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葛飾かつしか神社じんじゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
葛飾かつしか神社じんじゃ
鳥居と拝殿
鳥居とりい拝殿はいでん
所在地しょざいち 千葉ちばけん船橋ふなばし西船にしふな丁目ちょうめ3ばん8ごう
位置いち 北緯ほくい3542ふん39びょう 東経とうけい13957ふん25びょう / 北緯ほくい35.71083 東経とうけい139.95694 / 35.71083; 139.95694座標ざひょう: 北緯ほくい3542ふん39びょう 東経とうけい13957ふん25びょう / 北緯ほくい35.71083 東経とうけい139.95694 / 35.71083; 139.95694
主祭しゅさいしん 瓊瓊きねみこと・彦火みこと熊野くまの大神おおがみ
社格しゃかくひとし 村社そんしゃ
創建そうけん しょう
例祭れいさい 10月14にち-15にち
地図ちず
葛飾神社の位置(千葉県内)
葛飾神社
葛飾かつしか神社じんじゃ
葛飾神社の位置(関東地方内)
葛飾神社
葛飾かつしか神社じんじゃ
テンプレートを表示ひょうじ
たてまつ勧請かんじょう葛飾かつしか大明神だいみょうじん」ときざまれる石碑せきひおさめた合祀ごうし以前いぜんほこら 2009ねん4がつ19にち撮影さつえい

葛飾かつしか神社じんじゃ(かつしかじんじゃ)は、千葉ちばけん船橋ふなばしにある神社じんじゃ

祭神さいじん

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瓊瓊きねみこと彦火みこと熊野くまの大神おおがみ祭神さいじんとする。

歴史れきし

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葛飾かつしか地名ちめいおおいが、「葛飾かつしか」とはかずら(カズラ)しげり、それにかざられたゆたかでうつくしい土地とち意味いみする。『和名わみょう類聚るいじゅうしょう』には葛飾かつしかぐん栗原くりはらさとしるされ[1][2][3]熊野くまの大神おおがみまつる「熊野くまの神社じんじゃ」が勝間田かつまたいけげん勝間田かつまた公園こうえんはた西側にしがわおかにあった。

一方いっぽう、「葛飾かつしか神社じんじゃ元宮もとみや」(または「葛飾かつしか大明神だいみょうじん」・「葛飾かつしか明神みょうじん」)のほこらもと位置いち近傍きんぼうとされる船橋ふなばし市立しりつ葛飾かつしか中学校ちゅうがっこう北側きたがわ児童じどう公園こうえん印内いんない公園こうえん)にならんであり、元宮もとみや御手洗みたらい井戸いどばれた「かずら(かずら)の」もちかくにある。文化ぶんか年間ねんかん1804ねん - 1818ねん)に再建さいけんされた鳥居とりいの「がくたば(がくづか)」には「いちぐん惣社そうしゃ 葛飾かつしかみや 新田にった末裔まつえいとくじゅんまきしょ」ときざまれ、この元宮もとみや葛飾かつしかぐん総社そうじゃあがめられたようで、現在げんざいとう神社じんじゃはこれをいだものである。大正たいしょう5ねん1916ねん)、元宮もとみや熊野くまの神社じんじゃ合祀ごうししてげん社名しゃめい葛飾かつしか神社じんじゃ」と改称かいしょう、そのとき村社そんしゃれつした。

境内けいだい

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階段かいだんじょう境内けいだいは24つぼひろくはないがまわりに「船橋ふなばし名木めいぼく10せん」のクロマツすうほんある。国道こくどう14ごうめんし、成田なりた街道かいどうばれた時代じだいから成田山新勝寺なりたさんしんしょうじへの参拝さんぱい佐倉さくら街道かいどうへと往来おうらいするひとから白眉はくび(はくび)のまつひとつとしてしたしまれている[4]

交通こうつう

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最寄駅もよりえき東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう東京とうきょう地下鉄ちかてつひがし高速こうそく鉄道てつどう西船橋にしふなはしえきまたは京成電鉄けいせいでんてつ京成けいせい西船にしふなえき

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ しょう栗原くりはら沿革えんかく抜粋ばっすい”. 船橋ふなばし. 2009ねん4がつ13にち閲覧えつらん[リンク]
  2. ^ 船橋ふなばし/船橋ふなばしデジタルミュージアム トップ → ふるさと船橋ふなばし地名ちめいる → 小栗おぐりげん
  3. ^ 栗原くりはらさといま船橋ふなばし市立しりつしょう栗原くりはら小学校しょうがっこうとして地名ちめいのこしている。
  4. ^ 葛飾かつしか神社じんじゃのクロマツ”. 船橋ふなばしみどり基金ききん. 2009ねん4がつ12にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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