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小林こばやし裕紀ゆうき

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小林こばやし 裕紀ゆうき
名前なまえ
愛称あいしょう こばゆ
カタカナ コバヤシ ユウキ
ラテン文字もじ KOBAYASHI Yuki
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
生年月日せいねんがっぴ (1988-10-18) 1988ねん10月18にち(35さい
出身しゅっしん 神奈川かながわけん川崎かわさき麻生あそう
身長しんちょう 180cm
体重たいじゅう 70kg
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション MF
あし 右足みぎあし
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
2011-2013 ジュビロ磐田じゅびろいわた 96 (3)
2014-2016 アルビレックス新潟にいがた 75 (0)
2017-2019 名古屋なごやグランパス 63 (2)
2019-2022 大分おおいたトリニータ 65 (0)
通算つうさん 299 (5)
1. 国内こくないリーグせんかぎる。2022ねん10がつ23にち現在げんざい
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

小林こばやし 裕紀ゆうき(こばやし ゆうき、1988ねん10月18にち - )は、神奈川かながわけん川崎かわさき麻生あそう出身しゅっしんもとプロサッカー選手せんしゅ、サッカー指導しどうしゃ現役げんえき時代じだいのポジションはミッドフィールダー(MF)。マネジメント会社かいしゃはジェイプランニング[1]

つまはモデルの彦坂ひこさかまなみ

来歴らいれき[編集へんしゅう]

ヴェルディジュニア、ヴェルディジュニアユース、ヴェルディユースと、東京とうきょうヴェルディ下部かぶ組織そしき所属しょぞくした。ジュニアユースの同期どうきには森本もりもと貴幸たかゆき、ユースの同期どうきにはエルサムニー・オサマがいた。2007ねん明治大学めいじだいがく進学しんがく体育たいいくかいサッカー入部にゅうぶ同期どうき笠原かさはらのぼる久保くぼ裕一ひろいち山田やまだだいなど。また1学年がくねん高木たかぎ駿しゅんはヴェルディジュニアから明治大めいじだいいたるまでいずれもチームメイトとなった[注釈ちゅうしゃく 1])。3ねんには全日本ぜんにほん大学だいがくサッカー選手権せんしゅけん大会たいかいでMVPにえらばれた[2]

大学だいがく4ねんの2010ねんジュビロ磐田じゅびろいわた特別とくべつ指定してい選手せんしゅとなり、よく2011ねん磐田いわた正式せいしき加入かにゅう同期どうき入団にゅうだんには山田やまだだい金園きんえん英学えいがくがいた。小林こばやし新人しんじんながら開幕かいまくせんからボランチとして先発せんぱつメンバーにつらね、ちょうえん欠場けつじょうした1試合しあいのぞく33試合しあい先発せんぱつ、うち32試合しあいをフル出場しゅつじょうした。また、ナビスコカップ1回戦かいせんアビスパ福岡ふくおかせんでプロはつ得点とくてんめた[3]

2012ねん背番号せばんごうを22ばんから名波なばひろしなどがけていた7ばん変更へんこう[4]。このシーズン、小林こばやしは5月19にちアルビレックス新潟にいがたせんでJリーグはつ得点とくてんめ、12月1にちのシーズン最終さいしゅうせんではガンバ大阪がんばおおさかのJ2降格こうかく決定けっていける得点とくてんげた。

2013ねん磐田いわたはJ2への降格こうかくまり、シーズン終了しゅうりょう前後ぜんこうから小林こばやし流出りゅうしゅつ候補こうほ1人ひとりかぞえられた[5]としまたぎ1がつはいると、おなじくボランチを主戦しゅせんじょうとする三門みかど雄大たけひろ移籍いせき決定的けっていてきとなったアルビレックス新潟にいがたからの興味きょうみほうじられ、三門さんもん移籍いせき発表はっぴょうされた翌日よくじつの2014ねん1がつ9にち小林こばやし新潟にいがた移籍いせき発表はっぴょうされた[6][7][8]。この移籍いせきほうじたスポーツニッポンによれば、小林こばやし磐田いわたとの契約けいやくを1ねんのこしており、新潟にいがた違約いやくきんはらっての獲得かくとくとなった[7]。2ねんの2015ねんシーズンはおなじボランチの小泉こいずみけいにスタメンのうばわれさくシーズンよりすくないリーグせん21試合しあいまった。2016ねんのオフにJ1ベガルタ仙台せんだいからオファーをけるが、新潟にいがた残留ざんりゅうしチームキャプテンをつとめた[9]

2017ねんより名古屋なごやグランパス完全かんぜん移籍いせき加入かにゅう[10]自身じしんはつJ2リーグでのプレーとなった。一時期いちじき本職ほんしょくではないセンターバックとして起用きようされ不安ふあん緊張きんちょう日々ひびごしたが、そこで攻撃こうげきうつったさいのチームのうごきをさい認識にんしきし、そのふたた本職ほんしょくのボランチにポジションをうつすと中盤ちゅうばん牽引けんいんした。チームメイトの新井あらいいち耀からはボランチでコンビをんでいた田口たぐち泰士やすしともに「絶対ぜったいてき存在そんざい」とひょうされるなど、チームの1ねんでのJ1復帰ふっき貢献こうけんした[11]よく2018ねんおも先発せんぱつ出場しゅつじょうでリーグせん32試合しあい出場しゅつじょうしたが、2019ねんになるとジョアン・シミッチ米本よねもと拓司たくじらの加入かにゅう影響えいきょう出場しゅつじょう機会きかい減少げんしょう[9]。リーグせんではすべ途中とちゅう出場しゅつじょうでの5試合しあい出場しゅつじょうとどまった。

2019ねん8がつ大分おおいたトリニータ完全かんぜん移籍いせき加入かにゅう[12]。2022ねんもっ契約けいやく満了まんりょうにより大分おおいた退団たいだん[13]。その現役げんえき引退いんたい発表はっぴょうした[14]

2023ねんFC町田まちだゼルビアのユースコーチに就任しゅうにん[15]

所属しょぞくクラブ[編集へんしゅう]

個人こじん成績せいせき[編集へんしゅう]

国内こくない大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんどクラブ背番号せばんごうリーグ リーグせん リーグはいオープンはい 期間きかん通算つうさん
出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
日本にっぽん リーグせん リーグはい天皇杯てんのうはい 期間きかん通算つうさん
2007 明治大めいじだい 16 - - - 2 0 2 0
2009 7 - - 4 0 4 0
2011 磐田いわた 22 J1 33 0 4 1 2 0 39 1
2012 7 32 2 3 0 2 0 37 2
2013 31 1 5 0 1 0 37 1
2014 新潟にいがた 6 25 0 3 0 2 0 30 0
2015 21 0 6 0 1 0 28 0
2016 29 0 5 0 2 0 36 0
2017 名古屋なごや 17 J2 26 1 - 2 0 28 1
2018 4 J1 32 1 4 0 1 0 37 1
2019 5 0 7 0 1 0 13 0
大分おおいた 6 11 0 - - 11 0
2020 12 0 1 0 - 13 0
2021 25 0 2 0 3 0 30 0
2022 J2 17 0 2 0 1 0 20 0
通算つうさん 日本にっぽん J1 256 4 40 1 15 0 311 5
日本にっぽん J2 43 1 2 0 3 0 48 1
日本にっぽん - - 6 0 6 0
そう通算つうさん 299 5 42 1 24 0 365 6
  • 特別とくべつ指定してい選手せんしゅとしての試合しあい出場しゅつじょう

その国際こくさい公式こうしきせん

選抜せんばつれき[編集へんしゅう]

  • 関東かんとう大学だいがく選抜せんばつ(2010ねん

タイトル[編集へんしゅう]

クラブ[編集へんしゅう]

ヴェルディユース
明治大学めいじだいがく

個人こじん[編集へんしゅう]

  • 全日本ぜんにほん大学だいがくサッカー選手権せんしゅけん大会たいかい 最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅ(2009ねん

指導しどうれき[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 2019ねんより大分おおいたトリニータでふたた高木たかぎとチームメイトとなった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ CLIENT”. ジェイプランニング. 2019ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ サッカーがインカレで優勝ゆうしょう!(51ぶり2かい明治大学めいじだいがく
  3. ^ 2011 ヤマザキナビスコカップ vs.アビスパ福岡ふくおか ジュビロ磐田じゅびろいわた公式こうしきサイト 2011.6.5 試合しあい日程にってい結果けっか
  4. ^ 2012ねんシーズンしん体制たいせい選手せんしゅ&スタッフ) ジュビロ磐田じゅびろいわた公式こうしきサイト 2012.1.15づけニュースリリース
  5. ^ 週刊しゅうかんサッカーダイジェスト 2013ねん12月3にちごう 日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ 2013ねん11月19にち
  6. ^ 新潟にいがた日報にっぽう 2014ねん1がつ10日とおか 13はん20めん
  7. ^ a b 新潟にいがた 磐田いわたMF小林こばやしひろし獲得かくとく!三門さんもん移籍いせき濃厚のうこうそく戦力せんりょく期待きたい”. スポーツニッポン (2014ねん1がつ8にち). 2014ねん1がつ9にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2014ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  8. ^ ジュビロ磐田じゅびろいわたから小林こばやし 裕紀ゆうき選手せんしゅ 完全かんぜん移籍いせき加入かにゅうのおらせ”. アルビレックス新潟にいがた (2014ねん1がつ9にち). 2014ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  9. ^ a b 大分おおいた実力じつりょくしゃ補強ほきょう名古屋なごやよりMF小林こばやし裕紀ゆうき完全かんぜん移籍いせき獲得かくとく”. GOAL (2019ねん8がつ13にち). 2019ねん8がつ15にち閲覧えつらん
  10. ^ 小林こばやし 裕紀ゆうき選手せんしゅ 名古屋なごやグランパスに完全かんぜん移籍いせきのおらせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟にいがた、2016ねん12月21にちhttp://www.albirex.co.jp/news/top_team/506812019ねん8がつ15にち閲覧えつらん 
  11. ^ 名古屋なごや vs 横浜よこはまFC】 ウォーミングアップコラム:J2最強さいきょうほこ名古屋なごやささえる仕事しごとじん小林こばやし裕紀ゆうき注目ちゅうもくするのが、いま名古屋なごやつう見方みかた”. J's GOAL (2017ねん8がつ25にち). 2019ねん8がつ15にち閲覧えつらん
  12. ^ 小林こばやし 裕紀ゆうき 選手せんしゅ 名古屋なごやグランパスより完全かんぜん移籍いせき加入かにゅうのおらせ』(プレスリリース)大分おおいたトリニータ、2019ねん8がつ13にちhttps://www.oita-trinita.co.jp/news/20190853587/2019ねん8がつ13にち閲覧えつらん 
  13. ^ 小林こばやし 裕紀ゆうき選手せんしゅ 契約けいやく満了まんりょうのおらせ』(プレスリリース)大分おおいたトリニータ、2022ねん12月4にちhttps://www.oita-trinita.co.jp/news/20221292189/2022ねん12月5にち閲覧えつらん 
  14. ^ 小林こばやし 裕紀ゆうき選手せんしゅ 現役げんえき引退いんたいのおらせ』(プレスリリース)大分おおいたトリニータ、2023ねん1がつ26にちhttps://www.oita-trinita.co.jp/news/20230193583/2023ねん1がつ26にち閲覧えつらん 
  15. ^ 2023シーズン アカデミースタッフしん体制たいせいについて』(プレスリリース)FC町田まちだゼルビア、2023ねん2がつ1にちhttps://www.zelvia.co.jp/news/news-223190/2023ねん5がつ5にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]