富永とみながはつ

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富永とみながはつ

富永とみなが はつ(とみなが はっしゅく、1833ねん12月18にち天保てんぽう4ねん11月8にち[1]) - 1919ねん大正たいしょう8ねん4がつ24にち[2])は、幕末ばくまつ横須賀よこすか藩士はんし明治めいじから大正たいしょう時代じだい政治せいじ官吏かんり衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(1)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

のちの静岡しずおかけん出身しゅっしん[2]漢学かんがくおよび洋学ようがくおさめる[2]横須賀よこすかはん目付めつけやく普請ふしん奉行ぶぎょうぐん奉行ぶぎょう農兵のうへい奉行ぶぎょうなどをて、維新いしんみんしょう駅逓えきていけんしょうたすくどうしょうたすくこうしょう出仕しゅっし三潴みずまけん土木どぼくちゅうけんぞくどうてんごと長崎ながさきけんぞくどう土木どぼく課長かちょう長崎ながさきこう悪疫あくえき予防よぼう委員いいん衛生えいせい課長かちょう女神めがみ船舶せんぱく検疫けんえき所長しょちょう長崎ながさき水道すいどう事務じむちょう内務ないむだい課長かちょう長崎ながさき測候そっこう所長しょちょうなどを歴任れきにんした[2]

1902ねん明治めいじ35ねん)8がつだい7かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは静岡しずおかけん郡部ぐんぶから憲政けんせいほんとう所属しょぞく出馬しゅつば当選とうせん[2]衆議院しゅうぎいん議員ぎいんを1つとめた[2]

親族しんぞく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]