(Translated by https://www.hiragana.jp/)
風景 - Wikipedia コンテンツにスキップ

風景ふうけい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

風景ふうけい(ふうけい)は、える様子ようす景色けしきのことである。類義語るいぎご景観けいかん光景こうけいなどがげられる。絵画かいが作品さくひん題材だいざい写真しゃしん作品さくひん題材だいざいにされたり、観光かんこう資源しげんとして活用かつようされる場合ばあいもある。

やま風景ふうけい涸沢カール
うみ風景ふうけい雑賀崎さいかざき

景観けいかん客観きゃっかんてき景色けしきランドスケープもちいて、おも都市としなど人工じんこうてきなもの(用語ようごれいとして「都市とし景観けいかん」)、風景ふうけい主観しゅかんてき景色けしき、ランドスケープにもちい、おも自然しぜんたいして(用語ようごれいとして「自然しぜん風景ふうけい」)使つかわれることがおおい(ただし、さか風景ふうけい授業じゅぎょう風景ふうけいなどの用例ようれいもある)。また、光景こうけい瞬間しゅんかんてきなもの、景観けいかん風景ふうけい持続じぞくてきなものに使つかわれることがおおい。

現在げんざいでは「景観けいかん」と「風景ふうけい」はほとんどおな意味いみ使つかわれる。しかし近代きんだい合理ごうり主義しゅぎてき理解りかい支配しはいてきだったころは、「景観けいかん」は客観きゃっかんてき対象たいしょう記述きじゅつするものであたいふくまないとされ、「風景ふうけい」はぎゃく主観しゅかんてき情動じょうどう客観きゃっかんせいけるとされていた。いまでも若干じゃっかんその傾向けいこうのこっており、風景ふうけいは「はら風景ふうけい」「風景ふうけい」のように、景観けいかん文化ぶんかてき景観けいかん歴史れきしてき景観けいかん景観けいかん評価ひょうかのように使つかわれる。

日本にっぽん風景ふうけい

[編集へんしゅう]

古代こだい以来いらい伝統でんとうとして、和歌わか歌枕うたまくらがあった。めいうたまれた土地とち名所めいしょ)をおとずれ、古人こじんしのんでうたむ、という伝統でんとうがあり、住吉すみよしはまなどが有名ゆうめい歌枕うたまくらであった。

中国ちゅうごく発達はったつした山水さんすい日本にっぽんにもおおきな影響えいきょうあたえた。山水さんすいでは、名所めいしょとして瀟湘八景はっけい湖南こなんしょうほらにわみずうみ付近ふきん風景ふうけい)がえらばれ、このんで画題がだいとされていた。日本にっぽんじんも瀟湘八景はっけい題材だいざいとしたが、その影響えいきょう室町むろまち時代ときよすえ以降いこう近江おうみ八景はっけい琵琶湖びわこ付近ふきん風景ふうけい)がえらばれた。また、雪舟せっしゅう水墨すいぼく天橋立あまのはしだて」も有名ゆうめいである。

日本にっぽん三景さんけい天橋立あまのはしだて

江戸えど時代じだい初期しょき松島まつしま宮島みやじま天橋立あまのはしだてが「日本にっぽんさんしょ奇観きかん」とばれ、やがて日本にっぽん三景さんけいとして定着ていちゃくした。江戸えど時代じだい各国かっこく地理ちり関心かんしんたかまった時代じだいで、『名所めいしょ図会ずえ』『江戸えど名所めいしょ図会ずえ』などの刊行かんこうや、葛飾かつしか北斎ほくさいの「富嶽ふがくさんじゅうろくけい」シリーズなども自然しぜん風景ふうけいへの関心かんしんしめしているとえよう。

明治めいじ時代じだい中期ちゅうきベストセラーとなった志賀しが重昂しげたかの『日本にっぽん風景ふうけいろん』(1894ねん)は、日本人にっぽんじんあたらしい風景ふうけいかんをもたらしたとわれる。ナショナリズム立場たちばから、日本にっぽん風景ふうけい変化へんかみ、すぐれていることをいたものであるが、自然しぜんなか見出みいだそうとする態度たいどのちおおきな影響えいきょうあたえた。また、登山とざんについて実用じつようてき案内あんないおこなっており、登山とざんブームのきっかけにもなった(アルピニズム参照さんしょう)。

上高地かみこうち

あらたな風景ふうけいかんなか尾瀬おぜ上高地かみこうちなどが自然しぜん風景ふうけいとして評価ひょうかされるようになった。1934ねんには国立こくりつ公園こうえんとして瀬戸内海せとないかい雲仙うんぜん霧島きりしまの3箇所かしょはじめて指定していされ、同年どうねん阿寒あかん大雪山たいせつざん日光にっこう中部ちゅうぶ山岳さんがく阿蘇山あそさんの5箇所かしょ追加ついかされた。またおなごろ外貨がいか獲得かくとくのため観光かんこう整備せいびするという政策せいさくられ、その一環いっかん上高地かみこうち雲仙うんぜん志賀しが赤倉あかくら阿蘇あそかばのぐん唐津からつ松島まつしま琵琶湖びわこ川奈かわな日光にっこうなどに国際こくさい観光かんこうホテルが建設けんせつされた。鉄道てつどうなど交通こうつう機関きかん発達はったつも、日本にっぽん風景ふうけいおおきな影響えいきょうあたえたといえる。

なお、日本にっぽんにおける風景ふうけい原義げんぎは、風光ふうこうであり、けいそのものではなくふうひかりりなすものといった意味いみがあるとの指摘してきもある[1]景観けいかん比較ひかくして、風景ふうけい自然しぜん中心ちゅうしんで・人工じんこうぶつ点景てんけいである。風景ふうけい景観けいかんおなじく主体しゅたいとの関係かんけいはあるのだが、これを鑑賞かんしょうできる一定いってい教養きょうよう前提ぜんていにしているから、その水準すいじゅんでの主観性しゅかんせいをもちやすい。日本にっぽん三景さんけい近江おうみ八景はっけいなどはそのれいである。風景ふうけいのほうは多分たぶん心情しんじょうてきめんつよく、ふるくから使つかわれてきたから市民しみんてきには使つかいやすい言葉ことばである。「風景ふうけい」という言葉ことばには、文学ぶんがくてき芸術げいじゅつてきなニュアンスがおおふくまれており、景観けいかんよりもやわらかで心情しんじょうてきひびきがあって、こちらのほうが的確てきかく表現ひょうげんできる場合ばあいもある。文芸ぶんげい評論ひょうろん奥野おくの健男たけおの『文学ぶんがくにおけるはら風景ふうけい』は作者さくしゃしん内在ないざいする風景ふうけいげたものだが、それ以来いらいはら風景ふうけい」という用語ようごがよく使つかわれるようになったとされる。これを「はら景観けいかん」とはえない。

風景ふうけい鑑賞かんしょう

[編集へんしゅう]

自然しぜん人造じんぞうぶつ一部いちぶ風景ふうけいととらえ、しゅとして美的びてきかんせいによって観察かんさつ評価ひょうかする文化ぶんかてき態度たいど日本にっぽんでは山水さんすい浮世絵うきよえ和歌わか俳句はいく茶道さどう庭園ていえんなどが風景ふうけい鑑賞かんしょう文化ぶんか背景はいけい発展はってんした。具体ぐたいてき風景ふうけい影響えいきょうけてまれた作品さくひんおおい。八景はっけいしき鑑賞かんしょうほうなどがある。

風景ふうけい思想しそう

[編集へんしゅう]

風景ふうけいとは自然しぜん人間にんげんとのあいだにつくられる関係かんけいで、時代じだい地域ちいき民族みんぞく宗教しゅうきょうなどによって人々ひとびと風景ふうけい独特どくとく意味いみあたえて、その思想しそう表現ひょうげんする。そこには自然しぜんかみ思想しそう死後しご禁固きんこのぞかんがえ、自然しぜんとの関係かんけい先人せんじん知恵ちえかんじる思想しそうや、将来しょうらい可能かのうせい立場たちばなどがある。

風景ふうけい

[編集へんしゅう]

すぐれた自然しぜん景観けいかんをもつ地域ちいき近代きんだい以前いぜん地上ちじょうには、風光ふうこう明媚めいび地域ちいき場所ばしょ無数むすう存在そんざいしたといわれるが、そのなかおおくのひとあいされ、にうたわれ、えがかれたようなところが著名ちょめい風景ふうけいとして定着ていちゃくし、現在げんざいにおいて文化ぶんかてき存在そんざいとなっている。

風景ふうけいろん

[編集へんしゅう]

風景ふうけいについての見解けんかい認識にんしき鑑賞かんしょうほう評価ひょうかほう改造かいぞうろん操作そうさろんなど、さまざまな角度かくどからの論考ろんこう日本にっぽん最初さいしょ近代きんだいてき風景ふうけいろん志賀しがの『日本にっぽん風景ふうけいろん』(1894)といわれる。

その

[編集へんしゅう]

和文わぶん通話つうわひょうで「ケ」をしめさいには景色けしきのケとあらわす。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 月瀬つきせ幻影げんえい近代きんだい日本にっぽん風景ふうけい批評ひひょう中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ2002ねん3がつ、446ぺーじISBN 978-4120032509

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]