文書 ぶんしょ 仮説 かせつ (もんじょかせつ、ぶんしょかせつ、英 えい : Documentary hypothesis , 独 どく : Urkundenhypothese )とは、モーセ五 ご 書 しょ (旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ のうちの最初 さいしょ の5文書 ぶんしょ )は、元々 もともと それぞれ独立 どくりつ ・完結 かんけつ している諸 しょ 文書 ぶんしょ をのちに編者 へんしゃ が組 く み合 あ わせることによって、現在 げんざい 見 み るような形 かたち として成立 せいりつ したとする説 せつ である。
一人 ひとり の人間 にんげん (モーセ )によって書 か かれたとする、ユダヤ教 きょう ・キリスト教 きりすときょう の古代 こだい 以来 いらい の伝統 でんとう 的 てき 理解 りかい と対立 たいりつ する。元 もと の諸 しょ 文書 ぶんしょ の数 かず は4種 しゅ と想定 そうてい されることが多 おお いが、文書 ぶんしょ の数 かず はこの仮説 かせつ の本質 ほんしつ 的 てき 部分 ぶぶん ではない。
この仮説 かせつ は、18〜19世紀 せいき に、聖書 せいしょ の矛盾 むじゅん 点 てん を整合 せいごう 化 か する試 こころ みから発展 はってん したものである。19世紀 せいき 末 まつ までには、4種 しゅ の原 げん 資料 しりょう があり、これを編者 へんしゃ 集団 しゅうだん (R) が編纂 へんさん したという、大体 だいたい の意見 いけん の一致 いっち に至 いた った。この4種 しゅ の原 げん 資料 しりょう は J (ヤハウィスト資料 しりょう )、E (エロヒスト資料 しりょう )、D (申 さる 命 いのち 記 き 史家 しか )、P (祭司 さいし 資料 しりょう )として知 し られる。
ドイツの神学 しんがく 者 しゃ にして聖書 せいしょ 学者 がくしゃ ユリウス・ヴェルハウゼン (1844–1918)の研究 けんきゅう は特 とく に重要 じゅうよう で、彼 かれ はこの4種 しゅ の原 げん 資料 しりょう の成立 せいりつ 年代 ねんだい 順序 じゅんじょ を JEDP と推定 すいてい し、祭司 さいし の権力 けんりょく が増大 ぞうだい していくという、ひとつの一貫 いっかん したイスラエル宗教 しゅうきょう 発展 はってん 史 し を設定 せってい した。ヴェルハウゼンのモデルでは、この四 よん 資料 しりょう は次 つぎ のような出自 しゅつじ を持 も つと考 かんが えられる。
この仮説 かせつ を塗 ぬ り替 か えようとする様々 さまざま な新 あたら しいモデルが(特 とく に20世紀 せいき 後半 こうはん 以降 いこう )提案 ていあん されつづけているが、これらの考 かんが え方 かた や術語 じゅつご は、新 あたら しい諸 しょ 理論 りろん になお、基本 きほん 的 てき 枠組 わくぐ みを提供 ていきょう し続 つづ けている。
「律 りつ 法 ほう 」(モーセ五 ご 書 しょ )自体 じたい にも、また他 た の旧約 きゅうやく 文書 ぶんしょ を含 ふく む早 はや い段階 だんかい のユダヤ教 きょう 文書 ぶんしょ にも、「律 りつ 法 ほう 」の著者 ちょしゃ に関 かん する直截 ちょくせつ 的 てき 言及 げんきゅう はなく、こういった文書 ぶんしょ の匿名 とくめい 性 せい は古代 こだい オリエントでは極 きわ めて当然 とうぜん のことであった。ユダヤ教 きょう が、作者 さくしゃ 性 せい を重 おも んじるギリシア=ローマ文明 ぶんめい に接触 せっしょく する時代 じだい になって初 はじ めて、ヨベル書 しょ に見 み られるように、「律 りつ 法 ほう 」の著者 ちょしゃ をモーセに帰 き する記述 きじゅつ が現 あらわ れる。
中世 ちゅうせい やルネサンス期 き においては、モーセを著者 ちょしゃ とみなす見解 けんかい は極 きわ めて広 ひろ く支配 しはい 的 てき となり、懐疑 かいぎ 的 てき な意見 いけん はわずかに見出 みだ せるだけであるが、17世紀 せいき に入 はい ると、より綿密 めんみつ な考査 こうさ が行 おこな われ始 はじ める。トマス・ホッブズ は『リヴァイアサン 』33章 しょう において、申 さる 命 いのち 記 き 34章 しょう 6節 せつ (モーセの死 し の記述 きじゅつ )、民 みん 数 すう 記 き 21章 しょう 14節 せつ (民 みん 数 すう 記 き より古 ふる い時代 じだい の本 ほん に、モーセの業績 ぎょうせき に関 かん する記述 きじゅつ がある)、創世 そうせい 記 き 12章 しょう 6節 せつ (執筆 しっぴつ 時 じ に、もはやカナン人 じん がいないことを示唆 しさ する記述 きじゅつ )等 とう を引用 いんよう して、これらのいずれもがモーセによるものではないと結論 けつろん している。他 た に、イザーク・ラ・ペレール (英語 えいご 版 ばん ) 、バールーフ・デ・スピノザ 、リシャール・シモン (英語 えいご 版 ばん ) 、ジョン・ハムデン なども同 おな じ結論 けつろん に至 いた ったが、彼 かれ らの著作 ちょさく は発禁 はっきん となったり、中 なか には幽閉 ゆうへい され発言 はつげん を撤回 てっかい させられたものもおり、またスピノザなどは殺 ころ されそうになりさえした[1] 。
1753年 ねん 、フランスの医学 いがく 者 しゃ ジャン・アストリュク (英語 えいご 版 ばん ) が匿名 とくめい で『モーセが創世 そうせい 記 き を書 か くにあたって利用 りよう したと思 おも われる原典 げんてん についての推論 すいろん 』を発表 はっぴょう した。ホッブスやスピノザの仕事 しごと を「前 ぜん 世紀 せいき の病 やまい 」と呼 よ んだように、アストリュクの目的 もくてき は彼 かれ らへの反駁 はんばく であった。アストリュックは、すでに学者 がくしゃ たちがイーリアス のような古典 こてん 文学 ぶんがく に対 たい して使 つか っていた、様々 さまざま のヴァリアントを篩 ふるい にかけ、もっともオリジナルの近 ちか いテキストにたどりつくための分析 ぶんせき 法 ほう を、創世 そうせい 記 き に用 もち いてみた。まず、矛盾 むじゅん ない一 いち 繋 つな がりのテキストを特定 とくてい できると思 おも われる二 ふた つのマーカーを見分 みわ けることから始 はじ めた。このマーカーとは、「ヤハウェ」と「エロヒム」という神 かみ 名 めい 、それから重複 じゅうふく する記事 きじ である。後者 こうしゃ は、たとえば二 ふた つの世界 せかい 創世 そうせい 神話 しんわ (1章 しょう と2-3章 しょう )、サラを人妻 ひとづま と知 し らず迎 むか え入 い れる人々 ひとびと の話 はなし (12章 しょう と20章 しょう )などである。それからこれらの章節 しょうせつ を、異 こと なるカラムに分 わ けた。「エロヒム」の節 ふし はあるカラムに、「ヤハウェ」の節 ふし は次 つぎ のカラムに、それとは別 べつ に重複 じゅうふく する記事 きじ はまたそれぞれのカラムにといった具合 ぐあい に。この並行 へいこう するカラムは、同 おな じ出来事 できごと に言及 げんきゅう したそれぞれ二 ふた つの長 なが い物語 ものがたり を含 ふく みつつ、構成 こうせい されていた。アストリュックは、これらがモーセが使 つか っていたオリジナルの文書 ぶんしょ であり、モーセによって書 か かれた創世 そうせい 記 き もこのようなもので、並行 へいこう する記事 きじ はそれぞれ別 べつ に読 よ まれていたことを意味 いみ するのではないか、と提唱 ていしょう するに至 いた った。そして、後世 こうせい の編纂 へんさん 者 しゃ が、この二 ふた つのカラムを一 ひと つの物語 ものがたり に編集 へんしゅう し、それによってホッブスやスピノザが指摘 してき した矛盾 むじゅん や重複 じゅうふく が生 う まれたのではないかと考 かんが えた[2] 。
アストリュックが史料 しりょう 批判 ひはん のために用 もち いた方法 ほうほう 論 ろん は、続 つづ く学者 がくしゃ たち、特 とく にドイツ人 じん 学者 がくしゃ によって大 おお いに発達 はったつ した。ヨーハン・ゴットフリート・アイヒホルン (英語 えいご 版 ばん ) は1780年 ねん 以降 いこう 、モーセ五 ご 書 しょ 全体 ぜんたい にこの分析 ぶんせき を拡張 かくちょう させ、1823年 ねん までに、モーセはいずれの文書 ぶんしょ にも関与 かんよ していないという結論 けつろん に至 いた った。1805年 ねん 、ヴィルヘルム・デ・ヴェッテ (英語 えいご 版 ばん ) は、申 さる 命 いのち 記 き は第 だい 三 さん の独立 どくりつ した資料 しりょう であると結論 けつろん した。1822年 ねん ごろ、ヘルマン・フプェルト (英語 えいご 版 ばん ) はエロヒスト資料 しりょう が二 ふた つの資料 しりょう からなり、二 ふた つを分離 ぶんり すべきであると提唱 ていしょう した。このもう一 ひと つの資料 しりょう が祭司 さいし 資料 しりょう である。フプェルトはまた、四 よん 種 しゅ の資料 しりょう からモーセ五 ご 書 しょ を編 あ んだ(最終 さいしゅう 的 てき な)編集 へんしゅう 者 しゃ の重要 じゅうよう 性 せい も強調 きょうちょう している。モーセ五 ご 書 しょ の全 すべ てがこの四 よん 資料 しりょう に帰 き されるわけではなく、それ以外 いがい の出自 しゅつじ を持 も つと思 おも われる小 ちい さな箇所 かしょ もおびただしく存在 そんざい すると考 かんが えた。たとえば、レビ記 き の17章 しょう 〜23章 しょう には神聖 しんせい 法典 ほうてん が含 ふく まれている[3] 。
学者 がくしゃ たちは、四 よん 資料 しりょう の成立 せいりつ の順序 じゅんじょ と年代 ねんだい 、それから、これらを誰 だれ がなぜ生 う み出 だ したのかも明 あき らかにしようと試 こころ みた。スピノザ以来 いらい 、申 さる 命 いのち 記 き は前 まえ 7世紀 せいき ヨシヤ 王 おう の治世 ちせい 下 か のエルサレム神殿 しんでん の祭司 さいし らとつながっていると考 かんが えられていたが、デ・ヴェッテは、1805年 ねん 、どの資料 しりょう もダビデ 王 おう の時代 じだい 以前 いぜん には遡 さかのぼ らないと結論 けつろん した。これ以外 いがい にも、学者 がくしゃ たちは四 よん 資料 しりょう 成立 せいりつ 順 じゅん を PEJD、EJDP、JEDP といったよう様々 さまざま に論 ろん じたものの、満足 まんぞく な結論 けつろん には至 いた らなかった[4] 。
(グラフ=)ヴェルハウゼン説 せつ [ 編集 へんしゅう ]
1876〜77年 ねん 、ヴェルハウゼンは Die Composition des Hexateuchs und der historischen Bücher des Alten Testaments (旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ のモーセ六書 りくしょ と歴史 れきし 書 しょ の構成 こうせい )を出版 しゅっぱん し、この論文 ろんぶん において、モーセ五 ご 書 しょ が4つの資料 しりょう に起源 きげん を持 も つことを説明 せつめい している。これに続 つづ き、1878年 ねん 、Prolegomena zur Geschichte Israels (イスラエル史 し 序説 じょせつ )において、非 ひ キリスト教 きりすときょう 的 てき ・ユダヤ教 きょう 的 てき 立場 たちば から古代 こだい イスラエルの宗教 しゅうきょう の発展 はってん 史 し をなぞる試 こころ みをしている。ヴェルハウゼンの研究 けんきゅう の個々 ここ を取 と り出 だ してみれば新 あたら しいものはほとんどないが、過去 かこ の研究 けんきゅう を篩 ふるい にかけ、それを組 く み合 あ わせ、モーセ五 ご 書 しょ とユダヤ教 きょう の起源 きげん に関 かん する論理 ろんり 的 てき に一貫 いっかん した包括 ほうかつ 的 てき な理論 りろん を打 う ち立 た てた。その説得 せっとく 力 りょく ゆえに、続 つづ く1世紀 せいき 間 あいだ 、学界 がっかい では支配 しはい 的 てき な説 せつ となった。
諸 しょ 資料 しりょう の区分 くわ け[ 編集 へんしゅう ]
ヴェルハウゼンは、先行 せんこう する研究 けんきゅう 同様 どうよう に、(語彙 ごい を含 ふく む)文体 ぶんたい 、神 かみ 名 めい 、重複 じゅうふく 記事 きじ を基準 きじゅん に諸 しょ 資料 しりょう を区分 くわ けしていった。J資料 しりょう は豊 ゆた かな説話 せつわ 的 てき 文体 ぶんたい と関係 かんけい しており、それにくらべてE資料 しりょう はやや豊 ゆた かさに欠 か ける文体 ぶんたい 、Pの言葉 ことば は無味 むみ 乾燥 かんそう で法律 ほうりつ 至上 しじょう 的 てき である。神 かみ 名 めい や、神 かみ の山 やま をホレブ(E と D)と呼 よ ぶかシナイ(J と P)と呼 よ ぶかなどの使 つか う語彙 ごい の違 ちが い。
旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ を批判 ひはん 的 てき に分析 ぶんせき 研究 けんきゅう する学問 がくもん を旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ 学 がく の内 うち 、文書 ぶんしょ 仮説 かせつ 、高等 こうとう 批評 ひひょう といい、その研究 けんきゅう の結果 けっか 、『創世 そうせい 記 き 』では、2つの立場 たちば (信仰 しんこう )の「天地 てんち 創造 そうぞう 」が併記 へいき されていることが明 あき らかになったと主張 しゅちょう される。下記 かき の経緯 けいい をたどった結果 けっか 、祭司 さいし 記者 きしゃ 資料 しりょう の部分 ぶぶん ではいくつかの点 てん でバビロニア神話 しんわ との類似 るいじ 点 てん が見 み られる。むしろ、バビロニア神話 しんわ を含 ふく む先行 せんこう する神話 しんわ を素材 そざい にして、それらを換骨奪胎 かんこつだったい して、新 あたら しい天地 てんち 創造 そうぞう 物語 ものがたり を作 つく り出 だ したというのが実態 じったい に近 ちか い。以下 いか にそのあらすじを示 しめ す。
ただし、保守 ほしゅ 的 てき な教会 きょうかい はこれを認 みと めていない。
『創世 そうせい 記 き 』の創造 そうぞう の箇所 かしょ は、聖書 せいしょ の文献 ぶんけん 批判 ひはん 的 てき 研究 けんきゅう の聖書 せいしょ 学 がく での文書 ぶんしょ 仮説 かせつ では二 ふた つの異 こと なる伝承 でんしょう の組 く み合 あ わせになっていると考 かんが えられている。その分類 ぶんるい に基 もと づくアダムとエバ の創造 そうぞう の記述 きじゅつ は以下 いか の通 とお りである。
祭司 さいし 資料 しりょう による伝承 でんしょう (『創世 そうせい 記 き 』1:27–1:31)
(3日 にち 目 め に乾 かわ いた陸 りく と植物 しょくぶつ が創 つく られ、5日 にち 目 め に水中 すいちゅう の生 い き物 もの が創 つく られ、6日 にち 目 め にまず地上 ちじょう の動物 どうぶつ が創 つく られた。)
全能 ぜんのう 者 しゃ である神 かみ エロヒムは自 みずか らにかたどって人間 にんげん を創造 そうぞう した。
男 おとこ と女 おんな は同時 どうじ に創造 そうぞう された。
神 かみ は男女 だんじょ を祝福 しゅくふく し、子孫 しそん を増 ふ やして地上 ちじょう に満 み ちて地 ち を支配 しはい するよう命 めい じた。
ヤハウィスト資料 しりょう による伝承 でんしょう (『創世 そうせい 記 き 』2:6–2:25)
主 おも なる神 かみ ヤハウェが天 てん と地 ち を作 つく ったとき、地 ち に木 き も草 くさ もまだ生 は えていなかった。神 かみ は雨 あめ を降 ふ らせていなかったが、地 ち は「泉 いずみ 」(地下 ちか からの水 みず )で潤 うるお っていた。神 かみ は土 ど の塵 ちり (アダマ)から人 ひと (アダム)を形作 かたちづく り、その鼻 はな から命 いのち の息吹 いぶき を吹 ふ き込 こ んだ。のち、草木 くさき を創 つく りエデンの園 えん を管理 かんり させた。
アダムが動物 どうぶつ の中 なか で自分 じぶん に合 あ うふさわしい助 たす け手 しゅ を見 み つけられなかったので、神 かみ はアダムを眠 ねむ らせ、あばら骨 ぼね の一部 いちぶ をとって女 おんな をつくった。
アダムは女 おんな を見 み て喜 よろこ び、男 おとこ (イシュ)からなったものという意味 いみ で女 おんな (イシャー)と名 な づけた。
一般 いっぱん にはヤハウィスト資料 しりょう のアダムとエバの創造 そうぞう 物語 ものがたり が有名 ゆうめい であり、中世 ちゅうせい においては、この部分 ぶぶん の記述 きじゅつ から「男 おとこ のあばら骨 ぼね は女 おんな より一本 いっぽん 少 すく ない」と真剣 しんけん に考 かんが えられていた。かつては(その解釈 かいしゃく が聖書 せいしょ の著者 ちょしゃ の意図 いと に沿 そ っているのかどうかはともかく)女性 じょせい 蔑視 べっし の根拠 こんきょ となったこともあるが、祭司 さいし 資料 しりょう においてはより人間 にんげん 賛美 さんび 的 てき ・男女 だんじょ 同権 どうけん 的 てき 思想 しそう であるといえよう。[5]
文書 ぶんしょ 仮説 かせつ による天地 てんち 創造 そうぞう の内容 ないよう の理解 りかい [ 編集 へんしゅう ]
『創世 そうせい 記 き 』1章 しょう 1節 せつ – 2章 しょう 4節 せつ 前半 ぜんはん 天 てん と地 ち の創造 そうぞう [ 編集 へんしゅう ]
はじめに(ヘブライ語 ご :ベレシース、beresit)、神 かみ により天 てん と地 ち が造 つく られた。地 ち には何 なに もなく闇 やみ が水 みず の面 めん にあり神 しん の霊 れい が水面 すいめん をおおっていた。神 かみ が「光 ひかり (ヘブライ語 ご :オール)あれ」といい、光 ひかり が造 つく られた。光 ひかり と闇 やみ が別 わ けられた。光 ひかり が昼 ひる 、闇 やみ が夜 よる と名 な づけられた。夕 ゆう があり朝 あさ があり第 だい 一 いち 日 にち となった。
二日 ふつか 目 め は水 みず が上下 じょうげ に分 わ けられて空 そら が作 つく られた。空 そら は天 てん と名 な づけられた。
三日 みっか 目 め は水 みず を集 あつ め乾 かわ いた所 ところ をつくり、そこを地 ち と名 な づけ、水 みず の集 あつ まった場所 ばしょ を海 うみ と名 な づけた。地 ち の上 うえ に草 くさ 、種 たね をもつ草 くさ 、果樹 かじゅ が造 つく られた。
四日 よっか 目 め は空 そら に2つの大 おお きな光 ひかり 体 たい (ヘブライ語 ご :マオール、発光 はっこう 体 たい の複数 ふくすう 形 がた )を造 つく る。大 おお きい光 ひかり 体 たい と小 ちい さい光 ひかり 体 たい と星 ほし が作 つく られ昼 ひる と夜 よる をつかさどらせた。
五日 いつか 目 め は水 みず の生 い き物 もの である海 うみ の大 おお いなる獣 しし と水 みず の全 すべ ての動 うご く生 い き物 もの と翼 つばさ ある全 すべ ての鳥 とり が造 つく られた。
六 ろく 日 にち 目 め は、地 ち の生 い き物 もの の家畜 かちく 、這 は うもの、地 ち の獣 しし が造 つく られた。神 かみ は「われわれのかたちに、われわれをかたどって人 ひと をつくり・・」と語 かた り、海 うみ の魚 さかな 、空 そら の鳥 とり 、家畜 かちく 、地 ち の全 すべ ての獣 しし ・這 は うものを治 おさ めさせる人間 にんげん の男 おとこ と女 おんな を創造 そうぞう した。
アダムの創造 そうぞう 。ミケランジェロ によるシスティーナ礼拝 れいはい 堂 どう の天井 てんじょう 画 が より。
『創世 そうせい 記 き 』2章 しょう 4節 せつ 後半 こうはん 人 じん の創造 そうぞう [ 編集 へんしゅう ]
神 かみ は土 ど のちり(アダマ)で人 ひと (アダム )をつくり、その鼻 はな に息 いき (ルーアハ )を吹 ふ き入 い れ、人 ひと を創造 そうぞう する。また、神 かみ は、人 ひと ・男 おとこ の助 たす け手 しゅ として、男 おとこ (イシュ)から取 と ったあばら骨 ぼね から女 おんな (イシャー)を創造 そうぞう する。
『創世 そうせい 記 き 』1章 しょう 1節 せつ – 2章 しょう 4節 せつ 前半 ぜんはん :「祭司 さいし 記者 きしゃ 資料 しりょう 」 [ 編集 へんしゅう ]
『創世 そうせい 記 き 』1章 しょう 1節 せつ – 2章 しょう 4節 せつ 前半 ぜんはん では、創造 そうぞう 主 ぬし をエロヒムと呼 よ ぶ(なお漢 かん 訳 やく 聖書 せいしょ では「神 かみ 」と訳 やく し、明治 めいじ の日本 にっぽん の聖書 せいしょ も訳語 やくご を引 ひ き継 つ いだ)。
この物語 ものがたり の部分 ぶぶん は、祭司 さいし 記者 きしゃ 資料 しりょう と呼 よ ばれる(頭文字 かしらもじ を取 と りP資料 しりょう ともいう)。紀元前 きげんぜん 587年 ねん に南 みなみ 王国 おうこく ユダが新 しん バビロニア帝国 ていこく に敗 やぶ れ、エルサレム神殿 しんでん が徹底的 てっていてき に破壊 はかい され、その当時 とうじ の指導 しどう 者 しゃ 層 そう の人々 ひとびと がバビロニアに連行 れんこう された(これをバビロニア捕 と 囚 しゅう という)。規模 きぼ は、数 すう 千 せん 人 にん - 数 すう 万 まん 人 にん と言 い われている。圧倒的 あっとうてき なバビロニア の神 かみ 々の宗教 しゅうきょう (主神 しゅしん マルドゥク )に囲 かこ まれ、今 いま までの神 かみ ヤハウェ信仰 しんこう が危機 きき の状態 じょうたい に陥 おちい り、民族 みんぞく が自信 じしん を失 うしな っていた。この様 よう な状況 じょうきょう の下 した で祭司 さいし 職人 しょくにん (現在 げんざい 祭司 さいし 記者 きしゃ と呼 よ んでいる)の中 なか から、バビロニアの神話 しんわ に対抗 たいこう する形 かたち で、自分 じぶん たちの信仰 しんこう 書 しょ を作 つく り出 だ し(創造 そうぞう 信仰 しんこう )、この危機 きき 状況 じょうきょう から再 ふたた び生 い きる力 ちから を生 う み出 だ していった。
バビロニアの創造 そうぞう 物語 ものがたり は紀元前 きげんぜん 1500年 ねん 頃 ごろ に作 つく られたと言 い われており、この祭司 さいし 記者 きしゃ たちはその内容 ないよう を知 し っていて、それを否定 ひてい し乗 の り越 こ えるかたちで神 かみ ヤハウェを受 う け止 と め直 なお して信仰 しんこう を記述 きじゅつ している。例 たと えば、その神話 しんわ では、新 しん バビロニアでは極端 きょくたん な階層 かいそう 社会 しゃかい であり、その頂点 ちょうてん に立 た つ王 おう だけが神 かみ ・神 かみ の子 こ であり政治 せいじ 支配 しはい の正当 せいとう 化 か を強 つよ めているが、『創世 そうせい 記 き 』では人間 にんげん は全 すべ て神 かみ から神 かみ の似 に 姿 すがた として作 つく り出 だ され平等 びょうどう (みな神 しん の子 こ である)であることが主張 しゅちょう され信仰 しんこう 告白 こくはく されている。このように『創世 そうせい 記 き 』は、素朴 そぼく な伝承 でんしょう ・神話 しんわ などではなく、当時 とうじ の知識 ちしき 階層 かいそう が執筆 しっぴつ した宗教 しゅうきょう 書 しょ (表現 ひょうげん 形態 けいたい は物語 ものがたり ではあるが神学 しんがく 書 しょ )である点 てん が世界 せかい の他 ほか の天地 てんち 創造 そうぞう 物語 ものがたり とは異 こと なる。
『創世 そうせい 記 き 』2章 しょう 4節 せつ 後半 こうはん – 3章 しょう :「ヤハウィスト資料 しりょう 」 [ 編集 へんしゅう ]
『創世 そうせい 記 き 』2章 しょう 4節 せつ 後半 こうはん – 3章 しょう では、創造 そうぞう 主 ぬし をヤハウェ・エロヒムと呼 よ ぶ(日本 にっぽん では主 おも なる神 かみ または神 かみ である主 おも と訳 やく されている)。
この物語 ものがたり の部分 ぶぶん は、ヤハウィスト(ヤーウィスト)資料 しりょう と呼 よ ばれる(同 おな じくJ資料 しりょう ともいう)。以前 いぜん の学説 がくせつ では、ヤハウィスト(ヤーウィスト)資料 しりょう は祭司 さいし 記者 きしゃ 資料 しりょう よりも古 ふる いとされてきたが、研究 けんきゅう が進 すす み、表現 ひょうげん 形式 けいしき ・信仰 しんこう 内容 ないよう も知識 ちしき 文学 ぶんがく に近 ちか い部分 ぶぶん もあり、現在 げんざい では、上記 じょうき バビロニア捕 と 囚 しゅう よりも後代 こうだい という説 せつ が強 つよ くなってきている。この場合 ばあい も、神話 しんわ というものではなく、知識 ちしき 階層 かいそう の人々 ひとびと が自分 じぶん たちの信仰 しんこう を執筆 しっぴつ しており、ヤハウェ・エロヒムと人間 にんげん に対 たい し深 ふか い洞察 どうさつ がなされている。
^ For a brief overview of the Enlightenment struggle between scholarship and authority, see Richard Elliott Friedman, "Who Wrote the Bible?", pp. 20–21 (hardback original 1987, paperback HarperCollins edition 1989).
^ Gordon Wenham, "Exploring the Old Testament: Volume 1, the Pentateuch", (2003), pp. 162–163.
^ Richard Elliott Friedman, "Who Wrote the Bible?", pp. 22–24.
^ Richard Elliott Friedman, "Who Wrote the Bible?", p. 25, and Alexander Rofe, "Introduction to the Composition of the Pentateuch", (1999), ch. 2. また、下記 かき も参照 さんしょう されたい。Raymond F. Surberg, "Wellhausianism Evaluated After a Century of Influence", section II, The Contribution of the Prolegomena from a Critical Viewpoint Archived 2009年 ねん 2月 がつ 11日 にち , at the Wayback Machine ..
^ 絹川 きぬかわ 久子 ひさこ 著 ちょ 『聖書 せいしょ のフェミニズム-女性 じょせい の自立 じりつ をめざして』ヨルダン社 しゃ ISBN 4842800763
E. ケアンズ著 ちょ 聖書 せいしょ 図書 としょ 刊行 かんこう 会 かい 訳 やく 『基督教 きりすときょう 全 ぜん 史 し 』 聖書 せいしょ 図書 としょ 刊行 かんこう 会 かい 、1957年 ねん (昭和 しょうわ 32年 ねん )、ASIN B000JAYJCG