マーケットタウン (英語 えいご : market town )もしくはマーケットライト (英語 えいご : market right 、市場 いちば 権 けん 、市場 いちば 開催 かいさい 権 けん )とは、中世 ちゅうせい 以降 いこう のヨーロッパにおいて、市場 いちば を開催 かいさい する権利 けんり を持 も つ集落 しゅうらく をそれ以外 いがい の集落 しゅうらく から区別 くべつ するために用 もち いられた法律 ほうりつ 用語 ようご である。
サウスヨークシャー のバーンズリー にあるNational Market Traders Federationには32000名 めい のメンバーがおり、 欧州 おうしゅう 全体 ぜんたい の市場 いちば トレーダー連盟 れんめい と密接 みっせつ なつながりを持 も っている[1] 。イギリス国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん のGazetter of Markets and Fairs in England and Walesによると1516件 けん のマーケットタウンのリストが記載 きさい されている[2] 。
ヨーロッパ大陸 たいりく においては、10世紀 せいき より都市 とし において市場 いちば 開催 かいさい 権 けん が認 みと められていたが、イングランド ではウィリアム1世 せい 以降 いこう の12世紀 せいき 前半 ぜんはん から同様 どうよう の発展 はってん が見 み られた。当時 とうじ のイングランドは人口 じんこう の大 だい 部分 ぶぶん が農業 のうぎょう と牧畜 ぼくちく に従事 じゅうじ し、都市 とし 居住 きょじゅう 者 しゃ はごく少数 しょうすう であった。ノルマン・コンクエスト 以降 いこう 、イギリスの主 おも な支配 しはい 地域 ちいき であったウェールズ でも事情 じじょう は同様 どうよう であった。12世紀 せいき には荘園 しょうえん の生産 せいさん 物 ぶつ の一部 いちぶ は販売 はんばい され、荘園 しょうえん の土地 とち が農民 のうみん に貸 か し出 だ されるようになると販売 はんばい 物 ぶつ は増 ふ え、農村 のうそん から都市 とし 的 てき な集落 しゅうらく が発展 はってん した。農民 のうみん は礼拝 れいはい 後 ご に教会 きょうかい の敷地 しきち 内 ない で開催 かいさい された非公式 ひこうしき の市場 いちば で自 みずか らの農産物 のうさんぶつ を販売 はんばい した。このようにマーケットタウンは、地元 じもと の活動 かつどう として育 はぐく まれ、地域 ちいき の中心 ちゅうしん 的 てき な活動 かつどう となっていった。これらのマーケットの名残 なごり は、街 まち の名前 なまえ としても残 のこ っている。Market Harborough、Market Deeping、Market Weightonや、「買 か うために」という意味 いみ を持 も つ古 こ 英語 えいご の動詞 どうし チッピング(chipping)から付 つ いたChipping Ongar、Chipping Sodbury等 とう がそれである。
マーケットタウンは、その多 おお くは治安 ちあん などの保護 ほご を享受 きょうじゅ するため城 しろ や要塞 ようさい などの近 ちか くで開催 かいさい された。サフォーク のFramlinghamなどが好例 こうれい である。また、交通 こうつう の要衝 ようしょう としての岐路 きろ や川 かわ の浅瀬 あさせ 近 ちか くでもマーケットタウンは開催 かいさい され、ヴェール・オブ・グラモーガン のCowbridgeがその例 れい である。鉄道 てつどう が発展 はってん した際 さい には、流通 りゅうつう の要衝 ようしょう であったマーケットタウンとの接続 せつぞく は最 さい 優先 ゆうせん とされた。市場 いちば は地域 ちいき 住民 じゅうみん が日 にち 用品 ようひん を調達 ちょうたつ するための週 しゅう 市 し (weekly market)と、地域 ちいき を越 こ えて商品 しょうひん が流通 りゅうつう する歳市 としのいち または年 とし 市 し (fair)とに大 おお きく分 わ かれる。市場 いちば の開 ひら かれる広場 ひろば は教会 きょうかい のそばにあり、市場 いちば の平和 へいわ を象徴 しょうちょう する十字架 じゅうじか や、晒 さら し台 だい 、市場 いちば 会館 かいかん などの公共 こうきょう 的 てき な施設 しせつ があった。
12世紀 せいき から13世紀 せいき には数 すう 多 おお くの都市 とし が建設 けんせつ され、領主 りょうしゅ は週 しゅう 市 し や年 とし 市 し の開催 かいさい 権 けん を国王 こくおう から獲得 かくとく し、市場 いちば 税 ぜい によって収入 しゅうにゅう を得 え た。市場 いちば からの税収 ぜいしゅう を増 ふ やすため、領主 りょうしゅ は近隣 きんりん の市場 いちば との競合 きょうごう を防 ふせ ぐように開催 かいさい 日 び や場所 ばしょ を考 かんが え、有力 ゆうりょく な領主 りょうしゅ は近隣 きんりん の市場 いちば の活動 かつどう を抑制 よくせい することもあった[3] 。当時 とうじ の英国 えいこく 君主 くんしゅ [誰 だれ ? ] は、既存 きそん のマーケットタウンの一定 いってい 範囲 はんい 内 ない に新 あたら しいマーケットタウンを設置 せっち しないよう法律 ほうりつ を制定 せいてい した[いつ? ] 。この範囲 はんい は、マーケットタウンから一 いち 日 にち に移動 いどう できる距離 きょり であり、それ以上 いじょう の距離 きょり でなら新 あたら しいマーケットタウンを設 もう けてもよいとしていた。同 おな じ日 び に開催 かいさい される市場 いちば は、少 すく なくとも6マイル3分 ぶん の2(約 やく 10キロメートル)離 はな れている必要 ひつよう があった。この距離 きょり の規定 きてい は現在 げんざい のイギリスの法律 ほうりつ にも残 のこ っている。例外 れいがい として、勅許 ちょっきょ を持 も っている町 まち ではマーケットを開催 かいさい できるとしている。また、マーケットタウンは「タウン」を定義 ていぎ する法的 ほうてき 根拠 こんきょ である自治 じち 権限 けんげん を持 も っていない場合 ばあい がある。一般 いっぱん 的 てき には、市場 いちば 開催 かいさい 権 けん が与 あた えられた時点 じてん で付随 ふずい して自治 じち 権限 けんげん が与 あた えられている。
市場 いちば 開催 かいさい 権 けん の発行 はっこう は14世紀 せいき 半 なか ばから減少 げんしょう し、14世紀 せいき から15世紀 せいき にかけては黒死病 こくしびょう による人口 じんこう 減少 げんしょう もあって市場 いちば や都市 とし が衰退 すいたい し、16世紀 せいき に市場 いちば を開 ひら いていたのは3割 わり ほどであった。その後 ご 、16世紀 せいき から新 あたら しい市場 いちば 開催 かいさい 権 けん や市場 いちば の再開 さいかい が行 おこな われ、商人 しょうにん をはじめとする地域 ちいき の住民 じゅうみん がその多 おお くを主導 しゅどう した[3] 。
ロンドンでは19世紀 せいき から生食 なましょく 料 りょう 品 ひん の消費 しょうひ が急増 きゅうぞう したが、シティ は7マイル以内 いない の市場 いちば 開設 かいせつ 権 けん を独占 どくせん しており、シティ以外 いがい の者 もの による新 しん 市場 いちば には既得 きとく の市場 いちば 開設 かいせつ 権 けん を侵害 しんがい するものとして反対 はんたい した。このため、ロンドンで新 あら たに市場 いちば を開設 かいせつ するのは困難 こんなん だった。当時 とうじ はスミスフィールド家畜 かちく 市場 いちば 、ニューゲイト食肉 しょくにく 市場 いちば 、ビリングズゲイト魚 ぎょ 市場 いちば 、レドンホール家禽 かきん 市場 いちば 、ファーリンドン小売 こうり 市場 いちば 、コヴェントカーデン青果 せいか 市場 いちば 、スピタルフィールズ市場 いちば 、バラ市場 いちば などがすでにあったが、消費 しょうひ 需要 じゅよう は追 お いつかず、結果 けっか として非 ひ 公認 こうにん の街路 がいろ 市場 いちば が多数 たすう 開設 かいせつ された。街路 がいろ 市場 いちば では呼 よ び売 う りの行商 ぎょうしょう 人 じん が3万 まん 人 にん 以上 いじょう 活動 かつどう し、19世紀 せいき 末 まつ には街路 がいろ 市場 いちば は112カ所 かしょ に達 たっ した[4] 。
中世 ちゅうせい から市場 いちば 開催 かいさい 権 けん (ドイツ語 ご :Marktrecht)を保有 ほゆう するオーストリア とドイツ の町 まち は、Markt BerolzheimやMarktbergelなどのように接頭 せっとう 語 ご にMarkt(マルクト)がついている場合 ばあい が多 おお い。また、同様 どうよう の称号 しょうごう に、Flecken(フレッケン)、Wigbold、Freiheitなどがある。
バイエルン州 しゅう 内 うち でマルクトの称号 しょうごう を持 も つバイエルンの都市 とし リスト(ドイツ語 ご ) によると(2009年 ねん 現在 げんざい ) 386都市 とし 確認 かくにん されている。
現在 げんざい では意味 いみ のないものとなっている。ドイツ北部 ほくぶ で使 つか われていた称号 しょうごう で、ニーダーザクセン州 しゅう では53自治体 じちたい 確認 かくにん されている。ザクセン=アンハルト州 しゅう では4自治体 じちたい 、ヘッセン州 しゅう で4自治体 じちたい 存在 そんざい する。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 しゅう では1934年 ねん に廃止 はいし された。
オーストリアでは、Marktgemeindeという法律 ほうりつ 用語 ようご が使 つか われ、ニーダーエスターライヒ州 しゅう においては700以上 いじょう の自治体 じちたい が存在 そんざい する。
市場 いちば 開催 かいさい 権 けん はカロリング朝 あさ 以前 いぜん に発行 はっこう されている。800年 ねん に、カール大帝 たいてい はエスリンゲン にマーケットタウンの称号 しょうごう を授与 じゅよ している。フリードリヒ1世 せい が国会 こっかい でドイツ都市 とし 法 ほう (ドイツ語 ご :Stadtrecht)のマーケットタウンを対象 たいしょう とする権限 けんげん について語 かた られ、ドイツの都市 とし 法 ほう の基礎 きそ として王子 おうじ や公爵 こうしゃく に受 う け継 つ がれた。
チェコでは、メステス(チェコ語 ご :Městys)と称 しょう されている。1954年 ねん に一 いち 度 ど 廃止 はいし されたが、2006年 ねん に再 さい 導入 どうにゅう され、2009年 ねん 現在 げんざい Městysを授与 じゅよ された都市 とし 数 すう は192とされている。
古 ふる ノルウェー語 ご kaupstaðrから来 き た「kjøpstad」と称 しょう するマーケットタウンが12世紀 せいき 以降 いこう 授与 じゅよ されている。このマーケットタウンは防衛 ぼうえい 戦略 せんりゃく の要衝 ようしょう 地 ち における要塞 ようさい 建設 けんせつ と人口 じんこう を増 ふ やし経済 けいざい 基盤 きばん とするのに大 おお いに役立 やくだ った。また指定 してい 地域 ちいき 以外 いがい でのハンザ同盟 どうめい の商人 しょうにん を制限 せいげん するのにも役立 やくだ った。
そういったマーケットタウン以外 いがい にもノルウェー語 ご で「小 ちい さな港 みなと 」を意味 いみ する「lossested」もしくは「ladested」という離島 りとう 地域 ちいき と独占 どくせん 的 てき に輸出入 ゆしゅつにゅう を行 おこな うマーケットタウンが整備 せいび された。それによって港 みなと ごとの商人 しょうにん を必 かなら ず通 とお ることになり、地元 じもと 商人 しょうにん を優遇 ゆうぐう した事 こと によって密輸 みつゆ を抑制 よくせい し、港 みなと の税 ぜい 収入 しゅうにゅう における関税 かんぜい 収入 しゅうにゅう の割合 わりあい が1600年 ねん の30%から1700年 ねん には50%に増加 ぞうか することとなった。
1800年代 ねんだい に、すべてのマーケットタウンが自由 じゆう 市場 いちば に置 お き換 か わったが、それぞれの街 まち ではマーケットタウンであった事 こと がステータスとなっている。
出典 しゅってん ・脚注 きゃくちゅう [ 編集 へんしゅう ]
A Revolution from Above; The Power State of 16th and 17th Century Scandinavia ; Editor: Leon Jesperson; Odense University Press ; Denmark; 2000
原田 はらだ 政美 まさみ 「ロンドンの拡大 かくだい と市場 いちば 」(山田 やまだ 雅彦 まさひこ 編 へん 『伝統 でんとう ヨーロッパとその周辺 しゅうへん の市場 いちば の歴史 れきし 市場 いちば と流通 りゅうつう の社会 しゃかい 史 し 1』所収 しょしゅう ) 清文 せいぶん 堂 どう 出版 しゅっぱん 、2010年 ねん 。
道重 みちしげ 一郎 いちろう 「市場 いちば 史 し に見 み るイギリスの近代 きんだい 化 か 」(山田 やまだ 雅彦 まさひこ 編 へん 『伝統 でんとう ヨーロッパとその周辺 しゅうへん の市場 いちば の歴史 れきし 市場 いちば と流通 りゅうつう の社会 しゃかい 史 し 1』所収 しょしゅう ) 清文 せいぶん 堂 どう 出版 しゅっぱん 、2010年 ねん 。