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類聚るいじゅうりん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

類聚るいじゅうりん(るいじゅうかりん)は、日本にっぽん上代じょうだい歌集かしゅう山上憶良やまのうえのおくらしる、あるいは編纂へんさんか。成立せいりつ年代ねんだい不明ふめいぜんななかん想定そうていされる。『正子まさこ内親王ないしんのう[よう曖昧あいまい回避かいひ]絵合えあわせ』『和歌わか現在げんざい書目しょもくろく』『ふくろ草紙ぞうし』など、鎌倉かまくら時代ときよ以前いぜん文献ぶんけんにそのえるが、現存げんそんしない。『和歌わか現在げんざい書目しょもくろく』には「ざい平等院びょうどういん宝蔵ほうぞう」とあり、平安へいあん時代じだい末期まっきまでは存在そんざいしていたとされる。

概要がいよう

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武田たけだ祐吉ゆうきちせいくらいん文書ぶんしょうつしわたし雑書ざっしょちょう」に「ろくがつ天平てんぴょうかちたからさんねんさんにちらいうたりんななかん」とあり、「うたりん」が『類聚るいじゅうりん』と類似るいじするてん指摘してきした。その様々さまざませつ提起ていきされたが、『類聚るいじゅうりん』は山上憶良やまのうえのおくらが「東宮とうぐう侍講じこう」のころ編纂へんさんしたとするせつが『類聚るいじゅうりん編纂へんさん動機どうき条件じょうけんがよく説明せつめいできるため、通説つうせつしている。

その一部いちぶが『万葉集まんようしゅう巻一けんいちまき、およびまききゅうの9ヶ所かしょかれている。うたのほとんどは行幸ぎょうこう関係かんけいであり、うた内容ないよう主題しゅだいによって多様たよう分類ぶんるいしていたとはかんがえにくく、「行幸ぎょうこう」などというだい項目こうもくでいくつかに分類ぶんるいし、行幸ぎょうこうべつ時代じだいじゅんうた配列はいれつしていたてん行幸ぎょうこうさき紀伊きい近江おうみといった、舒明・すめらぎごく天皇てんのう関連かんれんする土地とちかぎられ、りょう天皇てんのう特別とくべつ位置いちづけにかれているてん題詞だいしと『類聚るいじゅうりん』とのあいだ作者さくしゃつてしょうじており、初期しょきまんようにおける宮廷きゅうてい作者さくしゃ天皇てんのうたく傾向けいこうられるてん特徴とくちょうがある[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 木村きむら康平やすひら山上憶良やまのうえのおくら類聚るいじゅうりん』について」『帝京大学ていきょうだいがく文學部ぶんがくぶ紀要きよう日本にっぽん文化ぶんかがくだい36かん帝京大学ていきょうだいがく文学部ぶんがくぶ、2005ねん1がつ、5-47ぺーじ