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はなれ

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はなれ』(りそう)は、すわえこごめはらさくつたえられるすわえ代表だいひょうさくであり、さんななから中国ちゅうごくもっと長編ちょうへん抒情じょじょうてき叙事詩じょじしの1つである。れられない人物じんぶつ悲憤ひふん慷慨こうがい神話しんわてき幻想げんそう世界せかいへの旅行りょこう多数たすう比喩ひゆ擬態語ぎたいごりばめてうたわれている。

題名だいめい[編集へんしゅう]

はなれ騒』という題名だいめい意味いみはよくわかっていない。『史記しき』のこごめばらつてでは『はなれ騒』の「騒」は「ゆう」という意味いみであるとし、おういつすわえ章句しょうく』でも「離別りべつ愁思しゅうし」の意味いみ解釈かいしゃくしている。これにたいし、はんかたの「はなれ騒賛じょ」(おういつちゅうえる)では「はなれ」とは「遭」という意味いみであるとし、「うれいにう」という意味いみ解釈かいしゃくしている。これはおう[ちゅう 1]かおいにしえ漢書かんしょ賈誼つて[ちゅう 2]同様どうようである。近代きんだい以降いこうではゆうこくおんすわえ概論がいろん』(1926)ですわえ曲名きょくめい解釈かいしゃくしたのをはじめ、おおくのせつとなえられた。

こうかんおういつの『すわえ章句しょうく以来いらい、『はなれ騒経』と「けい」つきでばれたが、これは『きゅううた以下いかすわえを『はなれ騒』の「つて」とかんがえたものである[1]。『文選ぶんせん』、ひろしきょうすわえ補註ほちゅう』、しゅすわえしゅう註』などでも踏襲とうしゅうしているが、ひろしきょうふる文献ぶんけんには「けい」がついていないとして「けい」をつけることに反対はんたいしている[ちゅう 3]

作者さくしゃ[編集へんしゅう]

伝統でんとうてき讒言ざんげんによって流刑りゅうけいとなったこごめばらつくったといい、たとえば司馬しばの『史記しきふとしおおやけ自序じじょおよび『ほうにんしょうきょうしょ』には「こごめげん放逐ほうちくちょはなれ騒』。ひだりたかし失明しつめい、厥有『国語こくご』。」とある。りゅうむかいしんじょふしへんこごめはらつたえはんかたはなれ騒賛じょ」でも同様どうようである。

しかし、えびすてきは『史記しき』のこごめはらつたえ信憑しんぴょうせいうたがい、聞一おおも『史記しき』にべられているこごめばらと『はなれ騒』からられる人物じんぶつぞうられるとした[2]日本にっぽんでは岡村おかむらしげるが『はなれ騒』をこごめばらさくとはなせないとし、こごめばらすわえ文学ぶんがくのヒーローであって、その作者さくしゃではないとした[3]小南こみなみ一郎いちろうは『はなれ騒』を「一人ひとりかたりによる物語ものがたり英雄えいゆう叙事詩じょじし」であり[4]、「人々ひとびと共通きょうつうする心意しんいした叙事詩じょじしてき主人公しゅじんこうぞう」をえがいたものであって[5]自叙伝じじょでんてき作品さくひんではないとした。矢田やた尚子しょうこ後半こうはん自叙伝じじょでんてき解釈かいしゃくするのは無理むりがあるとし[6]本来ほんらいみずか王者おうじゃたらんとする人物じんぶつ主人公しゅじんこうとした叙事詩じょじしだが、かん王朝おうちょうではれがたく、悲劇ひげき忠臣ちゅうしんとする解釈かいしゃくおこなわれたのではないかとする[7]

形式けいしき[編集へんしゅう]

はなれ騒』は374からなる(『長恨ちょうこん』のやく3ばい)。かくながさはかならずしもおなじでないが、大体だいたいにおいて奇数きすうが「□□□△□□兮」、偶数ぐうすうが「□□□△□□」の形式けいしきをしている。ここで「△」は「于、以、あずか、而、其、これ」などの助辞じょじである。偶数ぐうすう脚韻きゃくいんむが、4ごとにいんわる。末尾まつびには4からなる「らん」とばれる部分ぶぶん附属ふぞくする。

ぜんへんじゅうろくしょうだんかれ、だいはちしょうだん以上いじょうだいきゅうしょうだん以下いかをもって前後ぜんごだいだんとする。前段ぜんだんでは、こごめばらみずからの家系かけい出生しゅっしょうと、徳性とくせい才能さいのうすぐれたことをほこる。そのふところおうたすけて理想りそう政治せいじおこなおうとして。讒言ざんげんかぶせられ失脚しっきゃくしたことをべ、汚濁おだくしょする苦悩くのう憤懣ふんまんうったえる。後段こうだんだいきゅうしょうだん以降いこう)になると、一転いってんして、天地てんち上下じょうげ遍歴へんれきして女神めがみもと求婚きゅうこんする。しかしのぞみはたっせられず、ついに仙遊せんゆういたりらく境地きょうちから再転さいてんし、汚濁おだく現実げんじつもどをもって祖国そこくじゅんずるを決意けついする[8]。このような文学ぶんがく形式けいしきは、中国ちゅうごく詩歌しかちゅうきわめてまれれいである[9]

あらすじ[編集へんしゅう]

はなれ騒』は正則せいそくれいひとしという人物じんぶつ一人称いちにんしょうによって記述きじゅつされている。冒頭ぼうとうれいひとし自分じぶん顓頊子孫しそんであり、とらとしとらがつとらまれであってすぐれた才能さいのうつことをほこる。れいひとしいにしえ先王せんおう理想りそう実現じつげんしようと主君しゅくんのために奔走ほんそうするが、かえって讒言ざんげんにあってとおざけられる。

利権りけんのみをいもとめる世間せけんれられないれいひとし妥協だきょう拒否きょひし、遠方えんぽうへと旅立たびだとうとする。おんな嬃(伝統でんとうてきにはこごめばらあねとされる)はそれをめるが、れいひとしはまず沅水湘水わたって南方なんぽう蒼梧そうごしゅんいにく。聖哲せいてつのみが天下てんかおさめるというせつしゅんのもとでべてなみだながしたれいひとし自説じせつ確信かくしんち、そらんでこんけん圃へいたり、そこからもちつき御者ぎょしゃ)、れん風神ふうじん)、鸞皇、かみなりなどの伝説でんせつてきかみ々をしたがえて天界てんかい旅行りょこうするが、天帝てんてい門番もんばんによってこばまれる。また、宓妃、ゆう娀の佚女()、ゆうおそれ姚(しょうやすし)らに求婚きゅうこんしようとするが失敗しっぱいする。

れい氛のうらないやみこ咸の言葉ことばによってさらにとおくへくことをすすめられたれいひとし世界せかいてまで旅行りょこうし、8とうりゅうくるま天上てんじょうたかのぼっておんなもとめるが、そこからふと故郷こきょうえ、かなしみのあまりさきすすめなくなる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 史記しきこごめげん賈生列伝れつでんさくかくれに「おう劭云:はなれ、遭也。騒、ゆう也。」とある。
  2. ^ 放逐ほうちくさくはなれ騒賦。」ちゅう曰:はなれ、遭也。ゆうどう曰騒。遭憂而作此辞。」
  3. ^ ひろしきょうすわえ補註ほちゅうはなれ騒経章句しょうくだいいち按、古人こじん引離騒、げんけいしゃぶた後世こうせい祖述そじゅつ其辞、みことためけいみみこごめ原意げんい也。」

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 岡村おかむらしげるすわえこごめはら ―ヒーローと作者さくしゃ分離ぶんりについて―」『日本にっぽん中國ちゅうごく學會がっかいほうだい18ごう、1966ねん、86-101ぺーじ 
  • 小南こみなみ一郎いちろうすわえとその注釈ちゅうしゃくしゃたち』朋友ほうゆう書店しょてん、2003ねんISBN 4892810932 
  • 矢田やた尚子しょうこすわえはなれ騒」をむ―悲劇ひげき忠臣ちゅうしんこごめばら人物じんぶつぞうをめぐって―』東北大学とうほくだいがく出版しゅっぱんかい、2018ねんISBN 9784861633003 
  • 藤野ふじのいわともすわえ 漢詩かんし大系たいけい3』集英社しゅうえいしゃ、1967ねん 新装しんそうばん漢詩かんしせん3」どう、1996ねん
  • 藤野ふじのいわともみこけい文学ぶんがくろん大学だいがく書房しょぼう、1951ねん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]