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せきみどりいん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

せきみどりいん(せきすいいん 生年せいねんしょう - えいただし10ねん9月11にち1513ねん10月9にち[1])は戦国せんごく時代じだい人物じんぶつ越後えちごこく上杉うえすぎ女性じょせい

概要がいよう

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越後えちごこく守護しゅご上杉うえすぎぼうじょうむすめ伊達だてしょうむね正室せいしつとなって稙宗らをんだ。じつ上杉うえすぎぼうむすめ(つまり上杉うえすぎ定実さだざね実姉じっし)でのちぼうじょう養女ようじょとなったというせつもある。

伊達だてがわ記録きろくでは定実さだざねむすめとなっており、稙宗へとついで伊達だてみのるもとんだというせつもある。じつもと上杉うえすぎにゅう嗣の経緯けいい定実さだざね・稙宗の年齢ねんれいかんがえる(定実さだざねと稙宗は同年代どうねんだい推定すいていされる)と、この異説いせつ不自然ふしぜんである。しかし現在げんざい正確せいかく出自しゅつじしる確固かっこたる証拠しょうこい。ただ、なおむね青年せいねん越後えちご守護しゅごだったのはぼうじょうであるから、ぼうじょうむすめもしくはぼうむすめである可能かのうせい一番いちばんたかいとかんがえられる。

また、伊達だてとの婚姻こんいんについて上杉うえすぎ家中かちゅうでは、これを否定ひていてき家臣かしんもいたことが中条ちゅうじょう文書ぶんしょしるされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ぞうてい再版さいはん伊達だてりゃくけいだい1かん