハム クローディオ・ブルーク英語えいごばん 納谷なや六朗ろくろう レジナルドの部下ぶかのイギリス空軍くうぐん隊員たいいん
アラン・マッキントッシュ マイク・マーシャル 田中たなか秀幸ひでゆき レジナルドの部下ぶかのイギリス空軍くうぐん隊員たいいん
ジュリエット マリー・デュボワ
ピエール・ベルタン ジュリエットの祖父そふ
マリー=オディル アンドレア・パリシーフランス語ふらんすごばん 修道しゅうどうおんな
アシュバッハ少佐しょうさ ベンノ・シュターゼンバッハ英語えいごばん ナチス将校しょうこう
ジェルメーヌ コレット・ブロッセ ホテルの女将おかみ
ミシェル・モド 斜視しゃしのドイツぐん兵士へいし
ギイ・グロッソ おしゃべりな音楽家おんがくか

受賞じゅしょう

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  • 1966ねん タオルミーナ映画えいがさい外国がいこく映画えいが最優秀さいゆうしゅうしょう
  • 1967ねん ダヴィッド・ディ・ドナテッロしょう金賞きんしょう
  • 1977ねん ゴールデーネ・ラインヴァント(ゴールデン・スクリーン)、外国がいこく映画えいが最優秀さいゆうしゅうしょう

興行こうぎょう収入しゅうにゅう

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この映画えいが公開こうかいフランスにおける興行こうぎょう収入しゅうにゅうは、17,267,607にんにのぼる。

1966ねんのフランスの興行こうぎょう収入しゅうにゅうだい1獲得かくとくしただけでなく、1939ねんの『ふうともりぬ』をいて史上しじょう最高さいこうとなり、1997ねんに『タイタニック』にかれるまで、30年間ねんかんにわたってそのたもつづけた。

詳細しょうさい以下いかとおりである。

しゅう 順位じゅんい 入場にゅうじょうしゃすう しゅう 順位じゅんい 入場にゅうじょうしゃすう しゅう 順位じゅんい 入場にゅうじょうしゃすう しゅう 順位じゅんい 入場にゅうじょうしゃすう
1 1 105,752 7 1 73,033 13 1 41,860 19 6 18,488
2 1 104,604 8 1 65,530 14 2 39,050 20 5 24,300
3 1 136,192 9 1 60,726 15 3 33,789 21 2 53,140
4 1 136,714 10 1 71,010 16 3 53,080 22 1 46,847
5 1 84,730 11 2 47,570 17 3 48,040 23 2 30,506
6 1 79,580 12 3 42,850 18 5 28,510

1997ねん外国がいこく映画えいがで『タイタニック』(2075まんにん)が、2008ねんではフランス映画えいがダニー・ムーン監督かんとくの『Bienvenue chez les Ch'tis』(2048まんにん)が、記録きろく更新こうしんした。[3]しかしながらフランス映画えいがけるフランスぜん国民こくみんの34%が映画えいがかん観劇かんげきしたという記録きろくは、『Bienvenue chez les Ch'tis』の31%を上回うわまわり、いまだにだい1記録きろくしている。

ドイツでははつだい2世界せかい大戦たいせん舞台ぶたいにしたコメディ映画えいがである。西にしドイツではDrei Bruchpiloten in Parisので、ひがしドイツではDie große Sauseの公開こうかいされ、1974ねんさい公開こうかい東西とうざいわせて330まんにん記録きろくした(1967ねんはつ公開こうかい記録きろくがない)。[4]スペインでは136まんにん[5]スウェーデンでは77まんにん[6]ソビエト連邦れんぽうでは3780まんにん記録きろくした。[7]

フランスでのテレビ放送ほうそう

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最初さいしょのフランスでのテレビ放送ほうそうは、1976ねん1がつ1にちにフランスだい2放送ほうそうにておこなわれた。2014ねんまでに、TF1で17かい、フランスだい2放送ほうそうおよび現在げんざいFrance 2で11かい、またのチャンネルでも放送ほうそうされている。

TF1放送ほうそうでは、だい8かいの1988ねんに46.7%の視聴しちょうりつた。だい11かいの2002ねんは900まんにんだい12かいは930まんにん視聴しちょうした。2009ねん12がつ20日はつかだい15かい放送ほうそうでは、900まんにん以上いじょう視聴しちょうしゃで33%の視聴しちょうりつ確保かくほし、フランスにおける年間ねんかん聴者ちょうしゃすうだい1獲得かくとくした。[8]2012ねん1がつ1にちだい16かい放送ほうそうでは870まんにん視聴しちょうしゃた。2014ねん12月21にちだい17かい放送ほうそうでは、7,239,000にん視聴しちょうしゃすう、28.5%の視聴しちょうりつた。[9]

ロケ

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ロケ以下いかとおりである。[10]

その

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  • ブールヴィルルイ・ド・フュネスは、この映画えいが前年ぜんねんに『だい追跡ついせき』で共演きょうえんしている。しかしそれ以前いぜんにも、『Poisson d'avril(エイプリールフール)』 (1954ねん)、『Les Hussards(けい騎兵きへい)』(1955ねん)、『パリ横断おうだん La Traversée de Paris』(1956ねん)で共演きょうえんしている。
  • この映画えいが撮影さつえいちゅう、ブールヴィルとルイ・ド・フュネスは「これがにん共演きょうえん最後さいご映画えいがになるだろう」と冗談じょうだんじりにはなしていた。しかしそれは現実げんじつのものとなった。ブールヴィルとジャン=ポール・ベルモンド主演しゅえんの『だい頭脳ずのう Le Cerveau』ののちジェラール・ウーリー監督かんとくは『だい乱戦らんせん La folie des grandeurs』の脚本きゃくほん準備じゅんびしていたが、ブールヴィルはガンで逝去せいきょした。ブールヴィルの代役だいやくにはイヴ・モンタン起用きようされ、ルイ・ド・フュネスとのあらたなコンビをたこの映画えいがは1971ねん興行こうぎょう収入しゅうにゅうだい4となった[11]
  • この脚本きゃくほん初稿しょこう双子ふたご姉妹しまいがイギリスへいたすけてフランスを横断おうだんするというものであり、ジェラール・ウーリーはそれをプロデューサーのヘンリ・ドイチュマイスターに売却ばいきゃくしていたが、のち権利けんりもどし、そのさい主役しゅやくをブールヴィルとルイ・ド・フュネスのコンビに設定せっていなおした。「主役しゅやく少女しょうじょ2にん冗談じょうだんじゃない。おとこにん変更へんこうだ!」初稿しょこうのままのこっているのはボーヌのホスピスのシーンのみである[11]
  • ドイツへい制服せいふく変装へんそうしたブールヴィルがルイ・ド・フュネスを肩車かたぐるまするシーン[12]はオリジナルにはなく、二人ふたりのアドリブによるものである。脚本きゃくほん予定よていではかべからちたド・フュネスがブールヴィルをんで地面じめんまでころがりちるというものであり、スタントマンが予定よていされていた。結果けっかてきにこのシーンはフランスのコメディ映画えいが屈指くっしめいシーンとして現在げんざいまでかたがれている[11]撮影さつえいミヨーにあるモンペリエ=ル=ヴュー奇岩きがんぐんおこなわれた。スタントマンのレミー・ジュリアンは、オートバイを運転うんてんするドイツぐん兵役へいえき出演しゅつえんしている。
  • この映画えいがは、アメリカ映画えいが『パリのジャンヌ・ダーク Joan of Paris』(1942ねん)へのアナロジーおおられる。アメリカ空軍くうぐん兵士へいしがパリに不時着ふじちゃくし、フランスじん少女しょうじょミシェル・モルガン)にたすけられるロマンス映画えいがである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Fiche du film sur AlloCiné.
  2. ^ Cependant, rapporté à la population française de l'époque, La Grande Vadrouille reste devant tous les autres films français puisque 34 % des Français sont allés voir ce film, contre 31 % pour Bienvenue chez les Ch'tis.[よう検証けんしょう]
  3. ^ « Les Ch'tis plus forts que La Grande Vadrouille », Ciné News, 2008.
  4. ^ insidekino.de
  5. ^ mundocine.net
  6. ^ IMDb
  7. ^ kinopoisk.ru
  8. ^ « Plus de 9 millions de téléspectateurs pour La Grande Vadrouille », Le Monde (supplément TéléVisions),‎ 27-28 décembre 2009, p. 6
  9. ^ Audiences TV : La Grande Vadrouille fait toujours rire
  10. ^ Lieux de Tournage Cinématographique”. L2TC.com. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d Gérard Oury, Mémoire d'éléphant, op. cit.
  12. ^ IMDb

外部がいぶリンク

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