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えいとおる

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えいとおる』(えいきょうき)は、室町むろまち時代ときよえいとおるらん結城ゆうき合戦かっせんからその東国とうごく情勢じょうせいえがいた軍記ぐんきぶつ内容ないようしょ史料しりょう比較ひかくしても正確せいかく信頼しんらいせいたかいとされ、現在げんざいまでおおくの歴史れきしがく研究けんきゅう利用りようされている。

概要がいよう

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成立せいりつ年代ねんだい作者さくしゃともに不明ふめいだが、えいとおるらん結城ゆうき合戦かっせんしょ軍記ぐんきすべて『鎌倉かまくら持氏もちうじ』が源流げんりゅうにあることがあきらかにされており、『えいとおる』も該当がいとう部分ぶぶんは『鎌倉かまくら持氏もちうじ』をリライトしたものとされる。軍記ぐんきぶつとしては文学ぶんがくてき潤色じゅんしょくすくなく全体ぜんたい公平こうへい立場たちばから実録じつろくてきかれているが、して関東かんとう管領かんりょう上杉うえすぎ憲実のりざね忠臣ちゅうしんとして賛美さんびする傾向けいこうがある。

また『えいとおる』とほぼどう内容ないよう軍記ぐんきに『結城ゆうき戦場せんじょう』があり、つてほんのひとつともひょうされている。『えいとおる』と『結城ゆうき戦場せんじょう』を比較ひかくすると、『結城ゆうき戦場せんじょう』のほうがよりははほんちか善本ぜんぽんとされるが、りょうあいだ関係かんけいかならずしも確立かくりつしておらず「えいとおる結城ゆうき戦場せんじょう)」といったかたちりょう併記へいきすることもある。『えいとおる』『結城ゆうき戦場せんじょう』ともにつてほんおおくは足利あしかが系譜けいふはじめにしるし、えいとおるらん結城ゆうき合戦かっせん顛末てんまつ鎌倉かまくら再興さいこうちょうとおるらん山内やまうち扇谷おうぎや上杉うえすぎたたかった高見原たかみはら合戦かっせん北条早雲ほうじょうそううん登場とうじょうまでで構成こうせいされているが、本来ほんらいかたちは「古河ふるかわしろごと」までのぜん15しょうで「太田おおた道灌どうかんごと以下いかは『太田おおた道灌どうかん』をもとにから挿入そうにゅうされた可能かのうせい指摘してきされている[1]

所収しょしゅう項目こうもく一覧いちらん

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  • 1 足利あしかがりゃく系図けいず鎌倉かまくら公方くぼうりゃく系図けいず
  • 2 公方くぼう管領かんりょう不和ふわこと
  • 3 三浦みうらかい逆心ぎゃくしんこと
  • 4 はこはや川尻かわじり合戦かっせんこと
  • 5 持氏もちうじ鎌倉かまくらかえりきゅうごとつけ鎌倉かまくら合戦かっせんごと
  • 6 持氏もちうじ出家しゅっけ并憲じき以下いか自害じがいこと
  • 7 持氏もちうじ満貞みつさだ最期さいごこと
  • 8 憲実のりざね出家しゅっけこと
  • 9 結城ゆうき籠城ろうじょうごと
  • 10 村岡むらおか合戦かっせんごと
  • 11 結城ゆうき落城らくじょうこと
  • 12 しげること
  • 13 堀越ほりこし御所ごしょ下向げこうこと
  • 14 京都きょうとぐんこと
  • 15 古河ふるかわじょうこと
  • 16 太田おおた道灌どうかんこと
  • 17 太田おおた最期さいごこと
  • 18 山内やまうち扇谷おうぎや不和ふわこと
  • 19 高見原たかみはら合戦かっせんこと
  • 20 くも蜂起ほうきこと

下記かき参考さんこう文献ぶんけんの3、349 - 431ぺーじによる。)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 国学こくがくしゃはなわただしたからという人物じんぶつ指摘してきである。→下記かき参考さんこう文献ぶんけんの2、大野おおのやすしくに 「えいとおる」、138ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. 梶原かじはらただしあきら室町むろまち戦国せんごく軍記ぐんき展望てんぼう和泉いずみ書院しょいん、2000ねん
  2. 日本にっぽん歴史れきししょ120せん』〈歴史れきしたび臨時りんじ増刊ぞうかんだい20かんだい12ごう〉、秋田あきた書店しょてん1993ねん
  3. 黒川くろかわ眞道まみち小瀧こたき あつし こう 『日本にっぽん歴史れきし文庫ぶんこだい6さつ』〈梅松うめまつろん明徳めいとくおうながえいとおる〉、あつまりぶんかん、1911ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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