あしはま原子力げんしりょく発電はつでんしょ

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あしはま原子力げんしりょく発電はつでんしょ
芦浜原子力発電所
2015ねん7がつあしはま海亀うみがめ産卵さんらんあと足跡あしあとえる。
芦浜原子力発電所の位置(三重県内)
芦浜原子力発電所
三重みえけんにおけるあしはま原子力げんしりょく発電はつでんしょ位置いち
くに 日本の旗 日本にっぽん
座標ざひょう 北緯ほくい3413ふん10びょう 東経とうけい13625ふん39びょう / 北緯ほくい34.21944 東経とうけい136.42750 / 34.21944; 136.42750 (あしはま原子力げんしりょく発電はつでんしょ)座標ざひょう: 北緯ほくい3413ふん10びょう 東経とうけい13625ふん39びょう / 北緯ほくい34.21944 東経とうけい136.42750 / 34.21944; 136.42750 (あしはま原子力げんしりょく発電はつでんしょ)
運営うんえいしゃ 中部電力ちゅうぶでんりょく
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あしはま原子力げんしりょく発電はつでんしょ(あしはまげんしりょくはつでんしょ)は、中部電力ちゅうぶでんりょく三重みえけん度会わたらいぐん南島なんとうまちげんみなみ伊勢いせまち)と紀勢きせいまちげんだいまち)にまたがるあし浜地はまじへの建設けんせつ計画けいかくしていた原子力げんしりょく発電はつでんしょである。2000ねん計画けいかく白紙はくし撤回てっかい表明ひょうめいされ、事実じじつじょう計画けいかく中止ちゅうしされた。なお、現在げんざい中部電力ちゅうぶでんりょくもと計画けいかく土地とち所有しょゆう継続けいぞくしている [1]

計画けいかく[編集へんしゅう]

中部電力ちゅうぶでんりょく1963ねん熊野灘くまのなだ沿岸えんがんへの原子力げんしりょく発電はつでんしょ建設けんせつ計画けいかく公表こうひょうし、よく1964ねんあし浜地はまじ候補こうほ決定けっていした。しかし1966ねんには地元じもと漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃ衆議院しゅうぎいん科学かがく技術ぎじゅつ振興しんこう対策たいさく特別とくべつ委員いいんかい視察しさつ阻止そしする「長島ながしま事件じけん」が発生はっせいするなど、計画けいかく当初とうしょから反対はんたい運動うんどうおこなわれていた。そのため1967ねんには当時とうじさんじゅう県知事けんちじ田中たなかさとし計画けいかく棚上たなあげした。

1975ねんには紀勢きせいまち町長ちょうちょう選挙せんきょ原子力げんしりょく発電はつでんしょ推進すいしんろんしゃ当選とうせん。しかし町長ちょうちょうまちへの多額たがく寄付きふきんのほかに個人こじんてき金銭きんせん要求ようきゅうしたうたがいが浮上ふじょうして任期にんきまっとうできずに辞職じしょく1978ねん1がつには業務ぎょうむじょう横領おうりょう容疑ようぎ逮捕たいほ。さらに中部電力ちゅうぶでんりょく調査ちょうさ所長しょちょう贈賄ぞうわい容疑ようぎ逮捕たいほしている。この時点じてん中部電力ちゅうぶでんりょく紀勢きせいまちにつぎんだ寄付きふきんとうは、3おくえんえているとられていた。町内ちょうない小学校しょうがっこう体育館たいいくかん公民館こうみんかん建設けんせつ費用ひよう中部電力ちゅうぶでんりょくからの寄付きふきんまかなわれており、「かねりなくなったらなかでんたのめ」という風潮ふうちょう出来上できあがっていた[2]

一方いっぽうで、1977ねんくにあし浜地はまじよう対策たいさく重要じゅうよう電源でんげん指定してい1984ねんには三重みえけん原発げんぱつ関連かんれん予算よさん計上けいじょうし、三重みえ県議会けんぎかい立地りっち調査ちょうさ推進すいしん決議けつぎするなど建設けんせつけたうごきはすすんだ。1994ねんには、南島なんとうまち古和浦こわうら漁協ぎょきょう紀勢きせいまちにしき漁協ぎょきょう調査ちょうされに同意どうい。しかしなおかく漁協ぎょきょう対応たいおうかれていた。

1996ねんには、南島なんとうまちあし浜原はまはらはつ阻止そし闘争とうそう本部ほんぶが、県民けんみん81まん2335にん反対はんたい署名しょめい三重みえ県知事けんちじ北川きたがわ正恭まさやす提出ていしゅつした。これをけて1997ねん3がつ三重みえけん県議会けんぎかい調査ちょうさ建設けんせつ冷却れいきゃく期間きかんくようもとめていた南島なんとうまち請願せいがん全会ぜんかい一致いっち採択さいたくした。同年どうねん7がつけん中部電力ちゅうぶでんりょくたいして、立地りっち予定よていからの社員しゃいんげを正式せいしき要請ようせいし、1999ねんまで冷却れいきゃく期間きかんとなった。1999ねんには北川きたがわ国内こくないドイツ原発げんぱつ視察しさつしたほか、南島なんとうまち紀勢きせいまちから意見いけん聴取ちょうしゅおこなっていた。

白紙はくし撤回てっかい[編集へんしゅう]

2000ねん2がつ22にち北川きたがわ県議会けんぎかいで「計画けいかく推進すいしん現状げんじょうでは困難こんなん白紙はくしもどすべきだ」と表明ひょうめいした。その理由りゆうとして、計画けいかく発表はっぴょうから37ねんものあいだ地元じもと住民じゅうみんくるしめてきたのは三重みえけんにも責任せきにんがあるとした。また「電源でんげん立地りっちにかかるよん原則げんそくさん条件じょうけん[ちゅう 1]」をたしていないとべた。当時とうじ県民けんみんの53%、南島なんとう町民ちょうみんの86%が原発げんぱつ反対はんたいしていた。一方いっぽう紀勢きせいまちでは原発げんぱつ推進すいしんいきおいがっていた。

中部電力ちゅうぶでんりょくとしては、原子力げんしりょく発電はつでんしょ静岡しずおかけん浜岡はまおか1かしょたよっているという現状げんじょうがあり、でもあし浜地はまじ原子力げんしりょく発電はつでんしょ建設けんせつしたいという思惑おもわくがあった。しかし三重みえ県知事けんちじ発言はつげんけて、中部電力ちゅうぶでんりょく社長しゃちょう太田おおた宏次こうじ計画けいかく白紙はくしもどすことを表明ひょうめいした。

北川きたがわは2018ねん取材しゅざいたいして、白紙はくし撤回てっかい要請ようせい決断けつだんした理由りゆうについて。原発げんぱつへの賛否さんぴ地域ちいき社会しゃかい分断ぶんだんされている状況じょうきょうしんいためたことと、バブル崩壊ほうかいのち電力でんりょく需要じゅよう減少げんしょうし、中部電力ちゅうぶでんりょくにとっても地元じもと対策たいさく経費けいひ負担ふたんになっているとったことをげている[3]

くに2010ねんまでに原発げんぱつを16から20増設ぞうせつすることを計画けいかくしていた。しかし1999ねん発生はっせいした東海とうかいむらJCO臨界りんかい事故じこあし浜原はまはらはつ白紙はくし撤回てっかいは、この計画けいかくおおきな影響えいきょうあたえたとわれている。

参考さんこう記事きじ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • 南島なんとうまちにて」 1993ねん作成さくせいされたあしはま原子力げんしりょく発電はつでんしょかんする楽曲がっきょく[4]
  • 南島なんとうまちいかだレーステーマソング」 南島なんとうまちで1992ねんからすうかい開催かいさいされた「いかだレース」のテーマソングとして作成さくせいされた楽曲がっきょく[5]

参考さんこう書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • 北村きたむら博司ひろし、『あし浜原はまはらはつはいま』、現代書館げんだいしょかんISBN 4-7684-5543-3
  • 北村きたむら博司ひろし、『原発げんぱつめたまち』、現代書館げんだいしょかんISBN 4-7684-6808-X
  • 朝日新聞あさひしんぶん支局しきょく、『うみよ!―あし浜原はまはらはつ30ねん』、ふうなかだちしゃISBN 4-8331-1033-4
  • 北村きたむら博司ひろし、『原発げんぱつめたまち 新装しんそうばん――三重みえあし浜原はまはらはつさんじゅうななねんたたかい』、現代書館げんだいしょかんISBN 4-7684-5660-X
  • 柴原しばはら洋一よういち、『原発げんぱつことわりかた ぼくのあしはま闘争とうそう』、つきうさぎしゃISBN 4-9072-0816-2

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1980ねんごろ、田川たがわ亮三りょうぞう当時とうじさんじゅう県知事けんちじ)が制定せいていした原発げんぱつ立地りっち原則げんそくよん原則げんそくは、1.地域ちいき住民じゅうみん福祉ふくし向上こうじょう役立やくだつこと、2.環境かんきょうとの調和ちょうわ十分じゅうぶんはかられること、3.地域ちいき住民じゅうみん同意どうい協力きょうりょくられること、4.原子力げんしりょく発電はつでんにおいて安全あんぜんせい確保かくほすること、の4つ。またさん条件じょうけんは、1.立地りっち初期しょき段階だんかいからくに一貫いっかんして責任せきにんをもつ体制たいせい整備せいび、2.安全あんぜん確保かくほのためのくに自治体じちたい事業じぎょうしゃ責任せきにん明確めいかく、3.漁業ぎょぎょう共存きょうぞんできる体制たいせい究明きゅうめいと、産業さんぎょう振興しんこう指導しどう体制たいせい強化きょうか、の3つからなる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 丸山まるやま崇志たかし (2013ねん6がつ21にち). “ちゅうでんみなみ伊勢いせまちへの寄付きふことわ原発げんぱつもと計画けいかく”. 中日ちゅうにち新聞しんぶん. 2016ねん8がつ22にち閲覧えつらん。 “Internet Archiveによる2013ねん6がつ21にち時点じてんのアーカイブページ。”
  2. ^ 自治体じちたい寄付きふきん厚生こうせい ぜん町長ちょうちょう 個人こじんてきにもせびる『朝日新聞あさひしんぶん』1978ねん昭和しょうわ53ねん)1がつ22にち朝刊ちょうかん、13はん、23めん
  3. ^ 三重みえけんあし浜原はまはらはつ白紙はくし」の舞台裏ぶたいうら住民じゅうみんくるしむ姿すがた 決断けつだん北川きたがわもと知事ちじ 18ねんまえかえ東京とうきょう新聞しんぶん』(中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう朝刊ちょうかん2018ねん12月25にち・6めん、2019ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  4. ^ ほんファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示ひょうじ-継承けいしょう 4.0 国際こくさいライセンスによりwikimedia:InNantouChyou.wav公開こうかいされています。
  5. ^ ほんファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示ひょうじ-継承けいしょう 4.0 国際こくさいライセンスによりwikimedia:The_anthem_of_the_raft_race_in_NantouChyou公開こうかいされています。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]