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瀬戸町堂浦(せとちょうどうのうら)は、徳島県鳴門市の大字。郵便番号は771-0361。
鳴門市の北東部に位置する。字阿波井は島田島内になる。讃岐山脈東部と島田島の南西端にあたり、小鳴門海峡に面する。古くは結城ケ浦とも称した。瀬戸町地区の中心的な集落。
西を日出湾、東を小鳴門海峡・ウチノ海に面する本土側の区域と島田島の南西端の区域からなる。大部分を占める本土側区域は、北は瀬戸町北泊に、南は瀬戸町明神に接する。古くから漁業の村として知られている。
日出湾を徳島県道183号亀浦港櫛木線(一部は鳴門スカイライン)を通じ、東岸を徳島県道182号瀬戸港線が通る。県道183号線は瀬戸町大島田―瀬戸町中島田―瀬戸町小島田を経て地内西部に通じている。
阿波井神社は、字阿波井にある氏神で、天太玉命・大宜都姫命を祭神とし、徳島県下の神社の中でもその祭事は民俗学的に重視されている。
- 阿波井
- 浦代
- 大日出
- 地廻り壱
- 地廻り参
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- 地廻り弐
- 日出
- 本浦上
- 本浦下
- 本浦中
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江戸期から明治22年にかけては板東郡および板野郡の村であった。寛文4年より板野郡に属す。明治22年に同郡瀬戸村、昭和3年に瀬戸町の大字となった。昭和22年3月には鳴南市、同年5月より現在の鳴門市の字名となる。
江戸時代初期、釣り糸にテグス(天蚕糸)を利用し始めた漁師がいる。(→釣り糸)
江戸時代の堂浦の漁師はテグスの導入もあってか、一本釣りの技術に非常に秀でており、他国の漁師にもその技術を教えていたことがあった。[4]
世帯数と人口[編集]
2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
- 都道府県道
- 徳島バス
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| 撫養地区 | |
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里浦地区 | |
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大津地区 | |
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鳴門地区 | |
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瀬戸地区 | |
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北灘地区 | |
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板東地区 | |
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堀江地区 | |
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