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隅谷すみや守男もりお

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
隅谷すみや 守男もりお
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
生年月日せいねんがっぴ (1944-06-09) 1944ねん6月9にち
群馬ぐんまけんさかいまち
死亡しぼう年月日ねんがっぴ 1975ねん9月9にち(1975-09-09)(31さいぼつ
フランスルマン

隅谷すみや 守男もりお(すみや もりお、1944ねん6月9にち - 1975ねん9月9にち)は、日本にっぽんのオートバイレーサー。群馬ぐんまけん佐波さばぐんさかいまちげん:伊勢崎いせざきさかいまち出身しゅっしん

経歴けいれき

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日本人にっぽんじんはじめて鈴鹿すずかサーキットで2ふん30びょうやぶり、マイク・ヘイルウッドつコースレコードをやぶったホンダRSC契約けいやくライダー[1]

鈴鹿すずかサーキットのSコーナーからダンロップコーナーまでのかえしをぎゃく操舵そうだはしほうでマシンをあやつり、ストレートでかれても、Sまでにはかえすという走行そうこう技術ぎじゅつでホンダのホームグラウンドである鈴鹿すずか絶大ぜつだい人気にんきほこった。

軽量けいりょうだか出力しゅつりょく2サイクルワークスマシンたいし、市販しはんしゃベースの非力ひりきなSOHC4サイクルマシン前述ぜんじゅつのコーナリング技法ぎほう駆使くしして対抗たいこうし、とくに、カワサキワークスの和田わだただしひろしとのたたかいは、デッドヒートとしておおくのロードレースファンを魅了みりょうした。

所属しょぞく

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おも成績せいせき

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CB500あらため 鈴鹿すずかサーキットにて

年譜ねんぷ

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RSC打田うちたひろしメカニックと鈴鹿すずかサーキットピットまえ(カウル形状けいじょうとうから1974ねん10がつGP推察すいさつ

戦績せんせき

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隅谷すみや守男もりお選手せんしゅ 戦績せんせき
西暦せいれきれき
(昭和しょうわ)
年齢ねんれい日付ひづけ内容ないよう
19633819がつだいかいアマチュア耐久たいきゅうロードレース リタイヤ CB72
がつにちだいかいダートトラックレース 5 CL72
9月くがつ15にちMFJグランドレース 250cc 5
19643920がつ12にちモトクロス日本にっぽんグランプリ(相馬そうまばら) 250cc 6
がつ10にちだいかい東日本ひがしにっぽん熱海あたみモトクロス大会たいかい 250cc 10
19654021ジュニアライセンス取得しゅとく(グリーンスタンプ:すべての競技きょうぎ出場しゅつじょう可能かのう
※このときのMFJライセンスは、セニア(インターナショナル)・ジュニア(グリーン・レッド)・アマチュアのかくクラス
がつTMAスクランブルス 250cc 1
がつにちだいかいMFJジュニアロードレース(鈴鹿すずか) 350cc(CB77)優勝ゆうしょう
がつ31にち鈴鹿すずか24あいだ耐久たいきゅうロードレース (CB77) リタイヤ
9月くがつ12にちだいかいMFJジュニアロードレース(鈴鹿すずか) 350cc 3
10がつ24にちだいかいMFJジュニアロードレース(鈴鹿すずか) 350cc 7
不明ふめいだい3かい全日本ぜんにほんダートトラックレース大会たいかい 250cc 2
19664122がつ18にち浜松はままつグランドレース ジュニア251cc 3
11月じゅういちがつにちジュニア選手権せんしゅけん鈴鹿すずかロードレース 350cc 12
19674223がつ埼玉さいたまモトクロス ジュニア250cc 1
がつ12にちだい13かいスピードスクランブル ジュニア250cc 1
がつ13にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん鈴鹿すずか12あいだ耐久たいきゅうロードレース セニア251cc 2
10がつ29にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん鈴鹿すずかロードレース セニア251cc以上いじょう 2
ロードレースランキング セニア251cc 2
モトクロスランキング ジュニア250cc 13
19684324がつ21にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース セニア251cc 2
がつ15にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん鈴鹿すずか10あいだ耐久たいきゅうロードレース ジュニア・セニア251cc 優勝ゆうしょう CB450
10がつ27にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース セニア251cc 3
ロードレースランキング セニア251cc 2
19694425セニアゼッケン ロードレース No.14&11(日本にっぽんGP)
がつ13にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん富士ふじロードレース セニア125cc 2、251cc 2
がつ20にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース セニア125cc 1、251cc 1
がつ18にちモトクロス日本にっぽんGP セニア90cc CL90 4、セニア250cc HSQ250 リタイヤ
がつ29にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース セニア125cc 3、251cc 1
がつ17にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずか10あいだ耐久たいきゅうロードレース セニア251cc 1 CB750Four
10がつ19にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずか日本にっぽんGP セニア125cc 3、251cc 1
ロードレースランキング セニア125cc チャンピオン
ロードレースランキング セニア251cc チャンピオン
19704526セニアゼッケン ロードレース No.1、モトクロス No.16
がつ19にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース セニア251cc 4 CB350
がつ14にちイギリス・マロリーパーク 6 CB350 (MFJわたしおうかい
がつにち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずか10あいだ耐久たいきゅうロードレース ジュニア・セニア251cc 1 CB750Four
9月くがつ20にちイギリス・マロリーパーク リタイヤ CB750Four (わたしおうかい
ロードレースランキング セニア251cc 8
19714627セニアゼッケン ロードレース No.25
がつにち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずか10あいだ耐久たいきゅうロードレース CB750Four トラブルがい
クロムウェルヘルメット、ブルースーツスタイル
10がつ16にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん鈴鹿すずかロードレースだいかい日本にっぽんGP セニア251cc 3 CB500あらためでのはつ出場しゅつじょう
フルフェイス、ブルースーツスタイル
19724728セニアゼッケン ロードレース No.3
FL750cc(フォーミュラ・リブレ)クラス新設しんせつ
がつ30にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん鈴鹿すずかロードレース セニア FL750cc CB500あらため 1 30びょうかべやぶる 2'29"9
がつ11にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん鈴鹿すずかロードレース セニア FL750cc CB500あらため 1 しん記録きろく樹立じゅりつ 2'28"7
10がつ15にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース 日本にっぽんGP FL251cc CB500あらため 1  しん記録きろく更新こうしん2'27"7
19734829セニアゼッケン ロードレース No.1
RSC・隅谷すみやスクール開校かいこう鈴鹿すずか) モトクロスライダー養成ようせい
3月さんがつ11にちデイトナ200マイル6入賞にゅうしょう日本人にっぽんじんはつ CB750Four ホンダさい上位じょうい予選よせん35
ホンダぜい予選よせん Rレイマン23、Sマクローリン26 、優勝ゆうしょうJサーリネン予選よせん12
がつ29にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース FL750cc 優勝ゆうしょう(スリックリヤタイヤ・4in1集合しゅうごうマフラー)
カワサキH2R和田わだただしひろし選手せんしゅとのデッドヒート
がつにち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース 4にちまえ転倒てんとうにより出場しゅつじょう
10がつ21にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース 日本にっぽんGP FL750cc リタイヤ
19744930セニアゼッケン ロードレース No.3
がつ28にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース FL750cc リタイヤ
がつにち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース FL750cc 出場しゅつじょう
がつ21にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース FL750cc リタイヤ(4inいん1マフラー) 
10がつ13にち全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだいせん鈴鹿すずかロードレース 日本にっぽんGP FL750cc 3
11月じゅういちがつ10にちモトクロスGP谷田部やたべ大会たいかい視察しさつ
19755031セニアゼッケン ロードレース No.15
9月くがつにちフランス・ルマンブガッティサーキットにてルマン24あいだけての練習れんしゅうちゅう(CB500R)、
ミューゼアム(MUSEUM)コーナーにて転倒てんとう 他界たかい 享年きょうねん31さい

参考さんこうデータ 1

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鈴鹿すずかサーキット歴代れきだいレコードタイム
項目こうもく日付ひづけタイムライダーマシン
絶対ぜったい記録きろく1965.10.232'28.9M.ヘイルウッドMV 350工場こうじょうレーサー
非公式ひこうしき ※119662'25.3M.ヘイルウッドホンダ RC181工場こうじょうレーサー
40びょうかべ19682'39.5金谷かなや 秀夫ひでおヤマハ DS6 250cc市販しはんしゃ改造かいぞう
19682'39.5松永まつなが たかしホンダ CB77 305cc市販しはんしゃ改造かいぞう
1969.6.292'37.7隅谷すみや 守男もりおホンダ CB350市販しはんしゃ改造かいぞう
1969.10.192'34.5隅谷すみや 守男もりおホンダ CB350市販しはんしゃ改造かいぞう
30びょうかべ1970.10.242'30.9金谷かなや 秀夫ひでおヤマハ RX 350cc市販しはんしゃ改造かいぞう
1972.4.302'29.9隅谷すみや 守男もりおホンダ CB500あらため市販しはんしゃ改造かいぞう
マイクのかべ1972.6.112'28.7隅谷すみや 守男もりおホンダ CB500あらため市販しはんしゃ改造かいぞう
1972.10.142'27.7隅谷すみや 守男もりおホンダ CB500あらため市販しはんしゃ改造かいぞう
1973.4.292'26.618隅谷すみや 守男もりおホンダ CB500あらため市販しはんしゃ改造かいぞう
1973.6.22'26.552和田わだ せいひろしカワサキ H2-R 750cc市販しはんしゃ改造かいぞう

※1 テストちゅう非公式ひこうしきタイム 八重洲出版やえすしゅっぱん モーターサイクリスト 1975ねん4がつごう 特別とくべつ座談ざだんかい ホンダレース活動かつどうより

エピソード

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74ねん10がつ鈴鹿すずか日本にっぽんGPにて競合きょうごうしゃ(ヤマハ)を興味深きょうみぶかながめる隅谷すみや
  • Sコーナーでの「ぎゃく操舵そうだはしほう

鈴鹿すずかのSにてひだりからみぎへのりかえしのさい隅谷すみや選手せんしゅぎゃくハンドル操作そうさ意図いとてきおこない、ひだりバンクからみぎバンクを瞬時しゅんじ完了かんりょうさせていたようだ。ていると、りかえし車体しゃたい一瞬いっしゅんグラつく印象いんしょうで、あたかもマシンの調子ちょうしわるいかのようにおもわせた。この操作そうさは、正確せいかく出来できないと転倒てんとういたるリスクがたかく、特別とくべつ高度こうどなテクニックである。直線ちょくせんでのパワーにおと性能せいのう鈴鹿すずかひがしコース、コーナー区間くかん圧倒的あっとうてきはやさで逆転ぎゃくてんしてしまう、隅谷すみや選手せんしゅおおきな武器ぶきであったが、露出ろしゅつ記事きじあたらない。しかしながら、ルマンでの事故じこ、ファンによる投書とうしょあつめた追悼ついとう記事きじ [7] に、“Sで「ぎゃくハンをくれる」はしりをみたかった”という表現ひょうげんのこされていた。

  • 隅谷すみやスクール
1972ねん9がつホンダよりCR250M市販しはんモトクロッサー(整地せいちよう競技きょうぎ車両しゃりょう:MX)が発売はつばいされた。
RSCもMXワークスしゃのサポートをおこなっており、MX若手わかてライダーの育成いくせい目的もくてきにトレーニングメニューとう指導しどうをしていた。
1974ねん11月全日本ぜんにほんMX最終さいしゅうせん 谷田部やたべ大会たいかいには、レース視察しさつしている。[8]
  • ヘルメット&かわツナギ(ライディングスーツ)
1969ねん クロムウェルヘルメット(まるあかしろ)・ホスパイクゴーグル・ブラックスーツ(佐藤さとう製作所せいさくしょ)・ブーツ(カネチカ)>
1971ねん 9月日本にっぽんGP フルフェイスヘルメット(まるあかしろ)・ブルースーツ
1970ねんまでは、ブラックスーツが主流しゅりゅうであったが、71ねんにはカラーツナギがトップライダーから流行りゅうこうはじめていた。
  • ヘルメットのなかはいってしまうかわツナギ(ライディングスーツ)
ブルーのツナギは、フルフェイスヘルメットにはいってしまうほど、うす出来できていた。
墨田すみだ向島むこうじま佐藤さとう製作所せいさくしょせいのツナギは、牛革ぎゅうかわをさらにうすくした特別とくべつせいで、軽量けいりょう徹底てっていしていた。
  • 隅谷すみや選手せんしゅとCB500R
1974ねん10がつ 日本にっぽんGPで最後さいごの3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくしたが、CB500あらためでの鈴鹿すずかタイム短縮たんしゅくすで限界げんかい状態じょうたいでの表彰台ひょうしょうだいであった。
ヨーロッパでは、ボルドー24あいだ耐久たいきゅうホンダCB750fourベースのジャポートホンダが72-73ねん連勝れんしょうしたが、

カワサキZ1(900)が1972ねんあき発売はつばいされ、1974ねんは、Z1ベースのエグリカワサキde:Fritz_Egli圧勝あっしょうし、Z1旋風せんぷうこしていた。そのZ1旋風せんぷうへの対応たいおうか、1975ねん隅谷すみや選手せんしゅCB500500ベースの750ccで世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけんいどんだかたちとなったが、隅谷すみや選手せんしゅあとのレースもZ1いきおい後塵こうじんはいしている。隅谷すみや選手せんしゅくなった1975ねん9がつからいちねんたない1976ねん3がつHERT(ホンダエンデュランスレーシングチーム)が結成けっせいされ、世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけんシリーズを1976ねんから席巻せっけんするRCBは、上位じょうい独占どくせんをするので不沈艦ふちんかんたいばれた。

(CB750Fourの開発かいはつ回想かいそうしながら)現場げんばのライダーじゃないとからないいちばんいいれいに、隅谷すみや守男もりおれいがありました。

かれがCB500Fourベースのレーサーではしっていたころのことです。'72ねんだったかな、かれ鈴鹿すずか樹立じゅりつされたマイク・ヘイルウッドとMV3気筒きとうレーサーのコースレコードをレースでやぶりたいと、えてました。

でも750じゃダメ、500じゃないと記録きろくやぶれないとうんです。750はパワーはいいんだけど、あのコースを攻略こうりゃくするのにりやすいのは500だと。そのCB500Fourを550ccくらいにボアアップした状態じょうたいのエンジンで、車体しゃたい担当たんとうのボクヘ依頼いらいされたのが、リヤフォーク(スイングアーム)をやわらかくつくってくれということでした。竿ざおみたいにしなって、剛性ごうせいのないのにしてくれと。

普通ふつう剛性ごうせいを、ガッチリにしたいとおもいそうなところですよね。ところが隅谷すみやは、ヘイルウッドのはしりをてると、Sとかではスイングアームをしならせて、カウンターをりながらはしらせてるみたいだと。ああいうはしほうをしないと、かれせないと。そのためにはリヤがんでしまってはなにもならない、路面ろめんにタイヤがグリップした状態じょうたいでアームがしなってくれないとダメだとう。そうしないとタイヤが追従ついしょうしないとう。

だから、じゃあリヤフォークのピボットのところをゴムのブッシュかなんかれたらどうかとくと、それではダメだと。しなるからいいんだと。スムーズに剛性ごうせいがマイナスするようなリヤフォークをつくってくれとう。

結局けっきょくボクはそのとおりにつくって、隅谷すみやはヘイルウッドの記録きろくえました。わたしなど設計せっけいではからない部分ぶぶん体感たいかんてきあじわってこうだってはっきりってくれるのが、いテストであり、そうしたかれらにささえられることもおおかったです。テストさんのはなしにそれてしまいましたけど、750もまた、色々いろいろとありながらいいステップアップになったモデルでした。[9]

「ホンダの、ちょうスペシャルテクニックを駆使くししていたライダーです。」

「よくかんがえたら、当時とうじからホンダは2ストローク全盛ぜんせいなかに、4ストロークで挑戦ちょうせんしていたんだね(WGPのNR500ともしょうつうずる部分ぶぶん筆者ひっしゃ追記ついき)。」[11]


おれたちが練習れんしゅう走行そうこう鈴鹿すずかサーキットへくと、鈴鹿すずかサーキットのおも、ともいえるほうだったからね、たりまえがごとく隅谷すみやさんがおられて、当時とうじ日本にっぽんのトップだったからね。いつも隅谷すみやさんがいろんな伝説でんせつのこしていてね、おれたちがはし鈴鹿すずかサーキットを、かれはホンダ社員しゃいんであり契約けいやくライダーという立場たちばだったので、かれ早朝そうちょう鈴鹿すずかサーキットがオープンするまえにランニングをしていた。おれがサーキットの路面ろめん全部ぜんぶさわってあるいた、みたいなかんじで、かれはいつもそこをジョギングじゃなくて、本当ほんとう何分なにぶんはしれるか?というようなかたちはしっていた※。それから毎日まいにちいちあいだくらいのウェイトトレーニングをしたり、わたし影響えいきょうあたえたのはそのふたつにくわえて、もうひとつ、座禅ざぜんをしていた。隅谷すみやさんがそのみっつをやっていたので、隅谷すみやさんが鈴鹿すずかサーキットを6キロはしるんだったら、おれは10キロはしる、隅谷すみやさんがウェイトトレーニングを1あいだやるなら2あいだやる、というふうに、りょううえこうとしてつちかったなかのひとつに座禅ざぜんがあるんです。」

加筆かひつ(片山かたやまたかしずみ):そのことをったのは、隅谷すみやさんが当時とうじのRSCの秋鹿あいかさんにたいして、「10なんふんだい今日きょうはしった」とはなすのをいたから。

「(先輩せんぱいのライバルにたいしても)まあ、ライダー同士どうしだから、まずは挨拶あいさつだね。当時とうじ鈴鹿すずかサーキットにはドライバーサロン(ドラサロ)があって、その喫茶店きっさてん出入でいりしているとき挨拶あいさつさせてもらったとおもう。ちょうどドラサロのよこのところにむかしからホンダのワークショップがあったので、そこに隅谷すみやさんはびたりのような状態じょうたいだったから、よくかおわせることはあった。ガタイのおおきなほうでね。こんにちは、って。」

「(直接ちょくせつなにかをおそわったことはなかった?)そんなにちか関係かんけいではなかったからね、ましてやヤマハと、ホンダ、そしてスズキ、カワサキ、全部ぜんぶてきでしょ。おたがい。日本にっぽんでは4メーカーがあったから。そのどれもがはしっていた、ホンダはファクトリーではないにしても、はんファクトリーみたいなかたち隅谷すみやさんがはしっていた。菱木ひしき哲也てつや筆者ひっしゃ追記ついき)さんというひととふたりではしっていた。このおぽうたちがはしっていた日本にっぽん黄金おうごん時代じだい、だよね、1970、1971、1972ねんあたりは。わたし最後さいごまではしったのは1974ねんまでくらいまでじゃないかな、そのころホンダはCB650あらため、というかたちで500をボアアップして650にしたような、おもいマシンではしってたね。」

「(野末のずえさんの証言しょうげん~wikiげをいてのコメント)それははじめてったよ。"スイングアームのしなりを"というところとリンクするかどうかはべつとして、隅谷すみやさんのはしりでものすごく印象いんしょうてきだったのは、鈴鹿すずかサーキットにはスプーンカーブというふたつのふくあいカーブがあるんだけど、おれたちはふたおく外側そとがわあめしかとおらないのね、ぎゃくあめにインがわはいると、4りんのタイヤのゴミでインがわ全部ぜんぶつるつるで、すぐにころんじゃう。なので、そとくろいパッチで、だいたいスプーンカーブの1/4から1/5の外側そとがわのところだけ、あらたに舗装ほそうしなおしたくろいアスファルトのパッチ、というかいちめんラインになっているんだけど、そこだけがグリップがいいのでそこをとおるんだけど、れのはそこをとおらないわけよ。でも、隅谷すみやさんがおれまえをヘアピンのがりからおこなったとき、おれうしろをついてって、まつっちゃんみぎみぎぎて、スプーンのひとつぎて、ふたはいっていった。そこまではまったおなじラインりだったのに、おれはバーッとはやめにインがわはいったら、みぎのはるかおくほう隅谷すみやさんがいるわけ。「えっ、あれっ、隅谷すみやさんどうしたんだろう、マシントラブルかな?」と一瞬いっしゅんおもったのよ、おれはインがわにいてそっちてるから。ところが外側そとがわでマシンのおとがするわけよ、ウォン、ウォン、ウォン、って3かいぐらいすべってるのがこえるのよ。「あれっ?マシンすべってる??」というのがかるわけよ。おれがインがわをペタペタペターってはしってるのに、隅谷すみやさんがぐわーとて、おれまえをかぶせてスロットルひらいて全開ぜんかいで、おれがスプーンときには隅谷すみやさんははる彼方かなたにいると。全然ぜんぜんちがはしりをされていた。よくぞあんなはしりが出来できるな、と。ひとつえるのは、あのビッグマシンに装着そうちゃくされていたタイヤがグッドイヤーだったであろうこと。おれたちがいていたKR83ってったかな、729のコンパウンドの、当時とうじはスリックタイヤはないんでパターンタイヤしかなかいんだけども、そのタイヤではおおきくすべらせることは出来できなかった。スリックタイヤなら可能かのうせいはあったかもしれないけれども、それにしても、あんなにおおきなスライドをみずかてしてコントロールさせる。うつくしい以外いがいなにぶつでもない。あれは、出来できない。そんな素晴すばらしいライディングをしていた隅谷すみやさん。あこがれだったね、先輩せんぱいライダーはことごとくはやかったから。1972ねんたレースぜんせん優勝ゆうしょう?」

しくも隅谷すみや守男もりおさんは、「今年ことしでレースを引退いんたいする」とったそのとし(1975ねん筆者ひっしゃ追記ついき)にルマンにかれて、ひだりコーナーでどうしてかまっすぐってしまって、ガードレールに激突げきとつされて、いのちをなくしたんだけれども、あのほうこん健在けんざいだったらいろんなテクニックをいろんなライダーに指導しどうしてたんじゃないかな?隅谷すみやさんが(ゆえ木山きやま賢吾けんご身振みぶ手振てぶりでおしえているシーンをおれてたから。当時とうじ鈴鹿すずかサーキットのなかにあったHRCで(鈴鹿すずかにあったのはRSC:筆者ひっしゃ追記ついき)。隅谷すみや守男もりおさんのマシンのかえかた、そのおれ片山かたやまじゅくでもおしえていたアップサイドダウン、というテクニック。ハンドルバーをアップサイドダウンにかえすんだ、と。これの利点りてんかじかくあたえないので、あめなかでもフロントタイヤがすべらないんですよ。そのままマシンがかえる。それがひとつ。もうひとつは、隅谷すみやさんのマシンがおもかった、ということ。ライディングしている写真しゃしんがあればよくていただきたいですけど、隅谷すみやさんの左手ひだりて右手みぎても、グリップラバーのそと小指こゆびおこなっていて、かぎりなくハンドルバーのそとっているんですね。アップサイドダウンのちかられやすいように。普通ふつうのライダーは中央ちゅうおうがわをもってライディングするんだけども、隅谷すみやさんは外側そとがわ外側そとがわつようにしていましたね。」

GPライダー本橋もとはし選手せんしゅとのコーナーバトル。1969ねん10がつタイトルを鈴鹿すずかサーキットSコーナーである、圧倒的あっとうてきなコーナリングスピードと豪快ごうかいな4サイクルサウンドでファンを魅了みりょう

・1969ねん 日本にっぽんグランプリロードレース[12]

全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんシリーズ最終さいしゅうせん日本にっぽんグランプリロードレース大会たいかいは、10月18、19にち両日りょうじつにわたり、三重みえけん鈴鹿すずか鈴鹿すずかサーキットを舞台ぶたいに、日本にっぽんモーターサイクル協会きょうかい主催しゅさいのもとに盛大せいだい開催かいさいされた。


われら仲間なかまのMFJ会員かいいん主役しゅやくつとめる”グランプリ”とあって、またいてもわらってもこの一戦いっせんでランキングがきまるとあって、って白熱はくねつした空気くうきたかまるいっぽう。アマチュア、ジュニア、セニアの区別くべつなく、各自かくじそれぞれにベストをくして開催かいさいった。


そして、大会たいかい当日とうじつの19にち素晴すばらしい好天こうてんのもとにけていった。


前日ぜんじつ公式こうしき練習れんしゅうまでのおおきな話題わだいとしては、セニア部門ぶもん注目ちゅうもく隅谷すみや守男もりお(ブルーヘルメットMSC)が、だい3せん公式こうしき練習れんしゅうから樹立じゅりつした2ふん37びょう7のベスト・ラップを3びょう2も短縮たんしゅくする2ふん34びょう5の驚異きょういてき記録きろくをマークしたことであった。これにたいして、和田わだただしひろし神戸こうべレーシングC)も2ふん37びょう自己じこ最高さいこうを、またGPライダーの本橋もとはしあきらやすし(スポーツライダース)が3ねんぶりにはし鈴鹿すずかで2ふん36びょう6をマークして両者りょうしゃあいだはいったが、いずれにせよ、これらの記録きろく過去かこの、世界せかい選手権せんしゅけんをかけた日本にっぽんGPでの工場こうじょうレーサーに匹敵ひってきするものであり、これにつられてかジュニア、アマチュア部門ぶもんでもそれぞれこれまでになかったハイ・ペースで次々つぎつぎ記録きろく更新こうしん作成さくせいされ、本番ほんばんレースにかける期待きたいだいなるものとした。


------そして10がつ19にち午前ごぜん930ふんてんたかくコダマする花火はなび合図あいず待望たいぼう開会かいかいしきむかえた魅力みりょくたっぷりのバトンガールの行進こうしん、ムードをたかめる音楽おんがくたいのマーチ。このころには、メイン・スタンドも次々つぎつぎとつめかけるファンによってうずまるようになり、大会たいかい名誉めいよふく総裁そうさい杉本すぎもと鈴鹿すずか市長しちょう桜井さくらい大会たいかいふく会長かいちょう挨拶あいさつつづいて47さい最年長さいねんちょうライダーしば正之まさゆき選手せんしゅ力強ちからづよ選手せんしゅ宣誓せんせいけて、藤井ふじい競技きょうぎそう監督かんとく開会かいかい宣言せんげん、ここにアマチュア、ジュニア/セニアの90/125、250/251以上いじょうの3部門ぶもん4レースの熱戦ねっせんぶたがられた。

中略ちゅうりゃく

注目ちゅうもくの250/251クラスはまた後世こうせいのこめい勝負しょうぶとなった。GPライダー本橋もとはしあきらたいじくに、隅谷すみや守男もりお和田わだただしひろし首位しゅいあらそいは、コーナーごとにファンをかせ、あせをにぎらせるスリル満点まんてんこうレースを展開てんかいしたのである。まずレースはスタートで調子ちょうしよくびだしていった本橋もとはし和田わだを、隅谷すみや追撃ついげきするというかたちではじまった。そして、この3しゃは殆んど一団いちだんとなって、たがいに相手あいて弱点じゃくてんをつき、得意とくいのコーナーでとっきはなすというたくみなかけきをえんじてみせた。直線ちょくせんコースを一気いっきにかけくだる3しゃが、だいいちだいだいさんふくあいカーブでいちれつとなればトップは本橋もとはし、Sでトップをめるのは隅谷すみや、ヘヤピンはお得意とくい和田わだ。そして、本橋もとはしがわずかのスキをみせればインからこうと隅谷すみやめる。そして15しゅうのレースも終盤しゅうばんちかくになって和田わだ後退こうたい、ついで隅谷すみやもはなされ、本橋もとはし独走どくそうがはじまったかにみえたが、運命うんめいかみはまことにまぐれ、本橋もとはしのマシンは最終さいしゅうしゅう立体りったい交差こうさをすぎたところでその活動かつどう停止ていし、そのまま蛇行だこうして最終さいしゅうカーブにかかるところで、首位しゅい隅谷すみやにわたし、やく10びょうで2わったのである。そして3和田わだはいった。往年おうねんのレッドマン、伊藤いとう史朗しろう、リードのたたかいを再現さいげんしたようなこのこうレースにしばしわすれたファンもおおかろう。(中略ちゅうりゃく

スピードとスリル、そしてめい勝負しょうぶ高度こうどなテクニックにねつっぽい空気くうきでつつまれたスタンドが、ゆうもやのおとずれとともしずけさをもどしているころ、テクニカルホールでははなやかなライトを表彰ひょうしょう式典しきてんおこなわれ、来年らいねん再会さいかいやくしてみのおおかった日本にっぽんグランプリのまくじた。

セニア251cc以上いじょうクラス結果けっか

1 11 隅谷すみや守男もりお 2 2本橋もとはしあきらたい 3 3和田わだただしひろし 4 10浜野はまのあきら 5 7伊波いは朝夫あさお 6 5室町むろまち健三けんぞう


筆者ひっしゃ追記ついき:ホームストレートでは2サイクルのYAMAHA TD-2にちからおとるCB350だと、とおはなれていた両者りょうしゃが、1、2、Sコーナーをけるごとにテールトゥノーズに。そして、ぎゃくバンクの進入しんにゅうならびかける・・・というシーンがじゅうすうしゅうわたひろげられ、その結果けっか、かどうか、いまとなってはからないが、本橋もとはし選手せんしゅのエンジンはおとげ、隅谷すみや選手せんしゅ勝利しょうり栄冠えいかんにした、その挑戦ちょうせん姿勢しせいうつした貴重きちょういちまい

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 夜明よあけはまだか! 耐久たいきゅうRSC艦隊かんたい挑戦ちょうせん”. 本田技研工業ほんだぎけんこうぎょう. 2015ねん12がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ MFJ50周年しゅうねん記念きねんサイト~50ねんあゆみ~ロードレース歴代れきだいチャンピオン”. MFJ. 2016ねん1がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ Honda CB750 - 1.1 Early racing, en.wikipedia.org 
  4. ^ Honda Worldwide : Honda Motor Co.,Ltd.”. Honda. 2016ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  5. ^ Hondaコレクションホール収蔵しゅうぞう車両しゃりょう走行そうこう確認かくにんテスト「たたかうDNA」りんへんその2 トリコロールはここからはじまった / WEB Mr.BIKE”. WEB Mr.BIKE. 2016ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ Honda Worldwide / History / The Dream CB750 FOUR / 1969”. Honda. 2016ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  7. ^ モーターサイクリスト八重洲出版やえすしゅっぱん、1975ねん12がつごう、147ぺーじ
  8. ^ ライディングMFJ、1975ねん
  9. ^ 別冊べっさつモーターサイクリスト八重洲出版やえすしゅっぱん、2006ねん2~4がつごう、「ホンダスピリット回顧かいころく」より一部いちぶ抜粋ばっすい
  10. ^ (日本語にほんご) 隅谷すみや守男もりお伝説でんせつのレーサーたち, https://www.youtube.com/watch?v=IUIEYc_KrLY 2022ねん6がつ8にち閲覧えつらん 
  11. ^ (日本語にほんご) 1974・4・28 (昭和しょうわ49ねん) 鈴鹿すずかだいいちせん EJ/S 750, https://www.youtube.com/watch?v=w6Fao1C2RYg 2022ねん6がつ8にち閲覧えつらん 
  12. ^ 『ライディング』MFJ, 1969ねん”. MFJ. 2023ねん9がつ8にち閲覧えつらん