(Translated by https://www.hiragana.jp/)
山口素弘 - Wikipedia コンテンツにスキップ

山口やまぐちもとひろし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口やまぐち もとひろし
名前なまえ
愛称あいしょう ヤマ、モトさん
カタカナ ヤマグチ モトヒロ
ラテン文字もじ YAMAGUCHI Motohiro
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
生年月日せいねんがっぴ (1969-01-29) 1969ねん1がつ29にち(55さい
出身しゅっしん 群馬ぐんまけん高崎たかさき
身長しんちょう 177cm[1]
体重たいじゅう 72kg[1]
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション MF
あし 右足みぎあし
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
1991-1992 全日空ぜんにっくうサッカークラブ 22 (1)
1992-1998 横浜よこはまフリューゲルス 191 (29)
1999-2002 名古屋なごやグランパスエイト 110 (6)
2003-2005 アルビレックス新潟にいがた 83 (6)
2005 横浜よこはまFC (loan) 18 (0)
2006-2007 横浜よこはまFC 66 (0)
代表だいひょうれき2
1995-1998[2] 日本の旗 日本にっぽん 58 (4)
監督かんとくれき
2012-2014 日本の旗 横浜よこはまFC
1. 国内こくないリーグせんかぎる。2007ねん12月14にち現在げんざい
2. 1998ねん6がつ26にち現在げんざい
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

山口やまぐち もとひろし(やまぐち もとひろ、1969ねん1がつ29にち - )は、群馬ぐんまけん高崎たかさき出身しゅっしんもとプロサッカー選手せんしゅもと日本にっぽん代表だいひょうキャプテン)、サッカー指導しどうしゃJFA 公認こうにんSきゅうコーチ)、サッカー解説かいせつしゃ現役げんえき時代じだいのポジションはMFおもボランチ

来歴らいれき[編集へんしゅう]

クラブにて[編集へんしゅう]

1984ねん前橋まえばし育英いくえい高等こうとう学校がっこう入学にゅうがく1985ねん鳥取とっとり国体こくたい群馬ぐんまけん代表だいひょうとして出場しゅつじょう1987ねん1がつ全国ぜんこく高校こうこうサッカー選手権せんしゅけん大会たいかい出場しゅつじょう

1987ねん4がつ東海大学とうかいだいがく入学にゅうがく1988ねん全日本ぜんにほん大学だいがくサッカー選手権せんしゅけん大会たいかい優勝ゆうしょう東海大学とうかいだいがくはこのとしどう大会たいかいはつ出場しゅつじょうであり、このとしふくめて6ねん連続れんぞく決勝けっしょう進出しんしゅつした)。関東かんとう選抜せんばつたい関西かんさい選抜せんばつせん)に選出せんしゅつされ、どう試合しあいにてMVP選出せんしゅつされる[3]。また、1学年がくねんいそかい洋光ひろみつ澤登さわのぼり正朗まさお加入かにゅうし、ポジションを守備しゅびてきミッドフィルダーにうつす。1989ねん全日本ぜんにほん大学だいがくサッカー選手権せんしゅけん大会たいかいじゅん優勝ゆうしょう1990ねん全日本ぜんにほん大学だいがくサッカー選手権せんしゅけん大会たいかいで2度目どめ優勝ゆうしょう同年どうねんユニバーシアードサッカー競技きょうぎ日本にっぽん代表だいひょう選出せんしゅつされる。

1991ねん4がつ全日空ぜんにっくう入社にゅうしゃ全日空ぜんにっくうサッカークラブのち横浜よこはまフリューゲルス)の選手せんしゅとなる。当時とうじ監督かんとく加茂かもあまね1992ねんJリーグ前哨ぜんしょうせんであったナビスコカップ出場しゅつじょう。Jリーグの開幕かいまくした1993ねん8がつ14にちたい浦和うらわせんにてJリーグはつゴール[4]1994ねん1がつ1にち天皇杯てんのうはい決勝けっしょう鹿島かしまアントラーズやぶ優勝ゆうしょう1995ねん8がつだい1かいアジアスーパーカップ優勝ゆうしょう1996ねんは28試合しあい8ゴールとキャリアベストのゴールをめるなど、Jリーグベストイレブン選出せんしゅつされ、1997ねんは2ndステージだい5せつ、8がつ16にち鹿島かしまアントラーズせんでボランチとしてはめずらしいハットトリック達成たっせいするなど[5]、2ねん連続れんぞくJリーグベストイレブン選出せんしゅつされた。

1998ねん10月29にち横浜よこはまフリューゲルスと横浜よこはまマリノス(げん:横浜よこはまF・マリノス)の合併がっぺい発表はっぴょうされたが移籍いせきせず12月名古屋なごやグランパスエイトへの移籍いせき発表はっぴょう1999ねん1がつ1にち横浜よこはまフリューゲルスの最後さいご試合しあいとなった天皇杯てんのうはい決勝けっしょうでは清水しみずエスパルスやぶ優勝ゆうしょうし、キャプテンとして優勝ゆうしょうはいかかげた。

2000ねん1がつ1にち移籍いせき名古屋なごやにおいても天皇杯てんのうはい優勝ゆうしょう2002ねん12月、名古屋なごやから戦力せんりょくがい通告つうこくけて、アルビレックス新潟にいがた移籍いせき2003ねん11月23にち新潟にいがたJ2優勝ゆうしょうし、J1昇格しょうかくたす。2004ねん12月4にち新潟にいがたけん中越なかこし地震じしんチャリティーマッチにジーコジャパンドリームチームの一員いちいんとして出場しゅつじょう

2005ねん8がつ16にち新潟にいがたからJ2の横浜よこはまFCへの期限きげん移籍いせき発表はっぴょうされた[6]2006ねん横浜よこはまFCに完全かんぜん移籍いせき[7] J2優勝ゆうしょうとJ1昇格しょうかくおおきく貢献こうけんした。2007ねん、キャプテンとしてチームを牽引けんいん。シーズン終了しゅうりょうたずして戦力せんりょくがい通告つうこくけ、現役げんえき引退いんたい。J1通算つうさん362試合しあい37ゴール、J2通算つうさん106試合しあい4ゴールの成績せいせきのこした[4]

日本にっぽん代表だいひょう[編集へんしゅう]

1995ねん1がつ、フリューゲルス時代じだい指導しどうけた加茂かもあまね監督かんとくにより日本にっぽん代表だいひょう選出せんしゅつされ[8]キング・ファハド・カップでのナイジェリアせん代表だいひょうデビューをたした[2]同年どうねんダイナスティカップの韓国かんこくせん代表だいひょうはつゴールをめた[9]

1997ねんフランスWはいアジア最終さいしゅう予選よせんでは8試合しあいすべてに出場しゅつじょう[9]、9月28にち韓国かんこくせんでは自身じしんのキャリアを代表だいひょうするゴールをループシュートでめたが[8]、このゴールが代表だいひょう最後さいごのゴールとなった[9]。アジアだい3代表だいひょう決定けっていせんとなったイランせんでも先発せんぱつ出場しゅつじょう[9]勝利しょうり貢献こうけん日本にっぽん代表だいひょうのワールドカップはつ出場しゅつじょう貢献こうけんした。

1998ねん6がつフランスWはいではぜん3試合しあい先発せんぱつフル出場しゅつじょうした[9]

現役げんえき引退いんたい[編集へんしゅう]

引退いんたいおもにサッカー指導しどうしゃサッカー解説かいせつしゃとして活躍かつやく2008ねん4がつよりJFAアンバサダーとして若年じゃくねんそうたいする技術ぎじゅつ指導しどう普及ふきゅう活動かつどうにも従事じゅうじした。

2009ねんにJリーグの監督かんとく必要ひつようSきゅうコーチ資格しかく取得しゅとくし、2012ねん3月21にち古巣ふるすである横浜よこはまFCぜん監督かんとくのシーズン途中とちゅう解任かいにん監督かんとくとして就任しゅうにんだい5せつより指揮しきった。相馬そうま直樹なおき秋田あきたゆたかぐ、3にんWはい出場しゅつじょう経験けいけんしゃ監督かんとくとなる。監督かんとく初年度しょねんどのシーズンはぜん監督かんとく解任かいにん最下位さいかいだったチームをなおし、だい9せつにて監督かんとくはつ勝利しょうり皮切かわきりに最終さいしゅうてきにはJ1昇格しょうかくプレーオフ進出しんしゅつするなどの好成績こうせいせきのこした。が2ねんの2013ねん以降いこう優勝ゆうしょうあらそいにからめず中位ちゅういまりの成績せいせき終始しゅうし。「クラブとの意見いけん相違そうい」を理由りゆうあしかけ3ねんわたったにん退しりぞいた。

2015ねん6がつ日本にっぽんサッカー協会きょうかい技術ぎじゅつ委員いいん強化きょうか会員かいいん)に就任しゅうにん[10]Jリーグ・アンダー22選抜せんばつのコーチに登録とうろくされた[11]

2018ねんには、名古屋なごやグランパスの育成いくせい部門ぶもんのトップである「アカデミーダイレクター」に就任しゅうにん。16ねんぶりとなる名古屋なごやへの復帰ふっきとなった[12]

また、2020ねんからは名古屋なごやグランパスに新設しんせつされた役職やくしょく執行しっこう役員やくいんフットボール統括とうかつ」に就任しゅうにん。トップチームからアカデミーまで、チームのフットボール全体ぜんたい統括とうかつしつつ、経営けいえいめんでも役員やくいんとしてたずさわることになった[13]

さらに、2021ねんからは名古屋なごやグランパスの「執行しっこう役員やくいんゼネラルマネージャー」に就任しゅうにんした[14]

エピソード[編集へんしゅう]

  • 1997ねんのフランスWはいアジア最終さいしゅう予選よせんだい3せん国立こくりつ霞ヶ丘かすみがおか競技きょうぎじょう陸上りくじょう競技きょうぎじょうおこなわれた韓国かんこくせんでのループシュートは、1985ねん木村きむら和司かずしメキシコWはいアジア最終さいしゅう予選よせんたい韓国かんこくせんフリーキックならび、伝説でんせつしょうされている[8]
  • 大学だいがく卒業そつぎょう全日空ぜんにっくう/フリューゲルスから横浜よこはまFCまでの17シーズンちゅう14シーズン、所属しょぞくした4クラブのすべてでキャプテンをつとめた。そして4クラブすべてにいて、リーグせん、カップせんとう優勝ゆうしょうタイトルをもたらしている。
  • 2007ねんのインタビュー[15] によると、山口やまぐち名古屋なごや新潟にいがた在籍ざいせきしたとき自宅じたく横浜よこはまのこしていたが、フリューゲルスからF・マリノスに移管いかんされたかつての練習れんしゅうじょう東戸塚ひがしとつかトレーニングセンターにはまった近付ちかづかなかったとしている。そして、横浜よこはまFCがこの練習れんしゅうじょうを2006ねんいださい山口やまぐちはフリューゲルス時代じだいおな場所ばしょ自分じぶんのロッカーをいた。
  • 引退いんたい自身じしん引退いんたい試合しあい企画きかくしていたが、「フリューゲルス」の名称めいしょう使つか許可きょか横浜よこはまF・マリノスよりりなかったため、開催かいさい断念だんねんした。

所属しょぞくクラブ[編集へんしゅう]

個人こじん成績せいせき[編集へんしゅう]

国内こくない大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんどクラブ背番号せばんごうリーグ リーグせん リーグはいオープンはい 期間きかん通算つうさん
出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
日本にっぽん リーグせん JSLはい/ナビスコはい 天皇杯てんのうはい 期間きかん通算つうさん
1990-91 全日空ぜんにっくう 32 JSL1 0 0 - - 0 0
1991-92 23 22 1 1 1
1992 横浜よこはまF - J - 6 0 2 0 8 0
1993 35 3 6 1 4 0 45 4
1994 34 2 1 0 2 0 37 2
1995 41 3 - 1 0 42 3
1996 28 8 14 5 1 0 43 13
1997 5 19 6 1 0 5 1 25 7
1998 34 7 0 0 5 0 39 7
1999 名古屋なごや 6 J1 29 2 6 0 5 0 40 2
2000 28 1 6 1 2 0 36 2
2001 28 1 6 0 0 0 34 1
2002 25 2 6 0 0 0 31 2
2003 新潟にいがた 8 J2 42 4 - 3 0 45 4
2004 J1 29 2 5 0 0 0 34 2
2005 12 0 3 0 - 15 0
横浜よこはまFC 30 J2 18 0 - 2 0 20 0
2006 6 46 0 - 0 0 46 0
2007 J1 20 0 3 0 2 0 25 0
通算つうさん 日本にっぽん J1 362 37 63 7 29 1 454 45
日本にっぽん J2 106 4 - 5 0 111 4
日本にっぽん JSL1 22 1 1 1
そう通算つうさん 490 42 64 8
その公式こうしきせん
  • 1991ねん
  • 1994ねん
  • 2000ねん
    • XEROX SUPER CUP 1試合しあい0得点とくてん
国際こくさい試合しあい
出場しゅつじょうれき

代表だいひょうれき[編集へんしゅう]

  • 日本にっぽん代表だいひょうはつ出場しゅつじょう:1995ねん1がつ6にち たいナイジェリアたたかえ (リヤド)
  • 日本にっぽん代表だいひょうはつ得点とくてん:1995ねん2がつ26にち たい韓国かんこくたたかえ (香港ほんこん)

出場しゅつじょう大会たいかいなど[編集へんしゅう]

試合しあいすう[編集へんしゅう]

  • 国際こくさいAマッチ 58試合しあい 4得点とくてん(1995ねん - 1998ねん)[2]


日本にっぽん代表だいひょう国際こくさいAマッチ
とし出場しゅつじょう得点とくてん
1995 14 1
1996 13 2
1997 22 1
1998 9 0
通算つうさん 58 4

指導しどうれき[編集へんしゅう]

監督かんとく成績せいせき[編集へんしゅう]

年度ねんど クラブ 所属しょぞく リーグせん カップせん
順位じゅんい かちてん 試合しあい かち ぶん はい ナビスコはい 天皇杯てんのうはい
2012 横浜よこはまFC J2 4 71 38 22 5 11 - 3回戦かいせん
2013 11 58 42 15 13 14 - 2回戦かいせん
2014 11 55 42 14 13 15 - 2回戦かいせん
  • 2012ねんだい5せつから指揮しき

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

大学だいがく[編集へんしゅう]

  • 1988ねん MVP(関西かんさい選抜せんばつvs関東かんとう選抜せんばつ

Jリーグ[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 横浜よこはまフリューゲルス消滅しょうめつ軌跡きせき―キャプテン山口やまぐちもとひろしかたるチーム消滅しょうめつ天皇杯てんのうはい優勝ゆうしょうまでのドラマ』日本文芸社にほんぶんげいしゃかん

テレビ出演しゅつえん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『1990-1991JSLイヤーブック』日本にっぽんサッカーリーグへん南雲なぐもどう、1990 ISBN 4-523-31032-7
  • 『1991-1992JSLイヤーブック』日本にっぽんサッカーリーグへん南雲なぐもどう、1991 ISBN 4-523-31033-5
  • 日本にっぽんサッカーリーグぜん日本にっぽんサッカーリーグ、1993
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館しょうがくかん、1992 ISBN 4-09-102301-0
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館しょうがくかん、1993 ISBN 4-09-102303-7
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館しょうがくかん、1993 ISBN 4-09-102305-3
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館しょうがくかん、1994 ISBN 4-09-102310-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館しょうがくかん、1994 ISBN 4-09-102314-2
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館しょうがくかん、1995 ISBN 4-09-102318-5
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館しょうがくかん、1995 ISBN 4-09-102321-5
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館しょうがくかん、1996 ISBN 4-09-102324-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館しょうがくかん、1997 ISBN 4-09-102329-0
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館しょうがくかん、1998 ISBN 4-09-102335-5
  • 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
  • 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
  • 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版しゅっぱん、2002 ISBN 4-7571-8116-7
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2003』、NTT出版しゅっぱん、2003 ISBN 4-7571-8134-5
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-802-6
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-805-0
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-811-5
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-839-9
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館しょうがくかん、1994 ISBN 4-09-102309-6
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館しょうがくかん、1995 ISBN 4-09-102317-7
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館しょうがくかん、1996 ISBN 4-09-102323-1
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版しゅっぱん、2002 ISBN 4-7571-8117-5
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版しゅっぱん、2003 ISBN 4-7571-8135-3
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-801-8
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-806-9
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-812-3
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-840-5
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-846-7
  • 月刊げっかんグラン』2018ねん3がつごう中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ、2018 JAN 4910135930386

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 登録とうろく選手せんしゅ一覧いちらんひょう Jリーグ 2007.12.07[リンク]
  2. ^ a b c 山口やまぐち もとひろし. サッカー日本にっぽん代表だいひょうデータベース. http://www.jfootball-db.com/players_ya/motohiro_yamaguchi.html 
  3. ^ だい54かい 山口やまぐちもとひろしさん【松原まつばらりょうコラム“サッカーじん”】”. FELICE(フェリーチェ). 2013ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 山口やまぐちもとひろし”. data.j-league. 2020ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  5. ^ 横浜よこはまフリューゲルス 1997ハットトリック一覧いちらん”. data.j-league. 2020ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  6. ^ 山口やまぐちもとひろ選手せんしゅ アルビレックス新潟にいがたより期限きげん移籍いせき加入かにゅう』(プレスリリース)横浜よこはまFC、2005ねん8がつ16にちhttps://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000226912017ねん10がつ28にち閲覧えつらん 
  7. ^ 山口やまぐちもとひろ選手せんしゅ アルビレックス新潟にいがたより完全かんぜん移籍いせき』(プレスリリース)横浜よこはまFC、2005ねん12月6にちhttps://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000272052017ねん10がつ28にち閲覧えつらん 
  8. ^ a b c “1998ねんフランスワールドカップ:山口やまぐちもとひろ 前編ぜんぺん 伝説でんせつのループシュートの舞台裏ぶたいうら監督かんとく更迭こうてつ衝撃しょうげき. www.jfa.jp. http://www.jfa.jp/samuraiblue/worldcup2018_final_q/history/h_018.html 2020ねん4がつ17にち閲覧えつらん 
  9. ^ a b c d e 山口やまぐちもとひろし. jfootball. http://www.jfootball-db.com/players_ya/motohiro_yamaguchi.html 2020ねん4がつ17にち閲覧えつらん 
  10. ^ 各種かくしゅ委員いいんおよ部会ぶかいいん選任せんにんけん 関連かんれん資料しりょうNo.7” (PDF). 2015ねん6がつ12にち閲覧えつらん
  11. ^ 登録とうろく役員やくいん追加ついか変更へんこう抹消まっしょうのおらせ』(プレスリリース)Jリーグ、2015ねん6がつ12にちhttp://www.jleague.jp/release/post-35773/2015ねん6がつ12にち閲覧えつらん 
  12. ^ a b 月刊げっかんグラン』(中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ) 2018ねん3がつごう
  13. ^ 月刊げっかんグラン』(中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ) 2020ねん3がつごう P15、16
  14. ^ 月刊げっかんグラン』(中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ) 2021ねん3がつごう P18、44
  15. ^ ベースボールマガジンしゃ『まるごとJリーグ完全かんぜんばん 栄光えいこう記憶きおく15ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]