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酸素さんそ魚雷ぎょらい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガダルカナルとうのクルツみさき回収かいしゅうされたきゅうさんしき魚雷ぎょらいだい世界せかい大戦たいせんちゅうワシントンD.C.アメリカ海軍かいぐん司令しれいそと展示てんじされていた

酸素さんそ魚雷ぎょらい(さんそぎょらい)とは燃料ねんりょう酸化さんかざいとして空気くうきわりに、空気くうきちゅう濃度のうど以上いじょう酸素さんそ混合こんごう気体きたいもしくはじゅん酸素さんそもちいた魚雷ぎょらいである。

日本にっぽんにおいてたん酸素さんそ魚雷ぎょらいといった場合ばあいだい世界せかい大戦たいせんなか唯一ゆいいつ実用じつようされ運用うんようされた大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんきゅうさんしき魚雷ぎょらいもしくはきゅうしき魚雷ぎょらいすことがおおい。ほんこうでは、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん酸素さんそ魚雷ぎょらい主題しゅだいとしてべる。

ロング・ランス(Long Lance、ちょうやり)という愛称あいしょうられているが、これは戦後せんごサミュエル・モリソンがつけたものである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせん以後いご魚雷ぎょらい推進すいしん動力どうりょくは、燃料ねんりょう酸化さんかざいである圧縮あっしゅく空気くうき搭載とうさいしてエンジンをまわ内燃ないねん機関きかんがたねつはししき)と、電池でんちによる電気でんきモーターがた電気でんきしき)に大別たいべつされる。前者ぜんしゃ高速こうそくかつちょう射程しゃてい航続力こうぞくりょくだい)だが、多量たりょう排気はいきガスの気泡きほう魚雷ぎょらい航跡こうせき明瞭めいりょう白線はくせんかみなりあと)となってかびがり、魚雷ぎょらい存在そんざいも、ってきた方位ほうい露見ろけんしやすい欠点けってんがある。後者こうしゃかみなりあといが、ねつはししきして出力しゅつりょくひく速力そくりょく射程しゃていともおとると、一長一短いっちょういったんがある。(大戦たいせんドイツG7経緯けいいなども参照さんしょう

酸素さんそ魚雷ぎょらいねつはししき圧縮あっしゅく空気くうきえてじゅん酸素さんそ使用しようしたものである。これにより排気はいきガスの成分せいぶんはほぼ炭酸たんさんガス水蒸気すいじょうきのみとなる。水蒸気すいじょうきうにおよばず炭酸たんさんガスも海水かいすいによくけるため、酸素さんそ魚雷ぎょらいかみなりあとをほぼかないという、電気でんきしきじゅんじる隠密おんみつせい特徴とくちょうである。また、通常つうじょうねつはししきよりも燃焼ねんしょう効率こうりつおおきく向上こうじょうしたことで速力そくりょくかみなりそく)・航続力こうぞくりょくもさらにパワーアップした。じゅん酸素さんそ使用しようおおくの利点りてんられることはひろられていたが、はげしい燃焼ねんしょう反応はんのうのため機関きかん始動しどうなどに容易ようい爆発ばくはつするという技術ぎじゅつじょう問題もんだいてんちふさがっていた。そうしたなか日本にっぽん1933ねん昭和しょうわ8ねん)、世界せかい先駆さきが酸素さんそ魚雷ぎょらい開発かいはつ成功せいこう以降いこう大戦たいせんつうじて唯一ゆいいつ酸素さんそ魚雷ぎょらい運用うんようこくとなった。実用じつようにこぎつけたのは日本にっぽん以外いがいではイギリスのみであった。そのイギリスも、じゅん酸素さんそではなく、酸素さんそ増加ぞうかした、空気くうき魚雷ぎょらい酸素さんそ魚雷ぎょらい中間ちゅうかんのようなものである[ちゅう 1]

酸素さんそ魚雷ぎょらい当時とうじ他国たこく魚雷ぎょらい水準すいじゅんして、かみなりそく炸薬さくやくりょうまさり、射程しゃていすうばいくわえて航跡こうせき視認しにん困難こんなんという高性能こうせいのうなもので、それによって戦争せんそう連合れんごうぐん艦艇かんていおおくの損害そんがいこうむり、1943ねん鹵獲ろかくされるまで連合れんごうぐん魚雷ぎょらいについてらなかった。一方いっぽうで、酸素さんそ魚雷ぎょらい整備せいびせい良好りょうこうとはいえず誤爆ごばくふせぐために充分じゅうぶんなメンテナンスをようし、また、はやすぎるかみなりそくのため、船底ふなそこ爆破ばくはよう磁気じきしき信管しんかん使用しようできず、接触せっしょくしき信管しんかん採用さいようせざるをえないなどの短所たんしょもあった。のちにちどく技術ぎじゅつ交換こうかんにより大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんからドイツ海軍かいぐんへも試験しけん供与きょうよされたが、戦略せんりゃくてき位置付いちづけのちが[ちゅう 2]もあり、整備せいびせいわるさなどからUボートでの使用しようにはてきさないと判断はんだんされ、採用さいようされていない。

だい世界せかい大戦たいせん以後いご魚雷ぎょらいは、しゅとして整備せいびせい向上こうじょうさせた方式ほうしきのものが採用さいようされている。しかしソビエト海軍かいぐんでは主力しゅりょく魚雷ぎょらいとして電池でんちしき酸素さんそしきの2方式ほうしき配備はいびし、ロシア海軍かいぐんでも酸素さんそ魚雷ぎょらい運用うんよう継続けいぞくされている。これらは、だい世界せかい大戦たいせん鹵獲ろかくされたドイツ魚雷ぎょらい系譜けいふいたものである。ドイツせい魚雷ぎょらい改良かいりょうがたであるET46は電池でんちしき採用さいよう1946ねん昭和しょうわ21ねん)、射程しゃてい6 km速力そくりょく31ノット炸薬さくやく450 kgであった。冷戦れいせん初期しょきのSAET55Mは電池でんちしき音響おんきょう誘導ゆうどう採用さいよう1955ねん昭和しょうわ30ねん)、射程しゃてい6 km、速力そくりょく29ノット、炸薬さくやく300 kgである。冷戦れいせん末期まっきのUSET80は新型しんがた電池でんちしきぎん亜鉛あえんしき充電じゅうでん保存ほぞん期間きかん1ねん)、たいせんたいかん併用へいようアクティブパッシブ音響おんきょう誘導ゆうどうしき航跡こうせき追尾ついび機能きのう採用さいよう1980ねん昭和しょうわ55ねん)、射程しゃてい18 km、速力そくりょく40ノット、炸薬さくやく300 kg、作戦さくせん深度しんど1,000 mちょう信頼しんらいせい静粛せいしゅくせいをあわせ高性能こうせいのう電池でんちしき魚雷ぎょらいであった。より高速こうそくちょう射程しゃていな56-65Mはケロシン過酸化水素かさんかすいそタービンしき、アクティブ音響おんきょう誘導ゆうどうしき採用さいよう1969ねん昭和しょうわ44ねん)、射程しゃてい12 km、速力そくりょく68.5ノット、炸薬さくやく307 kg、作戦さくせん深度しんど2 mから14 mである。

過酸化水素かさんかすいそしき魚雷ぎょらいには特有とくゆう整備せいびせいわるさ(原潜げんせんクルスク爆沈ばくちんとう事故じこ多発たはつ)があるため、新型しんがたのケロシン・酸素さんそタービンしき開発かいはつされ使用しようされている[1]

また、海上かいじょう自衛隊じえいたいでも試製しせい54しき魚雷ぎょらい電池でんちしき採用さいようしたものの、72しきちょう魚雷ぎょらいでは酸素さんそしき採用さいようしている。これらの魚雷ぎょらい過酸化水素かさんかすいそ過酸化水素かさんかすいそヴァルター機関きかん燃料ねんりょうとして利用りようしている魚雷ぎょらいもある)を使用しようしており、これらは大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん装備そうびした、酸素さんそガスをこうあつ充填じゅうてんしていた魚雷ぎょらいとは世代せだいことなるものである。

日本にっぽん酸素さんそ魚雷ぎょらい[編集へんしゅう]

水雷すいらい戦闘せんとう要求ようきゅう[編集へんしゅう]

大和やまとミュージアム展示てんじされているきゅうしき魚雷ぎょらい

大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんではワシントン軍縮ぐんしゅく会議かいぎ結果けっかがもたらした不利ふり克服こくふくするため、魚雷ぎょらい主力しゅりょくへいそう位置いちづけ、戦術せんじゅつあわせて開発かいはつすすめた。この時点じてんでの水雷すいらい戦術せんじゅつ日本海にほんかい海戦かいせんしめされたとおり、主力しゅりょく海戦かいせん損傷そんしょうした敵艦てきかんたいたい至近しきん距離きょりから「とどめ」として投入とうにゅうすることがかんがえられていた。

しかしこうした投入とうにゅう方法ほうほうは、ひえはし魚雷ぎょらい乾式かんしき魚雷ぎょらい湿式しっしき魚雷ぎょらい魚雷ぎょらい構造こうぞうてき発展はってんられたこと、材料ざいりょう強度きょうど向上こうじょうつづいて大型おおがた多連装たれんそうなどの発展はってんにより変化へんかした。だいいち世界せかい大戦たいせんでは、昼間ひるま海戦かいせんでも主力しゅりょくかんたいして打撃だげきあたえうるせんれいられるようになった。そこで大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんでは、列強れっきょう先端せんたん主力しゅりょくかん水線すいせん防御ぼうぎょ突破とっぱして確実かくじつ撃破げきはしうる大型おおがた魚雷ぎょらい装備そうびした大型おおがた駆逐くちくかん睦月むつきがた」の導入どうにゅうっていった[ちゅう 3]

ほう[編集へんしゅう]

魚雷ぎょらいながこうはし時間じかん必要ひつようとするため、未来みらい位置いち算定さんてい困難こんなん命中めいちゅう精度せいどひく兵器へいきとらえられがちである。ただし魚雷ぎょらいかんほうのように間接かんせつ射撃しゃげき必要ひつようとしない兵器へいきである。かんほう予想よそう未来みらい位置いちたいする「はか距とはかかく」(ほう仰角ぎょうかく方位ほうい)を必要ひつようとするのにくらべ、魚雷ぎょらい未来みらい位置いち算定さんていのための「はかかく」でよい有利ゆうりさをっている。間接かんせつ照準しょうじゅん射撃しゃげきやまなりの弾道だんどう空中くうちゅうから標的ひょうてきたる砲弾ほうだんは、距離きょり正確せいかくさが要求ようきゅうされるが、測定そくてい誤差ごさ角度かくどより距離きょり誤差ごさほうがかなりおおきいことにくわえ、間接かんせつ射撃しゃげきにおいて誤差ごさ距離きょりによる命中めいちゅうりつ低下ていかがそれをさらに累増るいぞうさせることにもよる。つまり、直接ちょくせつ照準しょうじゅん射撃しゃげきをする戦車せんしゃほうは700 mの戦闘せんとう照準しょうじゅんにおいて、0 mから1,000 mのぜん射程しゃてい命中めいちゅう可能かのうせいがあるが、間接かんせつ射撃しゃげきたま修正しゅうせい射撃しゃげきかんほう射撃しゃげきにおいては20,000 mさき前後ぜんご100 mしか命中めいちゅうだんない。これにたい水面すいめん直進ちょくしんする魚雷ぎょらいはいかにちょう射程しゃていたまおそくとも直接ちょくせつ照準しょうじゅん射撃しゃげきであり、水雷すいらいせんでは、未来みらい位置いち算定さんてい以外いがい照準しょうじゅんは0 mから最大さいだい射程しゃてい命中めいちゅう可能かのうせいがある。

ようするに、さん次元じげんじょうの「てん」の命中めいちゅう範囲はんいしかないかんほうたいし、魚雷ぎょらい次元じげん平面へいめんじょうの「せん」の命中めいちゅう範囲はんいっているということである。ほう特性とくせい相違そうい結果けっかだいいち大戦たいせんせんくんによる魚雷ぎょらいがわの「主力しゅりょくかん同士どうし砲戦ほうせんなど未来みらい位置いち誤差ごさにくい状況じょうきょうでの」実用じつようてき交戦こうせん距離きょりすうせんm程度ていどにまで拡大かくだいしていた。

水雷すいらい戦術せんじゅつ変遷へんせん酸素さんそ魚雷ぎょらい特性とくせい[編集へんしゅう]

大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんでは、より確実かくじつ水雷すいらい戦闘せんとうりょくもとめて、さらに大型おおがた駆逐くちくかんとくがた」を導入どうにゅうした。戦術せんじゅつとしてはまえがたが6しゃせんであったものを9しゃせん増強ぞうきょうし、てき主力しゅりょくかん回避かいひ可能かのう範囲はんいすべてをおおよう駆逐くちくたい単位たんい一斉いっせい雷撃らいげきするというものであった。敵艦てきかんたい防御ぼうぎょ火力かりょく強力きょうりょくなことを算定さんていし、12せきから16せき駆逐くちくかん投入とうにゅう水雷すいらい戦隊せんたいとして突入とつにゅうする。そのたてとなる突破とっぱ支援しえん指定していされていた条約じょうやく巡洋艦じゅんようかん戦隊せんたいかみなりそうし、なまのこしたかんはすべててき主力しゅりょくかん攻撃こうげきする。こうした戦術せんじゅつから条約じょうやく巡洋艦じゅんようかん切実せつじつ必要ひつようとしていたのは日本にっぽんだけであった。他国たこく主力しゅりょくかん戦力せんりょく余裕よゆうがあったためである。強力きょうりょく酸素さんそ魚雷ぎょらい実用じつよう水雷すいらい志向しこうをさらに加速かそくさせ、けい巡洋艦じゅんようかんかたふなばた20しゃせんけい40もんにもおよ大量たいりょう発射はっしゃかん搭載とうさいしたじゅうかみなりそうかん誕生たんじょうさせるにいたった。

また魚雷ぎょらい構造こうぞうじょう演習えんしゅうには炸薬さくやくえてみずなどを充填じゅうてんすることができた。このみずは、室内しつない空気くうきにより排出はいしゅつすることが可能かのうで、主力しゅりょくかんかんほうのように砲身ほうしん損耗そんこう懸念けねんすることなく演習えんしゅう発射はっしゃおよび回収かいしゅうおこなえた。したがって実弾じつだん発射はっしゃ訓練くんれん比較的ひかくてき容易ようい可能かのうであり、練度れんどげやすいへいそうであった。

魚雷ぎょらいのエンジンは推進すいしんようスクリューを駆動くどうする。魚雷ぎょらい開発かいはつから長期ちょうきにわたって、燃料ねんりょう酸化さんかざいには、内部ないぶタンクに圧縮あっしゅく搭載とうさいした空気くうきもちいていたが、この方法ほうほうでは空気くうきの80 %める窒素ちっそ排気はいきとして水中すいちゅう大量たいりょう放出ほうしゅつされた。窒素ちっそみずけないため、気泡きほうによる航跡こうせきができた。この窒素ちっそ酸素さんそえると、より多量たりょう炸薬さくやく搭載とうさいし、高速こうそくかつだい射程しゃていという理想りそうてき能力のうりょくたか次元じげん両立りょうりつできる。これにより実用じつよう有効ゆうこう射程しゃていは5,000 m程度ていどから20,000 mないし25,000 m程度ていど主力しゅりょくかん砲戦ほうせん想定そうてい距離きょり)にび、さらにかみなりそく50ノット程度ていどでの攻撃こうげき可能かのうとなった。従来じゅうらい魚雷ぎょらいは、有効ゆうこう射程しゃていまで接近せっきんしないと攻撃こうげき不可能ふかのうであったが、手段しゅだんちがえど等距離とうきょりからちあえる兵器へいき出現しゅつげんされた。

さら戦術せんじゅつてき酸素さんそ魚雷ぎょらい最大さいだい特徴とくちょう魚雷ぎょらい航跡こうせき目立めだたないということだった。酸素さんそ酸化さんかざいとして使用しようする酸素さんそ魚雷ぎょらいでは、発生はっせいする二酸化炭素にさんかたんそ比較的ひかくてきみずけやすいため、かみなりあと試射ししゃじょうでも目視もくし困難こんなんだった。発見はっけんのしにくさは回避かいひされる可能かのうせいひくさにつながり、より命中めいちゅうだんやすかった。ただし酸素さんそ魚雷ぎょらい始動しどう直後ちょくご燃焼ねんしょうには通常つうじょう圧縮あっしゅく空気くうき使用しようしていたため、発射はっしゃ300 mから400 mはかみなりあとのこった。きゅうさんしき魚雷ぎょらい後期こうきがた圧縮あっしゅく空気くうきわり、みずけやすいよん塩化えんか炭素たんそ使用しよう酸素さんそ濃度のうどげる手法しゅほうえた。

他国たこくでも燃焼ねんしょう酸化さんかざいとして酸素さんそもちいるメリットは認識にんしきしていたが、試作しさく段階だんかい爆発ばくはつ事故じこ多発たはつしたため、実用じつよう断念だんねんした。日本にっぽんでは「イギリスが酸素さんそ魚雷ぎょらい試作しさくしている」との情報じょうほう契機けいきに、列強れっきょうおくれて開発かいはつはじめたが、綿密めんみつ研究けんきゅうすえ爆発ばくはつふせぐために始動しどうには空気くうき使用しようし、徐々じょじょ酸素さんそ濃度のうどたかくしていくシステムを採用さいようし、実用じつよう可能かのうレベルの安全あんぜんせい確保かくほした。一説いっせつには二酸化炭素にさんかたんそ酸素さんそ混合こんごう気体きたい使用しようしたとされるが、開発かいはつ担当たんとうしゃ説明せつめいには存在そんざいしない。

酸素さんそ魚雷ぎょらいとして世界せかいはじめて開発かいはつ成功せいこうした大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんきゅうさんしき魚雷ぎょらいは、1933ねん昭和しょうわ8ねん)、海軍かいぐん工廠こうしょう魚雷ぎょらい実験じっけんにおいて発射はっしゃ実験じっけん成功せいこうし、岸本きしもと鹿子かのこ実験じっけん部長ぶちょう(のち、三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう長崎ながさき兵器へいき製作所せいさくしょだいよんだい所長しょちょう)、朝熊あさま利英としひで設計せっけい主任しゅにんらを中心ちゅうしん研究けんきゅうすすめられ[2]、2ねん潜水艦せんすいかんよう直径ちょっけい53 cmのきゅうしき魚雷ぎょらい開発かいはつ成功せいこうした。その長崎ながさき兵器へいき製作所せいさくしょにおいて、潜水艦せんすいかんよう魚雷ぎょらい受注じゅちゅう椋木むくのき寿ひさし(むくぎ ひさし)技師ぎし出張しゅっちょう研究けんきゅうくれ派遣はけんされ、1937ねん昭和しょうわ12ねん)から量産りょうさん開始かいしした。長崎ながさき兵器へいき製作所せいさくしょ製造せいぞうしめす(ちょうしるし魚雷ぎょらいは、終戦しゅうせんまでにやく2,700ほん生産せいさんされた。これら(ちょうしるし魚雷ぎょらいは「まれよりも長崎ながさきまれのほう優秀ゆうしゅう」との連合れんごう艦隊かんたいがみがつけられている。なお、これらの発射はっしゃテストは一本いっぽんいちほん大村湾おおむらわん堂崎鼻どうさきばなにおいてなんかえされ、この結果けっか安全あんぜんせい直進ちょくしんせいなどの完成かんせい飛躍ひやくてき向上こうじょうした。とくに、他国たこく爆発ばくはつ事故じこ尻目しりめ徹底てっていした安全あんぜん管理かんりがなされ、爆発ばくはつ事故じこはなかった。酸素さんそ魚雷ぎょらい整備せいび調整ちょうせいには、配管はいかんない油分ゆぶん完全かんぜん除去じょきょするため、4にちから5日間にちかん事前じぜん整備せいび作業さぎょう日数にっすう必要ひつようとした。太平洋戦争たいへいようせんそうちゅうどく潜水せんすいかん作戦さくせんによってドイツ海軍かいぐんきゅうしき酸素さんそ魚雷ぎょらい入手にゅうしゅしたが、研究けんきゅう目的もくてきでの利用りようにとどめ、実戦じっせんにおいては使つか勝手がって電池でんちしき魚雷ぎょらい蒸気じょうきしき魚雷ぎょらい使用しようした。

酸素さんそ魚雷ぎょらいのもう1つの特徴とくちょう打撃だげき破壊はかいりょくおおきいことであった。それ以前いぜんきゅうしき魚雷ぎょらいから大型おおがただか威力いりょく傾向けいこうはじまっているが、こう純度じゅんど酸素さんそにより実現じつげんした強力きょうりょくなエンジン出力しゅつりょくを、航続力こうぞくりょくかみなりそくくわえて炸薬さくやく搭載とうさいりょう増大ぞうだいにもけたことによる。巡洋艦じゅんようかんきゅう軍艦ぐんかんでもこの魚雷ぎょらいを1ほんかみなりしただけで大破たいはしたケース(ルンガおき夜戦やせん)もあり、日本にっぽん駆逐くちくかんとの海戦かいせんさいには「てきやわらかい横腹よこばらせるな(魚雷ぎょらい発射はっしゃ態勢たいせいまれるな)」が連合れんごうぐん合言葉あいことばになったといわれる。大戦たいせん末期まっき大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん制空権せいくうけんうしない、酸素さんそ魚雷ぎょらい活躍かつやくすくなくなったが、フィリピン・レイテ島れいてとうのオルモックわん海戦かいせん(1944ねん12月3にち)において日本にっぽん駆逐くちくかんたけ」が酸素さんそ魚雷ぎょらい発射はっしゃ、アメリカ海軍かいぐん新鋭しんえい艦隊かんたい駆逐くちくかんクーパー」を撃沈げきちんしている。

酸素さんそ魚雷ぎょらいはまた、従来じゅうらい空気くうき魚雷ぎょらいとの相違そういてんとして、湿式しっしき機関きかんには必要ひつようだった真水しみずタンクを搭載とうさいしていない。従来じゅうらい空気くうき魚雷ぎょらいでも空気くうきちゅう酸素さんそ燃焼ねんしょうさせるのに十分じゅうぶんりょう燃料ねんりょう供給きょうきゅうすると燃焼ねんしょうガスの温度おんどがりすぎ、燃焼ねんしょうしつおよびしゅ機関きかん一部いちぶが溶損する。そこで清水しみず燃焼ねんしょうしつないんでガス温度おんどを1200 前後ぜんごおさえ、900 作動さどう蒸気じょうきおもしつおくんでいる。これがじゅん酸素さんそもちいる酸素さんそ魚雷ぎょらいではさらに燃焼ねんしょうガス温度おんど上昇じょうしょうし、かつ機関きかん運転うんてん時間じかんながいため必要ひつよう清水しみずりょう増加ぞうか清水しみずタンクが魚雷ぎょらいない体積たいせき圧迫あっぱくする。そこで外部がいぶから海水かいすいれそれを清水しみずわりに燃焼ねんしょうガスに噴霧ふんむする方式ほうしきとしている[3]

投入とうにゅう戦果せんか[編集へんしゅう]

1942ねん9がつ15にち酸素さんそ魚雷ぎょらい長距離ちょうきょりはしにより、ガダルカナルせんにおいてアメリカ戦艦せんかんノースカロライナ」を撃破げきはした。これはごうだいじゅうきゅう潜水せんすいかん発射はっしゃしたきゅうしき魚雷ぎょらい6ほんのうち、3ほん航空こうくう母艦ぼかんワスプ」に命中めいちゅう撃沈げきちん、さらにはずれた魚雷ぎょらいが5海里かいりやく9.3 km)の長距離ちょうきょりはしって偶然ぐうぜんせんじょう居合いあわせた戦艦せんかん「ノースカロライナ」と駆逐くちくかんオブライエン」に命中めいちゅうしたものである。これにより「ノースカロライナ」は左舷さげんかん首部しゅぶ水線すいせんはば10 m、たかさ7 mにおよ大破たいはこうひら損傷そんしょうし、復帰ふっきまで3かげつようした。駆逐くちくかん「オブライエン」はその損傷そんしょうもとで1942ねん10がつ19にち沈没ちんぼつ。アメリカ海軍かいぐんはこの攻撃こうげきを1せき潜水せんすいかん達成たっせいしたとかんがえず、もう1せきべつ潜水せんすいかんがいたと推定すいていしており、実際じっさいには単独たんどく攻撃こうげきであることをったのは戦後せんごであった。潜水艦せんすいかん搭載とうさいようきゅうしき魚雷ぎょらい直径ちょっけいが53 cmであり、日本にっぽん海軍かいぐん水上すいじょう艦艇かんてい搭載とうさいするきゅうさんしき魚雷ぎょらい比較ひかくすれば小型こがた威力いりょくちいさいが、実質じっしつてきには列強れっきょう水上すいじょう艦艇かんてい搭載とうさいよう魚雷ぎょらい同等どうとう以上いじょう性能せいのうゆうしていた。

靖国神社やすくにじんじゃゆう就館展示てんじされている回天かいてん

太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっき開発かいはつされた特攻とっこう兵器へいき人間にんげん魚雷ぎょらい)・回天かいてんていたい後半こうはんきゅうさんしき魚雷ぎょらい推進すいしん流用りゅうようしているほか深度しんど調節ちょうせつようのジャイロスコープ装置そうち改良かいりょううえ詳細しょうさい後述こうじゅつ装備そうびしている。

同士討どうしう[編集へんしゅう]

酸素さんそ魚雷ぎょらいはそのちょう射程しゃていのため、重大じゅうだい同士討どうしうこした事例じれいもある。太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせんらんしるし作戦さくせん、1942ねん3がつ1にちジャワ上陸じょうりく作戦さくせんときジャワ島じゃわとうおききたバタビアおき海戦かいせんにおいて、じゅう巡洋艦じゅんようかん最上さいじょう」がアメリカじゅうじゅんヒューストン」をねらって午前ごぜん127ふん発射はっしゃしたきゅうさんしき酸素さんそ魚雷ぎょらい6ほん目標もくひょうらえられず、ながだまとなってせん延長線えんちょうせんじょうにいた大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんだい16ぐん主力しゅりょくせた味方みかた輸送ゆそう船団せんだんおそった。

最初さいしょ午前ごぜん135ふん右舷うげんかんしつ直撃ちょくげきけた船団せんだんちょく掩の「だいごう掃海そうかいてい」が轟沈ごうちん。138ふん輸送ゆそうせん佐倉さくらまる」、つづいて病院びょういんせん蓬莱ほうらいまる」、そして事実じじつじょう世界せかいはつ揚陸ようりくかんである陸軍りくぐん特殊とくしゅせん神州しんしゅうまる神洲しんしゅうまる」(ジャワ上陸じょうりく作戦さくせん当時とうじ存在そんざい秘匿ひとくのため「りゅう城丸しろまる」のふねめい使用しよう)にきゅうさんしき魚雷ぎょらい命中めいちゅうし、さらに雷撃らいげき回避かいひしようときゅう旋回せんかいした輸送ゆそうせん龍野たつのまる」が沈没ちんぼつした(「佐倉さくらまる」・「神州しんしゅうまる」および「龍野たつのまる」は船体せんたい傾斜けいしゃした状態じょうたいそこ、「蓬莱ほうらいまる」は水平すいへい状態じょうたいそこだいごう掃海そうかいてい完全かんぜん沈没ちんぼつ。「神州しんしゅうまる」はのちにサルベージされ復帰ふっき)。

この同士討どうしうちで沈没ちんぼつ大破たいはそこ)した特殊とくしゅせん神州しんしゅうまる」にはだい16ぐん司令しれいかん今村いまむらひとし陸軍りくぐん中将ちゅうじょう座乗ざじょうしており、おなじくしずめられた「佐倉さくらまる」もだい16ぐん司令しれい指定していせんとして司令しれい要員よういん従軍じゅうぐん記者きしゃ遠距離えんきょりよう無線むせん暗号あんごうひょうといった各種かくしゅ重要じゅうよう器材きざい乗船じょうせんしていた。かつ「神州しんしゅうまる」はきわめて先進せんしんてき揚陸ようりくかん機能きのう優秀ゆうしゅう上陸じょうりくせん遂行すいこう能力のうりょくのみならず旗艦きかんてき司令しれい機能きのうゆうする日本にっぽんぐんにとってとらてき存在そんざいであった。かみなりだい1上陸じょうりく部隊ぶたい揚陸ようりくであったもののやく100めい死亡しぼうし、やく3あいだ船舶せんぱくへいらによって救助きゅうじょされるまで今村いまむら中将ちゅうじょう以下いか将兵しょうへい重油じゅうゆ流出りゅうしゅつしたうみ漂流ひょうりゅうしている。

このようにぐん司令しれい揚陸ようりくかん1せき輸送ゆそうせん2せき病院びょういんせん1せき掃海そうかいてい1せきとともに「撃沈げきちん」してしまった海軍かいぐん失態しったいおおきなものであったが、帝国ていこく陸軍りくぐんはこの事件じけん責任せきにん追及ついきゅうおこなわず、海軍かいぐん名誉めいよきずをつけぬよう「神州しんしゅうまる以下いか沈没ちんぼつてきぐん攻撃こうげきによるものにすることを提案ていあんさえした。「人情にんじょう将軍しょうぐん」とうたわれた人格じんかくしゃたる名将めいしょう今村いまむら中将ちゅうじょうも、あわや司令しれいかん以下いか戦死せんし司令しれい機能きのう完全かんぜん喪失そうしつとなりかけたにもかかわらず、後日ごじつそろって謝罪しゃざいまいった海軍かいぐん指揮しきかんこころよゆるしている。神州しんしゅうまる」サルベージ作業さぎょう直後ちょくご現場げんばちかくできゅうさんしき魚雷ぎょらいげられており同士討どうしうちの証拠しょうこ歴然れきぜんであったが、陸軍りくぐん厚意こういもあり、戦後せんごに"まぼろし敵襲てきしゅう"という事実じじつあきらかになるまで「連合れんごうぐん魚雷ぎょらいてい駆逐くちくかんばくげき攻撃こうげきによる損害そんがい」などとされていた。

海戦かいせん自体じたい日本にっぽんぐんだい勝利しょうりわったにもかかわらず、参戦さんせん部隊ぶたい指揮しきかんであっただい5水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいはらあらわさんろう少将しょうしょうたたかえくん所見しょけんとして「輸送ゆそう船団せんだん泊地はくち至近しきん海面かいめんニ於ケル戦闘せんとうニシテ、シカモ多数たすうよる戦隊せんたい挟撃きょうげき態勢たいせいニ於ケル魚雷ぎょらいせんニ於イテハ、せん方向ほうこうたいシテとく深甚しんじん注意ちゅういよう」と注意ちゅういうながしている。

問題もんだいてん[編集へんしゅう]

ジャイロスコープの不調ふちょう[編集へんしゅう]

スラバヤおき海戦かいせんにおいて、酸素さんそ魚雷ぎょらいは2せきじゅう巡洋艦じゅんようかんみょうだか足柄あしがらからかく8ほん合計ごうけい16ほん発射はっしゃされたが、水面すいめんからしたり迷走めいそうするなどして1ほん命中めいちゅうしない事態じたい発生はっせいしている。これはかん発揮はっきする最大さいだいせんそく34ノットでの魚雷ぎょらい発射はっしゃいちおこなったことがかったことによる。原因げんいん魚雷ぎょらいジャイロスコープ高速度こうそくどから発射はっしゃしたさい衝撃しょうげきえられず、結果けっか針路しんろ調整ちょうせいできずに迷走めいそうこしたためである。原因げんいん究明きゅうめい結果けっか、ジャイロスコープの回転かいてんすうまいぶん8せん回転かいてんおそ不十分ふじゅうぶんで、衝撃しょうげきくわわると容易ようい設定せってい方位ほういがずれることが判明はんめいした。この欠点けってんはかなりまで改良かいりょうされず、回天かいてん開発かいはつさいしてはじめてまいぶん2まん回転かいてん電動でんどうジャイロスコープに変更へんこうされた。

当時とうじ日本にっぽんぐん兵器へいき全般ぜんぱん問題もんだいとして、静止せいし状態じょうたい丁寧ていねい運用うんようでは問題もんだいこらないが、乱暴らんぼう取扱とりあつかいをするとすぐに動作どうさ不良ふりょうこす傾向けいこうがあった。用兵ようへいがわからは「武人ぶじんの蛮用」にえることを要求ようきゅうされていたが、性能せいのうおよび工業こうぎょうてきえるものは開発かいはつできなかったのが実情じつじょうであった。また、運用うんようがわにそれを満足まんぞく検証けんしょうする余力よりょくかった。上述じょうじゅつのとおり魚雷ぎょらいかんほうよりもじつ訓練くんれんしやすいというメリットがあったが、その魚雷ぎょらいでさえ日本にっぽん海軍かいぐんでは1ほんごと記録きろくるなど(戦艦せんかん主砲しゅほうだんでもこうした記録きろくはとられていなかったし、そもそもじつ訓練くんれんえてがいとうほう本来ほんらい砲身ほうしんける、はるかにちいさい訓練くんれん専用せんようほう)でませることがおおかった)大事だいじあつかわれており、極限きょくげん状態じょうたいでの使用しよう想定そうていした訓練くんれん実験じっけんおこなわれていなかった。国力こくりょくして過大かだい軍事ぐんじりょく保有ほゆうしたことのゆがみをしめ事例じれいひとつでもある。

遠距離えんきょり攻撃こうげきにおける命中めいちゅうりつ低下ていか[編集へんしゅう]

酸素さんそ魚雷ぎょらい音響おんきょう探知たんちなどの誘導ゆうどう装置そうちたないため、遠距離えんきょり射撃しゃげきでは命中めいちゅうりつ低下ていかした。実際じっさいスラバヤおき海戦かいせんでは相手あいて艦隊かんたい規模きぼにおいて劣位れついであったが、高速こうそく部隊ぶたいであったため、日本にっぽん海軍かいぐん艦隊かんたいじゅうじゅんですら1せき2,000はつちか耗して命中めいちゅうだんはほとんどられなかった。またこの戦場せんじょうでは、ちょう射程しゃてい戦術せんじゅつにより10,000 m以上いじょうでの魚雷ぎょらい発射はっしゃ多用たようしたが、日本にっぽん海軍かいぐん魚雷ぎょらい発射はっしゃ総数そうすう188ほんのうち命中めいちゅうしたのはわずか4ほんだった。交戦こうせん想定そうてい距離きょりを20 kmから25 kmとし、酸素さんそ魚雷ぎょらいがこの射程しゃていを52ノットで馳走ちそうするのに11ふんちかくかかることをかんがえれば、誘導ゆうどう魚雷ぎょらいでは機動きどうちゅう標的ひょうてき命中めいちゅうしない。海戦かいせんにおいて戦闘せんとう行動こうどうちゅうてき長時間ちょうじかん変針へんしん変速へんそく一切いっさいしないことはかんがえられず、実戦じっせんでは最大さいだい射程しゃていでの発射はっしゃおこなわれなかった。また、えてちょう射程しゃていてて5,000 mまで接近せっきんして最大さいだいかみなりそく発射はっしゃしても到達とうたつまでに3ふん以上いじょうかかり、相手あいて変針へんしん変速へんそくした場合ばあいそなえて扇状せんじょう発射はっしゃしているとはいえ、到達とうたつまでのあいだ相手あいておおきく変針へんしんすると命中めいちゅうしないため、実際じっさいにはちょう射程しゃてい利点りてんはさして発揮はっきされなかった。

潜水せんすいかんによる奇襲きしゅう攻撃こうげきでも、潜望鏡せんぼうきょうからではここまではなれた標的ひょうてきはもちろん視認しにんできないし、日本にっぽん水中すいちゅう聴音ちょうおんソナー)による探知たんち距離きょりおとっていたため、射程しゃていかすことができなかった。

ちょう射程しゃていでの発射はっしゃおおかったスラバヤおき海戦かいせんにおいても、20,000 mちかくから発射はっしゃして命中めいちゅうしたのは、オランダ駆逐くちくかん「コルテノール」を轟沈ごうちんさせた「羽黒はぐろ」の1ほんだけである。の3ほん命中めいちゅう魚雷ぎょらいは、スラバヤおき海戦かいせん終盤しゅうばんざんだんすくなくなりどうこう砲戦ほうせんとなったオランダけいじゅん「デ・ロイテル」とどう「ジャワ」にたいしてじゅうじゅん羽黒はぐろ」「那智なち」が12,000 mから発射はっしゃしたけい12ほんのうち1ほんずつが命中めいちゅうしたのと、航行こうこう不能ふのうおちいったイギリスじゅうじゅん「エクゼター」にたいして命中めいちゅうした1ほんのみである。こののち日本にっぽんぐんたたかったかく海戦かいせんにおいて10,000 m以上いじょうからの魚雷ぎょらい発射はっしゃはほとんどおこなわれなくなり、きゅうさんしき魚雷ぎょらい射程しゃていらして炸薬さくやくりょうやしたさんがた徐々じょじょ主流しゅりゅうとなった。

水中すいちゅう破壊はかいりょく比較ひかく[編集へんしゅう]

酸素さんそ魚雷ぎょらい炸薬さくやくりょうそのものは非常ひじょうおおいが、搭載とうさいされていたきゅうななしき爆薬ばくやく戦争せんそう直前ちょくぜん実用じつようされたえいべいHBX爆薬ばくやく水中すいちゅう破壊はかいりょくではトリニトロトルエン (TNT) の160 %の威力いりょくつ)などと比較ひかくして、水中すいちゅう破壊はかいりょくてんおとっていた。しかしアメリカのMk.14魚雷ぎょらいトーペックス292 kgを搭載とうさいし、TNT換算かんさん467 kg相当そうとうであるのと比較ひかくし、日本にっぽんきゅうさんしき魚雷ぎょらいきゅうななしき爆薬ばくやく490 kgを搭載とうさいし、これはTNT換算かんさん588 kg相当そうとう破壊はかいりょくすぐれている。

信管しんかんにおいても、戦争せんそう末期まっきには水車みずぐるましきばれるかんそこ起爆きばく補助ほじょ装置そうち開発かいはつし、磁気じき信管しんかん使用しようできないデメリットの解消かいしょうつとめた。これは魚雷ぎょらい水中すいちゅう馳走ちそうはじめると、水車みずぐるま原理げんり魚雷ぎょらい内蔵ないぞうされていた水中すいちゅうだこ外部がいぶ展開てんかいし、ワイヤーをかいして魚雷ぎょらい曳航えいこうされるものである。この水中すいちゅうだこ目標もくひょうあたってつぶれるとフックがはずれ、ワイヤーがもど信管しんかん作動さどうする。この補助ほじょ装置そうち沖縄おきなわ特攻とっこう水雷すいらい部隊ぶたい配備はいびされた。しかし、当時とうじ日本にっぽんではバブルパルスなど水中すいちゅう爆発ばくはつ研究けんきゅう非常ひじょうおくれていた。水中すいちゅう爆発ばくはつやバブルパルス、バブルジェットにかんする初期しょき専門せんもんしょであるRobert H. Coleちょの″Underwater Explosions″が出版しゅっぱんされたのが1948ねんであるからだい大戦たいせん当時とうじ日本人にっぽんじん水中すいちゅう爆発ばくはつ専門せんもん知識ちしきりえなかったとかんがえられる。

航空こうくう魚雷ぎょらいについて[編集へんしゅう]

酸素さんそ魚雷ぎょらい航空機こうくうき搭載とうさいようとして「きゅうよんしき魚雷ぎょらい」がかんせい本部ほんぶ主導しゅどう開発かいはつされたが、あつかいが航空こうくう魚雷ぎょらいとしては危険きけんであったこと、ていはり不正確ふせいかくであったこと、航空こうくう攻撃こうげき酸素さんそ魚雷ぎょらい使用しようする利点りてんすくなかった(航空こうくう雷撃らいげきでの魚雷ぎょらい速力そくりょくは、魚雷ぎょらい固有こゆう速力そくりょくよりも投下とうかする航空機こうくうき速度そくどおおきくかかわるため[4])ことなどから、すぐに利用りようりやめとなっている[5]

きゅうさんしき魚雷ぎょらい構造こうぞう技術ぎじゅつ[編集へんしゅう]

大和やまとミュージアム展示てんじされているきゅうさんしき魚雷ぎょらい推進すいしん

上述じょうじゅつとおきゅうさんしき魚雷ぎょらい酸化さんかざいとして酸素さんそ使用しようする魚雷ぎょらいで、酸素さんそ魚雷ぎょらいとしてられている。ほん魚雷ぎょらいは1933ねん制式せいしき採用さいようされた。きゅうさんしきという名称めいしょう皇紀こうき2593ねん末尾まつび2けた数字すうじによる。この魚雷ぎょらいは、酸素さんそ石油せきゆ燃料ねんりょう使用しようして強力きょうりょく機関きかん出力しゅつりょくられたため、炸薬さくやく重量じゅうりょうおおきな弾頭だんとう搭載とうさいでき、高速こうそくかつちょう射程しゃていることができた。ほん魚雷ぎょらい重量じゅうりょうが2.8 tから3 tちかくあり、弾頭だんとう炸薬さくやくは480 kgを搭載とうさいする。エンジン推力すいりょくは64 kgfである。この出力しゅつりょくぜんじゅう3 tちか魚雷ぎょらい速度そくど52ノット (96.3 km/h) で走行そうこうさせる。出力しゅつりょく発揮はっきは13ふん45秒間びょうかんにわたり、射程しゃていは22 kmにたっする。大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんきゅうさんしき魚雷ぎょらい最大さいだい性能せいのう仕様しようを、公的こうてきには速度そくど42ノットで射程しゃてい11,000 mと発表はっぴょうしていた。これは速度そくど実際じっさいより10ノットおそく、射程しゃてい実際じっさい半分はんぶんである。ほん魚雷ぎょらい動作どうさちゅう排気はいきはほぼ二酸化炭素にさんかたんそで、排気はいき気泡きほうによる航跡こうせきった。この特性とくせいからちゅう発見はっけん困難こんなんだった。しかしすべての魚雷ぎょらい共通きょうつうする欠点けってんとして、熱帯ねったいうみ夜戦やせん使用しようしたさいには、魚雷ぎょらい高速こうそく水中すいちゅう走行そうこうにより夜光虫やこうちゅうはっするほのかなひかり航跡こうせき発生はっせいすることは不可避ふかひだった。

きゅうさんしき魚雷ぎょらい直径ちょっけい61 cmの水上すいじょうよう魚雷ぎょらいで、40 ノット高速こうそくでも30 km以上いじょう射程しゃてい優秀ゆうしゅう魚雷ぎょらいであった。おも駆逐くちくかん搭載とうさいされ、搭載とうさいする駆逐くちくかんには空気くうきから酸素さんそ抽出ちゅうしゅつする、酸素さんそ生成せいせいよう空気くうき圧縮あっしゅく搭載とうさいされていた。魚雷ぎょらい酸素さんそ使用しようされていることは極秘ごくひ事項じこうであったため、防諜ぼうちょうじょう理由りゆうから酸素さんそは『特用とくよう空気くうき』『だい空気くうき』とばれた。きゅうさんしき魚雷ぎょらいふくむ、日本にっぽんせい魚雷ぎょらい実施じっし部隊ぶたいでの信管しんかん調整ちょうせい可能かのうとされており、現場げんばでは「不発ふはつにしたくない」という意識いしきから衝撃しょうげきとんが過敏かびん設定せっていしていたことがおおく、それはしばしば目標もくひょう命中めいちゅうするまえ自爆じばくする「ばく」をまねいた。だいさんソロモン海戦かいせんにおいてはじゅうじゅん愛宕あたご」、「高雄たかお」が最良さいりょうてんから発射はっしゃしたきゅうさんしき魚雷ぎょらい戦艦せんかんワシントン」に命中めいちゅう直前ちょくぜん位置いちまでたっしたが、ワシントンの航跡こうせきたて、Pなみのこと)による衝撃しょうげきはしなかばくをおこしたれいがあった。命中めいちゅうしていればワシントンに甚大じんだい損害そんがいあたえたことが予想よそうされたため、設計せっけい部門ぶもん担当たんとうしゃはこの信管しんかん調整ちょうせい機能きのうをつけたことを「最大さいだい痛恨つうこんごと」と回想かいそうした。

戦歴せんれきでは、きゅうさんしき魚雷ぎょらいの10,000 m以遠いえんでの発射はっしゃは、目標もくひょう艦船かんせん魚雷ぎょらい接近せっきんするまでのすう分間ふんかん直進ちょくしんするときにのみ有効ゆうこうだった。この10,000 mを52ノット (96.3 km/h) の酸素さんそ魚雷ぎょらいはしるには6ふん15びょうようする。こうした条件じょうけんとしては、じゅう巡洋艦じゅんようかんたい戦場せんじょう高速こうそく離脱りだつしてゆく駆逐くちく艦隊かんたいぜんそく追跡ついせきするとき、また水面すいめん潜水せんすいかん照準しょうじゅんされたまま、航空こうくう母艦ぼかん予定よてい進路しんろどおり航行こうこうする状況じょうきょうとうがある。これは1942ねん南太平洋みなみたいへいよう戦場せんじょう有効ゆうこうせい実証じっしょうされた。

  • きゅうさんしき魚雷ぎょらい射程しゃてい速度そくど設定せっていれい
    • 22,000 m / 52 ノット
    • 33,000 m / 41 ノット
    • 40,400 m / 36 ノット

日本にっぽん海軍かいぐん従来じゅうらい瀬戸内海せとないかい広島ひろしまけんくれ阿賀南あがみなみ大入おおいり魚雷ぎょらい実験じっけん実施じっししていた。しかし1933ねんちょう射程しゃていきゅうさんしき魚雷ぎょらい登場とうじょうし、生産せいさん魚雷ぎょらい海軍かいぐん領収りょうしゅう発射はっしゃテストのため、さらにおおきな場所ばしょ必要ひつようとなった。その、1937ねんごろにはすでに、発射はっしゃ試験場しけんじょうおな瀬戸内海せとないかい広島ひろしまけんとなり山口やまぐちけん徳山とくやま大津おおつとう使つかわれていた。この射場しゃじょうからは四国しこくけて十分じゅうぶん直線ちょくせん走行そうこう距離きょりがとれた。この基地きちのち回天かいてん母港ぼこうとなった。

純粋じゅんすい酸素さんそ使用しようするための技術ぎじゅつ[編集へんしゅう]

よりゆきあつしわれ技術ぎじゅつ少将しょうしょう戦後せんごしばらく経過けいかしたころ、このきゅうさんしき魚雷ぎょらいについて執筆しっぴつ説明せつめいした[6]

きゅうさんしき魚雷ぎょらい最大さいだい課題かだいは、内蔵ないぞうされた2気筒きとう機関きかん始動しどうするさい燃焼ねんしょう制御せいぎょである。始動しどうにいきなり純粋じゅんすい酸素さんそ使つかえば、爆発ばくはつ事故じこ発生はっせいする。「燃焼ねんしょう制御せいぎょしつつ、純粋じゅんすい酸素さんそ使用しようする」装置そうち酸素さんそ魚雷ぎょらい成立せいりつさせた秘密ひみつであった。きゅうさんしき魚雷ぎょらいでは、始動しどう初期しょき酸化さんかざい比較的ひかくてき低圧ていあつ空気くうきもちいられた。空気くうきから酸素さんそへの遷移せんい状態じょうたいにおいては、混合こんごうおくられる純粋じゅんすい酸素さんそ割合わりあい次第しだい増加ぞうかした。燃焼ねんしょうはげしくなるが、気筒きとうない燃焼ねんしょう状態じょうたい制御せいぎょ状態じょうたいにあり、制御せいぎょ不可能ふかのう爆発ばくはつてき燃焼ねんしょう発生はっせいしない。機関きかん運転うんてん定常ていじょう状態じょうたい移行いこうすると、空気くうき完全かんぜん酸素さんそにおきかわる。機関きかん純粋じゅんすい酸素さんそ燃料ねんりょうはげしく燃焼ねんしょうして最高さいこう出力しゅつりょく状態じょうたいとなる。

きゅうさんしき魚雷ぎょらいには、純粋じゅんすいだかあつ酸素さんそたされたしゅしつ結合けつごうべんちいさな13リットルの圧縮あっしゅく空気くうきしつがあり、この結合けつごうバルブは逆流ぎゃくりゅう防止ぼうししている(不帰ふきべん)。そして圧縮あっしゅく空気くうきタンクは調しらべあつ圧力あつりょく調整ちょうせい)をとおして燃焼ねんしょうしつ導入どうにゅうされる。起動きどうは、通常つうじょう空気くうきによるおだやかな燃焼ねんしょうでスタートし、安定あんていして作動さどうする。圧縮あっしゅく空気くうき消費しょうひされて圧縮あっしゅく空気くうきタンクの圧力あつりょく低下ていかするにつれ、結合けつごうべんとおして酸素さんそしゅしつから圧縮あっしゅく空気くうきしつ供給きょうきゅうされる。圧縮あっしゅく空気くうきタンクはすぐにすべ酸素さんそたされ、その最後さいごまで酸素さんそによる猛烈もうれつ燃焼ねんしょう継続けいぞくする。

この魚雷ぎょらい慎重しんちょうあつかいを必要ひつようとする。きゅうさんしき魚雷ぎょらい装備そうびする軍艦ぐんかんはこのかた魚雷ぎょらい使つかうために酸素さんそ発生はっせい装備そうびする必要ひつようがあった。

きゅうさんしき魚雷ぎょらい構造こうぞう詳細しょうさい[編集へんしゅう]

大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん海軍かいぐん工廠こうしょう水雷すいらい設計せっけい技手ぎしゅだった赤城あかぎ良三りょうぞう海軍かいぐん技手ぎしゅ養成ようせいしょ16、1943ねん当時とうじ魚雷ぎょらい実験じっけんおよびだい水雷すいらい兼務けんむ)はノンフィクション作家さっかのインタビューにこたえ、かれ戦時せんじちゅうのノートを使つかって実際じっさいきゅうさんしき魚雷ぎょらい構造こうぞう仕様しよう動作どうさ詳細しょうさい説明せつめいした[7]

きゅうさんしき魚雷ぎょらい内部ないぶ構造こうぞう魚雷ぎょらい先端せんたんから弾頭だんとうしつ前部ぜんぶ浮室、機関きかんしつ後部こうぶ浮室、かじじゅう反転はんてん推進すいしんけられる。

だい1空気くうきおよびだい2空気くうき
機密きみつめいだい1空気くうき」は機関きかん始動しどうするために使用しようされる通常つうじょう圧縮あっしゅく空気くうきである。機密きみつめいだい2空気くうき」は純度じゅんど98 %のこうあつ酸素さんそガスであり魚雷ぎょらい強力きょうりょく推進すいしんりょくすために使用しようされる。「魚雷ぎょらい酸化さんかざいじゅん酸素さんそ使用しようする機関きかん実戦じっせん運用うんようちゅう」という事実じじつ日本にっぽん海軍かいぐんでは最高さいこう機密きみつであったため「酸素さんそ」という言葉ことば禁止きんし用語ようごとされ、運用うんよう担当たんとうにはわりに「だい2空気くうき」の名称めいしょうもちいさせ防諜ぼうちょう対策たいさくとした。そして圧縮あっしゅく空気くうきタンクは、比較的ひかくてきひくい10気圧きあつ程度ていど一定いってい圧力あつりょくたもて調しらべあつ圧力あつりょく調整ちょうせい)をとおして混合こんごうしつ接続せつぞくされている。混合こんごうしつでは酸素さんそ石油せきゆ燃料ねんりょうとの混合こんごう生成せいせいされ、燃焼ねんしょうしつ導入どうにゅうされる。
しつ
きゅうさんしき魚雷ぎょらいながさ9 mで直径ちょっけい61 cmだが、純度じゅんど98 %のこうあつ酸素さんそ充填じゅうてんするだい2空気くうき充填じゅうてんするしゅしつは3.48 mのながさがあり魚雷ぎょらい全長ぜんちょうの3ぶんの1以上いじょうめる。またこのしゅしつにより魚雷ぎょらい弾頭だんとう後部こうぶ接続せつぞくしている。しゅしつ強度きょうどすぐれたからあつさ12 mmニッケルクロムモリブデンこうせいで、内容ないようせきは980リットル、充填じゅうてん圧力あつりょくは225気圧きあつであった。しゅしつ製法せいほう鋳造ちゅうぞうされたインゴットを鍛造たんぞうにより円筒えんとうじょうにしたあと機械きかい切削せっさく・くり加工かこうして製作せいさくされた。なお始動しどうよう圧縮あっしゅく空気くうき充填じゅうてんするだい1空気くうき圧縮あっしゅく空気くうきしつ内容ないようせき13.5リットル・充填じゅうてん圧力あつりょく230気圧きあつであり機関きかんしつ併設へいせつされた。改良かいりょうによりだい1空気くうきよん塩化えんか炭素たんそえられている。
機関きかんしつ
魚雷ぎょらい外部がいぶからあつさ3.2 mmの鋼板こうはん後部こうぶのみ1.8 mm)で防水ぼうすい溶接ようせつされているが、機関きかん鋼板こうはんは、馳走ちそうちゅう機関きかん冷却れいきゃくのため、意図いとてき機関きかんしつみず浸入しんにゅうするように工作こうさくされている。きゅうさんしきあらためいち魚雷ぎょらいは、灯油とうゆ燃料ねんりょうとする2気筒きとうはすばん機関きかん装備そうびしている。この機関きかんには機密きみつめいだい2空気くうき」(実際じっさいには純度じゅんど98 %の酸素さんそ)が使用しようされ、高速こうそくちょう射程しゃていでかつおも弾頭だんとう搭載とうさいできる。しかし、じゅん酸素さんそれる配管はいかん内部ないぶにわずかでも油分ゆぶんのこっていると簡単かんたん爆発ばくはつ事故じここしてしまうため、配管はいかん整備せいびさい重要じゅうよう事項じこうであり細心さいしん注意ちゅういはらわれた。このことはきゅうさんしき魚雷ぎょらい運用うんようするさいにはさい重要じゅうようだが、同時どうじ厄介やっかい業務ぎょうむであり、いちれいとして事前じぜん整備せいびでバルブと空気くうき配管はいかんから油分ゆぶん完全かんぜん除去じょきょするには4にちから5にち必要ひつようとした。
じゅん酸素さんそまったしゅしつ燃料ねんりょうぜる混合こんごうしつとのあいだにはだい1空気くうき圧縮あっしゅく空気くうきしつがあり、ぎゃくとめべんかいしてしゅしつ連結れんけつされていた。これにより機関きかん始動しどうには圧縮あっしゅく空気くうきもちい、かつ始動しどう酸素さんそ濃度のうど次第しだいくなるようにできた。機関きかん発射はっしゃだい1空気くうきだけで駆動くどうされ、混合こんごう点火てんかされたあとは酸素さんそ濃度のうど次第しだいたかくなり、最終さいしゅうてきにはだい2空気くうき高圧こうあつ酸素さんそ)のみが燃料ねんりょう混合こんごうされ爆発ばくはつてき燃焼ねんしょうする。高温こうおんこうあつ燃焼ねんしょうガスはかく気筒きとうのピストンをし、回転かいてんはすばんつうじて1ほんのメイン・ドライブシャフトを回転かいてん駆動くどうする。
前部ぜんぶ後部こうぶ浮室
容量ようりょう40.5リットルの制御せいぎょよう空気くうきタンクがあり、魚雷ぎょらいたてかじ垂直すいちょくかじ)やよこかじ昇降しょうこうかじ)を制御せいぎょする。これらのかじよこかじよう深度しんどけいたてかじようジャイロスコープで制御せいぎょされ、こうあつ空気くうき操舵そうだされる。操縦そうじゅうよう制御せいぎょ空気くうきタンク(操縦そうじゅうよう畜器)は230気圧きあつ圧縮あっしゅく空気くうきたされている。深度しんどけい水面すいめん走行そうこう深度しんど制御せいぎょする。魚雷ぎょらいは、手動しゅどう馳走ちそう深度しんどを5 mに設定せっていされる。水平すいへい走行そうこうよう深度しんどけい水面すいめん走行そうこう一定いってい深度しんどたもつようよこかじ制御せいぎょする。
かじ
たてかじけいは、たて舵機だきようジャイロスコープにより自動じどう操舵そうだして魚雷ぎょらい進行しんこう方向ほうこう目標もくひょう方向ほうこう制御せいぎょする。ジャイロスコープは魚雷ぎょらい目標もくひょうみちびき、後部こうぶ発射はっしゃかんからぎゃく方向ほうこう発射はっしゃされた魚雷ぎょらいでもかいあたまさせて前方ぜんぽう目標もくひょう命中めいちゅうさせることも可能かのうである。これらのたてかじよこかじ制御せいぎょ空気くうき制御せいぎょされる。ジャイロスコープは魚雷ぎょらい発射はっしゃするときに回転かいてんはじめる。きゅうさんしき魚雷ぎょらいのジャイロは直径ちょっけい15 cmあつさ7 cmから8 cmの分厚ぶあつ円盤えんばんで、8,000 rpm回転かいてんする仕様しようだった。しかし、きゅうさんしき魚雷ぎょらい軍艦ぐんかんが35ノット以上いじょうさい高速度こうそくど疾走しっそうする状態じょうたいから発射はっしゃされる状況じょうきょう対応たいおうするには、このジャイロスコープの回転かいてん速度そくどではおそすぎて設定せってい針路しんろ発射はっしゃ衝撃しょうげきくるってしまう問題もんだいがあった。
じゅう反転はんてん推進すいしん
機関きかんしつからびるドライブシャフトにはかさ歯車はぐるまいており、じゅう反転はんてんしき推進すいしん回転かいてんさせる。プロペラは4まい羽根ばねであり、この一方いっぽう時計とけいまわり、もう一方いっぽうはん時計とけいまわりに駆動くどうする。じゅう反転はんてん推進すいしん使用しようすることで回転かいてんトルクをし、魚雷ぎょらい推進すいしん方向ほうこう安定あんていさせている。

回天かいてんでの技術ぎじゅつてき改善かいぜん[編集へんしゅう]

回天かいてんでは、ジャイロスコープの回転かいてん圧縮あっしゅく空気くうき駆動くどうから電動でんどうになり、その回転かいてん速度そくどは20,000 rpm改善かいぜんされた。きゅうさんしき魚雷ぎょらい炸薬さくやくりょうは480 kgである。これは長門ながとがた戦艦せんかん装備そうびした16インチ主砲しゅほうの1 t砲弾ほうだん匹敵ひってきする炸薬さくやくりょうだったが、回天かいてんではこの炸薬さくやくりょうは3ばい以上いじょうの1.55 tに増加ぞうかされた。きゅうさんしき魚雷ぎょらい1はつ破壊はかいりょくは、アメリカ艦隊かんたいがた軍艦ぐんかん沈没ちんぼつあるいは大破たいはさせるに十分じゅうぶん威力いりょく戦歴せんれきしめしている。一方いっぽう、アメリカ海軍かいぐん大戦たいせん終盤しゅうばんの1945ねん6がつ洋上ようじょう攻撃こうげきけたイ367せんから発進はっしんしたたけたい回天かいてん1駆逐くちくかん命中めいちゅうしたことをみとめたが、きゅうさんしき魚雷ぎょらいの3ばい以上いじょう炸裂さくれつ火薬かやくりょうをもつ回天かいてん確実かくじつ命中めいちゅうけたにもかかわらずしずまなかったと主張しゅちょうした。

きゅうさんしき魚雷ぎょらいながさ9.61 mだが、回天かいてんでは14.75 mに延長えんちょうされた。きゅうさんしき魚雷ぎょらい重量じゅうりょうやく3 tだが、回天かいてんでは8.3 tに増加ぞうかした。きゅうさんしき魚雷ぎょらい水深すいしん20 mのたいあつがあれば十分じゅうぶんだったが、回天かいてん潜水せんすいかん外部がいぶ搭載とうさいされるため、水深すいしん80 m(潜水せんすいかん深度しんど限界げんかいの100 mにちかい)までえるよう補強ほきょうされた。きゅうさんしき魚雷ぎょらいは、最大さいだい速度そくど52ノット (96.3 km/h)で射程しゃてい22,000 mだが、回天かいてん速度そくど30ノット (55.6 km/h) で航続こうぞく距離きょり23 km、速度そくど10ノット (18.5 km/h) で航続こうぞく距離きょり78 kmに変更へんこうされた。回天かいてん水面すいめん直下ちょっかかつ低速ていそくでの安定あんていした走行そうこう性能せいのうをもつよう改善かいぜんされた。これは誘導ゆうどう搭乗とうじょうしゃによる潜望鏡せんぼうきょうからのきわめてせま視界しかいによったためである。

要目ようもく[編集へんしゅう]

酸素さんそ魚雷ぎょらいかくかた要目ようもく
名称めいしょう 全長ぜんちょう (m) 直径ちょっけい (cm) 重量じゅうりょう (kg) 射程しゃてい (m) およびかみなりそく (kt) 弾頭だんとう重量じゅうりょう (kg) 備考びこう
きゅうさんしき魚雷ぎょらいいちがた
艦艇かんていよう
9 61 2,700 40,000(36 kt
20,000(48 kt
490  
きゅうさんしき魚雷ぎょらいさんがた
艦艇かんていよう
2,800 30,000(36 kt
15,000(48 kt
780 いちがたよりも炸薬さくやくりょう増加ぞうか
きゅうしき魚雷ぎょらいいちがた
潜水艦せんすいかんよう
7.15 53.3 1,665 12,000(45 kt
9,000(49 kt
400  
きゅうよんしき魚雷ぎょらいいちがた
大型おおがたよう
6.7 53 1,500 4,000(45 kt 350 95ほんのみの量産りょうさん製造せいぞう中止ちゅうし
きゅうよんしき魚雷ぎょらいがた
艦載かんさいよう
5.27 45 810 2,000(45 kt 200 48ほんのみ量産りょうさんされ製造せいぞう中止ちゅうし

比較ひかく対象たいしょう[編集へんしゅう]

日本にっぽん海軍かいぐん使用しようした通常つうじょう魚雷ぎょらいおよ各国かっこく魚雷ぎょらい性能せいのう以下いかとおりである。

通常つうじょう魚雷ぎょらいかくかた要目ようもく
名称めいしょう 開発かいはつこく 全長ぜんちょう (m) 直径ちょっけい (cm) 重量じゅうりょう (kg) 射程しゃてい (m) および
かみなりそく (kt)
搭載とうさい炸薬さくやくおよび
弾頭だんとう重量じゅうりょう (kg)
備考びこう
きゅうしき空気くうきしき魚雷ぎょらい
艦艇かんていよう
日本にっぽん 8.5 61 2,500 10,000(42 kt
7,000(46 kt
400 kg 睦月むつきがたから初春しょしゅんがたまでの駆逐くちくかん以下いか艦艇かんてい搭載とうさい
きゅう一式いっしき魚雷ぎょらいあらため
航空こうくうよう
5.47 45 838 2,000(42 kt 204 kg 主力しゅりょく航空こうくう魚雷ぎょらい あらためは1939ねん以降いこうのモデル
きゅう一式いっしき魚雷ぎょらいあらため
航空こうくうよう
5.27 848 1,500(41 kt 235 kg 1943ねんから量産りょうさんされた最終さいしゅうモデル
21インチ・マークVIII
潜水艦せんすいかんよう
イギリス 6.579 53.3 1,566 13,700(35 kt
10,000(41 kt
Torpex 365 kg  
21インチ・マークIX
艦艇かんていよう
5.27 1,693 13,700(35 kt
10,050(41 kt
 
18インチ・マークXV
航空こうくうよう
5.251 45 817 3,200(33 kt
2,290(40 kt
Torpex 247 kg  
Mk10潜水艦せんすいかんよう アメリカ 4.953 53.3 1,005 3,200(36 kt TNT 225 kg
または
Torpex 220 kg
 
Mk12艦艇かんていよう 6.88 1,590 13,700(27.5 kt
9,144(35.5 kt
6,400(44 kt
TNT 226.8 kg  
Mk13航空こうくうよう 4.191 56.9 1,005 3,660(33.5 kt TNT 274 kg
または
TPX 275 kg
または
HBX 272 kg
 
Mk14潜水艦せんすいかんよう 6.25 53.3 1,490 8,200(31 kt
4,100(46 kt
TPX 303 kg  

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ネルソンきゅう戦艦せんかん採用さいよう(W:British 24.5-inch torpedo)され、サイズも連合れんごうこくがわでは例外れいがいてき大型おおがたきゅうさんしき匹敵ひってき直径ちょっけい上回うわまわっていた。
  2. ^ 日本にっぽんでは艦隊かんたい決戦けっせん構想こうそう重視じゅうしし、じゅう防御ぼうぎょ航空こうくう母艦ぼかん戦艦せんかんふく主力しゅりょくかん雷撃らいげき標的ひょうてき想定そうていしていたが、ドイツでは通商つうしょう破壊はかいしゅとしており標的ひょうてきおも輸送ゆそうせんであった。
  3. ^ だい大戦たいせんちゅうまで、他国たこく主用しゅよう魚雷ぎょらい水上すいじょうかんが533 mmきゅう潜水せんすいかんが460 mmきゅうであったのにたいし、日本にっぽん水上すいじょうかん610 mm、潜水せんすいかん533 mmであった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 世界せかい艦船かんせん2010*9::アンドレイ・ポルトフ
  2. ^ 連合れんごう艦隊かんたい栄光えいこうだいろくしょう
  3. ^ 海軍かいぐん水雷すいらい海軍かいぐん水雷すいらい刊行かんこうかい 
  4. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい095かん 海軍かいぐん航空こうくうがい p.42
  5. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい095かん 海軍かいぐん航空こうくうがい p.41
  6. ^ 魚雷ぎょらい」のあきらよりゆきあつしわれ担当たんとう)、「機密きみつ兵器へいき全貌ぜんぼうきょうようしゃ、1952ねん
  7. ^ p.327-p.333、だいしょう:「回天かいてん」と「桜花おうか」の狭間はざま特攻とっこう 恩田おんだ重宝ちょうほう講談社こうだんしゃ、1988ねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 伊藤いとう正徳まさのり連合れんごう艦隊かんたい栄光えいこう角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 佐藤さとう和正かずまさ太平洋たいへいよう海戦かいせん 1 進攻しんこうへんISBN 4062037416
  • 佐藤さとう和正かずまさ太平洋たいへいよう海戦かいせん 2 激闘げきとうへんISBN 4062037424
  • 西日本新聞社にしにっぽんしんぶんしゃ朝刊ちょうかん長崎ながさきばん三菱みつびし長崎造船所なかざきぞうせんじょ秘話ひわ 74かい酸素さんそ魚雷ぎょらい』、昭和しょうわ45ねん9がつ9にち
  • 恩田おんだ, 重宝ちょうほうだいしょう:「回天かいてん」と「桜花おうか」の狭間はざま」『「特攻とっこう」』講談社こうだんしゃ東京とうきょう日本にっぽん、1988ねん11月。ISBN 4-06-204181-2 
  • 伊藤いとう, いさおせんふじさんせんみやつこ志賀しが富士男ふじお編集へんしゅう魚雷ぎょらいよりゆきじゅんわれ)」『「機密きみつ兵器へいき全貌ぜんぼう」(きょうようしゃ 1952年刊ねんかん復刻ふっこくばん)』はら書房しょぼう東京とうきょう日本にっぽん、1976ねん2がつ。ISBN。 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]