(Translated by https://www.hiragana.jp/)
異言 - Wikipedia コンテンツにスキップ

げん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

げん(いげん)は、グロソラリアえい: glossolalia < まれ: γλωσσολαλιά = γがんまλらむだσしぐまσしぐまαあるふぁ(glõssa 「した言語げんご」)+ λαλιά(laliá 「こえ言語げんご言葉ことば発話はつわ説明せつめい意見いけん」)=「したからはっせられるこえ」)あるいはゼノグロッシア/ゼノグロッシーえい: xenoglossia/xenoglossy < ギリシアで「異国いこく言語げんごれない言葉ことば)をはなすこと」)の訳語やくごで、いずれも、まなんだことのない外国がいこくもしくは意味いみ不明ふめい複雑ふくざつ言語げんごあやつることができる超自然ちょうしぜんてき言語げんご知識ちしき、およびその現象げんしょうす。

英語えいごでは、 glossolalia はおも宗教しゅうきょう分野ぶんやで、 xenoglossia/xenoglossy はおもちょう心理しんりがく分野ぶんや使つかわれる。日本にっぽんでは、ちょう心理しんりがくかんする文脈ぶんみゃくで、区別くべつため後者こうしゃげんを「真性しんせいげん」とやく場合ばあいもある。とう項目こうもくでは、前者ぜんしゃ宗教しゅうきょうてき意味いみもちいられる狭義きょうぎげんについておもあつかう。後者こうしゃちょう心理しんりがくてきげんについては項目こうもく真性しんせいげん」を参照さんしょうのこと。

キリスト教きりすときょうにおけるげん

[編集へんしゅう]

日本にっぽん実際じっさい言葉ことばあらわすのはペンテコステカリスマ)のみで、[よう出典しゅってん]その教派きょうはとの聖書せいしょ解釈かいしゃくおおきなみぞがあり、批判ひはん対象たいしょうになっている。

聖書せいしょにみるげん

[編集へんしゅう]

新約しんやく聖書せいしょでは4箇所かしょげん明確めいかく言及げんきゅう登場とうじょうする。以下いかの4箇所かしょである。

ペンテコステのげん
使徒しとぎょうでん2しょう11せつ-13せつにはペンテコステげん記述きじゅつがある。弟子でしたちは「他国たこくのことばで(ἑτέραις γλώσσαις)はなしだした」と記述きじゅつされている[1] 。「ことばで」(γλώσσαις (glṓssais);γがんまλらむだσしぐまσしぐまαあるふぁ複数ふくすう与格よかく)は普通ふつう、ことばをはな器官きかんであるしたと、はな言葉ことば両方りょうほう意味いみする。「の」(まれ: ἑτέραις (hetérais);ἕτερος (héteros)の女性じょせいがた複数ふくすう与格よかく)は弟子でしたち自国じこくではない国語こくごはなしたことをしめす。聖書せいしょ記述きじゅつによると、ここで言及げんきゅうされているげん外国がいこくである。弟子でしたちが、まなんだことのない、自国じこくでない言語げんごを、はなしたという現象げんしょうである。 かれらはそのはなすことばを理解りかいすることができ、ことばの混乱こんらんこしたバベルばべるとう物語ものがたりとはぎゃくに、聖霊せいれい人々ひとびと言葉ことばえてたがいに理解りかいえるようにされた。
コルネリオのいえにおけるげん
使徒しとぎょうでん10しょう44せつ-47せつには、ペテロかみつようながしによって、コルネリオのいえあつめられた邦人ほうじんたちに福音ふくいんメッセージをかたったときに「~、みことばにみみかたむけていたすべてのひと聖霊せいれいがおくだりになった。」(44せつ)と記述きじゅつされている。そして、かれらは「げんを」(γλώσσαιςはなした。このげん外国がいこくであったかどうか明確めいかくにはわれていない。しかし、「わたしたちがおもイエス・キリストしんじたとき、かみわたしたちにくださったのとおな賜物たまものかれらにもおさづけになった。」(どう11しょう17せつ)との記述きじゅつから、このげんはペンテコステのげんおな性質せいしつのものであることが推測すいそくできる。
げんとヨハネの弟子でしたち
使徒しとぎょうでん19しょう1せつ-7せつには、パウロバプテスマのヨハネ弟子でしった記述きじゅついてある。パウロがキリストと聖霊せいれいについておしえたのちに、両手りょうてかれらのうえいた。するとかれらがげんかたったという記述きじゅつがある。「聖霊せいれいかれらにのぞまれ、かれらはげんγλώσσαις)をかたったり、預言よげんをしたりした。」(使徒しとぎょうでん19しょう6せつ)このげん外国がいこくだったとは明確めいかくわれていないが、ペンテコステとコルネリオのいえ現象げんしょうおな単語たんご使つかわれていることから、おな現象げんしょうおもわれる。
コリントにおけるげん
コリントじんへの手紙てがみだいいち12しょう1せつ-14しょう40せつには、コリント教会きょうかいにおいて人々ひとびとげんかたっていたといことが記述きじゅつされている。パウロはげんかみ賜物たまものであることをみとめて、げんきんじてはいないが、誤用ごようについては指摘してきしている。このげんもペンテコステのげんおなγがんまλらむだσしぐまσしぐまαあるふぁもちいられているので、ペンテコステの外国がいこくはな現象げんしょう可能かのうせいたかい。
げんかたるルールについてパウロは言及げんきゅうしている。パウロは、げんかたるならば秩序ちつじょたもにんおおくてもさんにん順番じゅんばんかたり、一人ひとりはそのかしをするようにし、またげんかすものがいなければ教会きょうかいではげんをせず、個人こじんてきにすべきとしている。また、信者しんじゃ求道きゅうどうしゃをつまずかせるので、教会きょうかい全員ぜんいんいち箇所かしょあつまってげんかたってはならないとしている。また、聖書せいしょげんより預言よげん聖書せいしょ言葉ことば)をかたることをすすめている。参考さんこう:コリントじんへの手紙てがみだいいち14しょう1−5せつ、27−28せつ、39せつ。 このおしえは現在げんざいのルールでもある。

初代しょだい教会きょうかいにおけるげん

[編集へんしゅう]
  • エイレナイオス(140ねん-203ねん):げん預言よげん賜物たまものをもつひとうわさ言及げんきゅうしている
  • テルトゥリアヌス(150ねん-222ねん):モンタノスくわわった人物じんぶつ異教徒いきょうとマルキオンたいする論駁ろんばくげん賜物たまものものたいする意見いけんしるしている。
  • ヨハネス・クリュソストモス(347ねん-407ねん):かれ時代じだいではげん過去かこのものであると明言めいげんしている。
  • アウグスティヌス(354ねん-430ねん):げんすたれたと記述きじゅつしている。

現代げんだいげん

[編集へんしゅう]

ベンジャミン・アーウィンバプテスト教会きょうかいからホーリネス教会きょうかいうつったのちジョン・ウェスレーどうろうしゃであるジョーゼフ・フレッチャー(Joseph Fletcher)の書物しょもつれ、聖霊せいれいによるだいさんぎょう主張しゅちょうした。このだいさんぎょうには、さけび、すすり、き、げんエクスタシー状態じょうたいともなうとされている。

1900ねん12月31にちチャールズ・パーハム聖書せいしょ学校がっこう女学生じょがくせい按手さづけたところ、この女学生じょがくせいらがげんはなした。

1906ねんロサンゼルスのアズサどおりで、パーハムのもとで訓練くんれんけた、ウィリアム・シーモアがあるいえでの集会しゅうかいちゅうにエクスタシーにおちいり、げん現象げんしょうきた。アズサどおりのメソジスト教会きょうかい集会しゅうかい継続けいぞくしたところこの現象げんしょうがうわさになりひろまった。ロサンゼルスの新聞しんぶん掲載けいさいされ、全米ぜんべいひろがり、ペンテコステ運動うんどう発展はってんした。

ペンテコステ運動うんどうおもにメソジスト教会きょうかい牧師ぼくし、T.B.バレットによってぜん世界せかいつたえられていった。ところがペンテコステ運動うんどうホーリネス陣営じんえいからはげしい反対はんたいをうけた。反対はんたいおも理由りゆうは、ペンテコステ教会きょうかいだいきよしめに対抗たいこうして、だいさんきよしめである「げん」をとなえたてんにある。 ペンテコステ陣営じんえい内部ないぶでもげんについて理解りかい対立たいりつがあった。対立たいりつゆえに、1914ねん以降いこうペンテコステふたつに分離ぶんりした。一方いっぽうアッセンブリー教団きょうだんけいで、かれらは回心かいしんによってきよしめは完成かんせいしているとし、げん聖霊せいれいたしによってこる現象げんしょうであるととなえた。もう一方いっぽうチャーチ・オブ・ゴッド教団きょうだんけいで、かれらは聖霊せいれいのバプテスマであるげんけることによって、完全かんぜんつみからきよしめが完成かんせいするととなえた。

キリスト教きりすときょうげん方法ほうほう

[編集へんしゅう]

カリスマ・ペンテコステ現在げんざいおしえられている方法ほうほうは按手されたいのりのなかしんかんだ言葉ことばかみからたものだと しんじてこえはっする。ただ、聖書せいしょかれたちょう自然しぜんてきなものとちが人工じんこうてきなものであると福音ふくいんしょ教会きょうかいから批判ひはんされている。 [2]

ちょう心理しんりがくにおけるげん

[編集へんしゅう]

ちょう心理しんりがく分野ぶんやではげん真性しんせいげん、xenoglossy)を、母語ぼご話者わしゃ直接ちょくせつ意思いし疎通そつうのできない朗唱ろうしょうがたげん (recitative xenoglossy) と、意思いし疎通そつう可能かのうなごく少数しょうすう応答おうとうがたげん (responsive xenoglossy) の2つに大別たいべつする。研究けんきゅう対象たいしょうとしてより重視じゅうしされるのは後者こうしゃであるが、科学かがくてきかつ公正こうせい研究けんきゅう方法ほうほう確立かくりつされているとはえず、真性しんせいげん存在そんざい証明しょうめいする決定的けっていてきなケースはいまだにつかっていない。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 新約しんやく聖書せいしょ』(「使徒しとはたらき2しょう4せつしん改訳かいやく
  2. ^ マーリン・キャロザース ちょ 『獄中ごくちゅうからのさんけるみずかわ 1974)

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • J.H.ピックフォード、ドナルドW.バーデック共著きょうちょ村瀬むらせ俊夫としおわけ聖霊せいれいのバプテスマ』、ジャパン・コンサバティブ・バプテスト・ミッション、1986ねん
  • 宣教せんきょうハンドブック』、共立きょうりつ基督きりすと研究所けんきゅうじょ、1991ねん
  • 『リバイバルの源流げんりゅう辿たどる』尾形おがたまもる マルコーシュ・パブリケーションしゃ
  • げんかた人々ひとびと』ジョン・L・シェリルちょけるみずかわ、1975ねん
  • げん -なぜ教会きょうかいのために必要ひつようか?-』ラリイ・クリスティンソンちょけるみずかわ、1979ねん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]