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孔子こうしあらためせいこう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

孔子こうしあらためせいこう』(こうしかいせいこう)は、中国ちゅうごくきよしすえ康有為こうゆういあらわした書籍しょせき1897ねんひかりいとぐち23ねん)に刊行かんこうされた。

さき康有為こうゆういは、儒教じゅきょう経典きょうてんなか古文こぶんかれたものを前漢ぜんかんりゅう偽作ぎさくであるとし、こんぶんかれたものが孔子こうし著作ちょさくであるとするろん展開てんかいした『しんがくにせけいこう』(しんがくぎけいこう)をあらわしていた。

本書ほんしょでは、そのまえちょのちけて、孔子こうしあたらしき王朝おうちょう体制たいせい確立かくりつするために、きゅう制度せいど改革かいかくする役割やくわりになったもとおうであって、そこに孔子こうし著述ちょじゅつ活動かつどう真意しんいがあったのだということをろんじている。つまり、聖人せいじんであるしゅうこうだん制度せいど祖述そじゅつ意図いとしていたという、孔子こうしたいする従来じゅうらい見方みかたあらためようとしたものである。

康有為こうゆういは、孔子こうしあらためせい立役者たてやくしゃでありもとおうであったと位置いちづけ、さらには儒教じゅきょう創業そうぎょうしゃ位置いち孔子こうし位置いちづけようという意図いとっていた。そのうえで、自身じしんつちのえいぬへんほう運動うんどう理論りろんじょう根拠こんきょもとめようとしたものである。ただそのろんは、孔子こうしをはじめ春秋しゅんじゅう戦国せんごく時代じだい諸子しょしひゃくいえ思想家しそうかたちが、いにしえの時代じだいたくすことでげん体制たいせい改革かいかくいたという事実じじつ相容あいいれないこととなり、そのろん破綻はたんたしてしまった。つまり、孔子こうし同様どうよう諸子しょしたいしても教主きょうしゅてき意義いぎみとめざるをない立場たちばいたったのである。

これらの主張しゅちょうは、しんだい盛行せいこうしたおおやけひつじ学派がくはをベースに発展はってんさせたものであるが、ろんそのものはどう時代じだい学者がくしゃ廖平のものそのままであるとの指摘してきはやくからなされ、現在げんざいではほぼ定説ていせつとなっている。