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フランスの映画えいが

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フランス映画えいがから転送てんそう

フランス映画えいが(フランスえいが)とは、フランス資本しほん人材じんざいによって製作せいさくされた映画えいがのこと。

歴史れきし

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19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいき初頭しょとう

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映画えいがというメディアの創成そうせいにおいて、フランス映画えいが技術ぎじゅつ世界一せかいいちほこっていた。映画えいが発明はつめいされたのがフランスであったためである。1895ねん12月28にちリュミエール兄弟きょうだいシネマトグラフ公開こうかいした。1895ねんにパリで公開こうかいされたリュミエール兄弟きょうだいL'Arrivée d'un train en gare de la Ciotatもっ映画えいが作品さくひん誕生たんじょうわれている。

つづすう年間ねんかん世界中せかいじゅう映画えいがというあたらしい手法しゅほう使つかって実験じっけんてき作品さくひん制作せいさくする人々ひとびとあらわれた。パテしゃゴーモンしゃ映画えいが製作せいさくはじめ、ゴーモンからは世界せかいはつ女性じょせい監督かんとくアリス・ギイまれた。1902ねんにはジョルジュ・メリエスによる世界せかいはつ物語ものがたりのある映画えいが月世界げっせかい旅行りょこう』が公開こうかいかれはまた、おおくの映画えいが技術ぎじゅつした。1908ねん映画えいが芸術げいじゅつたかめようといううごきがこり、ル・フィルム・ダールしゃ設立せつりつされる。ル・フィルム・ダールしゃによる映画えいが『ギースこう暗殺あんさつ』が公開こうかいされ、ヒット。

だいいち世界せかい大戦たいせんだい世界せかい大戦たいせんあいだジャック・フェデーはフランス映画えいがかいにおいて詩的してきリアリズムpoetic realism)の先駆せんくしゃとなる。かれはまたアベル・ガンスジェルメーヌ・デュラックジャン・エプシュタインともに「フランス印象派いんしょうはFrench Impressionist Cinema[注釈ちゅうしゃく 1]主要しゅよう人物じんぶつともなった。

1920年代ねんだい後半こうはんには「アバンギャルド映画えいががブームとなり、1924ねんルネ・クレールの『幕間まくあい』(エリック・サティ伴奏ばんそう音楽おんがくつくる)やルイス・ブニュエルの1929ねんの『アンダルシアのいぬ』が画期的かっきてき作品さくひんとなる。

1935ねんのはじめ、脚本きゃくほん俳優はいゆうでもあったサシャ・ギトリはつ監督かんとく作品さくひん完成かんせいさせた。かれは30以上いじょう作品さくひん制作せいさくし、この時代じだい先駆せんくしゃとなった。おなじ「国民こくみんてき映画えいが監督かんとく」であったマルセル・パニョルのちさい評価ひょうかされるようになる。

1937ねん画家がかピエール=オーギュスト・ルノワール次男じなんジャン・ルノワール傑作けっさくおおいなる幻影げんえい』、1939 ねんには『ゲームの規則きそく』を完成かんせいさせた。映画えいが批評ひひょうなかには、これらの作品さくひん映画えいが史上しじょうもっとすぐれた作品さくひんだとするものもいる。

1930年代ねんだい目立めだった作品さくひんとしては、「詩的してきリアリズム」の監督かんとく作品さくひん、ルネ・クレールの『巴里ぱり屋根やねした』(1930)、ジャック・フェデーの『おんなだけの』(1935)、ジュリアン・デュヴィヴィエの『とう仲間なかま』(1936)などがある。

だい世界せかい大戦たいせん:1940年代ねんだいから1970年代ねんだいまで

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マルセル・カルネ監督かんとくした『天井てんじょう桟敷さじき人々ひとびと』はだい世界せかい大戦たいせん戦時せんじちゅう撮影さつえいされ、1946ねん公開こうかいされた。この3あいだわた映画えいがは、当時とうじフランスがナチの支配しはいにあったため、製作せいさく非常ひじょう難航なんこうした。1828ねんのパリを舞台ぶたいにしたこの作品さくひんは、1990年代ねんだい、600めい映画えいが批評ひひょう映画えいが製作せいさくしゃによって「これまでにつくられたもっとすぐれたフランス映画えいが」にえらばれた。

また、1946ねんにはフランス政府せいふカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい開催かいさいしはじめた。

個性こせいてき監督かんとくとして『ラルジャン』などのロベール・ブレッソンや『ぼくの伯父おじさんの休暇きゅうか』などのジャック・タチがいる。また、ジョルジュ・フランジュアレクサンドル・アストリュック次世代じせだい先駆せんくしゃとしての地位ちいめる。

1951ねんアンドレ・バザンによって映画えいが批評ひひょうカイエ・デュ・シネマ』が発行はっこうされ、おおくのわか批評ひひょう愛好あいこうたちグループらの議論ぎろんとなっていた。さらに、批評ひひょう執筆しっぴつしゃであった ジャック・リヴェットエリック・ロメールジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォークロード・シャブロルなどは、映画えいが助監督じょかんとく経験けいけんもないまま自分じぶんたち個人こじんてき映画えいが製作せいさくはじ話題わだいになった。おおくがシネマテーク・フランセーズ出会であっていた。そのうごきはのちにジャーナリズムによりヌーヴェル・ヴァーグ名付なづけられた。フランスのプロデューサーたちは、かれらの映画えいが制作せいさくやすわり話題わだいになることった。

当時とうじ野心やしんてき映画えいが潮流ちょうりゅうおおきくけて、アラン・レネのような実験じっけんてき映画えいが作家さっか出身しゅっしんの「左岸さがん」の作家さっかと、雑誌ざっし『カイエ・デュ・シネマ』の若手わかて批評ひひょうらの自主じしゅ制作せいさくグループがあった。おなじころ、映画えいが業界ぎょうかいから助監督じょかんとく出身しゅっしん若手わかて監督かんとくロジェ・ヴァディムルイ・マルなどの商業しょうぎょう映画えいがのグループが斬新ざんしん感覚かんかく作品さくひん興行こうぎょうてき成功せいこうする。かれらはそれぞれ作風さくふう立場たちばあきらかにことなっていたが、ジャーナリズムはかれすべてをひとまとめにし「ヌーヴェル・ヴァーグ」とんだ。

ヌーヴェル・ヴァーグの初期しょき作品さくひんとしてジャン=ポール・ベルモンドジーン・セバーグ主演しゅえんのゴダールの『勝手かってにしやがれ』(1960)、トリュフォーの『大人おとなわかってくれない』(1959)、シャブロルの『いとこ同士どうし』(1959)がある。かれらはアルフレッド・ヒッチコックハワード・ホークスなどを「作家さっか主義しゅぎ」の監督かんとくとして信奉しんぽうした。

1960年代ねんだい注目ちゅうもくすべき作品さくひんにはジャック・ベッケルの『あな』(1960)、ルネ・クレマンの『太陽たいようがいっぱい』(1960)、ヴェネツィア国際こくさい映画えいがさいかね獅子しししょう受賞じゅしょうしたアラン・レネの『去年きょねんマリエンバートで』(1961)、ジャック・ドゥミの『シェルブールの雨傘あまがさ』(1963)、ロベール・アンリコの『冒険ぼうけんしゃたち』(1967)などがある。トリュフォーがジャン=ピエール・レオクロード・ジャド共演きょうえんした映画えいが夜霧よぎり恋人こいびとたち』(1968)も、ヌーヴェルヴァーグを代表だいひょうする映画えいがのひとつです。

わか映画えいが作家さっか台頭たいとうは、フランスだけにまる現象げんしょうではなかった。ほとんどどう時期じき世界中せかいじゅうにその影響えいきょう波及はきゅうさせ、わか世代せだい映画えいが作家さっかたちの活動かつどう各国かっこく次々つぎつぎこった。結果けっか、1960年代ねんだい世界せかいてき映画えいが変革期へんかくきとなった。

1980年代ねんだい

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ジャン=ジャック・ベネックスが『ディーバ』(1981)を完成かんせいさせたとき、80年代ねんだいのフランス映画えいがブームがはじまったとえる。ベネックスの『ベティ・ブルー』(1986)、リュック・ベッソンの『グラン・ブルー』(1988) 、レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人こいびと』(1991)などBBCとばれる3にん製作せいさくはじめた。

1990年代ねんだい

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1991ねんジャン・ピエール・ジュネが『デリカテッセン』を監督かんとくつづいて1995ねんに『ロスト・チルドレン』を製作せいさく双方そうほうともファンタジーしょくつよ作品さくひんであった。

1990年代ねんだいなかば、ポーランド出身しゅっしんクシシュトフ・キェシロフスキが「トリコロール3さく」と名付なづけられた『トリコロール/あおあい』、『トリコロール/しろあい』、『トリコロール/あかあい』を完成かんせいさせた。

また、1995ねんには若手わかて監督かんとくマチュー・カソヴィッツがフランスにおける人種じんしゅ問題もんだいあつかった作品さくひんにくしみ』でカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい監督かんとくしょう受賞じゅしょう

2000年代ねんだい

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ハリウッドでしばらく活動かつどうしたジュネは2001ねんにフランスにもどり、マチュー・カソヴィッツとオドレイ・トトゥ主演しゅえんのファンタジー映画えいがアメリ』を完成かんせいさせ、この作品さくひん日本にっぽんでもだいヒットした。またこの作品さくひん影響えいきょうクレームブリュレブームがきた。

2000ねん以降いこうのヒットさくにはマチュー・カソヴィッツの『クリムゾン・リバー』(2000)、ジェラール・クラヴジックのアクション・コメディ『TAXi2』(2000)、 コリーヌ・セローの『おんなはみんなきている』(2001)、セドリック・クラピッシュの『スパニッシュ・アパートメント』(2002)などがある。

また、リュック・ベッソンプロデュースの作品さくひんぐんや、オリヴィエ・メガトンの『レッド・サイレン』(2002)、エンキ・ビラルの『ゴッド・ディーバ』(2004)など、海外かいがい市場いちば想定そうていした全編ぜんぺん英語えいご作品さくひんつくられるようになる。

2010年代ねんだい

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2011ねんの『最強さいきょうのふたり』はフランスでの歴代れきだい観客かんきゃく動員どういんすうで3(フランス映画えいがのみの歴代れきだい観客かんきゃく動員どういんすうでは2)となるだいヒットさくとなった。日本にっぽんでもアメリカ興行こうぎょう収入しゅうにゅうが16おくえんえ、日本にっぽん公開こうかいされたフランス語ふらんすご映画えいがなか歴代れきだい1のヒットさくとなった。

映画えいがさい映画えいがしょう

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 中条ちゅうじょうしょうたいらは『フランス映画えいが誘惑ゆうわく』pp.76-99で日本にっぽんだけが絶大ぜつだい影響えいきょうけたといている。20年代ねんだい印象派いんしょうはと30年代ねんだいの「詩的してきレアリスム」のちがいは後者こうしゃ言葉ことばをもったことだという。台詞せりふ脚本きゃくほん重要じゅうようせいむすびつき、「詩的してきレアリスム」とはフランスの演劇えんげきてき伝統でんとうつうじるシナリオ重視じゅうし映画えいがだったという。

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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  • フランス映画えいが通信つうしん - フランス映画えいが専門せんもんサイト。作品さくひんひょう監督かんとく俳優はいゆう名鑑めいかん劇場げきじょう公開こうかい情報じょうほうなど
  • フランスネットシネマ -日本にっぽん公開こうかい最新さいしんフランス映画えいが情報じょうほうなど
  • フランスネット -フランス映画えいが俳優はいゆう監督かんとく動画どうがインタビュー