水野みずの良平りょうへい

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みずのりょうへい

水野みずの良平りょうへい
生誕せいたん 1899ねん10月9にち
日本の旗 日本にっぽん神奈川かながわけん横須賀よこすか
死没しぼつ (1978-08-22) 1978ねん8がつ22にち(78さいぼつ
別名べつめい ひかりがわひさし
職業しょくぎょう 天文てんもん技官ぎかんプラネタリウム解説かいせつしゃ伝道でんどうしゃ教育きょういくしゃ
肩書かたが 東京とうきょう天文台てんもんだいむくい課長かちょう天文てんもん博物館はくぶつかん五島ごしまプラネタリウム学芸がくげい課長かちょう
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水野みずの 良平りょうへい(みずの りょうへい、 1899ねん10月9にち - 1978ねん8がつ22にち)は、日本にっぽん天文てんもん技官ぎかんプラネタリウム解説かいせつしゃ伝道でんどうしゃ教育きょういくしゃ

東京とうきょう天文台てんもんだいむくい課長かちょうなどを天文てんもん博物館はくぶつかん五島ごしまプラネタリウム学芸がくげい課長かちょう初代しょだい)に就任しゅうにんし、天文てんもん普及ふきゅう尽力じんりょくした。筆名ひつめいに「ひかりがわひさし」がある。日本にっぽん天文てんもん学会がっかい終身しゅうしん会員かいいん[1]。ほがらかで温厚おんこう人柄ひとがらられた。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1899ねん10月19にち神奈川かながわけん横須賀よこすかまれる[2][3]ちち海軍かいぐん軍人ぐんじんであった[2][3]。のちに東京とうきょう移住いじゅうし、おも麻布まふ飯倉いいくら片町かたまちそだった[2]

1912ねん3がつ麻布あざぶ小学校しょうがっこう卒業そつぎょう[2](12さい)。 1917ねん3月18にち麻布あざぶメソジスト教会きょうかい鳥居とりいざか教会きょうかいくらちょうたかし牧師ぼくしから受洗じゅせん[3][4](17さい)。幼少ようしょうのころから日曜にちよう学校がっこうかよっていた[2]

1918ねん東京とうきょう高等こうとう師範しはん学校がっこう附属ふぞく中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょうし、東京とうきょう物理ぶつり学校がっこう(のちの東京理科大学とうきょうりかだいがく)に入学にゅうがく[2](18さい)。

1921ねん4がつ麻布あざぶ教会きょうかい日曜にちよう学校がっこう教師きょうしとなる[2](21さい)。

1922ねん東京とうきょう物理ぶつり学校がっこう卒業そつぎょうし、東京大学とうきょうだいがく航空こうくう研究所けんきゅうじょ就職しゅうしょく[2](22さい)。

1923ねん8がつ東京とうきょう東京とうきょう麻布あざぶにあった東京とうきょう天文台てんもんだいいれだい[2][3](23さい)。むくいとき観測かんそく研究けんきゅうたずさわる。

1924ねん東京とうきょう天文台てんもんだい北多摩きたたまぐん三鷹みたかむらげん東京とうきょう三鷹みたか)の現在地げんざいち移転いてん[5]

1927ねん4がつ29にち日曜にちよう学校がっこう生徒せいとだった淑子としこ結婚けっこん[2](27さい)。のちに二男じなんいちじょをもうける[2]

1927ねん5月、日曜にちよう学校がっこう校長こうちょうとなる[2](27さい)。

1928ねんあき子供こどもかい毎週まいしゅう水曜日すいようびどもに賛美さんびおしえ、聖書せいしょについてはなかい)をおこな場所ばしょとして、自身じしん官舎かんしゃ天文台てんもんだい敷地しきちない)のすみに10じょうらずのバラック小屋こやてる[2]

1932ねん4がつ官舎かんしゃてた小屋こや幼稚園ようちえん「つぼみかい」を開設かいせつ[2][6][7](32さい)。

1938ねん3月、「つぼみかい」をじる[2](38さい)。

1939ねんはるから1年間ねんかん[† 1]、『小学生しょうがくせい科学かがく』(まことぶんどう新光しんこうしゃ)に「ひかりがわひさし」めいで「宇宙うちゅう見学けんがく旅行りょこう」を連載れんさい[8]1940ねん7がつ連載れんさいをまとめた『宇宙うちゅう旅行りょこう』を発刊はっかんし、戦後せんご1948ねん)には著者ちょしゃめい本名ほんみょうあらためて上下じょうげまき再刊さいかんされた[8][† 2]

1939ねん5月3にち日本にっぽん天文てんもん学会がっかい庶務しょむ理事りじ就任しゅうにん[11](39さい)、戦争せんそうはさんで戦後せんごまでそのにんにあった[12][13][14][15][16][17]

1940ねん4がつ官舎かんしゃ武蔵境むさしさかいいえ[2](40さい)。

1946ねん4がつ20日はつか東京とうきょう科学かがく博物館はくぶつかん国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん)において戦後せんごはじめておこなわれただい1かい天文学てんもんがく普及ふきゅう講座こうざ登壇とうだん[18](46さい)。以降いこう天文学てんもんがく普及ふきゅう講演こうえんかいえたのちにも多数たすう登壇とうだんすることとなる[19]

1947ねん7がつ自宅じたく改造かいぞうして武蔵境むさしさかい伝道でんどうしょひらき、東京とうきょう天文台てんもんだいするまで運営うんえいする[2](47さい)。

1950ねん4がつ[† 3]東京とうきょう天文台てんもんだいほう課長かちょうし、横須賀学院よこすかがくいん主事しゅじ理科りか教員きょういんとして奉職ほうしょく[2][4][20](50さい)。

1950ねんごろ、水野みずの横須賀学院よこすかがくいん奉職ほうしょくしていることをった河原かわはら郁夫いくお水野みずののもとをたずねる[21]

1950ねん12月、横須賀よこすか中央ちゅうおう教会きょうかい設立せつりつしたという[2](51さい)。1952ねん6がつどう教会きょうかい正式せいしき日本にっぽん基督教きりすときょうだん加盟かめい横須賀よこすか小川おがわまち教会きょうかいとなった[2][22](52さい)。

1952ねん9月に設立せつりつされた横須賀よこすか天文てんもん学会がっかい会長かいちょうとなる[23][24](52さい)。どうかいには学生がくせいだった河原かわはら郁夫いくお小林こばやしひろしただし[† 4]参画さんかくし、1956ねんごろまで活動かつどうした。

1956ねん横須賀学院よこすかがくいんし、翌年よくねんはる開館かいかんする天文てんもん博物館はくぶつかん五島ごしまプラネタリウムの責任せきにんしゃ学芸がくげい課長かちょう)として設立せつりつ準備じゅんびたずさわる[26][27]準備じゅんび委員いいんかい鏑木かぶらきまさし[† 5]村山むらやま定男さだお熱心ねっしん説得せっとくけたものであった[6][26][28]

1957ねん4がつ1にち天文てんもん博物館はくぶつかん五島ごしまプラネタリウムが開館かいかん[26][29](57さい)。有楽町ゆうらくちょうにあったひがし天文てんもんかん毎日まいにち天文てんもんかん)がちてから12ねんぶりに東京とうきょう復活ふっかつしたプラネタリウムを学芸がくげい課長かちょうとしてりしきった[26][30][31][29]

1964ねん10月、横須賀よこすか購入こうにゅうした土地とちに1ねんはんかけて自力じりき建設けんせつした天文てんもんドームが完成かんせい[2]平作へいさく天体てんたい観測かんそくしょしょうした[2][32](64-65さい)。ブロックを3mほど円形えんけいげ、そのうえ耐水たいすいベニヤ板べにやいたったドームをせており、回転かいてん部分ぶぶんはオートバイのチェーンとギアをわせたという[32]。しばしば武蔵境むさしさかい自宅じたくからとおった[2]

1966ねん7がつ前年ぜんねん建設けんせつした平作へいさく天体てんたい観測かんそくしょ隣接りんせつして住居じゅうきょをつくり[2][32]武蔵境むさしさかいから横須賀よこすか転居てんきょ[2](66さい)。

1969ねん7がつ21にちアポロ11ごう人類じんるいはつ月面げつめん着陸ちゃくりく成功せいこうした。五島ごしまプラネタリウムではNHKのスタジオとNASAジョンソン宇宙うちゅうセンターからおくられてくる映像えいぞうとのさんもと中継ちゅうけいふくティーチイン英語えいご: Teach-in午前ごぜん0からおこなわれた[26][33]午後ごご2時半じはんからは東京とうきょう12チャンネルのスタジオと宇宙うちゅうとの中継ちゅうけい番組ばんぐみがドームで無料むりょう公開こうかいされ[26]水野みずの番組ばんぐみ出演しゅつえんした[34]

1972ねん1がつ10日とおか、15年間ねんかんにわたってそのしょくにあった五島ごしまプラネタリウムの学芸がくげい課長かちょう退任たいにんし、嘱託しょくたくとなる[6][26][30](72さい)。

1974ねん1がつ10日とおか五島ごしまプラネタリウムの現場げんばからはなれる[6][26][30](74さい)。その同館どうかん評議ひょうぎいん学芸がくげい委員いいんほしかい委員いいんつとめた[6][26]

1977ねん4がつ和泉いずみ短期大学たんきだいがく教授きょうじゅ就任しゅうにん(77さい[3]

1977ねん11月2にち昭和しょうわ天皇てんのう臨席りんせきのもとおこなわれた国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん開館かいかん100周年しゅうねん記念きねん式典しきてんにおいて、天文学てんもんがく普及ふきゅう講演こうえんかい当初とうしょ天文学てんもんがく普及ふきゅう講座こうざ)の最多さいた登壇とうだんしゃとして表彰ひょうしょうされた(78さい[19]

1978ねん8がつ22にち死去しきょ[1][3]。78さいぼつ

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

あかるく温厚おんこう性格せいかくであり[6][7][26][30][35]自身じしんのことをしばしば「あたま太陽たいようのごとく、かお満月まんげつのごとく、ほしのごとく、ほんにおまえはプラネタリウム」と表現ひょうげんしていた[2][21]。ほんとうにはなきで、風邪かぜをひいていてもはなしているうちになおってしまうとしょうしており、実際じっさいそのように見受みうけられたという[26][30]

信仰しんこうしんあつく、教育きょういくにも熱心ねっしんで、東京とうきょう天文台てんもんだい時代じだいには“本職ほんしょく教会きょうかい日曜にちよう学校がっこう教師きょうしであり、余技よぎとして天文台てんもんだいつとめている”としょうしていたという[21]東京とうきょう天文台てんもんだい敷地しきちないにあった官舎かんしゃすみ小屋こやて、幼稚園ようちえんをつくり、たいちょうから用務員ようむいんまですべての天文台てんもんだい職員しょくいんどもをけた[2][6][7]

東京とうきょう天文台てんもんだい在職ざいしょくむくいせんもんとして多数たすう論考ろんこう発表はっぴょうした[36]。そのころから一般いっぱんけに筆名ひつめいとしてもちいたのが「ひかりがわひさし」である[8]。「ひかりがわ」とはあまがわのことで、このひかりはいついつまでもひさしく、ということでづけたという[8]

天文てんもん一般いっぱんおおくの寄稿きこうおこない、著作ちょさくのこした[7][30][35]おな雑誌ざっし同一どういつごう本名ほんみょう筆名ひつめい両方りょうほう寄稿きこうすることもあった[9][10]浩宮ひろのみや今上きんじょう天皇てんのう)は、どものころ水野みずの著書ちょしょ小学生しょうがくせい百科ひゃっか ぼし神話しんわ星座せいざ神話しんわ伝説でんせつ』を愛読あいどく[37]ほしつよ関心かんしんっていた[† 6][37][40]。1963ねん発刊はっかんされた点字てんじ図書としょ宇宙うちゅうほしはなし』(日本にっぽん盲人もうじんキリスト教きりすときょう伝道でんどう協議きょうぎかい)は底本ていほんが『ベツレヘムのほし』(1959)であり[41]、2019ねん時点じてんでも入手にゅうしゅ可能かのうである[42]

一般いっぱんけの講演こうえんおおく、なかでも国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん天文学てんもんがく普及ふきゅう講演こうえんかい当初とうしょ天文学てんもんがく普及ふきゅう講座こうざ)への登壇とうだんは、1946ねん4がつ20日はつかだい1かいからはじまり、1977ねんまつまでの372かいのうちじつに180かい以上いじょうにわたった[19]水野みずの最多さいた登壇とうだんしゃとして1977ねん11月2にちおこなわれた同館どうかん開館かいかん100周年しゅうねん記念きねん式典しきてんにおいて表彰ひょうしょうされた[19]

東京とうきょう天文台てんもんだいに27年間ねんかん在籍ざいせきしたのち、ほう課長かちょうしょくして、新設しんせつされたキリスト教きりすときょうけい横須賀学院よこすかがくいん奉職ほうしょく[6][20]。その6ねん天文てんもん博物館はくぶつかん五島ごしまプラネタリウムの責任せきにんしゃとして白羽しらはった[6][21][26]要請ようせいけた水野みずの設立せつりつ準備じゅんび尽力じんりょくし、1952ねん開館かいかん学芸がくげい課長かちょうを14年間ねんかんつとめた[6]。そのも2年間ねんかん嘱託しょくたくて、1978ねん死去しきょするまで評議ひょうぎいん[21][26][43]学芸がくげい委員いいん[21][43]ほしかい委員いいん[21][26][43]つとめた。

死去しきょ翌年よくねん直弟子じきでし河原かわはら郁夫いくお神奈川かながわ県立けんりつ青少年せいしょうねんセンター天文てんもん課長かちょう日本にっぽんプラネタリウム研究けんきゅうかい会長かいちょう)は、日本にっぽんのプラネタリウム関係かんけいしゃ水野みずの影響えいきょう間接かんせつてきにでもけていないひとはいないとしるしている[21]

五島ごしまプラネタリウム開館かいかん当初とうしょは、毎月まいつきのテーマに沿って水野みずの解説かいせつ概要がいよう作成さくせいし、それをもとにくさ英明えいめい大谷おおや豊和とよかず小林こばやし悦子えつこ河原かわはら郁夫いくお投影とうえいのぞんだという[31][44]後進こうしん指導しどうするさい口癖くちぐせとして「なにをするにもまずそのじんがいなければならないという存在そんざいになる必要ひつようがある。しかし、やがては、そのじんがいなくてもやっていけるようにしていかなければならない」というものがある[21]

ふつうはアマチュアからプロになるものだが、ぎゃくにプロからアマになった、とよくかたっていた[30]。プラネタリウム解説かいせつでも、最初さいしょ星座せいざ神話しんわについてはかたっていなかったのが、晩年ばんねん解説かいせつしゃよりもおおかたっていたという[30]

野尻のじり抱影ほうえいによれば、ラスアルハゲ(へびつかいアルファぼし)を最初さいしょに“禿あたま”と解説かいせつしたのは水野みずのであり、野尻のじりは「名訳めいやく」だとしている[45]

五島ごしまプラネタリウムの初代しょだい解説かいせついんで、2021ねんに90さい死去しきょする前日ぜんじつまで64年間ねんかんにわたってほぼ途切とぎれることなくプラネタリウム解説かいせつたずさわった河原かわはら郁夫いくおは、水野みずの愛弟子まなでしである。横須賀よこすか在住ざいじゅうしていた河原かわはらは、15さいのときに天文てんもん月報げっぽうっただい1かい天文学てんもんがく普及ふきゅう講座こうざ東京とうきょう科学かがく博物館はくぶつかん)を聴講ちょうこうして以降いこうなん水野みずの謦咳けいがいせっしていた[21]水野みずの横須賀学院よこすかがくいん奉職ほうしょくしたことをった河原かわはらは、さっそく水野みずののもとをたずね、交流こうりゅうはじまった[21]河原かわはら水野みずの卒業そつぎょうした東京理科大学とうきょうりかだいがくすす[21]水野みずの設立せつりつにかかわった横須賀よこすか小川おがわまち教会きょうかい受洗じゅせん[4][21]水野みずの会長かいちょうにいただく横須賀よこすか天文てんもん協会きょうかい会報かいほう編集へんしゅう従事じゅうじ[21]水野みずの在職ざいしょくしていた横須賀学院よこすかがくいん教員きょういんとなり[2][44]五島ごしまプラネタリウムの設立せつりつ準備じゅんび段階だんかいから水野みずのつか[31]結婚けっこんには水野みずの仲人なこうどつとめた[31]水野みずの河原かわはらについて「まったく、わたしとは兄弟きょうだい親子おやこ関係かんけい」であるとしるしている[2]水野みずの河原かわはらがともに五島ごしまプラネタリウムに在籍ざいせきしていた1957ねん11月に水野みずの出版しゅっぱんした『最新さいしん天体てんたい写真しゃしんしゅう』は、ほとんど河原かわら著書ちょしょっても過言かごんではないという[† 7][2]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • ひかりがわひさし『宇宙うちゅう旅行りょこうぼくらの科學かがく文庫ぶんこまことぶんどう新光しんこうしゃ、1940)
  • 宇宙うちゅう旅行りょこう(うえ) 太陽系たいようけいまき子供こども科学かがく文庫ぶんこまことぶんどう新光しんこうしゃ、1948)
  • 宇宙うちゅう旅行りょこう(した) だい宇宙うちゅうまき子供こども科学かがく文庫ぶんこまことぶんどう新光しんこうしゃ、1948)
  • 最新さいしん天体てんたい写真しゃしんしゅう』(法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく、1957)
  • 『プラネタリウムのはなし 四季しき星座せいざたのしい理科りか教室きょうしつ恒星こうせいしゃ厚生こうせいかく、1957)
  • ほし伝説でんせつ』(児童じどう百科ひゃっか)(偕成社かいせいしゃ、1958)
  • こよみ・プラネタリウム』 (天文てんもん気象きしょう図鑑ずかん)(ポプラ社ぽぷらしゃ、1958)
  • 『ベツレヘムのほし 四季しき星座せいざほしはなし』(キリストきょう少年しょうねん文庫ぶんこ)(新教しんきょう出版しゅっぱんしゃ、1959)
  • 点字てんじ図書としょ 宇宙うちゅうほしはなし[42]日本にっぽん盲人もうじんキリスト教きりすときょう伝道でんどう協議きょうぎかい、1963) ※底本ていほんは『ベツレヘムのほし』(1959)[41]
  • ほし神話しんわ 星座せいざ神話しんわ伝説でんせつ小学生しょうがくせい百科ひゃっか偕成社かいせいしゃ、1967) ※『ほし伝説でんせつ改題かいだい[2]
  • 宇宙うちゅうなぞ』(大陸たいりく書房しょぼう、1969)
  • ほしとともに』(私家版しかばん、1969)
  • 『うずまく宇宙うちゅう』 (せいすすむしゃ文庫ぶんこ、1972)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

註釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1939ねん4がつごうから1940ねん3がつごうまで。
  2. ^ 戦後せんご筆名ひつめい投稿とうこうすることがあった[9][10]
  3. ^ 天文てんもん月報げっぽう1978ねん12月の「水野みずの良平りょうへい略歴りゃくれき[3]には「1947ねん7がつ6にち」とあるが、記述きじゅつ齟齬そごがある。
  4. ^ 横浜国立大学よこはまこくりつだいがく在学ざいがく指導しどう教官きょうかん神田かんだしげる日本にっぽん流星りゅうせい研究けんきゅうかいふく会長かいちょうを1969ねんから1981ねんまでつとめた[25]
  5. ^ 鏑木かぶらきとは東京とうきょう天文台てんもんだい時代じだいつくえならべており、鏑木かぶらき結婚けっこんして東京とうきょう大学だいがく天文学てんもんがく教室きょうしつ転出てんしゅつするまでの5ねんほどは官舎かんしゃとなり家族かぞくぐるみの交流こうりゅうがあった[6]
  6. ^ 小学校しょうがっこう高学年こうがくねんのころからニュートンしき反射はんしゃ望遠鏡ぼうえんきょう愛用あいようする長年ながねん天文てんもんファンであり[38]、2018ねん[39]と2022ねん[38]皆既かいき月蝕げっしょくさいにもみずからカメラで撮影さつえいした写真しゃしん公開こうかいされている。
  7. ^ 本書ほんしょのあとがきには「河原かわはら郁夫いくおくん多大ただい力添ちからぞえをしてくださった」とある。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 訃報ふほう」『天文てんもん月報げっぽうだい71かんだい10ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1978ねん10がつ、281ぺーじ 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 水野みずの良平りょうへいほしとともに」、私家版しかばん、1969ねん 
  3. ^ a b c d e f g 水野みずの良平りょうへい略歴りゃくれき」『天文てんもん月報げっぽうだい71かんだい12ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1978ねん12月、320ぺーじ 
  4. ^ a b c ひとひと 水野みずの良平りょうへい河原かわはら郁夫いくお」『月刊げっかんキリスト』だい18かんだい8ごうきょうぶんかん、1966ねん8がつ 
  5. ^ 歴史れきし”. 国立こくりつ天文台てんもんだい. 2023ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d e f g h i j k 鏑木かぶらきまさし岐「水野みずの良平りょうへいさんをしのんで」『天文てんもん月報げっぽうだい71かんだい12ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1978ねん12月、320ぺーじ 
  7. ^ a b c d とら正久まさひさ東京とうきょう天文台てんもんだい時代じだい水野みずの良平りょうへい」『天文てんもん月報げっぽうだい71かんだい12ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1978ねん12月、321-322ぺーじ 
  8. ^ a b c d 小川おがわ誠治せいじ天界てんかい編集へんしゅう評価ひょうか一変いっぺんさせた、ひかりがわひさしちょ宇宙うちゅう旅行りょこう」『天界てんかいだい101かん東亜とうあ天文てんもん学会がっかい、2020ねん3がつ、79-81ぺーじ 
  9. ^ a b ひかりがわひさし、増田ますだひろし天文てんもん気象きしょう教室きょうしつ」『天文てんもん気象きしょう』、じんしょかん、1962ねん4がつ、19ぺーじ 
  10. ^ a b ひかりがわひさし「ほしまでの距離きょりはかかた」『天文てんもん気象きしょう』、じんしょかん、1964ねん5がつ、47ぺーじ 
  11. ^ 本会ほんかい記事きじ」『天文てんもん月報げっぽうだい32かんだい6ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1939ねん6がつ、110ぺーじ 
  12. ^ 本会ほんかい記事きじ」『天文てんもん月報げっぽうだい33かんだい6ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1940ねん6がつ、93ぺーじ 
  13. ^ 本会ほんかい記事きじ」『天文てんもん月報げっぽうだい34かんだい6ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1941ねん6がつ、111ぺーじ 
  14. ^ 本会ほんかい記事きじ」『天文てんもん月報げっぽうだい35かんだい6ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1942ねん6がつ、76ぺーじ 
  15. ^ 本会ほんかい記事きじ」『天文てんもん月報げっぽうだい36かんだい6ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1943ねん6がつ、72-73ぺーじ 
  16. ^ 本会ほんかい記事きじ」『天文てんもん月報げっぽうだい37かんだい5ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1944ねん5がつ、41-42ぺーじ 
  17. ^ 本会ほんかい記事きじ」『天文てんもん月報げっぽうだい41かんだい6ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1948ねん6がつ、30ぺーじ 
  18. ^ 公告こうこく」『天文てんもん月報げっぽうだい37かん9-12ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1944ねん10がつ公告こうこく豫告よこく 
  19. ^ a b c d 村山むらやま定男さだお開館かいかん100ねんむかえた国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん」『天文てんもん月報げっぽうだい71かんだい4ごう日本にっぽん天文てんもん学会がっかい、1978ねん4がつ、111ぺーじ 
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  41. ^ a b 小川おがわ誠治せいじ視覚しかく障害しょうがいしゃのための『宇宙うちゅうほしはなし』」『渋谷しぶやばんほし』、渋谷しぶやぼしかい、2008ねん8がつ、46-47ぺーじ 
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