狂歌
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歴史
[狂歌 の例
[- ほとゝぎす
自由自在 に聞 く里 は酒屋 へ三里 豆腐 屋 へ二 里 (頭 光 (つむりのひかる)) 花鳥風月 を常 に楽 しめるような場所 は、それを楽 しむための酒肴 を買 う店 が遠 くて不便 だという意味 で、風流 趣味 を揶揄 している。- ほとゝぎす
鳴 きつるあとにあきれたる後 徳大寺 の有明 の顔 (大田 蜀 山人 ) 百人一首 の徳大寺 実定 の歌 (ほととぎす鳴 きつる方 をながむれば ただ有明 の月 ぞ残 れる)が元 歌 。歌 よみは下手 こそよけれ天地 の動 き出 してたまるものかは(宿屋 飯盛 )古今 和歌集 仮名 序 の「力 をもいれずして天地 を動 かし…」をふまえた作 。世 わたりに春 の野 に出 て若菜 つむ わが衣手 の雪 も恥 かし百人一首 の光孝 天皇 の歌 (君 がため春 の野 に出 でて若菜 つむ わが衣手 に雪 は降 りつつ)が元 歌 。- はたもとは
今 ぞ淋 しさまさりけり御 金 もとらず暮 らすと思 へば 享 保 の改革 の際 に詠 まれたもので、旗本 への給与 が遅 れたことを風刺 している。百人一首 の源 宗 于の歌 (山里 は冬 ぞ寂 しさまさりける人目 も草 も枯 れぬと思 へば)が元 歌 。白河 の清 きに魚 のすみかねて もとの濁 りの田沼 こひしき寛政 の改革 の際 に詠 まれたもの。白河 は松平 定信 の領地 。定信 の厳 しい改革 より、その前 の田沼 意次 の多少 裏 のあった政治 の方 が良 かったことを風刺 している。大田 南畝 作 という評判 もあったが本人 は否定 した。別 の寛政 の改革 批判 の狂歌 である「世 の中 に蚊 ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜 も寝 られず」も 「詠 み人 知 らず」とされているが、大田 南畝 作 の説 が有力 である。泰平 の眠 りを覚 ます上 喜 撰 たつた四 杯 で夜 も眠 れず黒船 来航 の際 に詠 まれたもの。上 喜 撰 とは緑茶 の銘柄 である「喜 撰 」の上物 という意味 であり、「上 喜 撰 の茶 を四 杯 飲 んだだけだが(カフェインの作用 により)夜 眠 れなくなる」という表向 きの意味 と、「わずか四 杯 (ときに船 を1杯 、2杯 とも数 える)の異国 からの蒸気 船 (上 喜 撰 )のために国内 が騒乱 し夜 も眠 れないでいる」という意味 をかけて揶揄 している。名月 を取 ってくれろと泣 く子 かな それにつけても金 の欲 しさよ下 の句 を「それにつけても金 の欲 しさよ」に付 け合 うことで、どんな風雅 な句 も狂歌 の体 に収斂 させてしまう言葉 遊 びを「金 欲 し付合 」という[1]。江戸 中期 に流行 した。世 の中 に寝 るほど楽 はなかりけり浮世 の馬鹿 は起 きて働 く(読 み人 知 らず)道教 、足 るを知 ること、等 に通 じる高尚 なところもあり、怠 け者 の自己 弁護 のようなところもある有名 な歌 。世 の中 に蚊 ほどうるさきものはなし文武 といって夜 も眠 れず
(
世 の中 に蚊 ほど(これほど)うるさいものはないよ。
ブンブン(
狂歌 連
[著名 な狂歌 師
[狂歌 三 大家
[朱楽 菅江 (あけらかんこう) -山崎 景 貫 、幕臣 狂 名 は“あっけらかん”の捩 り。歌人 ・内山 椿 軒 門下 大田 南畝 (おおたなんぽ) -太田 覃、内山 門下 唐衣 橘洲 (からころもきっしゅう) -小島 謙之 、田安 徳川 家 家臣 、内山 門下
狂歌 四天王
[宿屋 飯盛 (やどやのめしもり) -石川 雅望 、日本橋 小伝馬 町 の宿屋 鹿 都部 真顔 (しかつべのまがお) -北川 嘉兵衛 、数寄屋橋 の汁粉 屋 頭 光 (つむりのひかる) -岸 文 笑 、日本橋 亀井 町 (現 :日本橋 小伝馬 町 )の町 代 、浮世絵 師 狂 号 は若 禿 に因 む馬場 金 埒 、(銭 屋 金 埒 (ぜにやのきんらち))、物事 明 輔(ものごとあきすけ) -大坂 屋 甚兵衛 、数寄屋 橋 の両替 商
その他 の狂歌 師
[平 秩東作 (へずつとうさく) -立松 懐 之 、内藤 新宿 の煙草 業 、内山 門下 、号 は書 経 に由来 花 江戸 住 (はなのえどずみ) -山手 連 、山口 政吉 、京橋 便々 館 湖 鯉 鮒 (べんべんかんこりう) -琵琶 連 、大久保 正武 、牛込 山伏 町 、幕臣 大屋 裏 住 (おおやのうらずみ) -元町 連 、久須美 氏 孫 左衛門 、日本橋 金吹 町 の貸 家業 腹 唐 秋 人 (はらからのあきんど) -元町 連 、中井 嘉右衛門 、日本 橋本 町 元木 網 (もとのもくあみ) - 落栗連 、金子 喜三郎 、京橋 北 紺屋 町 、のちに芝 西久保 土器 町 加保 茶 元成 (かぼちゃのもとなり) -吉原 連 主宰 、岡本 姓 浜辺 黒人 (はまべのくろひと) -芝 浜 連 、本 芝 三 丁目 の本屋 、色 黒 でお歯黒 をしていたことに因 むという文々 舎 蟹 子 丸 (ぶんぶんしゃかにこまる) -葛飾 連 、久保 有弘 、与力 、「ブンブン蚊 に困 る」に因 む桐 雅雄 (きりまさお) -水魚 連 、大谷 (通称 は桐 屋 )三右衛門 、上野 の商人 花道 つらね(はなみちのつらね) -堺 町 連 、5代目 市川 團 十郎 、歌舞伎 役者 蔦 唐丸 (つたのからまる) -吉原 連 、蔦 屋 重三郎 、浮世絵 版元 竹 杖 為 軽 (たけつえのすがる) -森 島中 良 、医者 、蘭学 者 酒 上 不埒 (さけのうえのふらち) -恋 川 春 町 、駿河 小島 藩士 門限 面倒 (もんげんめんどう) -高橋 徳 八 、館林 藩士 土師 掻安(はじのかきやす) -榎本 治 右 衛門 多田 人 成 (ただのひとなり) -多田 金次郎 筆 の綾 丸 -喜多川 歌麿 、吉原 連 、浮世絵 師 紫檀 楼 古 喜 (したんろうふるき) -落語 家 の2代目 朝寝坊 むらくの門下 でもあり狂歌 を織 り込 んだ狂歌 噺 を得意 とした。本人 を主人公 とした「紫檀 楼 古木 」という落語 もあり、六 代目 三 遊 亭 圓 生 、八 代目 林家 正蔵 、六 代目 春風 亭 柳橋 などが演 じた[2]。圓 生 の枕 によると、蔵前 で羅宇 問屋 を営 んでいたが、狂歌 三昧 で身代 を崩 し、露天 の羅宇 商 となり、のちに噺家 になったという。花村 政一 (はなむらまさいち) -江戸 時代 の狂歌 師 。勾当 。伊達 政 宗 から与 えられた屋敷 跡地 が現在 の勾当 台 公園 である。
脚注
[参考 文献
[根岸 鎮衛 『耳 嚢』全 3冊 長谷川 強 校 注 、岩波書店 〈岩波 文庫 〉、1991年 -江戸 時代 の随筆 。狂歌 についての逸話 を収録 。浜田 義 一郎 「狂歌 」(『日本 古典 文学 大 辞典 簡約 版 』岩波書店 、1986年 、486 - 487頁 )