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安東あんどうきよししゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

安東あんどう きよししゅう(あんどう せいしゅう/しょうしゅう[1]生年せいねん不明ふめい - 元弘もとひろ3ねん/せいけい2ねん1333ねん))は、鎌倉かまくら時代ときよ末期まっき武士ぶし北条ほうじょうとく宗家そうけ被官ひかんである御内おんうちじん通称つうしょう左衛門さえもん入道にゅうどう[1]新田にった義貞よしさだしつ伯父おじにあたる[1][注釈ちゅうしゃく 1]

生涯しょうがい

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正中せいちゅう元年がんねん1324ねん)、正中せいちゅうへん捕縛ほばくされ鎌倉かまくら連行れんこうされた日野ひのあさ日野ひのしゅんもと尋問じんもん担当たんとうする。

元弘もとひろ3ねん/せいけい2ねん1333ねん)、鎌倉かまくら侵攻しんこうしてきた新田にった義貞よしさだぐんたいして、幕府ばくふかたとしてたたかうも敗北はいぼくした(鎌倉かまくらたたか)。『太平たいへいまきじゅうには「安東あんどう入道にゅうどう自害じがいこと づけかんおうりょうこと」のあきらだんがあり、めいからすすめられた降伏ごうぶく拒絶きょぜつして自害じがいするようえがかれる。

安東あんどう入道にゅうどう自害じがいこと

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太平たいへい』によれば、ひじりしげるは3000ひきいて稲瀬いなせがわまもっていたが、稲村ヶ崎いなむらがさきから迂回うかいして新田しんでんぐん軍勢ぐんぜいひきいていたのは世良田せらだ満義みつよし[4]、あるいは満義みつよしとは別人べつじん世良田せらだ太郎たろう[5] とも)とたたかい、100までらされ、にも多数たすうきずって自邸じていへと退しりぞいた。しかし、すでに自邸じていち、妻子さいし行方ゆくえもわからなくなっていた[6]:8ひじりしげるは、北条ほうじょうだか屋形やかた小町こまちたから戒寺場所ばしょにあったという)もけてこうらはひがししょうてらはいったとくが、屋形やかたあと死体したいがない(こうのために切腹せっぷくしたりにしたりしたものがいない)とつたえられると、たかとき屋形やかたあと自害じがいして鎌倉かまくら殿どのはじをすすごうと、100したがえて小町こまちこうへとかった[5]:276[6]:8

灰燼かいじんかえしたこう屋敷やしき到着とうちゃくしたひじりしげるのもとに、めいにあたる義貞よしさだしつからの使者ししゃが、降伏ごうぶくすすめるぶんとどける。ひじりしげるは、めいおもんじるべき「武士ぶし女房にょうぼう」としての心得こころえがなっておらず、そのおっと義貞よしさだも「勇士ゆうし」をらぬものである、降伏ごうぶくすすめがめいからたものであるならば義貞よしさだが、義貞よしさだからたものであるならばめいめなければいけないと憤慨ふんがいしながら、使者ししゃまえぶんかたなにぎくわえて自刃じじんしたという。このときひじりしげるは、すわえかん戦争せんそう劉邦りゅうほうつかえたおうりょうをめぐる故事こじおうりょうこめしろめあぐねた項羽こううが、おうりょうははらえておうりょう降伏ごうぶくさせようとした。おうりょうははは、孝行こうこう息子むすこおうりょう自分じぶんのために開城かいじょうしてしまうことを予期よきし、「子孫しそんのために」と自殺じさつした)をいにしたとかたられる[6]:8-9

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c 安東あんどうきよししゅう”. デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus(コトバンク所収しょしゅう. 2020ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ 田端たばた泰子やすこ. “勾当こうとう内侍ないし”. ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてんコトバンク所収しょしゅう. 2020ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ 海津かいづ一朗いちろう. “新田にったよしあきら”. 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)(コトバンク所収しょしゅう. 2020ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  4. ^ 世良田せらだ満義みつよし”. デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus(コトバンク所収しょしゅう. 2020ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 髙野むべしゅう太平たいへい』における大館おおだて江田えだ考察こうさつ鎌倉かまくら極楽寺ごくらくじざか切通きりとおし記述きじゅつ中心ちゅうしんに─」『大学院だいがくいん紀要きようだい69かん法政大学ほうせいだいがく大学院だいがくいん、2012ねん、282-272ぺーじdoi:10.15002/00008289hdl:10114/7496ISSN 0387-2610NAID 400194870092022ねん7がつ19にち閲覧えつらん :276
  6. ^ a b c 石井いしい由紀夫ゆきお太平たいへいまきじゅう構造こうぞうについて 」『語学ごがく文学ぶんがくだい53ごう北海道教育大学ほっかいどうきょういくだいがく語学ごがく文学ぶんがくかい、2014ねん、1-10ぺーじdoi:10.32150/000106692023ねん5がつ6にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 太平たいへい』(まきじゅう 安東あんどう入道にゅうどう自害じがいごとづけかんおうりょうごと

関連かんれん項目こうもく

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