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粟屋あわや元信もとのぶ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
粟屋あわや元信もとのぶ
時代じだい 戦国せんごく時代じだい - 安土あづち桃山ももやま時代じだい
生誕せいたん 天文てんもん22ねん1553ねん
死没しぼつ 天正てんしょう8ねん4がつ14にち1580ねん5月27にち
別名べつめい 与十郎よじゅうろう通称つうしょう
主君しゅくん 毛利もうり輝元てるもと
氏族しぞく みなもとせい粟屋あわや
父母ちちはは ちち粟屋あわや元種もとだね
はは宍戸ししどたかし養女ようじょ小河内おがうち石見いわみまもるむすめ
兄弟きょうだい 元信もとのぶ新見にいみけいぎょう
つま 児玉こだま就忠むすめ
おんなかつらもとつなしつ
テンプレートを表示ひょうじ

粟屋あわや 元信もとのぶ(あわや もとのぶ)は、戦国せんごく時代じだいから安土あづち桃山ももやま時代じだいにかけての武将ぶしょう毛利もうり譜代ふだい家臣かしんちち粟屋あわや元種もとだね

生涯しょうがい

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天文てんもん22ねん1553ねん)、毛利もうり譜代ふだい家臣かしんである粟屋あわや元種もとだね嫡男ちゃくなんとしてまれ、毛利もうり輝元てるもとつかえる。

天正てんしょう6ねん1578ねん)、石山いしやま本願寺ほんがんじ支援しえんのため、ちち元種もとだねとも摂津せっつこく木津きづしろざいしろした。

天正てんしょう8ねん1580ねん)、輝元てるもと備中びっちゅう出陣しゅつじんにおいて先鋒せんぽう部隊ぶたいしょうつとめたが、同年どうねん4がつ14にち備中びっちゅうこく下加茂したかも山中さんちゅうにおいて伊賀いが久隆ひさたか強襲きょうしゅう戦死せんし享年きょうねん28。このたたかいは元信もとのぶほかにも児玉こだまもとぼう井上いのうえもとかち奈古なごもと小寺こでら就武三戸さんのへもとこのみ宇多うた田藤たふじみぎ衛門えもんなどがられ、一手いって大将たいしょうつとめた神田かんだ元忠もとただ負傷ふしょうする大敗たいはいであった(加茂かもくず)。

元信もとのぶおとうとけいぎょう新見にいみけい養子ようしとなっており、元信もとのぶ戦死せんしによって元種もとだね後継こうけいがいなくなったため、元種もとだねおとうとである元利がんり次男じなんげんさだ元種もとだね養子ようしとして家督かとく相続そうぞくした。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • はぎ藩閥はんばつ閲録まき9「粟屋あわや帯刀たてわき
  • 防長新聞社ぼうちょうしんぶんしゃ山口やまぐち支社ししゃへん へん近世きんせいぼうちょう諸家しょか系図けいず綜覧そうらん三坂みさかけい監修かんしゅう防長新聞社ぼうちょうしんぶんしゃ、1966ねん3がつNCID BN07835639OCLC 703821998全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:73004060 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション
  • さんきょうでん編纂へんさんしょへん渡辺わたなべゆう監修かんしゅう毛利もうり輝元てるもときょうでん』(マツノ書店しょてん1982ねん