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ヴァンフォーレ甲府こうふ

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ヴァンフォーレ甲府こうふ
原語げんご表記ひょうき ヴァンフォーレ甲府こうふ
呼称こしょう ヴァンフォーレ甲府こうふ
クラブカラー   ブルー[1]
創設そうせつねん 1965ねん
所属しょぞくリーグ 日本にっぽんプロサッカーリーグ
所属しょぞくディビジョン J2リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 甲府こうふ韮崎にらさき中心ちゅうしんとする山梨やまなしけんぜんけん[1]
ホームスタジアム
JIT リサイクルインク スタジアム[1]
収容しゅうよう人数にんずう 15,853[1]
運営うんえい法人ほうじん 株式会社かぶしきがいしゃヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ[1]
代表だいひょうしゃ 日本の旗 佐久間さくまさとる
監督かんとく 日本の旗 大塚おおつか真司しんじ
公式こうしきサイト 公式こうしきサイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
甲府こうふにあるクラブ事務所じむしょ(3かいおよび4かい
韮崎にらさき中央ちゅうおう公園こうえんにあるクラブハウス

ヴァンフォーレ甲府こうふ(ヴァンフォーレこうふ、ふつ: Ventforet Kofu)は、日本にっぽん甲府こうふ韮崎にらさき中心ちゅうしんとする山梨やまなしけんぜんけんをホームタウンとする[1]日本にっぽんプロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟かめいするプロサッカークラブ。特定とくてい母体ぼたい企業きぎょうたない、小口おぐちスポンサーの支援しえんけるクラブのひとつである。

概要がいよう

名前なまえ由来ゆらいとなった風林火山ふうりんかざんはた

1999ねんにJリーグへ加盟かめい[1]。チームめいフランス語ふらんすごの「Vent(ふう」と「Forêt(はやし」をわせた造語ぞうご[1]戦国せんごく時代じだい武将ぶしょう武田たけだ信玄しんげん旗印はたじるしである「風林火山ふうりんかざん」にもとづいている[1]。また、母体ぼたい企業きぎょうつJリーグクラブがある[ちゅう 1] 一方いっぽうで、ヴァンフォーレは特定とくてい母体ぼたい企業きぎょうたず、地元じもと山梨やまなし会社かいしゃなどの小口こぐちスポンサーの支援しえんけている。ホームタウンは、Jリーグ加盟かめいは「甲府こうふ韮崎にらさき中心ちゅうしんとする30市町村しちょうそん」(「平成へいせいだい合併がっぺい」にともなってその13市町村しちょうそん)であったが、2005ねん7がつより「甲府こうふ韮崎にらさき中心ちゅうしんとする山梨やまなしけん全県ぜんけん」となった[1]

オフィシャルショップは甲府こうふ中央ちゅうおう商店しょうてんがい「かすがもーる」の一角いっかくに「まちなかヴァンフォーレプラザ」があり[1]、ホームゲームのチケット販売はんばいやクラブサポーター入会にゅうかい受付うけつけ、グッズ販売はんばいおこなっている。

ホームスタジアムはJIT リサイクルインク スタジアムである[1]詳細しょうさい#スタジアム参照さんしょう)。練習れんしゅうじょうについてはヴァンフォーレ甲府こうふ練習れんしゅうじょう参照さんしょうのこと。

マスコットは甲斐かいいぬをモチーフにした[1]ヴァンくん2006ねん6月12にちより)、フォーレちゃん2009ねん3月1にちより)である[1]

アンセムは2014ねんまでチーム独自どくじのものは存在そんざいせず、入場にゅうじょうはJリーグ公式こうしきアンセムを使用しようしている。2015ねんより地元じもと山梨やまなし出身しゅっしんもとレミオロメンのボーカルであった藤巻ふじまき亮太りょうた制作せいさくのアンセムを使用しようしている[2]

歴史れきし

前身ぜんしん

1965ねん鶴城つるしろクラブを拡大かくだいした甲府こうふサッカークラブ前身ぜんしん[1]1972ねんよりJSL21992ねんよりジャパンフットボールリーグ参入さんにゅう1995ねんヴァンフォーレ甲府こうふにチームめい変更へんこうした[1]。1997ねん2がつ運営うんえい法人ほうじんとなるヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ設立せつりつ1998ねんにJリーグ加盟かめい承認しょうにんされ、1999ねんからのJリーグ ディビジョン2(J2)参加さんかまった。

1999ねん - 2005ねん(J2)

1999ねん

ライセンスの問題もんだい[ちゅう 2] からそれまで指揮しきをとっていた塚田つかだ雄二ゆうじわり、勝俣かつまたすすむ監督かんとく就任しゅうにん[ちゅう 3] した。リーグせん開幕かいまく10試合しあい勝利しょうりなどをきっし、最下位さいかい成績せいせき。また、人件じんけん抑制よくせいなど経費けいひ削減さくげんつとめたものの、ユニフォームスポンサーがゼロにおちいるなど広告こうこく収入しゅうにゅう激減げきげん、さらに関心かんしんうすさや低迷ていめいするチームが影響えいきょうし、観客かんきゃくなやみにより3ねん連続れんぞくたん年度ねんど赤字あかじおちいった。

2000ねん

Sきゅう指導しどうしゃライセンス取得しゅとくした塚田つかだ監督かんとく復帰ふっき登録とうろく選手せんしゅは24にん最低限さいていげん人数にんずうで、うち6にんがアマチュア契約けいやく、さらにプロ契約けいやくでの途中とちゅう退団たいだんしゃ発生はっせい選手せんしゅ不足ふそくしたことからフィジカルトレーナーだった鶴田つるた道弘みちひろ急遽きゅうきょプロ契約けいやくむすびやりくりせざるをない状況じょうきょうであった(鶴田つるたはこのシーズンのみでふたた引退いんたい)。リーグせんは2ねん連続れんぞく最下位さいかい

19連敗れんぱい(26せん勝利しょうり

このとしだい4せつ仙台せんだいせん小瀬こせ、1-0)の勝利しょうり最後さいご連敗れんぱいつづけ、だい33せつ新潟にいがたせん新潟にいがたりく、1-0)に勝利しょうりするまで26せん勝利しょうりからとおざかっていた[ちゅう 4]。このうちけたのがだい11せつ鳥栖とすせんのみであり、のこりの25せんはすべてけていたことから当時とうじ連敗れんぱいカウントは「25連敗れんぱい」であった。その連勝れんしょう連敗れんぱいけをはさまない[3]」というルールに改定かいていされ、過去かこ記録きろくもこれが適用てきようされたことから現在げんざいは「6連敗れんぱいのち1けをはさ19連敗れんぱい」となっている。19連敗れんぱいったとはいえ、この記録きろくはJ2はもちろんのことJリーグ全体ぜんたいても1996ねん京都きょうと記録きろくした17連敗れんぱい[ちゅう 5]上回うわまわ記録きろくである。また、だい4せつが3月30にちだい33せつが9月15にち開催かいさいであったことからじつに5かげつはん勝利しょうりからとおざかっていたことになる。

その勝利しょうり記録きろくは2003ねんにサガン鳥栖とす更新こうしん(シーズン単体たんたいで28試合しあい翌年よくねん甲府こうふ勝利しょうりするまで30試合しあいまで継続けいぞく)した[ちゅう 6] が、連敗れんぱい記録きろく現在げんざいもJリーグ記録きろくである。

経営けいえい危機きき発覚はっかく

このとし成績せいせき不振ふしんもあり、入場にゅうじょうしゃすう浦和うらわせんのぞき3,000にんえた試合しあい開幕かいまくせんのみで、1,000にん試合しあいが5試合しあいあった。営業えいぎょう費用ひようは2.4おくえんとリーグ最小さいしょうだったのにもかかわらず営業えいぎょう収入しゅうにゅうは1.8おくえん(うち分配ぶんぱいきんは5せんまんえん)でこのとしだけでも6せんまんえん赤字あかじ、そして累積るいせき赤字あかじは4.5おくえんえて1.2おくえん債務さいむ超過ちょうかとなり、チームの存続そんぞくあやぶまれることとなる。

2001ねん

存続そんぞく運動うんどうなどの結果けっか条件じょうけんづけ2001ねん参戦さんせんまり、上永吉かみながよし英文えいぶん強化きょうか部長ぶちょう就任しゅうにん[ちゅう 7] するとブラジルのSEパルメイラス提携ていけいむすび、監督かんとくルイス・ドス・ヘイス・ゴンサルベスおよび5にんのブラジルじん選手せんしゅ無償むしょう提供ていきょうける。ヘイスをはじめブラジルじん選手せんしゅ来日らいにち大幅おおはばおくれるなど足並あしなみがそろわないまま開幕かいまくむかえ、J1昇格しょうかく目前もくぜん仙台せんだいにホームで勝利しょうりするなどしたが3ねん連続れんぞく最下位さいかい成績せいせき。また、98失点しってんはJリーグ最多さいた失点しってん記録きろくとなった。経営けいえいめん3つの存続そんぞく条件じょうけんすべ達成たっせいするとともにJ参入さんにゅう3ねんにしてはじめてたん年度ねんど黒字くろじ計上けいじょうし、よく年度ねんど以降いこうのチームの存続そんぞく決定けっていした。なお、このとしもっ甲府こうふクラブ時代じだいから在籍ざいせきし、公務員こうむいんJリーガーとしてプレーしていた石原いしはら大助だいすけ引退いんたい翌年よくねん以降いこうぜん選手せんしゅがプロ契約けいやくのみとなる。

2002ねん

パルメイラスとの提携ていけい解除かいじょし、清水しみずエスパルス提携ていけいむすんだ(別掲べっけい)。また、監督かんとく大木おおきたけし就任しゅうにん藤田ふじたけんくら貫一かんいちあつし石原いしはら克哉かつや水越みずこしじゅん活躍かつやくもあり12チームちゅう7はいった。また、9月21にちのC大阪おおさかせんにおいてチームはつとなる小瀬こせ競技きょうぎじょう満員まんいん当時とうじは13000にん収容しゅうよう)を記録きろくした。また、イリュージョニストのプリンセス・テンコーがスポンサーとなり、背中せなか部分ぶぶんに「PRINCESS TENKO」の文字もじはいった。個人こじんがJリーグのユニフォームスポンサーになるのは中田なかた英寿ひでとし湘南しょうなん)や藤原ふじわら紀香のりか横浜よこはまFC)のれいがあるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンをおこなったり、甲府こうふのユニフォームをてテレビ番組ばんぐみ出演しゅつえんするなど甲府こうふ支援しえん。テンコーとは2003ねんまでスポンサー契約けいやくつづいた。

2003ねん

大木たいぼく監督かんとく退任たいにんのち清水しみず監督かんとく就任しゅうにん)し、東京とうきょうVもと監督かんとく松永まつなが英機ひでき後任こうにん監督かんとく就任しゅうにん松永まつながさくシーズンのプレースタイルを継承けいしょうくらつらぬけ石原いしはら水越みずこし横浜よこはまFMなどでプレーしたそとだいあきらくわえた中盤ちゅうばん安定あんていし、さらに6がつにはもと日本にっぽん代表だいひょう小倉おぐら隆史たかし加入かにゅうすると、藤田ふじたまたはこのとし湘南しょうなんから移籍いせきした須藤すとう大輔だいすけによるツートップでチームりょく向上こうじょう結果けっかとしてJ2参入さんにゅうはつとなるシーズンしおよびぜんチームからの勝利しょうり獲得かくとくするなど最終さいしゅうぶし福岡ふくおかかれたものの5はいった。

2004ねん

松永まつなが体制たいせい2ねんそと広島ひろしま移籍いせきした一方いっぽう、6ねんぶりにバロン復帰ふっき小倉おぐらまたは山崎やまざき光太郎こうたろうとの2トップが機能きのう開幕かいまくから得点とくてん量産りょうさん一時いちじは2になるなどチーム状況じょうきょう良好りょうこうで、前期ぜんきは3かえす。7がつ31にちにバロンが退団たいだん(その鹿島かしま移籍いせき)したもののだい3クールまでは昇格しょうかくあらそいにとどまったが、藤田ふじた石原いしはら怪我けがにより長期ちょうき離脱りだつするとチームは失速しっそくだい4クールは2しょうしかできずに7でシーズンを終了しゅうりょうした。

2005ねん
バレーみぎ

大木たいぼく監督かんとく復帰ふっき大宮おおみやから移籍いせきしたFWバレーがこのシーズン、J2得点とくてんランク2の21得点とくてんげる活躍かつやく。J1への自動じどう昇格しょうかくとなる2以上いじょうこそならなかったものの、仙台せんだいをかわして3でシーズンをえた。J1・J2せんかしわ連勝れんしょうして、J1昇格しょうかくまった。

2006ねん - 2007ねん(J1)

2006ねん

大木たいぼく体制たいせい2ねん昇格しょうかく初年度しょねんどかぎられた予算よさんなかもと日本にっぽん代表だいひょうはやし健太郎けんたろうやJFLベストイレブンの宇留野うるのじゅん、6ねんぶりにチームへ復帰ふっきした堀井ほりいたけし札幌さっぽろなどでプレーしたビジュなどを獲得かくとくした。J1初戦しょせん清水しみずやぶれたが、J2で通用つうようしたはしるサッカーが機能きのうはじめた3せん川崎かわさきせんでJ1はつ勝利しょうりげると、バレーや途中とちゅう加入かにゅう茂原しげはら岳人たけひとらの活躍かつやく横浜よこはまFM鹿島かしまG大阪おおさかなどに勝利しょうりしたが、18チームちゅう15成績せいせき。なお、7名古屋なごやとの点差てんさは6(9横浜よこはまFMとの点差てんさが3)であった。

2007ねん
2007ねんJ1だい11せつ 川崎かわさきフロンターレたたかえ(5がつ13にち小瀬こせ陸上りくじょう競技きょうぎじょう) でのコレオグラフィー

大木たいぼく体制たいせい3ねん。バレーがG大阪おおさかへ、くら貫一かんいちあつし京都きょうとへ、アライールヴェラノポリスECRC移籍いせきした一方いっぽう、ブラジル・コリチーバFCからFWアルベルトFC東京とうきょうからDFぞうしま竜也たつやをそれぞれ期限きげん移籍いせき獲得かくとくした。大木たいぼくあらたにれた戦術せんじゅつ「クローズ」がうまく機能きのうせず、開幕かいまく4連敗れんぱいきっし4がつは3連勝れんしょうなどで残留ざんりゅうあらそいから脱出だっしゅつしたが、5がつごろからふたた連敗れんぱいかさね、だい16せつにおいてはジャッジに不満ふまんった茂原しげはら岳人たけひと試合しあい出場しゅつじょうしていなかったはやし健太郎けんたろうがトラブルをこし出場しゅつじょう停止ていしけた[ちゅう 8]。シーズン後半こうはんはね登志としあきらラドンチッチりょうFWを獲得かくとくし、ナビスコはい得点とくてんおうになった須藤すとうとともに後半こうはんせんかえしをはかったが、だい33せつかしわに1-2でやぶれてJ2降格こうかく決定けっていした(最終さいしゅう順位じゅんいは17)。シーズン終了しゅうりょう大木たいぼく監督かんとく退任たいにんした。

2008ねん - 2010ねん(J2)

2008ねん

ヘッドコーチの安間あんま貴義たかよし監督かんとく就任しゅうにん茂原しげはら岳人たけひとぞうしま竜也たつや須藤すとう大輔だいすけなどがそれぞれ移籍いせきした一方いっぽう補強ほきょうめんではジョジマールあつし復帰ふっきし、前田まえだ雅文まさふみをレンタル移籍いせき獲得かくとくした。リーグせん開幕かいまくから5せん勝利しょうりきっするなど、前半ぜんはんせん21試合しあいえてわずか5しょうで11低迷ていめい。7月にサーレスマラニョン2人ふたりのブラジルじんFWを期限きげんきで獲得かくとくきゅう成長せいちょうした大西おおにしひろしたいらとともに活躍かつやくしたが、上位じょういチームにてないという勝負しょうぶよわさは最後さいごまで改善かいぜんされず、最終さいしゅう順位じゅんいは7。なお、10月にもと大宮おおみや監督かんとく佐久間さくまさとるゼネラルマネージャー就任しゅうにんした。

2009ねん

安間あんま体制たいせい2ねん主力しゅりょくFWじん大量たいりょう放出ほうしゅつし、かわりにマラニョンの完全かんぜん移籍いせき移行いこうきむしんおよげ森田もりた浩史こうじかくFWを獲得かくとく守備しゅびじんはGKおぎあきらふとし、DFダニエル2人ふたりをレンタル移籍いせき獲得かくとくした。リーグせんだい1クールを4かえし、6がつ岐阜ぎふから片桐かたぎりあつしいたりを、さら広島ひろしま在籍ざいせきし9得点とくてんげたガウボンりょうFWを完全かんぜん移籍いせき獲得かくとくした。リーグせん最終さいしゅうてき湘南しょうなんと3あらそったが、直接ちょくせつ対決たいけつやぶれ、湘南しょうなんてん1の4でシーズンを終了しゅうりょうした。

このとしなやんでいる若手わかて人材じんざい育成いくせいするため、山梨学院大学やまなしがくいんだいがく提携ていけいむすび、選手せんしゅあいだ相互そうご交流こうりゅうおこなうことになった[4]

2010ねん
ハーフナー・マイク

安間あんま監督かんとく退任たいにんし、前年ぜんねんにヘッドコーチをしていた内田うちだ一夫かずお監督かんとく就任しゅうにんはやし健太郎けんたろうとGK阿部あべ謙作けんさく引退いんたい森田もりた浩史こうじ長年ながねんチームに在籍ざいせきした杉山すぎやましん退団たいだんした一方いっぽう横浜よこはまFM(前年ぜんねん鳥栖とす在籍ざいせき)からハーフナー・マイクもと京都きょうとパウリーニョ完全かんぜん移籍いせき獲得かくとくした。開幕かいまく直前ちょくぜん戦術せんじゅつ急遽きゅうきょ変更へんこうしたことから最初さいしょの4せんは1しょう1ふん2はいであったが、その攻撃こうげきじん機能きのうするようになりだい13せつで2浮上ふじょうするとそのまま順位じゅんい維持いじだい34せつ栃木とちぎSCせん勝利しょうりし、4ねんぶりのJ1復帰ふっきめた。J2シーズンは前回ぜんかい昇格しょうかくした2005ねんよりうえの2成績せいせきおさめた。また、ハーフナーが20得点とくてんげチームはつとなるJ2得点とくてんおう獲得かくとくした。

2011ねん(J1)

「J1でのたたかかた経験けいけん不足ふそく」など総合そうごうてき理由りゆう内田うちだ監督かんとくとの契約けいやくり、守備しゅび強化きょうか目的もくてき三浦みうら俊也としや大木たいぼく以来いらい外部がいぶ招聘しょうへいとなる監督かんとく就任しゅうにん藤田ふじたけん秋本あきもとりんこう、マラニョン(レンタル移籍いせき)などが退団たいだんした一方いっぽう清水しみずからとももと日本にっぽん代表だいひょうのMF伊東いとうあきらえつとDF市川いちかわだいゆうのなどのベテラン選手せんしゅ中心ちゅうしん獲得かくとくした。しかし元々もともと攻撃こうげきてきなパスサッカー中心ちゅうしん甲府こうふにあって、三浦みうらったゾーンディフェンスからなる守備しゅび重視じゅうし戦術せんじゅつまった機能きのうせず、連敗れんぱい大量たいりょう失点しってんかさね、7がつ三浦みうら解任かいにん[ちゅう 9]。GMの佐久間さくま後任こうにん監督かんとく就任しゅうにん。ハーフナー・マイク、パウリーニョ、片桐かたぎりあつしいたり井澤いざわあつしらを中心ちゅうしんにチームをなおし、7がつにはもと札幌さっぽろダヴィもと磐田いわたきむちんけい獲得かくとく。ハーフナーが得点とくてん量産りょうさんしたものの、最終さいしゅうぶし大宮おおみややぶれて降格こうかく決定けっていした。

シーズン終了しゅうりょう、ハーフナーには藤田ふじたけん秋本あきもとりんこうらの放出ほうしゅつ三浦みうらぜん監督かんとく招聘しょうへいといったチームづくりの方針ほうしん批判ひはんされ[5]佐久間さくま補強ほきょうした選手せんしゅしつ問題もんだいがあったとべた[6]。なお、ハーフナーが8がつにクラブはつとなる日本にっぽん代表だいひょう選出せんしゅつされ、10月11にち2014 FIFAワールドカップ・アジア3予選よせんタジキスタンせんで2得点とくてんげてクラブはつのA代表だいひょうせんでの得点とくてんしゃとなった。

2012ねん(J2)

チームスローガン:MOVE -原点げんてんからの挑戦ちょうせん-

佐久間さくまがGMにもどり、もとFC東京とうきょう監督かんとくしろぶくひろし監督かんとく就任しゅうにんハーフナー・マイクパウリーニョ、ダニエル、市川いちかわだいゆう主力しゅりょく選手せんしゅ退団たいだんした一方いっぽうでFW高崎たかさき寛之ひろゆき、DF盛田もりたつよしたいら、DF福田ふくだ健介けんすけらが加入かにゅうした。14ねんにしてはじめて開幕かいまくせん勝利しょうり後述こうじゅつ)すると昨季さくきシーズン途中とちゅう加入かにゅうしながらも無得点むとくてんわったダヴィが開幕かいまくせんから得点とくてん量産りょうさん途中とちゅうダヴィへのマークがきびしくなったことで一時いちじは8後退こうたいしたが、次第しだいしろぶくれたムービングフットボール機能きのうはじめ、シーズン途中とちゅうもとG大阪おおさか清水しみずフェルナンジーニョ加入かにゅうするとチームはふたた調子ちょうしもどし、だい26せつホーム東京とうきょうVせん勝利しょうりしチーム史上しじょうはつ首位しゅいおどる。その1首位しゅいわたさず、だい38せつ湘南しょうなんせんけたことで3度目どめのJ1昇格しょうかくを、さらにだい39せつ福岡ふくおかせんに3-2で勝利しょうりし、J2優勝ゆうしょうめた。ヴァンフォーレ甲府こうふとしては勿論もちろん甲府こうふクラブ時代じだいふくめ「全国ぜんこく規模きぼのリーグせん」で優勝ゆうしょうしたのははじめてである。だい18せつホーム千葉ちばせんやぶれたのちだい19せつアウェー水戸みとせんでの勝利しょうりから最終さいしゅうぶしアウェー京都きょうとせんまでJ2記録きろくとなる24せん無敗むはい(16しょう8ふん)でシーズンをえた。

2013ねん - 2017ねん(J1)

2013ねん
2013ねんJ1だい14せつ 浦和うらわレッズせん(7がつ6にち国立こくりつ霞ヶ丘かすみがおか競技きょうぎじょう
チームスローガン:MOVE -プロヴィンチアの挑戦ちょうせん-

しろぶく体制たいせい2ねん

ダヴィフェルナンジーニョ高崎たかさき寛之ひろゆき永里ながさとげん片桐かたぎりあつしいたりらが退団たいだんした一方いっぽう日本人にっぽんじん選手せんしゅ土屋つちや征夫いくお青山あおやまただしあきら水野みずのあきらじゅ完全かんぜん移籍いせき獲得かくとく、また羽生はぶただしつよし平本ひらもと一樹かずきをレンタルで獲得かくとくした。一方いっぽう外国がいこくじん補強ほきょうは「決定的けっていてきちからった外国がいこくじんストライカーの獲得かくとくについては現時点げんじてんではいたらなかった」(佐久間さくまGM)[7]とおレニーウーゴといった未知数みちすう選手せんしゅ契約けいやくしたが、レニーは開幕かいまくまえ昨年さくねんから唯一ゆいいつのこったドウグラスは4がつ、ウーゴも7がつまでに契約けいやく解除かいじょとなった。さらにレニーにわり3がつ獲得かくとくしたもとパラグアイ代表だいひょうオルティゴサもチームの方針ほうしんわず中断ちゅうだん期間きかんちゅうの6がつ解除かいじょ外国がいこくじん次々つぎつぎわり、中断ちゅうだん期間きかんちゅう方針ほうしんさだまらないチーム状況じょうきょうたいしGMが現場げんば説明せつめいする事態じたいになった[8]。シーズン途中とちゅうからJリーグの経験けいけんのある外国がいこくじん選手せんしゅ獲得かくとく転換てんかんし、5月にもと磐田いわたマルキーニョス・パラナ、7がつもと磐田いわたジウシーニョ獲得かくとく、また川崎かわさきからパトリックをレンタル移籍いせきさせた。

開幕かいまくからだい10せつまで3しょう5ふん2はい推移すいいしていたが、上述じょうじゅつ外国がいこくじん度重たびかさなるえや極度きょくど得点とくてんりょく不足ふそくにより、だい11せつ清水しみずせん敗戦はいせん以降いこうコンフェデレーションズカップによる中断ちゅうだんはさんで8連敗れんぱいきっし、だい18せつ終了しゅうりょうには降格こうかくけんの16まで転落てんらくする。しかし、だい19せつ以降いこうはパトリック、ジウシーニョの加入かにゅうあらたに採用さいようした山本やまもと佐々木ささき青山あおやまによる3バックシステムにより守備しゅび安定あんていしたことによって5しょう8ふん3はいなおし、最終さいしゅうてきに16湘南しょうなんてん12の15でシーズンを終了しゅうりょう、2006ねん以来いらいのJ1残留ざんりゅうたした。ナビスコはい予選よせんリーグで敗退はいたい天皇杯てんのうはい準々じゅんじゅん決勝けっしょう広島ひろしまにPKせんやぶれチーム記録きろくタイのベスト8となった。

2014ねん
チームスローガン:飛躍ひやく -プロヴィンチアの挑戦ちょうせん-

しろぶく体制たいせい3ねん

かしわ好文よしふみ広島ひろしまへ、伊東いとうあきらえつ長野ながの移籍いせき。またパトリックが退団たいだんし、平本ひらもと一樹かずき羽生はぶただしつよし河田かわたあきらへいとのレンタル契約けいやく終了しゅうりょうした。しん戦力せんりょくとして阿部あべしょうたいらクリスティアーノ獲得かくとくし、シーズンちゅう阿部あべ拓馬たくまキリノ[ちゅう 10]補強ほきょうした。

開幕かいまくまえのキャンプちゅう山梨やまなしけん全体ぜんたい平成へいせい26ねん豪雪ごうせつおそい、県内けんない練習れんしゅうじょう使つかえなくなったうえ開幕かいまくせん国立こくりつ霞ヶ丘かすみがおか競技きょうぎじょうえざるをなくなるなどくるしい状況じょうきょうからはじまる。それでも堅守けんしゅとFWとしてさい契約けいやくされた盛田もりたつよしたいら活躍かつやくなどによりブラジルWはいまえ残留ざんりゅう圏内けんない位置いちしていたが先述せんじゅつ豪雪ごうせつ商標しょうひょうけん問題もんだい解決かいけつによる支払しはらいきん影響えいきょうによりWはい期間きかんちゅう中断ちゅうだんではキャンプを短縮たんしゅくせざるをなくなり、再開さいかいだい15せつからだい22せつまで8せん勝利しょうり(5ふん3はい)と降格こうかくけんまで陥落かんらく。しかし9がつはいだい23せつ鳥栖とすせんで9試合しあいぶりの勝利しょうりげるとだい29せつまで2しょう3ふん2はいなおし、だい30せつ川崎かわさきせん勝利しょうり降格こうかくけんから脱出だっしゅつするとつづけてC大阪おおさか広島ひろしまにも勝利しょうり残留ざんりゅうあらそいのチームがなやんだこともありだい32せつ終了しゅうりょう時点じてんでJ1残留ざんりゅう決定けっていし、最終さいしゅう順位じゅんい過去かこ最高さいこうの13。ナビスコはいは3しょうしたものの予選よせんリーグで敗退はいたい天皇杯てんのうはいはベスト16でJ2の北九州きたきゅうしゅうに2ねん連続れんぞくでPKせん敗退はいたい

2015ねん
チームスローガン:一体いったい -プロヴィンチアの挑戦ちょうせん-

チームはつとなるJ1連続れんぞく3シーズン前年ぜんねんもっしろぶく退任たいにん樋口ひぐちやすしようしん監督かんとく就任しゅうにんした[9]

クリスティアーノがかしわレイソルにレンタル移籍いせきしたのをはじめ、佐々木ささきしょう水野みずのあきらじゅ青山あおやまただしあきら移籍いせき。キリノやマルキーニョス・パラナも退団たいだんするなど主力しゅりょく大幅おおはばわるかたちとなった。しん戦力せんりょくとしてもと徳島とくしまアドリアーノもと浦和うらわ長崎ながさき野田のだひろし獲得かくとくし、さらに昨年さくねんはG大阪おおさかもどっていた河田かわたあきらへい完全かんぜん移籍いせき獲得かくとくした。

ところが、シーズンまえジバウが、開幕かいまく直後ちょくごエンリケ退団たいだんした。また樋口ひぐち監督かんとくによるあたらしい戦術せんじゅつ機能きのうせず開幕かいまくから不振ふしんおちいだい11せつ終了しゅうりょう時点じてんで2しょう9はい、さらに得点とくてんだけでなく失点しってんまでリーグ最下位さいかいおちいったことから5がつ13にち樋口ひぐち監督かんとく辞任じにんした。わりにGMの佐久間さくま監督かんとく就任しゅうにん、4がつにはマルキーニョス・パラナをさい獲得かくとくし、5月にはバレーが9ねんぶりに復帰ふっき。アドリアーノ、野田のだがシーズン途中とちゅう退団たいだんしたが戦術せんじゅつ昨年さくねんまでしろぶくれたものにもどしたことでそのは4しょう2ふん降格こうかくけん脱出だっしゅつし、1stステージを12かえした。2ndステージも降格こうかくけんちることなく14総合そうごう順位じゅんいは13となり3ねん連続れんぞくのJ1残留ざんりゅうめた。ナビスコはい勝利しょうりのまま予選よせん敗退はいたい天皇杯てんのうはいはベスト16でかしわやぶれている。

このとしのちに日本にっぽん代表だいひょう主力しゅりょくFWになる伊東いとうじゅん神奈川大学かながわだいがくから加入かにゅう。30試合しあい出場しゅつじょうし4得点とくてんをマークしている。

2016ねん
チームスローガン:総力そうりょく -プロヴィンチアの挑戦ちょうせん-

前年ぜんねんシーズン終了しゅうりょう佐久間さくま退任たいにんほうじられたが留任りゅうにんとなり佐久間さくま体制たいせい2ねん。また佐久間さくま監督かんとく・GMにくわえてふく社長しゃちょう就任しゅうにんしたことで3しょく兼任けんにんとなった。

阿部あべしょうひらめ阿部あべ拓馬たくまおぎあきらふとし主力しゅりょくぐみ伊東いとうじゅん也、堀米ほりごめいさむてる下田しもだ北斗ほくと若手わかて移籍いせき。バレー、マルキーニョス・パラナもチームをるなど退団たいだんしゃ相次あいつぐことになる。かしわからクリスティアーノが復帰ふっき。そのもと鹿島かしまジウトン(1がつ契約けいやくも2がつ契約けいやく解除かいじょ)、もと豪州ごうしゅう代表だいひょうビリー・セレスキーニウソンチュカ田中たなかたすくあきら黒木くろききよしひとしチームの主力しゅりょく獲得かくとくした。

開幕かいまくせん勝利しょうりしてはじめてJ1首位しゅいったものの、相次あいつ選手せんしゅ負傷ふしょうによりその順位じゅんい低迷ていめい、6がつ今季こんきから復帰ふっきしたクリスティアーノが古巣ふるすかしわ完全かんぜん移籍いせきしてしまい1stステージは降格こうかく圏内けんないの17わった。2ndステージ開幕かいまくまえもとかしわドゥドゥ補強ほきょう、さらにマルキーニョス・パラナが3度目どめダヴィが2度目どめ復帰ふっきたした。この補強ほきょうともな外国がいこくじんわく関係かんけいでニウソン、チュカが契約けいやく解除かいじょになった。残留ざんりゅう最終さいしゅうぶしまでされ、2ndステージは13年間ねんかん順位じゅんい14残留ざんりゅう決定けっていした。ただ年間ねんかんてん31は残留ざんりゅうしたとし過去かこ最低さいてい降格こうかくした2011ねんの33をも下回したまわる)、年間ねんかん7しょうは2007ねん降格こうかくならぶJ1在籍ざいせき最低さいてい勝利しょうりすう得点とくてんすうは32とリーグワースト3失点しってんは58と前年ぜんねん15も増加ぞうかしリーグワースト2タイとなった。

ナビスコはいは4ねん連続れんぞく予選よせんリーグ敗退はいたい天皇杯てんのうはい初戦しょせんでJ3の大分おおいたやぶれている。

2017ねん
チームスローガン:進化しんか -プロヴィンチアの挑戦ちょうせん-

J1連続れんぞく5シーズン佐久間さくま監督かんとく退任たいにん(GMおよふく社長しゃちょう続投ぞくとう)、後任こうにんかしわ新潟にいがた監督かんとくをしていた吉田よしだ達磨だるま就任しゅうにん[10]

稲垣いながきさち広島ひろしま移籍いせき福田ふくだ健介けんすけ長崎ながさき移籍いせき)、吉野よしのたかしこう盛田もりたつよしたいら群馬ぐんま移籍いせき)、柴村しばむら直弥なおや渡邉わたなべすすむもと横浜よこはまFC移籍いせき)、岡山おかやまにレンタル移籍いせきしていた秋吉あきよし泰佑たいすけダヴィビリー・セレスキーマルキーニョス・パラナ契約けいやく満了まんりょう退団たいだんした。しん戦力せんりょく仙台せんだいからウイルソン山口やまぐちから島川しまかわ俊郎としお水戸みとからへいはたらけ昭弘あきひろアメリカ・ミネイロからエデル・リマ獲得かくとくガブリエルがレンタル移籍いせき加入かにゅうし、大卒だいそつ3めいしん加入かにゅうし、若杉わかすぎこうてるがレンタル移籍いせきさきより復帰ふっき、さらに昨年さくねん京都きょうと移籍いせきした堀米ほりごめいさむてるが2ねんぶりに完全かんぜん移籍いせき復帰ふっきした。

開幕かいまく直後ちょくごの3がつ千葉ちばから阿部あべしょうたいらやく1ねんぶりに復帰ふっき、さらにもとオーストラリア代表だいひょうオリヴァー・ボザニッチ獲得かくとく、6がつにはジュニオール・バホス獲得かくとくし、外国がいこくじんわく関係かんけいでガブリエルが登録とうろく抹消まっしょう、8がつにはもとG大阪おおさかリンス獲得かくとくし、外国がいこくじんわく関係かんけい加入かにゅうして2カ月かげつのジュニオール・バホスが登録とうろく抹消まっしょう、9月にはビリー獲得かくとくし、外国がいこくじんわく関係かんけいでウイルソンが登録とうろく抹消まっしょうとなった。

前年ぜんねん課題かだいとなった守備しゅびについては河田かわたわり抜擢ばってきされたおかまさるせい活躍かつやくなどで改善かいぜんされたもののウイルソンの不調ふちょう前年ぜんねん負傷ふしょうしたドゥドゥの回復かいふくおもわしくなかったため得点とくてんりょく不足ふそく改善かいぜんされず、また新潟にいがた広島ひろしま清水しみずなど残留ざんりゅうあらそいをしているチームに連敗れんぱいするなどりこぼしがおおかった。途中とちゅう加入かにゅうのリンスの活躍かつやく得点とくてんりょく改善かいぜんられたものの今度こんど肝心かんじんなところで逆転ぎゃくてんけをきっするなどし、最終さいしゅうぶしでベガルタ仙台せんだい勝利しょうりしたものの15清水しみず勝利しょうりしたことでJ2降格こうかく決定けっていした。

また、2001ねんよりプレーしていた石原いしはら克哉かつやがこのシーズンを最後さいご現役げんえき引退いんたいした。

2018ねん - 2022ねん(J2)

2018ねん
チームスローガン:完遂かんすい -プロヴィンチアの挑戦ちょうせん-

6シーズンぶりにJ2でたたかうことになり、吉田よしだ監督かんとく続投ぞくとう。ヘッドコーチにはまえ大宮おおみやアルディージャ監督かんとく伊藤いとうあきら招聘しょうへい上述じょうじゅつ石原いしはらほか津田つだ琢磨たくま保坂ほさか一成いっせい土屋つちや征夫いくお(シーズン途中とちゅうから京都きょうとへレンタル移籍いせき)といったベテランが相次あいついで契約けいやく満了まんりょうにより退団たいだん。また、黒木くろききよしひとし長崎ながさきへ、へいはたらけ昭弘あきひろ清水しみず移籍いせきともにかつて在籍ざいせきしたクラブへ復帰ふっき)、新里にいさとあきら磐田いわた移籍いせきし、ドゥドゥもJ2の福岡ふくおかへレンタル移籍いせきした。一方いっぽうでJ1チームからオファーのあったリンスや河田かわたあきらへい残留ざんりゅうし、新潟にいがた(2017ねん山口やまぐちでプレー)から小塚こづかかず新潟にいがたSから秋山あきやま拓也たくやかしわから湯澤ゆざわ聖人まさと富山とやまから窪田くぼたりょう湘南しょうなんからジネイ完全かんぜん移籍いせきで、札幌さっぽろからもと日本にっぽん代表だいひょうFWの金園きんえん英学えいがくをレンタルで獲得かくとく前年ぜんねん怪我けが選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうされていたジュニオール・バホスさい契約けいやくした。

かちてん90を目標もくひょう開幕かいまくむかえたが、11せんわり2しょう5ふん4はいと16低迷ていめいし1ねんでのJ1復帰ふっきはおろかJ3リーグ降格こうかくすら視野しやはい事態じたいおちいる。クラブはだい10せつ終了しゅうりょう吉田よしだ監督かんとく続投ぞくとう確認かくにんしたが11せつ終了しゅうりょうの4がつ30にち契約けいやく解除かいじょ[11]山口やまぐちもと監督かんとくであった上野うえのてんひろし監督かんとく就任しゅうにんするも、だい40せつ水戸みとホーリーホックに0-2でやぶれ、1ねんでのJ1復帰ふっきはなくなった。リーグせんこそは低迷ていめいしたが、ルヴァンはい天皇杯てんのうはいともにベスト8の成績せいせきのこしている。なお、シーズン終了しゅうりょう上野うえの契約けいやく満了まんりょうにより退任たいにん

2019ねん
チームスローガン:あつくなれ

しん監督かんとくにヘッドコーチの伊藤いとうあきら内部ないぶ昇格しょうかくし、ヘッドコーチにはもと監督かんとく内田うちだ一夫かずおが8ねんぶりに復帰ふっき阿部あべしょうたいら窪田くぼたりょう瀬戸せと貴幸たかゆきフェフージンジエゴリンス退団たいだん期限きげんきで加入かにゅうしていた高野たかのりょう横浜よこはまMへ復帰ふっき清水しみずわたるたいら広島ひろしま移籍いせきした。さらに小塚こづかかず島川しまかわ俊郎としお大分おおいたへ、秋山あきやま拓也たくや徳島とくしまへ、みちふちりょうひらた仙台せんだいへ、堀米ほりごめいさむてる千葉ちば移籍いせきした。しん加入かにゅう選手せんしゅでは中山なかやまりく(←東海大相模とうかいだいさがみだか)、宮崎みやざき純真じゅんしん(←山梨やまなし学院がくいんだか)の2選手せんしゅ入団にゅうだん補強ほきょうではドゥドゥ(←福岡ふくおか)が期限きげん移籍いせきから復帰ふっきし、金園きんえん英学えいがく完全かんぜん移籍いせき残留ざんりゅう徳島とくしまからもとJ1得点とくてんおうピーター・ウタカ大宮おおみやから横谷よこたにしげる川崎かわさきFからたけおかゆう名古屋なごやから内田うちだ健太けんた金沢かなざわから小柳こやなぎ達司たつじ佐藤さとうこういち、YS横浜よこはまから後藤ごとう京介きょうすけ獲得かくとくし、前年ぜんねん契約けいやく満了まんりょうとなっていた田中たなかたすくあきらさい契約けいやくなつにはエストリル(ポルトガル)からアラーノ群馬ぐんまから小泉こいずみ勇人はやと期限きげん移籍いせき加入かにゅう小泉こいずみわるかたち後藤ごとう群馬ぐんま期限きげん移籍いせきしたほか、ジュニオール・バホス(→岐阜ぎふ)、入間川いりまがわけいふとし(→長野ながの)も期限きげん移籍いせきした。

開幕かいまくせんけるが、だい9せつ水戸みとせんまでチームは開幕かいまく8せんし、一時いちじ首位しゅいつなどスタートダッシュに成功せいこうするも、夏場なつばには2連敗れんぱいきっしプレーオフ圏外けんがい転落てんらくするが、怪我けがから戦列せんれつ復帰ふっきした金園きんえん活躍かつやくぶりで山形やまがた徳島とくしま京都きょうとなど昇格しょうかくあらそいのライバルからてんうばい、上昇じょうしょう気流きりゅうに。そして、ホームでむかえただい40せつアビスパ福岡ふくおかせん勝利しょうりしプレーオフ圏内けんない浮上ふじょう結果けっかとしてチームは終盤しゅうばんせん10試合しあいで6しょう3け1はいもうチャージをせ、5J1参入さんにゅうプレーオフ進出しんしゅつした。

プレーオフ1回戦かいせんでは4徳島とくしま対戦たいせん。1-1のけにわるが大会たいかいレギュレーションにより敗退はいたい、J1昇格しょうかくのがした。なお、このとしかぎりで松橋まつはしゆう小椋おぐら祥平しょうへい現役げんえき引退いんたいした。

天皇てんのうはいは2ねん連続れんぞくでベスト8に進出しんしゅつした。

2020ねん
チームスローガン:AGGRESSIVE

伊藤いとう体制たいせい2ねん渋谷しぶや洋樹ひろきが8ねんぶりにヘッドコーチに復帰ふっきし、内田うちだ一夫かずおをコーチに配置はいち転換てんかんした。 前述ぜんじゅつ松橋まつはしゆう小椋おぐら祥平しょうへい(ともに引退いんたい)、エデル・リマ横谷よこたにしげるたけおかゆう佐藤さとうこういち田中たなかたすくあきらとベテラン選手せんしゅ契約けいやく満了まんりょう退団たいだんしたほか、小出こいで悠太ゆうた佐藤さとう和弘かずひろ大分おおいたへ、ピーター・ウタカ曽根田そねだみのる京都きょうとへ、湯澤ゆざわ聖人まさと福岡ふくおかへ、もりあきらふとし山口やまぐち移籍いせきした。 補強ほきょうでは中村なかむら亮太りょうたろう(←中央大ちゅうおうだい)、中塩なかしおだいたか(←立正大りっしょうだい)の2人ふたり大卒だいそつ新人しんじん選手せんしゅむかえ、バホス(←岐阜ぎふ)と入間川いりまがわ(←長野ながの)が期限きげん移籍いせきから復帰ふっき前年ぜんねんなつ途中とちゅう加入かにゅう小泉こいずみ勇人はやと完全かんぜん移籍いせき加入かにゅうし、横浜よこはまMから泉澤いずみさわひとし岡山おかやまから武田たけだすすむたいら大宮おおみやから山田やまだりく期限きげん移籍いせきで、鳥栖とすから藤田ふじたゆうじん、FC東京とうきょうから野澤のざわ英之ひでゆき福岡ふくおかから松田まつだつとむフィゲイレンセFCからもと·大宮おおみやラファエル獲得かくとく主力しゅりょくふくめ、選手せんしゅ大幅おおはばえと選手せんしゅそう若返わかがえりがすすんだ。

新型しんがたコロナウィルス感染かんせん拡大かくだいけ、開幕かいまくせんのあとから4ヶ月かげつにわたりリーグせん中断ちゅうだん。また、中断ちゅうだん期間きかんあいだにキャンプで練習れんしゅう参加さんかしていたハーフナー・マイクが8ねんぶりに復帰ふっきし、なつ移籍いせきウインドウでは、もと·栃木とちぎメンデス獲得かくとくした。再開さいかい大会たいかいレギュレーションの変更へんこうにより、降格こうかくがなく、プレーオフ開催かいさいりやめとなり、昇格しょうかくは2チームにせばめられた。 また、天皇杯てんのうはいもJ2からはリーグ優勝ゆうしょうした徳島とくしまヴォルティスのみの出場しゅつじょうとなったため不参加ふさんかとなり、日程にっていひょう変更へんこうされてちゅう2にちでの5連戦れんせんが6ヶ月かげつつづちょう過密かみつ日程にっていかれ、例年れいねんにないシーズンとなった。過密かみつ日程にっていたたかううえで選手せんしゅのコンディション調整ちょうせい連戦れんせん疲労ひろう軽減けいげんすべく、積極せっきょくてきにターンオーバーを採用さいようし、若手わかて出場しゅつじょう機会きかい増加ぞうかさせるなどチーム全体ぜんたいそう力戦りきせん展開てんかい。リーグ4番目ばんめすくない敗戦はいせんすう(9はい)ながらも、1てんリードの終盤しゅうばんでの失点しってん、ビハインドからの逆転ぎゃくてんちのすくなさなどちきれない試合しあい目立めだち、リーグ最多さいたすう(17け)を記録きろく結果けっかとして3長崎ながさき点差てんさ15(長崎ながさき80、甲府こうふ65)とおおきくはなされるかたちで4わった。

2021ねん
チームスローガン:未来みらいへ Unite for the Next

伊藤いとう体制たいせい3ねん。コーチにU-15監督かんとく大柴おおしばかつとも就任しゅうにんし、内田うちだ一夫かずおはU-18監督かんとく就任しゅうにんした。 外国がいこくじん選手せんしゅはメンデスが残留ざんりゅうし、ドゥドゥ、ラファエル、バホスの3選手せんしゅ退団たいだんし、あらたにウィリアン・リラ(完全かんぜん移籍いせき)、パウロ·バイヤ(期限きげん移籍いせき)を獲得かくとくした。日本人にっぽんじん選手せんしゅでは金園きんえん英学えいがく藤田ふじたゆうじん橋爪はしづめ勇樹ゆうき(→引退いんたい)、入間川いりまがわけいふとし後藤ごとう京介きょうすけおかまさるせいハーフナー・マイク契約けいやく満了まんりょう退団たいだん武田たけだすすむたいら(→京都きょうと)、今津いまづたすくふとし(→広島ひろしま)、太田おおた修介しゅうすけ(→町田まちだ)、中塩なかしおだいたか(→横浜よこはまFC)、松田まつだつとむ(→C大阪おおさか)、内田うちだ健太けんた(→愛媛えひめ)と主力しゅりょく流出りゅうしゅつ須貝すがいえいだい(←明治大めいじだい)、長谷ながたに川元かわもとのぞみ関口せきぐち正大せいだい(←法政大ほうせいだい)、野澤のざわりく(←産業さんぎょう能率のうりつだい)、鳥海とりうみ芳樹よしき(←きりかげ横浜よこはまだい)の5にん大卒だいそつ選手せんしゅ入団にゅうだんし、補強ほきょうでは広島ひろしまから野津田のづた岳人たけひと期限きげん移籍いせき加入かにゅうし、泉澤いずみさわひとし山田やまだりく完全かんぜん移籍いせき残留ざんりゅう大分おおいたからさん平和へいわ愛媛えひめから有田ありた光希みつき清水しみずから金井かないみつぐ岐阜ぎふから北谷きたやふみこう長野ながのから浦上うらかみひとし獲得かくとくした。

レギュレーションでは昨年さくねんつづきプレーオフの開催かいさいはなく昇格しょうかくわくは2のままではあるが、J1からの降格こうかくが4チームになることにともないJ2も降格こうかくわくが4に拡大かくだい。さらに、前年ぜんねん開催かいさい予定よていだった東京とうきょう2020オリンピック開催かいさいともない、大会たいかい期間きかんちゅうのリーグせん中断ちゅうだんまった。

チームは開幕かいまくからこう不調ふちょうなみおおきく、開幕かいまくから4せんしとスタートダッシュに成功せいこうするがだい5せつ町田まちだゼルビアやぶれて以降いこうは4せんちなしと停滞ていたい昇格しょうかくけんとの点差てんさひろげられたなかむかえた5月は4しょう2けと好調こうちょうたたかいぶりをせるが6がつにはわずか1しょうふたた低調ていちょう。オリンピック中断ちゅうだんまえの7がつは3せん全勝ぜんしょうえるが、中断ちゅうだんの8がつ一転いってんして4せん勝利しょうり(2はい2け)にわる。天皇杯てんのうはいでは2回戦かいせんから出場しゅつじょうし、北信越ほくしんえつリーグ1福井ふくいユナイテッドFC敗退はいたい

中断ちゅうだん期間きかんちゅう中山なかやまりく富山とやま育成いくせいがた期限きげん移籍いせきし、金井かない加入かにゅうわずか半年はんとし琉球りゅうきゅう移籍いせきした。9月には2012ねん甲府こうふでプレーしていた高崎たかさき寛之ひろゆき練習れんしゅう参加さんか、10月1にち加入かにゅう発表はっぴょうされた。

その、チームはリーグ終盤しゅうばんせんてんおおきく逆転ぎゃくてん昇格しょうかくのぞみをつなぐ。だい41せつのレノファ山口やまぐちせん勝利しょうりし、点差てんさ5でう2京都きょうとやぶれれば最終さいしゅうぶし結果けっか次第しだい逆転ぎゃくてん昇格しょうかくという可能かのうせいのこったが、京都きょうとけたため逆転ぎゃくてん昇格しょうかく可能かのうせい消滅しょうめつした。

最終さいしゅう成績せいせきは3で、伊藤いとう体制たいせいでは過去かこ最多さいたとなるてん80でシーズンをめくくった。

2022ねん

  チームスローガン:躍進やくしん Unite for the next

伊藤いとう監督かんとく渋谷しぶやヘッドコーチ、山岸やまぎしGKコーチが退任たいにん後任こうにん監督かんとくに4ねんぶりに吉田よしだ達磨だるまが、ヘッドコーチには大宮おおみやから大塚おおつか真司しんじ、GKコーチには、松本まつもとから中川なかがわ雄二ゆうじ就任しゅうにんした。

泉澤いずみさわひとし(→大宮おおみや)、メンデス(→京都きょうと)、野津田のづた岳人たけひと(→広島ひろしま)、中村なかむら亮太りょうたろう(→鹿島かしま)、有田ありた光希みつき(→鹿児島かごしま)、小柳こやなぎ達司たつじ(→秋田あきた)が移籍いせきパウロ・バイヤ期限きげん移籍いせき満了まんりょう(→FCカスカヴェウ)、高崎たかさき寛之ひろゆき(→引退いんたい)が退団たいだんした。しん加入かにゅう選手せんしゅでは、飯島いいじまりく(←法政大ほうせいだい)、林田はやしだひろし(←関東学院大かんとうがくいんだい)、山内やまうちかんふとし(←日本にっぽんだい)、大和やまとゆうつき(←かしわU18)が入団にゅうだん補強ほきょうでは、期限きげん移籍いせきC大阪おおさかから松本まつもとなぎせい大宮おおみやから石川いしかわ俊輝としてる期限きげん移籍いせき満了まんりょう富山とやまから中山なかやまりく復帰ふっきあらたに外国がいこくじん選手せんしゅではレナト・ヴィスキ完全かんぜん移籍いせきで、ブルーノ・パライバ期限きげん移籍いせき加入かにゅうした。

レギュレーションは3ねんぶりにJ1参入さんにゅうプレーオフ実施じっしされJ2からは最大さいだい3チームJ1への昇格しょうかく可能かのうとなり、降格こうかくは2チームへと変更へんこうになった。

リーグせん開幕かいまくせん岡山おかやまに1-4でやぶれるとその昇格しょうかくあらそいにからむことはなく、6がつには9ねん以上いじょう在籍ざいせきし2020ねんよりキャプテンをつとめていた新井あらいすずかたいら双方そうほう合意ごういによる契約けいやく解除かいじょ終盤しゅうばんの33せつから40せつには2001ねんだい21せつからだい27せつ以来いらいとなるJ2リーグせん7連敗れんぱいきっするなどJ2残留ざんりゅうまったのがのこり2試合しあいだい40せつおおきく低迷ていめい。そのの41せつ最終さいしゅうぶし勝利しょうりしたものの、11しょう15ふん16はいの18でシーズンをえた。

天皇杯てんのうはいはつ優勝ゆうしょう
だい102かい天皇杯てんのうはい決勝けっしょう(10がつ16にち日産にっさんスタジアム)でのコレオグラフィー

リーグせん並行へいこうしておこなわれた天皇杯てんのうはい JFA だい102かい全日本ぜんにほんサッカー選手権せんしゅけん大会たいかいでは初戦しょせん(2回戦かいせん)で環太平洋かんたいへいよう大学だいがくに5-1で勝利しょうりすると3回戦かいせんでは札幌さっぽろに2-1、ベスト16で鳥栖とすに3-1、準々じゅんじゅん決勝けっしょう福岡ふくおか延長えんちょうせんすえ2-1とJ1ぜい相手あいて次々つぎつぎ勝利しょうりし、クラブ史上しじょうはつとなる天皇杯てんのうはい準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ。さらに準決勝じゅんけっしょう鹿島かしません前半ぜんはん37ふん宮崎みやざきのゴールで先制せんせいするとこのリードをまもり1-0で勝利しょうりし、決勝けっしょう進出しんしゅつした。

決勝けっしょうでは広島ひろしま相手あいて前半ぜんはん26ふんさんへい先制せんせいのゴールをめるも後半こうはん39ふんいつかれ1-1で延長えんちょうせん突入とつにゅう延長えんちょう後半こうはん10ふんにPKをあたえるも河田かわたがこれを阻止そしして延長えんちょうでも決着けっちゃくがつかずPKせんとなる。それぞれ3にんめたのち広島ひろしまの4にん河田かわた再度さいどセーブしたのにたい甲府こうふは4にんめたことでリードし、最後さいご山本やまもとめて5-4で優勝ゆうしょうげた。

J2チームとしては2011ねんFC東京とうきょう以来いらい優勝ゆうしょう、かつJ2チームが決勝けっしょうでJ1チームをたお優勝ゆうしょうするのは史上しじょうはつ(FC東京とうきょう決勝けっしょう相手あいて当時とうじJ2の京都きょうとであった)のことである。また、この優勝ゆうしょうによりチームはつAFCチャンピオンズリーグおよびFUJIFILM SUPER CUP出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。

天皇てんのうはい優勝ゆうしょうしたものの、リーグせん低迷ていめいもあり吉田よしだは1ねん契約けいやく満了まんりょうにより退任たいにんとなった。

2023ねん - 2024ねん(J2&ACL)

2023ねん

  チームスローガン:疾風しっぷう怒濤どとう~Unite for the Next~

前身ぜんしん甲府こうふクラブでプレーれきがあり、福岡ふくおかやFC東京とうきょう清水しみず監督かんとく・コーチを歴任れきにんした篠田しのだ善之よしゆき甲府こうふ出身しゅっしん)が監督かんとく就任しゅうにん。2000ねん塚田つかだ雄二ゆうじ以来いらいとなるけん出身しゅっしんしゃ監督かんとく誕生たんじょうした。北谷きたやふみこう野澤のざわ英之ひでゆき引退いんたいし、山田やまだりく(→名古屋なごや)、浦上うらかみひとし(→大宮おおみや)、石川いしかわ俊輝としてる(→大宮おおみや)、岡西おかにしひろしゆう(→藤枝ふじえだ)、べいはらしげるあきら(→松本まつもと)、小泉こいずみ勇人はやとリラレナトフォゲッチイゴール退団たいだんした。しん戦力せんりょくでは井上いのうえ詩音しおん遠藤えんどうひかり(←専修大せんしゅうだい)、一瀬いちのせ大寿だいず(←山梨学院大やまなしがくいんだい)、水野みずの颯太(←きりかげ横浜よこはまだい)、三浦みうら颯太(←日体大にったいだい)が入団にゅうだん補強ほきょうでは、ピーター・ウタカ京都きょうとから、中山なかやまりく松本まつもとから復帰ふっきしたほか、武富たけとみ孝介こうすけ(←京都きょうと)、佐藤さとう和弘かずひろ(←松本まつもと)、渋谷しぶや飛翔ひしょう(←名古屋なごや)、松本まつもと孝平たかひら(←讃岐さぬき)が完全かんぜん移籍いせきで、土肥どいわたるだい(←広島ひろしま)、神谷かみや凱士(←川崎かわさき)、品田しなだあい(←FC東京とうきょう)が期限きげん移籍いせき加入かにゅうした。8月にも、クリスティアーノ(←長崎ながさき)、松田まつだりく(←セレッソ大阪せれっそおおさか)、マイケル・ウッド(←京都きょうと)が期限きげん移籍いせき加入かにゅう中村なかむら亮太りょうたろう(←鹿島かしま)も期限きげんきで復帰ふっきした。完全かんぜん移籍いせきで、過去かこいわきFC所属しょぞくしていた、ルーカス・マセドがポルトガルから加入かにゅうした。

リーグせん前半ぜんはんせんを5かえすも、7がつにキャプテンの須貝すがいえいだい鹿島かしま移籍いせきすると8がつ以降いこうは7せん勝利しょうりきっしてしまい、一時いちじは10まで順位じゅんいとしてしまう。そのは9せんけなしで6まで順位じゅんいげるも、最終さいしゅうぶし山形やまがたやぶれ8終了しゅうりょうした。天皇杯てんのうはいは2ねん連続れんぞく鹿島かしまやぶったが、ベスト16で神戸こうべやぶれている。FUJIFILM SUPER CUP 2023横浜よこはまFMやぶれ、天皇杯てんのうはいは2ねん連続れんぞく鹿島かしま勝利しょうりしたがベスト16で神戸こうべやぶれている。

AFCチャンピオンズリーグ2023/2024 グループステージ

天皇杯てんのうはい優勝ゆうしょうわくAFCチャンピオンズリーグ2023/24(ACL2023/24)への出場しゅつじょうけん獲得かくとく。ライセンスじょう問題もんだいはないが、本拠地ほんきょちのJIT リサイクルインク スタジアムが開催かいさい規定きていたっしていないため、国立こくりつ競技きょうぎじょうをホームとして使用しようすることとなった(後述こうじゅつ)。

2023ねん8がつ24にちグループステージわせ抽選ちゅうせんおこなわれ、甲府こうふメルボルン・シティFCオーストラリア)、ブリーラム・ユナイテッドFCタイ)、浙江せっこうFC中国ちゅうごく)とともにグループHにはいった[12]

9がつ20日はつか初戦しょせん・メルボルンせん(アウェー)は、飛行機ひこうきぎながら片道かたみち25あいだかけて移動いどうした。さらにリーグせんでは昇格しょうかくあらそいをしていたため主力しゅりょくおおくを日本にっぽんのこしてサブぐみ主体しゅたいとなるターンオーバーいどんだ。300にんえるサポーターがメルボルンに[13]甲府こうふはシュート18ほんはなつも得点とくてんできず0-0でけたが、J2チームとしてはつとなるACLでのてん獲得かくとくした[14][ちゅう 11]

10月4にちのブリーラムせん(ホーム)では、事前じぜん新宿しんじゅくえき渋谷しぶやえき広告こうこく掲出けいしゅつしプロモーションを実施じっし[15]X(きゅうTwitter)公式こうしきアカウントでは「#甲府こうふにチカラを」というハッシュタグを用意ようい応援おうえんびかけたところ、甲府こうふ以外いがいクラブのサポーターもけ、普段ふだん応援おうえんしているクラブのユニフォームをながら甲府こうふ応援おうえんした[16][ちゅう 12]試合しあい後半こうはん45ふん長谷川はせがわもとまれがヘディングでげたゴールが決勝けっしょうてんとなって1-0で勝利しょうり甲府こうふとして、そしてJ2クラブとしてACLはつ得点とくてんかつはつ勝利しょうりげている[18][ちゅう 11]

10月25にち浙江せっこうFCせん(アウェー)は相手あいて速攻そっこうから失点しってんかさね0-2でやぶれたが[19]、11月8がつ浙江せっこうFCせん(ホーム)では4-1で勝利しょうりし、この時点じてんでグループH首位しゅいおど[20]。11月29にち国立こくりつむかえた2・メルボルンせん(ホーム)では先制せんせいされるも前半ぜんはんのうちに逆転ぎゃくてんし、後半こうはん逆転ぎゃくてんゆるすもふたたいつき3-3のけにんで首位しゅいをキープ[21]。そして12月12にちのグループリーグ最終さいしゅうぶし・ブリーラムせん(アウェー)は3-2で勝利しょうりし1でグループステージ突破とっぱ決勝けっしょうトーナメント進出しんしゅつめた。なお、2リーグのチームがACLのグループリーグを突破とっぱするのは各国かっこくふくめて史上しじょうはじめてである[22][23]

2024ねん

チームスローガン:緊褌きんこん一番いちばん~Unite for the Next~

ぜんつづき、篠田しのだ監督かんとく指揮しきる。長谷ながたに川元かわもとのぞみ(→新潟にいがた)、三浦みうら颯太(→川崎かわさき)、井上いのうえ詩音しおん(→名古屋なごや)が完全かんぜん移籍いせき退団たいだん期限きげん移籍いせき満了まんりょうで、松本まつもとなぎせい中村なかむら亮太りょうたろう蓮川はすかわ壮大そうだいジェトゥリオクリスティアーノマイケル・ウッド品田しなだあい松田まつだりくらが、契約けいやく満了まんりょうルーカス・マセド退団たいだん甲府こうふからの期限きげん移籍いせき松本まつもと孝平たかひら(→富山とやま)、大和やまとゆうつき(→岩手いわて)が退団たいだんしん戦力せんりょくとして、まご大河たいが(←鳥栖とす)、村上むらかみせん(←専修大せんしゅうだい)、井上いのうえいつき(←明治大めいじだい)、三沢みさわ直人なおと(←京都きょうと)、ファビアンゴンザレス(←磐田いわた)、アダイウトン(←東京とうきょう)、今津いまづたすくふとし(長崎ながさき)、ヘナトアウグスト(←清水しみず)が加入かにゅう。また期限きげん移籍いせきで、木村きむらたく(←横浜よこはまFM)、飯田いいだたかけい(←京都きょうと)が加入かにゅう川崎かわさきから、期限きげん移籍いせきしていた神谷かみや凱士完全かんぜん移籍いせき移行いこう残留ざんりゅう

AFCチャンピオンズリーグ2023/2024 ノックアウトステージ

ノックアウトステージラウンド16は2023ねん12月28にちおこなわれた抽選ちゅうせん結果けっか韓国かんこく蔚山うるさん現代げんだいFC対戦たいせんすること決定けってい[24]。2024ねん2がつ15にちにアウェイで蔚山うるさん文殊もんじゅサッカー競技きょうぎじょうで、2024ねん2がつ21にちにホームとして国立こくりつ競技きょうぎじょう開催かいさい決定けっていした[25]

成績せいせき

かく記録きろく

チーム記録きろく

最多さいた得点とくてん試合しあい

Div. H & A スコア 試合しあい 対戦たいせん相手あいて
J1 ホーム 4-3 2007ねんだい5せつ (4がつ7にち) ヴィッセル神戸こうべ
4-3 2011ねんだい23せつ (7がつ16にち) ガンバ大阪がんばおおさか
アウェー 4-0 2011ねんだい29せつ (10がつ15にち) セレッソ大阪せれっそおおさか
J2 ホーム 6-1 2004ねんだい19せつ (6がつ23にち) 横浜よこはまFC
6-0 2009ねんだい23せつ (6がつ24にち) アビスパ福岡ふくおか
6-0 2010ねんだい33せつ (11月7にち) ギラヴァンツ北九州きたきゅうしゅう
6-2 2018ねんだい16せつ (5がつ26にち) 大分おおいたトリニータ
アウェー 5-1 2003ねんだい6せつ (4がつ12にち) 横浜よこはまFC
5-1 2024ねんだい1せつ (2がつ25にち) 徳島とくしまヴォルティス

最多さいた失点しってん試合しあい

Div. H & A スコア 試合しあい 対戦たいせん相手あいて
J1 ホーム 1-6 2007ねんだい14せつ (6がつ10日とおか) ジュビロ磐田じゅびろいわた
アウェー 1-5 2006ねんだい17せつ (8がつ12にち) 名古屋なごやグランパスエイト
0-5 2007ねんだい29せつ (10がつ21にち) ガンバ大阪がんばおおさか
1-5 2013ねんだい12せつ (5がつ18にち) サンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま
J2 ホーム 3-5 1999ねんだい25せつ (9がつ10日とおか) FC東京とうきょう
1-5 2001ねんだい26せつ (8がつ14にち) サガン鳥栖とす
アウェー 1-6 1999ねんだい4せつ (4がつ4にち) アルビレックス新潟にいがた
0-6 1999ねんだい9せつ (5がつ2にち) コンサドーレ札幌さっぽろ

最多さいた連勝れんしょう記録きろく

J1リーグせん
3連勝れんしょう (2007ねんだい7せつ(4がつ21にち)からだい9せつ(5がつ3にち))
J2リーグせん
6連勝れんしょう (2012ねんだい23せつ(7がつ8にち)からだい28せつ(8がつ12にち))

最多さいた連敗れんぱい記録きろく

J1リーグせん
8連敗れんぱい (2013ねんだい11せつ(5がつ11にち)からだい18せつ(7がつ31にち))
J2リーグせん
19連敗れんぱい (2000ねんだい13せつ(5がつ18にち)からだい32せつ(9がつ11にち))

個人こじん記録きろく

通算つうさん最多さいた出場しゅつじょうしゃ

通算つうさんはリーグせんとカップせん天皇杯てんのうはいJリーグカップ)のみ。プレシーズンマッチ引退いんたい試合しあい練習れんしゅう試合しあいなどは省略しょうりゃくする。

  • 通算つうさん
619試合しあい - 日本の旗 山本やまもと英臣ひでおみ (はつ出場しゅつじょう2003ねん3がつ15にち vs.サガン鳥栖とすせん)
  • リーグせん
554試合しあい - 日本の旗 山本やまもと英臣ひでおみ

通算つうさん出場しゅつじょう試合しあい上位じょうい

JリーグのJ1・J2リーグせんのみ。太字ふとじは2023 ねん開幕かいまく時点じてんでの在籍ざいせき選手せんしゅ記録きろくは2022ねんシーズン終了しゅうりょう時点じてん

じゅん 選手せんしゅめい 出場しゅつじょう試合しあいすう 在籍ざいせき期間きかん 備考びこう
1 山本やまもと英臣ひでおみ日本の旗 日本にっぽん 554試合しあい 2003-
2 石原いしはら克哉かつや日本の旗 日本にっぽん 467試合しあい 2001-2017 リスト・オブ・ワン・クラブ・マン
3 藤田ふじたけん日本の旗 日本にっぽん 354試合しあい 2001-2010
4 くら貫一かんいちあつし日本の旗 日本にっぽん 246試合しあい 2000-2006
5 池端いけはた陽介ようすけ日本の旗 日本にっぽん 218試合しあい 2002-2010
6 杉山すぎやましん日本の旗 日本にっぽん 217試合しあい 2003-2009
6 河田かわたあきらへい日本の旗 日本にっぽん 217試合しあい 2013、2015- GK最多さいた
8 新井あらいすずかひらめ日本の旗 日本にっぽん 208試合しあい 2013-2022
9 おぎあきらふとし日本の旗 日本にっぽん 188試合しあい 2009-2015
10 津田つだ琢磨たくま日本の旗 日本にっぽん 179試合しあい 2003-2017 2008ねんはシーズン途中とちゅうまで愛媛えひめ在籍ざいせき
参考さんこう
  • 伊東いとうあきらえつ日本の旗 日本にっぽん)(J1リーグ通算つうさん517試合しあい試合しあい出場しゅつじょう。うち甲府こうふではJ2リーグふくめ59試合しあい出場しゅつじょうし、2011ねん7がつ6にちJ1リーグだい5せつガンバ大阪がんばおおさかせん史上しじょうはつのJ1リーグ500試合しあい出場しゅつじょう達成たっせい。)
  • 仲田なかた健二けんじ日本の旗 日本にっぽん)(リスト・オブ・ワン・クラブ・マン。J2ではリーグ146試合しあいきゅうJFLをふくめると228試合しあい出場しゅつじょう

通算つうさん最多さいた得点とくてん

  • 43得点とくてん - ブラジルの旗 バレー (はつ出場しゅつじょう:2005ねん3がつ5にち vs.札幌さっぽろせん)

最多さいた連続れんぞく得点とくてん試合しあい

  • 5試合しあい
    • ブラジルの旗 バレー (2005ねんJ2だい11せつ(5がつ7にち)からだい15せつ(6がつ4にち))
    • ブラジルの旗 ダヴィ (2012ねんJ2だい35せつ(9がつ23にち)からだい39せつ(10がつ21にち))

シーズン最多さいた得点とくてん

J1リーグせん
17得点とくてん - 日本の旗 ハーフナー・マイク (2011ねん)
J2リーグせん
32得点とくてん - ブラジルの旗 ダヴィ (2012ねん)

通算つうさんチーム得点とくてん上位じょうい

2014シーズン終了しゅうりょう時点じてん得点とくてんすうはリーグせんのみ。

じゅん 選手せんしゅめい 得点とくてんすう 在籍ざいせき期間きかん 備考びこう
1 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 43得点とくてん 2005-2006
2015
せんの7得点とくてんのぞ
2 藤田ふじたけん日本の旗 日本にっぽん 41得点とくてん 2001-2010
3 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本にっぽん 37得点とくてん 2010-2011
2020
マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 37得点とくてん 2008-2010
2015
5 ダヴィ(ブラジルの旗 ブラジル 33得点とくてん 2011-2012
2016

ハットトリック

得点とくてんすう 氏名しめい 達成たっせい 対戦たいせん相手あいて
J1 達成たっせいしゃなし
にゅうがえせん 6得点とくてん ブラジルの旗 バレー 2005ねん12がつ10日とおか (だい2せん) かしわ
J2 4得点とくてん ブラジルの旗 バロン 2004ねん5がつ2にち (だい9せつ) 水戸みと
3得点とくてん ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002ねん10がつ19にち (だい38せつ) 福岡ふくおか
日本の旗山崎やまざき光太郎こうたろう 2004ねん6がつ23にち (だい19せつ) 横浜よこはまFC
ブラジルの旗バレー 2005ねん5がつ28にち (だい14せつ) 徳島とくしま
ブラジルの旗マラニョン 2010ねん4がつ29にち (だい9せつ) 札幌さっぽろ
日本の旗ハーフナー・マイク 2010ねん11月7にち (だい33せつ) 北九州きたきゅうしゅう
カップせん 3得点とくてん 日本の旗須藤すとう大輔だいすけ 2007ねん7がつ7にち (準々じゅんじゅん決勝けっしょうだい1せん) 川崎かわさき

記念きねんゴール

ゴールすう 氏名しめい 達成たっせい 対戦たいせん相手あいて
J2 2500 ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002ねん11がつ10日とおか (J2だい42せん) 鳥栖とす
3500 ブラジルの旗バロン 2004ねん6がつ26にち (J2だい20せん) 京都きょうと
8000 日本の旗大西おおにしひろしたいら 2009ねん10がつ4にち (J2だい43せん) 東京とうきょうV

タイトル

国内こくないタイトル

個人こじん

その表彰ひょうしょう

スタジアム

ホームスタジアムは、JIT リサイクルインク スタジアムである。過去かこのホームゲーム開催かいさいスタジアムは「とう項目こうもく」を参照さんしょうのこと。

2014ねんシーズン開幕かいまくせん2週間しゅうかんまえ山梨やまなしけん地方ちほうおそった大雪おおゆきにより、山梨やまなしけん小瀬こせスポーツ公園こうえん陸上りくじょう自衛隊じえいたい拠点きょてんとして使用しようされたことなどもあり、陸上りくじょう競技きょうぎじょう除雪じょせつ作業さぎょう、および試合しあいへの使用しようむずかしいと判断はんだんされ[26]同年どうねん2がつ21にちだい1せつ鹿島かしまアントラーズせん会場かいじょう国立こくりつ霞ヶ丘かすみがおか競技きょうぎじょう変更へんこうされた[27]

AFCクラブチャンピオンズリーグではJIT リサイクルインク スタジアムが開催かいさい規定きていにある「個別こべつせきで、もたれが30センチ以上いじょうあるもの、なおかつそれを5000せき以上いじょう設置せっちすること」および「VIPルームがあること」の基準きじゅんたっしておらず[28]山梨やまなしけんがいへの代替だいたいさがすことになった。その結果けっかJリーグの中立ちゅうりつである国立こくりつ競技きょうぎじょう使用しようすることで申請しんせいおこない、アジアサッカー連盟れんめい(AFC)から国立こくりつをホームとしてACLクラブライセンスが発行はっこうされている[29]

ユニフォーム

ユニフォームのいろ
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) あお あお あお
FP(2nd) しろ しろ しろ
GK(1st)
GK(2nd) あか あか あか
GK(3rd) グレー グレー グレー
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー

  •   ブルー[1]

ユニフォームスポンサー

掲出けいしゅつ箇所かしょ スポンサーめい 表記ひょうき 掲出けいしゅつねん 備考びこう
むね はくばく はくばく 2001ねん - 2006ねん
2009ねん -
2007ねん - 2008ねん背中せなか
鎖骨さこつ 日本にっぽんネットワークサービス NNS
日本にっぽんネットワークサービス
2019ねん - 左側ひだりがわ表記ひょうき
レオ REO 2022ねん4がつ - [30] 右側みぎがわ表記ひょうき
背中せなか上部じょうぶ 山梨中央銀行やまなしちゅうおうぎんこう 山梨中央銀行やまなしちゅうおうぎんこう 2017ねん - 2015ねん - 2016ねんそで
背中せなか下部かぶ コイケ KOIKE 2016ねん - 2016ねん - 2021ねんは「コイケ」表記ひょうき
そで クスリのサンロード クスリの
サンロード
2018ねん -
パンツ前面ぜんめん マルアイ あい
MARUAI
2018ねん -
パンツ背面はいめん 山梨やまなしにちにち新聞しんぶん 山梨やまなしにちにち新聞しんぶん 2021ねん -

ユニフォームサプライヤーの遍歴へんれき

ユニフォームデザイン

  • 甲府こうふクラブ時代じだい武田たけだあかそなをイメージするあか一色いっしょくであったが、ヴァンフォーレになってからはホームはあお、アウェーはしろ基調きちょうとしている。
  • Jリーグ参入さんにゅうにサプライヤーがエレーネとなり、ホームユニフォームはあお一部分いちぶぶんしろであった。
  • デレルバになった2003ねんから甲府こうふクラブ時代じだい基調きちょうであった赤色あかいろはいるようになった。のサプライヤーは2ねんごとにデザインが変更へんこうされるが、デレルバ時代じだいのみ毎年まいとしデザインが変更へんこうされている。
  • アンブロになった2007ねんからは水色みずいろちかいろになり、そでなどの一部分いちぶぶんあかしろだったのをのぞ青色あおいろ部分ぶぶんおおくなった。
  • ミズノになった2011ねんからふたた青色あおいろくなり、赤色あかいろのストライプがはいるようになっている。
  • 2023ねんからみぎじょう胸部きょうぶほしのエンブレムがけられるようになった。
  • 夏季かきホームゲームすう試合しあいでは記念きねんユニフォームを着用ちゃくようすることがある。
    • 2015ねん山梨やまなし県内けんないかく市町村しちょうそん地図ちずがちりばめられたもの
    • 2016ねん:ゴールうら光景こうけい星空ほしぞら
    • 2017ねん紫色むらさきいろ葡萄ぶどうのイラスト
    • 2018ねん山梨やまなし特産とくさん水晶すいしょう
    • 2019ねん:シーズンスローガン「あつくなれ」、信玄しんげんおおやけの「かぶと」、武田たけだぐんの「あかそなえ」をイメージ[31]
    • 2020ねん:スタジアムを中心ちゅうしんとした甲府盆地こうふぼんち夜景やけい[32]
    • 2021ねん甲斐かいいぬをイメージした虎毛とらげのイメージ[33]
    • 2022ねん:エンブレムを拡大かくだいしたイメージ[34]
  • 2023ねん記念きねんユニフォームのわりにACL専用せんようユニフォームが用意よういされ、おおきくVえがいたイメージである[35]

歴代れきだいユニフォーム

FP 1st
1999 - 2000
2001 - 2002
2003
2004
2005
2006
2007 - 2008
2009 - 2010
2011 - 2012
2013 - 2014
2015 - 2016
2017 - 2018
2019 - 2020
2021
2022
2023
2024 -
FP 2nd
1999 - 2000
2001 - 2002
2003
2004
2005
2006
2007 - 2008
2009 - 2010
2011 - 2012
2013 - 2014
2015 - 2016
2017 - 2018
2019 - 2020
2021
2022
2023
2024 -
FP Other
2015
SUMMER
2016
SUMMER
2017
SUMMER
2018
SUMMER
2019
SUMMER
2020
SUMMER
2021
SUMMER
2022
LIMITED
2024
SUMMER
Vivid × Vital

歴代れきだいユニフォームスポンサー表記ひょうき

年度ねんど 箇所かしょ サプライヤー
むね 鎖骨さこつひだり 鎖骨さこつみぎ 背中せなか上部じょうぶ 背中せなか下部かぶ そで パンツ前面ぜんめん パンツ背面はいめん
1997 TOSHIBA 解禁かいきんまえ - 解禁かいきんまえ TOKYO DOME - 解禁かいきんまえ UMBRO
1998 NTTDoCoMo DIRECTV - PENALTY
1999 - - nr(ennerre)
2000 - /
index
2001 はくばく index Sannichi
YBS Group
2002 PRINCESS
TENKO
武田たけだ消毒しょうどく
2003 DELLERBA
2004 シャトレーゼ 泉郷いずみごう
2005 信玄しんげん食品しょくひん
2006 NIPRO 東京とうきょうエレクトロン pal*system
2007 NIPRO はくばく 東京とうきょうエレクトロン UMBRO
2008
2009 はくばく 東京とうきょうエレクトロン Jit ジット -
2010
2011 Mizuno
2012 東京エレクトロン山梨とうきょうえれくとろんやまなし
2013 アエラホーム AERAHOME
2014
2015 山梨中央銀行やまなしちゅうおうぎんこう - /
PHメンテナンス
2016 コイケ PHメンテナンス
2017 山梨中央銀行やまなしちゅうおうぎんこう - /
内藤ないとうハウス
2018 - クスリの
サンロード
あい
MARUAI
2019 NNS
日本にっぽんネットワークサービス
Jit ジット
2020 - -
2021 山梨やまなしにちにち新聞しんぶん
2022 - /
REO
KOIKE
2023 REO

アカデミー

ヴァンフォーレ甲府こうふのアカデミーには、直轄ちょっかつとしてU-18(2しゅ)、U-15(3しゅ)、U-12(4しゅ)の3世代せだいにチームがあり、その1チームと提携ていけいおこなっている。主要しゅよう練習れんしゅうじょうみなみアルプスにある八田はった河川敷かせんしきグラウンド。

Jリーグクラブライセンス制度せいどではU-18、U-15、U-12、U-10の4世代せだいにチームをもうけることがA等級とうきゅう基準きじゅん(Jリーグに参入さんにゅうするにあたり必要ひつようとされる基準きじゅん)となっている。ただしU-12およびU-10は定期ていきてきにサッカースクールをおこなうことで代替だいたい可能かのうとしており、U-10世代せだい甲府こうふ北部ほくぶ南部なんぶ)、みなみアルプス山梨やまなし西桂にしかつらまちにてサッカースクールをおこなうことで基準きじゅんをクリアしている。

ヴァンフォーレ甲府こうふU-18

設立せつりつはトップチームがJリーグ参入さんにゅうしてから2ねんの2001ねん[ちゅう 13]。U-12が設立せつりつされるまえの2009ねんまでは「ヴァンフォーレ甲府こうふユース」の名前なまえであった。

2007ねんけんリーグをがりプリンスリーグ関東かんとう2参入さんにゅうしたが、1ねんけんリーグへ降格こうかく。2014ねん参入さんにゅう決定けっていせんがり、2015,2016ねんにはプリンスリーグ関東かんとう参入さんにゅうしていた。クラブユース選手権せんしゅけん関東かんとう予選よせんかべやぶれずにいたが2010ねんはじめて全国ぜんこく大会たいかい出場しゅつじょう。さらに2013ねんには予選よせんリーグを突破とっぱ決勝けっしょうトーナメントに進出しんしゅつ。2015ねんプレミアWESTヴィッセル神戸こうべU-18やぶりベスト8まで進出しんしゅつしている。

出身しゅっしんしゃヴァンフォーレ甲府こうふ選手せんしゅ一覧いちらん#アカデミー出身しゅっしんしゃ参照さんしょうのこと。

年度ねんど 所属しょぞく 順位じゅんい 試合しあい かちてん かち はい ぶん U-18選手権せんしゅけん Jユースはい 備考びこう
2008 プリンス関東かんとう2 12 9 4 1 4 1 関東かんとう予選よせん敗退はいたい 予選よせんG敗退はいたい リーグせん(Aパート)6
11・12決定けっていせん敗退はいたい
2009 山梨やまなしけんAパート 優勝ゆうしょう 6 18 6 2 1 関東かんとう予選よせん敗退はいたい 予選よせんG敗退はいたい 参入さんにゅう決定けっていせん敗退はいたい
2010 山梨やまなしけんAパート 3 9 18 6 2 1 予選よせんG敗退はいたい 予選よせんG敗退はいたい
2011 山梨やまなしけんAパート 3 9 18 5 3 1 関東かんとう予選よせん敗退はいたい 予選よせんG敗退はいたい
2012 山梨やまなしけんAリーグ 優勝ゆうしょう 14 39 13 1 0 関東かんとう予選よせん敗退はいたい 予選よせんG敗退はいたい 参入さんにゅう決定けっていせん敗退はいたい
2013 山梨やまなしけん1 2 18 46 15 2 1 ベスト16 予選よせんG敗退はいたい
2014 山梨やまなしけん1 優勝ゆうしょう 18 46 15 2 1 ベスト16 ベスト16 参入さんにゅう決定けっていせん
2015 プリンス関東かんとう 9 18 17 4 9 5 ベスト8 2回戦かいせん敗退はいたい
2016 プリンス関東かんとう 10 7 18 1 13 4 予選よせんG敗退はいたい 3回戦かいせん敗退はいたい
2017 山梨やまなしけん1 3 18 39 11 1 6 予選よせんG敗退はいたい 2回戦かいせん敗退はいたい
2018 山梨やまなしけん1 優勝ゆうしょう 18 45 15 3 0 予選よせんG敗退はいたい 1回戦かいせん敗退はいたい 参入さんにゅう決定けっていせん敗退はいたい
2019 山梨やまなしけん1 2 18 42 13 3 2 関東かんとう予選よせん敗退はいたい 3回戦かいせん敗退はいたい
2020 山梨やまなしけん1 優勝ゆうしょう 9 42 7 2 0 1回戦かいせん敗退はいたい 参入さんにゅう決定けっていせん敗退はいたい
2021 山梨やまなしけん1 優勝ゆうしょう 18 47 15 2 1 予選よせんG敗退はいたい 関東かんとう1参入さんにゅう決定けっていせん敗退はいたい関東かんとう2昇格しょうかく
2022 プリンス関東かんとう2                

山梨やまなしけんAパート」「山梨やまなしけんAリーグ」は山梨やまなしけん1相当そうとう

ヴァンフォーレ甲府こうふU-15

設立せつりつはJリーグ参入さんにゅう初年度しょねんどである1999ねん。U-12が設立せつりつされるまえの2009ねんまでは「ヴァンフォーレ甲府こうふジュニアユース」の名前なまえであった。

ヴァンフォーレ甲府こうふU-12

U-12については2009ねんまでチームを結成けっせいしていなかったが、全体ぜんたい底上そこあげをはか目的もくてきのため2010ねん結成けっせいされた[36]

U-12世代せだい育成いくせい上述じょうじゅつのサッカースクールでもおこなっているが、U-12チームはそれとはべつ選考せんこうかいおこない選抜せんばつされている。また、スペインから指導しどうしゃまねくなど重点的じゅうてんてき指導しどうおこなっている[36]。そのため結成けっせいからあいだもない状態じょうたいでも全国ぜんこく大会たいかい出場しゅつじょうし、2016ねんダノンネーションズカップ in JAPANでは優勝ゆうしょうかざっている。このとしの「U-12 ジュニアサッカーワールドチャレンジ2016」ではマンチェスター・シティFCFCバルセロナのU-12と対戦たいせんしている(マンチェスター・シティとはけ、バルセロナにはけ)。また、世界せかい大会たいかいであるダノンネーションズカップでは予選よせんブロックを1通過つうかすると、フランスアルゼンチンスペインセビージャFCのU-12チーム)といった強豪きょうごうこく相手あいてがり、決勝けっしょう進出しんしゅつした。決勝けっしょうではドイツボルシア・ドルトムントのU-12チーム)相手あいてにPKせんやぶれたものの、世界せかいレベルの強豪きょうごうチーム相手あいて善戦ぜんせんしている。

その

2010ねんきたもりにあるU-15およびU-12のサッカーチーム「八ヶ岳やつがたけグランデフットボールクラブ」と業務ぎょうむ提携ていけい締結ていけつし、2011ねんより「ヴァンフォーレ八ヶ岳やつがたけ」として活動かつどうしていた。2017ねんもっ業務ぎょうむ提携ていけい解消かいしょうし、チームめいも「グランデ・アメージング・アカデミー」となっている。

メディア

地元じもとメディアによる試合しあい中継ちゅうけい

  • NHK甲府こうふ放送ほうそうきょく県域けんいき総合そうごうテレビ) - 一部いちぶ相手あいてチームの地元じもときょくとの相互そうご放送ほうそう、あるいは甲府こうふきょく単独たんどくでアウェイ中継ちゅうけいおこなう。
  • 山梨放送やまなしほうそう(YBSテレビ、YBSラジオ) - ラジオはとし1試合しあい程度ていど静岡放送しずおかほうそうSBSラジオがれる事例じれいがある(「富士山ふじさんダービー」)。また特番とくばん『SSS〜スリーエス〜』としてアウェイ試合しあい経過けいか速報そくほうつたえることもある。一般いっぱんてき実況じっきょう中継ちゅうけいでもアウェイにんで独自どくじ制作せいさくすることがある。テレビは基本きほんてきにホーム試合しあいで、スカパー!映像えいぞう制作せいさく実況じっきょう担当たんとうしていた。
  • UTYテレビ山梨てれびやまなし - とし1試合しあい程度ていど過去かこに『ウッティはつ!』の時間じかんたいゴールデンタイム実況じっきょう中継ちゅうけい後半こうはんのみ)をおこなったことがある。
  • NNS甲府こうふCATV - おもにホーム試合しあい
  • エフエム甲府こうふ『ヴァンフォーレ甲府こうふ実況じっきょう中継ちゅうけい』 - ホーム、アウェイともどう程度ていど中継ちゅうけい回数かいすう

そのチーム情報じょうほう

決算けっさん

ヴァンフォーレ甲府こうふ決算けっさんは、つぎのとおり。

損益そんえき

年度ねんど 収入しゅうにゅう 広告こうこくりょう 入場にゅうじょうりょう 配分はいぶん その 費用ひよう 事業じぎょう 人件じんけん 管理かんり 利益りえき じゅん利益りえき
2005 670 246 159 178 87 579 419 262 161 91 50
2006 1,343 571 385 242 145 1,102 857 556 245 241 135
2007 1,655 768 436 276 175 1,506 1,100 741 406 149 54
2008 1,263 647 276 99 241 1,236 911 587 325 26 24
2009 1,094 497 293 119 185 1,080 798 498 290 14 0
2010 1,067 499 297 117 154 1,056 763 473 293 11 0

出典しゅってん: かく年度ねんどのJクラブ決算けっさん一覧いちらん200520062007200820092010

金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん

人件じんけん事業じぎょうふくまれる。

年度ねんど 収益しゅうえき 広告こうこくりょう 入場にゅうじょうりょう 配分はいぶん 育成いくせい その 費用ひよう 人件じんけん 試合しあい トップ 育成いくせい 女子じょし 販売はんばい 利益りえき じゅん利益りえき
2011 1,465 635 421 216 29 164 1,400 671 84 149 17 0 479 65 44
2012 1,179 554 291 103 26 205 1,148 476 66 170 18 0 418 31 15
2013 1,481 683 403 208 36 151 1,460 707 101 172 21 0 459 21 3
2014 1,518 749 422 191 47 109 1,515 759 119 175 25 0 437 6 -74
2015 1,525 751 354 186 50 184 1,470 736 86 154 28 0 466 55 21

出典しゅってん: かく年度ねんどのJクラブ決算けっさん一覧いちらん20112012201320142015

金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん

年度ねんど 収益しゅうえき 広告こうこくりょう 入場にゅうじょうりょう 配分はいぶん 育成いくせい 物販ぶっぱん その 費用ひよう 人件じんけん 試合しあい トップ 育成いくせい 女子じょし 物販ぶっぱん 販売はんばい 利益りえき じゅん利益りえき
2016 1,523 736 342 193 59 61 132 1,499 736 88 182 28 0 42 423 24 8
2017 1,727 774 353 446 28 74 52 1,689 883 103 181 30 0 57 435 38 19
2018 1,511 760 297 286 19 62 87 1,500 747 113 172 33 0 45 390 11 1
2019 1,455 800 286 149 24 87 109 1,460 707 108 171 26 0 70 378 -5 -5

出典しゅってん: かく年度ねんどのJクラブ決算けっさん一覧いちらん2016201720182019

金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん

資産しさん

年度ねんど そう資産しさん そう負債ふさい 純資産じゅんしさん 資本しほんきん
2005 278 315 -36 335
2006 553 423 130 367
2007 566 381 184 367
2008 506 297 209 367
2009 463 253 210 367
2010 516 305 210 367
2011 573 296 276 367
2012 606 314 292 367
2013 568 273 295 367
2014 556 335 221 367
2015 620 378 242 367
2016 615 365 250 367
2017 652 383 269 367
2018 585 314 270 367
2019 588 322 266 367

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金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく
  1. ^ れい横浜よこはまF・マリノス=日産自動車にっさんじどうしゃ名古屋なごやグランパスエイト=トヨタ自動車とよたじどうしゃガンバ大阪がんばおおさか=パナソニックなど
  2. ^ 塚田つかだ当時とうじJリーグの監督かんとくをするのに必要ひつようSきゅう指導しどうしゃライセンス所持しょじしていなかった。
  3. ^ 塚田つかだそう監督かんとくとして実質じっしつてき指揮しきをとっていた。また、勝俣かつまた当時とうじ富士吉田ふじよしだ議会ぎかい議員ぎいんで、シーズンちゅう選挙せんきょがあり、期間きかんちゅうのアウェーせん欠場けつじょうした。
  4. ^ ふし試合しあいすうわないのは当時とうじのJ2は11チームであり、ふしによってはやすみがあったため
  5. ^ ただし1998ねんまではリーグせんでもPKせん実施じっしされており、京都きょうと場合ばあいけが存在そんざいしなかったとき記録きろくである。
  6. ^ 現在げんざいは2010ねん-2011ねんにギラヴァンツ北九州きたきゅうしゅう記録きろくした35試合しあい勝利しょうり
  7. ^ 開幕かいまく直前ちょくぜんの3がつ自社じしゃ業務ぎょうむ専念せんねんという理由りゆうから退任たいにん
  8. ^ 茂原しげはら主審しゅしんたいする侮辱ぶじょく行為こういおよび器物きぶつ破損はそんによりナビスコはいふくめ7試合しあい出場しゅつじょう停止ていしはやし出場しゅつじょうしていなかったが試合しあい終了しゅうりょう主審しゅしんたいする暴言ぼうげんにより2試合しあい出場しゅつじょう停止ていし
  9. ^ 甲府こうふクラブ時代じだいふくめ、シーズン途中とちゅう監督かんとく解任かいにんしたのははじめて。
  10. ^ 過去かこ2チームでは国籍こくせきはブラジルであり通常つうじょう外国がいこくじんわくでの登録とうろくであったが、そのひがしティモール国籍こくせき取得しゅとく今回こんかいはアジアわくとして選手せんしゅ登録とうろくされた。
  11. ^ a b J2に所属しょぞくしているチームがACLに出場しゅつじょうしたのはACL2006での東京とうきょうヴェルディはじめてで、甲府こうふは2チーム
  12. ^ 本来ほんらいであればクラブのユニフォームで甲府こうふがわゴールうら入場にゅうじょう禁止きんしとなっているが、クラブがわ判断はんだんでACLでの甲府こうふホームゲームかつ指定してい場所ばしょかぎ許可きょかしている。なお、クラブのユニフォームを着用ちゃくようしてのゴールうら入場にゅうじょう許可きょかした事例じれい水戸みとホーリーホック納涼のうりょうかんまつ2015ねんFC町田まちだゼルビアれいがある[17]
  13. ^ 現在げんざいのJリーグクラブライセンス制度せいどではA基準きじゅんであり参入さんにゅうまえ審査しんさ設立せつりつまたは設立せつりつ見込みこみがないとされるとJ3をふくめライセンスが発行はっこうされないが、J2が設立せつりつされた1999ねん当初とうしょ猶予ゆうよ期間きかんもうけられており、参入さんにゅうから3ねん以内いないのU-18(2しゅ)チームの設立せつりつ義務付ぎむづけられていた。
出典しゅってん
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q クラブガイド:ヴァンフォーレ甲府こうふ”. 日本にっぽんプロサッカーリーグ. 2020ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ クラブ創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねん企画きかく「ヴァンフォーレ甲府こうふアンセム」制作せいさくアーティスト藤巻ふじまき亮太りょうたさんに決定けっていおよび「歌詞かし・フレーズ(クラブへのおもい)」募集ぼしゅうのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ公式こうしき. 2014ねん10がつ31にち閲覧えつらん
  3. ^ じぇいリーグ 公式こうしきせんにおける「連勝れんしょう連敗れんぱい」の定義ていぎについて
  4. ^ 山梨学院大やまなしがくいんだいとヴァンフォーレ甲府こうふ業務ぎょうむ提携ていけい山梨学院大学やまなしがくいんだいがく公式こうしき
  5. ^ ハーフナー甲府こうふ退団たいだんへ「チームをぶっこわ意味いみからない」 スポーツニッポン,2011ねん12月3にち
  6. ^ 【J1:だい34せつ 大宮おおみや vs 甲府こうふ甲府こうふがわプレビュー:『しん』でたたかうサッカーでわずかな可能かのうせいける J's GOAL,2011ねん12月2にち
  7. ^ 【2013シーズン始動しどう!】甲府こうふしん体制たいせい発表はっぴょう会見かいけんでの出席しゅっせきしゃコメント(2013ねん1がつ15にち、J's GOAL)
  8. ^ VF甲府こうふ すけ次々つぎつぎ退団たいだん異例いれい事態じたい 野心やしん忠誠ちゅうせいこころ内面ないめんめず山梨やまなしにちにち新聞しんぶん
  9. ^ 樋口ひぐち やすしひろし 監督かんとく就任しゅうにんのおらせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府こうふ、2014ねん12月8にちhttp://www.ventforet.jp/news/press_release/5080122014ねん12月8にち閲覧えつらん 
  10. ^ 吉田よしだ 達磨だるま 監督かんとく就任しゅうにんのおらせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府こうふ、2016ねん11月15にちhttp://www.ventforet.jp/news/press_release/5128352016ねん11月19にち閲覧えつらん 
  11. ^ 吉田よしだ 達磨だるま 監督かんとく 契約けいやく解除かいじょについて”. ヴァンフォーレ甲府こうふ公式こうしき (2018ねん4がつ30にち). 2018ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  12. ^ “ACLのわせが決定けってい! “王者おうじゃ浦和うらわ浦項ほこうらとどうくみ甲府こうふはメルボルンと同居どうきょ | AFCチャンピオンズリーグ”. DAZN. (2023ねん8がつ24にち). https://www.dazn.com/ja-JP/news/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC/2023-08-24-soccer-afc-champions-league-2023-2024/1kzinacbw5fxz1mjhyj6vd9cic 2023ねん8がつ24にち閲覧えつらん 
  13. ^ “「日本にっぽんから300にんえる応援おうえんだん豪州ごうしゅうけつけた甲府こうふサポに、もとJリーガーも感動かんどう滞在たいざいより移動いどうのほうがながい?『みんなそうですよ!』”. サッカーダイジェスト. (2023ねん9がつ21にち). https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=139542 2023ねん9がつ21にち閲覧えつらん 
  14. ^ “【ACL】J2甲府こうふてきメルボルンCせんドロー「甲府こうふあたらしい1ページ」オーストラリアであらたな1. 日刊にっかんスポーツ. (2023ねん9がつ20日はつか). https://www.nikkansports.com/soccer/news/202309200001309.html 2023ねん9がつ20日はつか閲覧えつらん 
  15. ^ “J2ヴァンフォーレ甲府こうふのACL出場しゅつじょう黒字くろじ赤字あかじか アウェー旅費りょひ国立こくりつホーム開催かいさい費用ひようなどをいてみた”. sportiva. (2023ねん10がつ3にち). https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2023/10/03/j2acl/ 2023ねん10がつ3にち閲覧えつらん 
  16. ^ “「甲府こうふにチカラをJサポのみなさん」 ACLブリーラムせんけたクラブサポーター…国立こくりつ競技きょうぎじょうだい声援せいえん. FOOTBALLZONE. (2023ねん10がつ4にち). https://www.football-zone.net/archives/479031 2023ねん10がつ4にち閲覧えつらん 
  17. ^ ゼルビアでサッカー友達ともだちひろげよう! 9月23にちみず)J-22せんで“サポさま招待しょうたい企画きかく”を実施じっしします”. FC町田まちだゼルビア公式こうしき (2015ねん9がつ12にち). 2015ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  18. ^ 甲府こうふ J2ぜいACLはつ勝利しょうり長谷川はせがわVヘッド「歴史れきしてきな1しょうにつながるゴール」”. スポーツニッポン. (2023ねん10がつ5にち). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2023/10/05/kiji/20231005s00002181065000c.html 2023ねん10がつ5にち閲覧えつらん 
  19. ^ 甲府こうふはACLはつ黒星くろぼし浙江せっこうに2失点しってん敗戦はいせん、GL1しょう1はい1ふん後半こうはんせんへ”. ゲキサカ. (2023ねん10がつ25にち). https://web.gekisaka.jp/news/acl/detail/?394682-394682-fl 2023ねん10がつ25にち閲覧えつらん 
  20. ^ “J2甲府こうふ、”ホーム”国立こくりつでのACL2連勝れんしょう!! 浙江せっこうに4はつ圧勝あっしょうでグループ首位しゅい浮上ふじょう. ゲキサカ. (2023ねん11月8にち). https://web.gekisaka.jp/news/acl/detail/?395601-395601-fl 2023ねん11月8にち閲覧えつらん 
  21. ^ 【ACL】甲府こうふがメルボルンCといのすえけて首位しゅいまもる J2はつリーグ突破とっぱのぞ”. 日刊にっかんスポーツ (2023ねん11月29にち). 2023ねん11月29にち閲覧えつらん
  22. ^ 甲府こうふ快挙かいきょ!J2ぜい史上しじょうはつのACL決勝けっしょうT進出しんしゅつ てきでブリラム撃破げきは首位しゅい通過つうかめた”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン (2023ねん12月12にち). 2023ねん12月12にち閲覧えつらん
  23. ^ ACL決勝けっしょうTわせ決定けってい!歴史れきしてきかい進撃しんげきJ2甲府こうふ蔚山うるさん激突げきとつへ 川崎かわさきF、横浜よこはま日本にっぽんぜい同士どうし対戦たいせん回避かいひ”. 2024ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  24. ^ AFCチャンピオンズリーグ2023/24 ノックアウトステージ ラウンド16 対戦たいせん相手あいて決定けっていのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ. 2023ねん12月28にち作成さくせい、2023ねん12月29にち閲覧えつらん
  25. ^ VENTFORET YAMANASHI SPORTS CLUB. “AFCチャンピオンズリーグ2023/24 ノックアウトステージ マッチスケジュール決定けっていのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ. 2024ねん1がつ10日とおか作成さくせい、2024ねん1がつ13にち閲覧えつらん
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  27. ^ 代替だいたい決定けってい!】3がつ1にち(土)開幕かいまくせん国立こくりつ競技きょうぎじょう開催かいさい』(プレスリリース)ヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ、2014ねん2がつ21にちhttp://www.ventforet.jp/news/press_release/506334 
  28. ^ “【甲府こうふ来季らいきACL参戦さんせん決定けってい本拠地ほんきょちかん客席きゃくせきもたれなく現在げんざいのままではホーム開催かいさいできず”. 日刊にっかんスポーツ. (2022ねん10がつ16にち). オリジナルの20221016時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221205204850/https://www.nikkansports.com/soccer/news/202210160001608.html 2022ねん10がつ16にち閲覧えつらん 
  29. ^ “J2ヴァンフォーレ甲府こうふ ACLに国立こくりつ競技きょうぎじょうをホームに”. NHK. (2023ねん5がつ31にち). オリジナルの2023ねん5がつ7にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230507192021/https://www3.nhk.or.jp/lnews/kofu/20230330/1040019731.html 2023ねん5がつ31にち閲覧えつらん 
  30. ^ 新規しんきユニフォームスポンサー(みぎ鎖骨さこつ)契約けいやく締結ていけつのおらせ』(プレスリリース)公式こうしきサイト、2022ねん4がつ15にちhttps://www.ventforet.jp/news/press_release/5218972022ねん8がつ4にち閲覧えつらん 
  31. ^ ヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ. “「2019夏季かき限定げんていユニフォーム」決定けっていのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ公式こうしきサイト|VENTFORET KOFU OFFICIAL WEBSITE. 2019ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  32. ^ ヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ. “「2020期間きかん限定げんていユニフォーム」決定けっていのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ公式こうしきサイト|VENTFORET KOFU OFFICIAL WEBSITE. 2020ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  33. ^ ヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ. “「2021夏季かき限定げんていユニフォーム」決定けっていのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ公式こうしきサイト|VENTFORET KOFU OFFICIAL WEBSITE. 2021ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  34. ^ ヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ. “「2022夏季かき限定げんていユニフォーム」決定けっていのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ公式こうしきサイト|VENTFORET KOFU OFFICIAL WEBSITE. 2022ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  35. ^ ヴァンフォーレ山梨やまなしスポーツクラブ. “AFCチャンピオンズリーグ 2023/24 ユニフォーム広告こうこくスポンサーおよびデザイン決定けっていのおらせ”. ヴァンフォーレ甲府こうふ公式こうしきサイト|VENTFORET KOFU OFFICIAL WEBSITE. 2023ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  36. ^ a b 「VF U-12、世界一せかいいち目指めざす…ふつ大会たいかい出場しゅつじょうへ」(2016ねん4がつ18にち読売新聞よみうりしんぶん

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