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軍記物語ぐんきものがたり

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軍記物語ぐんきものがたり(ぐんきものがたり)とは、鎌倉かまくら時代ときよから室町むろまち時代ときよにかけてかれた歴史れきしうえ合戦かっせん題材だいざいとした文芸ぶんげいのこと。実際じっさい史実しじつもとにしているが、説話せつわてき題材だいざい虚構きょこうまじえられていることもある。かたもの題材だいざいにもされ、『平家ひらか物語ものがたり』は琵琶びわ法師ほうしによってひろつたえられた。軍記ぐんきぶつ戦記せんき物語ものがたりともいう。合戦かっせんなどの歴史れきしじょう背景はいけいさぐ史料しりょうともなる。

歴史れきし作品さくひん[編集へんしゅう]

将門まさかど』は平将門たいらのまさかどの、伯父おじ平国香たいらのくにかみなもとまもるらとのあらそい(935ねんうけたまわひらた5ねん))から死去しきょまでを、合戦かっせん記録きろくとしての年代ねんだい記述きじゅつしながら、表情ひょうじょうゆたかな文体ぶんたいによって『たけ物語ものがたり』などの系譜けいふ物語ものがたりとしての構成こうせいそなえ、英雄えいゆうてき人物じんぶつぞうえが軍記物語ぐんきものがたり先駆さきがてき存在そんざいとなった。藤原ふじわらじゅんともらん題材だいざいとした『じゅんとも追討ついとう』につづいて、1051〜62ねんぜんきゅうねんやくについての『陸奥みちのくはなし』ではらん鎮定ちんてい記録きろくくわえて口承こうしょう説話せつわれて、軍記物語ぐんきものがたり性質せいしつ原型げんけいとなった。『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』でもまきだいじゅう合戦かっせん武家ぶけにかかわる説話せつわあつめており、合戦かっせん情景じょうけい武家ぶけ人物じんぶつぞうえがすようになっている。

平家ひらか物語ものがたり絵巻えまき』(江戸えど時代じだい)にえがかれた源平げんぺいたたかい(屋島やしまたたか

もと物語ものがたり』、『平治へいじ物語ものがたり』では、源為朝みなもとのためともみなもと義平よしひら英雄えいゆうてき人物じんぶつぞうとしてえがきながら、貴族きぞく政治せいじなかでの武家ぶけ位置付いちづけの歴史れきしてき変転へんてん表現ひょうげんするものとなっている。『平家ひらか物語ものがたり』はこういった作品さくひん性格せいかくいで、また序章じょしょうの「祇園ぎおん精舎しょうじゃかねこえ 諸行無常しょぎょうむじょうひびきあり」以下いか代表だいひょうされる詩的してき表現ひょうげん物語ものがたりささえる理念りねんにより、英雄えいゆう叙事詩じょじしてき性格せいかくすぐれた中世ちゅうせい文学ぶんがくとなった。そして琵琶びわ法師ほうしによるかたりでひろ全国ぜんこくつたえられ、同時どうじおおくの異本いほんみ、作品さくひん自体じたいがさらに成長せいちょうしていくことにもなった。つづ時代じだいの『うけたまわひさ』は、『もと物語ものがたり』『平治へいじ物語ものがたり』『平家ひらか物語ものがたり』とともに「よん合戦かっせんじょう」とされる(『平家ひらかかんぶんろく』)。

室町むろまち時代ときよ成立せいりつした『太平たいへい』はすうじゅうねんにわたる南北なんぼくあさ争乱そうらん時代じだいえがき、40かんになる大部たいぶ作品さくひんになっている。『平家ひらか物語ものがたり』のしょ要素ようそぎながら、楠木くすのき正成まさしげ代表だいひょうされる武家ぶけ社会しゃかいらしい儒教じゅきょうてき価値かちかんふくみ、また次々つぎつぎ支配しはいしゃわる下克上げこくじょう社会しゃかい様相ようそううつしている。おな室町むろまち初期しょきの『曽我そが物語ものがたり』『義経よしつね』は、軍記物語ぐんきものがたりてき構成こうせいちながら、むしろ登場とうじょう人物じんぶつたち個人こじん運命うんめい悲劇ひげきせい焦点しょうてんてられ、独自どくじ文学ぶんがくせい展開てんかいした。

忠臣ちゅうしんのモデルとされた楠木くすのき正成まさしげぞう皇居外苑こうきょがいえん

太平たいへい以降いこう後期こうき軍記物語ぐんきものがたりばれるものとして、それぞれの年代ねんだい事件じけんしるした『明徳めいとく』『おうなが』『えいとおる』『嘉吉よしきち』『応仁おうにん』、地方ちほうでのらんについての『大塔おおとう物語ものがたり』『関東かんとう合戦かっせん』『備中びっちゅう兵乱へいらん』『こししゅう軍記ぐんき』『中国ちゅうごく治乱ちらん』『結城ゆうき戦場せんじょう物語ものがたり』『国府台こうのだい戦記せんき』『ふね岡山おかやま戦記せんき』『河中かわなかとう過度かど合戦かっせん』『笹子ささご草子ぞうし』『中尾なかお草子ぞうし』、特定とくていいえ武将ぶしょうについての『北条ほうじょう』『赤松あかまつ』『今川いまがわ』『嶋津しまづ』『宗像むなかた軍記ぐんき』『大内おおうち義隆よしたか』『謙信けんしん軍記ぐんき』『佐久間さくま軍記ぐんき』『信長のぶなが』など、多数たすうつくられている。

かたもの軍記物語ぐんきものがたり[編集へんしゅう]

将門まさかど』は唱導しょうどうそうらによってつたえられた民間みんかん伝承でんしょうもとにされており、また平安へいあん中期ちゅうきから琵琶びわ法師ほうしによる民間みんかん伝承でんしょう説話せつわなどのかたりがおこなわれていたが、鎌倉かまくら時代じだい以降いこうは『もと』『平治へいじ』『平家へいけ』の物語ものがたりかたりのおも題材だいざいとするようになった。とくに『平家ひらか物語ものがたり』はおおくの法師ほうしによって日本にっぽん全国ぜんこくひろかたられ、その過程かていおおくの異本いほんみ、ほんとしての『源平げんぺい盛衰せいすい』『義経よしつね』などもそれにあたる。

平家ひらか物語ものがたり』のひろまりにつれ、琵琶びわ法師ほうし室町むろまち時代じだい初期しょきにはとうみち結成けっせいし、15世紀せいき中頃なかごろには洛中らくちゅうに5、600にん在住ざいじゅうするほどに興隆こうりゅうした(『あおやまろく』)。『太平たいへい』でも成立せいりつ過程かていには物語ものがたりそう談義だんぎそう)のかかわりがあり、これらの物語ものがたり管理かんりには法師ほうしや、どきしゅ遊行ゆぎょう上人しょうにん芸能げいのうみんかかわっていた。

代表だいひょうさく一覧いちらん[編集へんしゅう]

芸能げいのう軍記ぐんき

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]