食糧しょくりょう管理かんり制度せいど

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食糧しょくりょう管理かんり制度せいど(しょくりょうかんりせいど)とは、日本にっぽんにおける主食しゅしょくであるべいむぎなどの食糧しょくりょう価格かかく供給きょうきゅうとうを、日本国にっぽんこく政府せいふ管理かんりする制度せいどをいう。

1942ねん昭和しょうわ17ねん)2がつ21にち制定せいてい食糧しょくりょう管理かんりほう(いわゆる食管しょっかんほう)にもとづき創設そうせつされた。どうほう1995ねん平成へいせい7ねん)に廃止はいしされ、わりに主要しゅよう食糧しょくりょう需給じゅきゅうおよ価格かかく安定あんていかんする法律ほうりつ食糧しょくりょうほう)が制定せいていされたことをけ、食糧しょくりょう管理かんり制度せいど呼称こしょう食糧しょくりょう制度せいどあらためられた。また、2004ねん平成へいせい16ねん)には、その食糧しょくりょうほう大幅おおはば改正かいせいがなされるなど、制度せいど内容ないよう時代じだいともおおきく変化へんかしてきている。

食糧しょくりょう管理かんりほう以前いぜん[編集へんしゅう]

1915ねん1がつ25にち、「米価べいか調節ちょうせつれい」が公布こうふされた(みことのりれい)。これにより米価べいか低落ていらく防止ぼうしのために大蔵おおくら大臣だいじん必要ひつようおうじてべい買入かいいれ、交換こうかんうれわたしをしる。3月10にち-5がつ10日とおかせいまい30まんせき買上かいあげるが効果こうかすくない。1918ねん4がつ25にちどうれい廃止はいし公布こうふみことのりれい)。 政府せいふによる食糧しょくりょう流通りゅうつうへの介入かいにゅう1921ねん大正たいしょう10ねん4がつ4にち原内はらうちかくとき公布こうふ施行しこうされた「米穀べいこくほう」にはじまる。1918ねんまい騒動そうどうないしだいいち世界せかい大戦たいせんこう米価べいか不安定ふあんてい状態じょうたいにあり、きゅう変動へんどうおさえるために政府せいふによるべいかいいれうれわたり交換こうかん加工かこう貯蔵ちょぞうについてさだめた。また米穀べいこく輸入ゆにゅうぜい増減ぞうげん輸出入ゆしゅつにゅう制限せいげん設定せってい可能かのうとなり、特別とくべつ会計かいけいとして米穀べいこく需給じゅきゅう調節ちょうせつ特別とくべつ会計かいけい創設そうせつされた。

1931ねん改正かいせいがなされ3がつ31にち公布こうふ、7がつ1にち施行しこう売買ばいばいさい米価べいか最高さいこう価格かかくおよ最低さいてい価格かかくさだめ、米穀べいこく輸出入ゆしゅつにゅう許可きょかせいとした。この法律ほうりつ1933ねん昭和しょうわ8ねん)3がつ29にち公布こうふ、11月1にち施行しこうの「米穀べいこく統制とうせいほう」に発展はってんし、以降いこう政府せいふ公定こうていした最高さいこう価格かかく最低さいてい価格かかくもとづきかいいれうれわたり無制限むせいげんおこない、輸出入ゆしゅつにゅう制限せいげん常時じょうじ実施じっしするようになった。

1936ねん昭和しょうわ11ねん)には補完ほかんてき法律ほうりつとして「米穀べいこく自治じち管理かんりほう」が5月28にち公布こうふ、9がつ20日はつか施行しこうされ、管理かんり委員いいんかいさだめた一定いってい数量すうりょうべい強制きょうせい貯蓄ちょちく生産せいさんしゃがわすことで過剰かじょうまい統制とうせいおこなわれた。そのうえ公定こうてい最低さいてい価格かかく場合ばあい産業さんぎょう組合くみあい自治じちてき過剰かじょうまい統制とうせいする仕組しくみ。当時とうじ背景はいけいとしては、軍拡ぐんかくにより重工業じゅうこうぎょう発展はってんぜん工業こうぎょう生産せいさんがく過半数かはんすう突破とっぱする一方いっぽうで、食糧しょくりょう安定あんてい供給きょうきゅうはかるべく農工のうこうあいだ格差かくさ解消かいしょうおこな方針ほうしんであった。つまりまい供給きょうきゅうだか需要じゅようだか一致いっちさせることでこう米価べいか維持いじするということだが、かえって米穀べいこく業者ぎょうしゃ反感はんかんうこととなった。

これらのほう整備せいびにより、結果けっかてき米穀べいこく取引とりひきしょ取引とりひきりょう急減きゅうげんし、1939ねん昭和しょうわ14ねん)には「米穀べいこく配給はいきゅう統制とうせいほう」(4がつ12にち公布こうふ)により取引とりひきしょ廃止はいしされ、代替だいたいとして半官半民はんかんはんみん日本にっぽん米穀べいこく株式会社かぶしきがいしゃが7がつ25にち設立せつりつされた。米価べいか低下ていかいち要因よういんである台湾たいわんべい移出いしゅつは、日本にっぽん米穀べいこく管理かんり実施じっし同時どうじべい先物さきもの取引とりひき戦時せんじ一時いちじ廃止はいしされ、集荷しゅうか機構きこう一元化いちげんかされ、米穀べいこく供出きょうしゅつせい米穀べいこく配給はいきゅう通帳つうちょうせい実施じっしするじょうで、政府せいふ権限けんげん強化きょうかされた。また米穀べいこく卸売おろしうりしょう小売こうりしょうは、許可きょかせいおよ組合くみあい服従ふくじゅうされ、流通りゅうつう販売はんばいいたるまで統制とうせい強化きょうかされた。食糧しょくりょう管理かんり制度せいど先駆せんくとなる「米穀べいこく管理かんり制度せいど」はここにはじまった。1939ねん8がつ25にちだい4じょう発動はつどうし、最高さいこう販売はんばい価格かかく1せき38えん公定こうてい、8がつ26にち実施じっしした。

食糧しょくりょう管理かんりほう昭和しょうわ17ねん2がつ21にち法律ほうりつだい40ごう[編集へんしゅう]

米穀べいこく統制とうせいほう米穀べいこく配給はいきゅう統制とうせいほう発展はってんさせ、1942ねん昭和しょうわ17ねん)の東條とうじょう内閣ないかくとき食糧しょくりょう管理かんりほう制定せいていされた。2月21にち公布こうふ、7がつ1にち一部いちぶ施行しこう米穀べいこくくわ主要しゅよう食糧しょくりょう生産せいさん流通りゅうつう消費しょうひにわたって政府せいふ介入かいにゅうして管理かんりするというものであり、目的もくてき食糧しょくりょう需給じゅきゅう価格かかく安定あんていである。供出きょうしゅつ価格かかくおよ供出きょうしゅつ数量すうりょう政府せいふによって決定けっていされる。1942ねん9がつ1にち日本にっぽん米穀べいこくなど5団体だんたい吸収きゅうしゅう中央ちゅうおう食糧しょくりょう営団えいだん設立せつりつされ、10月-12月かく府県ふけん地方ちほう食糧しょくりょう営団えいだん設立せつりつされた。

当初とうしょ対象たいしょうとなったのはべいほか、はだかむぎ大麦おおむぎ小麦こむぎなどのむぎるいである。生産せいさんしゃ自家じか保有ほゆうりょう以外いがい公定こうてい価格かかく供出きょうしゅつし、政府せいふ米穀べいこく配給はいきゅう通帳つうちょうもとづき消費しょうひしゃへと配給はいきゅうする。加工かこう管理かんり食糧しょくりょう営団えいだんおこなう。これ以外いがい流通りゅうつう一切いっさいみとめられず刑罰けいばつ規定きていもあったものの、実際じっさいには闇市やみいちでの取引とりひきおこなわれていた。米穀べいこく需給じゅきゅう調節ちょうせつ特別とくべつ会計かいけい食糧しょくりょう管理かんり特別とくべつ会計かいけい食管しょっかん会計かいけい)に発展はってんし、管理かんり業務ぎょうむ経理けいり実施じっし

戦後せんご食糧しょくりょう管理かんり制度せいど変遷へんせん[編集へんしゅう]

大宮おおみやえきでの闇米やみごめ取引とりひき現場げんば(1953ねん

終戦しゅうせん直後ちょくご農業のうぎょう生産せいさんりょく低下ていかしているうえ悪天候あくてんこうかさなり、1945ねん昭和しょうわ20ねん11月1にちには、餓死がし対策たいさく国民こくみん大会たいかい日比谷公園ひびやこうえんひらかれるなど、食糧しょくりょう供給きょうきゅうじょうきょう深刻しんこくきわめた。これに対処たいしょするため1946ねん2がつ17にちぬさ原内はらうちかく臨時りんじ食糧しょくりょう緊急きんきゅう措置そちれい緊急きんきゅうみことのりれい)を制定せいていし、強権きょうけんてき供出きょうしゅつ米価べいか値上ねあげをうながしたが、だい多数たすう農民のうみん組合くみあい反感はんかんい、効果こうかはほとんどかった。

3月3にちには物価ぶっか統制とうせいれい公布こうふ施行しこうされたが、価格かかく設定せっていインフレーションわせ非常ひじょうたかかったため、都市とし住民じゅうみん生活せいかつ窮乏きゅうぼうきわめ、5月1にち復活ふっかつメーデーがひらかれたのち5月19にちには飯米はんまい獲得かくとく人民じんみん大会たいかい皇居こうきょぜん広場ひろばひらかれ、労働ろうどう組合くみあいいん日本にっぽん共産党きょうさんとう党員とういん中心ちゅうしんやく25まんにん抗議こうぎおこなった(食糧しょくりょうメーデー)。よく1947ねん12月30にちはつ食糧しょくりょう管理かんりほう改正かいせいにより、対象たいしょうとなる食糧しょくりょう馬鈴薯じゃがいも甘藷さつまいも雑穀ざっこくくわえられた。また1947ねん12月30にち食糧しょくりょう管理かんりほう改正かいせい公布こうふにより食糧しょくりょう営団えいだんわり食糧しょくりょう配給はいきゅう公団こうだん設立せつりつ規定きていされ、1948ねん2がつ20日はつか発足ほっそくし、復興ふっこう金融きんゆう金庫きんこより運営うんえい資金しきんつづ配給はいきゅうおこなった。

ガリオア資金しきん計上けいじょうにより輸入ゆにゅう食糧しょくりょう補給ほきゅうはじまり、その1948ねん7がつ20日はつか食糧しょくりょう確保かくほ臨時りんじ措置そちほう公布こうふ施行しこうされた。農林のうりん大臣だいじん都道府県とどうふけん知事ちじ意見いけんもとづき農業のうぎょう計画けいかく義務ぎむとなるうれわたり数量すうりょうさだめ、これにより都道府県とどうふけん知事ちじ市町村しちょうそんべつ農業のうぎょう計画けいかくさだめ、その指示しじ市町村しちょうそんちょう生産せいさんしゃべつ農業のうぎょう計画けいかくさだ指示しじするという内容ないようであり、議決ぎけつ機関きかんとして政府せいふ中央ちゅうおう農業のうぎょう調整ちょうせい審議しんぎかい都道府県とどうふけん市町村しちょうそん農業のうぎょう調整ちょうせい委員いいんかい設置せっちされた。

よく1949ねん6月25にちには、さん度目どめ食糧しょくりょう管理かんりほう改正かいせいにより、食糧しょくりょう配給はいきゅうかんしても農林のうりん大臣だいじん配給はいきゅう計画けいかくのもとですすめられることとなり、農林省のうりんしょう外局がいきょくとして食糧庁しょくりょうちょう設置せっちされた。これらの体系たいけい整備せいびにより、供出きょうしゅつ制度せいど根本こんぽんてきわり、食糧しょくりょう不足ふそく緩和かんわされ、経済けいざい安定あんていきゅう原則げんそくのもと、インフレーションも収束しゅうそくかった。こうして1950ねん3月31にちよん度目どめ食糧しょくりょう管理かんりほう改正かいせいいもるい主要しゅよう穀物こくもつ対象たいしょうからはずされた。そして指定してい卸売おろしうり業者ぎょうしゃ指定してい小売こうり業者ぎょうしゃつうじた販売はんばい体制たいせいになったため、食糧しょくりょう配給はいきゅう公団こうだん1951ねん解散かいさんした。

1951ねん7がつ27にち農相のうしょう根本ねもと龍太郎りゅうたろう記者きしゃ会見かいけんで、1952年産ねんさんまいより統制とうせい撤廃てっぱい考慮こうりょ言明げんめいし、米穀べいこく統制とうせい撤廃てっぱい問題もんだいがおこった。9月29にち政府せいふわたすべき1951年産ねんさんまいかんする政令せいれい公布こうふ事後じご割当わりあてせい)。11月6にち政府せいふは、べい統制とうせい撤廃てっぱい延期えんき声明せいめい(GHQは統制とうせい撤廃てっぱい方針ほうしん了解りょうかいせず、事実じじつ上白じょうはく還元かんげん)。

その2ねん1952ねん5月29にちには、度目どめ食糧しょくりょう管理かんりほう改正かいせい公布こうふ(6がつ1にち施行しこう)で雑穀ざっこくはずされ、むぎるい最低さいてい価格かかく最高さいこう価格かかく範囲はんいない価格かかく安定あんていさせる間接かんせつ統制とうせいへと移行いこう一方いっぽうで、べい生産せいさんしゃ米価べいか消費しょうひしゃ米価べいかじゅう価格かかくせい採用さいようし、消費しょうひしゃとなる都市とし労働ろうどうしゃ賃金ちんぎん勘案かんあんして生産せいさんしゃ米価べいか決定けっていするようになったが、これがこう食管しょっかん会計かいけい赤字あかじこすこととなる。その1955ねんより、べい従来じゅうらい割当わりあて供出きょうしゅつせいから予約よやくうりわたりせい収穫しゅうかくまえうれわたり予定よてい数量すうりょうもううりわたり清算せいさんおこなう)へと移行いこうし、供出きょうしゅつ制度せいど廃止はいしされた。

食糧しょくりょう管理かんり制度せいど要因よういんとなった事件じけん暴動ぼうどう[編集へんしゅう]

食糧しょくりょう管理かんり制度せいど役割やくわり変化へんか[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつとおり、食糧しょくりょう管理かんり制度せいど農工のうこうあいだ格差かくさ是正ぜせいのため経済けいざい成長せいちょうわせ食糧しょくりょうこう価格かかく維持いじ戦後せんごつづけていたが、その必要ひつようせい徐々じょじょうすれていった。1955ねん以降いこうべいだい豊作ほうさくつづくようになり、米価べいかはこれ以上いじょうげず現状げんじょう維持いじをするという潮流ちょうりゅうわっていった。1960ねんには生産せいさんしゃ価格かかく決定けってい生産せいさん所得しょとく補償ほしょう方式ほうしきとなった。

また一方いっぽうで、食生活しょくせいかつ欧米おうべいあいまってべい需要じゅようくようになったにもかかわらず、とく品種ひんしゅ改良かいりょう機械きかい技術ぎじゅつ進歩しんぽにより、北海道ほっかいどうきた東北とうほく周辺しゅうへん農業のうぎょう生産せいさん拡大かくだいつづけたため、べい自給じきゅうりつが100%を突破とっぱした1967ねん以降いこうは、過剰かじょうまい(コメあまり)がはじめた。以降いこう急激きゅうげき大量たいりょう古米こまい古米こまいあまり、処分しょぶんされるものもていたため60年代ねんだいまつにはすでおおきな問題もんだいとなっていた。

食管しょっかん会計かいけい赤字あかじがかさんだため、1969ねんには消費しょうひしゃ嗜好しこう考慮こうりょし、自主じしゅ流通りゅうつうまい制度せいど(じしゅりゅうつうまいせいど)を発足ほっそくさせ、一部いちぶ良質りょうしつこめかぎ政府せいふとおさず、直接ちょくせつ卸売おろしうり業者ぎょうしゃなどへ販売はんばいすることをみとめた。「自主じしゅ流通りゅうつうまい」という名称めいしょうは、一部いちぶこめのぞ政府せいふ管理かんり持続じぞくするということをまえ、自由じゆうまいヤミ米やみごめ)と区別くべつする意味合いみあいでけられた。同時どうじ減反げんたん政策せいさく開始かいしされ、つづいて1972ねん物価ぶっか統制とうせいれい改正かいせいで、消費しょうひしゃ米価べいか自由じゆうされた(標準ひょうじゅん価格かかくまい制度せいど)。

1973ねんには、古米こまい在庫ざいこ処分しょぶんんだことで、べい需給じゅきゅう一旦いったん均衡きんこうするものの、世界せかい食糧しょくりょう危機ききあおりをけ、日本にっぽん国民こくみん食糧しょくりょう安全あんぜん保障ほしょうたいする意識いしきたかまり、ふたた生産せいさんしゃ米価べいかげられたため、古米こまい在庫ざいこ食管しょっかん会計かいけい赤字あかじ増加ぞうかしていった。

なお一連いちれん政策せいさくにより、従来じゅうらい食糧しょくりょう管理かんり制度せいどおおきく変貌へんぼうし、当初とうしょ方針ほうしんとはまったことなるものとなったため、1981ねん6月11にち食糧しょくりょう管理かんりほう全面ぜんめん改正かいせいされた(食糧しょくりょう管理かんりほう一部いちぶ改正かいせいする法律ほうりつ)。条文じょうぶんにおいて「配給はいきゅう統制とうせい」から「流通りゅうつう規制きせい」へとあらため、自由じゆう流通りゅうつう制度せいど法定ほうていするなど方針ほうしん転換てんかん明文化めいぶんかしたこの法律ほうりつ改正かいせい食糧しょくりょう管理かんりほうともばれる。

自由じゆうまいへの規制きせい廃止はいしする一方いっぽうで、緊急きんきゅう配給はいきゅう実施じっしそなえた規定きていみ、流通りゅうつう業者ぎょうしゃ許可きょかせいとした。つまり食糧しょくりょう管理かんり制度せいどにおける政府せいふ役割やくわりは、べい流通りゅうつうの「統制とうせい」から「管理かんり」へと変化へんかしたのである。これにより通常つうじょう配給はいきゅう制度せいど自体じたい廃止はいしされたため、米穀べいこく配給はいきゅう通帳つうちょう廃止はいしされた。その卸売おろしうり小売こうり営業えいぎょう区域くいき拡大かくだいされるなど、流通りゅうつう自由じゆうはさらにすすんだ。

1990ねんには、自主じしゅ流通りゅうつうまい価格かかく形成けいせい機構きこう設立せつりつされ、自主じしゅ流通りゅうつうまい入札にゅうさつ制度せいど開始かいしされた。このころにはぜん流通りゅうつうまいめる政府せいふ管理かんりまい流通りゅうつう割合わりあいは、2わりほど縮小しゅくしょうした。

一方いっぽうむぎるいかんしては、間接かんせつ統制とうせい以降いこう制度せいど変化へんかはない。だがぎゃくザヤの拡大かくだいともない、当初とうしょ政府せいふかいにゅうむぎ割合わりあいてきにほぼ同数どうすうであった民間みんかん流通りゅうつうむぎは、大幅おおはば減少げんしょうした。また政府せいふすべ一律いちりつ買入かいいれをおこなったため、輸入ゆにゅうむぎしていちじるしく品質ひんしつおとり、日本にっぽんさんむぎ不味まずいという風潮ふうちょうつよまった。生産せいさんせいについても、なん改善かいぜんがなされなかった。

食糧しょくりょう事情じじょう変化へんか制度せいど限界げんかい[編集へんしゅう]

食糧しょくりょう管理かんり増大ぞうだい
米価べいか米価べいか審議しんぎかい決定けっていされたが、1960ねんには従来じゅうらい物価ぶっか連動れんどうしたパリティ方式ほうしきもとづいていたものから、高度こうど経済けいざい成長せいちょうともな都市とし地方ちほう所得しょとく格差かくさ配慮はいりょした所得しょとく補償ほしょう方式ほうしき移行いこうし、米価べいかインフレーションおうじて高騰こうとうするようになったため、農家のうかべい生産せいさんかんしては経済けいざいてきリスクがなくなった。その結果けっか農作物のうさくもつ優先ゆうせんして生産せいさんされたことで供給きょうきゅう過剰かじょうとなり、日本国にっぽんこく政府せいふ在庫ざいこ費用ひよう増大ぞうだいした。また一方いっぽうで、うれわたり価格かかく都市とし生活せいかつしゃ配慮はいりょしてかいにゅう価格かかく下回したまわることとなったため、ここにぎゃくザヤしょうじて、1980年代ねんだいにはいわゆる食管しょっかん赤字あかじは1ちょうえんにもたっし、日本国にっぽんこく政府せいふ財政ざいせい赤字あかじ要因よういん3K(コメ国鉄こくてつ健保けんぽ)の筆頭ひっとうげられるようになった。
1987ねんには、生産せいさんしゃ米価べいかげがおこなわれ、ぎゃくザヤは解消かいしょうされた(ただし、日本国にっぽんこく政府せいふ在庫ざいこ管理かんりコストは依然いぜんのこる)が、現在げんざいいたるまで負債ふさいおも食糧しょくりょう証券しょうけんにより、えでまかなう)の解消かいしょう遅々ちちとしてすすんでいない。
べい流通りゅうつう硬直こうちょく
一方いっぽうで、消費しょうひしゃへの流通りゅうつう在庫ざいこ期間きかんながいものからされるとともに、品種ひんしゅにかかわらず混合こんごうされていたためにあじわるく、消費しょうひしゃ多少たしょうたかくてもおいしいこめもとめるようになり、最初さいしょ管理かんりまい枠外わくがいとして縁故えんこまいや「ヤミ米やみごめ」として流通りゅうつうする。日本国にっぽんこく政府せいふはこれを追認ついにんするかたちとして、一定いってい以上いじょう品質ひんしつ確保かくほしたべいだけを自主じしゅ流通りゅうつうまいとして流通りゅうつうさせることをみとめた。それでも政府せいふ管理かんりそとにおいての流通りゅうつう拡大かくだいし、日本国にっぽんこく政府せいふ食管しょっかん赤字あかじ拡大かくだいけるため、これらの流通りゅうつう黙認もくにんした。
その結果けっか食糧しょくりょう管理かんりほう廃止はいし直前ちょくぜんには、自主じしゅ流通りゅうつうまい政府せいふ管理かんりまいの2.5ばいたっし、自由じゆうまい政府せいふ管理かんりまいの30%をめる状況じょうきょうとなっていた。

食糧しょくりょう管理かんりほう廃止はいし[編集へんしゅう]

このように、食糧しょくりょう管理かんりほうによる食糧しょくりょう管理かんり制度せいど制度せいどてき限界げんかいしょうじていたが、以下いかの2つの事件じけん決定的けっていてきがねとなり、制度せいど根本こんぽんてき改革かいかくもとめられるようになった。

1993ねんまい騒動そうどう
1993ねん平成へいせい5ねん)にこったなつ天候てんこう不良ふりょう影響えいきょうで、同年どうねん後半こうはんからよく1994ねん平成へいせい6ねん)にかけて、日本にっぽん国内こくないべいいちじるしい供給きょうきゅう不足ふそく当時とうじよくもちいられた表現ひょうげんでは「コメ不足ふそく」)となり、日本にっぽんさんまい価格かかく暴騰ぼうとう・コメの緊急きんきゅう輸入ゆにゅうき、食糧しょくりょう管理かんり制度せいど脆弱ぜいじゃくせいたいする非難ひなん増加ぞうかした。このため、日本国にっぽんこく政府せいふによる管理かんり強化きょうかする一方いっぽう農家のうかでもこめ直接ちょくせつ販売はんばいできるようにするなど、日本国にっぽんこく政府せいふはそれまでの方針ほうしんことなる方向ほうこうへの運用うんよう改善かいぜん余儀よぎなくされた。この政府せいふ管理かんりは、食管しょっかんほう廃止はいしされる直前ちょくぜんの1995ねん10がつまでつづけられた。
ウルグアイ・ラウンドでのべい輸入ゆにゅう
1995ねん平成へいせい7ねん)、べい騒動そうどうでコメの国際こくさい市場いちばみだしたこと、自由じゆう貿易ぼうえき世界せかい経済けいざいすすなかで、ウルグアイ・ラウンド農業のうぎょう合意ごういにより、ミニマム・アクセスとして、コメの輸入ゆにゅう自由じゆう要求ようきゅうまざるをなくなり、おもアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくからコメを輸入ゆにゅうするようになる。しかし、そのこめ日本にっぽん主食しゅしょくよう消費しょうひでなく、他国たこくへの食料しょくりょう援助えんじょ動物どうぶつ飼料しりょう加工かこうまい用途ようとけられた。

主要しゅよう食糧しょくりょう需給じゅきゅうおよ価格かかく安定あんていかんする法律ほうりつ平成へいせい6ねん12月14にち法律ほうりつだい113ごう[編集へんしゅう]

1994ねん平成へいせい6ねん12月14にち主要しゅよう食糧しょくりょう需給じゅきゅうおよ価格かかく安定あんていかんする法律ほうりつ(いわゆる食糧しょくりょうほう)が公布こうふ一部いちぶ条項じょうこうのぞよく1995ねん11月1にち施行しこうされ、これにともな食糧しょくりょう管理かんりほう廃止はいしとなった。また、制度せいど呼称こしょうとしての「食糧しょくりょう管理かんり制度せいど」も内容ないよう変更へんこう沿って「食糧しょくりょう制度せいど」にあらためられた。ただし、食糧しょくりょう管理かんり特別とくべつ会計かいけい(2007年度ねんどから食料しょくりょう安定あんてい供給きょうきゅう特別とくべつ会計かいけい)・食糧しょくりょう管理かんり勘定かんじょうなど、一部いちぶ用語ようごには「管理かんり」の文字もじのこった。

食糧しょくりょうほう施行しこうにより、農家のうか自由じゆうべいなどの作物さくもつ販売はんばいできるようになった。これはそのべい輸入ゆにゅう解禁かいきんそなえ、あらかじめ自由じゆうこめ流通りゅうつうさせることで日本にっぽん国内こくない農家のうか競争きょうそうりょく対応たいおうりょく向上こうじょう目指めざしたものである。一方いっぽうで、政府せいふによる管理かんり緩和かんわされることとなった。

減反げんたん政策せいさく[編集へんしゅう]

1970年代ねんだいになると、食生活しょくせいかつ変化へんか影響えいきょうで、べいあまるようになり、備蓄びちくまい年間ねんかん生産せいさん相当そうとうりょうまでたっする事態じたいしょうじた。このため、日本国にっぽんこく政府せいふ主導しゅどうして減反げんたん政策せいさく推進すいしんしてきたが、2004ねん平成へいせい16ねん)に方針ほうしん転換てんかんし、2018ねん平成へいせい30ねん)に減反げんたん政策せいさくをやめることになった。

2004ねん大幅おおはば改正かいせい[編集へんしゅう]

食糧しょくりょうほう大幅おおはば改正かいせいする主要しゅよう食糧しょくりょう需給じゅきゅうおよ価格かかく安定あんていかんする法律ほうりつとう一部いちぶ改正かいせいする法律ほうりつ平成へいせい15ねん法律ほうりつだい103ごう)が2004ねん平成へいせい16ねん4がつ1にち施行しこうされ、従来じゅうらいからの農業のうぎょう従事じゅうじしゃかぎらずだれでも自由じゆうこめ販売はんばいしたり流通りゅうつうさせることが出来できるようになるなど、1995ねん食管しょっかんほう廃止はいし食糧しょくりょうほう制定せいてい匹敵ひってきするような制度せいど改革かいかく実施じっしされた。この大幅おおはば改正かいせい食糧しょくりょうほうは、それまでの食糧しょくりょうほう区別くべつするため「しん食糧しょくりょうほう」あるいは「改正かいせい食糧しょくりょうほう」と呼称こしょうされる。

ほう改正かいせいにより、米穀べいこく販売はんばいについては、従来じゅうらい登録とうろくせいであったが、これが届出とどけでせいになった。すなわち、47じょう1こうは、「米穀べいこく出荷しゅっかまた販売はんばい事業じぎょう(その事業じぎょう規模きぼ農林水産省のうりんすいさんしょうれいさだめる規模きぼ未満みまんであるものをのぞく。だいじゅうきゅうじょうにおいておなじ。)をおこなおうとするものは、農林水産省のうりんすいさんしょうれいさだめるところにより、あらかじめ、つぎかかげる事項じこう農林のうりん水産すいさん大臣だいじんとどなければならない」と規定きていしている(届出とどけでせいについて参照さんしょう[1])。

また。米穀べいこく輸入ゆにゅうについても、一定いっていがく支払しはらえば自由じゆうおこなうことができるようになった。34じょう1こうは、「米穀べいこくとう輸入ゆにゅう関税かんぜいほう昭和しょうわじゅうきゅうねん法律ほうりつだいろくじゅういちごうだいじょうさだめる輸入ゆにゅうをいう。以下いかこのこうおよだいよんじゅうじょうだいいちこうにおいておなじ。)をおこなおうとするものは、国際こくさい約束やくそくしたがって農林のうりん水産すいさん大臣だいじんさだめて告示こくじするがくに、当該とうがい輸入ゆにゅうかか米穀べいこくとう数量すうりょうじょうじてがくを、政府せいふ納付のうふしなければならない」と規定きていしている。

むぎ流通りゅうつう[編集へんしゅう]

むぎ(小麦こむぎ大麦おおむぎはだかむぎ)は価格かかく統制とうせい存在そんざいした。

主要しゅよう食糧しょくりょう需給じゅきゅうおよ価格かかく安定あんていはかるための基本きほん方針ほうしん
だいじょう 3  政府せいふは、むぎ需給じゅきゅうおよ価格かかく安定あんていはかるため、むぎ需給じゅきゅうてきかく見通みとおしを策定さくていし、これにもとづき、むぎ供給きょうきゅう不足ふそくする事態じたいそなえた備蓄びちく円滑えんかつ運営うんえいはかるとともに、むぎ適切てきせつ輸入ゆにゅうおようれわたしをおこなうものとする。

1952ねん5がつ29にち食糧しょくりょう管理かんりほう改正かいせい公布こうふむぎ統制とうせい撤廃てっぱい)、6月1にち施行しこう

主要しゅよう食糧しょくりょう需給じゅきゅうおよ価格かかく安定あんていかんする法律ほうりつ一部いちぶ改正かいせいにより、2007ねん4がつ1にちからむぎ政府せいふかいにゅう制度せいどくなり、国内産こくないさんについては全量ぜんりょう民間みんかん流通りゅうつうとなる。[2] [3]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]