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戸田とだ恒太郎つねたろう

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戸田とだ恒太郎つねたろう

戸田とだ 恒太郎つねたろう(とだ こうたろう、1864ねん4がつ20日はつか元治もとはる元年がんねん3月15にち[1] - 1934ねん昭和しょうわ9ねん12月19にち[2])は、日本にっぽん内務ないむ警察けいさつ官僚かんりょう官選かんせん宮崎みやざきけん知事ちじ行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ評定ひょうじょうかん

経歴けいれき

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長門ながとこくはぎ出身しゅっしん長州ちょうしゅう藩士はんし戸田とだまさたかし長男ちょうなんとしてまれる[1][3]1886ねん帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく卒業そつぎょうした[1]

1890ねん10月、石川いしかわけん参事官さんじかん就任しゅうにん以後いご長野ながのけん参事官さんじかん長野ながの県警けんけい部長ぶちょう高知こうち県警けんけい部長ぶちょう青森あおもりけん書記官しょきかん福井ふくいけん書記官しょきかん茨城いばらきけん書記官しょきかん静岡しずおかけん書記官しょきかんどう事務じむかんだいいち部長ぶちょうなどを歴任れきにん[4][5]

1905ねん12月、宮崎みやざき県知事けんちじ就任しゅうにん1906ねん7がつ休職きゅうしょく[5]1907ねん4がつ行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ評定ひょうじょうかん就任しゅうにん1913ねん6がつ休職きゅうしょくし、1924ねん11月に退官たいかんした[4]

栄典えいてん

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位階いかい
勲章くんしょう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 人事じんじ興信録こうしんろくだい3はん、と13ぺーじ
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』(東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう)1934ねん12月26にち朝刊ちょうかん、8めん死亡しぼう広告こうこくより。
  3. ^ 茨城いばらき人物じんぶつ評伝ひょうでん』4ぺーじ
  4. ^ a b もと行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ評定ひょうじょうかん戸田とだ恒太郎つねたろう特旨とくし叙位じょいけん
  5. ^ a b 新編しんぺん日本にっぽん歴代れきだい知事ちじ』1082ぺーじ
  6. ^ 官報かんぽうだい6573ごう叙任じょにん及辞れい」1905ねん5がつ31にち
  7. ^ 官報かんぽうだい8321ごう叙任じょにん及辞れい」1911ねん3がつ21にち
  8. ^ 官報かんぽうだい3684ごう叙任じょにん及辞れい」1924ねん12月2にち
  9. ^ 官報かんぽうだい8257ごう叙任じょにん及辞れい」1910ねん12月28にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかいへん新編しんぺん日本にっぽん歴代れきだい知事ちじ歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかい、1991ねん
  • はたいくへん日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん:1868 - 2000』東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2001ねん
  • 服部はっとり鉄石てっせき茨城いばらき人物じんぶつ評伝ひょうでん服部はっとり鉄石てっせき、1902ねん
  • 内閣ないかくもと行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ評定ひょうじょうかん戸田とだ恒太郎つねたろう特旨とくし叙位じょいけん大正たいしょう13ねん国立こくりつ公文書こうぶんしょかん 請求せいきゅう番号ばんごう本館ほんかん-2A-016-00・じょ00805100
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろくだい3はん、1911ねん