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長興寺ちょうこうじ (大分おおいた)

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長興寺ちょうこうじ
所在地しょざいち 大分おおいたけん大分おおいた松岡まつおか5743
位置いち 北緯ほくい3311ふん1.6びょう 東経とうけい13139ふん45.5びょう / 北緯ほくい33.183778 東経とうけい131.662639 / 33.183778; 131.662639座標ざひょう: 北緯ほくい3311ふん1.6びょう 東経とうけい13139ふん45.5びょう / 北緯ほくい33.183778 東経とうけい131.662639 / 33.183778; 131.662639
山号さんごう 松岡まつおかさん
宗旨しゅうし 臨済宗りんざいしゅう
宗派しゅうは 妙心寺みょうしんじ
本尊ほんぞん 木造もくぞう釈迦如来しゃかにょらい坐像ざぞう[1][ちゅう 1]
開山かいさん ようおうげんつな
開基かいき 松岡まつおか重頼しげより戸次とつぎ重頼しげより
法人ほうじん番号ばんごう 7320005000650 ウィキデータを編集
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長興寺ちょうこうじ(ちょうこうじ)は、大分おおいたけん大分おおいた松岡まつおかにある臨済宗りんざいしゅう妙心寺みょうしんじ寺院じいんである[3]山号さんごう松岡まつおかさん(しょうこうざん)[2]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

とうてら所在しょざいする松岡まつおか地区ちくは、戦国せんごく時代じだい国人くにびと領主りょうしゅ大友おおともの庶流である戸次とつぎほんぬき戸次とつぎそうのはずれに位置いちする。

とうてらは、大友おおともけい戸次とつぎ初代しょだい当主とうしゅ戸次とつぎ重秀しげひで[ちゅう 2]次男じなん松岡まつおか重頼しげより開基かいきとし[4]ようおきな和尚おしょうによってよしみもと2ねん1304ねん)に開山かいさんされた[ちゅう 3]七堂伽藍しちどうがらんゆうするだい寺院じいんであったが、島津しまつ豊後ぶんご侵攻しんこうさい焼失しょうしつ宝永ほうえい3ねん1705ねん)にいたるどう和尚おしょうによって再興さいこうされ、寛政かんせい12ねん1800ねん)にだいいただき和尚おしょうによって堂宇どううととのえられた[2]

山門さんもんはいって正面しょうめんにあるさとしすめらぎ殿どのにはだいいただき和尚おしょう明和めいわ8ねん1771ねん)に揮毫きごうしたがくかかげられている。境内けいだいには、明和めいわ2ねん1765ねん)に建立こんりゅうされた六道ろくどうのう地蔵じぞうみこと天保てんぽう8ねん1837ねん)に農家のうかうし供養くようのために建立こんりゅうされた大白おおしろうし仏像ぶつぞうがある[2]

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 本尊ほんぞんじゅういちめん観世音菩薩かんぜおんぼさつとする資料しりょうもある[2][3]
  2. ^ 戸次とつぎ男系だんけい途絶とだえたため、大友おおともだい2だい当主とうしゅ大友おおともちかししゅう次男じなん重秀しげひでむかえて当主とうしゅとした。このため、重秀しげひで戸次とつぎ大友おおともけいとなってからは初代しょだい当主とうしゅ通算つうさんではだい6だい当主とうしゅとなる。
  3. ^ よしみもと3ねん1305ねん創建そうけんとする資料しりょう[4]や、のべもと元年がんねん1336ねん)に廃寺はいじ復興ふっこうして創建そうけんしたとする資料しりょう[3]もある。

出典しゅってん[編集へんしゅう]