(Translated by https://www.hiragana.jp/)
富士山の噴火史 - Wikipedia コンテンツにスキップ

富士山ふじさん噴火ふんか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
富士山ふじさん > 富士山ふじさん噴火ふんか
富士ふじ火山かざんによる火山かざんだん浅間あさま大社たいしゃ

富士山ふじさん噴火ふんか(ふじさんのふんかし)では、富士ふじ火山かざん噴火ふんか様子ようす変遷へんせん概説がいせつする。

富士山ふじさんたかさとやまたいおおきさにいて日本にっぽん最大さいだい活火山かっかざんである。富士山ふじさん最近さいきん10まんねん急速きゅうそくおおきくなったとかんがえられており、その意味いみでは「わか火山かざん」に分類ぶんるいされる。現在げんざいえているやま外観がいかんやく1まんねんまえから噴火ふんか活動かつどう開始かいしした新富士しんふじ火山かざんであり、そのしたやく70まんねんまえから活動かつどうしていたしょう御岳おんたけ(こみたけ)火山かざんやく10まんねんまえからやく1まんねんまえ噴火ふんかした富士ふじ火山かざんがあるとわれている。

新富士しんふじ火山かざん以前いぜん活動かつどう[編集へんしゅう]

富士山ふじさん構造こうぞう
やく10まんねんまえまで、さきしょう御岳おんたけ火山かざんしょう御岳おんたけ火山かざん
富士山ふじさん周辺しゅうへん一帯いったいすうひゃくまんねんまえから火山かざん活動かつどう活発かっぱつであったことがられている。そのなかやく70まんねんまえ現在げんざい富士山ふじさん位置いちしょう御岳おんたけ(こみたけ)火山かざん活動かつどうはじめた。そのころ南東なんとうにある愛鷹山あしたかやま(あしたかやま)の活動かつどう活発かっぱつで、ふたつのおおきな活火山かっかざんならんでいた。現在げんざいこの火山かざん頭部とうぶ富士山ふじさんきた斜面しゃめん5ごう標高ひょうこう2,300m)のしょう御岳おんたけ付近ふきん露頭ろとうしている。
やく10まんねんからやく5000ねんまえまで、富士ふじ火山かざん (星山ほしやま)
しょう御岳おんたけ火山かざんがしばらく休止きゅうししたのちやく10まんねんまえからあらたな活動かつどう時期じきはいった。この時期じき富士ふじ火山かざんぶ。富士ふじ火山かざん爆発ばくはつてき噴火ふんか特徴とくちょうで、大量たいりょうスコリア火山灰かざんばい溶岩ようがん噴出ふんしゅつし、標高ひょうこう3,000mにたっするおおきなやまたい形成けいせいしていった。富士ふじ火山かざんやまたい宝永山ほうえいざん周辺しゅうへんとう富士山ふじさん中腹ちゅうふくにかなりみとめられる。やく2まんねんまえ田貫湖たぬきこいわくずなだれをしょうじた[1][2]
こおりどろりゅう
北東ほくとうふもとがわ富士ふじ相模さがみがわどろりゅう(1まん7000ねんまえから1まん4000ねんまえ)など[2]火山かざんどろりゅうふくすうかい発生はっせいした。当時とうじこおりで、もっと寒冷かんれいした時期じきには富士山ふじさんにおける雪線せっせん夏季かきにもゆきえない地帯ちたい境界きょうかい)は標高ひょうこう2,500m付近ふきんにあり、それより高所こうしょには万年雪まんねんゆきまたは氷河ひょうががあったと推定すいていされ、山頂さんちょう周辺しゅうへん噴火ふんかによる火山かざん噴出ふんしゅつぶつゆきこおりかし大量たいりょうどろりゅうしょうじる融雪ゆうせつがた火山かざんどろりゅう発生はっせいさせたと推定すいていされている。
関東かんとうロームそう
東京とうきょう周辺しゅうへんには、関東かんとうロームそうばれる褐色かっしょくこまかいすなしつひろがっている。これは富士ふじ火山かざんからんできた火山灰かざんばい主体しゅたいである。どう時期じきには箱根山はこねやま大量たいりょう火山灰かざんばいだい規模きぼ噴出ふんしゅつさせていたが、箱根はこね火山灰かざんばいしろっぽく、富士ふじ火山かざん火山灰かざんばい褐色かっしょくなので見分みわけがく。

新富士しんふじ火山かざん活動かつどう[編集へんしゅう]

新富士しんふじ火山かざん噴火ふんかでは、溶岩ようがんりゅう火砕流かさいりゅうスコリア火山灰かざんばいやまたい崩壊ほうかいがわ火山かざん噴火ふんかなどのしょ現象げんしょう発生はっせいしており[3]、「噴火ふんかのデパート」とばれている。大別たいべつすると山頂さんちょう噴火ふんかでは爆発ばくはつてき噴火ふんかり、山腹さんぷく噴火ふんかでは溶岩ようがんりゅう噴出ふんしゅつさせる[4]。また、いわくずなだれ、やまたい崩壊ほうかい火山かざんどろりゅうしょうじている[2]

新富士しんふじ火山かざんきゅう (富士宮ふじのみや)
  • 紀元前きげんぜん1まん5000ねんごろから紀元前きげんぜん6000ねんごろまで
山頂さんちょう噴火ふんか山腹さんぷく噴火ふんか断続だんぞくてき大量たいりょう玄武岩げんぶがんしつ溶岩ようがん噴出ふんしゅつ流動りゅうどうせいとおくまでながれる傾向けいこうがある。この時期じき噴火ふんかした溶岩ようがん最大さいだい40kmもながれており、南側みなみがわ流下りゅうかした溶岩ようがん駿河湾するがわんたっしている。
紀元前きげんぜん9700ねんごろやく11,700ねんまえ)、三島みしま溶岩ようがんりゅう紀元前きげんぜん6500ねんごろやく8,500ねんまえ)、山梨やまなしけん大月おおつきまでながれた猿橋さるはし溶岩ようがん[5]紀元前きげんぜん6000ねんごろやく8,000ねんまえ)、馬伏ばぶしがわいわくずなだれ[2]
新富士しんふじ火山かざんきゅう (須走すばしり-a)
  • 紀元前きげんぜん6000ねんごろから紀元前きげんぜん3600ねんごろまで
富士ふじ黒土こくどそう形成けいせい須走すばしり-a活動かつどう低調ていちょうであったとかんがえられており[4]富士宮ふじのみや以前いぜんいにしえ富士ふじ火山かざん須走すばしり-a以降いこうしん富士ふじ火山かざんとするかんがえもある。
新富士しんふじ火山かざん中期ちゅうき (須走すばしり-b)
  • 紀元前きげんぜん3600ねんごろから紀元前きげんぜん1500ねんごろまで
現在げんざい円錐えんすいじょうやまたい形成けいせい[4]。ほとんどが玄武岩げんぶがんからなる。
新富士しんふじ火山かざんきゅうしん前半ぜんはん (須走すばしり-c)
  • 紀元前きげんぜん1500ねんごろから紀元前きげんぜん300ねんごろまで
噴火ふんか様式ようしきが「山頂さんちょう山腹さんぷくからの溶岩ようがん流出りゅうしゅつ」から「山頂さんちょう山腹さんぷくでの爆発ばくはつ噴火ふんか」に移行いこうした。紀元前きげんぜん1300ねんごろ噴火ふんか大室山おおむろやま片蓋山かたふたやま形成けいせい紀元前きげんぜん900ねんごろ御殿場ごてんばがんくずなだれが発生はっせい[4]
新富士しんふじ火山かざんきゅうしん前半ぜんはん (須走すばしり-d)
  • 紀元前きげんぜん300ねんごろから現在げんざいまで

新富士しんふじ火山かざん火山灰かざんばい黒色こくしょくおおい。新富士しんふじ火山かざん噴火ふんか地層ちそうてきにもあたらしく、また8世紀せいき以後いごには日本にっぽん古文書こもんじょ富士山ふじさん活動かつどう記載きさいされており、噴火ふんかについて貴重きちょうなデータを提供ていきょうしているが、噴出ふんしゅつげんおよび年代ねんだいあきらかになっていない溶岩ようがんりゅうおおくある。しかし成果せいかもあり、2001ねんから2003ねんおこなわれたスコリアおかトレンチ調査ちょうさによれば、9世紀せいきさだかん噴火ふんかでは噴火ふんかおお発生はっせいし、山頂さんちょうはさ南北なんぼくりょう山腹さんぷく溶岩ようがん噴出ふんしゅつ溶岩ようがんりゅう流下りゅうかさせていた[6]

諸説しょせつあるが、古記こきろくによれば新富士しんふじ火山かざん噴火ふんか781ねん[7]以後いご16かい記録きろくされている[8]噴火ふんか平安へいあん時代じだいおおく、800ねんから1083ねんまでのあいだに10かい程度ていど、1511ねんとう噴火ふんかうつとう活動かつどうがあったことが、複数ふくすう古文書こもんじょ分析ぶんせき地質ちしつ調査ちょうさからあかりかとなっている。一方いっぽう文書ぶんしょによっては、1560ねんごろ、1627ねん、1700ねん噴火ふんか活動かつどうがあったとされているが、信頼しんらいせいひくい。また噴火ふんか合間あいまには平穏へいおん期間きかんすうひゃくねんつづくこともあり、たとえば1083ねんから1511ねんまで400ねん以上いじょう噴火ふんか記録きろくがないが、記録きろく文書ぶんしょ散逸さんいつのこされていないだけで、噴火ふんか活動かつどう自体じたいがなかったとは断言だんげんできない。実際じっさいに、1435ねんから1436ねんには火炎かえんえたとの記録きろくのこ[9][10]

噴火ふんか様式ようしきちが[編集へんしゅう]

864ねんさだかん噴火ふんかと1707ねん宝永ほうえい噴火ふんか噴出ふんしゅつぶつ化学かがく組成そせい玄武岩げんぶがんしつでほぼおなじである。しかし、噴火ふんか様式ようしきおおきくことなり、864ねんさだかん噴火ふんか溶岩ようがんりゅうで1707ねん宝永ほうえい噴火ふんかプリニーしき噴火ふんか爆発ばくはつてき噴火ふんかであった。この2つの噴火ふんか様式ようしきけたのは、マグマの脱水だっすい過程かてい噴火ふんか機構きこうちがいがあったものとかんがえられている。

具体ぐたいてきには、玄武岩げんぶがんしつ噴出ふんしゅつぶつちゅうはす長石ちょうせきこうあつ(やく195MPa)のリキダス温度おんど付近ふきんでの溶解ようかい実験じっけん結晶けっしょう組織そしき分析ぶんせきから、864ねんさだかん噴火ふんか上昇じょうしょうしたマグマはマグマまり若干じゃっかん時間じかん滞留たいりゅうし、脱水だっすいおよ発泡はっぽうだつガスがおこなわれあらたなマグマが供給きょうきゅうされたのち噴出ふんしゅつをした。また、1707ねん宝永ほうえい噴火ふんか地下ちか20Km付近ふきんのマグマが滞留たいりゅうすることなく上昇じょうしょうしたため、脱水だっすい発泡はっぽうだつガスがほとんどなく、結果けっかてき爆発ばくはつてき噴火ふんかとなった[11]

りゃく年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

やく3000ねんまえ
縄文じょうもん時代じだい後期こうきに4かい爆発ばくはつてき噴火ふんかこした。これらは仙石せんごくスコリア(Sg)、大沢おおさわスコリア(Os)、大室おおむろスコリア(Om)、砂沢いさござわスコリア(Zn)としてられている。富士山ふじさん周辺しゅうへん通常つうじょう西風せいふういており噴出ふんしゅつぶつ東側ひがしがわおおもるが、大沢おおさわスコリアのみ東風こちって浜松はままつ付近ふきんまでんでいる。
やく2900ねんまえ
富士山ふじさんひがし斜面しゃめんだい規模きぼやまたい崩壊ほうかい発生はっせいし、いわくずなだれ、およびどろりゅう発生はっせいした。このとき崩壊ほうかいしたやまたい体積たいせきは1.76 km3推定すいていされている[12][13]どろりゅう御殿場ごてんば周辺しゅうへんからひがしへは足柄あしがら平野へいやへ、みなみへは三島みしま周辺しゅうへんとおって駿河湾するがわん流下りゅうかした。これは御殿場ごてんばどろりゅうばれており、このどろりゅう堆積たいせきした範囲はんい現在げんざい三島みしまひろ地域ちいき相当そうとうする。やまたい崩壊ほうかい発生はっせいした原因げんいん現在げんざいところ特定とくていされていないが、崩壊ほうかい当時とうじ顕著けんちょ噴火ふんか活動かつどうがないこともあって、富士川ふじかわ河口かこう断層だんそうたいないし神縄かみなわ国府津こうづ-松田まつだ断層だんそうたい震源しんげんとするだい規模きぼ地震じしんによるのではないかというせつがある。
482ねんごろせいやすし天皇てんのうさんねん
旧暦きゅうれき)3がつから4がつにかけて噴火ふんか[10]
はし湯山ゆやま縁起えんぎ」の記述きじゅつでは、
せいやすし天皇てんのうさんねんみずのえいぬさんよんがつ富士浅間山ふじせんげんやましょうくずれくろけむりそびえてんねつはいしきさんのう営絶、五穀ごこくじゅくこれみかどしんおどろき騒、人民じんみん愁歎しゅうたん
781ねんてんおう元年がんねん
噴火ふんか
800ねん〜802ねんのべれき19ねん
旧暦きゅうれき)3がつ14にちから4がつ18にちにかけて噴火ふんかのべれきだい噴火ふんか
日本にっぽんりゃく」(厳密げんみつには、りゃく引用いんようした「日本にっぽん逸文いつぶん)の記述きじゅつでは、
さんがつじゅうよんにちまでよんがつじゅうはちにち富士山ふじさん巓自しょうひるのりけむりくらつむよるのり火花ひばなあきらてん、其声わかかみなりはい如雨、山下やましたがわすいみな紅色こうしょく
802ねんのべれき21ねん
1がつ8にち この噴火ふんかにより相模さがみこく足柄あしがら一時いちじ閉鎖へいさされ、5月19にちから翌年よくねんの5がつ8にちまでの1年間ねんかんは、筥荷(箱根はこね迂回うかいとして利用りようされた。火山かざん爆発ばくはつ指数しすう:VEI3
駿河するがこく富士山ふじさん昼夜ちゅうやつね燎、砂礫されき如霰しゃもとめ卜筮ぼくぜいうらない曰、于疫、むべれい両国りょうこく鎮謝、及読経どきょう以攘わざわい
五月ごがつきのえいぬはい相模さがみこく足柄あしがらひらき筥荷、以富しょう砕石さいせきふさが道也みちや
864ねんさだかん6ねん
さだかんだい噴火ふんか 864ねん6がつ - 866ねん初頭しょとうにかけて活動かつどう青木あおきばら溶岩ようがん形成けいせいした噴火ふんかで、山頂さんちょうから北西ほくせい斜面しゃめんやく10Kmの(現在げんざい長尾山ながおやま)から大量たいりょう溶岩ようがん流出りゅうしゅつとスコリア噴火ふんかとをこす。
日本にっぽんさんだい実録じつろく』の記述きじゅつでは、5月25にちづけ報告ほうこくとして
富士ふじぐんせいさん浅間あさま大神だいじん大山おおやま、其勢甚熾、焼山やけやまかたいちもとさと
ひかりえんだかじゅうもとたけだいゆうごえ如雷、地震じしんさんれきじゅうにちなお不滅ふめつこげ岩崩いわくずれみねすなせき如雨、けむりくもうつふけひととくちか大山おおやま西北せいほくゆう本栖もとす水海みずうみ(みずうみ)、ところしょう岩石がんせきながれうめ海中かいちゅうとおさんじゅうもとさとこうさんよんもとさとこうさんもとたけ火焔かえんとげぞく甲斐かいこくさかい
(ここでいう1は6まち=やく650m。「〜もとさと」は「〜さとばかり」の。)
7がつ17にちぶん報告ほうこくとして
駿河するがこく富士ふじ大山おおやまゆるがせゆう暴火、しょう砕崗巒、草木くさきこげころせ鑠石りゅううめはちだいぐん本栖もとすりょう水海みずうみみずねつ如湯、さかなすっぽんみな百姓ひゃくしょう居宅きょたくあずかうみどもうめあるゆうたく無人むじん、其数なんりょううみ以東いとうまた有水ありみずかいめい河口かこううみ火焔かえん赴向河口かこううみ本栖もとすとううみやきうめまえだい震動しんどう雷電らいでん暴雨ぼうう雲霧くもぎり晦冥かいめい山野さんやなんべんしかこうゆう此災焉。
とある。
剗のうみ(せのうみ)」は富士ふじきたふもとにあった広大こうだいみずうみだが、このとき溶岩ようがんりゅうによりてられ、水面すいめん大半たいはんうしなった。てをまぬかれた西端せいたん東端ひがしばたはのちに精進湖しょうじこ西湖さいことしてられた。なが溶岩ようがん一帯いったいひろおおい、「青木あおきげん溶岩ようがん」を形成けいせいした、そのこの溶岩ようがんうえにはあらたに森林しんりん形成けいせいされ、現在げんざいでは「青木あおきげん樹海じゅかい」のとおられている。このさだかんだい噴火ふんかは、さだかん地震じしんの5ねんまえきた。
937ねんうけたまわひらた7ねん
噴火ふんか
現在げんざい河口湖かわぐちこ富士吉田ふじよしだあいだにあった「御舟みふね」をめ、けん丸尾まるおだい1溶岩ようがん噴出ふんしゅつさせた噴火ふんかとされる。
日本にっぽんりゃく」の記述きじゅつではうけたまわひら7ねん旧暦きゅうれき11がつぼうじょうに、
甲斐かいこくげん駿河するがこく富士山ふじさん神火しんかうめ水海みずうみ
999ねん長保ながほ元年がんねん
噴火ふんか
1015ねんごろ
きたふもとけん丸尾まるおだい溶岩ようがん)とみなみふもと不動沢ふどうさわ溶岩ようがん)で同時どうじ噴火ふんかか。山梨やまなしけん富士山ふじやま科学かがく研究所けんきゅうじょ磁鉄鉱じてっこう分析ぶんせきによる推定すいてい[14]
1033ねん初頭しょとうながもと5ねんまつ
噴火ふんか
1083ねんえい3ねん
噴火ふんか
1435ねんまたは1436ねん初頭しょとうえいとおる7ねん
噴火ふんか
1511ねんえいただし8ねん
噴火ふんか
1704ねん元禄げんろく16ねんまつ〜17ねん初頭しょとう
鳴動めいどう
宝永ほうえい火口かこう宝永山ほうえいざん
1707ねん
12月16にち宝永ほうえい4ねん旧暦きゅうれき11がつ23にち 宝永ほうえいだい噴火ふんか火山かざん爆発ばくはつ指数しすう:VEI5
大量たいりょうのスコリアと火山灰かざんばい噴出ふんしゅつ。この噴火ふんか日本にっぽん最大さいだいきゅう地震じしんである宝永ほうえい地震じしんの49にちはじまり、江戸えどちゅうまで大量たいりょう火山灰かざんばい降下こうかさせるとう特徴とくちょうてき噴火ふんかであった。
1708ねん宝永ほうえい5ねん
鳴動めいどう
1854ねんよしみなが7ねん安政あんせい元年がんねん
安政あんせい東海とうかい地震じしん発生はっせい直後ちょくご富士ふじ山頂さんちょう異様いよう黒雲くろくもがかかり、8ごう付近ふきん多数たすうがるようながめられたという[15]
1923ねん大正たいしょう12ねん
あらたな噴気ふんき
1987ねん昭和しょうわ62ねん
山頂さんちょうのみでゆうかん地震じしん
2012ねん平成へいせい24ねん
2がつ10日とおか 富士山ふじさん3ごう山頂さんちょう北西ほくせいやく6km)の山腹さんぷくわずかな噴気ふんき確認かくにんしたが、4月と5がつ現地げんち調査ちょうさでは湯気ゆげ温度おんど異常いじょう硫黄いおうしゅうみとめられず[16]

宝永ほうえいだい噴火ふんか以降いこう活動かつどう[編集へんしゅう]

宝永ほうえいだい噴火ふんか富士山ふじさんではだい規模きぼ火山かざん活動かつどうはなかったが、江戸えど時代じだい晩期ばんきから、昭和しょうわ中期ちゅうきにかけて、山頂さんちょう火口かこう南東なんとうえん荒巻あらまきばれる場所ばしょ中心ちゅうしん噴気ふんき活動かつどうがあった。この活動かつどうは1854ねん安政あんせい東海とうかい地震じしんをきっかけにはじまったとわれており、明治めいじ大正たいしょう昭和中しょうわなかけての期間きかん荒巻あらまき中心ちゅうしんとした一帯いったい明白めいはく噴気ふんき活動かつどうがあったことが、測候所そっこうじょ記録きろく登山とざんきゃく証言しょうげんとしてのこされている。

この噴気ふんき活動かつどう明治めいじ中期ちゅうきから大正たいしょうにかけて、荒巻あらまき中心ちゅうしん場所ばしょえつつ活発かっぱつ活動かつどうしていたとされる。活動かつどう昭和しょうわはいって低下ていかはじめたが、1957ねん気象庁きしょうちょう調査ちょうさにおいても50℃の温度おんど記録きろくしていた。その1960年代ねんだいには活動かつどう終息しゅうそくし、現在げんざい山頂さんちょう付近ふきんには噴気ふんき活動かつどうみとめられていない。

しかしながら、噴気ふんき活動かつどう終了しゅうりょう山頂さんちょう火口かこう宝永ほうえい火口かこう付近ふきん地熱じねつ観測かんそくされたと記録きろくされている。以上いじょうのように、富士山ふじさんがつい近年きんねんまで噴気ふんきという火山かざん活動かつどうしょ形態けいたいひとつをつづけていたという事実じじつは、富士山ふじさん現在げんざいいきづいている活火山かっかざんである証拠しょうこである。

地震じしんとの関係かんけい[編集へんしゅう]

宝永ほうえいだい噴火ふんか宝永ほうえい地震じしんの49にち発生はっせいしている。そのほかに南海なんかいトラフ相模さがみトラフ震源しんげんとする地震じしん近隣きんりん地域ちいき地震じしん前後ぜんご25ねん以内いないに、富士山ふじさんなんらかの活動かつどう発生はっせいしている事例じれいおおく、地震じしん富士山ふじさん活動かつどうとは関連かんれんせいがあるとされる[17]

また、噴火ふんか活動かつどうではないが、1331ねん元弘もとひろ地震じしん(M7)や1792ねん、1891ねん地震じしん(M8.0)では地震じしん震動しんどうやまたい崩壊ほうかいだい規模きぼ斜面しゃめん崩落ほうらく発生はっせいしたと記録きろくされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 高橋たかはし正樹まさき, 小見おみなみせいおさむ, 根本ねもと靖彦やすひこ富士ふじ火山かざん噴出ふんしゅつぶつぜんいわ化学かがく組成そせい--分析ぶんせきデータ847総括そうかつ」(PDF)『日本にっぽん大学だいがく文理学部ぶんりがくぶ自然しぜん科学かがく研究所けんきゅうじょ研究けんきゅう紀要きよう 地球ちきゅうシステム科学かがくだい38ごう日本にっぽん大学だいがく文理学部ぶんりがくぶ自然しぜん科学かがく研究所けんきゅうじょ、2003ねん、117-166ぺーじISSN 13432745NAID 40005899606 
  2. ^ a b c d 小山こやま真人まさと(2012)、富士山ふじさんきるだい規模きぼ現象げんしょうのリスク試算しさんおよび現象げんしょうとの比較ひかく 2012.8.21 静岡しずおかけん防災ぼうさい原子力げんしりょく学術がくじゅつ会議かいぎ 地震じしん火山かざん対策たいさく部会ぶかい発表はっぴょうスライド (PDF)
  3. ^ 富士山ふじさん、1000ねんまえ噴火ふんかしん事実じじつ 産業さんぎょう技術ぎじゅつ総合そうごう研究所けんきゅうじょ
  4. ^ a b c d 山元やまもと孝広たかひろあらたにかった富士ふじ火山かざん最近さいきん 4000 年間ねんかん噴火ふんか 日本にっぽん火山かざん学会がっかいだい11かい公開こうかい講座こうざ 最新さいしん科学かがくがさぐる富士山ふじさん火山かざん防災ぼうさい (PDF)
  5. ^ 遠藤えんどう邦彦くにひこ, 村井むらい公一こういち, 山梨やまなしけん大月おおつきにおける猿橋さるはし溶岩ようがん直下ちょっか腐植ふしょく14C年代ねんだい : 日本にっぽんだいよんそう14C年代ねんだい(122)」『地球ちきゅう科学かがく』 32かん 2ごう 1978ねん p.107-108, doi:10.15080/agcjchikyukagaku.32.2_107, NAID 110007091522
  6. ^ さん総研そうけん地質ちしつ調査ちょうさ総合そうごうセンターだい9かいシンポジウム(富士山ふじさん噴火ふんか履歴りれき活動かつどう評価ひょうか) 中野なかのしゅん (地質ちしつ情報じょうほう研究けんきゅう部門ぶもん 火山かざん活動かつどう研究けんきゅうグループ) (PDF)
  7. ^ ぞく日本にっぽん』に、「てんおう元年がんねん七月癸亥駿河国言富士山下雨灰灰之所及木葉彫萎」
  8. ^ 噴火ふんか年表ねんぴょう 静岡大学しずおかだいがく教育きょういく学部がくぶ総合そうごう科学かがく教室きょうしつ
  9. ^ 小山こやま真人まさと, 歴史れきし時代じだい富士山ふじさん噴火ふんかさい検討けんとう」『火山かざん』 43かん 5ごう 1998ねん p.323-347, 日本にっぽん火山かざん学会がっかい, doi:10.18940/kazan.43.5_323
  10. ^ a b 小山こやま真人まさと(2007):富士山ふじさん歴史れきし噴火ふんか総覧そうらん 荒牧あらまき重雄しげお藤井ふじい敏嗣としつぐ中田なかた節也せつや宮地みやじ直道なおみちへん富士ふじ火山かざん山梨やまなしけん環境かんきょう科学かがく研究所けんきゅうじょ,119-136 (PDF)
  11. ^ 富士ふじ火山かざん 1707/864 ねん玄武岩げんぶがんしつ噴出ふんしゅつぶつはす長石ちょうせき組成そせいからみたマグマ含水りょう噴火ふんか機構きこう (PDF)
  12. ^ 宮地みやじ直道なおみち富士山ふじさんだい規模きぼ噴火ふんかやまたい崩壊ほうかい 日本にっぽん火山かざん学会がっかいだい11かい公開こうかい講座こうざ (PDF)
  13. ^ 宮地みやじ直道なおみち富樫とかし茂子しげこ千葉ちば達郎たつお富士ふじ山東さんとう斜面しゃめんで2900ねんまえ発生はっせいしたやまたい崩壊ほうかい」『火山かざんだい49かんだい5ごう、2004ねん、237-248ぺーじdoi:10.18940/kazan.49.5_2372015ねん12月2にち閲覧えつらん 
  14. ^ 富士山ふじさん 西暦せいれき1015ねんごろ、2カ所かしょどう時期じき噴火ふんかか”. 毎日新聞まいにちしんぶん朝刊ちょうかん. (2017ねん5がつ10日とおか). https://mainichi.jp/articles/20170510/k00/00m/040/084000c 
  15. ^ つじよしのぶ 『富士山ふじさん噴火ふんか まんようしゅうから現代げんだいまで』 築地つきじしょかん、1992ねん
  16. ^ だい123かい火山かざん噴火ふんか予知よち連絡れんらくかい 全国ぜんこく火山かざん活動かつどう評価ひょうか 気象庁きしょうちょう (PDF)
  17. ^ 富士山ふじさん歴史れきし噴火ふんかそう解説かいせつ 静岡大学しずおかだいがく教育きょういく学部がくぶ総合そうごう科学かがく教室きょうしつ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]