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日本にっぽん電力でんりょく

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日本にっぽん電力でんりょく株式会社かぶしきがいしゃ
Nippon Electric Power Company, Limited.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
大阪おおさか大阪おおさかきたそうただしまち1
設立せつりつ 1920ねん大正たいしょう9ねん)1がつ24にち
業種ぎょうしゅ 電気でんき
事業じぎょう内容ないよう 電気でんき供給きょうきゅう事業じぎょう
代表だいひょうしゃ 社長しゃちょう 高津たかつ啓一けいいち
資本しほんきん 222,800,000えん
払込はらいこみがく 168,450,000えん
発行済はっこうずみ株式かぶしき総数そうすう 旧株きゅうかぶ 294まん8せんかぶ
新株しんかぶごう 140まんかぶ
新株しんかぶごう・りごう 6まん8せんかぶ
新株しんかぶごう 4まんかぶ
主要しゅよう株主かぶぬし
特記とっき事項じこう上記じょうきデータは1941ねん昭和しょうわ16ねん[1]
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日本にっぽん電力でんりょく株式会社かぶしきがいしゃ(にっぽんでんりょく、英文えいぶん社名しゃめいNippon Electric Power Company, Limited.[2])は、太平洋戦争たいへいようせんそうまえ存在そんざいした日本にっぽん電力でんりょく会社かいしゃ日本にっぽんはつ送電そうでん設立せつりつされるまでの五大ごだい電力でんりょく会社かいしゃ東京とうきょう電燈でんとう東邦とうほう電力でんりょく大同だいどう電力でんりょく宇治川うじがわ電気でんき日本にっぽん電力でんりょく)のひとつだった。略称りゃくしょうは「日電にちでん」(にちでん)。本社ほんしゃ大阪おおさか大阪おおさかきた

なお、おなじ「日電にちでん」を略称りゃくしょうとしたことのある日本電気にほんでんき (NEC) とは関係かんけいがない。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせんによる好景気こうけいきによって、全国ぜんこくことに関西かんさい地方ちほうでは工業こうぎょう都市としによる電力でんりょく需要じゅよう旺盛おうせいとなり、それにたいして供給きょうきゅう逼迫ひっぱくする状況じょうきょうせまっていた。これを打開だかいするために宇治川うじがわ電気でんきはやしあんしげるとその親会社おやがいしゃ大阪おおさか商船しょうせん社長しゃちょうである山岡やまおかじゅん太郎たろうは、開発かいはつすすんでいない北陸ほくりく地方ちほう河川かせん水力すいりょく発電はつでんしょ設置せっちだかあつ電線でんせんによって関東かんとう中部ちゅうぶ関西かんさい方面ほうめんだい規模きぼ需要じゅよう電力でんりょく供給きょうきゅうすることを計画けいかく1919ねん12月15にち会社かいしゃ設立せつりつし、手始てはじめに黒部川くろべがわ流域りゅういき開発かいはつ着手ちゃくしゅした。

電力でんりょくせん主役しゅやくとして[編集へんしゅう]

しかし日電にちでん設立せつりつ直後ちょくごから景気けいき後退こうたいはいったことから電力でんりょく需要じゅようなやみ、今度こんど供給きょうきゅう過剰かじょう状態じょうたい発生はっせいした。にちでん開発かいはつ水系すいけい集中しゅうちゅうして開発かいはつだかあつ送電そうでんおこなうことで価格かかく競争きょうそうりょくたかめ、とく大都市だいとし既存きそん電力でんりょく会社かいしゃたい競争きょうそういど電力でんりょくせん仕掛しかやくとなった。

1923ねんには庄川しょうがわ水系すいけい発電はつでんした電力でんりょく中部ちゅうぶ地方ちほう供給きょうきゅう松永まつながやすしひだりもんひきいる東邦とうほう電力でんりょくはげしいシェアあらそいをえんじた。この競争きょうそうは、よく1924ねん東邦とうほう日電にちでんから電気でんき供給きょうきゅうけることで決着けっちゃくする。また1928ねん1がつには小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう合併がっぺい同社どうしゃ電燈でんとう部門ぶもんれるとともに(同年どうねん8がつには電力でんりょく事業じぎょう以外いがい箱根登山鉄道はこねとざんてつどうとしてさい分離ぶんり現在げんざい小田急おだきゅう箱根はこね)、信州しんしゅう地方ちほうから電力でんりょく供給きょうきゅうして東京とうきょう電燈でんとうはげしい競争きょうそうえんじた。

その日電にちでんでさえも、関西かんさい地方ちほうではぎゃく進出しんしゅつはばまれてしまう格好かっこうになった。本来ほんらいなら親会社おやがいしゃである宇治うじでん提携ていけいするはずが、大同だいどう電力でんりょくすで宇治うじでんたい電力でんりょく供給きょうきゅう実施じっししているため、にちでんとしては独自どくじ電力でんりょくもう整備せいび需要じゅよう開拓かいたくつとめなければならなかった。このため宇治うじでん親会社おやがいしゃ子会社こがいしゃ同士どうしはげしい競争きょうそうこす結果けっかとなった。

国家こっか統制とうせいから解体かいたい[編集へんしゅう]

くに電力でんりょく国家こっか管理かんり政策せいさくによって、1939ねんから1942ねんにかけてぜん施設しせつ日本にっぽんはつ送電そうでん関西かんさい配電はいでんなど9配電はいでん会社かいしゃ現物げんぶつ出資しゅっしさせられ、電力でんりょく会社かいしゃとしての命脈めいみゃくたれた。会社かいしゃ自体じたい社名しゃめいを「日電にちでん興業こうぎょう」にあらため、持株もちかぶ会社かいしゃとなったが、傘下さんかのこった事業じぎょう日本無線にほんむせん大阪おおさかビルヂング(げんダイビル)など一部いちぶのぞいてるわず、戦後せんご財閥ざいばつ解体かいたい政策せいさくによって1947ねん解散かいさんした。

その[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 株式かぶしき年鑑ねんかん 昭和しょうわ16年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  2. ^ 日本にっぽん電力でんりょく株式会社かぶしきがいしゃじゅうねん』 87ぺーじ渋沢しぶさわしゃデータベース)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]