東京学芸大学 附属 世田谷 小学校
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1876 | |
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B113110000016 | |
〒158-0081 | |
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概要
[存在 意義
[教育 理論 の実験 的 研究 ならびにその実証 を行 う。東京学芸大学 教育 学部 の学生 の教育 実習 の指導 を行 う。初等 普通 教育 (公 教育 )を行 う。
まず
教育 目標
[「
「
充実 した思考 力 …広 い視野 に立 ち、合理 的 、創造 的 に考 える子 。錬磨 した感受性 …人間 や自然 を深 愛 し、情操 の豊 かな子 。自覚 的 な社会 連帯 性 …自他 を尊重 し、協力 して社会 を高 めていく子 。徹底 した実践 力 …心身 ともに健全 で最後 まで頑張 りぬく子 。
沿革
[- 1873
年 (明治 6年 )-教則 講習 所 が開校 。 - 1875
年 (明治 8年 )-東京 府 仮 師範 学校 に改称 。 - 1876
年 (明治 9年 ) - 1887
年 (明治 20年 )-東京 府 尋常 師範 学校 附属 小学校 に改称 。(勅 令 第 13号 、1886年 (明治 19年 )尋常 師範 学校 官制 公布 による) - 1889
年 (明治 22年 )3月 -小石川 区 竹早 町 8番地 に校舎 を移転 。 - 1900
年 (明治 33年 )3月 -赤坂 区 青山北 町 5丁目 24番地 に校舎 を移転 。(小石川 区 の校舎 は東京 府 女子 師範 学校 となる) - 1908
年 (明治 31年 ) -東京 府 青山 師範 学校 附属 小学校 に改称 。 - 1926
年 (大正 15年 ) -創立 50周年 記念 式 - 1929
年 (昭和 3年 )-保護 者 会 により、千葉 県 旧 安房 郡 千倉 町 (現 南 房総 市 )に海 の家 「青山 荘 」(せいざんそう)を開設 。 - 1936
年 (昭和 11年 )-青山 より世田谷 区 下馬 (現 :下馬 中央 公園 )[1]へ移転 。 - 1941
年 (昭和 16年 )4月 -国民 学校 令 により、「東京 府 青山 師範 学校 附属 国民 学校 」に改称 。 - 1943
年 (昭和 18年 )-師範 学校 の官立 (国立 )移管 ・改称 に伴 い、「東京 第 一師範学校男子部附属国民学校」に改称 。 - 1947
年 (昭和 22年 )4月 -学制 改革 に伴 い、「東京 第 一 師範 学校 男子 部 附属 小学校 」に改称 。 - 1949
年 (昭和 24年 )5月 -新制 大学 東京学芸大学 の発足 により、「東京学芸大学 東京 第 一 師範 学校 男子 部 附属 小学校 」に改称 。 - 1951
年 (昭和 26年 )4月 -東京 第 一 師範 学校 の廃止 に伴 い、「東京学芸大学 附属 世田谷 小学校 」に改称 。 - 1955
年 (昭和 30年 )-東京 都 世田谷 区 下馬 から世田谷 区 深沢 に移転 を開始 。 - 1957
年 (昭和 32年 )-下馬 より移転 完了 - 1958
年 (昭和 33年 )-体育館 が完成 (1981年 (昭和 56年 )解体 ) - 1966
年 (昭和 41年 )-創立 90周年 記念 式典 。天皇 ・皇后 行幸 啓 。 - 1969
年 (昭和 44年 )-燕 岳 登山 を行 う林間 学校 を、長野 県 中房温泉 で始 める(1985年 (昭和 60年 )頃 に中止 ) - 1972
年 (昭和 47年 )-「東京学芸大学 教育 学部 附属 世田谷 小学校 」に改称 。 - 1973
年 (昭和 48年 )-後 の「総合 的 な学習 の時間 」(平成 14年度 より全国 本格 実施 )につながる、新 領域 の時間 「○の時間 」(まるのじかん)開始 - 1976
年 (昭和 51年 )-創立 100周年 記念 式典 。皇太子 ・同妃 行啓 - 1982
年 (昭和 57年 )-新 体育館 、新 別館 が完成 - 1995
年 (平成 7年 )-本 校舎 の耐震 化 、改修 工事 が完成 - 2003
年 (平成 15年 )-青山 荘 の改修 工事 が完成 - 2004
年 (平成 16年 )-「東京学芸大学 附属 世田谷 小学校 」(現 校 名 )に改称 - 2006
年 (平成 18年 )-創立 130周年 をおいする会 - 2012
年 (平成 24年 )-学級 編成 基準 児童 数 を35人 に変更 (*第 一 学年 より) - 2015
年 (平成 27年 )-体育館 ・児童 館 耐震 強化 工事 - 2016
年 (平成 28年 )-創立 140周年 をおいする会 - 2018
年 (平成 30年 )-体育館 改修 - 2019
年 (平成 31年 )-渡 り廊下 改修 - 2021
年 (令 和 3年 )-上 校庭 改修 - 2022
年 (令 和 4年 )- 「学 びを自分 でデザインするカリキュラム構想 案 」に基 づき Home. Class. Laboratory. の3領域 からなる教育 課程 を開始
象徴
[校章 は、星 と桜 。制服 (*2018年度 廃止 。)制 鞄 (*2018年度 指定 ランドセルから学校 支給 ランリュックに変更 。)校庭 の藤棚 は青山 校舎 、下馬 校舎 から移植 されたもので、『藤棚 の歌 』では「集 まり散 る子 の夢 の宿 」と歌 われる。
学校 歌
[校歌 作詞 :門田 ゆたか作曲 :團 伊玖磨 楽 しきは青山 (旧 校歌 )青山 荘 の歌 青山 荘 音頭 作曲 :高田 早 穂見 (1958年 )運動会 の歌 (1964年 )藤棚 の歌 作詞 :門田 ゆたか作曲 :團 伊玖磨 (1966年 )- ゴールめざして
作詞 :中村 千栄子 作曲 :岩 河 三郎 (1970年 ) 百 周年 祝典 歌 (1975年 )
通学 区域
[特徴
[児童 の自主 性 を重 んじている。一般 の小学校 における入学 式 などの行事 や委員 会 (ポプラの活動 )、クラブ活動 (藤棚 の活動 )等 はすべて児童 が企画 を立 て、運営 をしている。- 1・2
学年 は教科 別 学習 ではなく総合 学習 を行 う。 各 学年 3学級 で構成 される。(*1学級 35名 定員 。)上 の校庭 ・下 の校庭 の2つがある。給食 は自 校 方式 (週 4回 / *毎週 水曜 のみ弁当 持参 。)千葉 県 南 房総 市 (旧 :千倉 町 )に青山 荘 (せいざんそう)を所有 しており、校外 学習 、臨海 学校 で利用 されていたが、東日本 大震災 以降 、利用 されなくなった。令 和 4年度 (2022年度 )より、「学 びを自分 でデザインするカリキュラム構想 」に基 づき、個別 の探究 を保障 する「Laboratory」と、学年 を超 えた異 年齢 集団 でよりよく生 きることをデザインする「Home」、文化 や科学 の叡智 から世界 の見方 を広 げ、デザインの実践 につなげる「Class」という、3領域 で駆動 する教育 課程 を試行 。
進学
[交通 アクセス
[著名 な出身 者
[武富 済 (政治 家 ・衆議院 議員 、検察官 、旧 東京 府 尋常 師範 小 から府立 一 中 へ進学 )浅野 晃 (詩人 、国文学 者 、南山 小 から転入 。旧 青山 師範 小 から府立 一 中 へ進学 )飯島 正 (映画 評論 家 、旧 青山 師範 小 から府立 一 中 へ進学 )曽祢 益 (政治 家 ・衆議院 議員 、外交 官 、旧 青山 師範 小 から府立 一 中 へ進学 )勝田 龍夫 (実業 家 ・日本債券信用銀行 元 会長 、旧 青山 師範 小 から府立 一 中 へ進学 )朝比奈 隆 (指揮 者 、文化 勲章 受章 、旧 青山 師範 小 から高千穂 中 を経 て旧制 東京 高 尋常 科 へ進学 )團 伊玖磨 (作曲 家 、本校 の校歌 を作曲 、旧 青山 師範 小 から青山学院 中 へ進学 )清水 基 吉 (詩人 、旧 青山 師範 小 から市立 一 中 へ進学 )宮脇 俊三 (作家 、旧 青山 師範 小 から旧制 成 蹊高尋常 科 へ進学 )奥野 健男 (文芸 評論 家 、旧 青山 師範 小 から麻布 中 へ進学 )- ドクター・
中松 (発明 家 、旧 青山 師範 小 から麻布 中 へ進学 ) 福田 康夫 (政治 家 ・第 91代 内閣 総理 大臣 ・衆議院 議員 、旧 東京 第 一 師範 小 から麻布 中 へ)谷野 作太郎 (外交 官 ・駐 中国 大使 、内閣 官房 内閣 外政 審議 室長 、旧 東京 第 一 師範 小 から旧 東京 第 一 師範 中 へ進学 )小島 順彦 (実業 家 ・三菱商事 社長 ・会長 、附属 世田谷 中 へ進学 )町村 信孝 (政治 家 ・第 75代 衆議院 議長 ・衆議院 議員 、附属 世田谷 中 へ進学 )福田 峰 之 (政治 家 ・衆議院 議員 、附属 世田谷 中 へ進学 )栗本 慎一郎 (政治 家 、附属 世田谷 中 へ進学 )岸谷 香 (旧姓 :奥居 )(シンガーソングライター・元 プリンセス・プリンセスヴォーカル、附属 世田谷 中 へ進学 )幕内 雅敏 (医師 、附属 世田谷 中 へ進学 )森 英介 (政治 家 、附属 世田谷 中 へ進学 )佐 渡島 庸 平 (実業 家 、編集 者 、6年 次 に転校 )