(Translated by https://www.hiragana.jp/)
マーケットタウン - Wikipedia コンテンツにスキップ

マーケットタウン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
市場いちばまち (ヨーロッパ)から転送てんそう

マーケットタウン英語えいご: market town)もしくはマーケットライト英語えいご: market right市場いちばけん市場いちば開催かいさいけん)とは、中世ちゅうせい以降いこうのヨーロッパにおいて、市場いちば開催かいさいする権利けんり集落しゅうらくをそれ以外いがい集落しゅうらくから区別くべつするためにもちいられた法律ほうりつ用語ようごである。

イングランドとウェールズ[編集へんしゅう]

サウスヨークシャーバーンズリーにあるNational Market Traders Federationには32000めいのメンバーがおり、 欧州おうしゅう全体ぜんたい市場いちばトレーダー連盟れんめい密接みっせつなつながりをっている[1]イギリス国立こくりつ公文書こうぶんしょかんのGazetter of Markets and Fairs in England and Walesによると1516けんのマーケットタウンのリストが記載きさいされている[2]

歴史れきし[編集へんしゅう]

ヨーロッパ大陸たいりくにおいては、10世紀せいきより都市としにおいて市場いちば開催かいさいけんみとめられていたが、イングランドではウィリアム1せい以降いこうの12世紀せいき前半ぜんはんから同様どうよう発展はってんられた。当時とうじのイングランドは人口じんこうだい部分ぶぶん農業のうぎょう牧畜ぼくちく従事じゅうじし、都市とし居住きょじゅうしゃはごく少数しょうすうであった。ノルマン・コンクエスト以降いこう、イギリスのおも支配しはい地域ちいきであったウェールズでも事情じじょう同様どうようであった。12世紀せいきには荘園しょうえん生産せいさんぶつ一部いちぶ販売はんばいされ、荘園しょうえん土地とち農民のうみんされるようになると販売はんばいぶつえ、農村のうそんから都市としてき集落しゅうらく発展はってんした。農民のうみん礼拝れいはい教会きょうかい敷地しきちない開催かいさいされた非公式ひこうしき市場いちばみずからの農産物のうさんぶつ販売はんばいした。このようにマーケットタウンは、地元じもと活動かつどうとしてはぐくまれ、地域ちいき中心ちゅうしんてき活動かつどうとなっていった。これらのマーケットの名残なごりは、まち名前なまえとしてものこっている。Market Harborough、Market Deeping、Market Weightonや、「うために」という意味いみ英語えいご動詞どうしチッピング(chipping)からいたChipping Ongar、Chipping Sodburyとうがそれである。

マーケットタウンは、そのおおくは治安ちあんなどの保護ほご享受きょうじゅするためしろ要塞ようさいなどのちかくで開催かいさいされた。サフォークのFramlinghamなどが好例こうれいである。また、交通こうつう要衝ようしょうとしての岐路きろかわ浅瀬あさせちかくでもマーケットタウンは開催かいさいされ、ヴェール・オブ・グラモーガンのCowbridgeがそのれいである。鉄道てつどう発展はってんしたさいには、流通りゅうつう要衝ようしょうであったマーケットタウンとの接続せつぞくさい優先ゆうせんとされた。市場いちば地域ちいき住民じゅうみんにち用品ようひん調達ちょうたつするためのしゅう(weekly market)と、地域ちいきえて商品しょうひん流通りゅうつうする歳市としのいちまたはとし(fair)とにおおきくかれる。市場いちばひらかれる広場ひろば教会きょうかいのそばにあり、市場いちば平和へいわ象徴しょうちょうする十字架じゅうじかや、さらだい市場いちば会館かいかんなどの公共こうきょうてき施設しせつがあった。

12世紀せいきから13世紀せいきにはすうおおくの都市とし建設けんせつされ、領主りょうしゅしゅうとし開催かいさいけん国王こくおうから獲得かくとくし、市場いちばぜいによって収入しゅうにゅうた。市場いちばからの税収ぜいしゅうやすため、領主りょうしゅ近隣きんりん市場いちばとの競合きょうごうふせぐように開催かいさい場所ばしょかんがえ、有力ゆうりょく領主りょうしゅ近隣きんりん市場いちば活動かつどう抑制よくせいすることもあった[3]当時とうじ英国えいこく君主くんしゅ[だれ?]は、既存きそんのマーケットタウンの一定いってい範囲はんいないあたらしいマーケットタウンを設置せっちしないよう法律ほうりつ制定せいていした[いつ?]。この範囲はんいは、マーケットタウンからいちにち移動いどうできる距離きょりであり、それ以上いじょう距離きょりでならあたらしいマーケットタウンをもうけてもよいとしていた。おな開催かいさいされる市場いちばは、すくなくとも6マイル3ぶんの2(やく10キロメートル)はなれている必要ひつようがあった。この距離きょり規定きてい現在げんざいのイギリスの法律ほうりつにものこっている。例外れいがいとして、勅許ちょっきょっているまちではマーケットを開催かいさいできるとしている。また、マーケットタウンは「タウン」を定義ていぎする法的ほうてき根拠こんきょである自治じち権限けんげんっていない場合ばあいがある。一般いっぱんてきには、市場いちば開催かいさいけんあたえられた時点じてん付随ふずいして自治じち権限けんげんあたえられている。

市場いちば開催かいさいけん発行はっこうは14世紀せいきなかばから減少げんしょうし、14世紀せいきから15世紀せいきにかけては黒死病こくしびょうによる人口じんこう減少げんしょうもあって市場いちば都市とし衰退すいたいし、16世紀せいき市場いちばひらいていたのは3わりほどであった。その、16世紀せいきからあたらしい市場いちば開催かいさいけん市場いちば再開さいかいおこなわれ、商人しょうにんをはじめとする地域ちいき住民じゅうみんがそのおおくを主導しゅどうした[3]

ロンドンでは19世紀せいきから生食なましょくりょうひん消費しょうひ急増きゅうぞうしたが、シティは7マイル以内いない市場いちば開設かいせつけん独占どくせんしており、シティ以外いがいものによるしん市場いちばには既得きとく市場いちば開設かいせつけん侵害しんがいするものとして反対はんたいした。このため、ロンドンであらたに市場いちば開設かいせつするのは困難こんなんだった。当時とうじはスミスフィールド家畜かちく市場いちば、ニューゲイト食肉しょくにく市場いちば、ビリングズゲイトぎょ市場いちば、レドンホール家禽かきん市場いちば、ファーリンドン小売こうり市場いちば、コヴェントカーデン青果せいか市場いちば、スピタルフィールズ市場いちば、バラ市場いちばなどがすでにあったが、消費しょうひ需要じゅよういつかず、結果けっかとして公認こうにん街路がいろ市場いちば多数たすう開設かいせつされた。街路がいろ市場いちばではりの行商ぎょうしょうじんが3まんにん以上いじょう活動かつどうし、19世紀せいきまつには街路がいろ市場いちばは112カ所かしょたっした[4]

ドイツけん[編集へんしゅう]

中世ちゅうせいから市場いちば開催かいさいけんドイツ:Marktrecht)を保有ほゆうするオーストリアドイツまちは、Markt BerolzheimやMarktbergelなどのように接頭せっとうにMarkt(マルクト)がついている場合ばあいおおい。また、同様どうよう称号しょうごうに、Flecken(フレッケン)、Wigbold、Freiheitなどがある。

マルクト[編集へんしゅう]

バイエルンしゅううちマルクトの称号しょうごうつバイエルンの都市としリスト(ドイツ)によると(2009ねん現在げんざい) 386都市とし確認かくにんされている。

フレッケン[編集へんしゅう]

現在げんざいでは意味いみのないものとなっている。ドイツ北部ほくぶ使つかわれていた称号しょうごうで、ニーダーザクセンしゅうでは53自治体じちたい確認かくにんされている。ザクセン=アンハルトしゅうでは4自治体じちたいヘッセンしゅうで4自治体じちたい存在そんざいする。シュレースヴィヒ=ホルシュタインしゅうでは1934ねん廃止はいしされた。

Wigbold[編集へんしゅう]

Freiheit[編集へんしゅう]

オーストリア[編集へんしゅう]

オーストリアでは、Marktgemeindeという法律ほうりつ用語ようご使つかわれ、ニーダーエスターライヒしゅうにおいては700以上いじょう自治体じちたい存在そんざいする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

市場いちば開催かいさいけんカロリングあさ以前いぜん発行はっこうされている。800ねんに、カール大帝たいていエスリンゲンにマーケットタウンの称号しょうごう授与じゅよしている。フリードリヒ1せい国会こっかいでドイツ都市としほう(ドイツ:Stadtrecht)のマーケットタウンを対象たいしょうとする権限けんげんについてかたられ、ドイツの都市としほう基礎きそとして王子おうじ公爵こうしゃくがれた。

チェコ[編集へんしゅう]

チェコでは、メステス(チェコ:Městys)としょうされている。1954ねんいち廃止はいしされたが、2006ねんさい導入どうにゅうされ、2009ねん現在げんざいMěstysを授与じゅよされた都市としすうは192とされている。

ノルウェー[編集へんしゅう]

ふるノルウェーkaupstaðrからた「kjøpstad」としょうするマーケットタウンが12世紀せいき以降いこう授与じゅよされている。このマーケットタウンは防衛ぼうえい戦略せんりゃく要衝ようしょうにおける要塞ようさい建設けんせつ人口じんこうやし経済けいざい基盤きばんとするのにおおいに役立やくだった。また指定してい地域ちいき以外いがいでのハンザ同盟どうめい商人しょうにん制限せいげんするのにも役立やくだった。

そういったマーケットタウン以外いがいにもノルウェーで「ちいさなみなと」を意味いみする「lossested」もしくは「ladested」という離島りとう地域ちいき独占どくせんてき輸出入ゆしゅつにゅうおこなうマーケットタウンが整備せいびされた。それによってみなとごとの商人しょうにんかならとおることになり、地元じもと商人しょうにん優遇ゆうぐうしたことによって密輸みつゆ抑制よくせいし、みなとぜい収入しゅうにゅうにおける関税かんぜい収入しゅうにゅう割合わりあいが1600ねんの30%から1700ねんには50%に増加ぞうかすることとなった。

1800年代ねんだいに、すべてのマーケットタウンが自由じゆう市場いちばわったが、それぞれのまちではマーケットタウンであったことがステータスとなっている。

出典しゅってん脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ National Market Traders' Federation”. Rosiewinterton.co.uk. 2011ねん1がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ Markets and Fairs”. イギリス国立こくりつ公文書こうぶんしょかん. 2012ねん7がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 道重みちしげ市場いちばるイギリスの近代きんだい
  4. ^ 原田はらだ「ロンドンの拡大かくだい市場いちば

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • A Revolution from Above; The Power State of 16th and 17th Century Scandinavia; Editor: Leon Jesperson; Odense University Press; Denmark; 2000
  • 原田はらだ政美まさみ「ロンドンの拡大かくだい市場いちば」(山田やまだ雅彦まさひこへん伝統でんとうヨーロッパとその周辺しゅうへん市場いちば歴史れきし 市場いちば流通りゅうつう社会しゃかい1』所収しょしゅう) 清文せいぶんどう出版しゅっぱん、2010ねん
  • 道重みちしげ一郎いちろう市場いちばるイギリスの近代きんだい」(山田やまだ雅彦まさひこへん伝統でんとうヨーロッパとその周辺しゅうへん市場いちば歴史れきし 市場いちば流通りゅうつう社会しゃかい1』所収しょしゅう) 清文せいぶんどう出版しゅっぱん、2010ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]