動力炉・核燃料開発事業団どうりょくろかくねんりょうかいはつじぎょうだん

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動力炉・核燃料開発事業団どうりょくろかくねんりょうかいはつじぎょうだん(どうりょくろ・かくねんりょうかいはつじぎょうだん、Power Reactor and Nuclear Fuel Development CorporationPNC)は、1967ねん昭和しょうわ42ねん10月2にち原子げんし燃料ねんりょう公社こうしゃ母体ぼたい発足ほっそくした、戦後せんご日本にっぽん特殊とくしゅ法人ほうじん[1]で、高速こうそく増殖ぞうしょくおよび新型しんがた転換てんかん開発かいはつ専門せんもんとする事業じぎょうだんである。通称つうしょう略称りゃくしょう動燃どうねん(どうねん)である。

かく燃料ねんりょうサイクル中核ちゅうかく施設しせつで、こうレベル放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつおよび使用しようかく燃料ねんりょうさい処理しょり工場こうじょうつ。1998ねん平成へいせい10ねん10月1にちかく燃料ねんりょうサイクル開発かいはつ機構きこうとして改組かいそされたのち2005ねん平成へいせい17ねん)10がつには日本にっぽん原子力げんしりょく研究所けんきゅうじょ統合とうごうされ、独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん日本にっぽん原子力げんしりょく研究けんきゅう開発かいはつ機構きこう再編さいへんされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1960ねんだい高度こうど経済けいざい成長せいちょうに、日本にっぽんエネルギー問題もんだい活路かつろ石油せきゆ火力かりょく発電はつでん)とかく原子力げんしりょく発電はつでん)にもとめた。しかし、原子げんし開発かいはつ技術ぎじゅつりょく当時とうじ日本にっぽんにとっては、国産こくさん原子げんしとお目標もくひょうぎず、安価あんか海外かいがい原子げんし輸入ゆにゅうしたほう経済けいざいめんにおいても負担ふたんすくないため、国内こくない電力でんりょく会社かいしゃは、出来合できあいの輸入ゆにゅう原子げんし次々つぎつぎれていた。さらに、かく燃料ねんりょうであるてい濃縮のうしゅくウラン製造せいぞうには軍事ぐんじ機密きみつおおく、これも海外かいがいからの輸入ゆにゅうたよるほかかった。

ナトリウム冷却れいきゃくのマスコット
ナトリウムちゃん

エネルギー資源しげんとぼしい日本にっぽんは、発電はつでんしながら燃料ねんりょうやすことが可能かのう高速こうそく増殖ぞうしょく着目ちゃくもくした。実現じつげんすれば、ウラン利用りようりつは60ばい向上こうじょうし、じゅん国産こくさんエネルギーとして利用りようできる。しかし、当時とうじ原子力げんしりょく開発かいはつおこなっていた日本にっぽん原子力げんしりょく研究所けんきゅうじょ原研げんけん)は組織そしき不安定ふあんてい状態じょうたいおちいっており、原子げんし提供ていきょう会社かいしゃから原子げんし試験しけん運転うんてん規制きせいされるほどであった。そこで発足ほっそくされたのがどう事業じぎょうだんであり、高速こうそく増殖ぞうしょくもんじゅ」の開発かいはつなど、最先端さいせんたん原子げんし開発かいはつにあたっていた。

高速こうそく増殖ぞうしょく原型げんけい「もんじゅ」のナトリウム漏洩ろうえい事故じこ1995ねん12月8にち)や、東海とうかいむらさい処理しょり施設しせつアスファルト固化こか処理しょり施設しせつ火災かさい爆発ばくはつ事故じこ1997ねん3月11にち)などの不手際ふてぎわのため、1998ねん廃止はいしされ、かく燃料ねんりょうサイクル開発かいはつ機構きこうとして改組かいそされた。その2005ねん10月にかく燃料ねんりょうサイクル開発かいはつ機構きこう原研げんけん統合とうごうされ、日本にっぽん原子力げんしりょく研究けんきゅう開発かいはつ機構きこうとなった。

1991ねんに『プルトニウム物語ものがたり たよれる仲間なかまプルトくん』というPRアニメーション制作せいさくし、プルトくんが「プルトニウムりのみずんでも安全あんぜん」とプルトニウムの安全あんぜんせい強調きょうちょうしていたが、国際こくさいてき批判ひはんびた[2]

歴代れきだい理事りじちょうおも出来事できごと[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]