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津軽つがる要塞ようさい

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津軽つがる要塞ようさい御殿山ごてんやまだい砲台ほうだいあと

津軽つがる要塞ようさい(つがるようさい)は、津軽海峡つがるかいきょう守備しゅび範囲はんいとした大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん要塞ようさいである。前身ぜんしん函館はこだて要塞ようさいもここで解説かいせつする。

なお、函館山はこだてさん要塞ようさいあとは、2001ねん平成へいせい13ねん)10がつ、「函館はこだてさん砲台ほうだいあと」として北海道ほっかいどう遺産いさん選定せんていされている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

函館はこだて要塞ようさい概要がいよう [編集へんしゅう]

函館はこだて要塞ようさい陸軍りくぐん千畳敷せんじょうじき砲台ほうだい御殿山ごてんやまだいいち砲台ほうだい御殿山ごてんやまだい砲台ほうだい薬師山やくしさん砲台ほうだいおよ立待たちまちるい海軍かいぐん機雷きらい構成こうせいされる。

仮想かそう敵国てきこくロシア帝国ていこくとし[1]1896ねん明治めいじ29ねんごろから「てきぐんヲシテほんわん利用りようセシメサルごと」を目的もくてき要塞ようさい設置せっち計画けいかくされ、1897ねん明治めいじ30ねん)11月函館はこだて要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたい編成へんせいされ、亀田かめだむらげん西堀にしぼり病院びょういん跡地あとちたるところにかり事務所じむしょ開設かいせつかり兵舎へいしゃとして五稜郭ごりょうかくきゅう兵糧ひょうろうをあて、はしかたわらに28 cm榴砲だん1もん演習えんしゅうはじめた[2][3]1898ねん明治めいじ31ねん)6がつには薬師山やくしさん砲台ほうだい起工きこうし、同年どうねん9がつ28にち陸軍りくぐんしょう告示こくじだい11ごうにより函館はこだて要塞ようさい周辺しゅうへん区域くいきしめされた。同年どうねん6がつ御殿山ごてんやまだいいち砲台ほうだい起工きこう同年どうねん9がつ御殿山ごてんやまだい砲台ほうだい起工きこうとなる。同年どうねん11がつ25にち函館はこだて要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたい北海道ほっかいどう亀田かめだぐん亀田かめだむら千代ちよヶ岱に移転いてんした[4][5]1900ねん明治めいじ33ねん)5がつ23にち函館はこだて要塞ようさい司令しれい函館はこだて要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたい構内こうないひらけちょうした[6]1903ねん明治めいじ36ねん)6がつ25にち函館はこだて要塞ようさい司令しれい函館はこだて谷地頭やじがしらまち移転いてん同日どうじつより事務じむ開始かいし[7]

要塞ようさいしょ施設しせつ完成かんせいにち戦争せんそう1904ねん明治めいじ37ねん2がつ8にちから1905ねん明治めいじ38ねん9月5にち)をむかえ、函館はこだて要塞ようさい動員どういんされるが、ロシア帝国ていこくウラジオストク艦隊かんたい軍事ぐんじ挑発ちょうはつ阻止そしできず北海道ほっかいどう孤立こりつ混乱こんらんした[8]具体ぐたいてき艦隊かんたいは1904ねん明治めいじ37ねん)7がつ20日はつか日本海にほんかいより津軽海峡つがるかいきょう侵入しんにゅうし、そのまま太平洋たいへいようけて反転はんてん、30にちふたた侵入しんにゅうし、日本海にほんかいけた。そのあいだ船舶せんぱく出港しゅっこう見合みあわせた[9]

1919ねん大正たいしょう8ねん)の要塞ようさい整理せいりあんにより廃止はいしされた[10]

津軽つがる要塞ようさい概要がいよう [編集へんしゅう]

津軽つがる要塞ようさい津軽海峡つがるかいきょう防備ぼうびするためにあらたにもうけられた要塞ようさいである。

にち戦争せんそうちゅう明治めいじ38ねん5がつ19にち山縣やまがた有朋ありとも提案ていあんをきっかけに明治めいじ42ねん策定さくてい要塞ようさい整理せいりあん前身ぜんしんきゅう函館はこだて要塞ようさい備砲びほう撤去てっきょすす[11]1916ねん大正たいしょう5ねん)には御殿山ごてんやまだいいち砲台ほうだいおよ薬師山やくしさん砲台ほうだい廃止はいしした。

大正たいしょう8ねん要塞ようさい整理せいりあんにより津軽つがる要塞ようさい新規しんき設置せっちされる。昭和しょうわはい竜飛崎たっぴざき砲台ほうだいおよ汐首岬しおくびみさき砲台ほうだいおよ大間崎おおまざき砲台ほうだい完成かんせいさせて、1927ねん昭和しょうわ2ねん)にはきゅう函館はこだて要塞ようさい吸収きゅうしゅうする。ワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやく解体かいたいされた戦艦せんかん伊吹いぶき主砲しゅほう転用てんようされ、津軽海峡つがるかいきょう封鎖ふうさ可能かのうとなった。また新設しんせつ砲台ほうだいへの軍事ぐんじ物資ぶっし兵員へいいん輸送ゆそう目的もくてき戸井といせん五稜郭ごりょうかくえき-かわえき-戸井といえき)、だいあいだせん下北しもきたえき-奥戸おくどえき大畑線おおはたせんはその一部いちぶ)の建設けんせついそがれた。

太平洋戦争たいへいようせんそうはじまり各地かくち要塞ようさいぐん隷属れいぞくすると、津軽つがる要塞ようさい1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつ5にち軍令ぐんれいりくかぶとだい10ごうにより北部ほくぶぐん編入へんにゅうされ、その1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつ16にち大陸たいりくいのちだい967ごうによりだい5方面ほうめんぐん戦闘せんとう序列じょれつ編入へんにゅうされだい5方面ほうめんぐん隷下れいかとなった。室蘭むろらん防備ぼうび担当たんとうし、津軽つがる要塞ようさい重砲じゅうほうへい連隊れんたいだい3中隊ちゅうたい配置はいちしていた。どう中隊ちゅうたいのちだい8独立どくりつ警備けいびたい編入へんにゅうされ、建設けんせつちゅう室蘭むろらん臨時りんじ要塞ようさい展開てんかいして室蘭むろらん防備ぼうびたったが、1945ねん昭和しょうわ20ねん)7がつ室蘭むろらんかんほう射撃しゃげきではかい射程しゃてい関係かんけいなん反撃はんげきもできなかった。その北海道ほっかいどう空襲くうしゅうなどにさいして、津軽つがる要塞ようさいかく部隊ぶたい対空たいくう戦闘せんとう実施じっししている。

戦後せんご遺構いこう破壊はかいさい評価ひょうか [編集へんしゅう]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)10がつ4にち、アメリカぐんだい77師団しだんだい306旅団りょだん(レイ・L・バーネルじゅんしょう)が函館はこだて浅野あさのまちから上陸じょうりく[12]函館はこだてさん管理かんりにおき、その要塞ようさい施設しせつ解体かいたい爆破ばくはでおこなった[13]、そのさいてつくずひとし当時とうじ函館はこだてにある業者ぎょうしゃはらげされた[14]。1951ねん昭和しょうわ26ねん)には朝鮮ちょうせん特需とくじゅかねへん景気けいきとも)により、財務局ざいむきょく要塞ようさい金属きんぞく部品ぶひんはらげをおこない、地上ちじょう部分ぶぶんおおくが消滅しょうめつした。1965ねん昭和しょうわ40ねんごろ千畳敷せんじょうじきへの道路どうろつくさい塹壕ざんごう連絡れんらく石垣いしがき一部いちぶ使つかわれ、1975ねん昭和しょうわ50ねんごろ火災かさい防止ぼうし木造もくぞう建築けんちくぶつこわし、弾薬だんやく掩蔽えんぺいごうおおくが立入禁止たちいりきんしになった。このような遺構いこう破壊はかいゆるされた理由りゆうは、当時とうじ遺構いこう不要ふよう長物ちょうぶつとされたからという[13]。 なお、函館山はこだてさんロープウェイ山頂さんちょうえき展望てんぼうだい放送ほうそうきょく送信そうしん施設しせつはほぼ御殿山ごてんやまだいいち砲台ほうだいうえてられている。

明治めいじ要塞ようさい建設けんせつ以後いご函館山はこだてさんとう要塞ようさい地帯ちたいとして一般人いっぱんじん立入たちいりがきんじられていたが、終戦しゅうせん1946ねん昭和しょうわ21ねん)10がつ一般いっぱん開放かいほうされ[15]2001ねん平成へいせい13ねん)10がつ北海道ほっかいどう遺産いさん選定せんていされた[16][13]2002ねん平成へいせい14ねん以降いこう函館はこだて遺構いこう測量そくりょう調査ちょうさ劣化れっか診断しんだん実施じっししている[13]

歴史れきし [編集へんしゅう]

明治めいじ24ねん陸軍りくぐん函館はこだて防備ぼうび施設しせつ建設けんせつする裁可さいかける。にちしん戦争せんそうはじまった明治めいじ27ねん要塞ようさい指令しれい条例じょうれい公布こうふによって要塞ようさい建設けんせつされることになった[17]1896ねん明治めいじ29ねん)、北海道ほっかいどう函館はこだてこうおよ函館湾はこだてわん守備しゅび目的もくてき計画けいかくされ、1902ねん明治めいじ35ねん)に函館はこだて要塞ようさいとして完成かんせい

大正たいしょう8ねん裁可さいかされた要塞ようさい整理せいりあんにより函館はこだて要塞ようさい廃止はいしされると同時どうじ津軽つがる要塞ようさい設置せっちされることとなった。大正たいしょう13ねん津軽つがる要塞ようさい建設けんせつはじまり、昭和しょうわ2ねんきゅう函館はこだて要塞ようさいはそれに吸収きゅうしゅうされた。なおきゅう函館はこだて要塞ようさいほうおおくははずされ、太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう昭和しょうわ19ねん11がつ以降いこう旧式きゅうしきの28cm榴砲だんが6もんあるのみだった[10]

年表ねんぴょう [編集へんしゅう]

函館はこだて要塞ようさい時代じだい [編集へんしゅう]

  • 1896ねん明治めいじ29ねんごろ 函館はこだて要塞ようさい設置せっち計画けいかくされる
  • 1897ねん明治めいじ30ねん)11月 函館はこだて要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたい編成へんせいされる
  • 1898ねん明治めいじ31ねん
    • 6がつ 薬師山やくしさん砲台ほうだい起工きこう
    • 6がつ 御殿山ごてんやまだいいち砲台ほうだい起工きこう
    • 9月 御殿山ごてんやまだい砲台ほうだい起工きこう
    • 9月28にち 陸軍りくぐんしょう告示こくじだい11ごうにより函館はこだて要塞ようさい周辺しゅうへん区域くいきしめされる
    • 11月25にち 函館はこだて要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたい亀田かめだぐん亀田かめだむら移転いてん
  • 1899ねん明治めいじ32ねん)10がつ 薬師山やくしさん砲台ほうだい竣工しゅんこう
  • 1900ねん明治めいじ33ねん)5がつ23にち 函館はこだて要塞ようさい司令しれい函館はこだて要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたい構内こうないひらけちょう
  • 1903ねん明治めいじ36ねん)6がつ25にち 函館はこだて要塞ようさい司令しれい函館はこだて谷地頭やじがしらまち移転いてん
  • 1904ねん明治めいじ37ねん
    • 2がつ8にち にち戦争せんそう開戦かいせん
    • 7がつ20日はつか ロシア帝国ていこくウラジオストク艦隊かんたい日本海にほんかいより津軽海峡つがるかいきょう侵入しんにゅう太平洋たいへいようける
    • 7がつ30にち ロシア帝国ていこくウラジオストク艦隊かんたい太平洋たいへいようから津軽海峡つがるかいきょう侵入しんにゅう日本海にほんかいける
  • 1916ねん大正たいしょう5ねん御殿山ごてんやまだいいち砲台ほうだいおよ薬師山やくしさん砲台ほうだい廃止はいし

津軽つがる要塞ようさい時代じだい [編集へんしゅう]

  • 1918ねん大正たいしょう8ねん要塞ようさい整理せいりあんにより函館はこだて要塞ようさい廃止はいしし、津軽つがる要塞ようさい設置せっちする
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねんきゅう函館はこだて要塞ようさい津軽つがる要塞ようさい吸収きゅうしゅうされる
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん)9がつ 大間崎おおまざき砲台ほうだい竣工しゅんこう
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん)3がつ 汐首岬しおくびみさきだい1砲台ほうだい竣工しゅんこう
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん
    • 戸井といせん着工ちゃっこう[18]
    • 10がつ 竜飛崎たっぴざき砲台ほうだい竣工しゅんこう
  • 1937ねん昭和しょうわ12ねん
    • 6月 だいあいだせん着工ちゃっこう[19]
    • 12月 しろ神崎かんざき砲台ほうだい竣工しゅんこう
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねんだいあいだせん大畑おおはたせんとしてだい1工事こうじ区間くかん下北しもきた - 大畑おおはたあいだ開通かいつう
  • 1940ねん昭和しょうわ15ねん汐首岬しおくびみさきだい2砲台ほうだい竣工しゅんこう
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん)9がつ 戸井といせん建設けんせつ休止きゅうし
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねんだいあいだせん工事こうじ中断ちゅうだん
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にち 太平洋戦争たいへいようせんそう終戦しゅうせん

戦後せんご破壊はかい保存ほぞん [編集へんしゅう]

  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん)10がつ4にち アメリカぐん函館はこだて上陸じょうりく以後いご施設しせつ爆破ばくは解体かいたいする
  • 1946ねん昭和しょうわ21ねん)10がつ 一般いっぱん開放かいほう
  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん)には朝鮮ちょうせん特需とくじゅ金属きんぞく部品ぶひんはらげたことにより地上ちじょう部分ぶぶんおおくが消滅しょうめつ
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん函館はこだてにより函館はこだて山登やまのぼり山道さんどう山麓さんろく-山頂さんちょうあいだ開通かいつう[20]
  • 1957ねん昭和しょうわ32ねん)3がつ22にち 御殿山ごてんやま函館山はこだてさんテレビ・FM放送ほうそうしょ開設かいせつ(NHK総合そうごう
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん)11月15にち 函館山はこだてさんロープウェイ開設かいせつ
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん函館山はこだてさんロープウェイ、御殿山ごてんやま展望てんぼうだいとう開設かいせつ
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねんごろ函館はこだてさん千畳敷せんじょうじきへの道路どうろつくさい塹壕ざんごう連絡れんらく石垣いしがき一部いちぶ使つかわれる
  • 1975ねん昭和しょうわ50ねんごろ火災かさい防止ぼうし木造もくぞう建築けんちくぶつこわし、弾薬だんやく掩蔽えんぺいごうおおくが立入禁止たちいりきんしになった
  • 2001ねん平成へいせい13ねん)10がつ 函館はこだてさん要塞ようさいあと北海道ほっかいどう遺産いさん選定せんてい

施設しせつ [編集へんしゅう]

司令しれい[編集へんしゅう]

  • 要塞ようさい司令しれい - 千代ちよ岱に開設かいせつ、1903ねん明治めいじ36ねん)に谷地頭やじがしら移転いてん[21]

函館山はこだてさん[編集へんしゅう]

陸軍りくぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

  • 千畳敷せんじょうじき戦闘せんとう指令しれいしょ - 1904ねん明治めいじ37ねん)8がつ建設けんせつ開始かいし、1905ねん明治めいじ38ねん)12月竣工しゅんこうたけしきはかどおうつわ1[21]
  • 砲台ほうだいるい
    • 千畳敷せんじょうじきだいいち砲台ほうだい - 榴弾りゅうだんほうは1901ねん明治めいじ34ねん)1がつ竣工しゅんこう射程しゃていは7800mあり、上磯かみいそまちげん北斗ほくと方向ほうこういている。敵艦てきかん函館はこだて湾内わんない侵入しんにゅう阻止そしする[22]
    • 千畳敷せんじょうじきだい砲台ほうだい - 臼砲きゅうほうは1901ねん明治めいじ34ねん)7がつ竣工しゅんこう射程しゃていは4390mで函館はこだて市内しないいており、てき上陸じょうりく阻止そしする[22]
    • 御殿山ごてんやまだいいち砲台ほうだい - 函館はこだてさん主峰しゅほう御殿山ごてんやまもうけられた。28センチ榴弾りゅうだんほう4もん[23]があり1900ねん明治めいじ33ねん)6がつ竣工しゅんこうした。射程しゃていは7800mあり上磯かみいそまちげん北斗ほくと方向ほうこういている。敵艦てきかん函館はこだて湾内わんない侵入しんにゅう阻止そしする[22]。1916ねん大正たいしょう5ねん廃止はいし。2019ねん現在げんざいうえ函館山はこだてさんロープウェイ山頂さんちょうえき展望てんぼうだい函館山はこだてさんテレビ・FM放送ほうそうしょがある。
    • 御殿山ごてんやまだい砲台ほうだい - 28センチ榴弾りゅうだんほう6もん[23]があり1901ねん明治めいじ34ねん)2がつ竣工しゅんこうした。射程しゃていは7800mあり、上磯かみいそまちげん北斗ほくと)にいている。敵艦てきかん函館はこだて湾内わんない侵入しんにゅう阻止そしする[22]
    • 薬師山やくしさん砲台ほうだい - 15センチ臼砲きゅうほう4もん[23]。1899ねん明治めいじ32ねん)10がつ竣工しゅんこう射程しゃていは4390mで函館はこだて市内しないいており、てき上陸じょうりく阻止そしする[22]。1916ねん大正たいしょう5ねん廃止はいし
    • 立待たちまちるい - 9センチカノンほう4もんで1902ねん明治めいじ35ねん)12月に竣工しゅんこうした。射程しゃていは6300mで函館はこだて市内しないいており、てき上陸じょうりく阻止そしする[22]
  • 観測かんそくしょ
    • 入江いりえさん高地こうち観測かんそくしょ - おうしきはかどおうつわ1[21]
    • 千畳敷せんじょうじき高地こうち観測かんそくしょ - たけしきはかどおうつわ1[21]
    • 立待たちまち低地ていち観測かんそくしょ - たけしきはかどおうつわ3[21]
    • あな澗低観測かんそくしょ - たけしきはかどおうつわ3[21]
    • 高龍寺こうりゅうじさん低地ていち観測かんそくしょ - たけしきはかどおうつわ2[21]
  • 発電はつでんしょ
    • あな発電はつでんしょ
    • 立待たちまち発電はつでんしょ
  • 電灯でんとうしょ
    • あな澗電とうしょ - 90cmブレーゲよこおけしき1[21]
    • 立待たちまち電灯でんとうしょ - 90cmブレーゲよこおけしき1[21]
  • 水元みずもとたに弾薬だんやくほんくらとう施設しせつぐん

海軍かいぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

  • 水雷すいらい指令しれい - 函館はこだてわんくち機雷きらい触発しょくはつ機雷きらい49および浮標ふひょう機雷きらい56)を敷設ふせつし、敵艦てきかん函館湾はこだてわん侵入しんにゅうふせ[24]明治めいじ36ねん建設けんせつ開始かいし明治めいじ37ねん2がつ竣工しゅんこう明治めいじ40ねん陸軍りくぐん返還へんかん[21]
  • がわぼう砲台ほうだい - アームストロングしき3インチ速射そくしゃほう6もん[22]

建設けんせつ中止ちゅうしになった施設しせつ[編集へんしゅう]

  • 弁天べんてん砲台ほうだい - 1901ねん明治めいじ34ねん)10がつ建設けんせつ中止ちゅうし。24センチカノンほう2もん[25]
  • 御殿山ごてんやま西北せいほくかまちしゃ(キョウシャ) - 観音山かんのんやま設置せっち予定よていだった。1901ねん明治めいじ34ねん)10がつ建設けんせつ中止ちゅうし機関きかんほう4もん[25]
  • 御殿山ごてんやま東方とうほう堡塁ほうるい - 元町もとまち配水はいすいじょうだか配水はいすいうえ設置せっち予定よていだった。1901ねん明治めいじ34ねん)10がつ建設けんせつ中止ちゅうし。9センチカノンほう4もん機関きかんほう4もん[25]

亀田半島かめだはんとう [編集へんしゅう]

陸軍りくぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

7ねんしき30cm榴弾りゅうだんほうれい

96しき15cmカノンほうれい

  • 臨時りんじ砲台ほうだい
    • 砂原すなはら砲台ほうだい - 10cmカノンほう2もん[27]
    • 恵山えさん砲台ほうだい - 38しき野砲やほう2もん[27]
    • 瀬田来せたらい砲台ほうだい - 38しき野砲やほう2もん[27]

海軍かいぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

  • 汐首しおくびさき砲台ほうだい - 14cmカノンほう2もん千島ちしま転用てんようひん[28]

下北半島しもきたはんとう [編集へんしゅう]

陸軍りくぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

海軍かいぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

  • 海軍かいぐん大間崎おおまざき砲台ほうだい - 14cmカノンほう2もん千島ちしま転用てんようひん[28]

津軽つがる半島はんとう[編集へんしゅう]

陸軍りくぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

  • 竜飛崎たっぴざき砲台ほうだい - 45しき15cmカノンほう4もん射程しゃてい26200m。昭和しょうわ11ねん10がつ竣工しゅんこう[11]

海軍かいぐん施設しせつ [編集へんしゅう]

  • 平舘たいらだて鉾崎ほこざき砲台ほうだい - 14cmカノンほう4もん千島ちしま転用てんようひん[28]

松前半島まつまえはんとう[編集へんしゅう]

  • 白神しらかみさき砲台ほうだい - 45しき15cmカノンほう4もん射程しゃてい26200m。昭和しょうわ12ねん12月竣工しゅんこう[11]

司令しれいかん[編集へんしゅう]

函館はこだて要塞ようさい司令しれいかん[編集へんしゅう]

  • けん)邨松雋 砲兵ほうへい少佐しょうさ明治めいじ33ねん5がつ4にち - ※本務ほんむ要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたいちょう[30]
  • けん谷沢たにさわがま太郎たろう 砲兵ほうへい少佐しょうさ明治めいじ34ねん6がつ28にち - 明治めいじ36ねん5がつ1にち本務ほんむ要塞ようさい砲兵ほうへい大隊だいたいちょう[30]
  • 秋元あきもともり 砲兵ほうへい大佐たいさ明治めいじ36ねん5がつ1にち - 明治めいじ38ねん3がつ24にち
  • はやし錬作れんさく 砲兵ほうへい大佐たいさ明治めいじ38ねん3がつ24にち - 明治めいじ38ねん12がつ10日とおか
  • 渡辺わたなべ忠三郎ちゅうざぶろう 砲兵ほうへい大佐たいさ明治めいじ39ねん7がつ11にち - 明治めいじ40ねん11月13にち
  • 邨松雋 砲兵ほうへい大佐たいさ明治めいじ40ねん11月13にち - 明治めいじ44ねん11月22にち
  • 高瀬たかせきよし二郎じろう 砲兵ほうへい大佐たいさ明治めいじ44ねん11月22にち - 大正たいしょう元年がんねん12がつ26にち
  • 岩倉いわくら久米くめつよし 砲兵ほうへい大佐たいさ大正たいしょう元年がんねん12がつ26にち - 大正たいしょう4ねん8がつ10日とおか
  • 高橋たかはし綏次ろう 砲兵ほうへい大佐たいさ大正たいしょう4ねん8がつ10日とおか - 大正たいしょう5ねん4がつ1にち
  • 高山たかやま重次郎しげじろう 砲兵ほうへい大佐たいさ大正たいしょう5ねん4がつ1にち - 大正たいしょう5ねん11月15にち
  • しゅう島新しましん 砲兵ほうへい大佐たいさ大正たいしょう5ねん11月15にち - 大正たいしょう8ねん7がつ25にち
  • 宮沢みやざわ勇一ゆういち 大佐たいさ大正たいしょう8ねん7がつ25にち - 大正たいしょう11ねん2がつ8にち
  • 渡辺わたなべこうのべ 大佐たいさ大正たいしょう11ねん2がつ8にち - 大正たいしょう12ねん8がつ6にち
  • 広江ひろえ虎三とらぞうろう 砲兵ほうへい大佐たいさ大正たいしょう12ねん8がつ6にち - 大正たいしょう14ねん5がつ1にち
  • 安井やすい義之助よしのすけ 大佐たいさ大正たいしょう14ねん5がつ1にち - 昭和しょうわ2ねん4がつ1にち

津軽つがる要塞ようさい司令しれいかん[編集へんしゅう]

函館はこだて要塞ようさい隷下れいか部隊ぶたい[編集へんしゅう]

函館はこだて重砲じゅうほうへい大隊だいたい川中かわなかすすむ次郎じろう 中佐ちゅうさ

津軽つがる要塞ようさい隷下れいか部隊ぶたい[編集へんしゅう]

昭和しょうわ18ねん2がつ5にち軍令ぐんれいりくかぶとだい10ごうにより北部ほくぶぐん編入へんにゅうされたとき隷下れいか部隊ぶたい
  • 津軽つがる要塞ようさい砲兵ほうへい連隊れんたい宮沢みやざわ文雄ふみお 中佐ちゅうさ昭和しょうわ17ねん5がつ22にち -)
  • 独立どくりつ高射こうしゃほうだい31大隊だいたい
  • 函館はこだて陸軍りくぐん病院びょういん
昭和しょうわ19ねん3がつ16にち大陸たいりくいのちだい967ごうによりだい5方面ほうめんぐん戦闘せんとう序列じょれつ編入へんにゅうされたとき隷下れいか部隊ぶたい
  • 津軽つがる要塞ようさい重砲じゅうほうへい連隊れんたい宮沢みやざわ文雄ふみお 大佐たいさ昭和しょうわ17ねん5がつ22にち -)
  • 独立どくりつ高射こうしゃほうだい31大隊だいたい堀口ほりぐち喜平きへい 少佐しょうさ昭和しょうわ19ねん8がつ22にち -)
  • 独立どくりつ歩兵ほへいだい285大隊だいたい松崎まつざき重二しげじ 大尉たいい
  • 独立どくりつ歩兵ほへいだい290大隊だいたいうら喜之よしゆきまもる 大尉たいい
  • だい1要塞ようさい歩兵ほへいたい小堀こぼりかぎ 大尉たいい
  • だい2要塞ようさい歩兵ほへいたい
  • 独立どくりつ野砲やほうへいだい36大隊だいたい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽん要塞ようさい-わすられた帝国ていこく城塞じょうさい p83
  2. ^ 函館山はこだてさん要塞ようさい終焉しゅうえん2 p3
  3. ^ 函館はこだて 通説つうせつへん3 p287-p288
  4. ^ 官報かんぽうだい4634ごう明治めいじ31ねん12月9にち
  5. ^ 函館はこだて 通説つうせつへんだい3かん p287-p288
  6. ^ 官報かんぽうだい5071ごう明治めいじ33ねん5がつ31にち
  7. ^ 官報かんぽうだい5997ごう明治めいじ36ねん6がつ30にち
  8. ^ 函館はこだて 通説つうせつへん3かん p277-278
  9. ^ 函館はこだて 通説つうせつへん2かん p1502-1503
  10. ^ a b しろ航跡こうせき-青函せいかん連絡れんらくせん戦災せんさい- p52
  11. ^ a b c d e f 日本にっぽん要塞ようさい-わすられた帝国ていこく城塞じょうさい p86
  12. ^ 函館はこだて 通説つうせつへん4 p49-50
  13. ^ a b c d 函館はこだて要塞ようさいたずねて p18
  14. ^ 函館山はこだてさん要塞ようさい終焉しゅうえん2 p6
  15. ^ 函館はこだて通説つうせつへんだい4かん、pp.682-686ぺーじhttp://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-01/shishi_07-01-17.htm 
  16. ^ 各地かくち北海道ほっかいどう遺産いさん 函館はこだてさん砲台ほうだいあと
  17. ^ しろ航跡こうせき-青函せいかん連絡れんらくせん戦災せんさい- p51
  18. ^ 恵山えさんまち 函館はこだて恵山えさん支所ししょへん 2007ねん p1078-1083
  19. ^ 鉄道てつどう未成みせいせんある国鉄こくてつへん 森口もりぐち誠之せいし p67
  20. ^ 函館はこだて 通説つうせつへん4 p849-p853
  21. ^ a b c d e f g h i j 函館はこだて要塞ようさいたずねて p17
  22. ^ a b c d e f g 日本にっぽん要塞ようさい-わすられた帝国ていこく城塞じょうさい p84
  23. ^ a b c 函館はこだて 通説つうせつへん2 p1494-1497
  24. ^ 日本にっぽん要塞ようさい-わすられた帝国ていこく城塞じょうさい p85
  25. ^ a b c 函館はこだて要塞ようさいたずねて p14
  26. ^ a b 鉄道てつどう未成みせいせんある国鉄こくてつへん 森口もりぐち誠之せいし JTB 2002ねん p60
  27. ^ a b c d しろ航跡こうせき-青函せいかん連絡れんらくせん戦災せんさい- p53-54
  28. ^ a b c しろ航跡こうせき-青函せいかん連絡れんらくせん戦災せんさい- p54
  29. ^ 函館はこだて産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい平成へいせい18年度ねんど 富岡とみおか由夫よしおへん 「大間崎おおまざき砲台ほうだいきゅうだいあいだせん」 富岡とみおか由夫よしお木村きむらマサ子まさこ落合おちあい治彦はるひこちょ 函館はこだて中央ちゅうおう図書館としょかんぞう
  30. ^ a b 明治めいじ国土こくど防衛ぼうえい』、358ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 自治体じちたい
    • 函館はこだて 通説つうせつへん2 函館はこだてへんさんしつへん 函館はこだて 1990ねん
    • 函館はこだて 通説つうせつへん3 函館はこだてへんさんしつへん 函館はこだて 1997ねん
    • 函館はこだて 通説つうせつへん4 函館はこだてへんさんしつへん 函館はこだて 2002ねん
    • 恵山えさんまち 函館はこだて恵山えさん支所ししょへん 2007ねん
  • 商業しょうぎょう
    • はら つよし明治めいじ国土こくど防衛ぼうえいにしきせいしゃ、2002ねん ISBN 978-4764603141
    • 防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ北東ほくとう方面ほうめん陸軍りくぐん作戦さくせん(2)千島ちしま樺太からふと北海道ほっかいどう防衛ぼうえいちょうくも新聞しんぶんしゃ戦史せんし叢書そうしょ〉、1971ねん
    • 港湾こうわん防備ぼうびから海峡かいきょう封鎖ふうさ函館はこだて/津軽つがる要塞ようさい」『歴史れきしぐんぞうNo.50』所収しょしゅう学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2001ねん
    • 鉄道てつどう未成みせいせんある国鉄こくてつへん 森口もりぐち誠之せいし JTB 2002ねん ISBN 978-4533042089
    • 日本にっぽん要塞ようさい-わすられた帝国ていこく城塞じょうさい 長谷川はせがわすすむ·へん 学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ 2003ねん ISBN 978-4056032024
    • しろ航跡こうせき-青函せいかん連絡れんらくせん戦災せんさい- 青函せいかん連絡れんらくせん戦災せんさい編集へんしゅう委員いいんかい きたまちしゃ 1995ねん ISBN 978-4873730462 
  • 個人こじん
    • 函館山はこだてさん要塞ようさい終焉しゅうえん2 會田あいだ金吾きんご 1987ねん 函館はこだて中央ちゅうおう図書館としょかんぞう
    • 函館はこだて要塞ようさいたずねて 函館はこだて産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい 2011ねん 函館はこだて中央ちゅうおう図書館としょかんぞう
  • 資料しりょう
    • 函館はこだて産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい平成へいせい18年度ねんど 富岡とみおか由夫よしおへん 函館はこだて中央ちゅうおう図書館としょかんぞう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • だいあいだせん - 津軽つがる要塞ようさい大間崎おおまざき砲台ほうだいへの軍事ぐんじ物資ぶっし兵員へいいん輸送ゆそうだけでなく、たい北海道ほっかいどう連絡れんらく下北半島しもきたはんとう開発かいはつのために建設けんせつ大畑おおはた以北いほく未成みせいせん
  • 戸井といせん - 津軽つがる要塞ようさい汐首しおくび砲台ほうだいへの軍事ぐんじ物資ぶっし兵員へいいん輸送ゆそうのために建設けんせつ未成みせいせん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい4145ふん24.1びょう 東経とうけい14042ふん5.3びょう / 北緯ほくい41.756694 東経とうけい140.701472 / 41.756694; 140.701472