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プラウ

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すきから転送てんそう
プラウによる伝統でんとうてき馬耕ばこう
トラクターようのリバーシブル・プラウ

プラウえい: ploughplow)とは、たねまきやなえけにそなえて最初さいしょ土壌どじょうこうおこりする農具のうぐであり、トラクター作業さぎょうである。和訳わやくではすきすき(りじょ、すき)。

概要がいよう

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これは歴史れきし記録きろくされるなかでもっと基本きほんてき道具どうぐであり、農業のうぎょう技術ぎじゅつ進歩しんぽにおいて代表だいひょうてきなものである。プラウこうだいいち目的もくてきは、土壌どじょう反転はんてんさせて新鮮しんせん養分ようぶん地表ちひょうへとはこび、作物さくもつざん渣や雑草ざっそうなどを土中どちゅうんで腐食ふしょくさせることである。それは、土壌どじょう空気くうきさらして、より水分すいぶんたもちやすい状態じょうたいにすることでもある。現代げんだいにおいては、プラウでこうおこされて乾燥かんそうした圃場ほじょうをさらにディスク・ハローやバーチカル・ハローで砕土してから播種はしゅおこなう。

プラウは最初さいしょ人間にんげんあつかっていた。のち動物どうぶつ使つかわれた。うしかれていたが、のちおおくの地域ちいきうまによってかれた。工業こうぎょうこくにおいてプラウを手段しゅだん機械きかいは、最初さいしょ蒸気じょうき機関きかんであったが、これは徐々じょじょ内燃ないねん機関きかんトラクターにとってわられた。

過去かこ20年間ねんかんあいだ土壌どじょう流出りゅうしゅつ問題もんだいがある地域ちいきでプラウの使用しよう減少げんしょうし、よりあさこうおこりほうやより環境かんきょうへの影響えいきょうすくないこうおこりほうわってきた。

プラウは海底かいていケーブル敷設ふせつや、サイドスキャンソナー石油せきゆ探査たんさおこな場合ばあいなどにうみなか使つかわれることもある。日本にっぽんでは宍道湖しんじこ横断おうだんして湖底こてい水道すいどうかん敷設ふせつするために、牽引けんいんしき巨大きょだいなプラウが使つかわれたことがある[1]

プラウの歴史れきし

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古代こだいエジプトのプラウ,紀元前きげんぜん1200ねんごろ
家畜かちくされた水牛すいぎゅうによる水田すいでんのプラウたがやせ,インドネシア中部ちゅうぶジャワしゅうサラティガ近郊きんこうにて,1997ねん

プラウ登場とうじょう以前いぜん

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最初さいしょ農業のうぎょうおこなわれたとき、ナイルがわ沿岸えんがんのようにとしいち洪水こうずい肥沃ひよく土壌どじょうはこんできた地域ちいきでは、たねをまくみぞつくるために携帯けいたいできるような簡単かんたんぼう(digging sticks)やくわ(くわ)が使つかわれた。しかし、それほど肥沃ひよくでない地域ちいき作物さくもつつくるためには定期ていきてき土壌どじょう反転はんてんさせて養分ようぶん地表ちひょうげなければならなかった。

スクラッチ・プラウ

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おそらく紀元前きげんぜん6世紀せいき初頭しょとう、インダス文明ぶんめいおな時期じきのメソポタミアではうし家畜かちくすすんでおり、プラウを開発かいはつするのに必要ひつよう牽引けんいんりょく人類じんるいにもたらした。もっと初期しょきのプラウはフレームに保持ほじされた垂直すいちょくぼうで、きずって表土ひょうどくように使つかわれ、世界せかいおおくの地域ちいきいまだに使つかわれている。これは、プラウがとおった土壌どじょう表面ひょうめんくだき、そこに作物さくもつえること出来できた。

このタイプのプラウでは、どうしてもたがやされずにのこれつ出来できるので、しばしばよこ方向ほうこうからもたがやされた。そのことによって、はたけ四角形しかっけいかたちになっていった。きたヨーロッパの考古学こうこがくでは、このようなほぼ四角形しかっけいはたけは「ケルトじんはたけ(Celtic fields)」とばれる。

クルックド・プラウ

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ギリシャじんは、そのとお切断せつだんめん前方ぜんぽうがっているクルックド・プラウ(Crooked plough)でプラウの構造こうぞう進化しんかさせたようだ。プラウの切断せつだんめんはしばしば青銅せいどうで、のちにはてつおおわれていた。金属きんぞく高価こうかであったので、せんはじまればそれをかしてなおして兵器へいきつくえ、平和へいわになればまたそれをもともどした。

このことはおそらく、聖書せいしょられる「なんじかたなをプラウ・シェアになおした(en:swords_to_ploughshares)」という文章ぶんしょうもとになったとおもわれる。

モールドボード・プラウ

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家畜かちくによるプラウこう。16世紀せいき初頭しょとう中世ちゅうせい英語えいご"God Spede ye Plough"の写本しゃほんいろどりかざりだいえい博物館はくぶつかん所蔵しょぞう
カーブしたモールドボードをそなえた中国ちゅうごく鉄製てつせいプラウ、1637ねん
プラウ

モールドボード・プラウは、ボトム・プラウ(Bottom plow)とばれることもあるが、これらはおな意味いみである。れんのプラウにおいて、ひとつひとつのプラウをボトム、それらがわされた作業さぎょう全体ぜんたいをプラウとぶことがある。

プラウの設計せっけいにおけるおおきな進歩しんぽは、カッティング・ブレードに補助ほじょされ、モールドボードをつプラウだった。

コールター、あるいはナイフがシェア(またはフロッグ)のすぐまえ地面じめん垂直すいちょく切断せつだんする役割やくわりち、フレームにささえられたランドサイドとモールドボードの前面ぜんめんおよ下面かめんがなすクサビがた地面じめんなか作用さようする部分ぶぶんである。前方ぜんぽうからうまなどの牽引けんいんりょくつたえる上部じょうぶのフレームには、コールター、およびランドサイドのフレームがけられている。それぞれのプラウのサイズと、いちなんれつこうおこりおこなうように設計せっけいされているかによって、ひとつか、またはそれ以上いじょう車輪しゃりんによってフレームがささえられている。1れんのプラウの場合ばあいには、農夫のうふがその進行しんこう方向ほうこう操作そうさできるように、前方ぜんぽうにひとつの車輪しゃりんと、後方こうほうにハンドルがそなえられている。

まず、コールタが圃場ほじょうきずられながら土壌どじょう垂直すいちょく切断せつだんし、その垂直すいちょく切断せつだんしたのちをシェアがつづいて水平すいへい切断せつだんする。この四角しかく切断せつだんされた土壌どじょうは、シェアによってげられてからモールドボードにはこばれてさらにげられる。プラウが前進ぜんしんするあいだ土壌どじょう連続れんぞくして切断せつだんされつづけて、さきとおったとき出来できみぞ上下じょうげがひっくりかえるようなかたち放出ほうしゅつされる。土壌どじょうげられ(通常つうじょうみぎに)うごかされたのち出来でき地面じめんみぞは、れきみぞばれる。げられたれきは、まえ工程こうていつくられたれきじょうやく45角度かくどでもたれかかるようにせられる。

このように、連続れんぞくしてこうおこりすすめると、れき一部いちぶはれきみぞち、一部いちぶすでこうおこされたれきじょうかぶせられる。このれつてみると、進行しんこう方向ほうこう左側ひだりがわにはまだこうおこされていない圃場ほじょうひろがり、れきみぞ(うごかしたれきじょうのおよそ半分はんぶんはば)、いましがた反転はんてんしたれきじょうまえ反転はんてんされたれきじょうにおよそ半分はんぶんほどこうむるようにもたれかかり、そしてさらにそのこうの圃場ほじょうえる。それぞれのれつみぞふるいしわを連想れんそうさせる。

モールドボード・プラウは、圃場ほじょう準備じゅんびにかかる時間じかん大幅おおはば短縮たんしゅくし、結果けっかとして農家のうかはよりひろ範囲はんい耕作こうさくすることが可能かのうとなった。さらに、こうおこされた土壌どじょうつくるれきそこ(モールドボードのした)とたかうね形状けいじょう水路すいろ形成けいせいし、土壌どじょう乾燥かんそう促進そくしんする。積雪せきせつ問題もんだいになる地域ちいきでは、雪解ゆきどすい迅速じんそく排水はいすいされ、よりはや播種はしゅ作業さぎょうにとりかかることが出来できる。

モールドボード・プラウ:5つの主要しゅよう部品ぶひん

  1. モールドボード(Mouldboard,ばちいた)
  2. シェア(Share,ばん)
  3. ランドサイド(Landside,側板そくばん)
  4. フロッグ(Frog,結合けつごうばん)
  5. ヒール(Tailpiece,かかと)
こうおこされた れき名称めいしょう

こうおこされた れき名称めいしょう

番号ばんごうみぎ挿絵さしえばん対応たいおうする[2]
  1. こうおこりまえ圃場ほじょう
  2. おか
  3. れきじょう
  4. ナイフ、またはコールタが切断せつだんするめん
  5. シェアが切断せつだんするめん
  6. れきみぞかべ
  7. れきそこ
  8. れきみぞ

シェアからプラウの後部こうぶひろがるランナーは、プラウの方向ほうこう制御せいぎょする。なぜならそれは、ランドサイドのしたかく支持しじしてあたらしいれきみぞ形成けいせいするためで、それがさえけられるちからはれき重量じゅうりょうや、モールドボードの曲面きょくめん沿って反転はんてんさせられるちから匹敵ひってきする。

このランナーがあるために、モールドボードプラウはスクラッチ・プラウよりも方向ほうこうがたい。そのため、ほとんどの正方形せいほうけい圃場ほじょうが、よりなが長方形ちょうほうけい圃場ほじょう(ストライプ(strips)とばれる)へとかたち変化へんかこした。そしてハロンという距離きょり単位たんいへとつづく。

基本きほんてき設計せっけい進歩しんぽはプラウ・シェアで、モールドボード先端せんたん水平すいへい切断せつだんめん交換こうかん可能かのうとなった。

ヘビー・プラウ

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基本きほんてきなモールドボード・プラウにおいて、こうおこりするふかさはれきみぞなかでのランナーのがりで調整ちょうせいされ、そのふかさは、農夫のうふがプラウを容易よういげられる程度ていどおもさに制限せいげんされる。この制約せいやくにより、プラウの構造こうぞうは、金属きんぞくせいのプラウ・シェア以外いがい少量しょうりょう木材もくざい製作せいさくされた。このプラウはかなり脆弱ぜいじゃくで、きたヨーロッパのよりおも土壌どじょうたがやせおこりするのには適当てきとうであった。しかし、プラウの重量じゅうりょうささえるランナーにえて車輪しゃりん導入どうにゅうしたことにより、プラウの重量じゅうりょうがよりおもくなってもあつか出来できるようになり、はるかにおおきい金属きんぞくせいのモールドボードが使用しよう出来できるようになった。これらのヘビー・プラウは、西暦せいれき600ねんごろだい規模きぼ食糧しょくりょう増産ぞうさんとそれにともな人口じんこう増加ぞうか貢献こうけんした。

鉄製てつせいのヘビー・プラウにおいて、てつおおったものや、純粋じゅんすい鉄製てつせいのプラウは紀元前きげんぜん6世紀せいきにはすで中国ちゅうごく使つかわれていた。これらは世界せかい最初さいしょ鉄製てつせいのプラウであった[3]おおくの発明はつめいにもかかわらず、ローマじん車輪しゃりんいたヘビー・モールドボード・プラウを開発かいはつすることが出来できなかった。きたイタリアの文書ぶんしょによると、最初さいしょにローマじん使つかった記録きろくがあるのは643ねん以降いこうである[4]。スラブけんにおけるふる単語たんごにヘビー・プラウとその使用しよう示唆しさするものがあることから、これらの地域ちいきは、よりはや時期じきから使用しようされていたものとかんがえられている[5]。ヨーロッパでは、8世紀せいき後半こうはんから9世紀せいき前半ぜんはんきたヨーロッパにおける団地だんちごとの輪作りんさくおこな生産せいさんせい改善かいぜん手法しゅほうともない、モールドボード・プラウが一般いっぱんてき使つかわれるようになった[6]。フランスの中世ちゅうせい農業のうぎょう史家しかであるマルク・ブロックによる研究けんきゅうでは、「araireは車輪しゃりんく、はたけきずって横切よこぎらなければならなかったが、charrueは車輪しゃりんせられていた。」と2種類しゅるいことなったプラウの名称めいしょう存在そんざいしめした[7]

改良かいりょうされた設計せっけい

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コールター、プラウ・シェア、およびモールドボードをそなえた基本きほんてき構造こうぞうのプラウは、1000ねんあいだわたって使つかわれつづけた。設計せっけい飛躍ひやくてき進歩しんぽがあっても、17世紀せいき後半こうはんから18世紀せいきにかけての啓蒙けいもう時代じだいになるまで、ひろ一般いっぱん普及ふきゅうすることはかった。

モールドボードをそなえた中国ちゅうごくすきは17世紀せいきにオランダじん船員せんいんによってオランダにまれた。そしてそのころ、イギリスじんやとわれていたオランダじんがイギリス東部とうぶ沼地ぬまちと、サマセット地方ちほうムーア排水はいすいするために、かれらは中国ちゅうごくすきんだ。イギリスじんは、これらの中国ちゅうごくすきを「中国ちゅうごくのプラウ」とぶかわりに「バスタード・ダッチ・プラウ」とんだ。したがって、オランダじんとイギリスじんは、ヨーロッパではじめて、もっと効率こうりつてき中国ちゅうごくのプラウを体験たいけんしていたことになる。チャイニーズ・スタイルのプラウは、イギリスからスコットランドへと、オランダからアメリカとフランスへとひろめられた。[8]

イギリス、ロザラムのジョセフ・フールジャム(Joseph Foljambe)は1730ねんに、ロザラム・プラウ(Rotherham plough)の基本形きほんけいとしてこのあたらしいかたち採用さいようし、モールドボードはてつおおわれていた。ヘビー・プラウとはことなり、ロザラム(または、ロザラムのスイング)プラウには完全かんぜんなコールタ、モールドボード、およびハンドルがあった。それは従来じゅうらい設計せっけいよりはるかに軽量けいりょうで、イギリスで非常ひじょう人気にんきとなった。もしかすると、工場こうじょう量産りょうさんされた最初さいしょのプラウかもれない。

ジェームズ・スモール(James Small)はさら設計せっけい向上こうじょうさせた。かれ数学すうがくてき手法しゅほう使つかい、1へんてつから鋳鉄ちゅうてついたるまで様々さまざま設計せっけい実験じっけんかえしスコットランド・プラウとばれた。また、一体いったいがた鋳鉄ちゅうてつせいプラウは、アメリカでチャールズ・ニューボールド(Charles Newbold)によって開発かいはつされ、特許とっきょ取得しゅとくした。これはニューヨーク、スキピオの鍛冶たんや職人しょくにんジェスロ・ウッド(Jethro Wood)によってふたた改良かいりょうされ、スコットランド・プラウを3つの部品ぶひん分割ぶんかつし、こわれた部品ぶひんだけを交換こうかん出来できるようにした。

1837ねんに、ジョン・ディア(John Deer)は、最初さいしょ鋼鉄こうてつせいプラウを発表はっぴょうした。 アメリカの、以前いぜんには農耕のうこうには適当てきとうであるとかんがえられていた地域ちいき農地のうちたがやすことが出来できるようになったのは、このプラウが鉄製てつせいのものよりもはるかに強靭きょうじんだったためである。その改良かいりょう方向ほうこうせい冶金やきんによる材質ざいしつ改善かいぜんかった。鋼鉄こうてつせいのコールタとシェアと、よりやわらかい鉄製てつせいのモールドボードのわせは破損はそんふせぎ、焼入やきい処理しょりおこなって表面ひょうめん硬化こうか処理しょりほどこした鋼鉄こうてつせいプラウ、そしてついにはコールタを不要ふようにするほど強靭きょうじんなモールドボードに成長せいちょうした。

日本にっぽんにおける普及ふきゅう発展はってん

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木製もくせいすき
18世紀せいき後半こうはん朝鮮ちょうせん農耕のうこう風景ふうけい
大正たいしょう時代じだい木製もくせいすき

日本にっぽんにおいてプラウは、その伝来でんらい経緯けいいからすき(すき)とばれ、カラスキ(からすき)、もしくはクビキスキ(くびきすき・頸木すき)やうし(うま)すき(うしびきすき、ぎゅうひきすき/うまびきすき、まびきすき)・うしすきうますき(うしすき、ぎゅうすき・うますき、ますき)ともばれていた。せいくらいん収蔵しゅうぞうされている子日ねのひしゅからしすき(ねのひのてからすき)は、758ねん正月しょうがつ行事ぎょうじ使つかわれたとつたえられており、また、滋賀しがけん草津くさつ中畑なかはた遺跡いせきからは平安へいあん時代じだいのカラスキが出土しゅつどしている。なお、牛馬ぎゅうば牽引けんいんさせるすき(すき)とって使つか農具のうぐすき(すき)はことなる農具のうぐである。また、「すき」という漢字かんじ俗字ぞくじあつかいであり、せい字体じたいは「犁」である。

すき種類しゅるいには、中国ちゅうごくから伝来でんらいし、大化たいか改新かいしん時代じだいとき政府せいふ推奨すいしょうしたちょうゆかすきと、朝鮮半島ちょうせんはんとうからの渡来とらいじんがもたらしたゆかすきがあり、ちょうゆかすきはプラウのヒールに相当そうとうするゆかながく、安定あんていしてこうおこりすることが出来できあつかいやすい反面はんめんおおきな牽引けんいんりょく必要ひつようながゆかためふかたがやすことが出来できなかった。一方いっぽうゆかすきゆかがないためにふかたがやすことが出来できたが、あつかいには熟練じゅくれんようし、そのあつか姿すがたからだきりつすき(かかえもったてすき)ともばれた[9][10]

最初さいしょすき伝来でんらいした九州きゅうしゅう北部ほくぶをはじめ、西日本にしにほんではすき使つかってのこうおこりさかんであった。のち明治めいじから大正たいしょうにかけてちょうゆかすきゆかすきそれぞれの長所ちょうしょれた日本にっぽん独自どくじたんゆかすきつくられ、畜力ちくりょくによるすきこう全国ぜんこくてき普及ふきゅうした。そのうしうまによる畜力ちくりょくから、内燃ないねん機関きかん原動力げんどうりょくにしたティラー耕耘こううんへと牽引けんいん動力どうりょくうつわり、昭和しょうわ30年代ねんだい耕耘こううんによるロータリーこう普及ふきゅうしたことにより、稲作いなさくでのすきによるこうおこりほう衰退すいたいした。

日本にっぽんでプラウが使つかわれたはじまりは、一般いっぱん明治めいじ4ねん(1871ねん米国べいこく政府せいふ農務のうむ局長きょくちょうであったホーレス・ケプロン開拓かいたく使顧問こもんとしてまねかれたさい持参じさんしたとわれている[11]が、プロシアひとガルトネル蝦夷えぞ七重ななえむら開墾かいこんんだもののほうはやく、この道具どうぐ明治めいじ4ねんにケプロンの部下ぶかであるトーマス・アンチセルがななじゅう開墾かいこんじょう視察しさつしたさい確認かくにんされている[12]欧米おうべいのプラウはようすきばれ、それにたい中国ちゅうごくから伝来でんらいふるくから日本にっぽんでも使つかわれていたすきすきばれた。畑作はたさくをはじめ、現在げんざいでは水田すいでんでの転作てんさく作物さくもつにもひろ使つかわれている。

明治めいじ3ねん(1870ねん)、仙台せんだいはん一門いちもんである亘理わたり伊達だてくになりは、自費じひ使つかって家臣かしんとも北海道ほっかいどう有珠うすぐん現在げんざい北海道ほっかいどう伊達だて)に集団しゅうだん移住いじゅうし、開拓かいたく使指導しどうあおいで明治めいじ7ねん(1874ねん)より西洋せいよう農具のうぐによる畜力ちくりょくこうほうはじめた。民間みんかんでは最初さいしょとなる西洋せいよう農具のうぐ使つかった開墾かいこんであり、当時とうじぜんみち保有ほゆうしていたプラウのやく半数はんすうたち使つかわれていたことから、プラウこう先進地せんしんちとなった。[13][14]

その伊達だてでは、米国べいこくから輸入ゆにゅうされたもの参考さんこう炭素たんそきによる独自どくじのプラウを製作せいさく、この技術ぎじゅつもと小西こにしみのり設立せつりつし「伊達だてあかプラウ」とばれた。これにたいし、上富良野かみふらのでも菅野かんの豊治とよじ独自どくじのプラウを製作せいさくあかプラウにたいして「しろプラウ」とばれた。

2017ねん9がつ5にち国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかんさだめた重要じゅうよう科学かがく技術ぎじゅつ資料しりょう通称つうしょう:未来みらい技術ぎじゅつ遺産いさん)のだい00237ごうだい00238ごうとして、スガノのうせいのプラウてん登録とうろくされた[15][16]

関連かんれんする企業きぎょう

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耕耘こううんようそうようすき松山まつやますき)

明治めいじ時代じだい前後ぜんこうすきやプラウを製造せいぞうし、現在げんざい存続そんぞくする企業きぎょう下記かき列挙れっきょする。

  • 文久ぶんきゅう3ねん(1863ねん)、熊本くまもとけん田上たうえ伝蔵でんぞうちょうゆかすき製造せいぞう昭和しょうわ2ねん(1927ねん)に東洋とうようしゃ社名しゃめいあらため、同社どうしゃ製造せいぞうするすきを「もとごう」と命名めいめいしたほか昭和しょうわ22ねん(1947ねん)にだんこうすき発明はつめいする。すでのう事業じぎょうからは撤退てったいしたが、現在げんざい日立建機ひたちけんきティエラである。
  • 明治めいじ33ねん(1900ねん)、長野ながのけん松山まつやまげんづくりが、どうけん北部ほくぶ多用たようされるちょうゆかすきどうけん南部なんぶ多用たようされるたんゆかすきとを折衷せっちゅうさせ、そうようすきばれる一種いっしゅのターンレスト・プラウを開発かいはつ翌年よくねん特許とっきょ取得しゅとくし、さらにその翌年よくねんたんざんそうようすき製作所せいさくしょ創業そうぎょうして、松山まつやますきとばれひろしたしまれた。ニプロのブランドめいられる現在げんざい松山まつやまである。
  • 明治めいじ45ねん(1912ねん)、三重みえけんこう北新きたしん次郎じろう従来じゅうらいよりもふかたがやせるすき完成かんせいさせ、こうきた農具のうぐ製作所せいさくしょ創業そうぎょうした。現在げんざいタカキタである。
  • 明治めいじ34ねん(1901ねん)、現在げんざい北海道ほっかいどう美唄びばい佐々木ささき忠次郎ちゅうじろうがプラウの製造せいぞう成功せいこう佐々木ささきてつ工場こうじょう創設そうせつし、洋式ようしき耕作こうさく農機具のうきぐ製造せいぞう販売はんばいはじめる。昭和しょうわ15ねん(1940ねん)には、満州まんしゅうこく開拓かいたくだんよう政府せいふ配給はいきゅう農機具のうきぐ専門せんもん工場こうじょう設立せつりつし、満州まんしゅうこく開拓かいたく貢献こうけんした。現在げんざいのササキコーポレーションである。
  • 明治めいじ42ねん(1909ねん)、帯広おびひろ山田やまだ清次郎せいじろう嘉蔵よしぞうみなもと兄弟きょうだい山田やまだみのり製作所せいさくしょ創立そうりつ現在げんざい東洋とうようのうである。
  • 大正たいしょう6ねん(1917ねん)、北海道ほっかいどう上富良野かみふらのまち菅野かんの豊治とよじ菅野かんの農機具のうきぐ製作所せいさくしょ開業かいぎょうし、開拓かいたく使米国べいこくからんだプラウ(ようすきばれた)を修理しゅうりするかたわらプラウの製作せいさくおこなった。昭和しょうわ16ねん(1941ねん)、やはり日本にっぽん政府せいふおよび満州まんしゅうこく政府せいふ斡旋あっせん現地げんち工場こうじょう開業かいぎょう開拓かいたく貢献こうけんした。現在げんざいのスガノのうであり、現在げんざい日本にっぽん使つかわれているプラウの8わりはスガノせいともわれる。
  • 昭和しょうわ45ねん(1970ねん)、スタすた農機のーきと「伊達だてあかプラウ」の小西こにしみのり合併がっぺい現在げんざいのIHIアグリテックである。

ワンウェイ・プラウこう

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ワンウェイ・プラウによる馬耕ばこう大会たいかい様子ようす

最初さいしょのモールドボード・プラウは、そのモールドボードの形状けいじょうから、土壌どじょう特定とくてい方向ほうこうにのみ(伝統でんとうてき通常つうじょう右側みぎがわ)に反転はんてんさせ、はたけながいストライプじょうこうおこりあとになる。通常つうじょう、プラウは圃場ほじょう時計とけいまわりにまわるように使つかわれ、ちょうあたりこうおこし、たんこうおこせずにプラウをきずって移動いどうした。

このこうおこりする距離きょりながさが伝統でんとうてき圃場ほじょうの1へんながさとして、ハロン(またはハロンちょう)として定着ていちゃくした。圃場ほじょうちょうあたり、1ハロンは220ヤード(200m)、たんはプラウこう往復おうふくするはば区切くぎりとして、22ヤード(20m)を1チェーンとし、この1ハロン×1チェーンの長方形ちょうほうけい面積めんせきは1エーカー(やく0.4ヘクタール)となり、エーカーという面積めんせき単位たんい起源きげんとなった。

プラウの時計とけいまわりによる一方向いちほうこうのみの使つかかたは、土壌どじょう圃場ほじょう周辺しゅうへんから中央ちゅうおうあつめる。毎年まいとしおな場所ばしょ時計とけいまわりをかえすと、土壌どじょう圃場ほじょう中央ちゅうおうおかのようにがり、いくつかのふるくからつづはたけではそのような地形ちけいることが出来できる。

ターンレスト・プラウ

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ターンレスト・プラウは、どちらの方向ほうこうにもたがやすことが出来できるプラウである。モールドボードは可動かどうし、あるきでは右側みぎがわ反転はんてんし、べつきではちがめん使つかって左側ひだりがわ反転はんてんする(コールタとプラウシェアは固定こていされている)。このようにして作業さぎょうすると、次々つぎつぎ隣接りんせつしたれつこうおこしながら連続れんぞくして往復おうふくすることができ、はたけがでこぼこになるのをけることが出来できる。

乗用じょうようれんプラウ

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牛馬ぎゅうば牽引けんいんされる初期しょき鉄製てつせいプラウは、1000ねんものむかしおなじようにプラウのうしろについてある方式ほうしきで、農夫のうふはプラウのりょうわきからびるハンドルをにぎって操作そうさしていた。鉄製てつせいプラウは土塊つちくれ容易ようい切断せつだんすることが出来できるため、なくうごきを調整ちょうせいする必要ひつようほとんく、とても簡単かんたんなか牽引けんいんすることができる。

その結果けっか、それほど時間じかんもかからずに最初さいしょ乗用じょうようプラウはあらわれた。これらは、車輪しゃりんがプラウと地面じめんふかさを調整ちょうせいし、いままであるいていた農夫のうふそなけられた椅子いす腰掛こしかけ、方向ほうこう制御せいぎょおもにプラウを牛馬ぎゅうばつうじて操作そうさし、こまかいほろ調整ちょうせいはレバーでおこなった。この乗用じょうようれんプラウは非常ひじょう急速きゅうそく普及ふきゅうし、プラウこう作業さぎょう能率のうりつ劇的げきてき向上こうじょうさせた。

きれいでかる土壌どじょうであれば、1とううまでひとつのプラウをくことが出来できるが、おも土壌どじょうでは2とううま必要ひつようとし、1とう耕地こうちを、もう1とうすきゆかなかあるく。2れん以上いじょうのプラウでは、2とう以上いじょううま必要ひつようになり、普通ふつうそのなかの1とう以上いじょうはプラウですでこうおこされたやわらかい土壌どじょううえあるかなければならず、そのうまにとっては困難こんなんきわめる。そのため、30ふんごとに10ふんほどそのうまやすませるのは普通ふつうことであった。

ニュージーランドでよくられる、おも火山かざんせいロームでは、2れんのプラウをくために4とう屈強くっきょううまもちいる。圃場ほじょう正方形せいほうけいちか場合ばあいは、前後ぜんごに2とうずつ配置はいちするよりは、4とうをハーネスを使つかってよこならべたほう経済けいざいてきであり、それにともなつねに1とううまこうおこされたうえにいる状態じょうたいになる。

アーミッシュ農家のうかは、はるにプラウでこうおこりするさいやく7とうてのうまラバ使用しようする傾向けいこうがあり、そして、しばしばおたがいがプラウでのこうおこり作業さぎょうたすときには、正午しょうご目処めどにそのうまたち時々ときどき交換こうかんする。この方法ほうほうかる土壌どじょうならばやく10エーカー(40,000m2)、じゅう粘土ねんど土壌どじょうでもやく2エーカー(8,100m2)の面積めんせきをプラウでいちにちたがやせおこりすることができる。[よう出典しゅってん]

蒸気じょうき機関きかんによるプラウこう

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ドイツせいのバランス・プラウ
トラクターおよ蒸気じょうき自動車じどうしゃ参照さんしょうのこと

移動いどうしき蒸気じょうき機関きかんである蒸気じょうき自動車じどうしゃ登場とうじょうにより、1850ねんごろから蒸気じょうき動力どうりょくがプラウこう応用おうようされるようになった。しかし、ヨーロッパでは、おも蒸気じょうき機関きかん重量じゅうりょうささえることが出来できないくらいにやわらかい土壌どじょう条件じょうけんであった。

そのわりに、バランス・プラウとしてられる車輪しゃりんそなえたシーソーじょうのプラウが、はたけ横切よこぎるワイヤケーブルに牽引けんいんされ、はたけりょうサイドに位置いちする蒸気じょうき機関きかんがそのワイヤを交互こうごいた。バランス・プラウはった2くみのプラウをそなえ、片方かたがたこうおこしているとき、もう片方かたがた空中くうちゅういていた。一方いっぽう方向ほうこうにプラウがかれると、牽引けんいんされるプラウは、ワイヤケーブルの張力ちょうりょく地面じめんへとさりこうおこりおこなう。プラウが圃場ほじょうはしたっしたとき、反対はんたいがわのワイヤが蒸気じょうき自動車じどうしゃによってかれてバランス・プラウはシーソーのようにかたむき、今度こんどぎゃく方向ほうこうかってプラウがこうおこりすることが出来できた。

バランス・プラウの片方かたがたみぎ反転はんてんさせ、反対はんたいがわのプラウはひだり反転はんてんさせることによって、ターンレスト・プラウやリバージブル・プラウのように圃場ほじょうでの連続れんぞくしたプラウこう実現じつげんした。19世紀せいき中頃なかごろ蒸気じょうき自動車じどうしゃとバランス・プラウによるこうおこりほう発明はつめいして賞賛しょうさんされた人物じんぶつは、イギリスの農業のうぎょう技術ぎじゅつしゃであり発明はつめいでもある、ジョン・ファウラー(John Fowler)であった。

アメリカでは、かたまった土壌どじょうのために蒸気じょうきトラクターで直接ちょくせつプラウを牽引けんいんすることが可能かのうで、ビッグ・ケース(Big Case)、リーブス(Reeves)、ソーヤー・マッセイ(Sawyer Massey)らが、この分野ぶんやひらいていて、最大さいだいで14れんのギャング・プラウ(ディスク・プラウ)が使用しようされた。しばしば、このような大型おおがたのプラウを装備そうびした蒸気じょうきトラクターが編隊へんたいみ、いちまいはたけに10だいもの蒸気じょうきトラクターがならぶこともあった。このようにして、いちにちなんひゃくエーカーもたがやせおこりすることが可能かのうとなり、唯一ゆいいつ蒸気じょうき機関きかんだけが大型おおがたのプラウを牽引けんいんするパワーをっていた。内燃ないねん機関きかんのトラクターが登場とうじょうしたとき、かれらが大型おおがた蒸気じょうきトラクターと比較ひかくしたのは力強ちからづよさでも頑丈がんじょうさでもく、作業さぎょうをこなすために必要ひつようなプラウの台数だいすうをいかにらせるかのみだった。

かぶえるプラウ

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ディスク・プラウ

スタンプ・ジャンプ・プラウ(Stump-Jump plough)は、1870年代ねんだいにオーストラリアじんによって発明はつめいされ、あたらしく開墾かいこんした農地のうちで、おおくのかぶいわなどを除去じょきょするのに多大ただい資金しきんがかかるのをおさえるために設計せっけいされた。プラウは、所定しょてい位置いちにプラウ・シェアを保持ほじするために可動かどうしきおもり使用しようする。かぶ岩石がんせきなどのほか障害しょうがい遭遇そうぐうすると、プラウ・シェアは上方かみがたげられて障害しょうがいぶつをかわしてプラウのハーネスやリンケージが破損はそんすることをふせぎ、障害しょうがいぶつえるとおもり作用さようもともどこうおこり継続けいぞくすることが出来できる。

その開発かいはつされたディスク・プラウは、より簡単かんたん仕組しくみで、湾曲わんきょくした円盤えんばん進行しんこう方向ほうこうたいしておおきくかたむけてセットして土壌どじょうませ、円盤えんばんこわれない程度ていどなにかのおおきな衝撃しょうげきくわわると、回転かいてんするように障害しょうがいぶつえる構造こうぞうであった。円盤えんばん進行しんこう方向ほうこうきずられるとき、円盤えんばんするどえん土壌どじょうをカットし、湾曲わんきょくした円盤えんばん表面ひょうめん回転かいてんしながら土壌どじょううえげてわきばす。モールドボード・プラウとおな土壌どじょう反転はんてんさせるわけではいが、土壌どじょう流失りゅうしつ防止ぼうし効果こうかがあるのでこれは不都合ふつごうとはかんがえられておらず、ディスク・プラウも土壌どじょうげてくだ作用さようがある。

近代きんだいてきなプラウ

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4れんのリバージブル・プラウ

近代きんだいてきなプラウは3てんリンクをかいしてトラクタに装着そうちゃくされ、普通ふつうれんのリバージブル・プラウである。これらは一般いっぱんてきに2れんから7れんで、油圧ゆあつしき補助ほじょそなえたはんちょくそうタイプでは18れん前後ぜんこうのものもある。

プラウはトラクタの油圧ゆあつ装置そうち使つかって上昇じょうしょうさせたり反転はんてんさせたりするほかこうおこりしんはば調整ちょうせいするのにも油圧ゆあつ使用しようされる。オペレータはプラウがなか適切てきせつ角度かくど牽引けんいんされるよう3てんリンクを調整ちょうせいしなければならないが、近代きんだいてきなトラクタではこの角度かくどこうふか自動じどう制御せいぎょしている。また、もしトラクタにフロント3てんリンク装置そうち装備そうびされていれば、2れんか3れんのプラウをフロントに装着そうちゃくすることも出来できる。

リバーシブル・プラウ

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リバーシブル・プラウは2くみのプラウが背中合せなかあわせにけられており、片方かたがたのプラウがみぎ反転はんてんさせ、もう片方かたがたひだり反転はんてんさせる。一方いっぽうのプラウが土中どちゅうこうおこしているとき、もう片方かたがたさかさまの状態じょうたいなに作用さようしないまま、ただはこばれる。こうおこり作業さぎょう圃場ほじょうはしまでたとき、プラウを反転はんてんさせてぎゃくきのプラウを使つか状態じょうたいにし、そのままつぎれつこうおこり再開さいかいすること出来できる。これにより、圃場ほじょう一方いっぽうから一貫いっかんした方向ほうこうたがやせおこり作業さぎょうすすめることが出来できる。

用途ようとべつプラウ

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チゼル・プラウ

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チゼル・プラウは、部分ぶぶんこうおこり深耕しんこうおこな一般いっぱんてき作業さぎょうである。このプラウのおも機能きのうは、作物さくもつ収穫しゅうかくざん渣を土壌どじょう表面ひょうめんのこしたまま土壌どじょうをほぐして空気くうきさらすことであり、度重たびかさなるプラウ作業さぎょうかたくなった土中どちゅうばん(こうばん)を破砕はさいして踏圧の影響えいきょう緩和かんわするのにも役立やくだつ。おおくのプラウとちがい、チゼル・プラウは土壌どじょう反転はんてんさせる作用さようい。

この特性とくせいこうおこりあるいははんこうおこり栽培さいばいにおいて、年間ねんかんつうじて土壌どじょう表面ひょうめん有機物ゆうきぶつのこして土壌どじょう流失りゅうしつふせぐことに役立やくだち、モールドボード・プラウに比較ひかくしてチゼル・プラウはより長期ちょうきてき持続じぞく可能かのう農業のうぎょう出来できるとかんがえられている。

チゼル・プラウは普通ふつう200 - 300mmのふかさでこうおこりするようにセットされているが、機種きしゅによってはそれよりふかこうおこりするタイプもある。それぞれのプラウ(シャンク)は普通ふつう230 - 305mm程度ていど間隔かんかくならべられている。このプラウは牽引けんいん抵抗ていこうおおきく、トラクターに充分じゅうぶん馬力ばりき牽引けんいんりょく要求ようきゅうする。チゼル・プラウでの作業さぎょう計画けいかくするさいには1ほんのシャンクあたりに10~15馬力ばりき必要ひつようであることをおぼえておかなければならない。

リッジ・プラウ

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リッジ・プラウ(あるいはリッジャー)は、うね栽培さいばいされるジャガイモやながネギのような野菜やさい栽培さいばい使用しようされ、うねうねあいだうねへとげるつちかえばれる作業さぎょう使つかわれる。

リッジ・プラウはまいのモールドボードが背中合せなかあわせにわされた形状けいじょうをしており、両側りょうがわうねたかげるように作用さようする。このリッジ・プラウは作物さくもつ収穫しゅうかくするぜん作業さぎょうとしてうねくずすために使つかわれることもある。

モール・プラウ

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モール・プラウ(あるいはサブソイラー、弾丸だんがんあんきょ)は、みぞらずにあんきょ排水はいすいあな土中どちゅうけたり、土壌どじょうへのみず浸透しんとうさまたげる透水とうすいそう破砕はさいするのに使つかわれる。これは非常ひじょうふか場所ばしょ作用さようするプラウで、魚雷ぎょらいがた、またはくさびがた弾丸だんがんと、それをフレームに接続せつぞくする細長ほそなが構成こうせいされている。この作業さぎょう使用しようすると地面じめんふか場所ばしょほそ水路すいろ形成けいせいされ、その水路すいろ排水はいすいとして機能きのうする。

また、近代きんだいてきなモール・プラウは水路すいろ形成けいせいすると同時どうじにやわらかいプラスチックせいのシートパイプを敷設ふせつすることができ、恒久こうきゅうてき排水はいすいとして使用しようしたり、あるは灌漑かんがい目的もくてき用水ようすいおく水路すいろとしても使用しようされることがある。

プラウこうにまつわる問題もんだい

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モールドボード・プラウの利点りてん

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  • 寒暖かんだんのある気候きこう地域ちいきにおける、20cm程度ていど以内いないのモールドボード・プラウこう土壌どじょうを膨軟にして空気くうきふくませる。そのさい収穫しゅうかくぶつざん渣、堆肥たいひ石灰せっかい、および化学かがく肥料ひりょうとわずかの酸素さんそ一緒いっしょ土壌どじょうれる。そうすることによって、それらは揮発きはつによる窒素ちっそ損失そんしつらし、ミネラル促進そくしんし、有機物ゆうきぶつ短期間たんきかんでの窒素ちっそ促進そくしんして土壌どじょう吸収きゅうしゅうされる。
  • タイヤのあとコンバインハーベスターわだちる。
  • おおくの多年生たねんせい雑草ざっそう制御せいぎょし、つぎはるまでのあいだ、雑草ざっそう成長せいちょう抑制よくせいする。
  • 春先はるさき地温ちおん上昇じょうしょう水分すいぶん蒸発じょうはつ良好りょうこうにして土壌どじょう表面ひょうめん乾燥かんそうさせ、より軽量けいりょう播種はしゅたねくのを容易よういにする。
  • 作物さくもつおおくの害虫がいちゅう(ナメクジ、ガガンボ、seed corn maggots、bean seed flies、穿孔せんこうちゅう)を抑制よくせいする。
  • べるミミズ(endogea)のかず増加ぞうかさせるが、垂直すいちょく生息せいそくするミミズ(anecic)には有害ゆうがいである。

モールドボード・プラウこうかんする問題もんだい

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モールドボード・プラウこうは、急速きゅうそく土壌どじょう資源しげん使つかたす可能かのうせいがあり、非常ひじょう破壊はかいてき農法のうほうであるとして認識にんしきされるようになった。たとえ短期たんきてきには成果せいかげたとしても、長期ちょうきてきればその理由りゆう理解りかいすることとなる。

プラウこうこうおこされたはたけは、害虫がいちゅう幼虫ようちゅう雑草ざっそう種子しゅし土中どちゅうふかくにほうむり、一般いっぱんてきいち並外なみはずれた収穫しゅうかくりょうげる。しかし、最初さいしょ収穫しゅうかくのちにも、継続けいぞくてきにモールドボード・プラウこうつづけると収穫しゅうかくりょう大幅おおはば減少げんしょうするであろう。モールドボード・プラウこうによる収穫しゅうかくりょう減少げんしょうは、おおくの副作用ふくさよう結果けっかかんがえることが出来できる。

  • 一番いちばん問題もんだいかたばん形成けいせい[17]、または土壌どじょう下層かそう石灰せっかいがあげられる。ある地域ちいきでは、つるはしを一度いちどてたくらいではこわせないほどのとてもあつかたばんであった。かたばんのぞ唯一ゆいいつ効果こうかてき手段しゅだんは、非常ひじょう強力きょうりょく高価こうかなトラクタでリッパー、あるいはチゼル・プラウを使つか作業さぎょうすることである。このかたばんそう植物しょくぶつとおることが出来できず、結果けっかてき植物しょくぶつ成長せいちょう収穫しゅうかくりょう制限せいげんされてしまう。またこのそうみず浸透しんとうさせず、作物さくもつ洪水こうずいなかおぼれているようなものである。
  • モールドボード・プラウによる深耕しんこう(15-20cm以上いじょう)は、土壌どじょう有機物ゆうきぶつ含有がんゆうりょう急速きゅうそく使つかたし、土壌どじょう流失りゅうしつ加速かそくさせ、これら2つの問題もんだい相乗そうじょう効果こうかこす。下層かそう土壌どじょう地表ちひょうげられることによって、前作ぜんさく土壌どじょう基本きほん構造こうぞうこわれてしまい、だんつぶ構造こうぞうそこなわれてしまう。サラサラした種子しゅし発芽はつが好適こうてきえるが(それはそのとおりではあるが)、プラウこうでない方法ほうほう比較ひかくすると、土塊つちくれのないこのサラサラしたは、要因よういんもあいまって非常ひじょう土壌どじょう浸食しんしょくされるりつたかい。この増加ぞうかした浸食しんしょくりつ本来ほんらい土壌どじょう地力じりきだけではなく、なか有機物ゆうきぶつはたらきをも上回うわまわる。そのため、通常つうじょうよりも急速きゅうそく地力じりき使つかたしてしまう。
  • モールドボード・プラウによる深耕しんこう(15-20cm以上いじょう)は土壌どじょうをよりかた圧縮あっしゅくし、土壌どじょうなかにある毛穴けあなほど隙間すきまうしなってしまう。土壌どじょうすなとボールでいっぱいにたされたバケツにすこている。かくボールは粘着ねんちゃくせいがあるだんつぶ構造こうぞうあらわしており、そのボールがかさねられると、ボールは健康けんこう生育せいいく適切てきせつ排水はいすい必要ひつようであるおおくの隙間すきまつくる。プラウこうはこれらのボールを破壊はかいしてそのだんつぶ構造こうぞううしなわせてしまう。このような状態じょうたいになったとき、よりおおきいだんつぶなかにある粒子りゅうしすなようにバラバラになって空気くうきのある隙間すきますくなくなってしまい、簡単かんたんみずまるような圧縮あっしゅくされた土壌どじょうになり、成長せいちょう阻害そがいされる。

土壌どじょう流失りゅうしつ

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プラウこうによる悪影響あくえいきょうのひとつは風雨ふううによる土壌どじょう流失りゅうしつ劇的げきてき加速かそくさせることであり、ながした場所ばしょうみなどの水域すいいき堆積たいせきしてしまう。また、プラウこうは1930年代ねんだい米国べいこく発生はっせいしたつちぼこりのあらしであるダストボウル原因げんいんであるとかんがえられている。

こうおこり栽培さいばいなどのプラウこうからの代替だいたい手段しゅだんには、土壌どじょう流失りゅうしつ被害ひがいめ、農業のうぎょう継続けいぞくしうる可能かのうせいがある。

プラウの構造こうぞう

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現代げんだいのプラウの構造こうぞう

みぎはプラウを構成こうせいする部品ぶひんあらわしている。(番号ばんごうちゅう番号ばんごう対応たいおうする)

  1. フレーム
  2. 3てんリンク
  3. ハイトレギュレータ
  4. ナイフ(または円盤えんばんじょうのコールタ)
  5. シェアポイント(刃先はさき)
  6. シェア(ばん)
  7. モールドボード(ばちいた)

部品ぶひんはフロッグ(結合けつごうばん),ランナー,ランドサイド(側板そくばん),シン(ずねきん),カバーボードやハンドルとうがある。

現代げんだいのプラウや一部いちぶ旧型きゅうがたのプラウは、モールドボードがシェアおよびランナーから独立どくりつしており、これらの部品ぶひん磨耗まもうして交換こうかんするさいにもモールドボードを同時どうじ交換こうかんしなくてもいような構造こうぞうになってはいるが、結果けっかてき土壌どじょう接触せっしょくする部分ぶぶんすべ摩滅まめつする。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 宍道湖しんじこ湖底こていかん布設ふせつ工事こうじ工事こうじじょうきょう紹介しょうかい”. 島根しまねけん. 2023ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  2. ^ スガノのう株式会社かぶしきがいしゃ ボトムプラウ教本きょうほんより
  3. ^ Robert Temple, The Genius of China p. 17
  4. ^ White, Medieval Technology, p. 50
  5. ^ White, Medieval Technology, pp. 49f
  6. ^ White, Medieval Technology, pp. 69-78
  7. ^ Marc Bloch, French Rural History, translated by Janet Sondheimer (Berkeley: University Press, 1966), p.50
  8. ^ "The Genius of China", Robert Temple, p.16-20
  9. ^ 河野こうの道明みちあき, 「周防すおう地方ちほうみんからすきこう伝来でんらいの2つのなみ」『しょうけい論叢ろんそう』 42かん 2ごう 2006ねん p.15-35, 神奈川大学かながわだいがく, ISSN 0286-8342, NAID 110006425309
  10. ^ 春日井かすがい中央ちゅうおう公民館こうみんかん民俗みんぞく展示てんじしつ”. 2007ねん10がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  11. ^ 役場やくば職員しょくいん時代じだいおも 本間ほんま庄吉しょうきち ちょ上富良野かみふらのまち郷土きょうどをさぐるかい 機関きかん 郷土きょうどをさぐる(だい2ごう)1982ねん 6がつ30にち発行はっこう 2010ねん2がつ閲覧えつらん
  12. ^ 田辺たなべ安一やすいち 『ブナのはやしかたつたえること―プロシアじん R・ガルトネル七重ななえむら開墾かいこん顛末てんまつ北海道ほっかいどう出版しゅっぱん企画きかくセンター p.245
  13. ^ 欧米おうべいしき農法のうほうへの挑戦ちょうせん伊達だてプラウ物語ものがたり~ (伊達だて,PDF)[リンク]
  14. ^ 伊達だて誕生たんじょううみわたった武士ぶしだん”. 伊達だて噴火湾ふんかわん文化ぶんか研究所けんきゅうじょ. 2012ねん10がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  15. ^ 重要じゅうよう科学かがく技術ぎじゅつ資料しりょう一覧いちらん - 産業さんぎょう技術ぎじゅつ資料しりょう情報じょうほうセンター
  16. ^ だい10かい未来みらい技術ぎじゅつ遺産いさんにスガノ製品せいひん2機種きしゅ. 週刊しゅうかんのう新聞しんぶん. (2017ねん10がつ3にち). http://www.shin-norin.co.jp/?p=16032 2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん 
  17. ^ * 吉田よしだとみトラクタによる踏圧現象げんしょうかんする研究けんきゅう (だい4ほう)」『農業のうぎょう機械きかい学会がっかいだい26かんSupplement、農業のうぎょう食料しょくりょうこう学会がっかい、1964ねん、10-11ぺーじdoi:10.11357/jsam1937.26.Supplement_10 

外部がいぶリンク

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