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萬谷 勝治(まんたに まさはる[1]、1945年12月7日 - 2011年3月5日[2])は、日本の元ラグビー選手。日本代表。京都市立堀川高等学校、早稲田大学商学部卒[1]。
京都市立堀川高等学校を卒業後、早稲田大学商学部に進学。第二期大西鐡之祐の指導のもと、早大ラグビー部の低迷にピリオドを打つ。大学時代には、後の日本ラグビー史に残るサインプレー・「カンペイ」[3]を完成させた。
早大卒業後、1968年にトヨタ自工(現・トヨタ自動車)にラグビー選手として入社、その年度の日本選手権でクラブ初優勝に導く[4]。また、恩師・大西が監督に就任した、同年の日本代表のニュージーランド遠征に参加。カンペイの切り札としてオールブラックス・ジュニアを破る、当時の大金星に貢献した[5]。
現役引退後はトヨタで1980年から1982年まで監督、1997年に部長を務めた。
2011年3月5日、結腸癌のため愛知県豊田市の病院で死去。65歳没[2][4][6]。
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