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ガダルカナル島 とう のクルツ岬 みさき で回収 かいしゅう された九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう 、ワシントンD.C. のアメリカ海軍 かいぐん 司令 しれい 部 ぶ の外 そと に展示 てんじ されていた
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい (さんそぎょらい)とは燃料 ねんりょう の酸化 さんか 剤 ざい として空気 くうき の代 か わりに、空気 くうき 中 ちゅう 濃度 のうど 以上 いじょう の酸素 さんそ 混合 こんごう 気体 きたい もしくは純 じゅん 酸素 さんそ を用 もち いた魚雷 ぎょらい である。
日本 にっぽん において単 たん に酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい といった場合 ばあい 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか 、唯一 ゆいいつ 実用 じつよう 化 か され運用 うんよう された大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい もしくは九 きゅう 五 ご 式 しき 魚雷 ぎょらい を指 さ すことが多 おお い。本 ほん 項 こう では、大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい を主題 しゅだい として述 の べる。
ロング・ランス (Long Lance、長 ちょう 槍 やり )という愛称 あいしょう も知 し られているが、これは戦後 せんご にサミュエル・モリソン がつけた物 もの である。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以後 いご の魚雷 ぎょらい の推進 すいしん 動力 どうりょく は、燃料 ねんりょう と酸化 さんか 剤 ざい である圧縮 あっしゅく 空気 くうき を搭載 とうさい してエンジンを回 まわ す内燃 ないねん 機関 きかん 型 がた (熱 ねつ 走 はし 式 しき )と、電池 でんち による電気 でんき モーター型 がた (電気 でんき 式 しき )に大別 たいべつ される。前者 ぜんしゃ は高速 こうそく かつ長 ちょう 射程 しゃてい (航続力 こうぞくりょく 大 だい )だが、多量 たりょう の排気 はいき ガスの気泡 きほう が魚雷 ぎょらい の航跡 こうせき に明瞭 めいりょう な白線 はくせん (雷 かみなり 跡 あと )となって浮 う かび上 あ がり、魚雷 ぎょらい の存在 そんざい も、撃 う ってきた方位 ほうい も露見 ろけん しやすい欠点 けってん がある。後者 こうしゃ は雷 かみなり 跡 あと が無 な いが、熱 ねつ 走 はし 式 しき に比 ひ して出力 しゅつりょく が低 ひく く速力 そくりょく ・射程 しゃてい とも劣 おと ると、一長一短 いっちょういったん がある。(大戦 たいせん 時 じ ドイツ のG7 の経緯 けいい なども参照 さんしょう )
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は熱 ねつ 走 はし 式 しき で圧縮 あっしゅく 空気 くうき に替 か えて純 じゅん 酸素 さんそ を使用 しよう したものである。これにより排気 はいき ガスの成分 せいぶん はほぼ炭酸 たんさん ガス と水蒸気 すいじょうき のみとなる。水蒸気 すいじょうき は言 い うに及 およ ばず炭酸 たんさん ガスも海水 かいすい によく溶 と けるため、酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は雷 かみなり 跡 あと をほぼ引 ひ かないという、電気 でんき 式 しき に準 じゅん じる隠密 おんみつ 性 せい が特徴 とくちょう である。また、通常 つうじょう の熱 ねつ 走 はし 式 しき よりも燃焼 ねんしょう 効率 こうりつ が大 おお きく向上 こうじょう したことで速力 そくりょく (雷 かみなり 速 そく )・航続力 こうぞくりょく もさらにパワーアップした。純 じゅん 酸素 さんそ の使用 しよう で多 おお くの利点 りてん が得 え られることは広 ひろ く知 し られていたが、激 はげ しい燃焼 ねんしょう 反応 はんのう のため機関 きかん 始動 しどう 時 じ などに容易 ようい に爆発 ばくはつ するという技術 ぎじゅつ 上 じょう の問題 もんだい 点 てん が立 た ちふさがっていた。そうした中 なか 、日本 にっぽん は1933年 ねん (昭和 しょうわ 8年 ねん )、世界 せかい に先駆 さきが け酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の開発 かいはつ に成功 せいこう 。以降 いこう 、大戦 たいせん を通 つう じて唯一 ゆいいつ の酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい 運用 うんよう 国 こく となった。実用 じつよう 化 か にこぎつけたのは日本 にっぽん 以外 いがい ではイギリスのみであった。そのイギリス も、純 じゅん 酸素 さんそ ではなく、酸素 さんそ を増加 ぞうか した、空気 くうき 魚雷 ぎょらい と酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の中間 ちゅうかん のようなものである[注 ちゅう 1] 。
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は当時 とうじ の他国 たこく 魚雷 ぎょらい の水準 すいじゅん に比 ひ して、雷 かみなり 速 そく と炸薬 さくやく 量 りょう で優 まさ り、射程 しゃてい は数 すう 倍 ばい 、加 くわ えて航跡 こうせき の視認 しにん が困難 こんなん という高性能 こうせいのう なもので、それによって戦争 せんそう で連合 れんごう 軍 ぐん の艦艇 かんてい は多 おお くの損害 そんがい を被 こうむ り、1943年 ねん に鹵獲 ろかく されるまで連合 れんごう 軍 ぐん は魚雷 ぎょらい について知 し らなかった。一方 いっぽう で、酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の整備 せいび 性 せい は良好 りょうこう とはいえず誤爆 ごばく を防 ふせ ぐために充分 じゅうぶん なメンテナンスを要 よう し、また、速 はや すぎる雷 かみなり 速 そく のため、船底 ふなそこ 爆破 ばくは 用 よう の磁気 じき 式 しき の信管 しんかん が使用 しよう できず、接触 せっしょく 式 しき 信管 しんかん を採用 さいよう せざるをえないなどの短所 たんしょ もあった。後 のち に日 にち 独 どく 技術 ぎじゅつ 交換 こうかん により大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん からドイツ海軍 かいぐん へも試験 しけん 供与 きょうよ されたが、戦略 せんりゃく 的 てき 位置付 いちづ けの違 ちが い[注 ちゅう 2] もあり、整備 せいび 性 せい の悪 わる さなどからUボート での使用 しよう には適 てき さないと判断 はんだん され、採用 さいよう されていない。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以後 いご の魚雷 ぎょらい は、主 しゅ として整備 せいび 性 せい を向上 こうじょう させた他 た 方式 ほうしき のものが採用 さいよう されている。しかしソビエト海軍 かいぐん では主力 しゅりょく 魚雷 ぎょらい として電池 でんち 式 しき と酸素 さんそ 式 しき の2方式 ほうしき を配備 はいび し、ロシア海軍 かいぐん でも酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の運用 うんよう が継続 けいぞく されている。これらは、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん で鹵獲 ろかく されたドイツ魚雷 ぎょらい の系譜 けいふ を引 ひ いたものである。ドイツ製 せい 魚雷 ぎょらい の改良 かいりょう 型 がた であるET46は電池 でんち 式 しき 、採用 さいよう 1946年 ねん (昭和 しょうわ 21年 ねん )、射程 しゃてい 6 km 、速力 そくりょく 31ノット 、炸薬 さくやく 450 kg であった。冷戦 れいせん 初期 しょき のSAET55Mは電池 でんち 式 しき 、音響 おんきょう 誘導 ゆうどう 、採用 さいよう 1955年 ねん (昭和 しょうわ 30年 ねん )、射程 しゃてい 6 km、速力 そくりょく 29ノット、炸薬 さくやく 300 kgである。冷戦 れいせん 末期 まっき のUSET80は新型 しんがた 電池 でんち 式 しき (銀 ぎん ・亜鉛 あえん 式 しき 、充電 じゅうでん 保存 ほぞん 期間 きかん 1年 ねん )、対 たい 潜 せん 対 たい 艦 かん 併用 へいよう アクティブパッシブ音響 おんきょう 誘導 ゆうどう 式 しき 航跡 こうせき 追尾 ついび 機能 きのう 、採用 さいよう 1980年 ねん (昭和 しょうわ 55年 ねん )、射程 しゃてい 18 km、速力 そくりょく 40ノット、炸薬 さくやく 300 kg、作戦 さくせん 深度 しんど 1,000 m 超 ちょう の信頼 しんらい 性 せい と静粛 せいしゅく 性 せい をあわせ持 も つ高性能 こうせいのう 電池 でんち 式 しき の魚雷 ぎょらい であった。より高速 こうそく で長 ちょう 射程 しゃてい な56-65Mはケロシン ・過酸化水素 かさんかすいそ タービン式 しき 、アクティブ音響 おんきょう 誘導 ゆうどう 式 しき 、採用 さいよう 1969年 ねん (昭和 しょうわ 44年 ねん )、射程 しゃてい 12 km、速力 そくりょく 68.5ノット、炸薬 さくやく 307 kg、作戦 さくせん 深度 しんど 2 mから14 mである。
過酸化水素 かさんかすいそ 式 しき の魚雷 ぎょらい には特有 とくゆう の整備 せいび 性 せい の悪 わる さ(原潜 げんせん クルスク の爆沈 ばくちん 等 とう 、事故 じこ の多発 たはつ )があるため、新型 しんがた のケロシン・酸素 さんそ タービン式 しき が開発 かいはつ され使用 しよう されている[1] 。
また、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい でも試製 しせい 54式 しき 魚雷 ぎょらい で電池 でんち 式 しき を採用 さいよう したものの、72式 しき 長 ちょう 魚雷 ぎょらい では酸素 さんそ 式 しき を採用 さいよう している。これらの魚雷 ぎょらい は過酸化水素 かさんかすいそ (過酸化水素 かさんかすいそ をヴァルター機関 きかん の燃料 ねんりょう として利用 りよう している魚雷 ぎょらい もある)を使用 しよう しており、これらは大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん が装備 そうび した、酸素 さんそ ガスを高 こう 圧 あつ 充填 じゅうてん していた魚雷 ぎょらい とは世代 せだい が異 こと なるものである。
日本 にっぽん の酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい [ 編集 へんしゅう ]
水雷 すいらい 戦闘 せんとう の要求 ようきゅう [ 編集 へんしゅう ]
大和 やまと ミュージアム に展示 てんじ されている九 きゅう 五 ご 式 しき 魚雷 ぎょらい
大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん ではワシントン軍縮 ぐんしゅく 会議 かいぎ の結果 けっか がもたらした不利 ふり を克服 こくふく するため、魚雷 ぎょらい を主力 しゅりょく 兵 へい 装 そう と位置 いち づけ、戦術 せんじゅつ と併 あわ せて開発 かいはつ を進 すす めた。この時点 じてん での水雷 すいらい 戦術 せんじゅつ は日本海 にほんかい 海戦 かいせん で示 しめ された通 とお り、主力 しゅりょく 海戦 かいせん で損傷 そんしょう した敵艦 てきかん 隊 たい に対 たい し至近 しきん 距離 きょり から「とどめ」として投入 とうにゅう することが考 かんが えられていた。
しかしこうした投入 とうにゅう 方法 ほうほう は、冷 ひえ 走 はし 魚雷 ぎょらい ・乾式 かんしき 魚雷 ぎょらい ・湿式 しっしき 魚雷 ぎょらい と魚雷 ぎょらい の構造 こうぞう 的 てき 発展 はってん が得 え られたこと、材料 ざいりょう 強度 きょうど の向上 こうじょう 、続 つづ いて大型 おおがた 化 か 、多連装 たれんそう 化 か などの発展 はってん により変化 へんか した。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では、昼間 ひるま の海戦 かいせん でも主力 しゅりょく 艦 かん に対 たい して打撃 だげき を与 あた えうる戦 せん 例 れい が見 み られるようになった。そこで大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん では、列強 れっきょう の先端 せんたん を行 い く主力 しゅりょく 艦 かん の水線 すいせん 下 か 防御 ぼうぎょ を突破 とっぱ して確実 かくじつ に撃破 げきは しうる大型 おおがた 魚雷 ぎょらい を装備 そうび した大型 おおがた 駆逐 くちく 艦 かん 「睦月 むつき 型 がた 」の導入 どうにゅう に踏 ふ み切 き っていった[注 ちゅう 3] 。
魚雷 ぎょらい は長 なが い航 こう 走 はし 時間 じかん を必要 ひつよう とするため、未来 みらい 位置 いち 算定 さんてい が困難 こんなん で命中 めいちゅう 精度 せいど が低 ひく い兵器 へいき と捉 とら えられがちである。ただし魚雷 ぎょらい は艦 かん 砲 ほう のように間接 かんせつ 射撃 しゃげき を必要 ひつよう としない兵器 へいき である。艦 かん 砲 ほう が予想 よそう 未来 みらい 位置 いち に対 たい する「測 はか 距と測 はか 角 かく 」(砲 ほう の仰角 ぎょうかく と方位 ほうい )を必要 ひつよう とするのに比 くら べ、魚雷 ぎょらい は未来 みらい 位置 いち 算定 さんてい のための「測 はか 角 かく 」でよい有利 ゆうり さを持 も っている。間接 かんせつ 照準 しょうじゅん 射撃 しゃげき で山 やま なりの弾道 だんどう で空中 くうちゅう から標的 ひょうてき に当 あ たる砲弾 ほうだん は、距離 きょり の正確 せいかく さが要求 ようきゅう されるが、測定 そくてい 誤差 ごさ は角度 かくど より距離 きょり の誤差 ごさ の方 ほう がかなり大 おお きいことに加 くわ え、間接 かんせつ 射撃 しゃげき において誤差 ごさ の出 で た距離 きょり による命中 めいちゅう 率 りつ の低下 ていか がそれをさらに累増 るいぞう させることにもよる。つまり、直接 ちょくせつ 照準 しょうじゅん 射撃 しゃげき をする戦車 せんしゃ 砲 ほう は700 mの戦闘 せんとう 照準 しょうじゅん において、0 mから1,000 mの全 ぜん 射程 しゃてい で命中 めいちゅう の可能 かのう 性 せい があるが、間接 かんせつ 射撃 しゃげき ・弾 たま 着 ぎ 修正 しゅうせい 射撃 しゃげき の艦 かん 砲 ほう 射撃 しゃげき においては20,000 m先 さき の前後 ぜんご 100 mしか命中 めいちゅう 弾 だん が出 で ない。これに対 たい し水面 すいめん 下 か を直進 ちょくしん する魚雷 ぎょらい はいかに長 ちょう 射程 しゃてい で弾 たま が遅 おそ くとも直接 ちょくせつ 照準 しょうじゅん 射撃 しゃげき であり、水雷 すいらい 戦 せん では、未来 みらい 位置 いち 算定 さんてい 以外 いがい の照準 しょうじゅん は0 mから最大 さいだい 射程 しゃてい で命中 めいちゅう の可能 かのう 性 せい がある。
要 よう するに、三 さん 次元 じげん 上 じょう の「点 てん 」の命中 めいちゅう 範囲 はんい しかない艦 かん 砲 ほう に対 たい し、魚雷 ぎょらい は二 に 次元 じげん 平面 へいめん 上 じょう の「線 せん 」の命中 めいちゅう 範囲 はんい を持 も っているということである。射 い 法 ほう の特性 とくせい の相違 そうい の結果 けっか 、第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん の戦 せん 訓 くん による魚雷 ぎょらい 側 がわ の「主力 しゅりょく 艦 かん 同士 どうし の砲戦 ほうせん など未来 みらい 位置 いち の誤差 ごさ が出 で にくい状況 じょうきょう での」実用 じつよう 的 てき な交戦 こうせん 距離 きょり は数 すう 千 せん m程度 ていど にまで拡大 かくだい していた。
水雷 すいらい 戦術 せんじゅつ の変遷 へんせん と酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の特性 とくせい [ 編集 へんしゅう ]
大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん では、より確実 かくじつ な水雷 すいらい 戦闘 せんとう 力 りょく を求 もと めて、さらに大型 おおがた の駆逐 くちく 艦 かん 「特 とく 型 がた 」を導入 どうにゅう した。戦術 せんじゅつ としては前 まえ 型 がた が6射 しゃ 線 せん であったものを9射 しゃ 線 せん に増強 ぞうきょう し、敵 てき 主力 しゅりょく 艦 かん が回避 かいひ 可能 かのう な範囲 はんい 全 すべ てを覆 おお う様 よう に駆逐 くちく 隊 たい 単位 たんい で一斉 いっせい に雷撃 らいげき するというものであった。敵艦 てきかん 隊 たい の防御 ぼうぎょ 火力 かりょく も強力 きょうりょく なことを算定 さんてい し、12隻 せき から16隻 せき の駆逐 くちく 艦 かん を投入 とうにゅう 、水雷 すいらい 戦隊 せんたい として突入 とつにゅう する。その盾 たて となる突破 とっぱ 支援 しえん に指定 してい されていた条約 じょうやく 巡洋艦 じゅんようかん 戦隊 せんたい も雷 かみなり 装 そう し、生 なま 残 のこ した艦 かん はすべて敵 てき 主力 しゅりょく 艦 かん を攻撃 こうげき する。こうした戦術 せんじゅつ から条約 じょうやく 巡洋艦 じゅんようかん を切実 せつじつ に必要 ひつよう としていたのは日本 にっぽん だけであった。他国 たこく は主力 しゅりょく 艦 かん 戦力 せんりょく に余裕 よゆう があったためである。強力 きょうりょく な酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の実用 じつよう 化 か は水雷 すいらい 志向 しこう をさらに加速 かそく させ、軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん に片 かた 舷 ふなばた 20射 しゃ 線 せん 、計 けい 40門 もん にも及 およ ぶ大量 たいりょう の発射 はっしゃ 管 かん を搭載 とうさい した重 じゅう 雷 かみなり 装 そう 艦 かん を誕生 たんじょう させるに到 いた った。
また魚雷 ぎょらい は構造 こうぞう 上 じょう 、演習 えんしゅう 時 じ には炸薬 さくやく に換 か えて水 みず などを充填 じゅうてん することができた。この水 みず は、気 き 室内 しつない の空気 くうき により排出 はいしゅつ することが可能 かのう で、主力 しゅりょく 艦 かん 艦 かん 砲 ほう のように砲身 ほうしん の損耗 そんこう を懸念 けねん することなく演習 えんしゅう 発射 はっしゃ および回収 かいしゅう を行 おこな えた。従 したが って実弾 じつだん 発射 はっしゃ 訓練 くんれん が比較的 ひかくてき 容易 ようい に可能 かのう であり、練度 れんど を上 あ げやすい兵 へい 装 そう であった。
魚雷 ぎょらい のエンジンは推進 すいしん 用 よう スクリューを駆動 くどう する。魚雷 ぎょらい の開発 かいはつ から長期 ちょうき にわたって、燃料 ねんりょう の酸化 さんか 剤 ざい には、内部 ないぶ タンクに圧縮 あっしゅく 搭載 とうさい した空気 くうき を用 もち いていたが、この方法 ほうほう では空気 くうき の80 % を占 し める窒素 ちっそ が排気 はいき として水中 すいちゅう に大量 たいりょう 放出 ほうしゅつ された。窒素 ちっそ は水 みず に溶 と けないため、気泡 きほう による航跡 こうせき ができた。この窒素 ちっそ を酸素 さんそ に置 お き換 か えると、より多量 たりょう の炸薬 さくやく を搭載 とうさい し、高速 こうそく かつ大 だい 射程 しゃてい という理想 りそう 的 てき な能力 のうりょく を高 たか い次元 じげん で両立 りょうりつ できる。これにより実用 じつよう 有効 ゆうこう 射程 しゃてい は5,000 m程度 ていど から20,000 mないし25,000 m程度 ていど (主力 しゅりょく 艦 かん 砲戦 ほうせん の想定 そうてい 距離 きょり )に伸 の び、さらに雷 かみなり 速 そく 50ノット程度 ていど での攻撃 こうげき が可能 かのう となった。従来 じゅうらい の魚雷 ぎょらい は、有効 ゆうこう 射程 しゃてい まで接近 せっきん しないと攻撃 こうげき 不可能 ふかのう であったが、手段 しゅだん は違 ちが えど等距離 とうきょり から撃 う ちあえる兵器 へいき の出現 しゅつげん と目 め された。
更 さら に戦術 せんじゅつ 的 てき な酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の最大 さいだい の特徴 とくちょう は魚雷 ぎょらい の航跡 こうせき が目立 めだ たないということだった。酸素 さんそ を酸化 さんか 剤 ざい として使用 しよう する酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい では、発生 はっせい する二酸化炭素 にさんかたんそ が比較的 ひかくてき 水 みず に溶 と けやすいため、雷 かみなり 跡 あと は試射 ししゃ 場 じょう でも目視 もくし 困難 こんなん だった。発見 はっけん のしにくさは回避 かいひ される可能 かのう 性 せい の低 ひく さにつながり、より命中 めいちゅう 弾 だん を得 え やすかった。ただし酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は始動 しどう 直後 ちょくご の燃焼 ねんしょう には通常 つうじょう の圧縮 あっしゅく 空気 くうき を使用 しよう していたため、発射 はっしゃ 後 ご 300 mから400 mは雷 かみなり 跡 あと が残 のこ った。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の後期 こうき 型 がた は圧縮 あっしゅく 空気 くうき に代 か わり、水 みず に溶 と けやすい四 よん 塩化 えんか 炭素 たんそ を使用 しよう し酸素 さんそ 濃度 のうど を下 さ げる手法 しゅほう に代 か えた。
他国 たこく でも燃焼 ねんしょう 時 じ の酸化 さんか 剤 ざい として酸素 さんそ を用 もち いるメリットは認識 にんしき していたが、試作 しさく 段階 だんかい で爆発 ばくはつ 事故 じこ が多発 たはつ したため、実用 じつよう 化 か を断念 だんねん した。日本 にっぽん では「イギリスが酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい を試作 しさく している」との情報 じょうほう を契機 けいき に、列強 れっきょう に遅 おく れて開発 かいはつ を始 はじ めたが、綿密 めんみつ な研究 けんきゅう の末 すえ に爆発 ばくはつ を防 ふせ ぐために始動 しどう 時 じ には空気 くうき を使用 しよう し、徐々 じょじょ に酸素 さんそ 濃度 のうど を高 たか くしていくシステムを採用 さいよう し、実用 じつよう 可能 かのう レベルの安全 あんぜん 性 せい を確保 かくほ した。一説 いっせつ には二酸化炭素 にさんかたんそ と酸素 さんそ の混合 こんごう 気体 きたい を使用 しよう したとされるが、開発 かいはつ 担当 たんとう 者 しゃ の説明 せつめい には存在 そんざい しない。
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい として世界 せかい で初 はじ めて開発 かいはつ に成功 せいこう した大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は、1933年 ねん (昭和 しょうわ 8年 ねん )、呉 ご 海軍 かいぐん 工廠 こうしょう 魚雷 ぎょらい 実験 じっけん 部 ぶ において発射 はっしゃ 実験 じっけん に成功 せいこう し、岸本 きしもと 鹿子 かのこ 治 ち 実験 じっけん 部長 ぶちょう (のち、三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう 長崎 ながさき 兵器 へいき 製作所 せいさくしょ 第 だい 四 よん 代 だい 所長 しょちょう )、朝熊 あさま 利英 としひで 設計 せっけい 主任 しゅにん らを中心 ちゅうしん に研究 けんきゅう が進 すす められ[2] 、2年 ねん 後 ご に潜水艦 せんすいかん 用 よう 直径 ちょっけい 53 cmの九 きゅう 五 ご 式 しき 魚雷 ぎょらい の開発 かいはつ に成功 せいこう した。その後 ご 、長崎 ながさき 兵器 へいき 製作所 せいさくしょ において、潜水艦 せんすいかん 用 よう の魚雷 ぎょらい を受注 じゅちゅう 、椋木 むくのき 寿 ひさし (むくぎ ひさし)技師 ぎし が出張 しゅっちょう 研究 けんきゅう に呉 くれ へ派遣 はけん され、1937年 ねん (昭和 しょうわ 12年 ねん )から量産 りょうさん を開始 かいし した。長崎 ながさき 兵器 へいき 製作所 せいさくしょ 製造 せいぞう を示 しめ す(長 ちょう )印 しるし の魚雷 ぎょらい は、終戦 しゅうせん までに約 やく 2,700本 ほん が生産 せいさん された。これら(長 ちょう )印 しるし の魚雷 ぎょらい は「呉 ご 生 う まれよりも長崎 ながさき 生 う まれの方 ほう が優秀 ゆうしゅう 」との連合 れんごう 艦隊 かんたい の折 お り紙 がみ がつけられている。なお、これらの発射 はっしゃ テストは一本 いっぽん 一 いち 本 ほん 、大村湾 おおむらわん 堂崎鼻 どうさきばな において何 なん 度 ど も繰 く り返 かえ され、この結果 けっか 、安全 あんぜん 性 せい 、直進 ちょくしん 性 せい などの完成 かんせい 度 ど が飛躍 ひやく 的 てき に向上 こうじょう した。特 とく に、他国 たこく の爆発 ばくはつ 事故 じこ を尻目 しりめ に徹底 てってい した安全 あんぜん 管理 かんり がなされ、爆発 ばくはつ 事故 じこ はなかった。酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の整備 せいび ・調整 ちょうせい には、配管 はいかん 内 ない の油分 ゆぶん を完全 かんぜん に除去 じょきょ するため、4日 にち から5日間 にちかん の事前 じぜん 整備 せいび 作業 さぎょう 日数 にっすう を必要 ひつよう とした。太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 ちゅう に遣 や 独 どく 潜水 せんすい 艦 かん 作戦 さくせん によってドイツ海軍 かいぐん は九 きゅう 五 ご 式 しき 酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい を入手 にゅうしゅ したが、研究 けんきゅう 目的 もくてき での利用 りよう にとどめ、実戦 じっせん においては使 つか い勝手 がって の良 よ い電池 でんち 式 しき 魚雷 ぎょらい 、蒸気 じょうき 式 しき 魚雷 ぎょらい を使用 しよう した。
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい のもう1つの特徴 とくちょう は打撃 だげき 破壊 はかい 力 りょく が大 おお きいことであった。それ以前 いぜん の九 きゅう 〇式 しき 魚雷 ぎょらい から大型 おおがた 高 だか 威力 いりょく 傾向 けいこう は始 はじ まっているが、高 こう 純度 じゅんど 酸素 さんそ により実現 じつげん した強力 きょうりょく なエンジン出力 しゅつりょく を、航続力 こうぞくりょく 、雷 かみなり 速 そく に加 くわ えて炸薬 さくやく 搭載 とうさい 量 りょう の増大 ぞうだい にも振 ふ り向 む けたことによる。巡洋艦 じゅんようかん 級 きゅう の軍艦 ぐんかん でもこの魚雷 ぎょらい を1本 ほん 被 ひ 雷 かみなり しただけで大破 たいは したケース(ルンガ沖 おき 夜戦 やせん )もあり、日本 にっぽん 駆逐 くちく 艦 かん との海戦 かいせん の際 さい には「敵 てき に柔 やわ らかい横腹 よこばら を見 み せるな(魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 態勢 たいせい に持 も ち込 こ まれるな)」が連合 れんごう 軍 ぐん の合言葉 あいことば になったといわれる。大戦 たいせん 末期 まっき の大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん は制空権 せいくうけん を失 うしな い、酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の活躍 かつやく の場 ば は少 すく なくなったが、フィリピン・レイテ島 れいてとう のオルモック湾 わん 海戦 かいせん (1944年 ねん 12月3日 にち )において日本 にっぽん の駆逐 くちく 艦 かん 「竹 たけ 」が酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ 、アメリカ海軍 かいぐん の新鋭 しんえい 艦隊 かんたい 駆逐 くちく 艦 かん 「クーパー 」を撃沈 げきちん している。
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい はまた、従来 じゅうらい の空気 くうき 魚雷 ぎょらい との相違 そうい 点 てん として、湿式 しっしき 機関 きかん には必要 ひつよう だった真水 しみず タンクを搭載 とうさい していない。従来 じゅうらい の空気 くうき 魚雷 ぎょらい でも空気 くうき 中 ちゅう の酸素 さんそ を燃焼 ねんしょう させるのに十分 じゅうぶん な量 りょう の燃料 ねんりょう を供給 きょうきゅう すると燃焼 ねんしょう ガスの温度 おんど が上 あ がりすぎ、燃焼 ねんしょう 室 しつ および主 しゅ 機関 きかん の一部 いちぶ が溶損する。そこで清水 しみず を燃焼 ねんしょう 室 しつ 内 ない に吹 ふ き込 こ んでガス温度 おんど を1200 ℃ 前後 ぜんご に抑 おさ え、900 ℃位 い の作動 さどう 蒸気 じょうき を主 おも 機 き 室 しつ に送 おく り込 こ んでいる。これが純 じゅん 酸素 さんそ を用 もち いる酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい ではさらに燃焼 ねんしょう ガス温度 おんど が上昇 じょうしょう し、かつ機関 きかん の運転 うんてん 時間 じかん も長 なが いため必要 ひつよう な清水 しみず の量 りょう が増加 ぞうか し清水 しみず タンクが魚雷 ぎょらい 内 ない 体積 たいせき を圧迫 あっぱく する。そこで外部 がいぶ から海水 かいすい を取 と り入 い れそれを清水 しみず の代 か わりに燃焼 ねんしょう ガスに噴霧 ふんむ する方式 ほうしき としている[3] 。
投入 とうにゅう と戦果 せんか [ 編集 へんしゅう ]
1942年 ねん 9月 がつ 15日 にち 、酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の長距離 ちょうきょり 駆 か 走 はし により、ガダルカナル戦 せん においてアメリカ戦艦 せんかん 「ノースカロライナ 」を撃破 げきは した。これは伊 い 号 ごう 第 だい 十 じゅう 九 きゅう 潜水 せんすい 艦 かん が発射 はっしゃ した九 きゅう 五 ご 式 しき 魚雷 ぎょらい 6本 ほん のうち、3本 ほん が航空 こうくう 母艦 ぼかん 「ワスプ 」に命中 めいちゅう し撃沈 げきちん 、さらに外 はず れた魚雷 ぎょらい が5海里 かいり (約 やく 9.3 km)の長距離 ちょうきょり を走 はし って偶然 ぐうぜん 射 い 線 せん 上 じょう に居合 いあ わせた戦艦 せんかん 「ノースカロライナ」と駆逐 くちく 艦 かん 「オブライエン 」に命中 めいちゅう したものである。これにより「ノースカロライナ」は左舷 さげん 艦 かん 首部 しゅぶ 水線 すいせん 下 か に幅 はば 10 m、高 たか さ7 mに及 およ ぶ大破 たいは 口 こう が開 ひら き損傷 そんしょう し、復帰 ふっき まで3か月 げつ を要 よう した。駆逐 くちく 艦 かん 「オブライエン」はその損傷 そんしょう が元 もと で1942年 ねん 10月 がつ 19日 にち に沈没 ちんぼつ 。アメリカ海軍 かいぐん はこの攻撃 こうげき を1隻 せき の潜水 せんすい 艦 かん が達成 たっせい したと考 かんが えず、もう1隻 せき 別 べつ の潜水 せんすい 艦 かん がいたと推定 すいてい しており、実際 じっさい には単独 たんどく 攻撃 こうげき であることを知 し ったのは戦後 せんご であった。潜水艦 せんすいかん 搭載 とうさい 用 よう の九 きゅう 五 ご 式 しき 魚雷 ぎょらい は直径 ちょっけい が53 cmであり、日本 にっぽん 海軍 かいぐん 水上 すいじょう 艦艇 かんてい が搭載 とうさい する九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい に比較 ひかく すれば小型 こがた で威力 いりょく は小 ちい さいが、実質 じっしつ 的 てき には列強 れっきょう の水上 すいじょう 艦艇 かんてい 搭載 とうさい 用 よう 魚雷 ぎょらい と同等 どうとう 以上 いじょう の性能 せいのう を有 ゆう していた。
靖国神社 やすくにじんじゃ 遊 ゆう 就館 に展示 てんじ されている回天 かいてん
太平洋戦争 たいへいようせんそう 末期 まっき に開発 かいはつ された特攻 とっこう 兵器 へいき (人間 にんげん 魚雷 ぎょらい )・回天 かいてん の艇 てい 体 たい 後半 こうはん 部 ぶ は九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の推進 すいしん 部 ぶ を流用 りゅうよう している他 ほか 、深度 しんど 調節 ちょうせつ 用 よう のジャイロスコープ装置 そうち を改良 かいりょう の上 うえ (詳細 しょうさい は後述 こうじゅつ )装備 そうび している。
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい はその長 ちょう 射程 しゃてい のため、重大 じゅうだい な同士討 どうしう ち を引 ひ き起 お こした事例 じれい もある。太平洋戦争 たいへいようせんそう 緒戦 しょせん の蘭 らん 印 しるし 作戦 さくせん 、1942年 ねん 3月 がつ 1日 にち のジャワ上陸 じょうりく 作戦 さくせん 時 とき にジャワ島 じゃわとう 沖 おき で起 お きたバタビア沖 おき 海戦 かいせん において、重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 「最上 さいじょう 」がアメリカ重 じゅう 巡 じゅん 「ヒューストン 」を狙 ねら って午前 ごぜん 1時 じ 27分 ふん に発射 はっしゃ した九 きゅう 三 さん 式 しき 酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい 6本 ほん が目標 もくひょう を捕 と らえられず、流 なが れ弾 だま となって射 い 線 せん 延長線 えんちょうせん 上 じょう にいた大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん の第 だい 16軍 ぐん 主力 しゅりょく を載 の せた味方 みかた 輸送 ゆそう 船団 せんだん を襲 おそ った。
最初 さいしょ に午前 ごぜん 1時 じ 35分 ふん 、右舷 うげん 缶 かん 室 しつ に直撃 ちょくげき を受 う けた船団 せんだん 直 ちょく 掩の「第 だい 二 に 号 ごう 掃海 そうかい 艇 てい 」が轟沈 ごうちん 。1時 じ 38分 ふん に輸送 ゆそう 船 せん 「佐倉 さくら 丸 まる 」、続 つづ いて病院 びょういん 船 せん 「蓬莱 ほうらい 丸 まる 」、そして事実 じじつ 上 じょう の世界 せかい 初 はつ の揚陸 ようりく 艦 かん である陸軍 りくぐん 特殊 とくしゅ 船 せん 「神州 しんしゅう 丸 まる (神洲 しんしゅう 丸 まる ) 」(ジャワ上陸 じょうりく 作戦 さくせん 当時 とうじ は存在 そんざい 秘匿 ひとく のため「龍 りゅう 城丸 しろまる 」の船 ふね 名 めい を使用 しよう )に九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい が命中 めいちゅう し、さらに雷撃 らいげき を回避 かいひ しようと急 きゅう 旋回 せんかい した輸送 ゆそう 船 せん 「龍野 たつの 丸 まる 」が沈没 ちんぼつ した(「佐倉 さくら 丸 まる 」・「神州 しんしゅう 丸 まる 」および「龍野 たつの 丸 まる 」は船体 せんたい が傾斜 けいしゃ した状態 じょうたい で着 き 底 そこ 、「蓬莱 ほうらい 丸 まる 」は水平 すいへい 状態 じょうたい で着 き 底 そこ 、第 だい 二 に 号 ごう 掃海 そうかい 艇 てい は完全 かんぜん 沈没 ちんぼつ 。「神州 しんしゅう 丸 まる 」はのちにサルベージ され復帰 ふっき )。
この同士討 どうしう ちで沈没 ちんぼつ (大破 たいは 着 ぎ 底 そこ )した特殊 とくしゅ 船 せん 「神州 しんしゅう 丸 まる 」には第 だい 16軍 ぐん 司令 しれい 官 かん 今村 いまむら 均 ひとし 陸軍 りくぐん 中将 ちゅうじょう が座乗 ざじょう しており、同 おな じく沈 しず められた「佐倉 さくら 丸 まる 」も第 だい 16軍 ぐん 司令 しれい 部 ぶ 指定 してい 船 せん として司令 しれい 部 ぶ 要員 よういん や従軍 じゅうぐん 記者 きしゃ 、遠距離 えんきょり 用 よう 無線 むせん 機 き や暗号 あんごう 表 ひょう といった各種 かくしゅ 重要 じゅうよう 器材 きざい が乗船 じょうせん していた。かつ「神州 しんしゅう 丸 まる 」は極 きわ めて先進 せんしん 的 てき な揚陸 ようりく 艦 かん 機能 きのう 、優秀 ゆうしゅう な上陸 じょうりく 戦 せん 遂行 すいこう 能力 のうりょく のみならず旗艦 きかん 的 てき な司令 しれい 部 ぶ 機能 きのう を有 ゆう する日本 にっぽん 軍 ぐん にとって虎 とら の子 こ 的 てき 存在 そんざい であった。被 ひ 雷 かみなり は第 だい 1次 じ 上陸 じょうりく 部隊 ぶたい の揚陸 ようりく 後 ご であったものの約 やく 100名 めい が死亡 しぼう し、約 やく 3時 じ 間 あいだ 後 ご に船舶 せんぱく 兵 へい らによって救助 きゅうじょ されるまで今村 いまむら 中将 ちゅうじょう 以下 いか の将兵 しょうへい は重油 じゅうゆ の流出 りゅうしゅつ した海 うみ で漂流 ひょうりゅう している。
このように軍 ぐん 司令 しれい 部 ぶ を揚陸 ようりく 艦 かん 1隻 せき ・輸送 ゆそう 船 せん 2隻 せき ・病院 びょういん 船 せん 1隻 せき ・掃海 そうかい 艇 てい 1隻 せき とともに「撃沈 げきちん 」してしまった海軍 かいぐん の失態 しったい は大 おお きなものであったが、帝国 ていこく 陸軍 りくぐん はこの事件 じけん の責任 せきにん 追及 ついきゅう を行 おこな わず、海軍 かいぐん の名誉 めいよ に傷 きず をつけぬよう「神州 しんしゅう 丸 まる 」以下 いか の沈没 ちんぼつ は敵 てき 軍 ぐん の攻撃 こうげき によるものにすることを提案 ていあん さえした。「人情 にんじょう 将軍 しょうぐん 」と謳 うた われた人格 じんかく 者 しゃ たる名将 めいしょう 今村 いまむら 中将 ちゅうじょう も、あわや司令 しれい 官 かん 以下 いか 戦死 せんし で司令 しれい 部 ぶ 機能 きのう 完全 かんぜん 喪失 そうしつ となりかけたにもかかわらず、後日 ごじつ 揃 そろ って謝罪 しゃざい に参 まい った海軍 かいぐん 指揮 しき 官 かん を快 こころよ く赦 ゆる している。「神州 しんしゅう 丸 まる 」サルベージ作業 さぎょう 直後 ちょくご に現場 げんば 近 ちか くで九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の尾 お 部 ぶ が引 ひ き上 あ げられており同士討 どうしう ちの証拠 しょうこ は歴然 れきぜん であったが、陸軍 りくぐん の厚意 こうい もあり、戦後 せんご に"幻 まぼろし の敵襲 てきしゅう "という事実 じじつ が明 あき らかになるまで「連合 れんごう 軍 ぐん の魚雷 ぎょらい 艇 てい や駆逐 くちく 艦 かん や爆 ばく 撃 げき 機 き の攻撃 こうげき による損害 そんがい 」などとされていた。
海戦 かいせん 自体 じたい は日本 にっぽん 軍 ぐん の大 だい 勝利 しょうり に終 お わったにもかかわらず、参戦 さんせん 部隊 ぶたい の指揮 しき 官 かん であった第 だい 5水雷 すいらい 戦隊 せんたい 司令 しれい 原 はら 顕 あらわ 三 さん 郎 ろう 少将 しょうしょう は戦 たたかえ 訓 くん 所見 しょけん として「輸送 ゆそう 船団 せんだん 泊地 はくち 至近 しきん ノ海面 かいめん ニ於ケル戦闘 せんとう ニシテ、シカモ多数 たすう ノ夜 よる 戦隊 せんたい 挟撃 きょうげき ノ態勢 たいせい ニ於ケル魚雷 ぎょらい 戦 せん ニ於イテハ、射 い 線 せん 方向 ほうこう ニ対 たい シテ特 とく ニ深甚 しんじん ノ注意 ちゅうい ヲ要 よう ス 」と注意 ちゅうい を促 うなが している。
ジャイロスコープの不調 ふちょう [ 編集 へんしゅう ]
スラバヤ沖 おき 海戦 かいせん において、酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は2隻 せき の重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 、妙 みょう 高 だか と足柄 あしがら から各 かく 8本 ほん 、合計 ごうけい 16本 ほん が発射 はっしゃ されたが、水面 すいめん から飛 と び出 だ したり迷走 めいそう するなどして1本 ほん も命中 めいちゅう しない事態 じたい が発生 はっせい している。これは艦 かん が発揮 はっき する最大 さいだい 戦 せん 速 そく 34ノットでの魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ を一 いち 度 ど も行 おこな ったことが無 な かったことによる。原因 げんいん は魚雷 ぎょらい のジャイロスコープ が高速度 こうそくど から発射 はっしゃ した際 さい の衝撃 しょうげき に耐 た えられず、結果 けっか 、針路 しんろ を調整 ちょうせい できずに迷走 めいそう を起 お こしたためである。原因 げんいん 究明 きゅうめい の結果 けっか 、ジャイロスコープの回転 かいてん 数 すう が毎 まい 分 ぶん 8千 せん 回転 かいてん と遅 おそ く不十分 ふじゅうぶん で、衝撃 しょうげき が加 くわ わると容易 ようい に設定 せってい 方位 ほうい がずれることが判明 はんめい した。この欠点 けってん はかなり後 ご まで改良 かいりょう されず、回天 かいてん の開発 かいはつ に際 さい して初 はじ めて毎 まい 分 ぶん 2万 まん 回転 かいてん の電動 でんどう ジャイロスコープに変更 へんこう された。
当時 とうじ の日本 にっぽん 軍 ぐん の兵器 へいき 全般 ぜんぱん の問題 もんだい として、静止 せいし 状態 じょうたい や丁寧 ていねい な運用 うんよう では問題 もんだい が起 お こらないが、乱暴 らんぼう な取扱 とりあつか いをするとすぐに動作 どうさ 不良 ふりょう を起 お こす傾向 けいこう があった。用兵 ようへい 側 がわ からは「武人 ぶじん の蛮用」に耐 た えることを要求 ようきゅう されていたが、性能 せいのう および工業 こうぎょう 的 てき に耐 た えるものは開発 かいはつ できなかったのが実情 じつじょう であった。また、運用 うんよう 側 がわ にそれを満足 まんぞく に検証 けんしょう する余力 よりょく も無 な かった。上述 じょうじゅつ のとおり魚雷 ぎょらい は艦 かん 砲 ほう よりも実 じつ 射 い 訓練 くんれん しやすいというメリットがあったが、その魚雷 ぎょらい でさえ日本 にっぽん 海軍 かいぐん では1本 ほん 毎 ごと に記録 きろく を取 と るなど(戦艦 せんかん 主砲 しゅほう 弾 だん でもこうした記録 きろく はとられていなかったし、そもそも実 じつ 射 い 訓練 くんれん に代 か えて外 がい とう砲 ほう (本来 ほんらい の砲身 ほうしん に取 と り付 つ ける、はるかに小 ちい さい訓練 くんれん 専用 せんよう の砲 ほう )で済 す ませることが多 おお かった)大事 だいじ に扱 あつか われており、極限 きょくげん 状態 じょうたい での使用 しよう を想定 そうてい した訓練 くんれん ・実験 じっけん は行 おこな われていなかった。国力 こくりょく に比 ひ して過大 かだい な軍事 ぐんじ 力 りょく を保有 ほゆう したことの歪 ゆが みを示 しめ す事例 じれい の一 ひと つでもある。
遠距離 えんきょり 攻撃 こうげき における命中 めいちゅう 率 りつ 低下 ていか [ 編集 へんしゅう ]
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は音響 おんきょう 探知 たんち などの誘導 ゆうどう 装置 そうち を持 も たないため、遠距離 えんきょり 射撃 しゃげき では命中 めいちゅう 率 りつ が低下 ていか した。実際 じっさい 、スラバヤ沖 おき 海戦 かいせん では相手 あいて は艦隊 かんたい 規模 きぼ において劣位 れつい であったが、高速 こうそく の部隊 ぶたい であったため、日本 にっぽん 海軍 かいぐん 艦隊 かんたい は重 じゅう 巡 じゅん ですら1隻 せき 2,000発 はつ 近 ちか く射 い 耗して命中 めいちゅう 弾 だん はほとんど得 え られなかった。またこの戦場 せんじょう では、長 ちょう 射程 しゃてい 戦術 せんじゅつ により10,000 m以上 いじょう での魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ を多用 たよう したが、日本 にっぽん 海軍 かいぐん の魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 総数 そうすう 188本 ほん のうち命中 めいちゅう したのはわずか4本 ほん だった。交戦 こうせん 想定 そうてい 距離 きょり を20 kmから25 kmとし、酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい がこの射程 しゃてい を52ノットで馳走 ちそう するのに11分 ふん 近 ちか くかかることを考 かんが えれば、無 む 誘導 ゆうどう 魚雷 ぎょらい では機動 きどう 中 ちゅう の標的 ひょうてき に命中 めいちゅう しない。海戦 かいせん において戦闘 せんとう 行動 こうどう 中 ちゅう の敵 てき が長時間 ちょうじかん 変針 へんしん ・変速 へんそく を一切 いっさい しないことは考 かんが えられず、実戦 じっせん では最大 さいだい 射程 しゃてい での発射 はっしゃ は行 おこな われなかった。また、敢 あ えて長 ちょう 射程 しゃてい を捨 す てて5,000 mまで接近 せっきん して最大 さいだい 雷 かみなり 速 そく で発射 はっしゃ しても到達 とうたつ までに3分 ふん 以上 いじょう かかり、相手 あいて が変針 へんしん 、変速 へんそく した場合 ばあい に備 そな えて扇状 せんじょう に発射 はっしゃ しているとはいえ、到達 とうたつ までの間 あいだ に相手 あいて が大 おお きく変針 へんしん すると命中 めいちゅう しないため、実際 じっさい には長 ちょう 射程 しゃてい の利点 りてん はさして発揮 はっき されなかった。
潜水 せんすい 艦 かん による奇襲 きしゅう 攻撃 こうげき でも、潜望鏡 せんぼうきょう からではここまで離 はな れた標的 ひょうてき はもちろん視認 しにん できないし、日本 にっぽん は水中 すいちゅう 聴音 ちょうおん 機 き (ソナー )による探知 たんち 距離 きょり も劣 おと っていたため、射程 しゃてい を活 い かすことができなかった。
長 ちょう 射程 しゃてい での発射 はっしゃ が多 おお かったスラバヤ沖 おき 海戦 かいせん においても、20,000 m近 ちか くから発射 はっしゃ して命中 めいちゅう したのは、オランダ駆逐 くちく 艦 かん 「コルテノール」を轟沈 ごうちん させた「羽黒 はぐろ 」の1本 ほん だけである。他 た の3本 ほん の命中 めいちゅう 魚雷 ぎょらい は、スラバヤ沖 おき 海戦 かいせん の終盤 しゅうばん 、残 ざん 弾 だん が少 すく なくなり同 どう 航 こう 砲戦 ほうせん となったオランダ軽 けい 巡 じゅん 「デ・ロイテル」と同 どう 「ジャワ」に対 たい して重 じゅう 巡 じゅん 「羽黒 はぐろ 」「那智 なち 」が12,000 mから発射 はっしゃ した計 けい 12本 ほん のうち1本 ほん ずつが命中 めいちゅう したのと、航行 こうこう 不能 ふのう に陥 おちい ったイギリス重 じゅう 巡 じゅん 「エクゼター」に対 たい して命中 めいちゅう した1本 ほん のみである。この後 のち 、日本 にっぽん 軍 ぐん が戦 たたか った各 かく 海戦 かいせん において10,000 m以上 いじょう からの魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ はほとんど行 おこな われなくなり、九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は射程 しゃてい を減 へ らして炸薬 さくやく 量 りょう を増 ふ やした三 さん 型 がた が徐々 じょじょ に主流 しゅりゅう となった。
水中 すいちゅう 破壊 はかい 力 りょく の比較 ひかく [ 編集 へんしゅう ]
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい の炸薬 さくやく 量 りょう そのものは非常 ひじょう に多 おお いが、搭載 とうさい されていた九 きゅう 七 なな 式 しき 爆薬 ばくやく は戦争 せんそう 直前 ちょくぜん に実用 じつよう 化 か された英 えい 米 べい のHBX爆薬 ばくやく (水中 すいちゅう 破壊 はかい 力 りょく ではトリニトロトルエン (TNT) の160 %の威力 いりょく を持 も つ)などと比較 ひかく して、水中 すいちゅう 破壊 はかい 力 りょく の点 てん で劣 おと っていた。しかしアメリカのMk.14魚雷 ぎょらい がトーペックス 292 kgを搭載 とうさい し、TNT換算 かんさん 467 kg相当 そうとう であるのと比較 ひかく し、日本 にっぽん の九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は九 きゅう 七 なな 式 しき 爆薬 ばくやく 490 kgを搭載 とうさい し、これはTNT換算 かんさん 588 kg相当 そうとう と破壊 はかい 力 りょく に優 すぐ れている。
信管 しんかん においても、戦争 せんそう 末期 まっき には水車 みずぐるま 式 しき と呼 よ ばれる艦 かん 底 そこ 起爆 きばく 補助 ほじょ 装置 そうち を開発 かいはつ し、磁気 じき 信管 しんかん を使用 しよう できないデメリットの解消 かいしょう に努 つと めた。これは魚雷 ぎょらい が水中 すいちゅう を馳走 ちそう し始 はじ めると、水車 みずぐるま の原理 げんり で魚雷 ぎょらい に内蔵 ないぞう されていた水中 すいちゅう 凧 だこ が外部 がいぶ に展開 てんかい し、ワイヤーを介 かい して魚雷 ぎょらい に曳航 えいこう されるものである。この水中 すいちゅう 凧 だこ が目標 もくひょう に当 あた ってつぶれるとフックが外 はず れ、ワイヤーが戻 もど り信管 しんかん が作動 さどう する。この補助 ほじょ 装置 そうち は沖縄 おきなわ 特攻 とっこう で水雷 すいらい 部隊 ぶたい に配備 はいび された。しかし、当時 とうじ の日本 にっぽん ではバブルパルス など水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ の研究 けんきゅう は非常 ひじょう に遅 おく れていた。水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ やバブルパルス、バブルジェットに関 かん する初期 しょき の専門 せんもん 書 しょ であるRobert H. Cole著 ちょ の″Underwater Explosions ″が出版 しゅっぱん されたのが1948年 ねん であるから第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 当時 とうじ の日本人 にっぽんじん は水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ の専門 せんもん 知識 ちしき を知 し りえなかったと考 かんが えられる。
航空 こうくう 魚雷 ぎょらい 化 か について[ 編集 へんしゅう ]
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は航空機 こうくうき 搭載 とうさい 用 よう として「九 きゅう 四 よん 式 しき 魚雷 ぎょらい 」が艦 かん 政 せい 本部 ほんぶ の主導 しゅどう で開発 かいはつ されたが、取 と り扱 あつか いが航空 こうくう 魚雷 ぎょらい としては危険 きけん であったこと、定 てい 針 はり が不正確 ふせいかく であったこと、航空 こうくう 攻撃 こうげき で酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい を使用 しよう する利点 りてん が少 すく なかった(航空 こうくう 雷撃 らいげき での魚雷 ぎょらい の速力 そくりょく は、魚雷 ぎょらい が持 も つ固有 こゆう の速力 そくりょく よりも投下 とうか する航空機 こうくうき の速度 そくど が大 おお きく関 かか わるため[4] )ことなどから、すぐに利用 りよう が取 と りやめとなっている[5] 。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の構造 こうぞう と技術 ぎじゅつ [ 編集 へんしゅう ]
大和 やまと ミュージアム に展示 てんじ されている九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい 推進 すいしん 部 ぶ
上述 じょうじゅつ の通 とお り九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は酸化 さんか 剤 ざい として酸素 さんそ を使用 しよう する魚雷 ぎょらい で、酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい として知 し られている。本 ほん 魚雷 ぎょらい は1933年 ねん に制式 せいしき 採用 さいよう された。九 きゅう 三 さん 式 しき という名称 めいしょう は皇紀 こうき 2593年 ねん の末尾 まつび 2桁 けた 数字 すうじ による。この魚雷 ぎょらい は、酸素 さんそ と石油 せきゆ 燃料 ねんりょう を使用 しよう して強力 きょうりょく な機関 きかん 出力 しゅつりょく を得 え られたため、炸薬 さくやく 重量 じゅうりょう の大 おお きな弾頭 だんとう を搭載 とうさい でき、高速 こうそく かつ長 ちょう 射程 しゃてい を得 え ることができた。本 ほん 魚雷 ぎょらい は重量 じゅうりょう が2.8 t から3 t近 ちか くあり、弾頭 だんとう の炸薬 さくやく は480 kgを搭載 とうさい する。エンジン推力 すいりょく は64 kgf である。この出力 しゅつりょく は全 ぜん 重 じゅう 3 t近 ちか い魚雷 ぎょらい を速度 そくど 52ノット (96.3 km/h ) で走行 そうこう させる。出力 しゅつりょく 発揮 はっき は13分 ふん 45秒間 びょうかん にわたり、射程 しゃてい は22 kmに達 たっ する。大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん は九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の最大 さいだい 性能 せいのう 仕様 しよう を、公的 こうてき には速度 そくど 42ノットで射程 しゃてい 11,000 mと発表 はっぴょう していた。これは速度 そくど で実際 じっさい より10ノット遅 おそ く、射程 しゃてい は実際 じっさい の半分 はんぶん である。本 ほん 魚雷 ぎょらい の動作 どうさ 中 ちゅう の排気 はいき はほぼ二酸化炭素 にさんかたんそ で、排気 はいき の気泡 きほう による航跡 こうせき を消 け し去 さ った。この特性 とくせい から日 ひ 中 ちゅう の発見 はっけん は困難 こんなん だった。しかし全 すべ ての魚雷 ぎょらい に共通 きょうつう する欠点 けってん として、熱帯 ねったい の海 うみ で夜戦 やせん に使用 しよう した際 さい には、魚雷 ぎょらい の高速 こうそく 水中 すいちゅう 走行 そうこう により夜光虫 やこうちゅう が発 はっ する仄 ほの かな光 ひかり の航跡 こうせき が発生 はっせい することは不可避 ふかひ だった。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は直径 ちょっけい 61 cmの水上 すいじょう 用 よう 魚雷 ぎょらい で、40 ノット の高速 こうそく でも30 km以上 いじょう の射程 しゃてい を持 も つ優秀 ゆうしゅう な魚雷 ぎょらい であった。主 おも に駆逐 くちく 艦 かん に搭載 とうさい され、搭載 とうさい する駆逐 くちく 艦 かん には空気 くうき から酸素 さんそ を抽出 ちゅうしゅつ する、酸素 さんそ 生成 せいせい 用 よう の空気 くうき 圧縮 あっしゅく 機 き が搭載 とうさい されていた。魚雷 ぎょらい に酸素 さんそ が使用 しよう されていることは極秘 ごくひ 事項 じこう であったため、防諜 ぼうちょう 上 じょう の理由 りゆう から酸素 さんそ は『特用 とくよう 空気 くうき 』『第 だい 二 に 空気 くうき 』と呼 よ ばれた。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい を含 ふく む、日本 にっぽん 製 せい 魚雷 ぎょらい は実施 じっし 部隊 ぶたい での信管 しんかん の調整 ちょうせい が可能 かのう とされており、現場 げんば では「不発 ふはつ にしたくない」という意識 いしき から衝撃 しょうげき 尖 とんが を過敏 かびん に設定 せってい していたことが多 おお く、それはしばしば目標 もくひょう に命中 めいちゅう する前 まえ に自爆 じばく する「早 さ 爆 ばく 」を招 まね いた。第 だい 三 さん 次 じ ソロモン海戦 かいせん においては重 じゅう 巡 じゅん 「愛宕 あたご 」、「高雄 たかお 」が最良 さいりょう の射 い 点 てん から発射 はっしゃ した九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい が戦艦 せんかん 「ワシントン 」に命中 めいちゅう 直前 ちょくぜん の位置 いち まで達 たっ したが、ワシントンの航跡 こうせき 波 は (縦 たて 波 は 、P波 なみ のこと)による衝撃 しょうげき で駆 か 走 はし 中 なか に早 さ 爆 ばく をおこした例 れい があった。命中 めいちゅう していればワシントンに甚大 じんだい な損害 そんがい を与 あた えたことが予想 よそう されたため、設計 せっけい 部門 ぶもん の担当 たんとう 者 しゃ はこの信管 しんかん の調整 ちょうせい 機能 きのう をつけたことを「最大 さいだい の痛恨 つうこん 事 ごと 」と回想 かいそう した。
戦歴 せんれき では、九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の10,000 m以遠 いえん での発射 はっしゃ は、目標 もくひょう 艦船 かんせん が魚雷 ぎょらい が接近 せっきん するまでの数 すう 分間 ふんかん を直進 ちょくしん するときにのみ有効 ゆうこう だった。この10,000 mを52ノット (96.3 km/h ) の酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい が走 はし るには6分 ふん 15秒 びょう を要 よう する。こうした条件 じょうけん としては、重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 隊 たい が戦場 せんじょう を高速 こうそく で離脱 りだつ してゆく駆逐 くちく 艦隊 かんたい を全 ぜん 速 そく で追跡 ついせき するとき、また水面 すいめん 下 か の潜水 せんすい 艦 かん に照準 しょうじゅん されたまま、航空 こうくう 母艦 ぼかん が予定 よてい 進路 しんろ どおり航行 こうこう する状況 じょうきょう 等 とう がある。これは1942年 ねん の南太平洋 みなみたいへいよう の戦場 せんじょう で有効 ゆうこう 性 せい が実証 じっしょう された。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の射程 しゃてい と速度 そくど の設定 せってい 例 れい
22,000 m / 52 ノット
33,000 m / 41 ノット
40,400 m / 36 ノット
日本 にっぽん 海軍 かいぐん は従来 じゅうらい 、瀬戸内海 せとないかい 、広島 ひろしま 県 けん ・呉 くれ 市 し の阿賀南 あがみなみ ・大入 おおいり で魚雷 ぎょらい 実験 じっけん を実施 じっし していた。しかし1933年 ねん に長 ちょう 射程 しゃてい の九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい が登場 とうじょう し、生産 せいさん 魚雷 ぎょらい の海軍 かいぐん 領収 りょうしゅう 時 じ の発射 はっしゃ テストのため、さらに大 おお きな場所 ばしょ が必要 ひつよう となった。その後 ご 、1937年 ねん ごろにはすでに、発射 はっしゃ 試験場 しけんじょう は同 おな じ瀬戸内海 せとないかい 、広島 ひろしま 県 けん の隣 となり の山口 やまぐち 県 けん ・徳山 とくやま 市 し の大津 おおつ 島 とう が使 つか われていた。この射場 しゃじょう からは四国 しこく に向 む けて十分 じゅうぶん な直線 ちょくせん 走行 そうこう 距離 きょり がとれた。この基地 きち は後 のち に回天 かいてん の母港 ぼこう となった。
純粋 じゅんすい 酸素 さんそ を使用 しよう するための技術 ぎじゅつ [ 編集 へんしゅう ]
頼 よりゆき 惇 あつし 吾 われ 技術 ぎじゅつ 少将 しょうしょう は戦後 せんご しばらく経過 けいか したころ、この九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい について執筆 しっぴつ 説明 せつめい した[6] 。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の最大 さいだい の課題 かだい は、内蔵 ないぞう された2気筒 きとう 機関 きかん が始動 しどう する際 さい の燃焼 ねんしょう 制御 せいぎょ である。始動 しどう 時 じ にいきなり純粋 じゅんすい 酸素 さんそ を使 つか えば、爆発 ばくはつ 事故 じこ が発生 はっせい する。「燃焼 ねんしょう を制御 せいぎょ しつつ、純粋 じゅんすい 酸素 さんそ を使用 しよう する」装置 そうち が酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい を成立 せいりつ させた秘密 ひみつ であった。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい では、始動 しどう 初期 しょき の酸化 さんか 剤 ざい に比較的 ひかくてき 低圧 ていあつ の空気 くうき が用 もち いられた。空気 くうき から酸素 さんそ への遷移 せんい 状態 じょうたい においては、混合 こんごう 器 き に送 おく られる純粋 じゅんすい 酸素 さんそ の割合 わりあい を次第 しだい に増加 ぞうか した。燃焼 ねんしょう は激 はげ しくなるが、気筒 きとう 内 ない の燃焼 ねんしょう 状態 じょうたい は制御 せいぎょ 状態 じょうたい にあり、制御 せいぎょ 不可能 ふかのう な爆発 ばくはつ 的 てき 燃焼 ねんしょう は発生 はっせい しない。機関 きかん の運転 うんてん が定常 ていじょう 状態 じょうたい に移行 いこう すると、空気 くうき は完全 かんぜん に酸素 さんそ におきかわる。機関 きかん は純粋 じゅんすい 酸素 さんそ で燃料 ねんりょう を激 はげ しく燃焼 ねんしょう して最高 さいこう 出力 しゅつりょく 状態 じょうたい となる。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい には、純粋 じゅんすい 高 だか 圧 あつ 酸素 さんそ に満 み たされた主 しゅ 気 き 室 しつ 、結合 けつごう 弁 べん 、小 ちい さな13リットルの圧縮 あっしゅく 空気 くうき 室 しつ があり、この結合 けつごう バルブは逆流 ぎゃくりゅう を防止 ぼうし している(不帰 ふき 弁 べん )。そして圧縮 あっしゅく 空気 くうき タンクは調 しらべ 圧 あつ 器 き (圧力 あつりょく 調整 ちょうせい 器 き )を通 とお して燃焼 ねんしょう 室 しつ に導入 どうにゅう される。起動 きどう 時 じ は、通常 つうじょう 空気 くうき による穏 おだ やかな燃焼 ねんしょう でスタートし、安定 あんてい して作動 さどう する。圧縮 あっしゅく 空気 くうき が消費 しょうひ されて圧縮 あっしゅく 空気 くうき タンクの圧力 あつりょく が低下 ていか するにつれ、結合 けつごう 弁 べん を通 とお して酸素 さんそ が主 しゅ 気 き 室 しつ から圧縮 あっしゅく 空気 くうき 室 しつ に供給 きょうきゅう される。圧縮 あっしゅく 空気 くうき タンクはすぐに全 すべ て酸素 さんそ で満 み たされ、その後 ご は最後 さいご まで酸素 さんそ による猛烈 もうれつ な燃焼 ねんしょう が継続 けいぞく する。
この魚雷 ぎょらい は慎重 しんちょう な取 と り扱 あつか いを必要 ひつよう とする。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい を装備 そうび する軍艦 ぐんかん はこの型 かた の魚雷 ぎょらい を使 つか うために酸素 さんそ 発生 はっせい 器 き を装備 そうび する必要 ひつよう があった。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の構造 こうぞう 詳細 しょうさい [ 編集 へんしゅう ]
大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん 、呉 ご 海軍 かいぐん 工廠 こうしょう の水雷 すいらい 設計 せっけい 技手 ぎしゅ だった赤城 あかぎ 良三 りょうぞう (海軍 かいぐん 技手 ぎしゅ 養成 ようせい 所 しょ 16期 き 、1943年 ねん 当時 とうじ は魚雷 ぎょらい 実験 じっけん 部 ぶ および第 だい 二 に 水雷 すいらい 部 ぶ 兼務 けんむ )はノンフィクション作家 さっか のインタビューに答 こた え、彼 かれ の戦時 せんじ 中 ちゅう のノートを使 つか って実際 じっさい の九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の構造 こうぞう ・仕様 しよう 動作 どうさ を詳細 しょうさい に説明 せつめい した[7] 。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の内部 ないぶ 構造 こうぞう は魚雷 ぎょらい 先端 せんたん から弾頭 だんとう 、気 き 室 しつ 、前部 ぜんぶ 浮室、機関 きかん 室 しつ 、後部 こうぶ 浮室、尾 お 部 ぶ 舵 かじ 、二 に 重 じゅう 反転 はんてん 推進 すいしん 器 き に分 わ けられる。
第 だい 1空気 くうき および第 だい 2空気 くうき
機密 きみつ 名 めい 「第 だい 1空気 くうき 」は機関 きかん を始動 しどう するために使用 しよう される通常 つうじょう の圧縮 あっしゅく 空気 くうき である。機密 きみつ 名 めい 「第 だい 2空気 くうき 」は純度 じゅんど 98 %の高 こう 圧 あつ 酸素 さんそ ガスであり魚雷 ぎょらい の強力 きょうりょく な推進 すいしん 力 りょく を生 う み出 だ すために使用 しよう される。「魚雷 ぎょらい の酸化 さんか 剤 ざい に純 じゅん 酸素 さんそ を使用 しよう する機関 きかん を実戦 じっせん 運用 うんよう 中 ちゅう 」という事実 じじつ は日本 にっぽん 海軍 かいぐん では最高 さいこう 機密 きみつ であったため「酸素 さんそ 」という言葉 ことば は禁止 きんし 用語 ようご とされ、運用 うんよう 担当 たんとう には代 か わりに「第 だい 2空気 くうき 」の名称 めいしょう を用 もち いさせ防諜 ぼうちょう 対策 たいさく とした。そして圧縮 あっしゅく 空気 くうき タンクは、比較的 ひかくてき 低 ひく い10気圧 きあつ 程度 ていど の一定 いってい 圧力 あつりょく に保 たもて つ調 しらべ 圧 あつ 器 き (圧力 あつりょく 調整 ちょうせい 器 き )を通 とお して混合 こんごう 室 しつ に接続 せつぞく されている。混合 こんごう 室 しつ では酸素 さんそ と石油 せきゆ 燃料 ねんりょう との混合 こんごう 気 き が生成 せいせい され、燃焼 ねんしょう 室 しつ に導入 どうにゅう される。
気 き 室 しつ
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は長 なが さ9 mで直径 ちょっけい 61 cmだが、純度 じゅんど 98 %の高 こう 圧 あつ 酸素 さんそ を充填 じゅうてん する第 だい 2空気 くうき を充填 じゅうてん する主 しゅ 気 き 室 しつ は3.48 mの長 なが さがあり魚雷 ぎょらい 全長 ぜんちょう の3分 ぶん の1以上 いじょう を占 し める。またこの主 しゅ 気 き 室 しつ により魚雷 ぎょらい の弾頭 だんとう 部 ぶ と後部 こうぶ を接続 せつぞく している。主 しゅ 気 き 室 しつ は引 ひ っ張 ぱ り強度 きょうど に優 すぐ れた殻 から の厚 あつ さ12 mm のニッケルクロムモリブデン鋼 こう 製 せい で、内容 ないよう 積 せき は980リットル、充填 じゅうてん 圧力 あつりょく は225気圧 きあつ であった。主 しゅ 気 き 室 しつ の製法 せいほう は鋳造 ちゅうぞう されたインゴットを鍛造 たんぞう により円筒 えんとう 状 じょう にしたあと機械 きかい 切削 せっさく ・くり抜 ぬ き加工 かこう して製作 せいさく された。なお始動 しどう 用 よう の圧縮 あっしゅく 空気 くうき を充填 じゅうてん する第 だい 1空気 くうき の圧縮 あっしゅく 空気 くうき 室 しつ は内容 ないよう 積 せき 13.5リットル・充填 じゅうてん 圧力 あつりょく 230気圧 きあつ であり機関 きかん 室 しつ に併設 へいせつ された。後 ご の改良 かいりょう により第 だい 1空気 くうき は四 よん 塩化 えんか 炭素 たんそ に置 お き換 か えられている。
機関 きかん 室 しつ
魚雷 ぎょらい の外部 がいぶ 殻 から は厚 あつ さ3.2 mmの鋼板 こうはん (後部 こうぶ のみ1.8 mm)で防水 ぼうすい 溶接 ようせつ されているが、機関 きかん 部 ぶ の鋼板 こうはん は、馳走 ちそう 中 ちゅう に機関 きかん の冷却 れいきゃく のため、意図 いと 的 てき に機関 きかん 室 しつ に水 みず が浸入 しんにゅう するように工作 こうさく されている。九 きゅう 三 さん 式 しき 改 あらため 一 いち 魚雷 ぎょらい は、灯油 とうゆ を燃料 ねんりょう とする2気筒 きとう 斜 はす 板 ばん 機関 きかん を装備 そうび している。この機関 きかん には機密 きみつ 名 めい 「第 だい 2空気 くうき 」(実際 じっさい には純度 じゅんど 98 %の酸素 さんそ )が使用 しよう され、高速 こうそく ・長 ちょう 射程 しゃてい でかつ重 おも い弾頭 だんとう を搭載 とうさい できる。しかし、純 じゅん 酸素 さんそ の触 ふ れる配管 はいかん の内部 ないぶ にわずかでも油分 ゆぶん が残 のこ っていると簡単 かんたん に爆発 ばくはつ 事故 じこ を起 お こしてしまうため、配管 はいかん の整備 せいび は最 さい 重要 じゅうよう 事項 じこう であり細心 さいしん の注意 ちゅうい が払 はら われた。このことは九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい を運用 うんよう する際 さい には最 さい 重要 じゅうよう だが、同時 どうじ に厄介 やっかい な業務 ぎょうむ であり、一 いち 例 れい として事前 じぜん の整備 せいび でバルブと空気 くうき 配管 はいかん から油分 ゆぶん を完全 かんぜん に除去 じょきょ するには4日 にち から5日 にち を必要 ひつよう とした。
純 じゅん 酸素 さんそ の詰 つ まった主 しゅ 気 き 室 しつ と燃料 ねんりょう を混 ま ぜる混合 こんごう 室 しつ との間 あいだ には第 だい 1空気 くうき の圧縮 あっしゅく 空気 くうき 室 しつ があり、逆 ぎゃく 止 とめ 弁 べん を介 かい して主 しゅ 気 き 室 しつ と連結 れんけつ されていた。これにより機関 きかん 始動 しどう 時 じ には圧縮 あっしゅく 空気 くうき を用 もち い、かつ始動 しどう 後 ご は酸素 さんそ 濃度 のうど が次第 しだい に濃 こ くなるようにできた。機関 きかん は発射 はっしゃ 時 じ 、第 だい 1空気 くうき だけで駆動 くどう され、混合 こんごう 気 き に点火 てんか されたあとは酸素 さんそ 濃度 のうど が次第 しだい に高 たか くなり、最終 さいしゅう 的 てき には第 だい 2空気 くうき (高圧 こうあつ 酸素 さんそ )のみが燃料 ねんりょう と混合 こんごう され爆発 ばくはつ 的 てき に燃焼 ねんしょう する。高温 こうおん ・高 こう 圧 あつ の燃焼 ねんしょう ガスは各 かく 気筒 きとう のピストンを押 お し、回転 かいてん 斜 はす 板 ばん を通 つう じて1本 ほん のメイン・ドライブシャフトを回転 かいてん 駆動 くどう する。
前部 ぜんぶ ・後部 こうぶ 浮室
容量 ようりょう 40.5リットルの制御 せいぎょ 用 よう 空気 くうき タンクがあり、魚雷 ぎょらい の縦 たて 舵 かじ (垂直 すいちょく 舵 かじ )や横 よこ 舵 かじ (昇降 しょうこう 舵 かじ )を制御 せいぎょ する。これらの舵 かじ は横 よこ 舵 かじ 用 よう 深度 しんど 計 けい と縦 たて 舵 かじ 用 よう ジャイロスコープで制御 せいぎょ され、高 こう 圧 あつ 空気 くうき で操舵 そうだ される。操縦 そうじゅう 用 よう の制御 せいぎょ 空気 くうき タンク(操縦 そうじゅう 用 よう 気 き 畜器)は230気圧 きあつ の圧縮 あっしゅく 空気 くうき で満 み たされている。深度 しんど 計 けい は水面 すいめん 下 か の走行 そうこう 深度 しんど を制御 せいぎょ する。魚雷 ぎょらい は、手動 しゅどう で馳走 ちそう 深度 しんど を5 mに設定 せってい される。水平 すいへい 走行 そうこう 用 よう 深度 しんど 計 けい は水面 すいめん 下 か の走行 そうこう を一定 いってい 深度 しんど に保 たも つよう横 よこ 舵 かじ を制御 せいぎょ する。
尾 お 部 ぶ 舵 かじ
尾 お 部 ぶ の縦 たて 舵 かじ 計 けい は、縦 たて 舵機 だき 用 よう ジャイロスコープ により自動 じどう 操舵 そうだ して魚雷 ぎょらい の進行 しんこう 方向 ほうこう を目標 もくひょう 方向 ほうこう に制御 せいぎょ する。ジャイロスコープは魚雷 ぎょらい を目標 もくひょう に導 みちび き、後部 こうぶ 発射 はっしゃ 管 かん から逆 ぎゃく 方向 ほうこう に発射 はっしゃ された魚雷 ぎょらい でも回 かい 頭 あたま させて前方 ぜんぽう の目標 もくひょう に命中 めいちゅう させることも可能 かのう である。これらの尾 お 部 ぶ 縦 たて 舵 かじ と横 よこ 舵 かじ は制御 せいぎょ 空気 くうき で制御 せいぎょ される。ジャイロスコープは魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ するときに回転 かいてん し始 はじ める。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい のジャイロは直径 ちょっけい 15 cm 、厚 あつ さ7 cmから8 cmの分厚 ぶあつ い円盤 えんばん で、8,000 rpm で回転 かいてん する仕様 しよう だった。しかし、九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい が軍艦 ぐんかん が35ノット 以上 いじょう の最 さい 高速度 こうそくど で疾走 しっそう する状態 じょうたい から発射 はっしゃ される状況 じょうきょう に対応 たいおう するには、このジャイロスコープの回転 かいてん 速度 そくど では遅 おそ すぎて設定 せってい 針路 しんろ が発射 はっしゃ 時 じ の衝撃 しょうげき で狂 くる ってしまう問題 もんだい があった。
二 に 重 じゅう 反転 はんてん 推進 すいしん 器 き
機関 きかん 室 しつ から伸 の びるドライブシャフトには傘 かさ 歯車 はぐるま が付 つ いており、二 に 重 じゅう 反転 はんてん 式 しき 推進 すいしん 器 き を回転 かいてん させる。プロペラは4枚 まい 羽根 ばね であり、この一方 いっぽう は時計 とけい 回 まわ り、もう一方 いっぽう は反 はん 時計 とけい 回 まわ りに駆動 くどう する。二 に 重 じゅう 反転 はんてん 推進 すいしん 器 き を使用 しよう することで回転 かいてん トルクを打 う ち消 け し、魚雷 ぎょらい の推進 すいしん 方向 ほうこう を安定 あんてい させている。
回天 かいてん での技術 ぎじゅつ 的 てき 改善 かいぜん [ 編集 へんしゅう ]
回天 かいてん では、ジャイロスコープの回転 かいてん は圧縮 あっしゅく 空気 くうき 駆動 くどう から電動 でんどう になり、その回転 かいてん 速度 そくど は20,000 rpm に改善 かいぜん された。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の炸薬 さくやく 量 りょう は480 kgである。これは長門 ながと 型 がた 戦艦 せんかん の装備 そうび した16インチ主砲 しゅほう の1 t 砲弾 ほうだん に匹敵 ひってき する炸薬 さくやく 量 りょう だったが、回天 かいてん ではこの炸薬 さくやく 量 りょう は3倍 ばい 以上 いじょう の1.55 tに増加 ぞうか された。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい 1発 はつ の破壊 はかい 力 りょく は、アメリカ艦隊 かんたい 型 がた 軍艦 ぐんかん を沈没 ちんぼつ あるいは大破 たいは させるに十分 じゅうぶん な威力 いりょく を戦歴 せんれき で示 しめ している。一方 いっぽう 、アメリカ海軍 かいぐん は大戦 たいせん 終盤 しゅうばん の1945年 ねん 6月 がつ 、洋上 ようじょう 攻撃 こうげき を受 う けたイ367潜 せん から発進 はっしん した振 ふ 武 たけ 隊 たい の回天 かいてん 1基 き が駆逐 くちく 艦 かん に命中 めいちゅう したことを認 みと めたが、九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の3倍 ばい 以上 いじょう の炸裂 さくれつ 火薬 かやく 量 りょう をもつ回天 かいてん の確実 かくじつ な命中 めいちゅう を受 う けたにもかかわらず沈 しず まなかったと主張 しゅちょう した。
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は長 なが さ9.61 mだが、回天 かいてん では14.75 mに延長 えんちょう された。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい の重量 じゅうりょう は約 やく 3 tだが、回天 かいてん では8.3 tに増加 ぞうか した。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は水深 すいしん 20 mの耐 たい 圧 あつ があれば十分 じゅうぶん だったが、回天 かいてん は潜水 せんすい 艦 かん の外部 がいぶ に搭載 とうさい されるため、水深 すいしん 80 m(潜水 せんすい 艦 かん の深度 しんど 限界 げんかい の100 mに近 ちか い)まで耐 た えるよう補強 ほきょう された。九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい は、最大 さいだい 速度 そくど 52ノット (96.3 km/h )で射程 しゃてい 22,000 mだが、回天 かいてん は速度 そくど 30ノット (55.6 km/h ) で航続 こうぞく 距離 きょり 23 km、速度 そくど 10ノット (18.5 km/h) で航続 こうぞく 距離 きょり 78 kmに変更 へんこう された。回天 かいてん は水面 すいめん 直下 ちょっか かつ低速 ていそく での安定 あんてい した走行 そうこう 性能 せいのう をもつよう改善 かいぜん された。これは誘導 ゆうどう を搭乗 とうじょう 者 しゃ による潜望鏡 せんぼうきょう からのきわめて狭 せま い視界 しかい によったためである。
酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい 各 かく 型 かた の要目 ようもく
名称 めいしょう
全長 ぜんちょう (m )
直径 ちょっけい (cm )
重量 じゅうりょう (kg )
射程 しゃてい (m ) および雷 かみなり 速 そく (kt )
弾頭 だんとう 重量 じゅうりょう (kg )
備考 びこう
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい 一 いち 型 がた (艦艇 かんてい 用 よう )
9
61
2,700
40,000(36 kt 時 じ ) 20,000(48 kt 時 じ )
490
九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい 三 さん 型 がた (艦艇 かんてい 用 よう )
2,800
30,000(36 kt 時 じ ) 15,000(48 kt 時 じ )
780
一 いち 型 がた よりも炸薬 さくやく 量 りょう を増加 ぞうか
九 きゅう 五 ご 式 しき 魚雷 ぎょらい 一 いち 型 がた (潜水艦 せんすいかん 用 よう )
7.15
53.3
1,665
12,000(45 kt 時 じ ) 9,000(49 kt 時 じ )
400
九 きゅう 四 よん 式 しき 魚雷 ぎょらい 一 いち 型 がた (大型 おおがた 機 き 用 よう )
6.7
53
1,500
4,000(45 kt 時 じ )
350
95本 ほん のみの量産 りょうさん で製造 せいぞう 中止 ちゅうし
九 きゅう 四 よん 式 しき 魚雷 ぎょらい 二 に 型 がた (艦載 かんさい 機 き 用 よう )
5.27
45
810
2,000(45 kt 時 じ )
200
48本 ほん のみ量産 りょうさん され製造 せいぞう 中止 ちゅうし
日本 にっぽん 海軍 かいぐん の使用 しよう した通常 つうじょう 魚雷 ぎょらい 、及 およ び各国 かっこく の魚雷 ぎょらい の性能 せいのう は以下 いか の通 とお りである。
通常 つうじょう 魚雷 ぎょらい 各 かく 型 かた の要目 ようもく
名称 めいしょう
開発 かいはつ 国 こく
全長 ぜんちょう (m )
直径 ちょっけい (cm )
重量 じゅうりょう (kg )
射程 しゃてい (m ) および雷 かみなり 速 そく (kt )
搭載 とうさい 炸薬 さくやく および弾頭 だんとう 重量 じゅうりょう (kg )
備考 びこう
九 きゅう 〇式 しき 空気 くうき 式 しき 魚雷 ぎょらい (艦艇 かんてい 用 よう )
日本 にっぽん
8.5
61
2,500
10,000(42 kt 時 じ ) 7,000(46 kt 時 じ )
400 kg
睦月 むつき 型 がた から初春 しょしゅん 型 がた までの駆逐 くちく 艦 かん 以下 いか の艦艇 かんてい に搭載 とうさい
九 きゅう 一式 いっしき 魚雷 ぎょらい 改 あらため 二 に (航空 こうくう 用 よう )
5.47
45
838
2,000(42 kt 時 じ )
204 kg
主力 しゅりょく 航空 こうくう 魚雷 ぎょらい 改 あらため 二 に は1939年 ねん 以降 いこう のモデル
九 きゅう 一式 いっしき 魚雷 ぎょらい 改 あらため 五 ご (航空 こうくう 用 よう )
5.27
848
1,500(41 kt 時 じ )
235 kg
1943年 ねん から量産 りょうさん された最終 さいしゅう モデル
21インチ・マークVIII (潜水艦 せんすいかん 用 よう )
イギリス
6.579
53.3
1,566
13,700(35 kt 時 じ ) 10,000(41 kt 時 じ )
Torpex 365 kg
21インチ・マークIX (艦艇 かんてい 用 よう )
5.27
1,693
13,700(35 kt 時 じ ) 10,050(41 kt 時 じ )
18インチ・マークXV (航空 こうくう 用 よう )
5.251
45
817
3,200(33 kt 時 じ ) 2,290(40 kt 時 じ )
Torpex 247 kg
Mk10 (潜水艦 せんすいかん 用 よう )
アメリカ
4.953
53.3
1,005
3,200(36 kt 時 じ )
TNT 225 kg または Torpex 220 kg
Mk12 (艦艇 かんてい 用 よう )
6.88
1,590
13,700(27.5 kt 時 じ ) 9,144(35.5 kt 時 じ ) 6,400(44 kt 時 じ )
TNT 226.8 kg
Mk13 (航空 こうくう 用 よう )
4.191
56.9
1,005
3,660(33.5 kt 時 じ )
TNT 274 kg または TPX 275 kg または HBX 272 kg
Mk14 (潜水艦 せんすいかん 用 よう )
6.25
53.3
1,490
8,200(31 kt 時 じ ) 4,100(46 kt 時 じ )
TPX 303 kg
^ ネルソン級 きゅう 戦艦 せんかん に採用 さいよう (W:British 24.5-inch torpedo )され、サイズも連合 れんごう 国 こく 側 がわ では例外 れいがい 的 てき に大型 おおがた で九 きゅう 三 さん 式 しき に匹敵 ひってき し直径 ちょっけい は上回 うわまわ っていた。
^ 日本 にっぽん では艦隊 かんたい 決戦 けっせん 構想 こうそう を重視 じゅうし し、重 じゅう 防御 ぼうぎょ の航空 こうくう 母艦 ぼかん や戦艦 せんかん を含 ふく む主力 しゅりょく 艦 かん を雷撃 らいげき の標的 ひょうてき に想定 そうてい していたが、ドイツでは通商 つうしょう 破壊 はかい を主 しゅ としており標的 ひょうてき は主 おも に輸送 ゆそう 船 せん であった。
^ 第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう まで、他国 たこく の主用 しゅよう 魚雷 ぎょらい は水上 すいじょう 艦 かん が533 mm 級 きゅう 、潜水 せんすい 艦 かん が460 mm級 きゅう であったのに対 たい し、日本 にっぽん は水上 すいじょう 艦 かん 610 mm、潜水 せんすい 艦 かん 533 mmであった。
^ 世界 せかい の艦船 かんせん 2010*9::アンドレイ・ポルトフ
^ 『連合 れんごう 艦隊 かんたい の栄光 えいこう 』第 だい 六 ろく 章 しょう
^ 『海軍 かいぐん 水雷 すいらい 史 し 』海軍 かいぐん 水雷 すいらい 史 し 刊行 かんこう 会 かい 。
^ 戦史 せんし 叢書 そうしょ 第 だい 095巻 かん 海軍 かいぐん 航空 こうくう 概 がい 史 し p.42
^ 戦史 せんし 叢書 そうしょ 第 だい 095巻 かん 海軍 かいぐん 航空 こうくう 概 がい 史 し p.41
^ 「魚雷 ぎょらい 」の章 あきら (頼 よりゆき 惇 あつし 吾 われ 担当 たんとう )、「機密 きみつ 兵器 へいき の全貌 ぜんぼう 」興 きょう 洋 よう 社 しゃ 、1952年 ねん
^ p.327-p.333、第 だい 五 ご 章 しょう :「回天 かいてん 」と「桜花 おうか 」の狭間 はざま 、特攻 とっこう 恩田 おんだ 重宝 ちょうほう 、講談社 こうだんしゃ 、1988年 ねん
伊藤 いとう 正徳 まさのり 『連合 れんごう 艦隊 かんたい の栄光 えいこう 』角川 かどかわ 文庫 ぶんこ
佐藤 さとう 和正 かずまさ 『太平洋 たいへいよう 海戦 かいせん 1 進攻 しんこう 篇 へん 』 ISBN 4062037416
佐藤 さとう 和正 かずまさ 『太平洋 たいへいよう 海戦 かいせん 2 激闘 げきとう 篇 へん 』 ISBN 4062037424
西日本新聞社 にしにっぽんしんぶんしゃ 朝刊 ちょうかん 長崎 ながさき 版 ばん 、三菱 みつびし 長崎造船所 なかざきぞうせんじょ 秘話 ひわ 74回 かい 『酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい 』、昭和 しょうわ 45年 ねん 9月 がつ 9日 にち
恩田 おんだ , 重宝 ちょうほう 「第 だい 五 ご 章 しょう :「回天 かいてん 」と「桜花 おうか 」の狭間 はざま 」『「特攻 とっこう 」』講談社 こうだんしゃ 、東京 とうきょう 、日本 にっぽん 、1988年 ねん 11月。ISBN 4-06-204181-2 。
伊藤 いとう , 庸 いさお 二 に 、千 せん 藤 ふじ 三 さん 千 せん 造 みやつこ 、志賀 しが 富士男 ふじお 編集 へんしゅう 「魚雷 ぎょらい (頼 よりゆき 淳 じゅん 吾 われ )」『「機密 きみつ 兵器 へいき の全貌 ぜんぼう 」(興 きょう 洋 よう 社 しゃ 1952年刊 ねんかん の復刻 ふっこく 版 ばん )』原 はら 書房 しょぼう 、東京 とうきょう 、日本 にっぽん 、1976年 ねん 2月 がつ 。ISBN。