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村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」 - Wikipedia コンテンツにスキップ

村山むらやま内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわ戦後せんご50周年しゅうねん終戦しゅうせん記念きねんにあたって」

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
村山むらやま富市とみいち

村山むらやま内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわ(むらやまないかくそうりだいじんだんわ)は、1995ねん平成へいせい7ねん8がつ15にち戦後せんご50周年しゅうねん記念きねん式典しきてんさいし、だい81だい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん村山むらやま富市とみいちが「戦後せんご50周年しゅうねん終戦しゅうせん記念きねんにあたって」(「せんごごじっしゅうねんのしゅうせんきねんびにあたって」)とだいして閣議かくぎ決定けっていもとづき発表はっぴょうした声明せいめい村山むらやま談話だんわ戦後せんご50ねん談話だんわとしてられる[注釈ちゅうしゃく 1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

村山むらやま談話だんわは、1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にち終戦しゅうせんから50ねんった1995ねん平成へいせい7ねん)8がつ15にちだい81だい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん村山むらやま富市とみいちが、閣議かくぎ決定けっていもとづいて発表はっぴょうした声明せいめいである。以後いご内閣ないかくにもがれ、日本にっぽん政府せいふ公式こうしき歴史れきしてき見解けんかいとしてしばしばげられる。内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかん古川ふるかわ貞二郎ていじろうは「村山むらやま総理そうり国会こっかい決議けつぎよりんだ内容ないよう総理そうり談話だんわしたい意向いこうがあったとおもう。村山むらやまさんの外政がいせい審議しんぎ室長しつちょう谷野たにの作太郎さくたろうさん(のちちゅう中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく特命とくめい全権ぜんけん大使たいし)が心血しんけつそそ案文あんぶん作成さくせいにあたった。調整ちょうせい段階だんかいわたし案文あんぶんた。」と述懐じゅっかいしている[2]

村山むらやまは「平成へいせい7ねん終戦しゅうせんじゅうねん節目ふしめとし国内こくないてきにも国際こくさいてきにもけじめをつけられる問題もんだいについてはけじめをつけ、じゅういち世紀せいき展望てんぼうみちひらくのがこの内閣ないかく役割やくわり」とかんがえた。しかし、戦後せんごじゅうねん国会こっかい決議けつぎ自民党じみんとうかく会派かいは保守ほしゅ強硬きょうこうげで、散々さんざんなことになった。衆院しゅういんほん会議かいぎで6がつ採決さいけつされた「歴史れきし教訓きょうくん平和へいわへの決意けついあらたにする決議けつぎ」は与野党よやとう251にん議員ぎいん欠席けっせきし、参院さんいんでの決議けつぎ見送みおくられてしまった。それならば、歴代れきだい首相しゅしょうしめしてきた「おわび」を集大成しゅうたいせいし、21世紀せいきのアジア外交がいこう基本きほん理念りねん首相しゅしょう談話だんわしめすしかない」[3]回顧かいこしている。

談話だんわおもに、今日きょう日本にっぽん平和へいわ繁栄はんえいをきずきあげた国民こくみん努力どりょく敬意けいいあらわし、しょ国民こくみん支援しえん協力きょうりょく感謝かんしゃするだん平和へいわ友好ゆうこう交流こうりゅう事業じぎょう戦後せんご処理しょり問題もんだいへの対応たいおう推進すいしんするだん国策こくさくあやま戦争せんそうへのみちあゆんで国民こくみん存亡そんぼう危機ききおとしいれ、植民しょくみん支配しはい侵略しんりゃくによってしょ国民こくみん多大ただい損害そんがい苦痛くつうあたえたことを反省はんせいし、謝罪しゃざい表明ひょうめいするだん国際こくさい協調きょうちょう促進そくしんし、核兵器かくへいき究極きゅうきょく廃絶はいぜつかく拡散かくさん体制たいせい強化きょうか目指めざだんからなる。

とくに、「現在げんざいんでいる戦後せんご処理しょり問題もんだいについても、わがくにとこれらの国々くにぐにとの信頼しんらい関係かんけい一層いっそう強化きょうかするため、わたしは、ひきつづ誠実せいじつ対応たいおうしてまいります。」としたことにおいて、官憲かんけんぐん関与かんよみとめたとするさき河野こうの談話だんわ関連かんれんし、慰安いあん問題もんだいへの対応たいおうについて論争ろんそうとなっている。

また、韓国かんこく中国ちゅうごくへの謝罪しゃざい問題もんだいたいしては、「植民しょくみん支配しはい侵略しんりゃくによって、おおくの国々くにぐに、とりわけアジア諸国しょこく人々ひとびとたいして多大ただい損害そんがい苦痛くつうあたえました。わたしは、未来みらいあやまからしめんとするがゆえに、うたがうべくもないこの歴史れきし事実じじつ謙虚けんきょめ、ここにあらためて痛切つうせつ反省はんせいあらわし、しんからのおびの気持きもちを表明ひょうめいいたします。」としている。

なお、どう談話だんわ作成さくせい過程かていにおいて、村山むらやまもっとたよりにしていた閣僚かくりょう当時とうじ通商つうしょう産業さんぎょう大臣だいじんだった橋本はしもと龍太郎りゅうたろう直接ちょくせつ電話でんわをし、根回ねまわしをおねがいした。橋本はしもとは「いや、これでいいとおもいます。異論いろんはありません。」と返答へんとう村山むらやま日本にっぽん遺族いぞくかい会長かいちょうみんなで靖国神社やすくにじんじゃ参拝さんぱいする国会こっかい議員ぎいんかい会長かいちょうという立場たちば橋本はしもと村山むらやま談話だんわ同意どういできないのではと心配しんぱいしていたので安堵あんどした。橋本はしもとはなしわろうとするときに「あの文章ぶんしょうむと、敗戦はいせんという言葉ことば終戦しゅうせんという言葉ことば両方りょうほう使つかわれている。どちらかを統一とういつしたほうがいいのではないでしょうか」とい、村山むらやまは「どっちに統一とういつしたほうがいいとおもわれますか」とくと「そりゃあ、敗戦はいせんほうがいいのではないですか」と橋本はしもとい、村山むらやま賛成さんせいし、敗戦はいせん統一とういつした[4]古川ふるかわも「わたしはこれ以上いじょうのぞめない談話だんわあんだとおもった。」としている[2]

もり喜朗よしろうまえ自民党じみんとう幹事かんじちょう当時とうじ建設けんせつ大臣だいじん)は「村山むらやま政権せいけん時代じだいの1995ねんはちょうど、戦後せんご50ねんでした。そこで、謝罪しゃざい不戦ふせんかんがえを国会こっかいとしてそうという「戦後せんご50ねん国会こっかい決議けつぎ」が問題もんだいになりました。社民党しゃみんとうからは「侵略しんりゃく行為こういへの反省はんせい」という表現ひょうげん使つかうべきではないと意見いけんつよて、とりまとめが難航なんこうしました」と質問しつもんされた、もりは「この問題もんだい村山むらやまさんと河野こうのさんが相談そうだんしたはずですよ。河野こうのさんは外務がいむ大臣だいじんという立場たちばでもあるし、総裁そうさいですからね。あのときの政調せいちょう会長かいちょう加藤かとう紘一こういちさんだったので、とうのほうはみんな加藤かとうさんにまかせ、わたし結果けっかだけ了承りょうしょうした。」とべている。「世界せかい近代きんだい史上しじょうにおける数々かずかず植民しょくみん支配しはい侵略しんりゃく行為こういおもいをいたし、わがくに過去かこったこうした行為こうい国民こくみんとくにアジアしょ国民こくみんあたえた苦痛くつう認識にんしきし、ふか反省はんせい表明ひょうめいする」というまわりくどい表現ひょうげんになりました。しかも、採決さいけつでは野党やとう新進党しんしんとう欠席けっせきしたほか与党よとう議員ぎいん一部いちぶ欠席けっせきしました。国際こくさい社会しゃかいけてのメッセージとしてはみっともないはなしでした。」と質問しつもんされたもりは「だけど、そういうものはなかなか統一とういつできないよ。」とこたえ、「侵略しんりゃく行為こうい反省はんせい」という言葉ことばは、そんなにいやなものですか?と質問しつもんされたさいは、「いまわか世代せだいは「日本にっぽんむかし侵略しんりゃくしたじゃないか。だから反省はんせいするのはたりまえじゃないか。」とう。しかし、村山むらやま政権せいけんのころ、だからいまから10ねん以上いじょうまえは、日本にっぽん遺族いぞくかいとかきゅう軍人ぐんじん戦友せんゆう団体だんたいがいっぱいあって、かれらや戦没せんぼつしゃ遺族いぞくは「うちの親父おやじとじいさんは侵略しんりゃくじゃない。名誉めいよ戦死せんしをしたんだ。」というおもいがあるんですよ。だから「あれは侵略しんりゃくのための戦争せんそうであった」といういいかたは、すくなくとも保守ほしゅけいしょ団体だんたい絶対ぜったい使つかってもらいたくないわけです。党内とうないもそういう空気くうきでした。最近さいきん若手わかて議員ぎいん歴史れきしらないからね。しかし、他人たにんくに支配しはいするというのは、やっぱりよくない。すくなくともわれわれ昭和しょうわ年代ねんだいの2ケタの世代せだいは、そのことみとめて政治せいじをやってきた。そうでなかったら、中国ちゅうごく韓国かんこくなどの感情かんじょうやわらがないですよ。そういうことをかんがえないのは小泉こいずみさんのわるいことだ。」、「当時とうじ自民党じみんとう野党やとうから与党よとうもどったばかりでした。だから、余計よけい支援しえん団体だんたいへの配慮はいりょ大切たいせつにしなければならなかったのではないですかと」と質問しつもんされたもりはもちろんそういうめんはありましたよ。しかし、そこは加藤かとう紘一こういちさんがかれなりのポーズをやっていた。ぼく加藤かとうさんに「かく団体だんたいから了解りょうかいとってきてください」とおねがいした。」とこたえ、「あの談話だんわ村山むらやまさんが助言じょげんしゃあつめてつくったんですか。」と質問しつもんされたもりは「どうやったのかはりませんが、村山むらやまさんのおもれながら文面ぶんめん役人やくにんがつくった。」とこたえている[5]

当時とうじ状況じょうきょうについて、労働ろうどう大臣だいじんとして閣議かくぎ決定けっていかかわった平沼ひらぬま赳夫たけおは、「閣議かくぎちゅうにいきなり談話だんわあんされた。署名しょめいしなければ自社じしゃ連立れんりつ政権せいけんぶかもしれないという恐怖きょうふかんがあり、署名しょめいせざるをなかった」と和田わだまさしむね証言しょうげんしている[6]。また、平沼ひらぬま同様どうよう閣僚かくりょうとして閣議かくぎ決定けっていかかわった島村しまむら宜伸よしのぶ野呂のろよしなり深谷ふかや隆司たかし衛藤えとう征士郎せいしろうは、作成さくせい過程かていについて村山むらやまが「野坂のさか浩賢こうけんもと官房かんぼう長官ちょうかんがしっかり根回ねまわししていた」と朝日新聞あさひしんぶんのインタビューでかたったことについて、「根回ねまわしされていない」と反論はんろんしている[7]内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかん古川ふるかわは「閣議かくぎ談話だんわあんげるのは事務じむふく長官ちょうかん役目やくめわたしはかつてない緊張きんちょうかんおぼえた。司会しかいやくである野坂のさか浩賢こうけん官房かんぼう長官ちょうかんが『古川ふるかわふく長官ちょうかん談話だんわあんげますので、つつしんでください』とわざわざ発言はつげんした。普通ふつう官房かんぼう長官ちょうかん閣議かくぎで『つつしんで』というようなことはわない。野坂のさかさんもおなおもいなのだとしんあつくなった。」[8]、「閣議かくぎしつみずったようにしずまりかえり、しわぶきひとこえなかった。閣僚かくりょう腕組うでぐみしながらききいっており、異論いろんまったなかった。」としている[2]

村山むらやまは、この談話だんわ発表はっぴょうしたあとの記者きしゃ会見かいけんで、いくつかのてんについて質問しつもんけ、見解けんかいしめした[9]。まず、天皇てんのう責任せきにん問題もんだいについては「戦争せんそうわった当時とうじにおいても、国際こくさいてきにも国内こくないてきにも陛下へいか責任せきにんわれておりません。」として、「今回こんかいわたし談話だんわにおいても、国策こくさくあやまりをもって陛下へいか責任せきにん云々うんぬんするというようなことではまったくありません。」と、その存在そんざい否定ひていした。また、「とおくない過去かこ一時期いちじき国策こくさくあやまり」としたことについて、「どの内閣ないかくのどの政策せいさくあやまった」という認識にんしきわれ、しばし逡巡しゅんじゅんしたのち、「どの時期じきとかというようなことを断定だんていてきもうげることは適当てきとうではない」とこたえた。さらに、しょ外国がいこく個人こじんから、戦争せんそう被害ひがいしゃとして日本にっぽん政府せいふたいして賠償ばいしょう請求せいきゅうおこなわれていることについて、今後こんご日本にっぽん政府せいふ対応たいおうわれ、「さき大戦たいせんかかわる賠償ばいしょう財産ざいさん請求せいきゅうけん問題もんだいにつきましては、日本にっぽん政府せいふとしては、すでサンフランシスコ平和へいわ条約じょうやくこくあいだ平和へいわ条約じょうやくおよびそれとの関連かんれんする条約じょうやくとうしたがって誠実せいじつ対応たいおうしてきた」とし、「くにはこれらの条約じょうやくとう当事とうじこくとのあいだでは、さき大戦たいせんかかわる賠償ばいしょう財産ざいさん請求せいきゅうけん問題もんだいは、所謂いわゆる従軍じゅうぐん慰安いあん問題もんだいとうふくめて」「法的ほうてきにはもう解決かいけつんでいる」との認識にんしきしめし、個人こじん補償ほしょうくにとしておこなかんがえはないとした。

なお、終戦しゅうせんから60ねんった2005ねん8がつ15にちには、当時とうじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじんであった小泉こいずみ純一郎じゅんいちろうにより、村山むらやま談話だんわもとづき、それを継承けいしょう発展はってんさせた内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわ小泉こいずみ談話だんわ)が発表はっぴょうされており[10]、こちらも村山むらやま談話だんわのように日本にっぽん政府せいふ公式こうしき見解けんかいとしてあつかわれている。

小泉こいずみ純一郎じゅんいちろうのち内閣ないかく総理そうり大臣だいじん就任しゅうにんした安倍晋三あべしんぞうは、首相しゅしょう在任ざいにんちゅう2015ねん8がつ14にち戦後せんご70ねん談話だんわとして安倍あべ談話だんわ発表はっぴょうし、村山むらやま談話だんわにある「しんからのおびの気持きもち」「痛切つうせつ反省はんせい」の文言もんごんについて、歴代れきだいないかく立場たちば継承けいしょうするという間接かんせつてき表現ひょうげんみ、『侵略しんりゃく』『植民しょくみん支配しはい』の文言もんごんについては、日本にっぽん行為こういとしてではなく、これらの行為こういについて「もちいない」「永遠えいえん訣別けつべつする」という一般いっぱんろんとして村山むらやま談話だんわとはことなる文脈ぶんみゃくんだ。談話だんわ発表はっぴょうした記者きしゃ会見かいけんでは、過去かこ日本にっぽん行為こういが「侵略しんりゃく」にたるかどうかは明言めいげんしなかった[11][12]

村山むらやま談話だんわかく首相しゅしょう対応たいおう[編集へんしゅう]

橋本はしもと内閣ないかく
1996ねん平成へいせい8ねん)1がつ24にち橋本はしもと龍太郎りゅうたろう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎ代表だいひょう質問しつもんにおいてほん談話だんわ今後こんごあつかいをわれ、ほん談話だんわ意義いぎまえてたいアジア外交がいこうすすめていくむね答弁とうべんした[注釈ちゅうしゃく 2][13]
小渕おぶち内閣ないかく
1998ねん平成へいせい10ねん)8がつ11にち小渕おぶち恵三けいぞう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎ代表だいひょう質問しつもんにおいて歴史れきし認識にんしきについてわれ、ほん談話だんわ基礎きそうえって外交がいこうおこなっていくむね答弁とうべんした[注釈ちゅうしゃく 3][14]
同年どうねん11がつ26にち中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく江沢民こうたくみん国家こっか主席しゅせきとのなか首脳しゅのう会談かいだんのち発表はっぴょうされたにちちゅう共同きょうどう声明せいめいには「双方そうほう過去かこ直視ちょくし歴史れきしただしく認識にんしきすることにちちゅう関係かんけい発展はってんさせる重要じゅうよう基礎きそであるとかんがえる。日本にっぽんがわは1972ねんにちちゅう共同きょうどう声明せいめいおよび1995ねん8がつ15にち内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわ遵守じゅんしゅし、過去かこ一時期いちじき中国ちゅうごくへの侵略しんりゃくによって中国ちゅうごく国民こくみん多大ただい災難さいなん損害そんがいあたえた責任せきにん痛感つうかんし、これにたいふか反省はんせい表明ひょうめいした。中国ちゅうごくがわ日本にっぽんがわ歴史れきし教訓きょうくんまな平和へいわ発展はってんみち堅持けんじすることを希望きぼうする。双方そうほうはこの基礎きそうえながきにわたる友好ゆうこう関係かんけい発展はってんさせる。」との文言もんごんまれ[15]村山むらやま談話だんわ重視じゅうしする姿勢しせいしめした。
森内もりうちかく
2000ねん平成へいせい12ねん)11月22にちもり喜朗よしろう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかいにおいて「かつての戦争せんそう」についての認識にんしきわれ、「95ねん村山むらやま内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわというもの、これがくに過去かこ問題もんだいについての政府せいふとしての正式せいしき見解けんかいでございます。これにもとづいて、とく周辺しゅうへん近隣きんりんアジア諸国しょこくとはこの精神せいしんをしっかりけとめて、そして外交がいこう交渉こうしょうすすめていくということが大事だいじだとかんがえております。」と答弁とうべんした[16]
小泉こいずみ内閣ないかく
2005ねん平成へいせい17ねん)8がつ15にち戦後せんご60周年しゅうねん終戦しゅうせん記念きねん小泉こいずみ純一郎じゅんいちろう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、村山むらやま談話だんわ踏襲とうしゅうした『小泉こいずみ談話だんわ[10]発表はっぴょうして、ふたたびアジア諸国しょこく謝罪しゃざいした。
村山むらやま談話だんわ特定とくてい国名こくめい明示めいじしていないのにたいして小泉こいずみ談話だんわには「中国ちゅうごく韓国かんこく」という国名こくめいまれた[10]
だい1安倍あべ内閣ないかく
2006ねん平成へいせい18ねん)10がつ5にち安倍あべ首相しゅしょうは、衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかいで、村山むらやま談話だんわについて「アジアの国々くにぐにたいして大変たいへん被害ひがいあたえ、きずあたえたことは厳然げんぜんたる事実じじつ」であり、「村山むらやま談話だんわなかべているように、おそらくこれは、韓国かんこく方々かたがたあるいは中国ちゅうごく方々かたがたはじめ、侵略しんりゃくをされた、あるいは植民しょくみん支配しはいったと、それはまさにくにがそのときの閣議かくぎ決定けっていした談話だんわとしてくにとしてしめしたとおりである」とし、これを1993ねん平成へいせい5ねん)の河野こうの談話だんわとともに、「わたし内閣ないかく変更へんこうするものではない」と明言めいげんした[17]
福田ふくだ康夫やすお内閣ないかく
2008ねん平成へいせい20ねん5月7にち福田ふくだ康夫やすお内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく胡錦濤こきんとう国家こっか主席しゅせき日本にっぽん訪問ほうもんけ、にちちゅう首脳しゅのう会談かいだんのぞんだが、首脳しゅのう会談かいだん共同きょうどう声明せいめいでは村山むらやま談話だんわについて一切いっさい言及げんきゅうしなかった[18][19]
福田ふくだ自由民主党じゆうみんしゅとう総裁そうさい選挙せんきょにおける総裁そうさい候補こうほだった2007ねん平成へいせい19ねん)9がつ19にち日本外国特派員協会にほんがいこくとくはいんきょうかいでの記者きしゃ会見かいけんにて「首相しゅしょうったことだからただしいものとかんがえる必要ひつようがある」とべ、おなじく候補者こうほしゃ麻生あそう太郎たろうも「歴代れきだいないかくみなおなじことをもうげてきている」と発言はつげんしている[20]
麻生あそう内閣ないかく
2008ねん平成へいせい20ねん)10がつ2にち麻生あそう太郎たろう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎ代表だいひょう質問しつもんにおいて、村山むらやま首相しゅしょう談話だんわぐのかどうかわれ、村山むらやま談話だんわ小泉こいずみ談話だんわは「さきの大戦たいせんをめぐる政府せいふとしての認識にんしきしめすものであり、わたし内閣ないかくにおいてもいでまいります。」と答弁とうべんした[21]。なお、同年どうねん11がつ政府せいふ見解けんかいことなる認識にんしきしめした論文ろんぶん発表はっぴょうしたとして航空こうくう幕僚ばくりょうちょう更迭こうてつされ、退職たいしょくした田母神たもかみ俊雄としおは、参考さんこうじんとして招致しょうちされた参議院さんぎいん外交がいこう防衛ぼうえい委員いいんかいせきで、「いわゆる村山むらやま談話だんわなるものを公然こうぜん批判ひはんしたことはまったくありませんし、論文ろんぶんなかでもまったれておりません。」としたうえで、「村山むらやま談話だんわことなる見解けんかい表明ひょうめいしたということで更迭こうてつをされた」との認識にんしきしめした[22]
鳩山はとやま由紀夫ゆきお内閣ないかく
2009ねん平成へいせい21ねん)9がつ21にち日本にっぽん時間じかん22にち)、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨークにおいて、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく胡錦濤こきんとう国家こっか主席しゅせき会談かいだんした鳩山はとやま由紀夫ゆきお内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、「たがいのちがいをえられる外交がいこうをするのが友愛ゆうあい外交がいこうだ」としたうえで、「村山むらやま富市とみいち首相しゅしょう談話だんわ踏襲とうしゅうする」と表明ひょうめいした[23]
かん直人なおと内閣ないかく
2010ねん平成へいせい22ねん)8がつ10日とおかかん直人なおと内閣ないかく総理そうり大臣だいじん韓国かんこく併合へいごう100ねん節目ふしめたり、「植民しょくみん支配しはいがもたらした多大ただい損害そんがい苦痛くつうたいし、ここにあらためて痛切つうせつ反省はんせいしんからのおびの気持きもちを表明ひょうめいいたします」と韓国かんこくたいして村山むらやま談話だんわ踏襲とうしゅうした内容ないよう謝罪しゃざい談話だんわかん談話だんわ[24]発表はっぴょう[25]。しかし中国ちゅうごく台湾たいわん北朝鮮きたちょうせんなどからは、村山むらやま談話だんわはアジア全体ぜんたい謝罪しゃざいしているのにたいし、かん談話だんわ韓国かんこくたいしてのみ謝罪しゃざいしている談話だんわとして批判ひはんけた。
野田のだ内閣ないかく
2012ねん平成へいせい24ねん)8がつ15にち野田のだ佳彦よしひこ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん全国ぜんこく戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしき式辞しきじ歴代れきだい首相しゅしょう同様どうように「さき大戦たいせんではおおくの国々くにぐに、とりわけアジア諸国しょこく人々ひとびとたい多大ただい損害そんがい苦痛くつうあたえました。ふか反省はんせい犠牲ぎせいとなられた方々かたがたとそのご遺族いぞくつつしんで哀悼あいとうあらわします」と村山むらやま談話だんわ言葉ことばべた。
だい2安倍あべ内閣ないかく
2013ねん平成へいせい25ねん)4がつ22にち参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい安倍晋三あべしんぞう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは「安倍あべ内閣ないかくとして村山むらやま談話だんわをそのまま継承けいしょうしているわけではない」と答弁とうべんした[26]同年どうねん5がつ15にち、2014ねん平成へいせい26ねん)3がつ3にち参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかいでは「安倍あべ内閣ないかくとして歴代れきだいないかく立場たちばいでいる。」「侵略しんりゃく植民しょくみん支配しはい否定ひていしたこといちもない」とも答弁とうべんしている[27][28]
2015ねん平成へいせい27ねん)1がつ5にち安倍晋三あべしんぞう内閣ないかく総理そうり大臣だいじん年頭ねんとう記者きしゃ会見かいけんで「村山むらやま談話だんわふくめ、歴史れきし認識にんしきかんする歴代れきだいないかく立場たちば全体ぜんたいとしていでいます。そしてまたいでまいります」と表明ひょうめいした[29]
だい3安倍あべ内閣ないかく
2015ねん8がつ14にち安倍晋三あべしんぞう内閣ないかく総理そうり大臣だいじん戦後せんご70ねん談話だんわとして、『侵略しんりゃく』『植民しょくみん支配しはい』『痛切つうせつ反省はんせい』『しんからのおびの気持きもち』の文言もんごん村山むらやま談話だんわとはことなる文脈ぶんみゃく表現ひょうげんんだ「安倍あべ談話だんわ」を閣議かくぎ決定けってい発表はっぴょうした[11][12]
だい世界せかい大戦たいせんについて「ふか悔悟かいごねん」を表明ひょうめいし、戦後せんごのアジア諸国しょこくへの支援しえんについてれるなかにおいて、歴代れきだいないかく立場たちば継承けいしょうするという間接かんせつてき表現ひょうげんで、「しんからのおびの気持きもち」、「痛切つうせつ反省はんせい」の文言もんごんんだ。また、満州まんしゅう事変じへんからだい世界せかい大戦たいせんへの経緯けいいについて、「(日本にっぽんは)すすむべき針路しんろあやまり、戦争せんそうへのみちすすんだ」とした。そして、「事変じへん侵略しんりゃく戦争せんそう。いかなる武力ぶりょく威嚇いかく行使こうしも(中略ちゅうりゃく二度にどもちいてはならない」、「植民しょくみん支配しはいから永久えいきゅう訣別けつべつしなければならない」と一般いっぱんろんとしての文脈ぶんみゃくなかで、「侵略しんりゃく」「植民しょくみん支配しはい」の文言もんごんみ、村山むらやま談話だんわとはことなり、日本にっぽん行為こうい侵略しんりゃくとしてみとめたくだりはなかった。
談話だんわ発表はっぴょうした記者きしゃ会見かいけんにおいても、日本にっぽん行為こうい侵略しんりゃくたるかどうかは明言めいげんしなかった。また「あの戦争せんそうにはなんかかわりのない、わたしたちのまご、そしてそのさき世代せだいどもたちに、謝罪しゃざいつづける宿命しゅくめい背負しょわせてはなりません」といった独自どくじ内容ないようまれた[11][12]
安倍あべ談話だんわけて、2015ねん8がつ14にちから一時いちじてき外務省がいむしょうホームページの「歴史れきし問題もんだいQ&A」が削除さくじょされ、同年どうねん9がつ18にち改訂かいていされた「歴史れきし問題もんだいQ&A」が掲載けいさいされた。改訂かいていまえのページに記載きさいされていた「植民しょくみん支配しはい」「侵略しんりゃく」の文言もんごん削除さくじょされ、「戦争せんそうとはなんかかわりのない、将来しょうらい世代せだいが、謝罪しゃざいつづけねばならないような状況じょうきょうつくってはなりません。これは、いまきる、現在げんざい世代せだい責任せきにんであるとかんがえています」と安倍あべ談話だんわ内容ないよう反映はんえいする文言もんごんあらたに追加ついかされた[30]
かんよしえら内閣ないかく
2021ねんれい3ねん)6がつ25にちかんよしえら内閣ないかく総理そうり大臣だいじん村山むらやま談話だんわ継承けいしょうしているとする答弁とうべんしょ閣議かくぎ決定けっていした[31]
だい2岸田きしだ内閣ないかく
2023ねんれい5ねん)3がつ6にち岸田きしだ文雄ふみお内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかいにおいて「岸田きしだ政権せいけんとしても、歴史れきし認識にんしきかんする歴代れきだいないかく立場たちば全体ぜんたいとしていでいるし、今後こんごいでいく」と答弁とうべんした[32]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 英訳えいやくは「Statement by Prime Minister Tomiichi Murayama」であり、「ステートメント=声明せいめい」という表現ひょうげんになっている[1]
  2. ^ 1996ねん平成へいせい8ねん)1がつ24にち衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎにおける橋本はしもと首相しゅしょう答弁とうべんつぎとおり。 「また、村山むらやま内閣ないかくにおけるはちがつじゅうにち談話だんわ衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎにおける決議けつぎ精神せいしんにのっとって今後こんご決意けついわれました。アジアの諸国しょこく、アジアといいますよりアジア太平洋たいへいよう地域ちいきおおくの国民こくみん方々かたがたとの善隣ぜんりん友好ゆうこうあるいは恒久こうきゅう平和へいわへの道筋みちすじ着実ちゃくじつあゆ決意けついがあるかどうかというおたずねでありました。 わたしは、施政しせい方針ほうしん演説えんぜつなかですべてのおもいをこの一言ひとことめたつもりでありましたが、それは「我々われわれ過去かこおもみからも未来みらいへの責任せきにんからもげることはできない」という一言ひとことであります。昨年さくねん戦後せんごじゅう周年しゅうねんという節目ふしめで、国会こっかいでの決議けつぎ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわ発出はっしゅつされたところでもございました。 政府せいふといたしましては、これらをまえて今後こんごともアジア近隣きんりん諸国しょこくとうとのあいだ過去かこ歴史れきし直視ちょくししながら、将来しょうらいけて各国かっこくとの相互そうご理解りかい相互そうご信頼しんらい促進そくしんすべく積極せっきょくてきんでいく決意けついでありますし、このため、昨年さくねん開始かいしいたしました平和へいわ友好ゆうこう交流こうりゅう計画けいかく推進すいしんはじめとするさまざまな課題かだい着実ちゃくじつんでまいります。こうしてつちかわれる各国かっこくとの信頼しんらい関係かんけい基礎きそとして、くに国際こくさい協調きょうちょうすすめ、平和へいわ理念りねん推進すいしんしてまいる、そうありたいとかんがえております。」
  3. ^ 1998ねん平成へいせい10ねん)8がつ11にち衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎにおける小渕おぶち首相しゅしょう答弁とうべん以下いかとおり。 「歴史れきしかんするおたずねでありますが、政府せいふかんがえは、いちきゅうきゅうねん内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわべられたとおりでありまして、くに過去かこ一時期いちじきに、植民しょくみん支配しはい侵略しんりゃくにより、おおくの国々くにぐに、とりわけアジア諸国しょこく人々ひとびとたいして多大ただい損害そんがい苦痛くつうあたえたものと認識にんしきしております。にちちゅうあいだにおきましては、にちちゅう共同きょうどう声明せいめいおよにちちゅう平和へいわ友好ゆうこう条約じょうやく基礎きそとして、未来みらいけてにちちゅう関係かんけい発展はってんつとめていきたいとかんがえております。  歴史れきし認識にんしきについてでございますが、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんとしておこたえをもうげれば、政府せいふかんがかたはこのいちきゅうきゅうねん内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわのとおりであり、その基礎きそうえって、関係かんけい諸国しょこくとの信頼しんらい関係かんけい一層いっそう強化きょうかしていくとともに、責任せきにんある国際こくさい社会しゃかい一員いちいんとして、国際こくさい協調きょうちょう促進そくしんし、これをつうじて平和へいわ理念りねん民主みんしゅ主義しゅぎ推進すいしんしていくとの立場たちばをとっております。」

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 外務省がいむしょう公式こうしき英訳えいやく
  2. ^ a b c 古川ふるかわ貞二郎ていじろう(20)戦後せんご50ねん 村山むらやま談話だんわ朗読ろうどく異論いろんなし あつおもしずまりかえ閣議かくぎしつ2015/3/20づけ日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 朝刊ちょうかん
  3. ^ 61にんのこ政治せいじ 橋本はしもと龍太郎りゅうたろう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう企画きかく出版しゅっぱん、2012ねん、15ぺーじ
  4. ^ 61にんのこ政治せいじ 橋本はしもと龍太郎りゅうたろう、16ぺーじ
  5. ^ ひゃく旗頭はたがしらしん伊藤いとう元重もとしげ薬師寺やくしじ克行かつゆきしる、90年代ねんだい証言しょうげん もり喜朗よしろう 自民党じみんとう政権せいけん交代こうたい (90年代ねんだい証言しょうげん) 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2007ねん、187-189ぺーじ
  6. ^ 秘密裏ひみつりつくられた村山むらやま談話だんわの「やみ」にせま作成さくせい経緯けいい検証けんしょうするPT発足ほっそく. ZAKZAK (夕刊ゆうかんフジ). (2015ねん4がつ15にち). https://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150415/plt1504151140001-n1.htm 2015ねん4がつ16にち閲覧えつらん 
  7. ^ “「村山むらやま談話だんわ閣議かくぎ決定けっていは“異様いよう雰囲気ふんいき人民日報じんみんにっぽう多用たようする語句ごく検証けんしょうプロジェクト”. ZAKZAK (夕刊ゆうかんフジ). (2015ねん6がつ24にち). https://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150624/plt1506241550001-n1.htm 2015ねん5がつ24にち閲覧えつらん 
  8. ^ 古川ふるかわ貞二郎ていじろうわたし履歴りれきしょ日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ 2015ねん 87ぺーじ
  9. ^ 戦後せんご50ねんたっての村山むらやま内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわおよ記者きしゃ会見かいけん(『村山むらやま演説えんぜつしゅう』より)、東京大学とうきょうだいがく東洋とうよう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ田中たなか明彦あきひこ研究けんきゅうしつ
  10. ^ a b c 内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわ首相しゅしょう官邸かんてい
  11. ^ a b c 戦後せんご70ねん談話だんわ解説かいせつ首相しゅしょう自身じしん謝罪しゃざいける 47NEWS(共同通信きょうどうつうしん
  12. ^ a b c 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん」2015ねん8がつ14にち
  13. ^ だい136かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん ほん会議かいぎ だい2ごう 平成へいせい8ねん1がつ24にち”. kokkai.ndl.go.jp. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  14. ^ だい143かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん ほん会議かいぎ だい5ごう 平成へいせい10ねん8がつ11にち”. kokkai.ndl.go.jp. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  15. ^ 平和へいわ発展はってんのための友好ゆうこう協力きょうりょくパートナーシップの 構築こうちくかんするにちちゅう共同きょうどう宣言せんげん”. 外務省がいむしょう. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  16. ^ だい150かい国会こっかい 参議院さんぎいん 予算よさん委員いいんかい だい3ごう 平成へいせい12ねん11月22にち”. kokkai.ndl.go.jp. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  17. ^ だい165回議かいぎかい衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかいだい2ごう 平成へいせい18ねん10がつ5にち
  18. ^ 戦略せんりゃくてき互恵ごけい関係かんけい」の包括ほうかつてき推進すいしんかんするにちちゅう共同きょうどう声明せいめい外務省がいむしょう
  19. ^ 日本国にっぽんこく政府せいふ中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく政府せいふとの気候きこう変動へんどうかんする共同きょうどう声明せいめい外務省がいむしょう
  20. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』2007ねん9がつ20日はつか
  21. ^ だい170かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎ だい4ごう 平成へいせい20ねん10がつ2にち”. kokkai.ndl.go.jp. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  22. ^ だい170かい国会こっかい参議院さんぎいん外交がいこう防衛ぼうえい委員いいんかいだい6ごう 平成へいせい20ねん11月11にち”. kokkai.ndl.go.jp. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  23. ^ にちちゅう首脳しゅのう会談かいだん:要旨ようし、2009ねん9がつ23にちづけ毎日新聞まいにちしんぶん』、同年どうねん9がつ30にち閲覧えつらん
  24. ^ 内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわ”. www.kantei.go.jp. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  25. ^ asahi.com(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ):「あらためて痛切つうせつ反省はんせい」 韓国かんこく併合へいごう100ねん首相しゅしょう談話だんわ - かん政権せいけん”. www.asahi.com. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  26. ^ だい183かい国会こっかい参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかいだい9ごう 平成へいせい25ねん4がつ22にち
  27. ^ だい183かい国会こっかい参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかいだい18ごう 平成へいせい25ねん5がつ15にち
  28. ^ だい186かい国会こっかい参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかいだい5ごう 平成へいせい26ねん3がつ3にち
  29. ^ 安倍あべ首相しゅしょう:「大戦たいせんへの反省はんせい」を戦後せんご70ねん談話だんわに-新春しんしゅん会見かいけん表明ひょうめいbloomberg 2015ねん1がつ5にち
  30. ^ 産経新聞さんけいしんぶん2015ねん9がつ18にちづけ
  31. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021ねん6がつ25にち). “村山むらやま河野こうの談話だんわを「継承けいしょう答弁とうべんしょ決定けってい”. 産経さんけいニュース. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  32. ^ だい211かい国会こっかい 参議院さんぎいん 予算よさん委員いいんかい だい5ごう れい5ねん3がつ6にち”. kokkai.ndl.go.jp. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 西部せいぶ「33 アジア連合体れんごうたい」『無念むねん戦後せんご講談社こうだんしゃ、2005ねん、379-393ぺーじISBN 4-06-213057-2 
  • 西部せいぶ邁「謝罪しゃざい 「戦後せんご」における「自己じこ喪失そうしつ」の淵源えんげん」『保守ほしゅ辞典じてんまぼろしおどけ書房しょぼう、2013ねん、223-229ぺーじISBN 978-4-86488-022-0 
  • 村山むらやま富市とみいち高信たかのぶ『「村山むらやま談話だんわ」とはなにか』角川書店かどかわしょてん角川かどかわONEテーマ21〉、2009ねんISBN 9784047102002 
  • 村山むらやま富市とみいち村山むらやま富市とみいち証言しょうげんろく――自社じしゃ連立れんりつ政権せいけん実相じっそう新生しんせいしゃ、2011ねんISBN 9784990604004 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]