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ゆたか要塞ようさい

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佐田さたみさき砲台ほうだいの穹窖砲台ほうだい
佐田さたみさき砲台ほうだいの穹窖砲台ほうだい内部ないぶさんはちしきじゅうせんちめーとる榴弾りゅうだんほう(レプリカ)が設置せっちされている

ゆたか要塞ようさい(ほうよようさい)は、豊予海峡ほうよかいきょう防備ぼうびのため設置せっちされた大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんとう要塞ようさいである。

四国しこくがわ佐田さたみさき地区ちく九州きゅうしゅうがわ鶴見つるみ半島はんとう地区ちくおよ関崎せきざき高島たかしま地区ちくの3つの地区ちくかれていた。

概要がいよう

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1920ねん大正たいしょう9ねん)の要塞ようさい整理せいり方針ほうしんもとづき工事こうじ着手ちゃくしゅされた。1921ねん大正たいしょう10ねん)から1930ねん昭和しょうわ5ねん)までだいいち工事こうじ実施じっしし、1931ねん昭和しょうわ6ねん以降いこうだい工事こうじ実施じっしされた。この要塞ようさい建設けんせつにより、げい要塞ようさい広島ひろしまわん要塞ようさい整理せいりされ廃止はいしとなった。

太平洋戦争たいへいようせんそうひかえ、1941ねん昭和しょうわ16ねん)11月に警急戦備せんびしたれいされた。1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつめぐよう戦艦せんかん伊吹いぶき」の後部こうぶ主砲しゅほう45口径こうけい30センチ2連装れんそうカノンほう転用てんようしてつくられた鶴見つるみさき砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 1]砲塔ほうとう砲台ほうだい)で実弾じつだん射撃しゃげきさいみぎ砲身ほうしんほう破裂はれつ事故じこ発生はっせいし、砲塔ほうとう全体ぜんたいび16めい死者ししゃ[1]再生さいせい不能ふのうとなった。同年どうねん3がつ代替だいたい砲台ほうだいとして鶴見つるみさき砲台ほうだい(15cmカノンほう)の工事こうじ着手ちゃくしゅし、同年どうねん9がつ竣工しゅんこうした。佐田さたみさき砲台ほうだい榴弾りゅうだんほう志布志湾しぶしわん高崎たかさき砲台ほうだい移設いせつしたために1944ねんいち廃止はいしされたが、1945ねん2がつよりさい整備せいび工事こうじはじまり終戦しゅうせん直前ちょくぜん工事こうじ完了かんりょうした。最終さいしゅうてきには佐賀関さがのせき関崎せきさき高島たかしまをはじめとし、南海部みなみあまべぐん鶴見つるみまち鶴見つるみさき愛媛えひめけん由良岬ゆらのはななど、豊後水道ぶんごすいどうはさりょうきし13ヶ所かしょに、けい46もん大小だいしょう口径こうけいほう設置せっちされた。これによって豊後水道ぶんごすいどうはすっぽりと、その要塞ようさいほう射程しゃていないおさまることとなった。

要塞ようさい周辺しゅうへんである豊後水道ぶんごすいどう沿岸えんがん一帯いったい終戦しゅうせんまで写真しゃしん撮影さつえい禁止きんしされるなどの様々さまざま制限せいげんけていた[2]

年譜ねんぷ

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  • 1920ねん大正たいしょう9ねん)8がつ10日とおか - 広島ひろしまわん要塞ようさい司令しれいない陸軍りくぐん築城ちくじょうゆたか支部しぶかり事務所じむしょ設置せっち。その佐賀さがせき移転いてん
  • 1921ねん大正たいしょう10ねん)7がつ - 高島たかしまだい1砲台ほうだい高島たかしまだい2砲台ほうだい関崎せきざき砲台ほうだい 着工ちゃっこう
  • 1922ねん大正たいしょう10ねん)10がつ5にち - 高島たかしま火薬かやくささえ 起工きこう
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん
  • 1924ねん大正たいしょう13ねん
  • 1925ねん大正たいしょう14ねん
    • 8がつ - 佐田さたみさき電灯でんとうしょ 竣工しゅんこう
    • 9月 - 佐田さたみさきだい1砲台ほうだい備砲びほう工事こうじ(7ねんしき15cmカノン 4もん竣工しゅんこう
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん
    • - 正野まさのたに軍用ぐんよう桟橋さんばし 建築けんちく
    • 2がつ - 佐田さたみさきの掩灯しょ[注釈ちゅうしゃく 2]移動いどうしき照明しょうめいしょスペリーしき150cm射光しゃこう竣工しゅんこう
    • 8がつ1にち - 広島ひろしまわん要塞ようさい司令しれい閉鎖へいさし、ゆたか要塞ようさい司令しれい佐賀さがせき古宮こみやひらけちょう広島ひろしまわん要塞ようさい司令しれいかん 弘中ひろなかあきら 少将しょうしょうが、初代しょだい ゆたか要塞ようさい司令しれいかんとして、広島ひろしまわん要塞ようさい司令しれい廃止はいし業務ぎょうむゆたか要塞ようさい司令しれい新設しんせつ業務ぎょうむ指揮しき
      • ゆたか要塞ようさい司令しれい
        • 要塞ようさい司令しれい 司令しれいかん
        • 参謀さんぼう 将校しょうこう1、下士官かしかん1、雇員こいん1
        • 副官ふっかん 将校しょうこう1、下士官かしかん2、傭人ようにん3
        • 砲兵ほうへい 将校しょうこう1、下士官かしかん4、工員こういん5
        • 工兵こうへい 将校しょうこう1、下士官かしかん3、技手ぎしゅ1、工員こういん10
        • 経理けいり 将校しょうこう1、下士官かしかん2、雇員こいん2
        • その かく砲台ほうだいおよ弾薬だんやくほん看守かんしゅとして下士官かしかんかく1を配置はいちしあり。
      • 装備そうび火砲かほう
    • 11月15にち - 佐田さたみさきだい1砲台ほうだい 竣工しゅんこう
    • - ゆたか要塞ようさい司令しれいかん官舎かんしゃ 竣工しゅんこう
    • - 鶴見つるみさき砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 1]砲塔ほうとう45口径こうけい30cmカノン 連装れんそう 1着工ちゃっこう[3]
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん
    • 4がつ - 陸軍りくぐん築城ちくじょうゆたか支部しぶ佐伯さえき移転いてん
    • 6月16にち - 鶴見つるみさき砲台ほうだい 着工ちゃっこう
    • 10月31にち - 佐田さたみさきだい2砲台ほうだい 竣工しゅんこう
    • 12月2にち - 佐田さたみさきだい2砲台ほうだい備砲びほう工事こうじ7ねんしき30cmたん榴弾りゅうだんほう 4もん竣工しゅんこう
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん
    • 4がつ - 鶴見つるみさき砲台ほうだい観測かんそくしょはちはちしき海岸かいがん射撃しゃげき着工ちゃっこう
    • 12月 - 鶴見つるみさき砲台ほうだい備砲びほう工事こうじ砲塔ほうとう45口径こうけい30cmカノン 連装れんそう 1竣工しゅんこう
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん
    • - 鶴見つるみさき砲台ほうだい砲塔ほうとう45口径こうけい30cmカノン 連装れんそう 1竣工しゅんこう[3]
    • 5がつ10日とおか - 志生木しゅうき弾薬だんやくほん 竣工しゅんこう[注釈ちゅうしゃく 3]
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん
  • 1934ねん昭和しょうわ9ねん
    • 4がつ24にち - 高島たかしまだい3砲台ほうだい備砲びほう工事こうじ(斯加しき12cm速射そくしゃカノン 4もん竣工しゅんこう
    • 6月30にち - 高島たかしまだい3砲台ほうだい 竣工しゅんこう
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん
  • 1940ねん昭和しょうわ15ねんはる - 前年ぜんねん火砲かほう抽出ちゅうしゅつによりだいかわとして、7ねんしき15cmカノン 4もん38しき野砲やほう 12もん補充ほじゅうされ配備はいび
    • 佐田さたみさきだい1砲台ほうだいは、陸軍りくぐん築城ちくじょうにおいてあらたに補給ほきゅうされた 7ねんしき15cmカノン よう改修かいしゅう
      • 昭和しょうわ15ねん はる - 起工きこう
      • 同年どうねん なつ - 竣工しゅんこう
    • 野砲やほう 12もんは、要塞ようさい司令しれい兵器へいきおよ弾薬だんやくほん格納かくのう保管ほかん
    • 戦備せんびれい同時どうじかく地区ちく補給ほきゅうするごと計画けいかく
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん
    • 1がつ8にち - 配備はいび完了かんりょう
      • 要塞ようさい司令しれい
        • 重砲じゅうほうへい連隊れんたい本部ほんぶ
          • はや地区ちくたい
            • 高島たかしまだい1砲台ほうだい:斯加しき9cm速射そくしゃカノン 4もん・90cm探照灯たんしょうとう 1
            • 高島たかしまだい3砲台ほうだい:斯加しき12cm速射そくしゃカノン 4もん・200cm探照灯たんしょうとう 1
            • 佐田さたみさき砲台ほうだい :7ねんしき15cmカノン 4もんスペリーしき150cm射光しゃこう 1
          • 鶴見つるみさき地区ちくたい
          • 沖ノ島おきのしま地区ちくたい
        • 佐賀関さがのせき陸軍りくぐん病院びょういん
    • 1がつ11にち - 鶴見つるみさき砲台ほうだい砲塔ほうとう45口径こうけい30cmカノン 連装れんそうほう実弾じつだん射撃しゃげき演習えんしゅうちゅうみぎ砲身ほうしん腔発事故じこ発生はっせいゆたか要塞ようさい重砲じゅうほうへい連隊れんたいちょう 内藤ないとう千里せんり 中佐ちゅうさ殉職じゅんしょく大佐たいさ進級しんきゅう)をふくめ16めい死亡しぼう、23めい重軽傷じゅうけいしょう砲台ほうだい昭和しょうわ17ねん7がつ14にちはい砲台ほうだいとなる。
    • 2がつ10日とおか - 佐田さたみさきだい2砲台ほうだい 廃止はいし
    • 3月 - 事故じこ廃止はいし鶴見つるみさき砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 1]応急おうきゅうだいかわ砲台ほうだい 建設けんせつ[注釈ちゅうしゃく 9]
      • 3月12にち - 鶴見つるみさきだい1砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 10] 着工ちゃっこう
      • - 鶴見つるみさきだい2砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 11] 着工ちゃっこう
      • 日振島ひぶりしま 野砲やほうよう臨時りんじ砲台ほうだい
      • 蒲江かまえせりさき 野砲やほうよう臨時りんじ砲台ほうだい
    • 7がつ14にち - 鶴見つるみさき砲台ほうだい はい砲台ほうだいとなる。
    • 8がつ
      • - 砲塔ほうとうカノン・兵器へいき局長きょくちょう通牒つうちょう細部さいぶ補修ほしゅう計画けいかく鶴見つるみさき砲台ほうだい
      • - ゆたか要塞ようさい編成へんせい改正かいせい
        • ゆたか要塞ようさい司令しれい佐賀さがせき
          • ゆたか要塞ようさい重砲じゅうほうへい連隊れんたい本部ほんぶ佐賀さがせき
            • だい1中隊ちゅうたい鶴見つるみさきだい1砲台ほうだい守備しゅびたい):7ねんしき15cmカノン 4もん・150cm探照灯たんしょうとう 1
            • だい2中隊ちゅうたい鶴見つるみさきだい2砲台ほうだい守備しゅびたい):38しき12cm榴弾りゅうだんほう 4もん・20mm機関きかんほう 2もん
            • だい3中隊ちゅうたい高島たかしまだい1砲台ほうだい守備しゅびたい) :斯加しき9cm速射そくしゃカノン 2もん・90cm探照灯たんしょうとう 1
            • だい4中隊ちゅうたい高島たかしまだい3砲台ほうだい守備しゅびたい) :斯加しき12cm速射そくしゃカノン 4もん・200cm探照灯たんしょうとう 1
            • だい5中隊ちゅうたい佐田岬さだみさきだい1砲台ほうだい守備しゅびたい):7ねんしき15cmカノン 4もん・スペリーしき150cm射光しゃこう 1
          • 佐賀関さがのせき陸軍りくぐん病院びょういん佐賀関さがのせき古宮こみや
        • 要塞ようさい編成へんせい改正かいせいにより削除さくじょされる兵力へいりょく兵器へいき
          • 人員じんいん450めい関東軍かんとうぐん転属てんぞく
          • 小倉おぐら補給ほきゅうしょう38しき野砲やほう 8もん大阪おおさか補給ほきゅうしょうへ斯加しき9cm速射そくしゃカノン 2もん残余ざんよ38しき野砲やほう 4もん要塞ようさい予備よび兵器へいきとして格納かくのう保管ほかん
    • 9月 - 鶴見つるみさきだい2砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 11] 竣工しゅんこう
    • 9月30にち - 鶴見つるみさきだい1砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 10]竣工しゅんこう
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん
    • 2がつ
    • 3がつ
      • 戦況せんきょう進展しんてんともない、要塞ようさい改造かいぞう強化きょうか配備はいび変更へんこう洞窟どうくつしき要塞ようさい強化きょうか着手ちゃくしゅ
        • 鶴見つるみさきだい1砲台ほうだい洞窟どうくつない移設いせつきゅうだい1砲台ほうだいには きゅうだい2砲台ほうだいの38しき12cm榴弾りゅうだんほう 4もん配備はいびし、しん-鶴見つるみさきだい2砲台ほうだいとする[5]
        • そのしん-鶴見つるみさきだい2砲台ほうだいから佐田岬さだみさきだい3砲台ほうだい佐田さたみさきだい4砲台ほうだいへ 38しき12cm榴弾りゅうだんほう かく2もんさい移設いせつ[6]
        • 高島たかしまだい2砲台ほうだい予備よび兵器へいき38しき野砲やほう かく2もん配備はいび
        • 関崎せきざき砲台ほうだい予備よび兵器へいき38しき野砲やほう かく2もん配備はいび
      • 昭和しょうわ20ねん3がつ時点じてんゆたか要塞ようさい
    • 4がつ8にち - ゆたか要塞ようさい守備しゅびたい編成へんせい
    • 5月23にち
    • 6がつ10日とおか - 旅団りょだん司令しれい編成へんせい完結かんけつ

主要しゅよう施設しせつ

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佐田さたみさき地区ちく
  • 佐田さたみさきだい1砲台ほうだい佐田さたみさき灯台とうだい駐車ちゅうしゃじょう佐田さたみさき灯台とうだいキャンプじょう 付近ふきん
  • 佐田さたみさきだい2砲台ほうだい登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざいきゅうせい野谷のたに桟橋さんばし付近ふきん
  • 佐田さたみさきだい3砲台ほうだい佐田さたみさき灯台とうだい 下部かぶ
  • 佐田さたみさきだい4砲台ほうだい籠島かごしま南側みなみがわ岸壁がんぺき
  • 正野まさのたに軍用ぐんよう桟橋さんばし登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざいきゅうせい野谷のたに桟橋さんばし
高島たかしま地区ちく
  • 高島たかしまだい1砲台ほうだい高島たかしまキャンプじょう海水浴かいすいよくじょう
  • 高島たかしまだい2砲台ほうだい
  • 高島たかしまだい3砲台ほうだい
  • 関崎せきざき砲台ほうだいせき埼灯だい付近ふきん
鶴御崎つるみさき地区ちく
  • 鶴見つるみさき砲台ほうだい[注釈ちゅうしゃく 1](もと-鶴見つるみさきだい2砲台ほうだい) :鶴見つるみ半島はんとう砲台ほうだい園地えんち
  • しん-鶴見つるみさきだい1砲台ほうだいミュージアムパーク鶴御崎つるみさき先端せんたん洞窟どうくつ砲台ほうだいあと
  • しん-鶴見つるみさきだい2砲台ほうだい(きゅう-鶴見つるみさきだい1砲台ほうだい) :ミュージアムパーク鶴御崎つるみさき鶴御崎つるみさき砲台ほうだいあと
  • 鶴見つるみさき砲台ほうだい観測かんそくしょ西部せいぶぐん情報じょうほうたい(きゅう-鶴見つるみさきだい2砲台ほうだい) :ミュージアムパーク鶴御崎つるみさきおとこみなと歌碑かひ 付近ふきん
  • 蒲江かまえせりさき 野砲やほうよう臨時りんじ砲台ほうだい
佐賀さがせき地区ちく
  • ゆたか要塞ようさい司令しれい大分おおいた市立しりつ佐賀関さがのせき中学校ちゅうがっこう
  • ゆたか要塞ようさい司令しれいかん官舎かんしゃ登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい(建造けんぞうぶつ)
  • 佐賀関さがのせき陸軍りくぐん病院びょういんせきあいかい佐賀関さがのせき病院びょういん
  • 志生木しゅうき弾薬だんやくほんからしこう簡易かんい郵便ゆうびんきょく 南方なんぽう 民家みんか・ゴミ集積しゅうせきしょ
  • 佐賀関さがのせき軍用ぐんよう桟橋さんばし:フェリー桟橋さんばし 付近ふきん
沖ノ島おきのしま地区ちく
  • 沖ノ島おきのしまだい1砲台ほうだい
  • 沖ノ島おきのしまだい2砲台ほうだい
  • 日振島ひぶりしま 野砲やほうよう臨時りんじ砲台ほうだい

海軍かいぐん施設しせつ

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  • 海軍かいぐん芹崎せんざき(仙崎せんざき)海面かいめん砲台ほうだい - 40口径こうけいやすしき15cmほう 3もん聴音ちょうおん
  • 海軍かいぐん鶴見つるみさき防備ぼうびまもるしょ - 92しき機雷きらい :ミュージアムパーク鶴御崎つるみさきつる埼灯だい海軍かいぐん望楼ぼうろうあと
  • 海軍かいぐん鵜来島うぐるしま砲台ほうだい - 15cmほう 3もん

歴代れきだい司令しれいかん

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ゆたか要塞ようさい重砲じゅうほうへい連隊れんたい

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ゆたか要塞ようさい重砲じゅうほうへい連隊れんたいは、ゆたか要塞ようさい主戦しゅせんりょくとして1941ねん昭和しょうわ16ねん)12がつ20日はつか編成へんせいれいされ、佐賀さがせき編成へんせいされた[9]通称つうしょうごうむつみだい2738部隊ぶたいである。1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ11にちに、配備はいびはつ実弾じつだん射撃しゃげき砲台ほうだい実施じっししたところ、腔発事故じここし、内藤ないとう千里せんり連隊れんたいちょう以下いか16めい死亡しぼう、28めい負傷ふしょうした[5][10]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ23にちに、本土ほんど決戦けっせんそなえて野戦やせんてき性格せいかくのある重砲じゅうほうへいだい18連隊れんたい改称かいしょうされ、独立どくりつ混成こんせいだい118旅団りょだんへんあわされた。つづ既設きせつ砲台ほうだいに5中隊ちゅうたい配置はいちして、終戦しゅうせんまで防衛ぼうえい態勢たいせいをとった。矢野やのきよし彦連隊長たいちょう旅団りょだん高島たかしま地区ちく隊長たいちょうつとめていた。大戦たいせん末期まっきには本土ほんど決戦けっせんそなえてやく1100にん守備しゅびたい兵士へいし配置はいちされた[9]

  • ゆたか要塞ようさい重砲じゅうほうへい連隊れんたい通称つうしょうごうむつみだい2738部隊ぶたい
    • 編成へんせい佐賀さがせき
    • 歴代れきだい連隊れんたいちょう一部いちぶ不明ふめい
      • 内藤ないとう千里せんり 中佐ちゅうさ:1941ねん12月23にち - 1942ねん1がつ11にち事故死じこし大佐たいさ特進とくしん
      • 矢野やのきよし大佐たいさ(30): - 1945ねん5がつ23にち
  • 重砲じゅうほうへいだい18連隊れんたい通称つうしょうごう堅塁けんるいだい2738部隊ぶたい
    • 編成へんせい佐賀さがせき
    • 歴代れきだい連隊れんたいちょう
      • 矢野やのきよし彦(30):1945ねん5がつ23にち - 終戦しゅうせん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ a b c d e 地元じもとでは砲台ほうだい通称つうしょう
  2. ^ 探照灯たんしょうとう格納庫かくのうこ
  3. ^ a b ゆたか要塞ようさい砲台ほうだいよう九州きゅうしゅうけい要塞ようさいぐんそう予備よびようとしての弾薬だんやく佐賀さがせき軍用ぐんよう桟橋さんばしかく火薬かやくあいだには手押てお軽便鉄道けいべんてつどう敷設ふせつし、迅速じんそく運搬うんぱんそなえていた。無煙むえん薬用やくよう火薬かやく/3洞窟どうくつしき)・はまくすり弾丸だんがん/6ゆうけむり薬用やくよう火薬かやく/4ほか清涼せいりょう弾薬だんやく木造もくぞう倉庫そうこ薬莢やっきょうかん守衛しゅえいしゃ衛兵えいへいしょとうそなえた規模きぼおおきな弾薬だんやくだったようで、終戦しゅうせんにはやく1,000トンの弾薬だんやくるい格納かくのうされていたらしい。
  4. ^ きたみつる転用てんようのため。
  5. ^ きたみつる転用てんようのため撤去てっきょしたが、南方みなかた作戦さくせん使用しよう考慮こうりょ小倉おぐら陸軍りくぐん兵器へいき補給ほきゅうしょう保管ほかん
  6. ^ このとき高島たかしまだい1砲台ほうだいの斯加しき9cm速射そくしゃカノン 2もん倉庫そうこ分解ぶんかい格納かくのうされていたため、予備よび兵器へいき38しき野砲やほう 2もん臨時りんじ設置せっちした。
  7. ^ 2コ大隊だいたい6中隊ちゅうたい編成へんせい定員ていいんやく700めい
  8. ^ じゅん戦備せんびれい倉庫そうこ格納かくのうされていた斯加しき9cm速射そくしゃカノン 2もん高島たかしまだい1砲台ほうだい既設きせつほうゆかたてて、それまで臨時りんじ設置せっちしていた予備よび兵器へいき38しき野砲やほう 2もん佐田岬さだみさき撤去てっきょした。
  9. ^ 砲台ほうだいはい砲台ほうだいとなり、昭和しょうわ17ねんはる津軽つがる要塞ようさいより7ねんしき15cmカノン 2もん伊良湖いらこ演習えんしゅうじょうより7ねんしき15cmカノン 2もん小倉おぐら補給ほきゅうしょうより38しき12cm榴弾りゅうだんほう 4もん転用てんようけ、陣地じんち偵察ていさつ結果けっか鶴見つるみさき装備そうびすることに決定けってい
  10. ^ a b 急遽きゅうきょ鶴見つるみさき砲台ほうだい観測かんそくしょ西部せいぶぐん情報じょうほうたい 付近ふきんに、近隣きんりん町村ちょうそんじん連日れんじつ600余人よにん徴用ちょうよう動員どういんして建築けんちく。7ねんしき15cmカノン 4もん配置はいちして、鶴見つるみさきだい1砲台ほうだいとした。
  11. ^ a b 鶴見つるみさき砲台ほうだい 付近ふきんに、38しき12cm榴弾りゅうだんほう 4もん・20mm機関きかんほう 2もん配備はいびして鶴見つるみさきだい2砲台ほうだいとした。
  12. ^ 2017ねん4がつ伊方いかたまちによってだい4砲台ほうだいの1つが観光かんこうよう整備せいびされた。穹窖砲台ほうだいないにはレプリカのさんはちしきじゅうせんちめーとる榴弾りゅうだんほう設置せっちされた。また佐田岬さだみさき灯台とうだいのぞ展望てんぼうだいや「永遠えいえん(とわ)の」とばれる灯台とうだい東側ひがしがわからのぞモニュメントつくられた。灯台とうだいからは三崎みさき漁協ぎょきょうきゅう蓄養経由けいゆして籠島かごしまいたながさ200mの歩道ほどうあらたに整備せいびされた。だい4砲台ほうだいつづ洞穴どうけつも、元々もともともとりであったが、崩落ほうらく防止ぼうしのためにコンクリートで補強ほきょうされ見学けんがくできるようになった。

出典しゅってん

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  1. ^ 砲台ほうだい園地えんち”. 佐伯さいき. 2017ねん8がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ ゆたか要塞ようさい”. 臼杵きゅうしょ (2014ねん1がつ1にち). 2017ねん8がつ25にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 歴史れきしぐんぞうシリーズ『日本にっぽん要塞ようさい』、181ぺーじ
  4. ^ 突貫とっかん工事こうじ まけ歴史れきしねむ砲台ほうだいあと 佐田岬半島さだみさきはんとうから:1)/愛媛えひめ 朝日新聞あさひしんぶん 1999ねん8がつ15にち 大阪おおさか地方ちほうばん愛媛えひめ 29ぺーじ 愛媛えひめ うつしゆう (ぜん1,386)
  5. ^ a b 三重野みえの勝人まさと戦跡せんせきゆたか要塞ようさい』の実像じつぞうさぐ」『大分おおいたけん地方ちほうだい181ごう大分おおいたけん地方ちほう研究けんきゅうかい、2001ねん3がつ、24-41ぺーじNAID 120002739997 
    三重野みえの勝人まさと戦跡せんせきゆたか要塞ようさい」の実像じつぞうさぐ」『別府べっぷ史談しだんだい23ごう別府べっぷ史談しだんかい、2010ねん3がつ、37-50ぺーじNAID 120003558576 
  6. ^ 忠魂碑ちゅうこんひ 犠牲ぎせいしゃきざむ(ねむ砲台ほうだいあと 佐田岬半島さだみさきはんとうから:6)/愛媛えひめ 朝日新聞あさひしんぶん 1999ねん8がつ21にち 大阪おおさか地方ちほうばん愛媛えひめ 29ぺーじ 愛媛えひめ うつしゆう (ぜん727)
  7. ^ 官報かんぽうだい1683ごう昭和しょうわ7ねん8がつ9にち
  8. ^ 官報かんぽうだい2575ごう昭和しょうわ10ねん8がつ2にち
  9. ^ a b 情報じょうほうランド]戦跡せんせき慰霊いれい 2001ねん7がつ11にち 読売新聞よみうりしんぶん 東京とうきょう朝刊ちょうかん 20ぺーじ うつしゆう (ぜん6,889)
  10. ^ 相良さがらぬし殿どの砲台ほうだい爆発ばくはつ : められた惨事さんじ記録きろく」『佐伯さえき史談しだんだい73ごう佐伯さえき史談しだんかい、1971ねん2がつ、9-13ぺーじNAID 120003646582 
    相良さがらぬし殿どの市外しがい-追想ついそう : たん砲台ほうだい爆発ばくはつ : たん砲台ほうだい爆発ばくはつ : められた惨事さんじ記録きろく」『別府べっぷ史談しだんだい23ごう別府べっぷ史談しだんかい、2010ねん3がつ、87-93ぺーじNAID 120003558580 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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