関屋 龍吉
せきや りゅうきち | |
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1886 | |
1976 | |
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生涯
[1886
1911
1923
1927
1929
1934
1944
主 な著書
[- 『
農村 社会 教育 』日本 評論 社 、1933年 - 『
壺 中 七 十 年 』1965年 - 『
随想 録 社会 教育 事始 め』顕彰 会 出版 局 、1975年
家族 ・親族
[父 は大垣 藩 で藩校 の教官 を務 めていた一柳 元吉 (1842年 - 1919年 、諱 は「 」、薫 号 「芳洲 」)[14][3]。父 の元 吉 は、明治維新 以後 は藩校 の郷 学校 (現在 の大垣 市立 興 文 小学校 )への転換 を促 して無償 で教授 にあたり、以後 も地域 の教育 振興 や史跡 の保存 に力 を尽 くしたという[15]。伯父 (父 の長兄 )である野田 達 介 は、江戸 で狩野 派 の画 を学 んだあと、平田 鉄 胤 門下 で国学 を学 び、維新 後 は神職 (神道 教導 職 試補 、神宮 教 中 講義 )を務 めたという経歴 の人物 である[16]。実兄 に、王子製紙 重役 を務 めるとともに一柳 氏 の家 史 編纂 や関連 史蹟 の整備 に努 めた一柳 貞吉 がいる[2][5]。妻 の美穂子 は博物 学者 である男爵 田中 芳男 の娘 [2]で、2男 2女 があるという[2]。
備考
[学生 時代 に弓道 に打 ち込 んでおり、のちに生 弓 会 理事 を務 めた[3]。- 1930
年 (昭和 5年 )に、「青 い目 の人形 」と答礼 人形 に関 する日本 の児童 向 けパンフレット『アメリカへ行 った人形 のお話 』を著 している[7]。日米 開戦 後 に「青 い目 の人形 」は各地 で処分 されるような事態 に発展 したが、これを聞 いた関屋 は「口惜 しいというかなさけないというか、あふれる涙 を禁 じ得 なかったのである」(『社会 教育 事始 め』)と記 している[7]。 岐阜 県 大垣 市 室本 町 のスイトピアセンターの庭 (大垣 市立 図書館 の前 )に「関屋 龍吉 先生 謝恩 碑 」が建 つ。1987年 に日本 青年 協会 と大垣 市 の有志 によって建 てられたもの[17]。
脚注
[注釈
[- ^
日本 鉄道 株式会社 での不正 経理 について「一死 以テ罪 ヲ謝 ス」と遺書 を残 しての自 死 という[4]。 - ^ 『
先賢 展 本 』では与 喜子 の実家 である関屋 家 の養子 になったとある[3]。『人事 興信録 』第 8版 の「一柳 貞吉 」の項目 の記載 によれば、「岐阜 縣 人 關屋 よきの養子 」とある[5]。なお、『人事 興信録 』第 8版 の「関屋 忠正 」(大垣 出身 の元 土木 技師 、資産 家 )の項目 の記載 によれば、姉 の「よき」は分家 とある[5]。 - ^ 『ブリタニカ
国際 大 百科 事典 小 項目 事典 』では「1931年 」とするが誤 り[10] - ^ 『
先賢 展 本 』では1944年 に大 日本 女子 社会 教育 会 を結成 とある[6]。 - ^
追放 事由 は「国民 精神 文化 研究所 所長 社会 教育 会 常務 理事 著者 」。
出典
[- ^ a b c d e f “
関屋 竜吉 ”. 20世紀 日本人 名 事典 (コトバンク所収 ). 2021年 10月 2日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g h i
一柳 貞吉 1933, p. 41. - ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『
先賢 展 本 』, p. 76. - ^ “
明治 31年 4月 6日 (1898年 )是 ヨリ先 、同 会社 ニ於テ職員 ノ公金 私消 、定款 改正 認可 申請 ノ却下 及従業 員 ノ罷業 等 諸 事件 アリテ…”. デジタル版 『渋沢 栄一 伝記 資料 』.渋沢 栄一 記念 財団 . 2021年 10月 2日 閲覧 。 - ^ a b c 『
人事 興信録 』第 8版 (1928年 ) - ^ a b c d e f g h i j k l 『
先賢 展 本 』, p. 77. - ^ a b c
栗原 祐司 2011, p. 89. - ^ a b c “
日本 青年 協会 とは”.一般 財団 法人 日本 青年 協会 . 2021年 9月 30日 閲覧 。 - ^ “
社会 教育 団体 の統合 ”.学制 百 年 史 .文部 科学 省 . 2021年 9月 30日 閲覧 。 - ^ “
大 日本 青少年 団 ”. ブリタニカ国際 大 百科 事典 小 項目 事典 (コトバンク所収 ). 2021年 9月 30日 閲覧 。 - ^ a b c d
前田 一男 1982, p. 57. - ^ 『
官報 』第 4492号 、昭和 16年 12月27日 。 - ^
総理 庁 官房 監査 課 編 『公職 追放 に関 する覚書 該当 者 名簿 』日比谷 政経 会 、1949年 、554頁 。NDLJP:1276156。 - ^
一柳 貞吉 1933, pp. 38–40, 43. - ^
一柳 貞吉 1933, pp. 38–40. - ^
一柳 貞吉 1922, pp. 8–9. - ^
大垣 市立 図書館 (回答 ). “大垣 市 スイトピアセンター内 の庭 南 、図書館 の前 にある石碑 「関谷 龍吉 先生 謝恩 碑 」を建立 した団体 及 び建立 年月日 を知 りたい。”. レファレンス協同 データベース. 2021年 10月 1日 閲覧 。
参考 文献
[一柳 貞吉 『野田 達 介 翁 小伝 』1922年 。NDLJP:910930。一柳 貞吉 『一柳 家 史 紀要 』1933年 。NDLJP:1192151。大垣 市 史 編纂 室 監修 『大垣 市制 90周年 記念 大垣 ルネサンス先賢 展 記録 誌 先賢 展 本 』大垣 市 かがやきライフ推進 部 市民 活動 推進 課 、2009年 。前田 一男 「国民 精神 文化 研究所 の研究 ―戦時 下 教学 刷新 における「精 研 」の役割 ・機能 について―」『日本 の教育 史学 』第 25巻 、1982年 。doi:10.15062/kyouikushigaku.25.0_53。栗原 祐司 「ミス徳島 の里帰 りに感動 」『徳島 平和 ミュージアムプロジェクト報告 書 』、徳島 平和 ミュージアムプロジェクト実行 委員 会 、2011年 。総理 庁 官房 監査 課 編 『公職 追放 に関 する覚書 該当 者 名簿 』日比谷 政経 会 、1949年 。NDLJP:1276156。
関連 文献
[深見 吉之助 著 「関屋 龍吉 」、全日本 社会 教育 連合 会 編 『社会 教育 論 者 の群像 』全日本 社会 教育 連合 会 、1983年 。唐沢 富太郎 著 「関屋 竜吉 :草創 期 の社会 教育 行政 に尽 くす」、唐沢 富太郎 編 『図説 教育 人物 事典 :日本 教育 史 のなかの教育 者 群像 』下 、ぎょうせい、1984年 。成田 久四郎 編 『社会 教育 者 事典 』(増補 )日本 図書 センター、1989年 。ISBN 9784820552840。伊藤 めぐみ著 「関屋 龍吉 」、日本 女性 学習 財団 編 『女性 の学 びを拓 く :日本 女性 学習 財団 70年 のあゆみ』ドメス出版 、2011年 。ISBN 9784810707519。秦 郁 彦編 『日本 近 現代 人物 履歴 事典 』(第 2)東京大学 出版 会 、2013年 。ISBN 9784130301534。
外部 リンク
[国立 女性 教育 会館 女性 デジタルアーカイブシステム -肖像 ・葬儀 写真 が閲覧 できる。
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